みわよしこのなんでもブログ : 障害

みわよしこのなんでもブログ

ライター・みわよしこのブログ。猫話、料理の話、車椅子での日常悲喜こもごも、時には真面目な記事も。アフィリエイトの実験場として割り切り、テーマは限定しません。


障害

[メモ]ALS嘱託殺人に関して報道されていないけれど気になることがら

いつものように、note記事の下書きを兼ねています。

 2020年7月に報道が開始されたALS嘱託殺人(発生は2019年11月)に関して、報道は概ね、以下の5点に集中しているように思われます。
  1. 容疑者の医師たちが異常
  2. 呼吸器をつけて明るく楽しく生きている人たちがたくさんいる
  3. 安楽死の是非、安楽死の議論を行うことに関する是非
  4. 周辺の人々(介助者や支援者など)の記憶や思い
  5. 亡くなった林優里さん(当時51)の人となり
 どうも、私には違和感があります。

1. 容疑者の医師たちは異常なのか?

 「死にたいなら殺してあげますよ」という人なら、恐らくいつでもいます。2017年の座間9遺体事件もそうだったし。1998年には、「ドクター・キリコ」を名乗る人物が青酸カリ入りのカプセルを通販し、実際に飲んで自殺した女性がいました。当時、SNSはまだ出現していませんでしたが、「自殺系サイト」は珍しくありませんでした。



2. 呼吸器をつけて明るく楽しく生きている人は確かにいるけど?

 呼吸器をつけて、大変ながらも楽しい毎日を送っている方々は、私の直接知る範囲に多数います。
 そのお一人である練馬区の橋本みさお(日本ALS協会相談役)さんは、身体の状況は亡くなった林優里さんと同様ですが、人工呼吸器を装着して大活躍。ヘルパーが痰の吸引をできるように制度を創設するなど、最重度の障害者が生きて暮らせるように社会を変えてきたお一人です。
 それだけではなく、派手で可愛い服に身を包んでアイドルグループの追っかけを楽しみ、時には高級レストランで胃ろうから美食とワインを楽しみ、犬のポンちゃんのしつけに苦労していました(ポンちゃんは高齢のため既に他界)。
 私の身体障害が発生したとき、ALSも疑われていました。どういう病気か知らなかったのでネット検索してみると、最初に見つかったのが橋本みさおさんの暮らしぶりでした。こんな楽しそうな暮らしが最悪の可能性なら、何を恐れる必要があるでしょうか。私はヘラヘラ楽観的になってしまいました。楽観的なので、障害や難病に嘆き悲しむ私を期待する周辺の人々との間に軋轢が引き起こされることになり、むしろ私はその軋轢に困惑したものです。
 しかし、橋本さんのような暮らしは、全身の運動能力を奪われた難病患者や障害者の全員に対して「当然の権利」として与えられるものではありません。自ら支援者や介助者を組織し、行政に立ち向かうことの出来る人々だけが獲得できるものです。まだまだ、例外的な少数の人々が道を切り開いて「既成事実」を作っていかなくては、現在は生きられている人々まで生きられなくなるのが実情です。日本の障害者の間では、「障害者は、生きるために障害者運動家にならざるを得ない」と言い伝えられてきました。程度の大小はともあれ、それは2020年現在も事実です。
 問題は、障害者運動家として生きる道を切り開いていく「例外的な少数」に入れない人々、あるいは、障害者になったために否応なく押し付けられる運命や宿命の数々が存在することを受け入れられず、したがって「生きることを諦める」ということになる可能性の高い方々です。「障害者になったら特別な何かをしなくては生きていけない」という現実は、私自身にとっても未だに受け入れがたいものです。適応しなくてはならない現実だし、適応してきたから今があるわけです。でも、それで良いとは思っていません。



3. 安楽死の是非、安楽死の議論を行うことに関する是非

 生の選択肢の一つとしての「安楽死」は、私は「アリ」だと思っています。だから、実質的に選ぶことも選ばないこともできるようにしてほしいと思います。「安楽生」は選べないけど「安楽死」なら選べるというのでは、消極的に自殺を奨励しているようなものです。
 ところが現在は、闘う障害者、せめて道を切り開くリーダー的障害者にならないと、「安楽生」どころか「生きる」ことが実質的に選べないわけです。この状況を変え、障害者になったら誰もが安楽に必要な支援と資源を得て楽しく生きられるように、そういう障害者たちが頑張っているわけです。現状がこのようである以上、多くの障害者にとっては、生きて暮らしながら享受する「安楽生」の数々の選択肢の端っこに「安楽死」という選択肢があるわけではなく、生きて暮らすだけで消耗する日常から降りたいと思ったら死ぬしかなくなるわけです。
 私から見れば、安楽死を議論する以前の問題です。現状も現実も充分に知られていません。安楽死を希望する障害者たちのSNSでの発言を見ると、確かに苦痛や不安に満ちています。最初にすべきことは、何がその苦痛をもたらしているのかを見極め、苦痛や不安を減らしたりなくしたりするために必要なもろもろを提供することではないでしょうか。生きることを容易に可能にするための議論は、安楽死の議論に比べて、あまりにも不足しています。



4. 周辺の人々の記憶や思い

 林さんが嘱託殺人によって亡くなった以上、周辺の介助者や支援者が林さんに「この楽しい人生を明日も生きたい」と思えるようなケアや支援を提供できていなかったことは、事実として認めるべきでしょう。
 何がどのように欠落していたのか。あるいは、どのように、あってはならない虐待などの出来事があったのか。その視点からの検証が、少なくとも現在までの報道には見当たりません。
 とはいえ、報道機関がコメントや参考情報を求める対象は、生きて道を切り開くALS患者さんや介助者や支援者や家族にならざるを得ないでしょう。ALSの介助に対応できる介護事業所やヘルパーさんは、非常に少ないという現実があります。これ以上減ると「現在は地域で生きて暮らせているALS患者さんが、施設にはいらざるを得なくなる」といった成り行きも想定されます。コメントや参考情報が、辛うじて支え合っている介助者や支援者や家族の小さなコミュニティからしか出てこないことは、どうしようもありません。せめて「そういうものである」と理解し、「実はどうなのか?」を照らし出せる別の誰かの視点からのコメントを添えるのが、現状では精一杯でしょう。



5. 亡くなった林優里さん(当時51)の人となり

 ご本人は既に亡くなっており、深堀りしても新事実が出てくるわけではありません。
 私から見ると、林さんにとっての障害者福祉の使い心地が大変気になるところです。日本の福祉制度の多くは、社会的弱者に対する「これだけは、してあげる」という恩恵的な発想から脱しておらず、「基本的人権を無条件に保障する」というものにはなっていません。林さんのような高学歴キャリア女性は、想定範囲に入っていません。制度の「あなたのような障害者は想定していない」という言外のメッセージは、林さんにとってどのように感じられていたのでしょうか。高学歴で留学歴もある専門職、しかも今はALS患者ということで、あまりにもマイノリティになりすぎてしまったゆえの苦痛はなかったでしょうか。
 周囲の方々は、林さんに気遣いをされていたけれども気づいていなかった可能性が高いと思われます。その方々から聞き取っても、おそらく何も出てこないでしょう。



障害者コミュニティの「外」の方々に期待しています

 「このまま、林さんご本人の声はヴェールに隠されたままになってしまうのか」と思っていた8月4日、江川紹子さんのご記事に、「おおっ」と思いました。Yahoo!ニュースじゃないから安心して読めて、助かります。

【ALS患者・嘱託殺人】亡くなった林優里さんの発信が投げかける、社会への重い課題

 私の「おおっ」を抜き書きします。

 難病に限らず、「死にたい」という言葉は、「生きたいのに生きられない」というメッセージでもある。今回のケースについても、「どうすれば彼女は生きられたのか」との議論が必要だろう。

 死への願望がある種のタブーにされ、亡くなった林優里さん(当時51)の声がメディアであまり伝わっていないのは、それはそれで気になる。彼女のSNSなどを読むと、同じ難病の患者などと対話をしながら、患者自身の“命の権利”を訴え続けていたことがわかる。今回は、その発信から、彼女が社会に投げかけた重い課題を考えたい。

 死への願望をタブーとし、困難ななかでも前を向いて懸命に生きる人ばかりが登場するメディアの報じ方には、いささかの疑問を感じている。それで私たちは、本当に課題の重さを感じ取ることができるのだろうか。

 林さんは最後まで精神的に自立した日々を送っていた。「安楽死」を望んではいたが、それは自分の生を主体的に生きることの延長線にあり、背景には「心の安堵と今日を生きる希望」を切望する思いもあった。

