みわよしこのなんでもブログ : 障害

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ライター・みわよしこのブログ。猫話、料理の話、車椅子での日常悲喜こもごも、時には真面目な記事も。アフィリエイトの実験場として割り切り、テーマは限定しません。


障害

[特設]山口雄也『「がんになって良かった」と言いたい』抜き書きと感想(番外編その5)

白血病との闘いを続けてきた京大大学院生・山口雄也さん(Twitter: @Yuya__Yamaguchi)のご著書、『「がんになって良かった」と言いたい』から基本は1節ずつ抜き書きして、自分のメモを記すシリーズ、番外編その5です。

本記事では、このシリーズを書きはじめて書き続けるにあたって、乗り越えなくてはならなかった私の内心の障壁について述べます。その内心の障壁は、私が中途障害者であることによってもたらされました。




山口雄也さんが亡くなって薄れたモチベーション

 この抜き書きとメモを書き続けてきたモチベーションは、「何らかの形で山口さんを励ましたい」というところにありました。
 山口さんやご著書について触れることは、私にとって、実はかなりのリスクを伴うことでもありました。「山口さんを励ましたい」という思いが、辛うじてリスクへの恐れを乗り越えさせてくれていたわです。亡くなられてしまうと、リスクを乗り越えるパワーがやはり少なくなってしまいました。
 闘病中の方の闘病記を紹介することが、なぜリスクになりうるのか。おそらく多くの方々には想像もつかないことでしょう。


障害者が生きていくということ

 私は障害当事者です。
 障害者の中では、しばしば「障害者は生き延びるために運動家になる」と言われています。これは事実です。障害者になると、生きて暮らすだけでいちいち「私にも基本的人権があるはずだ」という主張を繰り返す必要があります。さらに、そんな主張をした「罰」として見えない棒で殴られたり空気を薄くされたりするような思いをすることが連続します。それでも主張しなくては生きていけません。「黙っているから生きていけない」「黙っていないから生きていけない」の両方の圧力が存在する中で、「ああ辛うじて今日も死んでない」というような日々が続くことになります。よほど例外的に恵まれた障害者、あるいは例外的な獲得に成功した障害者でない限り、現在も大なり小なりこれが現実。

 障害者として生まれた人、あるいは障害者となった人にとって、既存の障害者運動や障害者コミュニティとつながることは「今日も死んでなくて生きて暮らせてる」という毎日を送るために必須です。日本の障害者運動は、特に身体障害に関しては、世界トップレベルの実績を積み重ねてきた存在でもあります。2000年以後は後退気味ではあるのですけど、それでも世界に誇るべき水準が今も維持されています。2020年以後は新型コロナの影響でさらに悲惨なことになっているのですが、それでも世界的には「まだマシ」な方かもしれないんですよね。


「生きるに値する命」の判断をしない論理

 障害者運動の論理の中では、障害者が生きるにあたって「どのような障害者であるか」ということを一切問わない原則です。そこを問題にすると、「この障害者は生きるに値しない」という判断をすることになります。その判断のラインは、引いたらおしまいです。いつか、そのラインが自分を「生きるに値しない」とするところに移動するかもしれないわけですから。

 私は「あらゆる人命は生きるに値する」という論理を全面的に肯定しています。そうしないと障害者の生存を守れないという現実があります。また、なんとなく人類史の中で維持されてきた「生きるに値しない人命がある」という前提条件をいったん留保して、「あらゆる人命は生きるに値する」という仮定を現実として実現するためにどうすればよいかを追求する路線に大きな魅力を感じます。

 が、障害者の社会の中では、私がそんなふうに考えているとは思われていません。何百回そう主張しても、そのたびに「本当は優生主義で能力主義でネオリベなんでしょ?」という矢が飛んできます。


中途障害者には、障害者になるまでの人生がある

 中途障害者には、障害者になるまでの人生があります。それが良いかどうかはさておいて。
 障害のない子どもは、スクールバスや公共交通機関を使って、あるいは遠隔地で寮生活をしながら、特別支援学校に通ったりしません。地元の小中学校(あるいは受験して他地域の小中学校)に通学し、障害児がいない環境(注)で教育を受け、障害があることを前提としない進路へと進みます。
 中途障害者は、健常者向けの人生コースのどこかで障害者になった人です。健常者としての人生の蓄積や経験があり、それを失うことへの痛みがあるわけです。でもそれは、障害者の社会の中で堂々と言えるようなことではありません。
 生まれながらの障害者の多くは、自分が失ってイタいものや健常者としての機会を、最初から与えられていなかったわけです。その責任は、私にはありません。しかし、「自分にとって自然だったり当たり前だったりしたものの存在で傷つく人がいる」ということは事実です。
 かくして、不用意に誰かを傷つけないように障害者になるまでの自分についてはなるべく語らないことになります。そうすることは、「実は優生主義者で差別主義者」といった反発や陰口を避けるための処世術としても必要です。障害者運動や障害者コミュニティとのお付き合いが「そこはそれ」で済むのであれば、「そこではそういう自分を演じる」というだけの話です。でも中途障害者とはいえ、自分が障害者であるということは、もはや自分の全人的な前提です。

 ぶっちゃけて言いましょうか。
 私は1990年に大学院修士課程を修了し、2005年に発生した身体障害により障害者となりました。そして2021年現在、1990年の学歴によって攻撃されることが続いているんです。「障害者の誰もが、いつも」というわけではありませんが、1990年の私の学歴を知っていて10年以上お付き合いしていたはずの障害者が、いきなり学歴逆差別を始めたりします。もちろん、そんなことをする方とお付き合いしつづける必要はありません。でも「ああ、そうですか。じゃ、絶交」ときっぱり切ってしまうと、相手は「学歴差別された」「あいつは能力主義」をはじめとするないことないことを影で主張するでしょう。私が生きるにあたって必要な障害者からの助力が、「あいつは障害者の敵だから」という理由で得られなくなるかもしれません。これらは可能性ではなく現実です。似たようなことは他の障害者にも起こりつづけています。
 こんなことを書くと、「障害者運動を悪く言っている」という罪により何らかの罰を課されるのかもしれません。これも私が経験してきた現実です。私は「人間や人間のグループのやることが、全面的にきれいごとであったり、何ら批判されるべき側面を持っていなかったりするわけはない」という認識ですし、その認識に基づいてものを言っているだけですが。

注:
私は1970年に地元の公立小学校に入学しました。養護教育義務化ですべての障害児に義務教育の機会が確保されたのは1979年でした。
私の通った小学校には、今でいう特別支援学級はありませんでした。小学校が絶対的に不足していて、理科室も家庭科室も音楽室も教室として利用せざるを得ないような状況でしたから、場所がなくて設置できなかったのです。
というわけで、現在なら特別支援学級や特別支援学校に行くかもしれない障害児が、健常児と同じクラスに当たり前にいました。軽度から中度の知的障害、弱視、難聴など。
先生方の主力は、戦後の焼け跡闇市時代に高校生だったり教員養成教育を受けたりした世代でした。そういう状況下で混乱混沌を招かずにクラスを運営して全員が折り合いをつけて幸せに暮らすノウハウは、それなりにお持ちのことが多かったです。
世代や制度から個人の経験が「こうであったはず」と言えるわけではないことは、強調しておきたいです。

