みわよしこのなんでもブログ : DV

みわよしこのなんでもブログ

ライター・みわよしこのブログ。猫話、料理の話、車椅子での日常悲喜こもごも、時には真面目な記事も。アフィリエイトの実験場として割り切り、テーマは限定しません。


DV

それを「会話」とは呼ばない

2013年12月のFacebookへの書き込みを、本人のプライバシーに関する記述を全面的に改変したうえで公開します。
この本人とはすでに絶交しています。
しかし過日、私が貧困ジャーナリズム大賞を受賞したあと、本人が
「貧困の報道をやっている人に絶交された。自分が精神を病んでいるということが理由だ。その人だって精神障害者なのに」
という愚痴をネットでぶちまけていることを知りました。
彼女と絶交した理由は、彼女が精神を病んでいるからではありません。私にはいわゆる「メンヘル」や精神障害者の友人がたくさんいます。その友人たちは「精神を病んでいるからといって、みわよしこに絶交された」と聞いても「は?」でしょう。
 私は、何らかの障害を理由に人を遠ざけたり絶交したりすることはありません。経済状況も同様です。たとえば、生活保護を利用していることそのものを理由に人を遠ざけたり絶交したりすることはありません。
ただ、自分にとって有害なため付き合えない人とは付き合いません。自分が付き合いづらく消耗すると感じる人も遠ざけます。障害の有無・経済状況・その他の「フラグ」とは関係ありません。
「自分も障害者なのだから、相手が障害者である場合には、相手に傷つけられ続けることを拒んではいけない」
「職業として生活保護問題について書いているのだから、生活保護を利用している人のどのような理不尽も受け入れなくてはならない」
という理由はありません。
「自分が障害者である」と「障害者のワガママは許されるべきである」の間には、どのような関係もありません。
「自分が職業として生活保護問題について書いている」と「生活保護を利用している人の理不尽は許されるべきである」にも関係はありません。
言うまでもないことですが、「障害者(の全員)はワガママである」とも「生活保護利用者(の全員)は理不尽である」とも言っていません。というか、考えていません。
ただ、
「自分にとって有害であったり、自分にとって消耗のすぎる人間関係は、自分自身の生存と生活を守るために遠ざけたり減らしたりせざるを得ない」
と言っているだけです。
これは当たり前のこと、誰にとっても同じことでしょう? 
私が障害者だから、生活保護について書いているからといって、その「誰にとっても同じこと」を適用されない理由はないはずです。
 
ましてや、自ら「自分は障害者であるから、自分の問題ある言動は無条件に受け入れられるべきだ」という態度や主張を行う人は、自ら「私は危険人物です」と主張しているも同然なので、遠ざけます。
限りある人生の時間の中で、出会うこと・付き合うことのできる人の人数は多くありません。
出会いたい人と出会い、付き合いたい人と付き合いたい。
私にも、他のあらゆる方と同じように、そうする権利があるはずです。

というわけで本文です。
今日、FBFを一人削除した。

昨晩、彼女と会って会食し、あまりにも不快だったからだった。
彼女は40代前半の駆け出しライターだ。本当は少し違うのだが、そういうことにしておく。
仕事を選ばないので重宝され、今のところ仕事は順調なようだ。単価の高い仕事に食い込むのは難しかったり、単価切り下げなどの憂き目にも遭っているのだが、地方の両親の家に同居しているので就労を継続できている上、お金のかかる趣味を楽しんだりなどもできている。

知り合ったきっかけは、ツイッターだった。私が元夫のグチをこぼしていたら、「自分もDV被害に遭って離婚した」ということだった。
半年ほど前、互いに近くに居合わせる機会があったので、「それでは」と昼食を共にした。どちらかというと、会いたがったのは彼女のほうだ。彼女がほぼ一方的に自分の身の上を話し、私は「自分にも似たようなことが」と少し話すという調子だった。それだけなら、「ちょっと口数の多い人」で済んだかもしれない。
「あれ?」
と思ったのは、その翌日のことだった。彼女のFBF限定とはいえ、私が昨日話したことが、私のペンネームとともに書かれていた。私が話したことについては「学歴差別とも取れる」というコメントがついていた。
この後、ツイッターやFacebookで何度か、不快な接触があった。一回二回なら「行き違い」で済んだかもしれない。でも数えきれないほど度重なった。彼女の方も、私が怒っている可能性は考えていたのかもしれない。旅話、猫話といった比較的当たり障りない話題に、彼女は絡んできた。すきあらば自慢しよう、すきあらば自分の話をしよう、という態度に、私はほとほと嫌気がさしていた。というより、なぜそんなことをするのか理解できなかった(後記:自分の自慢、自分の話がしたいのだったら、自分のウォールでやれば良い話。他人へのコメントで行うのが解せない。あまりにもストレスが溜まっているときには、私もついついやってしまうことがあるけど……)。しかし、当たり障りなく相手していた。
彼女は東京に来るたびに「会いたい」と連絡してきた。私は多忙を理由に断り続けた。11月半ば、「来月上京します」という連絡があった。私が返事しないでいると「会えるんですか、早く返事してください」と催促された。私は「○日夜なら会えます」と返事した。
彼女はついで、私の住まいを訪れて猫に会いたいという。断ったら逆ギレされそうなので、応じることにした。
 