 抜き書きした部分からは、「障害者と介助者と支援者のコミュニティの中で障害者が生きざるを得ないことについて、江川さんは実は詳細を相当ご存知であったり、解き明かさなくてはならない謎だと思っていたりされるのかも」と期待したくなってしまいます。ブログとツイッターに残された林さんの言葉も、丁寧に読み込まれています。難病や障害の当事者の方々から、江川さんは早くも期待されているようで、「安楽死の法制化 江川紹子さんとつながる」というmixi日記に一端が示されています。

 障害者のコミュニティの外からの視線が、「前向きに生きれば道は開ける」と「安楽死は認められるべき」ばかりでは困ります。まったく外の立場から、障害者が生きて暮らすことの現状を明らかにし、「死にたい」を増幅する要因は何なのか明らかにする記事がもっと増えることを願っています。

「アフター佐村河内守」の記録

「電動車椅子を利用はしているけれども、数メートル程度の歩行は可能」という私にとって、佐村河内守氏の一件と、それを受けての(ということになっている)厚労省の動きは、非常に痛手の大きな出来事でした。
佐村河内守氏に関する報道やネットの反応が引き金となり、私は幻覚妄想状態といっても良さそうな状況にまで陥りました。「いっても良さそうな」と書いているのは、その状態のまっただ中にある時に精神科を受診しておらず、それが精神科的にいう「幻覚妄想状態」そのものであるのかどうかは不明だからです。その期間に精神科を受診しなかったのは、恐怖から外出が難しく、かかりつけ精神科まで行けなかったからです。
現在は落ち着きつつあるので、どういう変化が起こったか、どう対処したかについて記録しておきます。

●時系列

・2014年2月6日
新垣隆氏謝罪会見。 この時は障害云々よりゴーストライティングの方が話題になっていたと記憶。私は、あまり大きな影響は受けなかった。というか渡米を控えてもろもろ多忙で気にするヒマがなかった。

・2014年2月10日
私、シカゴへ出発。

・2014年2月14日ごろ 
日本のニュースをチェックしていたときに、佐村河内守氏の障害偽装に関する大量のツイートが目に入る。中には「障害者はみんなチェックしろ」というものも。それらのツイートを見ている間に下痢した。
ちなみに私の場合、障害者手帳は再判定なしとなっているけれども、障害基礎年金で3年に1回の再判定を受けている。手帳と年金の両方で再判定なしとなっている障害者は、非常に例外的な存在。つまり、チェックならされている。そういうことを全然知らない人が、好きなように騒いでいることに、恐怖を感じた。

・2014年2月21日
日本の健常者が障害者を見る目がどうなっているのか恐怖を感じながら、帰国。
成田空港についてNEXを待つ間も、周囲の人々の視線が突き刺さるような感じだった。

・2014年2月22日~2014年3月5日ごろ
居酒屋での晩酌、カフェでの昼食などは、極力それまでと同じように行うようにしていたが、回数は激減していた。行きたくなかった。車椅子に乗っていたり、車椅子を降りて数歩歩行して席に座っている姿を見た健常者がどう考えるかと思ったら、怖くてしょうがなかった。冷ややかな視線、詮索がましい視線を向けられているような気がするが、胸を張って無視して飲食していた。
しかし食欲は激減していた。体重が3kg減少。

・2014年3月6日~3月9日ごろ 
非常な疲労感と恐怖感を感じるようになる。引きこもりがちに。西荻窪駅前まで出ることも難しくなる。立川のかかりつけ精神科に行かなくてはとは思うけれども、なにしろ駅まで行けないので電車にも乗れない。
この間に佐村河内氏の謝罪会見(3/7)があったようだが、ニュースを数本、ツイッターをチラ見したくらい。もう佐村河内氏どうでもいい、自分の精神状態の方がよっぽど問題、という感じ。

・2014年3月10日
友人の生活保護申請の付き添いで外出。カフェに入ったところ、知らない女性にジロジロ見られ続けるという出来事があった(参照)。この出来事をきっかけに妄想幻覚状態に。 

・2014年3月11日
夕方まで引きこもって過ごしていた。
しかし糖尿病もちの猫(摩耶、もうすぐ17歳)のインシュリンが切れていたので、動物病院(徒歩5分ほど)まで行かなくてはならない。夕方、やっとのことで動物病院方面に行く。まず朝から何も食べていなかったので回転寿司に入り若干の飲食。それからキャットフードや私自身の食べ物も切れているのでスーパーに。
行き交う人々がみな、自分のことを「偽装障害者ではないか」「障害者利権に恵まれていいご身分」「働かなくて済んでいいねえ」というふうに見ているという妄想が出る。人の顔という顔に、マンガの吹き出しみたいなものがついていて、そういうセリフが書いてあるように見える。やっとのことで動物病院に飛び込み、泣きながら用を済ませて帰途に向かう。通りすがりの人が自分を疑っていたり悪意を向けているように見えてしまう。私は「疑ってるんでしょう?」「何もごまかしてません、ウソついてません」「私、障害者福祉に甘えてません、働いてるんです、ウソじゃありません、証拠もあります」などと絶叫しながら帰宅。
頭のなかにあるだけなら妄想はまず問題にならないが、言葉や態度になって出てしまうと問題。私は
「妄想を絶叫してしまった」
と自責。もう生きていけないと思った。なんで「もう生きていけない」なのか、今からは理解できない。でもその時は、とにかく「生きていけない、早く死ななくては」と思った。そして二匹の猫を道連れに一家心中するしかないかと考えたが、猫を道連れにするのは忍びないので、愛猫家である25年来の友人に電話。話を聞いてもらい、落ち着かせてもらった。
そこに別の友人が来訪。用件は「カネがない、コメちょうだい」。非常用に備蓄している貴重な玄米(2010年福島産。長期保存可能なようにパッキングしてもらってあり、今でも新鮮な状態で食べられる)を5kg渡し、たわいない話をする。それで何とか落ち着いた。

・2014年3月12日-14日
なるべく外出を避けて過ごす。
1回だけ、上記の25年来の友人(居酒屋経営)の店に行く。私が佐村河内氏の事件以後、あまり精神状態がよくなくなっていることを心配した別の友人もやってきて、いろいろ話をした。少しは落ち着いた。しかし往復・店の出入りで人を見かけると怖かった。
この期間に大学院(4月から立命館大学先端研博士課程3年次に編入)入学手続き。不特定多数の人がいる街(西荻窪駅前といえども)に出ていき、写真館で証明写真を撮り、銀行の窓口で振込手続き……など。よくやれたと思う。

・2014年3月15日
立川のかかりつけ精神科へ。症状としのぎ方を相談。往復で非常に疲れた。不特定多数の人の顔を見ること自体が脅威。

・2014年3月16日-23日
「人が自分のことを疑念や悪意で見ている」という妄想はなくなったが、気が抜けたというか、いわゆる欠陥状態に近い状態に。気が抜けて虚脱状態という感じ。
外出や「他人がいる」に関する恐怖感は、それほど大きくはなくなった。
でも佐村河内氏の一件以後、障害者に対する日本の世の中の視線は、 冷たく詮索がましく無遠慮になったと感じる。また、障害者に対して悪意をぶつけることに対し、日本の世の中から抵抗感が若干失われたと感じる。今もそう感じ続けている。

●どう対処したか
 
・肉体の状況を少しでも良好に保つように心がけた。
 といっても食欲が非常に不安定になっていたし、家事をやるエネルギーもなかった。 
 せめて一日2回は食事をするように、うち1回は野菜や豆製品が入っている食事となるように心がけた。

・ふだんから、毎日リハビリを兼ねて入浴している。どんなに疲れていてもこの習慣は維持した。

・心身とも緊張が強いときには、外出が可能であればマッサージ店に入り、マッサージを受けた。
 さらに、その後すぐ寝るようにした。

・疲労・緊張・妄想が激しいときには、とにかく寝るようにした。
 帰国後の睡眠時間は、1日あたり10時間~13時間程度と思われる。

・仕事はなるべく通常通りに行うようにした。
 というか、仕事が行えるように睡眠・リラックスなどを充分に行い、
 精神状態が少しでもマシなときに集中して仕事した。
 「外に出る」「人の顔を見る」が妄想状態の引き金になるので、それさえ避けていればなんとかなった。

・とはいえ、この間、厚労省での傍聴2回、打ち合わせ2回のために外出する必要があった。
 不思議なもので、頭が仕事モードに入ると妄想さんが引っ込むため、なんとかなった。
 もっとも打ち合わせのための外出はやはり大変。
 「不特定多数の人がいる駅前に出て、不特定多数の人にジロジロ見られながら電車に乗る」
 とか考えただけで、朝から食欲がない。
 朝から何も食べずに、午後、打ち合わせをして、打ち合わせ後、空腹に気づいてファミレスに入ったり。
 するとそのファミレスから何時間も出られなくなってしまったりした。
 