私が京大大学院生に言及するということ

 山口さんのご著書やご闘病に公然の場で言及するために、私は勇気を奮い起こす必要がありました。ここまで述べてきた、私が障害者であるゆえに背負っているリスクを乗り越えなくてはならないからです(もちろん、私を過去の学歴によって攻撃する障害者の方々も、山口さんの闘病と今後の人生において人権が最大限に守られなくてはならないことを公然と否定するようなことはないでしょうけど)。

 でも私は、1984年に入学した大学、1988年に進学した大学院修士課程、並行していた職業生活の中で、半導体と情報処理と物理にどっぷり漬かっていました。山口さんに強い関心を抱いた背景の一つは、私自身に同じく理系院生としての経験があったことでした。闘病しつつの学業とその後の人生について、ある程度は「わがこと」としての想像が及んだわけです。

 私がそうであること自体が、同様の経験を積む機会に最初からアクセスできなかった障害者を傷つける可能性は、当然考えました。でも私は結局「学歴も能力も関係ねーじゃん!」と割り切ることにしました。
 「高学歴だから」「さまざまな能力を持っているから」といったことがらゆえに「だから生きてよい」という論理を受け入れない障害者運動の論理は、私と重なるバックグラウンドを持っている人への理解や共感や関心を明らかにすることと両立するだろうと考えたのです。といいますか、わざわざ考える必要がないほど当然です。ただ、感情あるいは過去の障害者運動の行きがかりの問題として、「京大大学院生の闘病に”だけ”共感を表明しているアイツは優生主義で能力主義でネオリベ」といった攻撃が表で裏で噴出するリスクは、現実として覚悟せざるを得ません。

 覚悟のうえで一定のリスクを見込みつつ、私は山口さんのご著書への言及をはじめました。今、亡くなられてしまって、「それでもやる」という根性は少し萎え気味。でも、そのうち再開するでしょう。

闘病する若い方、そしてご家族のために

 闘病する若年の方、闘病を経て健康に不安を抱えつつ生きる方、そしてご家族のために「何かできないか」というお気持ちを持たれる方には、以下の事柄を提案いたします。
  • とりあえず、山口雄也さんやご遺族に関する情報を求めたり探ったりしない。ご遺族が自ら公表されるまで待ちましょう
  • 山口雄也さんのツイッターを読み、参考になったと思ったら「いいね」をクリックする
  • ご著書を読む。できればAmazonhonto読書メーターなどにレビューを書く
  • noteでご記事を読み、良いと思ったら「スキ」やコメントをする
  • 献血する。献血センターがいかに素敵な場所であるかをSNS等で述べる(山口さんは、治療に大量の輸血を必要としており、献血への意識喚起もされていました)
  • 献血できない人は、日赤などによる献血のお願いをSNS等で拡散する
  • 重い病気と闘病する人々やその家族、亡くなった方の遺族の心境について、信頼おける書籍を読み、傷つけることなく支援する方法へと近づく
  • 選挙権をお持ちの方は、選挙があれば棄権しない。病気や後遺障害を抱えた方やそのケアにあたる家族を支えてくれそうな候補者に投票する




[雑感]まだ脳内に残っている両親のシナリオを壊したい

 私の母親は、今年81歳になるはずだ。専業主婦になることを疑わずに育ち、専業主婦になった。そのまま生涯を全うするであろう。

 母親は私に対しても、専業主婦になることを求めた。私の56歳までの生涯はほとんど全部、母親のその不当な要求およびそのバリエーションとの闘いだった。

 私は結局のところ結婚しなかった。人間の子どもも持たなかった。若い時期に結婚につながりうる出会いはあったし、子どもは持ちたかった。しかし結婚が現実化しそうになると、自分が「家庭」「家族」に対する具体的かつポジティブなイメージを持てないことに気づくのだった。家庭があり家族がいるのなら、そこは自分にとっても「ホーム」といえる家庭であってほしい。家族は「大切にしなくてはならない家族」「大切だと自発的に思わなくてはならない家族」ではなく「大切で、いっしょにいたい家族」であってほしい。しかし、人間の家族がそういうものであるイメージを、私は抱くことができなかった。見よう見真似で作る自分の家庭は、自分の原家族と同様かそれ以上に壊れた家庭にしかなりようがない気がした。

 結婚が現実化し、相手方の血縁者との接触が増えたりすると、「壊れた家庭しか作れないだろう」という感じ方は、「壊れた家庭になる」という確信に変わった。同じ相手、同じ相手方血縁者と、そう悪くない家庭を作れる女性はいたのかもしれない。しかし少なくとも、その女性は私ではなかった。

 結婚しなかった私は、専業主婦にはなりようがなかった。私が30代後半となり、専業主婦にならせることが実質的に意味をもたない年齢になると、「専業主婦にならないと許さない」という要求は変形され、さらに私にとって悲惨なものとなった。しかしながら、なんとか職業を手放さずに、56歳の今日も生きている。

 そして、今週になって気づいたことがある。私は、親の思惑に沿わなかった罰、専業主婦にならなかった罰から、自分を解放したいのだ。私には、そんな罰を受けなくてはならない理由はないのだから。

 両親の思惑は、直接語ったり行動したりするのは主に母親だったのだが、「従わないと罰を受ける」というメッセージとセットであった。罰とは、「親の反対する結婚をして勘当された遠縁の女性が、母親が入って食事したレストランでウエイトレスをしていた」といったものである。母親の中では、女性が中高年になって何らかの形で働かなくてはならない状況にあること自体が何かの罰なのであった。しかし母親の身近には、罰でもスティグマでもなく働く女性が常にいた。母親が「女性が働く」ということとセットにする罰やスティグマには、何らかの除外条件があるらしい。ただし、その条件は未だによくわからない。少なくとも、私は除外されていないと思う。「除外されている」と確信することは全くできない。

 両親の考え方や言動や過去の「私がこうしたら、両親がああした」「私がそうしたら、両親が関わっているかどうかは直接には不明だが、ああなった」の蓄積は、「私もまた、親の思惑に沿わなかった罪により罰されなくてはならない」と問わず語りに語る。「これは両親が与えたい罰なのではないか」と思われる出来事は、この数年間も立て続けに起こっている。両親が何らかの形で関係しているのかどうかはともかく、もう「ああ、ここに来たか」「今度はそこか」と対処するのみ。来るに決まっている天災のようなもの。実際には人災だ。予防も防御もできるはずだ。しかし、現在までの私の予防や防御の試みは、何一つ成功しなかった。パワーバランスが私に対して不利すぎる。
 