その日の夕方は、落ち合うまでが大変だった。
彼女は交通事情を理由として「遅れるかもしれない」と連絡してきた。それは事実であったようだ。しかしその後、「今、◯◯(待ち合わせ場所から電車で40分程度の場所)にいます」と連絡があり、落ち合えたのはその2時間後だった。彼女は山手線の緊急停止を理由にした。だったらなぜ、「今、◯◯にいます、電車が遅れています」という連絡を何度か入れないのだ? 私よりも高学歴(博士号取得してたはず)で、社会人経験も社会経験も豊富にあるはずの、40代の女性が?
私は、会って食事するためにカフェを予約していた。彼女は
「時間がなくなったので、食事したあとで三輪さんの住まいに寄りたい」
という。そんなことをしたら、彼女は最終的に何時に帰ってくれるのだろう。明日は朝から飛行機で出かけると(後記:数日前からメッセージで)言っているのに。
この厚かましい、配慮をまったくしない(*)女性が私の住まいに長居することは、なんとかして避けたかった。私は
「10分くらいしかいてもらえないけど、前にしませんか。うちは駅から遠いから、食事したあとでは行く気になれないと思いますよ」
と言った。彼女も同意した。
彼女は10分程度、私の住まいにいて、猫を撫でたり少し遊んだり食事を与えたりした。猫などの動物と暮らすことは慣れていると自称している彼女は、長い時間にわたって玄関ドア(そこには「猫がいます、注意して下さい」と張り紙まである)を開けっ放しにして、私をヒヤヒヤさせた。
ついで彼女と私は、夕食を食べにカフェに行った。彼女はただただ一方的に、脈絡もなく、自分の話したいことを話し続けた。食事や酒に対してコメントはするのだが、味わってはいなかった。手にフォークを持って振り回しながら(後記:ツバも飛ばしながら)熱弁をふるう彼女に、私はつくづく閉口した。
彼女は躁うつ病であり、今は若干、躁気味であるということだった。それだけなら
「ああ、病気のなせるわざか」
で済んだかもしれない。
 
