結論から言いますと、「ない!」です。少なくとも現在の日本には。

障害によって得ているかのように見えるものより、失うものの方がずっと多いです。
それだけではなく、失うものを見ない人たちによって、得ているかのように見えるものを羨望されたり嫉妬されたり悪意をぶつけらたりします。
失うものを考慮すると、「利得」「利権」はまったくありません。
さらに、失っているにもかかわらず「トクしている」と見られるわけですから、総合すれば大損失です。

「だったら、なんで、障害を偽装する人が出てくるんだよ? 佐村河内守だけではなく、2008年の北海道の偽装障害者事件があったじゃないか!」
とおっしゃいますか?

佐村河内守氏については、未だ詳細が明らかになっていないので、ここで今まで以上に言及することは避けておきます。

「障害利得ってものはあるじゃないか!」
という根拠にされそうなエピソードが、香山リカ氏の書籍にあります。
この書籍の中には、
「ふつうに歩けるのだけど、東京ディズニーランドに行ったら車椅子に乗せてもらう」
という女性のエピソードが紹介されています。

このエピソードが事実であるとして、
「たまに行く東京ディズニーランドで、ほんの数時間だから出来ることでしょ?」
と私は思いますよ。
週単位・月単位となると、「乗りたいから」「偽装したいから」という理由で車椅子に乗りつづけることは、まず無理です。
特に日本の標準型なら、間違いなく身体を痛めます。その苦痛に耐えてまで乗り続けることは無理です。「痛い」「しびれる」「疲れる」くらいならまだしも、褥瘡やエコノミークラス症候群のリスクまであります。
車椅子を必要としない人が、そこまでして車椅子に乗りつづける理由はありません。というか、乗り続けるのはまず無理です。
「いや、そんなことはない」
と言われますか? だったら、ご自分がやってみてください!

2008年、北海道で多数の偽装障害者の存在が発覚し、関与した医師とブローカーが逮捕された事件についてはどうでしょうか?
私もそれほど詳細を知っているわけではありませんが、背景には地域の貧困があります。
炭鉱の閉山などで職を失い、とはいえ新規の就労が困難な稼動年齢の方々、そして福祉事務所に行けば「働けるでしょ?」と生活保護の申請を拒まれる方々多数が、ブローカーに
「障害者になれば生活保護受けられるよ」
とささやかれた、というのが真相であるようです。
であれば、地域の貧困・就労機会の少なさ・生活保護の「水際作戦」といったものを解決しないから、その方々は
「障害者になって(保護開始とならない可能性を減らして)生活保護を申請する」
という手段を取らざるをえなくなった、と見るのが妥当でしょう。
「いや、その人達は障害年金や(生活保護の)障害加算という利得を得ていたし」
とおっしゃいますか?
障害年金を受給できても、生活保護当事者の場合、可処分所得は増えませんよ。その分、生活扶助費が減額されますから。
ただこの場合、障害加算だけは、唯一の「利得」らしい利得だったと言えるでしょう。他の条件が同一であるにもかかわらず(しかも実際には障害がないにもかかわらず)、可処分所得が増えていたわけですから。

以上の2例から、「障害利得」「障害者利権」といったものが存在しうる条件を強引に引き出すと、

「障害による損失が実際にはなく(あっても非常に少なく)、同時に、障害によって非常に大きな利得を受ける」

ということになるでしょうか。
本物の障害者にとっては、
「障害による損失が非常に大きく、障害によって得ている利得は大したことがない」
というのが実情です。
この人々に対して必要なことは、「利得」を剥ぎ取ることではなく、総合的にあらゆる場面で被る損失を埋め、健常者に対してハンディキャップのない状態を設定することです。それをしないでおいて、「自己努力」「自己責任」を要求するのは、アンフェアです。

特に、グレーゾーンであって公的な障害認定を受けられない人に対しては、
「障害による損失が非常に大きく、障害による何の利得もない」
ですから、グレーゾーンであるなりの支援の枠組みを早急に設けるべきです。

「障害利得」「障害者利権」といったものが実在するかどうかについて詳細に述べようとすると、少なくとも書籍一冊程度の分量の文章は必要になります。
とりあえずは、本ブログの下記エントリーをご参照ください。

みわちゃん・いんふぉ:障害者割引は「トク」なのか?  

参考図書としてお勧めできる書籍も列挙しておきます。


特に、最低所得保障の問題は重要です。
老齢年金も含めて、日本の最低所得保障の貧弱さが、障害者に対する悪意や嫉妬の原因になっている面は否めません。
さらにそれが、政府によって意図的に行われている可能性も考えたほうがよいと思います。
立場の弱い人どうしが脚を引っ張り合ったり叩き合ったりしていることほど、国家権力にとって都合のよいものはありません。
これ以上、立場の弱い人どうしが痛めつけあって互いに状況を悪くしないためにも、佐村河内氏問題による障害者全体へのネガティブ・キャンペーンには乗らない努力が必要です。