 私自身は、もちろん、両親が私を罰することに成功されたくない。両親は、私が「充分に惨めではない」と判断している限り、私をさらに惨めにしようとするだろう。しかし両親が満足するほど充分に私が惨めになっても、それで罰されなくなるわけではない。「私が何もかもを失わされて充分に惨めになった後」という状況は、事実として過去(2009年~2011年)に一度起こった。惨めで攻撃されやすい立場になったら、私が自分の命を自発的になくすか、それとも生きていないのと同じことになるか。そこまで攻撃が続いたのだ。両親との間で私が経験してきたことがらの記憶と事実の集積は、私の心の中で、今も「もう攻撃されないと判断するのは早計すぎる」と大声で叫び続けている。

 では、何があれば両親の「罰」が成功しなかったことになるか。簡単だ。両親の行動の裏付けは、主に父親の資金力と政治力である。対抗するためには、私が資金力や政治力を充分に持てばいいのである。大昔の浜田省吾のヒット曲「MONEY」ではないが、私が純白のメルセデスやプール付きのマンション、最高の男とベッドでドン・ペリニョンといったモノや場面の持ち主になり、その状況が長期に継続しそうになったら、両親の「罰」は成功しないことになる。もっとも、私がそれらを欲しているわけではない。「純白のメルセデス」と書きながら「メルセデスの車ってどんなのだっけ」という調子だ。ベッドでは爆睡したい。男もドンペリもいらない。政治力も、自分の身を守れる程度で充分だ。

 ならば、私は若干の資金力や、自分にとって充分な程度の政治力を追求すればよいことになる。しかし、それを実行してしまうと、障害者の世界で生きていけなくなる可能性がある。障害者として生きていけないということは、生き物として生きていけないということである。生き物として生きておらず、したがって人間として生きていないのなら、職業生活を含めて社会生活どころではなく、資金力や政治力の追及もできない。

 障害者の世界には、障害者に対して「障害者として被差別の惨めな社会的弱者の立場にいること以外は許さない」文化がある(注1)(注2)。健常者社会にある同様の文化を、さらに強烈にしたようなものだ。それは、障害者の世界の全部ではない。それどころか、主流ですらない。しかし、一部に確実に残っている。一部のそのまた一部からターゲットとされるだけで、私の息の根は止まりかねない。

 私は障害者であり、女性でもある。しかも、健常者時代に大学院修士課程を修了しており、大企業総合職の経験もある。何らかの意味で被差別の立場にある人々の反感をかきたて、障害者運動や連携している他の市民運動のどこでも私を生きていけなくすることなんて、簡単だ。私について、「名誉男性」「名誉男性になりたがっている」という評判を流布させれば、それだけで済む。女性がそういう評判を流布させるのであれば、さらに効率的だ。それは、ここ数年間で実際にやられたことである。

 私は、「ああこのあたりに、みわよしこ名誉男性志望説が流布されてる。またか」と感づくたびに、「私が子どもだった唱和40年代、グリコのキャラメルのおまけには女の子向けと男の子向けがありましたけど、私は男の子向けのほうが好きだったので、女の子向けがほしい男の子と交換してました。その延長で今まで生きてきているのですが、それを『名誉男性』と言われましても」といったことを語る。だいたい、それで済む。それで済まなかったら、その相手を遠ざければいい。

 自分にとって何が必要で、どこまで追求したいのか。自分自身にもよくわからない。ただ、両親はじめ原家族と障害者社会の両方から縛られるのはおかしい。まずは数え切れない束縛を、ほどけるものからほどいていきたい。

(注1)
障害者に対して「障害者として被差別の惨めな社会的弱者の立場にいること以外は許さない」文化は、ヤンキーグループの文化と似ているかもしれない。ヤンキーグループから「カタギになるために抜けよう」とする人には、通過儀礼のリンチとかあるわけで。ただ、ヤンキーをやめてカタギになることはできても、障害者が障害者をやめることは通常はない。このため、「障害者らしさ」に欠けた人間を障害者の社会から追い出すことは、「あいつは本当は障害者ではない」という噂の流布などを伴う。ほんっとに生きていけなくなりかねない。障害を偽装したり重く見せたりするメリットはない。障害がない状態を偽装するメリットなら、いくらでも思いつく。もしも可能なら既にやってるよ。望んでも不可能なのが障害者。でも、他人の悪口や噂話を疑わずに楽しめる人たちが、世の中にはたくさんいる。だから、この手の噂が流布されるたびに、「もう死のうか」と思うほどのダメージと苦痛を味わうことになる。最も辛いことは、噂の主や同調者や噂を疑わなかった人々が口にする「人権尊重」「生命は大事」といった言葉を、それ以後は信じられなくなることだ。「私以外の人権を尊重」「私の生命以外の生命は大事」と脳内で翻訳しながら、反対の余地のない「人権尊重」「生命は大事」それ自体に賛成するときの苦痛は、言い表しようがない。
ただし、この不思議な文化は、障害者が置かれてきて、現在もそこにいる障害者がいる状況そのものの反映でもある。
1975年まで、日本の障害児は義務教育が受けられるとは限らなかった(養護学校義務化は1976年から)。小学校にも中学校にも行っていないのに就労なんて無理ゲーすぎた。だから生活保護は利用しやすい。この状況を逆手にとって、障害者たちは生活保護をはじめとする給付や公共サービスを生存の基盤として活用し、たとえば「介助者に公共から給料が出る」といった制度(たとえば現在も生活保護の中に残る他人介護料加算。1970年代)を一つ一つ整備してきた。今もその蓄積の上に参議院議員の木村英子さんがおられたりする。
その人々の主張を一言で無理やりまとめると、「社会的に不利な状況に置かれやすく、したがって差別されやすい人々は、まず、そのままで生きていくことを保障される必要がある」ということ。私はこの点には全面的に賛成だ。反対したことない。
この主張の一部は、「社会的に不利な状況に置かれやすく差別されやすい人々は、より有利な状況や差別されない立場を望んだり目指したりしてはならない」というふうに化けて、現在に至っている。なぜそうなるのか、私には全く理解できない。選択肢が増えるのは、良いことではないのか? 選択肢があって、なお選ばない自由と選ばなくても快適で幸せでいられる権利が保障されるのであれば、何も言うことないと思うし、私が目指しているのはそちらなんだけど。
この手の、理解できないなりに身を守る必要がある障害者運動の主張を、ときどき障害者運動の国際的なつながりのなかでボヤくことがある。たとえば2013年以来、日本の障害者の社会は2020年(予定だった)五輪のせいでグッチャグチャに分断されている。その中で「五輪どころか競争的な競技自体が悪だ」といった主張が出てくる。健常者時代に若干の競技歴があり、今も可能ならやりたい私は、そんなことを口にできない。そんなことをボヤくと、たいてい笑われる。あまりに重なると、「誰がそんなこと言ってるの?」と聞かれる。しかし言えない。「そんな陰口めいたことは言いたくない」ということもある。それ以上に、本人が国際社会で見せてる顔と国内の女性障害者を相手に見せてる顔の違いに、私自身が打ちのめされてしまっている。