●これからどうするか 

ただでさえ障害者に対する偏見が強く、障害者差別に対する本気の対処が行われていない日本の状況を、佐村河内氏の事件はさらに悪化させてしまった。田村厚労相や厚労省は
「ああいう一部の特異な事例のために、障害者がひどい目に遭うようなことがあってはならない」
というような言明を一度もしておらず、むしろその逆だし。
その日本で当面は生きていくしかないという事実は、考えただけで生き続ける意欲が萎える。
もうすぐ17歳になる猫の摩耶に、すこしでも長く、良い健康状態で生きてもらって天寿を全うさせるためにも、私は自殺するわけにはいかないし、ストレスで心身を痛めるような状況にありつづけるわけにもいかない。
当面は「猫のためにも死ねないから」と自分に言い聞かせながら日本で生き延びるしかないかと。
その間に、日本ほど障害者差別が酷くもなければ事実上の奨励もされていない国に、何らかの形で脱出することも考えたい。

母親にやめてほしい3つのこと

私は30年前、実家を離れて東京の大学に進学しました。
大きな原因の一つは、母親との関係が物心づいて以後ずっと険悪なままだったことです。といいますか、私は虐待を受けていました。最初は母親だけから。ついで、4歳下の弟が、母親の奨励のもとに。私の背が母親よりも高くなると、酔った父親を母親がけしかけて……ということもありました。9歳下の妹もいますが、妹は全面的に母親の味方です。親きょうだいの中に、私の味方はいません。
母親は、虐待の直後でも
「覚えていない」「自分がそんなことをする(言う)わけない」
と主張していました。また
「あなたは長女だから」
という理由で、私にしていることを正当化していました。母親によれば、
「自分はお母さんにもっとひどい目に遭わされていた、自分は優しくしてやっているんだ」
ということでした。母親は、その母親である母方祖母(2012年に98歳で他界)に虐待されていたというのでしょうか? 
母方祖母は戦後の混乱の中で、夫が早く亡くなるという出来事を乗り越えて必死に4児を育てた、「がばいばあちゃん」みたいな女性でした。虐待は外からはまことにわかりづらいものですが、少なくとも母方祖母は、母親のことを虐待はしていなかったと思います。10年以上前のことですが、母方祖母は折り紙をしながら、父親に愛されている母親のことを「幸せ者よ」と話題にし、とても嬉しそうな表情をしていました。「良き母を演じつつ、実はこっそり隠れて虐待をしていて」ということは世の中にはよくあるのですが、私が目の前で見ていた母方祖母と母親の関係からは、そのようなことの気配も感じられませんでした。母親の実家は、家事といいますか家の仕事が大変な家ではありましたが、別に女児だから特別に大変だったというわけでもなく、男児も庭の管理など数多くの家の仕事をして育っていたようです。
母親のきょうだいたちから、母親が母方祖母に虐待を受けていたという話が出てきたことはありませんでした。事実、母親は母方祖母に虐待されていなかったのかもしれません。あるいは、母親だけが虐待されており、その状態は他のきょうだいたちにとって好都合であったので、他のきょうだいたちは「虐待はなかった」としているということなのかもしれません。ただ、私自身が見てきた母親ときょうだいたちの関係からは、「母親だけが虐待の対象になっていた」という可能性は考える必要はなさそうだと思います。母親たちきょうだいが、別の近親者からのDV被害に遭っていたのは事実であるようですけれども。

私は実家を離れた後、疎遠になりつづけるばかりです。
それでも、年に一度くらいは両親と接する機会がありました。今後もそうかどうかは分かりませんけれども。
昨年までは年賀状も来ていました。
今年は両親からは年賀状は来ず、母親の言いたそうなことが別の血縁者の年賀状に書いてありました。
もし、「1年あたり1回程度、数時間」程度にでも母親との接触が今後とも続くのであれば、母親に絶対にやめてもらいたいことが3つあります。昔の虐待のことではありません。これからのことです。

1.「背後に回り込み、いきなり私の両腕を抑えこむ」といった、通常は攻撃目的で行われる行動をとるのはやめてほしい。

70歳を過ぎているとはいえ二足歩行している母親に、そういう行動を取られると恐怖を感じます。相手がだれでも、本能的に恐怖を感じるのが正常な反応だと思います。

2.周囲に他の人がいないとき・他の人が離れた場所にいるときに、私の耳元で、私にだけ聞こえるように何かを言うのはやめてほしい。

これは1.とセットになることがあります。
「背後に回りこみ、私の両腕を後ろから抑え込んだ上で、私の耳元で自分の言いたいことを言う」
という形です。
いずれにしても、私にしか聞こえないように言われることは、たいていは他の人に聞かれては都合の悪いことです。母親の嫌いな親類の悪口とか、身勝手すぎる希望とか。私が「聞きたくない」という素振りを示すと、母親は
「お母さんがせっかく言ってやっているのに!」
と怒ります。
私はむしろ、「母親がそういうことを私の耳にだけ入るように言っている」ということを広く知ってほしいです。
母親が間違ったことを言っておらず、「せっかく言ってやる」に値するほど素晴らしいことを言っているのであれば、私にだけ聞かせる必要はないはずです。堂々と、誰の前でも言えばよいのではないでしょうか。

3.「努力して車椅子不要になれ」と要求すること、無理な体操を押し付けることをやめてほしい。
 
2007年から母親は執拗に、私に「運動して、鍛えて、車椅子不要になるように」と言い続けています。そして、私には出来ない体操をするように要求しつづけています。こちらのページで「左右回転」として紹介されている腕振りです。
当時も今も、私にこの動作はできません。だから母親に求められるたびに「できない」と言っています。しかし母親は執拗に、やるように私に求め続けています。
母親によれば、この体操は素晴らしいもので、自分自身の健康維持に役立っているのだそうです。それは分かります。私も以前、太極拳をやっていましたから。
最近、母親は自分が言っても聞かないと判断したらしく、最近は、まだ交流が若干はある近親者に「身体を鍛えて車椅子不要になるように」と言わせていたりなどします。
そもそも、努力すれば車椅子不要になれるような肉体能力は、私にはありません。現状は既にベストエフォートの結果です。リハビリ的なことは日常に組み込んで実行しています。起きていられる時間のすべてをリハビリに割けば、歩行可能距離が若干伸びる程度のことはあるかもしれませんが、たぶん車椅子不要にはならないでしょう。それに、私が持てる資源のすべてをリハビリに割いたら、誰がどうやって我が家の生計を支えるんでしょうか? 
不可能なことを要求されては困ります。不可能だから不可能と言っているんです。それが7年も通じないのです。

ここにこのように書いても、母親には通じないだろうと思います。そもそも読まないでしょうし。読んでも、何が問題なのか理解できないでしょう。言って通じるくらいなら、最初からやっていないだろうと思いますし。
それに、過去50年にわたる母親との関係を振り返ると、
「では、この3つ以外なら、やっていいんだな」
と理解される可能性も低くはないです。たとえば
「精神科病院に医療保護入院させる」
とか。今なら三親等内の親族の同意で可能ですから。

とにかく私はここ数年、母親と接触するたびに、このようなことに困っています。
もし接触が続くのなら、こういうことはやめてほしいと思います。 
この3つだけをやめてほしいわけではなく、私が嫌な思い・恐ろしい思い・辛い思い・悲しい思いをするようなことは、しないでほしいのです。
母親が私にした過去の数多くの虐待を、私は未だに思い出して泣くことがあります。虐待そのものが辛かったというだけではありません。その虐待によって失われた機会や奪われた時間は、もう永久に返ってきません。
だから今後は、そんなことはしないでほしいのです。
今後の私は可能な限り、そんなことをされずに過ごしたいのです。 
せめて、されてしまった私が「イヤです」「やめてください」と言う自由くらい欲しいんです。
こちらのエントリーにある「昨年秋の出来事」とは、母親の上記のような行動に対して、私が「やめてほしい」と言った、ということです。
私は、されるべきではないことをされたので、「イヤです」「やめてください」と言っただけなんです。
今までだって、勇気をふるって、可能な限り、「イヤです」「やめてください」という意思表示はしてきました。でも、全く通じなかったんです。
その「昨年秋の出来事」が起こったのは、家族以外の方もいる場所でのことでした。私の「やめてほしい」という意思表示は、生まれてはじめて無視されませんでした。その場では、母親は私の肩から手を離しました。
しかし、引き続いて起こったことは、私の生存の基盤に対する脅威となるできごとでした。今、詳細をここに書くわけにはいきませんが。
父親は、私が両親に恥をかかせたと言っています。そうかもしれません。でも、ここで私が「やめてほしい」と書いている3項目のうち1.と2.を母親が行ったのでなかったら、私は「やめてほしい」と声を上げることはなかったでしょう。したがって、両親が「恥をかかされた」ということにもならなかったはずです。
誰が誰の顔に泥を塗ったのでしょうか? 誰が誰に恥をかかせたのでしょうか? 私は、「私が」泥を塗ったのでもなければ、「私が」恥をかかせたのでもないと思っています。