頼んだコースの料理が終わり、デザートが出てきた。
彼女は
「今日はたくさん話ができて楽しかった」
と言った。これが「話」? 一方的にあなたが話していただけじゃないか。時間の95%はあなたが話していたんじゃないか。あなたは私の話を聞こうともしていなかったではないか。私が二言三言何か言いかけると、あなたは自分のしたい話ばかり、私が聞きたいかどうかには関心を向けずにまくしたてて。私はこんなことを「話をした」とは言わない。互いに話をしたと言うなら、せめて発話していた時間が1:4でなくては。それでも相手にしゃべられ過ぎだとは思うけれども、20%も自分が発話できていれば、「一方的に話を聞かされた」とは私は考えない。でも、私が何か言うと、この前のように(後記:「学歴差別とも取れる」とか)悪意ある紹介をされてしまうかもしれないから、むしろ私に話す機会がないことは幸いかもしれないのだが。
そこで私は思わず、
「そうですか。私はこの前みたいに、『差別と取れること』とあとで書かれないためにどうすればいいかと、戦々恐々としていました」
と言った。彼女は息を飲んで顔を凍らせた。
私は
「今日、私と会ったということを、どこにも書かないでいただけますか」
と言った。彼女は怒りを含んだ声と表情で、
「書きませんよ、こんな人、こんな場所のことなんか」
と答えた。
そして
「あの『学歴差別と取れること』と書いたときは、病気の調子が悪くて」
「みわさんがツイッターでIさんに絡まれていたときに『優しく話を聞いてあげては』と(FBで)言ったのは、どういう粘着をされていたか知らなかったから(後記:その人物は大学院でアカハラに遭ったということだった。私はここにまとめたようなアドバイスをしたのだが、その人物は「アカハラは事実である」「悪いのは教員と大学である」といって欲しかったようだった。私がそのニーズに応えない(なにしろ、どこの大学の誰の話かも分からないのに、事実であるかどうか・誰がどう悪いのかを判断することなどできない)でいると、その人物は逆上して執拗かつ激烈な粘着をツイッターで行い、彼女は私に「優しく話を聞いてあげては」と差し出口してきたのであった)」
「三輪さんが怒っているとは思わなかったから」
などと言い訳を始め、さらに
「言い訳がましく聞こえるかもしれないけど」
と、「言い訳」と取らないでほしいという意思表示までした。
私はさらに立腹した。彼女は現在も病気で、精神障害者手帳も取得している。ということは、付き合い付けていたら、将来にわたっていつも私は彼女に陥れられるようなことをされ、さらに「病気のせい(だから許すべきだ)」と言われなくてはいけないということだ。さらに彼女は「知らなかったから」と言えば、どんな手ひどい攻撃も許されると考えているようだ。なんでこんな人間を、私は自分に近づけたのだ! 精神疾患だろうが、躁病だろうが、そんなことは関係ない。病気が事実であるとしても、この女性はただ卑劣で身勝手なだけだ。都合よく、病気や「DV被害者」を使いまわしているだけだ。私も病気だし、私もDV被害者なのに、彼女は私に同じ権利を認めないじゃないか。こんなバカなことがあるか!
カフェに入ってから、3時間近くが経過していた。
「私、明日は朝からフライトなので、このへんで」
と言ったら、彼女は
「調子が悪いときに遠出しないほうがいいんじゃないですか?」
と言った。皮肉な口調、険悪な表情であった。余計なお世話だ!
私は彼女を駅まで送っていった。彼女は
「思っていたことを言ってくれてありがとう、言ってもらわないとわからないから」
と言った。私が「言わなかった」ということまで使って私に責任を押し付けるのか! 私は
「言わずにいられなかったです」
と答えた。彼女は
「わだかまりは解けた?」
とニッコリ笑った。
私は
「まあ、解けたんじゃないでしょうかね」
と答えた(私は「です」「ます」で話し、彼女は最初から一貫してタメ口。ちなみに私のほうが5歳程度年長)。
私の怒りは、ここで頂点に達した。
彼女は一方的に、私に「わだかまる」権利を与えないのだ。私に怒ったり悲しんだりする権利を与えないのだ。てめえ何様だよ! 私の感情は、私のものだ!
帰ってさっさと寝た翌朝、何事もなかったかのように、彼女からのFBメッセージが届いていた。
私は
「こちらこそ。お疲れ様でした」
と返事を書いた。余計なことを書くと、どう利用されるだろうかと怖くてたまらないから、それ以上は何も書けなかった。
そして、彼女をFBFから削除した。

(*)
本人は「自分は発達障害もあるかも」と言っていた。そうかもしれない。躁うつ病も、昨日、躁状態だったのもたぶん事実なんだろう。だけど、発達障害者向けの社会訓練や精神科デイケアには全く通っていない様子だし(彼女の住んでいる地方に存在しないわけではない)、社会訓練が必要だと認めて受けているという話は全く出なかった。
わかります。
病気であることを「自分に優しくしてほしい」「自分を受け入れてほしい」という文脈では使うわけですね。
病気によって引き起こされる問題を自分が解決する努力、同病の方がたくさんいるところで自分も仲間として振る舞う努力はしないわけですね……甘ったれるな!

寄せられたコメントより。
お疲れ様でした…自分が磨り減るような事が続くと、参ってしまいますよね。どうぞ、猫ズさん達と癒しの時間を(心理職)

お疲れ様でした。こういった狡猾な手合いを近づけない方法がちょっと思いつかないです。。。(精神疾患のため休職中のエンジニア)

病気はその人の一部、全部ではない。それは理由にならない。三輪さん会いに来たのは気まぐれ特に理由はなく思い付きでは(精神障害者を主対象とした作業所の職員)

病気の人にも病気だからなんでも許される訳ではないので、きちんと怒って関係を絶ったみわさんは正しいと思います(困窮者援助に関わる会社員)

「子どもが悪意なくしたこと」?

私は主に母親によって、4歳下の弟との間で、非常なきょうだい差別を受けました。
最初は母親が行い、弟が母親に言われたり促されたりするままに同調し……という感じでした。
参考:弟との間にあったこと

私はその一部始終を目の前にしていましたが、止めることはできず、ただ、弟にさまざまな種類の暴力を振るわれ続けているしかありませんでした。
私は弟が16歳のときに実家を離れましたが、そのような状況は、弟が20歳まで続きました(大学再受験で私のアパートに滞在した際)。その後も、両親はあくまでも弟の側に立ち続けました。

長年、私には疑問がありました。
当初、弟が母親によって、私を痛めつける者となるように仕向けられたのは事実です。それは、弟がまだ物心つかない幼少のころでした。1歳とか2歳とか。
でも弟も、いつまでも小さな子どもではありません。判断力がないまま、親が許しているという理由で私を痛めつけ続けていたとも思えないのです。
弟の方は、どういうつもりだったのでしょうか?
弟は私に対して、イジメや虐待を行っているという意識はあったのでしょうか?