(注2)
「だったら乙武洋匡さんはどうなのか」という意見がありそうだけど、障害者として生まれたときから、両親の理解、恵まれた環境、充分な教育、キャリア構築の初期に比較的順調であったことなどの偶然が重なると、「物心ついてからずっと名誉健常者」という存在になってしまうのですよ。私の直接知る範囲にも何人か、乙武さんほどではないけれども「名誉健常者」になれた障害者がいる。
ただし、そういう「名誉健常者」の方々は、世の中で思われているほど他の障害者の社会と分断されているわけではない。関係はめっちゃ複雑。「あの良い障害者に比べ、あなたはなんとダメな障害者なの」といったことを言いたいのなら、口にする前に、その良い障害者とダメな障害者の間につながりがあったり関係が良好であったりする可能性を考えたほうがいい。

[雑感]病気で体調の悪い首相は、退陣しなくてはならないのか?

本日2020年8月28日、安倍晋三首相が辞意を表明したとのことです。理由は、病気による体調不良とのこと。自民党内部でも世の中でも、特段の疑問は示されていません。当然と受け止められています。
 でも私、「あれっ?」と思ったんです。それって当然?
 (本記事はnote記事の下書きを兼ねています)

  • 「わけあり」職業人を排除しない流れ
 まだまだ不十分ですけど、日本は「わけあり」職業人を排除しない方向に進んできました。
 職業人の前提が「男性・健康・18歳~65歳くらい・独身または専業主婦の妻あり」というものであったことは、日本社会からじわじわとパワーを奪ってきました。
 報酬は、仕事そのものに対するだけではなく、その人に扶養されている家族の分まで支払うことになります。社会保険料も。本人が中高年になるころ、家を購入したり子どもが高校や大学に進学したり、そこに親の介護が発生したりします。やたらとお金が出ていく時期を支えるためには、年功序列の高給を支払うしかありません。長期安定雇用が「定年まで会社のモデルに沿って勤め上げれば、家も買えるし、子どもを大学に行かせられるし、老後は年金があるし(これは怪しくなってますが)」という暗黙の約束だった以上、簡単に「今のあなたは、仕事に対して高給すぎるから、出ていけ」と言うわけにはいきません。
 専業主婦の妻を前提にしていると、「妻が働いていて2馬力だから、夫が失職してもなんとかなるだろう」というわけにはいかないし、妻の収入や納税を当てにするわけにもいかないし。
 自公政権と雇用サイドの都合だけを考えても、「男性ではない」「健康ではない」「健常ではない」「出産したり育児したり介護したりする」「高齢」「家庭や家族に対する責任を負っている」といった”わけあり”の人々を職業人の世界から排除することは、メリットが全然なくデメリットだけです。
 どちらかといえば自公政権のもとで不利な扱いを受け、雇用される弱い立場にある人々にとっては、なおさらそうです。
  • 障害のある国会議員もいる
 現在の参議院には、重度障害を持つ2人の議員がいます。「れいわ新選組」の木村英子氏と舩後靖彦氏です。2人は、リクライニング車椅子に乗って介助を受けながら国会議員の役割を果たしています。木村氏の障害は固定したものですが、舩後氏は進行性疾患であるALSを患っています。2人は、「健康かつ健常」というわけではない”わけあり”議員ですが、そうであることが議員としての存在意義の一部をなしています。障害や病気を持つ人々を当事者が代表しているわけですから。
 地方議会でも国会でも、障害や病気を持っている議員が当然の存在になり増加していくこと自体は、問題にできないはずです。もしも問題なら、「妻が働いていて家事育児を担わなきゃ」「出産と育児をしながら仕事はやめない」という議員だってアウトですよね? いずれは「閣僚の1人か2人は障害者または病人」という状態が当然になるのではないかと思います。

  • 「病気だから辞めなくてはならない」ということはないはず
 私自身は、安倍首相を全然支持していません。そもそも、辞める辞めないは本人が決めることです。しかし、「病気で体調が悪いから辞めるのは当然」だとは思いません。
 治療を受けながら、苦痛を緩和しながら、首相の仕事を続ける選択肢はあったはずです。立って歩行したり椅子に座ったりするのが苦痛なのなら、苦痛を緩和できる車椅子で仕事すればいいじゃないですか。国会にはちょうど、木村英子さんや舩後さんという大先輩当事者がいます。相談したら、大喜びで器具選びのアドバイスを提供するのではないでしょうか。
 一国の首相が、車椅子のような補装具をフル活用して介助を受けながら職務を遂行する姿は、決してネガティブなものではなく、むしろ「日本の多様性尊重はタテマエではなく本気です!!」というポジティブなアピールになることでしょう。問題は職務の内容ですけど。

 安倍首相には、「病気と体調から辞めるのが当然」と言うメッセージを発してほしくなかったと思います。2014年、第二次安倍政権下で、日本は国連障害者権利条約の締結国となりました。病気があって体調が悪くても職務を継続しようとすることは、この条約のコンセプトにも適っています。実のところ、実行する気はなく、仕方なく締結した条約なのでしょうけど。

 ともあれ、安倍首相にはゆっくり休養していただきたいものです。
 そして今後の閣僚や国会議員には、「病気だから辞める」「障害者になったから辞める」という選択は本来はしなくて良いものであり、ご自分がそのような”わけあり”議員になったからこそ、日本のあちらこちらにいる”わけあり”の人々を代表できるのだと考えていただきたいものです。

[雑感]京都ALS嘱託殺人に関連した記事や発言をしばらく読まない宣言

 2019年11月、京都市に在住していたALS患者の女性(当時51歳)を嘱託殺人した疑いで、2020年7月23日に医師2名が逮捕されました。
 それから1ヶ月が経過したわけですが、私は日に日に、報道や障害者団体の発言等の一部に耐えられなくなってきました。
 8月20日ごろ、記事や声明を見ていると苦痛で泣き叫びそうになり、「限界だ」と感じました。読むと心と精神をタコ殴りされ、口や手に見えない猿ぐつわや見えない手錠がかけられようとしているような気持ちになってくるのです。
 私は障害者です。「障害者だから言うべき」も「障害者だから言ってはならない」も、あってはなりません。しかし、期待されることを言わずタブー発言を口にすることは、「障害者としては生きていけなくなる」、すなわち生きていけなくなることにつながりかねません。そういう世界に自分が閉じ込められていることを、思い知らされつづけているのです。


理由1 報道が寄ってたかって介護者支援者像を作ってないか?

