みわよしこのなんでもブログ : 親子関係

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ライター・みわよしこのブログ。猫話、料理の話、車椅子での日常悲喜こもごも、時には真面目な記事も。アフィリエイトの実験場として割り切り、テーマは限定しません。


親子関係

[雑感]育児や教育のリテラシーは、子どものために使われるとは限らない

 親を対象として書かれた育児書や教育書は、通常は親が読んで親自身の言動や考え方を変えるために使うものだと思う。ところが私の両親(特に母親)は、私に対してはそうではなかった。

 最初は、小学館の『小学◯年生』だったと思う。私は、1学年上のものを買い与えられていた。母親は、学習ページを全部終わらせないと、他のページは読めないし付録も触れないというルールを作っていた(弟妹はそんなことはされていない)。そんなに困難な課題というわけではなかったから、こなしていた。マンガや女児向けのアニメなど、クラスメートとの共通の話題になるようなものから遠ざけられていた私にとっては、クラスのみんなが面白がっているものに接するための概ね唯一の機会だった。1学年ずれてたけど。
 なお小学4年を最後に、学年なりの『小学◯年生』に変えてもらった。年度末は、2学年上の学習ページに取り組むことになる。小4の私にとって、さすがに小6算数はキツかった。
 
 母親は、『小学◯年生』の保護者向けのページも、私に読むように求めていた。そして、そのとおりにせよと。確か、私が小学2年くらいの時から。当時の私は既に、大人向けの書籍や雑誌や新聞が読めた。文章として「読める」という意味では、そう現実離れした要求ではなかった。そこにはしばしば、きょうだい差別やきょうだいを比較することの弊害に関する記述があった。世の中には、読んでハッとして自省する親がいるのかもしれない。「ウチではそんなことしてないけど、それで正解なんだ」とホッとする親がいるのかもしれない。でも、どこにいるのだろうか? 少なくとも、私に対する両親にそんなことは全く期待できない。どこにそんな世界があるのか。きっと、実在することはするのだろう。でも、どこに? その世界の住人であるということは、どんな生き心地なのだろうか。想像がつかなかった。今も想像できない。

 当時流行した育児書の多くは、同じような成り行きで、両親のどちらかから読むように求められて読んだ。たとえば、浜尾実『女の子の躾け方』とか。当時、この本のせいで白いパンティがトラウマになった女性、相当数いたんじゃないかな。


 ところが、母親が徹夜でむさぼり読んだにもかかわらず、私には見せなかった教育書がある。井上隆基『100を求めて0 にしないで : よい習慣をつくる勉強のしかたとは』という本(CiNiiページ)。CiNiiの書誌情報では1983年刊行とあるけれど、所蔵している大学図書館の目録には発行年が異なるものもある。もともとは、付録のような扱いで無料配布されていたパンフレットだったようである。母親がこの本を読んでいたのは、私が中学2年の時、1977年だった。

 文字と言葉が早く勉強の要領が良い方だった私は、中学受験して入った私立中高一貫校で、あまり勉強に苦労しなかった。中学に入って間もないころ、数学の時間にぼーっとしていて落ちこぼれたけど、すぐV字回復。中学3年以後は、熱心だけど細かすぎる英語教師の教え方に自分を合わせられず、気がつくと英語で落ちこぼれて高校卒業まで至った。とはいえ、英語は学年相当レベル程度には読めるし聞けるし話せるし、文法を気にしなければ書けるし。校外模試なら、それなりの成績取れるし(偏差値70を「100点満点の70点」と意図的に誤解した母親から、100点ではないことを責められたりはするけど。母親が「意図的に誤解した」としているのは、そこに素点も書いてあったから)。問題は、学校の英語のテストの成績が悪いことだけだった。英語以外の科目では、特に学習に苦労した記憶はない。勉強は嫌いじゃなかったし。

 中学2年の1学期の期末試験のとき、特段の準備はしていなかったのに、学年で2番になった。
 次に母親がしたことは、『ポピー』という自宅学習用教材の購読だった。私に意向を尋ねることもなにもなく。ある日、学校から帰ってくると、その教材が1ヶ月分、机の上にドカンと積んであった。そして母親が、目を血走らせていた。