私は、おかしな扱いを受けずに生きて暮らしたいです。
おかしな扱いに甘んじなければ生きることも暮らすことも難しくなるのだとしたら、その状況はおかしいと思います。
そのことを自ら確認する意味で、ここに書きました。

自分のとある一日 - 障害者である自分は何に困っているのか

肢体不自由で障害者手帳(2級)を取得している私が、取得後もうすぐ満7年の現在なお困っていることがらを、ある平日の一日の時間軸に沿って書いてみます。

●目覚め
たいてい、猫の摩耶(もうすぐ17歳)に起こされて目覚めます。時刻は結構バラバラです。午前5時~8時くらいです。摩耶が私を起こす理由には、
「私が起きないと猫の朝食が用意されない」
ということもあるのですけど、慢性腎不全と糖尿病を抱えた摩耶は喉が乾きやすいため、水を飲みたいのです。それも浴室の水道の蛇口から出てくる新鮮な水を(汲み置きの水はいつも住まいの中の数ヶ所に置いてある)。
摩耶、私の頬に顔をすりつけたり、顔を肉球ではたいたり、時に顔面に腹ばいになったりなどして私を起こそうとします。
いや、私、最初の「みゃ!」で目が覚めてはいるのです。しかしながら、まず、「上体を起こす」「脚をベッドの外に出す」「立ち上がる」が、いちいち「あぎー!」「ぎえー!」といった痛みを伴い、「せーのっ!(はあはあぜいぜい)」っと勢いつけて、やっとこやれる動作なんですよ。毎日のことなので「ベッドから出る→痛い・疲れる」と頭にインプットされちゃってて、なかなかやる気が出ないのです。あー、摩耶! 掛け布団をめくって私の顔をひっかくなんて、やめなさーい!……わかったよ、カーチャン起きるからさ。ぐえー!(上体を起こすときの悲鳴)