 報道が開始された当初から、「なんだか怪しい」と感じていました。世論が介護事業者やヘルパーの責任を問う方向へと流れないように、報道が先手を打っている印象を受けたからです。
 亡くなった林優里さんは、「死にたい」という思いやヘルパーによる苦痛を、ブログツイートに書き残していました。
 最初に「怪しい」と感じたのは、介護事業者など支援者側が、林さんのブログやツイートを「知らなかった」としているという報道を見かけたときです。「なぜ、わざわざ、そんなことを書くかなあ?」と思いましたよ。そもそも、不自然すぎる話です。
 役所の福祉部門も介護事業所等も、障害者や生活保護利用者によって自分たちの悪口が書かれていないかどうか、けっこう神経を尖らせているものです。

 私なんて、誰にも存在を話していない英文のブログに書いた杉並区障害福祉とのゴタを書いた3日くらい後、「そんなことを書くと、今のわずかな障害者福祉もなくなるぞ」と圧力かけられたことがありますよ。居住している杉並区の区役所ではなく、区役所が強引に押し付けた訪問医療の作業療法士からでしたけど。2007年から2008年にかけての話です。

 全くチェックしていないとしたら、危機管理の観点からいって、ちょっと問題ありそうに思えます。「サービスや制度の利用者に自分の悪口を書かれる」という恐れもあるでしょう。虐待やハラスメントなら、そういう書かれて困ることは最初からしなければいいんですけどね。逆に「組織や上司の目のとどかないところで、末端の従業員が何をしているかわからない」という恐れから、ある程度の”エゴサ”を行い、利用者が公開している文書をチェックするのは、非常に自然です。
 林さんの場合は、「京都市」「ALS」「24時間介護」「女性」あたりから、ブログやSNSアカウントを簡単に突き止められたはず。介護事業所との関係の中での救いのないストーリーを、結末が救いのないままながら希望のもてる書きぶりで締めくくっていたりするあたり、実際に起こっている虐待的な扱いをマイルドにしているように思える書きぶりなどから、介護者・支援者の目や反応を意識していた可能性が見受けられます。
 もちろん、メールやSNSメッセージのやりとりを介護者や支援者が知るのは、好ましくありません。ましてや安楽死の相談となると、林さんは見せない努力をして成功していた可能性が高いと思われます。
 ブログやSNSアカウントの存在や内容に関して、報道の数々に紹介された支援者や介護者の言葉は、非常に不自然な点が目立ちます。フツーの健常者は疑問を持たないかもしれないけど、障害当事者でありモノカキ稼業23年目の私を、煙に巻けるとは考えないでほしいです。そもそも報道が解禁されはじめてから数日間の記事は、締切時間とコメントが取られたと考えられる時間帯とコメントの主だけで「怪しすぎる」ものがいくつも。
 最大の疑問は、「なぜ、そんなことを?」「なぜ、ここまで?」でした。今もそうです。


理由2 なんのために、介護者や支援者の像を作らなくてはならないのか

 まず、「ケアマネの横暴やヘルパーによる虐待の可能性に注目されたくない」という至極当然の理由は、そりゃまあ、あるでしょうね。ただ、それは単純に「不適切な対応や虐待があったら都合が悪い」という話でもないと思われます。
 自分自身の記事でさんざん書いてきていますが、そもそも介護業界には深刻な人材不足があります。仕事と責任の重さに見合う給料じゃないですから。最低賃金よりは相当高いけど、コンビニやスーパーが人手不足から時給を上げれば簡単に抜かれる時給です。2019年は、1人のヘルパーさんを14.5件の求人が奪い合う状況でした。さらに、高齢者福祉よりも障害者福祉、障害者福祉の中でも医療的ケアを伴う分野だと、さらに深刻な人材難になります。
 ALSの介助は、特別な技術をいくつか身につけ、さらに各患者さんに個別対応する必要があります。しかし、長期にわたって腕を磨きながらキャリアを継続できる可能性もあります。私の直接知る範囲に、キャリアアップして介護事業所の経営に至った女性もいます。「介護は給料が安くて悪条件で不安定な仕事」という”常識”の例外を生み出しやすかった障害分野の一つは、ALSの介助だったりしました。ヘルパー資格を持っていない人の登用をやりやすくする仕組みも、長年かけて作られてきました。
 それでも深刻な人材難。厚労省の報酬削減の影響がないわけはありません。「人であればなんでもいい」という採用をせざるを得ない場面も増えてきているようです。それで「虐待があるわけない」と言われたって、信じられません。
 とはいえ、世の中や患者さんたちに「そんな介護を受けて暮らすしかないのなら、もう死んだほうがいい」と思われてしまったら、今までの蓄積まで失われてしまいます。24時間介助を受けて地域生活をする重度障害者を増やし、そのポジティブなイメージを広報していけば、人材難が解消されてヘルパーの質も上がるかもしれません。良心的な支援者たちや介助者たちが、それを何とか目指し続けようとしているのは私にも分かります。
 が、その路線に報道が沿い続けていいんでしょうか。広報ではなく報道であることの意義は、どこにあるのでしょうか。現状を伝えながら、ポジティブな事実もあることは伝えながら、しかし虐待の可能性に蓋をせず、介護や介助に関する構造的な問題を解決する方向に世論を動かしていく方向性はあるのではないでしょうか。
 私は、心ある報道陣の一部がそういう動きをしていると見ていました。それに期待していました。でも、今後も期待していいんでしょうか。「たぶん無理だろう」と絶望的な気持ちになっています。
 ALSの介助に関わっている数少ない介護事業所や支援団体や当事者団体は、取材にあたって情報源の中心にならざるを得ません。その意向に沿わない取材や報道は、「やってもいいけど出禁覚悟」ということになるでしょう。政治スキャンダルなら、ときには公益のために、信用させておいて裏切ることもありえます。しかし、このケースで「公益」とは? ALSの介護に関わっている数少ない事業所を減らし、虐待はするけれど仕事は一応するヘルパーを退場させると、「公益」どころではなくなるでしょう。しかしながら、障害者虐待の可能性に蓋をすることも「公益」ではないでしょう。




理由3 「死人に口なし」とは言うけれど


 私が報道に接することに耐えられなくなっていったのは、2020年8月5日の京都新聞記事『ALS女性嘱託殺人事件報道について、日本自立生活センター記者会見全文』を読んだ時が決定的な契機だったと思います。
 会見した障害当事者スタッフ3名のうち、大藪光俊さんと増田英明さんには直接の面識があります。私は、増田さんの言葉に、なんといいますか。立ち上がれないくらい打ちのめされてしまいました。

私たちは生きることに一生懸命です。安楽死や尊厳死を議論する前に、生きることを議論してください。

 私自身の記事での立場は一貫しています。今の日本には、安楽死や尊厳死を云々する前提がありません。なぜなら、「安楽生」「尊厳生」が無条件に保障されているわけではないからです。生きることに関する多数の魅力的な選択肢があり、どれも容易に選ぶことができ、それよりやや選びにくい位置に「安楽死」「尊厳死」があること。それが、明日も生きる選択の代わりに「安楽死」「尊厳死」を選択できるための最低条件でしょう。「生きる選択が事実上出来ないから死ぬ選択を」というのなら、社会全体で自殺幇助しているのも同然です。この点では、増田さんとの意見の相違はないと思います。