 母親は、「アンタのために買ってやったんだから、今すぐ全部やりなさい」という。1ヶ月分を今日中にやれと。いくらなんでも無理だ。母親の方針に表立って逆らったことはほとんどなかった私だが、このときの『ポピー』に関しては、「言うことを聞いたら後が恐ろしい」と直感した。私が取り組まなかったら、そのことの罰を受けるだろう。しかし、もしも私がこなしてしまったら、さらなる無理ゲーが重ねられ、最終的に潰されるだろう。どっちがマシか。
 結局、私は教材をほとんど開かず手も触れなかった。その教材をめぐる一触即発状態は3ヶ月ぐらい続いたが、母親はだんだんトーンを下げていった。ついには、諦めて購読をやめた。
 決め手になったのは、母親の兄の妻がいるところで、私がその教材について口にしたことであった。母親は、自分自身の兄夫妻が子どもたちの知育や学業成績アップに熱心であることに、激しい対抗心を燃やしていた。実体はともあれ、母親はご近所さんや親類から「教育ママ」と見られることを非常に嫌がっていた。私の前に母親以外の大人がいなくなったとき、私は覚悟をきめた。母親の想定外のことを親類に語った罪の罰として、いつものようにぶっ叩かれるのだろうか。しかし、その時は何も起こらなかった。
 それにしても、私の嫌がること、私に無理を強いることを、母親が自発的に止めるなんて。私のこれまでの56年の人生の経験の中で、片手で数えられるほど珍しい成り行きだ。もっとも、母親が「ためを思って」「教育」といった名目で私に無理無茶を強いて、弟妹ともども私を笑い者にするようなことは、別の名目で続いた。

 『ポピー』とともに、『100を求めて0にしないで』という本が実家にやってきた。保護者向けにセットになっていたのだと記憶している。母親はその晩、ほぼ徹夜で食い入るように読んでいた。そして、この本は私に見せなかった。書棚に並べず、裁縫道具の中かどこか、簡単に私にアクセスされないようなところにしまい込んであった。

 私は今年になって、「!」と思い当たった。タイトルから見て、その本には、子どもの学習意欲を維持して喚起するにあたって有効な考え方や方法が書いてあったのだろう。

 「100を求めて0にしないで」というタイトルは、「100を求めるならば、0になる可能性がある」と同じ意味であるが、「0にするには、100を求めればいい」と同じ意味にはならない。しかし、子どものモチベーションを阻害する可能性がある親の言動の数々は、子どものモチベーションをなくしたい親にとっての有効なヒントになりうる。

 この本は、2020年現在、中古市場で入手できるようである。買ってまで読みたいとは思えないけれど、国立国会図書館など所蔵している図書館に行く機会に、ついでに見てみようと思う。

 この本が実家にやってきた後、中学2年の夏休みから後は、学習や勉強を口実にして打ちのめされることの連続になった。成績が良ければ、母親が自分の勉強法や自分の勧める教材を押し付けて、私の学びを妨害する。成績が悪くなれば私のせいである。母親の「ためを思って」名目の妨害から逃げ切った結果として成績が良好だったら、母親は何か私の性格上の欠点や見た目や表情の問題を口実にして「勉強ができても何もならん」と言ったりする。有効な隙がないと、「アンタなんか努力しても何もならん」という予言を繰り返す。現在形で書いているのは、形態を変えつつも現在進行中、少なくとも終わってはいないからだ(念のため。私は自分が酷い目に遭ったり遭う可能性があったりすることを終わらせたいのであり、母親自身の生命健康に何かが起こってほしいというわけではない。わざわざこう書いているのは、「親を痛めつけようとしている」「親を亡き者にしようとしている」とか言われないために。10代まで実際に何回も何回も言われたけど、そんな欲求は持ってなかった。4つ下の弟は、年齢1桁のころは母親にかなり激しい暴力で向かっていたけれど、それは私の暴力にすり替えられた。私、やってません!)。

 そして私は、「乱数表を使って学業成績をランダムに乱高下させる」という対応で日々をしのぎながら自分と自分の人生を守ろうとしたり、ソロバンと計算尺でマルコフ連鎖モデルを計算してその日の母親のブチ切れ確率を出す「母親シミュレータ」を作ったりする高校生になっていく。母親が私の勉強ぶりから学業成績の成り行きを予測したり、自分の言動が与えるインパクトを学習されてしまうと、そこが母親の願望や口実の入り込む隙に使われてしまうからだ。もっとも、私の学業成績が母親の便利な道具にならなくなったら、母親は「美容院に行ったら、たまたま来てた占い師」といった、実在するのかどうか不明の何かを動員するようになった。また、私がいないときに弟妹が私について語ったことも利用され、捏造ではなく事実だった可能性が高い。弟妹には利得だけあって損失はなかったから、その行動は強化されていった。どっちみち、私に対する仕打ちの総量は変えられないのかもしれない。