●午前
今のところ、家の中では歩いています。伝い歩きしたり。「細心の注意を払って、ゆっくり数歩歩いて呼吸を整えてまた数歩」だったり。室内用のロフストランドクラッチも持っています。使いたいんですけど、住まいが狭いためまことに使いづらく、登場の機会は少なくなっています。
用事がなくても、いったんは住まいの外に出て太陽光線を浴びることを心がけています。生活リズムをなるべく乱さない、昼は起きて夜は寝る、を強化するために。
外にでるためには、玄関たたきに下りる必要があります。床とたたきの間の正確な高さは測らないとわかりませんが、25cmくらいかなあ? 30cmはないと思いますが、いずれにしても神経を使う緊張の一瞬です。転倒してえらい目に遭ったことも、過去に何回かあります。手すりの類は設置していません。今のところは、20代前半でちょっとかじったボルダリングの技術の応用でなんとかなっています。壁と柱の間の凹凸、壁という構造材の存在そのものなど、ホールドとして利用できるものは結構あります。私自身は、まだ当面、手すりの類はなしでもイケるかなあと思っています。しかし、これも実は頭痛の種です。私の住まいに来た福祉事務所のワーカーさんたちに口で方法を説明し、目の前でそれをやって見せても「壁に手をついて軽々と移動していた」というふうにしか見えていないようなんです。開示してもらったケース記録には、そんなふうに書かれていましたから。たとえば、私の住まいの狭い玄関にブサイクで嵩高い手すりが設置されて「身体障害者の住まいらしさ」を演出してくれるようになれば(もちろん、手すりとしても役に立ってくれるでしょう)、私はこんなことで悩まずに済むのかもしれませんが、玄関の出入りを安全にするために私が「あったらなあ」と思っているのは、床や壁に固定するタイプの手すりではありません。世の中で「福祉器具」のカテゴリに入れられているものではありませんが、「あったらすごく助かるし安全になるだろうなあ」と思っている補助具のイメージがあります。高価なものでもなんでもありません。ただ、それを自分で作ったり設置するのは無理だし、ヘルパーさんにも(契約上)頼めません。障害者向け住宅改装のプロだと「何かあったときの責任が」ということになり、オリジナルな補助具の制作・設置はさらにお願いしにくいのです。というわけで、住まいの玄関には今のところ、補助具の類は何もありません。それにしても、ケース記録というものは謎の多いものです。ありもしないものが記録されていたりもします。「高さ140cmの郵便ポスト」とか。あるけど使ってない郵便ポストがウチには確かに一つあります。使ってない理由は、小さすぎてウチに届く大量の郵便物に対応できないからです。その小さいポストに郵便物が無理やり押し込まれてしまうと、私には取り出せなくなります。私は、その高さに手を伸ばして何秒か維持することはできますが、その高さでは力は入らないんですよ。さらに気持ち悪いのは、その記録をしたワーカーがどこを測って「140cm」ということにしたのか全く分からないということなんです。ポストの上端でも下端でもありませんし、基準とした高さも不明です。まあこれは常識的に見て地表面からでしょうけど。問題は、ケース記録のそのくだりが、「こいつの障害は本人申告よりもずっと軽いにきまっている」という文脈で記録されているということです。私はそのポストから郵便物を出し入れしていたんだそうです。記憶にありませんが、その「郵便物」というのははがき一枚程度、それも封筒と封筒の間に挟まったりとかしておらず軽く取れる状態のものだったのではないかと思います。もし、当時(2007年~2008年。以後はそのポストは使ってません)のいつものように、大量の郵便物がぎゅうぎゅうに押し込まれてポストの上の端から高くはみ出しているような状態だったら、当時の私にも現在の私にも、その郵便物を抜き取ることはできません。しかし、「私は……で困っている(ので、このように解決を図っている/解決できないでいる)」といったことを福祉事務所のワーカーに説明しても、口では「そうなんですか」とにこやかに聞き取られても、決して記録されることがありません。記録されるとしたら「本人は……と言っていたが、それは障害を重く見せかけるためのウソであろう、なぜなら……という事実があったからだ」という文脈においてのみ! です。そこに書かれている「事実」が、私の障害の状態を反映した「事実」であるとは限りません。私は物理系の実験屋でしたが、その記録の傾向を見ると「データいじり」というイメージが浮かんできます。学会発表でも「都合のいいデータだけつまんだな?」という発表は結構ありますよ。研究者どうしだったら質疑で「それはなんなんですかー!」と突っ込めるところですが、あちら障害福祉サービスを認可したり支給したりなさる「お上」、こちらは有り難くも認可いただき支給いただく障害者。学会のように気持ちよく突っ込むわけにいきません。まあ、私を障害者福祉の対象から外して社会保障費を削減したいという自治体の意図は、ケース記録を読み返せば、よーくわかります。そのために、公的なケース記録にウソというか意味不明の記述までする必要があるのでしょうか? この話をし始めると長くなるので、今回はやめておきます。けれども、北海道で偽装障害者が多数発覚した2008年よりも前、佐村河内氏のことが話題になった2014年よりもずっと前の2007年から、一部地域の福祉事務所・一部ワーカー(全部ではないと期待したいですし、他地域にそうではないワーカーさんもいることは知っています)は障害者性悪説で動いており、「この人の障害は本当は軽いのだ」ということを強化する内容の記述をケース記録に行っていたということは、ぜひ知っていただきたいところです。私には、佐村河内氏の一件が「良い」きっかけとなって、このような障害者福祉の「裏」運用・「裏」ケースワークの実態を法制度に反映して堂々と実施できるようになる、と田村厚労相以下現政権の閣僚や厚労省の官僚の一部(だと思いたい)が「きゃっふきゃっふ♪」というように見えるのですよ。
外で太陽光線を浴びるついでに、玄関たたきに置いてある猫のトイレ(現在、摩耶の他に瑠(5歳)がおり、猫トイレが4つあります)を掃除したりとか。私は
「手に使い捨てのポリ手袋をはめて、尿を吸って固まった猫砂や猫のUNKOをつかんで別の袋にポイポイと放り込み、最後にポリ手袋を裏返しながら脱いで捨てる」
という方法で猫のトイレの掃除をすることが多いです。2005年に運動障害が発生して以後は、手で猫トイレ掃除用のスコップを扱うのは、かなり困難になりました。現在は、持病がら多飲多尿の摩耶がいるので、猫トイレの中に猫砂の大きな固まりが出来てしまうのではありますが、その固まりだって(ポリ手袋をはめた)手で分割すれば何とかなります。ここ数ヶ月はずっと、「ねこのきもち」オリジナルの紙の猫砂を使っています。「固まる」といっても、そんなに固い固まりにはなりません。鉱物質の猫砂はガチガチに固く固まるし重たいので避けています。我が家の猫たちが一番好むのは鉱物質の猫砂なのですが、カーチャンの障害のため妥協してもらっています。
……猫砂の材質や銘柄にまで言及しながら、「はぁ」と溜息をついております。ここまで細かく書くのは、「●●が出来るなら、身体障害二級に該当する障害ではない、なぜなら自分が知っている●●は××だから」という主張が現れる可能性への対策です。ただの可能性、ただの思い過ごし、ただの取り越し苦労であれば、それに越したことはないのですが、どれだけ備えてどれだけ対策しても「充分」ということはないだろうと思うんですよ。合理的な対策をどれだけしても、「言いがかり」「いちゃもん」レベルの主張に対する対策にはなりません。ましてや「言いがかり」「いちゃもん」が「数は力(しかも、現政権が実のところ支持してくれてるし)」になってしまう可能性に対しては、まったく有効性がありません。猫砂は「ねこのきもち」オリジナル製品で、と書きながら、私は自分が近未来に生きていけなくなる可能性をリアルに思い浮かべて涙します。電動車椅子を取り上げられたら、障害年金などの経済的な「底上げ」によって障害によって発生する膨大なコスト・ハンディキャップを埋めることができなかったら、私は文字通り生きていけなくなります。そのことに関する理解が日本で「多数派」「世論」になることはあるのでしょうか? 自分の生存のために期待したいのですが、同時に、期待するような愚かさを持ってはいけないと思います。日本生まれ日本育ちの日本人を50年やってきた経験は、私に「期待しちゃいけない!」と警告します。
急ぎの仕事があるときは、午前6時くらいから机に向かって原稿書いてます。調子がよければ、ここにオンライン英会話レッスンが入ったりなど。
ヘルパーさんが来る前に、洗濯機を回しながら、お風呂にお湯入れながら、料理をしながら、ご飯を電子レンジで加熱しながら、摩耶に朝の注射(インシュリン注射を一日二回、皮下補液を一日一回)を打ちながら、メールチェックしながら……という感じ。仕事してる人の朝は、まあだいたいこんなものでしょうけれども、ぎりぎりの体力で結構休み休みやっているところ、台所の流しの前に休んだり座ったまま作業したりするための椅子があったりするところが健常者との違いでしょうか。 
調子にはものすごく波があります。心身とも。ですから、こんなに家事をこなせないときもあります。ヘルパーさんが来た時に何も済んでないこともあります。で、そういうときには別の悩み事があります。ヘルパーさんに「今朝起きられなかったのは仕事のせいですか」と尋ねられることがあること。それは福祉事務所の気にしていることでもあるようであること。もう2年以上前のことになりますが、当時私の住まいに来ていたヘルパーさんが、逐一、動向を福祉事務所にチクっていたようであったことがあります。ヘルパーさんとの会話内容そのもので、福祉事務所のワーカーに毎週のように電話でチクチク攻撃されたということがあって。現在来ているヘルパーさんもそうなのかどうかは知りませんが、以後、ヘルパーさんの前では、和やかに世間話をしているふうを装いつつも、何を言うか・どう答えるかについては「福祉事務所が入れたい探りの一環なのかもしれない」という前提のもと、細心の注意を払っています。最悪を想定して備えること、防災の基本じゃないですか? 私の場合は、防ぎたい「災害」が日常そのもののあらゆる場面に潜んでいるということです。壁に口あり、障子に目あり。障害者になったら、なおさらそうなるわけです。ヘルパー派遣をまったく受けないで暮らすとしても、事情はあまり変わらないですよ。障害者であることそのもの、障害者福祉を使っていることそのものが「災害」の原因なんですから。日本の障害者が迫られているのは、多くの場合、「日常のプチ災害(となる可能性)の連続を受け入れて生き延びるか、プチ災害を拒んで生きることを断念するか」の二択。私は生き延びることを選択したので、日常がプチ災害の可能性の連続となっており、プチ災害の可能性を「可能性」以上にしないために消耗しております。こんな二択を迫られること自体がおかしいんですが。
ヘルパーさんに「仕事の状況は?」と聞かれた時、期待されているのは「仕事が忙しい」「今、仕事が大変」「仕事で疲れている」「仕事のせいで調子が悪い」という返事であるようですが、私は「まあ、ぼちぼちです」とか「疲れてますけど、別に仕事のせいではないですよ」と答えます。そういう質問をするヘルパーさんは、たいへん不満そうな表情をなさいますが、仕事以外にも心労の種が結構多いんですよ。それが大人の生活ってもんじゃないですか? だいたい、仕事のせいであろうが何のせいであろうが、疲れてて起きられない・いつものように動けないときには無理をしたくないし、ヘルパーさんに仕事について話すのは好きではないのです。相手がヘルパーさんだからというわけではありません。フリーランスのライターの仕事というものを出版業界の外にいる人が理解するのは、おそらく不可能です。だから、仕事のアウトプットそのもの以外は見せたくも話したくもないのです。「誤解を招かずに理解を得る」ということが、おそらくは原理的に不可能なのですから。一つだけ「理解を得ることが原理的に不可能」ということの手がかりとなる説明をしておきます。「フリーランスのライターが仕事で忙しいと言っている」というとき、その人が何でどんなふうに忙しいのだと想像しますか? 原稿の締め切り? 取材? 打ち合わせ? どれも「仕事」の一部ではありますけど、「今週は雑誌原稿の締め切りが4回あってねえ(けれども、原稿執筆に専念できる)」は、むしろライターとしては「ヒマ」な状況に属します。これは出版業界の中にいる人でないと、まず理解できないかと。ライターってのはアウトプットする仕事が多くて稼げている時ほどヒマで精神的なゆとりがあり、仕事が少なくて稼げていないときほど時間にもサイフにも余裕がなくて大変であったりします。稼げていないときに「だったら、なんでハローワーク行かないの!」とか言われることは(過去に一度本当にありました)、すぐに自殺を考えるレベルの打撃になります。「今」稼げていない、「すぐに」入金の目処がないということだけをもって、今その瞬間も続けている職業上の努力が全否定されているも同然なんですから。特に私の場合、もう50歳という年齢になっていますから、障害者雇用枠でも企業に雇用されるのは非常に困難かと思われます。まだライター稼業の方が、収入・経済的自立に関する可能性が高いんです。そういうことを冷静に考えての判断が、「なんでハローワーク行かないの!」と全否定される。こんな悲しいことはありません。そんな打撃を受けないためには、仕事のことはなるべく口にしない、特にグチめいたことは決して言わないことです。相手がどんなに聞きたがっても。
ヘルパーさんが来ているときに行う重要なタスクの一つに、入浴があります。脚の筋力が少なく、その上に関節が若干変形していたり筋肉が固まっていたりする私にとって、現在、入浴中は「唯一」といってよい運動の機会です。浴槽の蓋や縁を利用して、ストレッチや若干の筋トレらしきことに励みます。浴室に遊びに来る猫をかまったり、猫に歌を歌ってやったりとかもしますし、もちろんリラックスを試みたりもしますけど。入浴に使うお湯は毎日入れて毎日抜きます。猫溺死のリスクを避けるため、汲み置きはしません。水道料金とガス代を考えると、毎日の入浴に一日あたり150円程度を使っていることになります。イタいんですが、これが唯一の運動の機会であることを考えると、いたし方ないかと。たぶん、まだ水泳はできると思うので、できるうちはやりたいとも思います。昨年秋、高知県で2年ぶり(たぶん)に泳ぐことができました。泳げはするけれども、2年前よりも体力も技術もガタ落ちです。日常的に泳いだほうがいいんです。それに、住まいから徒歩5分程度のところに美麗な公営プールもあります。でも、別の問題があるため、その近所のプールには過去3年近く行っていない(気持ち悪くて行けない)のです。このことについては今回は書きません。長くなるし、話が逸れすぎるので。
そんなこんなのうちに、ヘルパーさんの来訪時間(1時間~1.5時間程度)は終わります。ヘルパーさんが退出したあと、ぐったり疲れた感じになります。必要不可欠かつ最小限の対人接触なんですが、精神的に非常に疲れます。「こんなことを言ったらヘルパーさんはどう思うだろうか」「もしかしたら会話が盗聴されているんじゃないか」というようなことを、やや妄想チックに考えてしまわずにいられないからです。それは精神科のビョーキのなせることです。だからといってヘルパーさんが来なかったら生活できない。もしも、自分の妄想でもなんでもなく、ヘルパーさんに若干の問題や多大な問題(平手打ち十数発、顔をひっかく、暴言などを過去に何回も経験しています)があっても、とにかく自分は「問題の利用者」と考えられないようにしなくては。ヘルパーさんの問題行為が虐待レベルであれば「ヘルパーさんが来ることのデメリット>>ヘルパーさんが来ることのメリット」です。そうなれば、クレームを申し立てざるを得ません。そして介護事業所にクレームを申し立てたら、まず100%間違いなく「では引かせていただきます」とヘルパー派遣を中断されます。誠意ある対応や謝罪を受けたことは一度もありません。「じゃ、明日からヘルパー派遣やめます」ならマシなほうです。「ヘルパーが虐待に至ったのは、あなたのせいじゃないですか」と責められたことも。入浴介助中のヘルパーに顔を引っかかれたことがあるんですが、その介護事業所の責任者によれば「みわさんが甘えて顔までヘルパーに洗わせたから」だそうでした。私は洗顔をヘルパーに頼んだことは一度もないんですけどね。虐待レベルでもそういう対応を受けるんですから、ましてや虐待レベルに至らない程度の問題行為、問題であるのかどうか微妙だけど自分に困惑をもたらす行為、「もしかすると探られているのかなあ、気持ち悪い」程度であれば、ただただガマンするしかありません。入浴するために、洗濯された衣類を身に付けて打ち合わせに行くために、ある程度は清潔な住まいで暮らすために。とにかくガマン。そういうジレンマが、私の日常にはたくさんあります。表情や口調で挑発されても、絶対に乗らないように。どんなに注意してガマンしていても、問題は起こるときには起こってしまいます。そのときに、自分が「問題の利用者」ということにされる可能性を最小にできるように。わざわざ作らないのはもちろんのこと、そう解釈される可能性も最小にできるように。ヘルパーさんがいる時間帯というのは、介護事業所やヘルパーさんが実際にどう考えているか・どう思っているかと無関係に、最大限の緊張と注意を必要とする時間帯なのです。こちらが、自治体からの介護給付という形でヘルパー派遣を受けている障害者であるからです。
ヘルパーさんが退出したあと、私は溜息をつきながら、ときには「ああ今日も私はたぶん、問題の利用者にならずに済んだんじゃないかなあ」とほっとして肩で息をしたりしながら、ときには「なんで、こんなにオドオドビクビク卑屈にならなくちゃいけないんだ?」と涙ぐんだりしながら、台所の椅子に座ってコーヒーをいれ、本を読んだりしながらコーヒーを飲みます。朝食を食べる時間帯は、まちまちです。午前7時~10時くらいまでの間に、というところでしょうか。
そのうちに、なんとなく仕事モードに切り替わります。締め切りの迫っている仕事、近々迫りそうな仕事の下書き、差し迫った仕事がなくてブログ書きたかったらブログエントリーなど、何か書きます。11時から13時くらいまでの間に、6000~8000文字くらい書いてますかね。これは私の通常のペースです。調子悪いと2時間で4000文字くらいに落ちることもあります。いまどき、文筆業でご飯食べようと思ったら、少なくともこのくらいのペースで原稿書けないと厳しいでしょうね。私の原稿書きのペースは、20年前からこんな感じです。調子よい時・悪い時を平均すると、20年前よりは少し速くなってるかも。