そしてヘルパーさんや経営者のみなさんにエールを送ってください。おねがいします。


 エールだけじゃ無理です。同情するなら人間らしい暮らしが営める報酬を。そういう経営が無理ゲーにならない環境整備を。もちろん、増田さんを含む日本の重度障害者たちは、そのために闘ってきています。しかし、この文は何のためにあるのか。次の文を読むと浮かび上がってきます。

安易に彼女の言葉や生活が切り取られて伝えられることや、そうやって安楽死や尊厳死の議論に傾いていくことに、警鐘を鳴らしてきました。いま私たちの間には静かな絶望が広がっています。


 林さんが書き残した程度も内容もさまざまな苦痛の数々は、そう安易に切り取れるものではありません。時系列的にも内容的にも、矛盾がありません。全体を踏まえながらどこかを切り取ると、「つまみ食い」になりようがありません。論理的に「だから生き続ける選択はなく、安楽死しかない」という結論が導かれます。私は、林さんのその明晰な思考を否定したいとは思えないんですよ。それはそれで尊重したいです。そして、「だから安楽死しかない」という結論を導く前提条件や仮定を突き崩したいです。というか、何があれば死ななくてよいのか、林さん自身が見抜いていました。介護報酬を高めること。他の仕事にも就ける人が誇りをもって介護職に就けるように地位を高めること。ツイートに繰り返し出てますよ。アケスケに書いてはありませんが、それで介護業界に「良貨が悪貨を駆逐」が起これば、解決になるでしょうね。実はリーマン・ショック後の2~3年間、現実になりかけていました。
 「虐待に甘んじていなくてはならないのはイヤだ」という林さんの魂の叫びが浮かび上がってくるような記述の数々を、なぜ、障害当事者や介護や支援に関わる人々が、よってたかって掻き消さなくてはならないのでしょうか。「死人に口なし」にしてしまうのでしょうか。そうなってしまう背景は、ある程度は分かるつもりです。それだけに、私は深く深く絶望します。

 私の仲間はこの報道を聞いて、自分がどうしていいのかわからなくなったといいました。支援者もこの事件や報道に傷つきながら、わたしたちを支えてくれています。


 福祉・介護・医療のパターナリズムは、障害者だけで話をするとき、「あいつら最悪」という形で語られることが多いものです。しかし障害者が抵抗して声をあげようとすると、うまいこと”回収”されてしまうんですよね。「私たちも、もう少し考えなくてはなりませんね」「私たちも、そういうお気持ちを理解できるようにならなくてはなりませんね」などと。
 私は「こういう言動がイヤだからやめてほしい」と言いたいだけです。それは膨大なリストになるようなものではなく、重要なものに絞れば10項目以下になりそうなものです。でも、それを聞いてもらえたことがありません。そういう話にしようとすると「その前に相互理解が」とか言われて、さらにすり減り、絶望して離れていくことの繰り返しです。あまりにも同じパターンが繰り返されるので、「相手が意図的に、こちらの消耗と絶望を誘起しようとしている」と考えるようになりました。
 増田さんの仲間の当事者の方の「自分がどうしていいのかわからなくなった」という言葉。私も、どうすればよいのかわかりません。でも、現状がおかしいのは、はっきりしています。このおかしな現状を変えなくてはなりません。

彼女のひとつだけの言葉をとって、安楽死や尊厳死の議論に結びつける報道は、生きることや、それを支えることにためらいを生じさせます。いまこの事件をしって傷ついているひとたちに、だいじょうぶ、生きようよ、支えようよ、あきらめないでと伝えて、応援してほしいです。生きていく方法は何通りも、百通りだってあります。ひとの可能性を伝えるマスメディアの視点を強くもとめます。

 
 増田さん。なぜ、そうなるのでしょう? 
 生きることに向かおうという方向は、私も同じくしているつもりです。
 でも、生きる方法や可能性を探る前に、苦痛を取り除かなくていいんですか? 
 少なくともご本人が虐待だと感じていて、読んだ私や友人の障害者たちが「これ虐待だよね」「これだったら私だって死にたくなる」と感じるようなことを、まず止めさせるべきではないのですか?
 そこに女性というジェンダーや、「にもかかわらず」の高学歴や過去の職業キャリアが絡んでいて、苦痛が除去しがたいものになっているとすれば、まず、女性であっても高学歴であっても職業キャリアがあっても快適に今を生きられるようにすべきなのであって、その阻害要因を除去するべきではないのですか? 
 現実の問題として、阻害要因を除去したら抱き合わせで支援が除去されてしまい、生きていけなくなるわけです。その現実に正面から向き合って環境を変えなければ、いつまでもこのままになるのではないのですか?

 私は、その可能性に向かうメディアの一員であろうとしています。
 が、毎日のように「これでもか、これでもか」と繰り返されるポジティブ重度障害者ライフキャンペーンに、ぶちのめされてしまいました。
 ポジティブ要因が悪いと言いたいわけではありません。虐待や差別といったネガティブ要因に蓋をせずにポジティブキャンペーンを展開することだって出来るはずだと言いたいのです。

私は疲れ果て、絶望しています

 ともあれ、私はぶちのめされてしまいました。
 ことさらに誇示されるかのような、ポジティブ重度障害者ライフの数々に。
 「安楽死上等」という意見だって人の意見であり、それも尊重してこその言論の自由なのに、「言ってはならない」と言わんばかりの識者の声の数々に。
 立場の弱い人の主張を支えて拡大する方向や、誰もが自分の言論の自由を行使出来る方向に向かっているとはいえない、本件の報道の数々に。
 虐待や差別や排除が「ある」という事実を認めて無くすのではなく、「つながり」「共生」「包摂」といった実体不明の言葉で明るい将来像が示され続けることに。
 絶望しました。疲れ果てました。
 しばらく本件から離れていようと思います。

[エッセイ]「違う、そんなの美談じゃない!」 ~ 障害者差別に怒らない「寝たきり社長」のエッセイと感想への応答

本ブログは、note記事の下書きを兼ねています。

 「寝たきり社長」こと佐藤仙務さんの連載エッセイ『寝たきり社長の突破力』、2020年8月13日に公開された「差別されても 障害者の私がネガティブ投稿しないわけ」を読んで、私は正直なところ、頭を抱えてしまいました。記事の内容は、タイトルのとおりです。

 もちろん、佐藤さんご自身がそういう選択や表現をすることについて、外野がとやかく言う筋合いはありません。しかし、そのエッセイを読まれた健常者の方々がどう考えるか。それは障害者に対してどういう風当たりとなるか。リアルに想像できるだけに、どうにも落ち着かないのです。