2003年だったか、弟が35歳くらいで結婚したとき、疑問のごく一部が解けました。
実家の台所で、弟と私はほんの1分足らずの会話をしました。
弟は
「Kくんと、こないだ会って。お姉ちゃんの話が出たよ。Kくんは『ボクたちが仲間外れにしてイジメて、ヨシコちゃん、傷ついたやろうねえ』と言ってたよ」
と語りました。笑いながら。軽い調子で。
「Kくん」とは、母の兄の双子の息子の一人で、私の一歳下です。私は幼少時、その家にしばしば預けられていたので、双子のK・Mと良く遊んでいました。しかし弟が3歳、私が7歳になるころから、K・Mは弟を仲間とし、同時に、露骨に私を仲間はずれにするようになりました。
「男の仲間に女が一人」
と囃し立てられたり、2対2に別れて何かのゲームをしていたところ、目配せとともに3対1にされてボコボコにされたりといったことがしょっちゅうでした。それでも、泣くこともできませんでした。ガマンできずに泣くと、母親に私が「問題を起こした」と責められるからです。K・Mは、弟からそのことを聞いており、私のことを「安心してイジメられる」と考えている節がありました。
私は弟に
「ああ、とても傷ついたよ。今でも傷ついているよ」
と言いました。真顔でした。
弟は顔をこわばらせました。
その時、弟の携帯電話が鳴りました。弟は弾かれたように立ち上がり、離れた場所で電話に応答しました。

私は、どこか気持ちが落ち着くのを感じました。
それまでの私は、
「悪意ない子どもが、何気なくしたことなんだから、傷ついてはいけない」
と思い込んでいました。両親は私に
「大切な長男に何をされても黙ってガマンする姉」
を期待していました。
長年、私は「それはおかしい」と思い、腸の煮えくり返るような思いを抱えていましたが、辛さや悲しさを誰にどうぶつけてよいか分かりませんでした。その辛さや悲しさを、誰がもたらしているのかも良く分かりませんでした。
でもこの時、
「きっかけを作ったのは母親で、父親がそれを黙認あるいは暗黙のうちに奨励し、弟もそれに乗ったけれども、幼少時のあるとき、弟は自分の意志で姉である私を痛めつけることを選びとった」
という一つのストーリーが明確に見えた気がしたのでした。
それまでの私は、
「誰も悪くはなく、私の対応が下手くそなので、私は辛い立場に置かれ続けていた」
と思い込まされていました。父親がそれに近い言葉を私に語ったことは何回かあります。
でも事実はそうではなく、おそらく、
「家庭内で実権を持っている人々によって、子どもたちの序列と役割が決められ、子どもたちはそのように振る舞うように仕向けられ、あるいはイヤでもそうすることを事実上強制され、有利な立ち位置にいて暴力的であることを許される子どもたちは、それは自分自身にとって有利な状況なので、いつかその立ち位置を主体的に選びとった。不利な立ち位置に置かれた子どもは泣き寝入りを強いられるしかなく、その場ではそうするしかなかった(でも私は『面従腹背』『臥薪嘗胆』だった)」
ということなのです。

従弟のKとM、弟、自分の4人で最後に「遊んだ」のは、私が中学1年、KとMが小学6年、弟がたぶん小学3年のときのことでした。
鹿児島に赴任していた母親の弟が、母方祖母・母親・K・M・私・弟を、鹿児島での一泊か二泊の旅行に招待してくれたのでした。
母方祖母がいたので、母親もふだん私に対して行っているような差別を堂々とは行えませんでした。私はKやMと相撲を取り、気持よく投げ飛ばしたりしました。
これ以後、4人で遊んだことはありません。
4人で遊んでいた、弟が3歳~小学3年の期間のどこかで、弟には「姉をイジメよう」という主体的な意識が芽生えていたようです。
無垢な子どもが、悪意なく、ただ子どもらしく振る舞っただけで私を傷めつけたのであったら、私には救いがありません。
でも、弟は、自分の置かれている立場を自覚し、したたかに振る舞える子どもでした。私の目には、悪意をもって、子どもらしさを演出しながら私を巧妙に痛めつけているように見え続けていました。
大人になった弟自身の口から、それに近い内容の言葉を聞いて、私はほっとしたのです。
私の見方や感じ方は、おかしくはなかったのだ、と。


 
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 音声合成技術の現在と未来」
(共著 2015.4 丸善出版)


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 (執筆協力・永島孝 2013.9 技術評論社)


「生活保護リアル」
(2013.7 日本評論社)

「生活保護リアル(Kindle版)」
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「ソフト・エッジ」
(中嶋震氏との共著 2013.3 丸善ライブラリー)


「組込みエンジニアのためのハードウェア入門」
(共著 2009.10 技術評論社)

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