●昼
取材が入っているわけでなくとも、外に出なくては片付かない用事が、いろいろとあります。銀行、郵便局などの窓口に行く必要のある手続きとか、役所に出向いたりとか、通院とか。 用事がなくても一日一回くらい、まとまった時間、外で日光を浴びたほうがいいと思っているので、なるべく外に出るようにしています。
気分転換がてら、JR西荻窪や荻窪の駅方面で昼食を食べることもありますし、そういう日が続くこともあります。 ただ、何か不愉快なことがあると、2週間・3週間、昼食を含めて外食をしないこともあります。「不愉快なこと」の例を挙げると
「幼児づれのお客さんがいて、幼児が車椅子に関心を示してまじまじと見たとき、たしなめもせず、私の目の前で(私に挨拶の類は何もなく)車椅子や障害者を話題にした」
「私が車椅子から降りて(慎重にすり足で・杖をついて・何かをホールドにして)歩いている姿を、あってはならないものを見るかのように見続けている人がいた」
といったことです。こういうことは「しょっちゅう」というわけではありませんが、一回だけでも、その後数日~数週間にわたって
「無理解な健常者がウヨウヨしていて怖いから外に出ない、用事だけ済ませたら、家にひきこもろう」
という行動を選択する動機になりますし、
「ヘルパーさんたちだって、ああいうふうに私に接したいんじゃないか、ホンネのところでは……」
とヘルパーさんたちに対して疑心暗鬼になる動機にもなります(ヘルパーさんたち個々人がどうこうという問題ではなく、「ふつう」の日本人健常者が私の住まいの中に入ってくるという(避けたいけど避けたら生活できない)ことに対する恐怖です)。そして残念なことに、佐村河内守氏が話題になってから、程度も頻度も増えました。通りすがりに罵声を浴びせていくオヤジとか、車椅子を蹴っていくオヤジとかもいたりします。今のところ、ひるまず、やられたら怒鳴り返すくらいのことはし、「意地!」で外に出て外食もしていれば外飲みもしていますが、いつ気持ちが折れて引きこもりモードに入るかわかりません。
「西荻窪」という大人の街に、私は25年にわたって住んでいます。おそらく、子どもじみた振る舞いをする大人に対する許容度の高い他地域に比べれば、事情はよほどマシなんだろうと思います。それでも「健常者怖いから外に出ない」モードに入ることが年に何回かはあります。
ちなみに米国は、そういう意味では怖くないんです。「ニューヨークやシカゴでちょっと人通りのないところにカツアゲのリスクがある」なんていうのは、別に健常者にとっても障害者にとっても同じことだし、むしろ障害者の方がやられにくかったりします。もし警察沙汰になったときには、カツアゲ+障害者差別で、加害者側の罪が重くなるわけですから。日本だったら「障害者のくせに、健常者と同じように街に出るからいけない」的な攻撃を(被害者となった障害者が)受ける可能性の高い場面ですけど。被害を受けた障害者が女性だったら、日本では間違いなく「世間」やネット世論に被害者が総攻撃されます。私、自分のTwitterやYouTubeでのやりとりやコメントから、いくらでもその実例を出せますよ。たとえばこちら。あまりひどいコメントは削除しましたし、コメントを許可制にしているので、最近はあまり酷いコメントはつきません。でも今でもときどき「うp主氏ね」とか来ますよ。