 そして本日、Yahoo!ニュースでも公開されていることに気づきました(新聞社との契約により数日後には消えるのですが、一応URL)。コメント欄を見ると案の定。想定範囲内のコメントが並びます。私よりも立場の弱い人々のことを考えると、とても黙っているわけにはいきません。

 以下、典型的なコメントの分類と、それぞれへの応答です(太字は筆者による)。

  • 「権利の主張ばかりではダメ」論
権利を主張することも時には大事だけれど、そればかりだと現実社会では人は離れていってしまうからバランスが大切ですよね。
特にSNSでは意図していない方向に話が転がっていってしまったり、むやみに炎上してしまう可能性があり、ネガティブなことは発信しないに限ると思います。

 日本の教育が、「人権」を理解とともに腹落ちさせることに失敗しているということでしょうね。人間としての権利を主張し、差別に対して異議申し立て(実質的に怒りの表明や告訴になります)を行うことは、現実社会で処世術を駆使しながら生きていくための基盤になるものです。「人が離れないようにバランスよく権利の主張を」では権利主張にならないし、「ネガティブ発信は避けたほうがいい」というのは一般的な処世術。本人の人権あっての話です。

  • 「良い障害者なら支援に値する」論
支援してもらうのが当たり前、自分の思い通りにならないとやれ、差別だと騒ぎ出す。そんな障害者(と周囲の人間)が増えている。そんな状況だから、支援を求められれば応じてもあえて自分からすすんで支援の手を差し伸べようとする気持ちは私にはない。でも、自分の権利だけを主張することなく支援する側の事情や気持ちを考える、記事のような人には最大限の支援をしたいと素直に思う。

 コメントを書かれた方が「差別」を理解しているのかどうか疑問です。ともあれ、典型的な「良い障害者と悪い障害者を分断してよい」「悪い障害者なら支援されなくてもしかたない」論。それ自体が差別なんです。
 障害があろうがなかろうが、ヤな奴はヤな奴、迷惑をかけられたら迷惑ですよね。そこに障害をからめる必要はないはず。
 しかし相手が障害者などマイノリティである場合、ヤな奴だから「あっちに行け」と言い、迷惑だから「その振る舞いをやめてほしい」と言っただけなのに、「差別だ」と言われる可能性を気にしなくてはならない現実は、確かにあります。それは私の現在進行形の問題ですから(ただし、差別する側として)。面倒くさいっすよね。
 たとえば、単に「男性からボディタッチされたくない」というだけなのに、相手が生活保護で暮らす障害者だったりすると、あとで「生活保護差別」「障害者差別」と言われる可能性を覚悟しなくてはならない現実は、私にもあります。数カ月後に「生活保護について記事書いてる障害者なのに差別した、あいつ酷い」という噂話が派手な尾ひれつきで流布されていると知るといったことは、数え切れないくらい経験してますよ。でも、私が「この人と性的な関係になりたい」と思っているわけでもなんでもない男性にボディタッチされて我慢しなきゃいけない理由は何もありません。だったら「その場で肉体的に反撃してやめてもらう」というのが正解であるようにも思えますが、相手の身体のコンディションをよく知らないと、躊躇してしまいます。指や腕を捻ったら骨折するような身体(たとえば糖尿病による下肢不自由だと、大いに考えられます)だと、物理的な手出しは、ちょっとね……。
 この面倒くささを無くす方法は、日常から差別をなくすことしかありません。障害者差別が事実として全くない社会なら、障害者に対して「お前はヤな奴だ」「その振る舞いやめろ」ということは、単にその人が「イヤだ」と思う相手に「イヤだ」と言い、やめてほしいと思った振る舞いを「やめろ」と言っただけになります。もちろん、犯罪レベルで”やりすぎ”になってしまったら、相手が健常者である場合も障害者である場合も、同様に問題になるだけです。
 障害者差別に対して言挙げする障害者たちの多くは、そういう社会を目指したいと考えているのではないかと思います。国連や国際人権団体が考える「障害者差別が解消された状態」はそのようなものですし、私自身もそう考えています。
 日本政府も一応、そのように考えたので、障害者差別解消法を制定しました。それらの国内法整備があったから、国連障害者権利条約を2014年に締結できたわけです。しかし、次のコメントを読むと、まったく効果ないようですね。

  • 「合理的配慮をしないことが許されないのは苦しい」論
障がい者差別解消法が施行されてから、
本音と建前、この人までは対応できるがここからは無理が許されなくなり、ややこしくなった。
大家さんも人間だし、不都合があったとき全部被るのが自分だから、
あまりにも手に余るケースは尻込みするだろうに。
入居時は大丈夫大丈夫、傷もつけない、自分でやると言い切るが、
実際にぼやでもおきれば、やれ避難経路が確保できないからこれじゃ死ぬとか、
この状態で契約してるんだから整備するのが合理的配慮だとか、
そんなことになるんだよ。
映画館でも、介助が一人いるとして、ストレッチャーなら緊急避難時には後二人は必要だ。
平日でキリキリで回してる映画館だと、厳しい時もある。
両者の合意がなければ結べないのが契約のはずなのに、
断る自由が許されない。
この人は引いてくれたけど、引かないと思えばどこまでも闘ってくるから…。
定員割れ高校の件みたいに、何年も。
きついよ。

 この方は映画館にご勤務のようですが、民間事業者に求められている合理的配慮義務の範囲を全くご存知ないようです。愚痴る前に、担当省庁に問い合わせてみられてはどうでしょうか。建物が古くて対応が難しい商業施設や小規模事業者にまで、ゴリゴリに要求されているわけじゃないんですよ。無理だもん。特に、日本は超絶ユルユルです。
 合理的配慮を「建前」として掲げ、本音では「提供しません」というのは、どうしようもなく差別です。しかし「この人までは対応できるがここからは無理」の限界を超えた合理的配慮の提供は、その企業や施設の規模等によりますが、通常は要求されていません。
 ご自分の無知を障害者のせいにされては困ります。さらに職業の場においては、雇用者や施設責任者には周知させる義務があります。結果として、この方のご勤務先のしょうもなさまで明らかになっています。
 「引かないと思えばどこまでも闘ってくるから…。」という「定員割れ高校の件」は、コミュニケーション障害や知的障害を持つ重度障害者が、定員割れしている高校を受験しても合格しないという事例です。今、高校までの教育は事実上義務教育のようなものになっています。そして、障害者差別をしないことを国際社会に約束した日本(国連障害者権利条約を締結するとは、そういうこと)は、障害児を特別支援学校に分離して教育するスタイルを減らしたりなくしたりする義務を負っています。その方々が特別支援学校の高等部ではなく、あくまで高校受験と高校在学にこだわっている背景は、そういうことです。「Yahoo!ニュースの読者さんには伝わっていない」ということでしょうか。