 その時期、1975年から1980年ごろは、一般市民向けの心理学書がちょっとしたブームになりつつあった時期でもある。父親は企業に勤務する労務屋だった。通常の会社員以上に心理テクニックの駆使が期待される職種だ。世の中でブームになるのよりも少し早く、心理学書が実家の本棚に並んでいた。中高生の私は、「なんだろう?」と思って、手にとって読んでみた。エロ本でもなければ、爆弾の作り方の本でもない。読んで悪い理由があるだろうか?


 数週間遅れで、母親は、私が父親の心理学書を読んでいることに気付いた。そして「他人の心の中を知るやら、好かーん(他人の心の中を知るなんて嫌いだ)」と繰り返した。そういう母親自身は、近所のお宅のありもしない嫁姑戦争やきょうだい差別を作り上げては、背景をとくとくと私に解説し、私が耳を塞ごうとすると「お母さんがせっかく話してやりようとに、聞きぃ!(お母さんがせっかく話してやっているのに。聞け)」というのだった。

 中高生の私は、「母親がそう言っている」という事実に対して、反抗したいとは思わなかった。母親に変わってほしいとも思わなかった。ただ、トラブルや軋轢の種を減らしたいだけだった。母親が「好かん」というのなら、家で読まなければいい。それだけの話。手段はあった。

 母親がとくとくと語る近隣のお宅の(おそらく70%くらいは非実在の)嫁姑戦争等に対しては、肯定しなければ自分が酷い目に遭わされる。しかし肯定すれば、「私がそう言っていた」という話として当該の近隣に吹き込まれる。小学生のころから、そんなことが繰り返され、私はつくづく懲りていた。表情を変えずに、軽く頷いているのか頷いていないのか分からないような顔の動かし方をしていた。母親は、思い通りの反応が得られないためキレる。肉体的な暴力に及ぶことも多々ある。しかし、それだけで済む。ともあれ、私が心理学書を読むことを母親が嫌がったのは、「母親が、自分自身の心の中を知られたくなかった」という理由だったと結論づけてよいだろう。

 さて。『100を求めて0にしないで』には、何が書いてあるのだろうか。そこにあるノウハウそのものや、その裏、その逆を、母親が誰にどのように使用したのだろうか。

 読めば、きっと分かるだろう。

母親にやめてほしい3つのこと

私は30年前、実家を離れて東京の大学に進学しました。
大きな原因の一つは、母親との関係が物心づいて以後ずっと険悪なままだったことです。といいますか、私は虐待を受けていました。最初は母親だけから。ついで、4歳下の弟が、母親の奨励のもとに。私の背が母親よりも高くなると、酔った父親を母親がけしかけて……ということもありました。9歳下の妹もいますが、妹は全面的に母親の味方です。親きょうだいの中に、私の味方はいません。
母親は、虐待の直後でも
「覚えていない」「自分がそんなことをする(言う)わけない」
と主張していました。また
「あなたは長女だから」
という理由で、私にしていることを正当化していました。母親によれば、
「自分はお母さんにもっとひどい目に遭わされていた、自分は優しくしてやっているんだ」
ということでした。母親は、その母親である母方祖母(2012年に98歳で他界)に虐待されていたというのでしょうか? 
母方祖母は戦後の混乱の中で、夫が早く亡くなるという出来事を乗り越えて必死に4児を育てた、「がばいばあちゃん」みたいな女性でした。虐待は外からはまことにわかりづらいものですが、少なくとも母方祖母は、母親のことを虐待はしていなかったと思います。10年以上前のことですが、母方祖母は折り紙をしながら、父親に愛されている母親のことを「幸せ者よ」と話題にし、とても嬉しそうな表情をしていました。「良き母を演じつつ、実はこっそり隠れて虐待をしていて」ということは世の中にはよくあるのですが、私が目の前で見ていた母方祖母と母親の関係からは、そのようなことの気配も感じられませんでした。母親の実家は、家事といいますか家の仕事が大変な家ではありましたが、別に女児だから特別に大変だったというわけでもなく、男児も庭の管理など数多くの家の仕事をして育っていたようです。
母親のきょうだいたちから、母親が母方祖母に虐待を受けていたという話が出てきたことはありませんでした。事実、母親は母方祖母に虐待されていなかったのかもしれません。あるいは、母親だけが虐待されており、その状態は他のきょうだいたちにとって好都合であったので、他のきょうだいたちは「虐待はなかった」としているということなのかもしれません。ただ、私自身が見てきた母親ときょうだいたちの関係からは、「母親だけが虐待の対象になっていた」という可能性は考える必要はなさそうだと思います。母親たちきょうだいが、別の近親者からのDV被害に遭っていたのは事実であるようですけれども。