米国では、日本の「障害者差別解消法(2013年)」と「バリアフリー新法(2006年)」を合わせたような法律(ADA(アメリカ障害者法)が1990年に施行されて、そろそろ25年。罰則つきの法律一個作ったくらいで障害者差別なくせないのは米国も同じなんですけど、「これじゃ……というタイプの障害者差別はなくせない」が明確になるたびに法改正その他の制度整備がなされていますし、並行して社会教育が粘り強く行われつづけてきています。結果、ここ数年間の米国では、少なくとも日本みたいに「日中、街の中にいる、ごくふつうの健常者が脅威」ということはありません。「景気悪くなったら障害者相手のヘイト・クライムが増える」といったことは米国にもあることはありますし、米国で障害者差別が撲滅されてしまっているわけでもないんですが、人の問題は、日本に比べれば全然マシな感じがします。日本が米国と比べて若干「マシ」といえるのは、交通インフラですかね。それも一部地域・一部路線に限られる話です。こんな国で2020年にパラリンピックやっていいんでしょうか? 「ホンネとタテマエ」にあふれた「ムラ社会」の日本、パラリンピック選手と海外から訪れる障害者の観客は「タテマエ」の世界で「ムラを訪れたマレビト」として「お・も・て・な・し」するんでしょう。ムラの中にいる日本人障害者、特に日本人女性障害者に対しては、もしかしたら現在以上に差別を続けたり強化したり排除したりしつつも。でも、たとえば未だ「ハンドル式電動車椅子で新幹線に乗れない(一部例外あり)」という問題を、日本は、その時までにどうしておくつもりなんでしょうか? これは欧米の常識的な障害者から見たら、まぎれもない障害者差別なんですが。話がそれました。
私の「引きこもりモード」は、仕事のための外出や出張・猫の通院のための外出・自分の健康状態を最低限維持するための通院外出だけは
「根性! 気合! 大事な『ね子ども』らを守るため!  ファイト! それ、玄関ドアに突撃だ!!」
で出来てしまうので、「社会的引きこもり」と分類される方々に比べれば軽いものではあるんですが。いくら「健常者怖いから外に出られない」モードに入っていても、向精神薬が切れたら精神科に行かざるを得ません。使ってる薬の量は大したことないんですけど、まったくないと3日もちません。精神科の「アウトリーチ」? 健常者が怖くて外に出られなくなっているような時に、住まいの中に健常者(しかも力関係では自分より上の精神医療関係者)が入り込んでくるなんて冗談じゃないです。怖すぎます。
それにしても気になるのは、交付されてから7年目になる電動車椅子です。交付された2007年、電動車椅子の耐用年数は、厚労省によって「5年」とされていました。確か2009年、よくわからない理由によって厚労省は耐用年数を「6年」としました。その「6年」も超えています。4年目くらいから、修理の頻度が増えました。公費で修理できるとはいえ、モーターユニットから異音がすると、ギクっとします。故障の予兆では? 故障であるとして、修理に何週間かかるんだ? その間は手動車椅子を(車椅子の業者さんに)貸し出してもらってしのぐわけだけど、今、手元に残っている福祉タクシーチケットで、その間に必要なタクシー利用はまかなえそうか? 私の住まいから西荻窪駅までは、徒歩15分程度の距離ですが、善福寺川の谷を下りて上って……というコースです。私が車椅子を手動運転して到達するのは無理なのです。過去にもそういうことは何回かあり、そのたびに、恐ろしい勢いで減っていく福祉タクシーチケットを見ながらヒヤヒヤしました。電動車椅子をメーカー修理すると、場合によっては1ヶ月以上の時間を必要とするのです。
もちろん、補装具業者さんとも、「そろそろ新規交付を受けないと危ない」という話はしています。ただ、私の電動車椅子は話がややこしくて、電動ユニットが7年目、本体が5年目なのです。本体は厚労省的には、まだ寿命ではありません。でも本体も新規交付の対象になるまで待つのは危ないでしょうね。なんでこんなチグハグなことになったのかについてもドラマがあるのですが、書くと長くなるのでやめておきます。で、電動車椅子の新規交付を受けるなら、どのタイミングで、どういう形態で、自費負担は……というところの調整が先延ばし先延ばしになっている現状です。そんな電動車椅子で、外国だって行っちゃうわけです。滞在中は「どうか故障しませんように!」と祈るばかりですが、運転には日本にいるときよりもずっと注意していますよ。車椅子の弱い部分に可能な限り負荷をかけないように。毎日、宿に戻ったら、どんなに疲れていても車椅子の点検と整備だけはします。緩みかけているボルトはないか、折れそうなスポークはないか、などなど。
「家の中程度でも歩けるんだったら手動にせよ電動にせよ車椅子は不要なのでは」というようなことを言いたがる人もいます。「少しでも歩けるんだったら、訓練すれば車椅子はいらなくなる、頑張れ、甘えるな」といったバリエーションも。でも私の住まいから最寄りバス停までは200メートル程度あります。現在の私は、そこまで歩いて行くことはとても無理です。「鍛える」「努力する」「身体能力を弱らせない」といったことと「日常生活を支障なく危険少なく行う」「職業生活でアウトプットを出して(障害年金を併用してでも)経済的自立を維持する」といったことのバランスを取り続けてきた結果が現状です。善意めかして(あるいは本当に本人は善意のつもりで)「訓練したら?」と言われると、泣きたくなります。現状がすでにベストエフォートの結果である可能性を、その人は全く考えていないってことなんですから。善意であるなら、そんなことは最初から口にしないでほしいんです。善意のつもりであればあるほど、こちらは対応に苦慮するんです。善意であろうが悪意であろうが、迷惑なだけです。同じことを行政サイドが言うのは、まだ分かるんですよ。「障害者福祉を削減したいんですね、わかります」と自動的に脳内変換するのみ。脳内変換して、理解はします。同意はしません、自分、社会的にも生物学的にも殺されたくありませんから。もし押し付けられるなら、あくまで闘います。殺されないために、そうするしかありませんから。「少しは鍛えたら?」の類の言葉を「ふつうの人」に「善意」で言われるのは、日常、一番困っていることの一つです。
「なんで病院でリハビリ受けないんだ」というご意見もありそうです。病院でリハビリ受けようとしたことは過去に何回かあるんですよ。ただ、無理なく通えそうな近所の病院で「引き受けることはできるけど、病院に来てやるのではなく、日常生活の中でやった方がいいんじゃないの?」とアドバイスを受けたこと(そこでアドバイスされたあれこれが、私の現在の日常生活に組み込まれているわけです)、「リハビリを受けに来てもいいよ」という病院があるにはあったのですが遠方で日常的な通院は無理なこと、いずれにしてもリハビリは6ヶ月間に限定されているため、6ヶ月間だけの病院のリハビリより日常生活の中で無理なくやれて継続できることを考えたほうがいい、なにも筋金入りの病院嫌いである私をリハビリのために通院させなくても、というリハビリ科医師たちの2009年~2010年ごろの共通の見解によって、リハビリはほとんど受けないままで(肢体不自由になったときの検査入院中にちょっとだけリハビリを受けたことがあります)現在に至っています。
なお、この他、徒歩10~15分圏のリハビリ科のある複数の病院で、引き受けてもらえなかった経験があることを付記しておきます。2008年ごろの話なんですが、行って相談すると引き受けてもらえそうな感じなんですよ。で、「今かかっている(身体の)医師の連絡先(意見書)をお願いします」と言われて、それに応じると断られるという。そのときの(身体の)医療機関は、杉並区の福祉事務所から紹介されたところでした。その医療機関が「引き受けてくれるところを見つけてあげましたからぁ」というリハビリ科に行ってみると「運動機能に関するリハビリはウチではやってない」ということでした。そんなこんなで、「病院でリハビリ」は、ほとんど受けていないにもかかわらず、私の中では「病院のリハビリ科=リハビリそのものでお世話になろうとすると精神的にダメージを受けて情けない思いをする」という感じになってしまっています。たぶん、杉並区の福祉事務所から紹介された(身体の)医療機関は、何らかの理由によって、私がリハビリを実際に受けたら都合悪かったということなんだろう……と思いますが。

●午後
図書館に寄ったりとかして、午後3時~4時ごろ帰宅することが多いです。ホントは書店にも寄りたいんですよ。リアル書店の衰退が叫ばれて長いですけれども、西荻窪はこの5年で、書店数が増えている街です。ユニークな書店がたくさんあります。でも、車椅子で動きまわっても迷惑にならないほどのスペースのある書店はありません。では杖(ロフストランド・クラッチ2本。今使ってるものにはカフがついていません。腕が入らないので外してしまいました)を使って徒歩で入る? 連続して3分が精一杯です。そして、その、全身の筋肉をガタガタ言わせて脂汗かきながらの3分の間に、誰がどういう目で、路上に停められている車椅子と私を見るでしょうか? 考えるだけで、書店に入るモチベーションが萎えるでしょ? 隣の吉祥寺まで行けば、車椅子に乗ったままでゆっくり店内を見られる書店もあるんだから、どうしても西荻窪で書店に入らなくてもいいじゃないの……などと自分に言い聞かせて、書店は路上からちらっと中を見るだけで通り過ぎます。
帰宅すると、昼寝します。時間がないときは、横になって目をつぶって15分だけ。眠りはしません。疲労がたまっているときは、寝付きにくければマイナー・トランキライザーも使って、短時間でも眠ります。「昼寝のつもりで4時間寝ちゃった」ということもあります。「昼寝のつもりで目が覚めたら翌朝」も過去にはありましたが、最近はありません。そんなことをしたら、猫の摩耶に夜のインシュリン注射を打てませんから。
起きたらまた仕事。夜にかけて、電話がかかってきにくいモノカキ仕事ゴールデンタイムです。気持よく集中して仕事します。

● 夜
夕食を軽く食べることもありますが、たいていは何も食べずに仕事しています。特段の事情がない限り、22時には切り上げるようにしています。眠前の向精神薬のうち効き始めが遅いタイプのもの(今使っている薬ではメジャートランキライザー)をまず飲み、読書したり音楽聴いたり猫をかまったりしながら晩酌してクールダウン。ああ忘れずに摩耶の夜のインシュリン注射も打たなくては。湯たんぽも用意して布団に入れておかねば。沸かしたお湯で、ついでに翌朝のコーヒーも淹れておくか(冷めたコーヒーを翌朝平気で飲める体質です)。
そのうちに、向精神薬が効いて気分が緩んできます。そこで「すぐ効く」タイプの薬を飲んで横になります。眠れるかどうかは、あまり気にしなくなりました。明け方まで眠れない日もありますし、いつ寝入ったのか覚えてないほどスカっと眠れる日もありますが。

●番外編
汚い話で恐縮ですが、外出中の尿失禁が実は結構な頻度であります。2014年に入ってからだけで5回くらい。やらかしてしまうと、車椅子のクッション2枚を丸洗い、シートに水をかけて拭き取ることを数十回繰り返して脱臭剤を吹きかける、という作業が発生します。この半年くらいは、尿意に気付いた次の瞬間には漏れちゃってるという感じです。「トイレを見つけたら入る」は習慣にしていますが、それでも万全ではなく、ときどき、やらかしてしまいます。尿だけではなくUNKOについても同様。「入浴中にリラックスしたら出てた」ということが一度あって以後、「いかなる手段を用いてもUNKO出してから入浴」という習慣をつけました。トイレ事情の分からない地域に出かける時には「大人用紙オムツを使うかどうか」で悩みます。荷物に余裕があれば入れておくし使います。