  • 妊娠経験からの「感謝すると優しくされやすくなる」というご意見
この記事を読んで、すごく勉強になりました。
妊婦の頃は席を譲ってくれない、
乳児を抱えて電車に乗れば舌打ちされる、
子連れで店に入れば何もしてないのに睨まれる、
こんな理不尽なことを経験するたびに、自分も含め、怒りに震えてきた人多いと思う。
でもそれって、心のどこかに、妊婦は席を譲って当たり前、妊婦は優しくされるのが当たり前、という思いがあったから、
それがどことなく伝わってしまっていたのかな、なんて思います。
すべてに対して感謝しまくっていると、
だんだん周囲の対応も変わってくるような気がします。
周囲にペコペコ頭下げながら感謝しながら、泣き喚く赤ちゃんを汗だくであやしてるママさんを見たら、
誰だって席を譲ってあげたい、って思うだろうし。
障害者も妊婦も子持ちママも同じですよね。
全員が謙虚と感謝を持てば、社会はすごく良くなっていくと思う。

 私には妊娠・出産・育児の経験はありません。そして、電車やバスの中で赤ちゃんが泣きわめいていたり幼児が聞き分けない様子であったりすると、別の意味でムカつきます。親御さんが恐縮していると、さらにムカつきます。泣く赤ちゃん、暴れる子どもに対して不快をあらわにし、親に責任を問おうとする周囲の人たちにムカつくのです。
 親御さん(たいていは母親←これも問題)は恐縮して、赤ちゃんを早く泣き止ませようとしたり、幼児を静かにさせようとしていることが多いです。しかし、特に親御さんが母親である場合、非難がましい視線や声がお母さんに向けられます。父親である場合はそうでもないのは、なぜでしょうね? 
 親御さんが、赤ちゃんや幼児を放置しているように見える場合もあります。疲れ切っていたり、「どうすればよいのかわからない」という様子であったりします。周囲からの非難の視線や声は、さらに非難がましくなります。
 私はそういう時、先手を打ちます。「赤ちゃんは泣くのが仕事ですよねえ、元気でいいですねえ」「子どもは暴れるのが仕事(以下同文)」と親御さんに話しかけ、その赤ちゃんや幼児の月齢年齢や性別や名前を聞いたりします。親御さんと私が和やかに話していると、赤ちゃんの泣き声のトーンは下がり、幼児は話に割り込んでこようとします。自分のことが話されているわけですからね。そうなればしめたもの。どの駅で降りるのかを聞き、その駅で無事に降りられそうか周囲を見ながら、赤ちゃんや幼児と遊ばせてもらいます。生育にかかわる責任を一切負っていない通りすがりのオバサンがそのくらいしたって、バチは当たらないでしょう。
 生涯ただ1回きり、あるいは、せいぜい2回目の子育てで経験を蓄積するところまで至れないイマドキの親の事情を理解してアクションすることは、子育て世代よりも年長の世代の務めではないでしょうか。母親に「必死で恐縮して席を譲ってもらう」というライフハックを編み出させてしまうことは、日本社会の、特に年長世代の失敗。「みんなが協力して配慮してくれるから、子育ては楽しい♪」と思われるくらいで、ちょうどいいんです。少子化って、日本の課題でしょ?
  • 「精神的成長」論
〉人は、人を批判することで一時的にすっきりするかもしれないが、本当の心の豊かさは得られないと知った。

自分は辿りつけていない境地だと思った。
反論したり、批判したりしなければならない場面はたくさんある。でも、時にはこう考えることも必要なのだろう。
すぐには変えられないかもしれないけれど、少しずつ意識していこうと思った。

 佐藤仙務さんが重度障害者であることを度外視すれば、特になんということはない、ありがちなコメントです。逆境を精神的修養の機会に置き換えることは、よくある合理化機制の一つであり、社会的弱者がエージェンシー(せめてもの主体性)を発揮する手段の一つでもあります。
 しかしながら、言挙げする障害者や言挙げするマイノリティの多くは、すっきりするために批判しているわけではないはず。そこへの眼差しが全く感じられないのは、なぜでしょうか?

佐藤仙務さんご自身は、何をどう書いたのか

 当該のコラム「差別されても 障害者の私がネガティブ投稿しないわけ」に書かれている内容は、以下のとおりです。
  1. オフィス探しで障害者差別に遭った。幼少のころから、差別される経験は重ねてきている。しかし今は、差別や世の中の理不尽とは決して真正面から戦わないスタンス。
  2. 映画館で障害者差別に遭い入館を断られたとき、SNSにその事実と怒りを示すと、顧客の一人に窓口の人に事情があった可能性を考えるよう示唆された。
  3. 批判をあからさまにすると、権利を盾に相手を傷つけることになる。
  4. 自分のせいで、他の障害者が色眼鏡で見られたり、親切にしようと思っている人への善意を踏みにじりたくはない。
  5. そこで自分のルールを変えた。理不尽なことや差別をされても、私はお陰様と感謝の気持ちを持つことにした。
  6. すると、周囲にたくさんの仲間ができた。普段親切にしてくれる周りの人間をより大切にしたくなった。
  7. 人を批判することで一時的にすっきりするかもしれないが、本当の心の豊かさは得られないと知った。
 エッセイには、幼少時からの経験、障害者団体の関係者からの意見なども記されています。狭い障害者の世界の「誰かが自分の苦痛を訴えただけなのに他の誰かを殴ったことになる」という複雑なアヤ、それを健常者中心の日本社会がどう見るかという問題は、おそらく意識された上での本エッセイだと見ています。なによりも冒頭で書いたとおり、佐藤さんには、思ったり考えたり書いたりすることすべての自由があります。

 ただ、上記「7」の「人を批判することで一時的にすっきりするかもしれないが、本当の心の豊かさは得られない」については、私自身の言論の自由を行使して、異議を申し上げます。
 障害者差別が行われた事実、怒り、悲しみといったものを表明する行為は、多くの障害者にとって、「批判することで一時的にすっきり」という性格のものではありません。誰かが表明しなくては、「そのような現実がある」「そのような苦しみが生み出されている」ということが知られないから、勇気をもって、極めて面倒な反応の数々や炎上を覚悟しつつ表明しているのです。
 少なくとも、私自身はそうです。イヤなことは、さっさと忘れたいですから。でも、私よりも声をあげにくい女性障害者たちは、もっと黙らされている可能性があります。だから可能な限り、黙らないようにしています。
 私は生まれながらの障害者ではなく、中年になってからの中途障害であり、現在は佐藤仙務さんの親であってもおかしくない年代です。そして、女性でもあります。このことが、佐藤さんと異なる認識と異なる判断をもたらすのは、当然でしょう。

 どうか佐藤仙務さんの本エッセイが、立場が弱く差別されやすい人々を抑圧するツールとして、健常者中心の日本社会で独り歩きさせられませんように。
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(共著 2009.10 技術評論社)

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