●補足 
・「時間食い」の習慣は、若い時から意識して減らしてきた。TV持ってない歴30年。ネットサーフィンの類は、ここ4年ほどは「やる!」と決めて30分・1時間集中してやる感じ。
・ 「こまめに料理している」というイメージを持たれているようだけど、実際には、ほぼ、1日1品(ご飯やパンを含む)しか作っていない。台所で何か作業して過ごす時間は1日30分以内(煮込み等の時間を除く)に「総量規制」している。料理大好き、台所で一日中でも遊んでいられる。でも、台所で遊んでいたら仕事にならないので。台所にはIHヒータとオーブンレンジがあるけれども、住まい全体の電気の容量が小さく、台所でIHヒータとオーブンレンジを同時に使うとブレーカが落ちる。なお、炊飯器は持ってない。ご飯は鍋+IHヒータで炊いている。電気炊飯器で炊いたご飯が美味しいと思えないし、電気炊飯器を清潔に維持するのは鍋より大変。自分の体力筋力に見合う方法を探っているうちに、こうなった。
・「猫の皮下補液をどうやっているのか」という疑問を持たれるかなあ。「点滴パックにラインつけて直接猫に」は自分には無理と早々に見切りをつけ、50 ml シリンジでやれるように工夫した結果が現状。それにしても「どうやって?」という疑問持たれるかもしれない。「シリンジに補液剤を引く」「シリンジを押す」とかは、一般的には結構な「力技」だからねえ。手技の詳細について説明してたら本が出来てしまいそうだから止めておくけど、指の筋力でやらなくてはならないという法律はない。重力に手伝わせることだってできる。掌、自分の腹など使えるものは何でも使ってる。「猫の保定どうやってるんだ?」って?猫の保定とシリンジの操作を両方とも両手両腕総動員でやってるわけなのですよ。針を押さえる手がないわけだけど、文具のクリップでもなんでも、使えそうなものは何でも使う。ついでにいうと、現在、猫の摩耶は治療に大変協力的で、力で押さえ込むとかやる必要が全くない。でも協力的になる以前でも、工夫すれば私の身体でなんとかなった。猫の顔にタオルかぶせて首周りをマジックベルトで止めて、おとなしくしてもらった上で段ボール箱に入れて、その箱の中で補液とか注射とか。
・料理の手技、特にパン焼きについてもちょっとだけ。「力入れてこねる」「生地を台に叩きつける」とか自分に出来るわけないことをやらずに済むように方法を工夫した結果。そういうことを「パン作りに必須」と思いこんでる方々は、まずフィリップ・ビゴさんのような真っ当なプロの製パン技術書を一冊ちゃんと読んで欲しい。「力を入れる」「叩きつける」に類する話が一言でも出てくるかどうか。ついでに生地の水分量とか(スプーンですくえるような生地でも型に入れて焼けばパンになるし)、一回あたりで何グラムの生地を扱っているのかも気にしてみてほしい。そういうことを全部考えあわせたときに、なお「肢体不自由で筋力が少ない人にやれるわけがない」と言い切れるかどうか。さらに、この他に「粉と水を混ぜる方法」とか結構工夫しまくった結果が現状なわけで。別にもったいぶって秘密にするつもりは全然ないんだけど、マジ、私が製パンの話書いたら本が一冊できちゃうよ。そのくらい、自分の「できない」を補うための細かいノウハウをたくさん開発したわけ。
 

「障害利得」「障害者利権」は本当にあるのか?

結論から言いますと、「ない!」です。少なくとも現在の日本には。

障害によって得ているかのように見えるものより、失うものの方がずっと多いです。
それだけではなく、失うものを見ない人たちによって、得ているかのように見えるものを羨望されたり嫉妬されたり悪意をぶつけらたりします。
失うものを考慮すると、「利得」「利権」はまったくありません。
さらに、失っているにもかかわらず「トクしている」と見られるわけですから、総合すれば大損失です。

「だったら、なんで、障害を偽装する人が出てくるんだよ? 佐村河内守だけではなく、2008年の北海道の偽装障害者事件があったじゃないか!」
とおっしゃいますか?

佐村河内守氏については、未だ詳細が明らかになっていないので、ここで今まで以上に言及することは避けておきます。

「障害利得ってものはあるじゃないか!」
という根拠にされそうなエピソードが、香山リカ氏の書籍にあります。
この書籍の中には、
「ふつうに歩けるのだけど、東京ディズニーランドに行ったら車椅子に乗せてもらう」
という女性のエピソードが紹介されています。

このエピソードが事実であるとして、
「たまに行く東京ディズニーランドで、ほんの数時間だから出来ることでしょ?」
と私は思いますよ。
週単位・月単位となると、「乗りたいから」「偽装したいから」という理由で車椅子に乗りつづけることは、まず無理です。
特に日本の標準型なら、間違いなく身体を痛めます。その苦痛に耐えてまで乗り続けることは無理です。「痛い」「しびれる」「疲れる」くらいならまだしも、褥瘡やエコノミークラス症候群のリスクまであります。
車椅子を必要としない人が、そこまでして車椅子に乗りつづける理由はありません。というか、乗り続けるのはまず無理です。
「いや、そんなことはない」
と言われますか? だったら、ご自分がやってみてください!

2008年、北海道で多数の偽装障害者の存在が発覚し、関与した医師とブローカーが逮捕された事件についてはどうでしょうか?
私もそれほど詳細を知っているわけではありませんが、背景には地域の貧困があります。
炭鉱の閉山などで職を失い、とはいえ新規の就労が困難な稼動年齢の方々、そして福祉事務所に行けば「働けるでしょ?」と生活保護の申請を拒まれる方々多数が、ブローカーに
「障害者になれば生活保護受けられるよ」
とささやかれた、というのが真相であるようです。
であれば、地域の貧困・就労機会の少なさ・生活保護の「水際作戦」といったものを解決しないから、その方々は
「障害者になって(保護開始とならない可能性を減らして)生活保護を申請する」
という手段を取らざるをえなくなった、と見るのが妥当でしょう。
「いや、その人達は障害年金や(生活保護の)障害加算という利得を得ていたし」
とおっしゃいますか?
障害年金を受給できても、生活保護当事者の場合、可処分所得は増えませんよ。その分、生活扶助費が減額されますから。
ただこの場合、障害加算だけは、唯一の「利得」らしい利得だったと言えるでしょう。他の条件が同一であるにもかかわらず(しかも実際には障害がないにもかかわらず)、可処分所得が増えていたわけですから。

以上の2例から、「障害利得」「障害者利権」といったものが存在しうる条件を強引に引き出すと、

「障害による損失が実際にはなく(あっても非常に少なく)、同時に、障害によって非常に大きな利得を受ける」

ということになるでしょうか。
本物の障害者にとっては、
「障害による損失が非常に大きく、障害によって得ている利得は大したことがない」
というのが実情です。
この人々に対して必要なことは、「利得」を剥ぎ取ることではなく、総合的にあらゆる場面で被る損失を埋め、健常者に対してハンディキャップのない状態を設定することです。それをしないでおいて、「自己努力」「自己責任」を要求するのは、アンフェアです。

特に、グレーゾーンであって公的な障害認定を受けられない人に対しては、
「障害による損失が非常に大きく、障害による何の利得もない」
ですから、グレーゾーンであるなりの支援の枠組みを早急に設けるべきです。

「障害利得」「障害者利権」といったものが実在するかどうかについて詳細に述べようとすると、少なくとも書籍一冊程度の分量の文章は必要になります。
とりあえずは、本ブログの下記エントリーをご参照ください。

みわちゃん・いんふぉ:障害者割引は「トク」なのか?  

参考図書としてお勧めできる書籍も列挙しておきます。


特に、最低所得保障の問題は重要です。
老齢年金も含めて、日本の最低所得保障の貧弱さが、障害者に対する悪意や嫉妬の原因になっている面は否めません。
さらにそれが、政府によって意図的に行われている可能性も考えたほうがよいと思います。
立場の弱い人どうしが脚を引っ張り合ったり叩き合ったりしていることほど、国家権力にとって都合のよいものはありません。
これ以上、立場の弱い人どうしが痛めつけあって互いに状況を悪くしないためにも、佐村河内氏問題による障害者全体へのネガティブ・キャンペーンには乗らない努力が必要です。
 
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「組込みエンジニアのためのハードウェア入門」
(共著 2009.10 技術評論社)

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