私は実家を離れた後、疎遠になりつづけるばかりです。
それでも、年に一度くらいは両親と接する機会がありました。今後もそうかどうかは分かりませんけれども。
昨年までは年賀状も来ていました。
今年は両親からは年賀状は来ず、母親の言いたそうなことが別の血縁者の年賀状に書いてありました。
もし、「1年あたり1回程度、数時間」程度にでも母親との接触が今後とも続くのであれば、母親に絶対にやめてもらいたいことが3つあります。昔の虐待のことではありません。これからのことです。

1.「背後に回り込み、いきなり私の両腕を抑えこむ」といった、通常は攻撃目的で行われる行動をとるのはやめてほしい。

70歳を過ぎているとはいえ二足歩行している母親に、そういう行動を取られると恐怖を感じます。相手がだれでも、本能的に恐怖を感じるのが正常な反応だと思います。

2.周囲に他の人がいないとき・他の人が離れた場所にいるときに、私の耳元で、私にだけ聞こえるように何かを言うのはやめてほしい。

これは1.とセットになることがあります。
「背後に回りこみ、私の両腕を後ろから抑え込んだ上で、私の耳元で自分の言いたいことを言う」
という形です。
いずれにしても、私にしか聞こえないように言われることは、たいていは他の人に聞かれては都合の悪いことです。母親の嫌いな親類の悪口とか、身勝手すぎる希望とか。私が「聞きたくない」という素振りを示すと、母親は
「お母さんがせっかく言ってやっているのに!」
と怒ります。
私はむしろ、「母親がそういうことを私の耳にだけ入るように言っている」ということを広く知ってほしいです。
母親が間違ったことを言っておらず、「せっかく言ってやる」に値するほど素晴らしいことを言っているのであれば、私にだけ聞かせる必要はないはずです。堂々と、誰の前でも言えばよいのではないでしょうか。

3.「努力して車椅子不要になれ」と要求すること、無理な体操を押し付けることをやめてほしい。
 
2007年から母親は執拗に、私に「運動して、鍛えて、車椅子不要になるように」と言い続けています。そして、私には出来ない体操をするように要求しつづけています。こちらのページで「左右回転」として紹介されている腕振りです。
当時も今も、私にこの動作はできません。だから母親に求められるたびに「できない」と言っています。しかし母親は執拗に、やるように私に求め続けています。
母親によれば、この体操は素晴らしいもので、自分自身の健康維持に役立っているのだそうです。それは分かります。私も以前、太極拳をやっていましたから。
最近、母親は自分が言っても聞かないと判断したらしく、最近は、まだ交流が若干はある近親者に「身体を鍛えて車椅子不要になるように」と言わせていたりなどします。
そもそも、努力すれば車椅子不要になれるような肉体能力は、私にはありません。現状は既にベストエフォートの結果です。リハビリ的なことは日常に組み込んで実行しています。起きていられる時間のすべてをリハビリに割けば、歩行可能距離が若干伸びる程度のことはあるかもしれませんが、たぶん車椅子不要にはならないでしょう。それに、私が持てる資源のすべてをリハビリに割いたら、誰がどうやって我が家の生計を支えるんでしょうか? 
不可能なことを要求されては困ります。不可能だから不可能と言っているんです。それが7年も通じないのです。

ここにこのように書いても、母親には通じないだろうと思います。そもそも読まないでしょうし。読んでも、何が問題なのか理解できないでしょう。言って通じるくらいなら、最初からやっていないだろうと思いますし。
それに、過去50年にわたる母親との関係を振り返ると、
「では、この3つ以外なら、やっていいんだな」
と理解される可能性も低くはないです。たとえば
「精神科病院に医療保護入院させる」
とか。今なら三親等内の親族の同意で可能ですから。

とにかく私はここ数年、母親と接触するたびに、このようなことに困っています。
もし接触が続くのなら、こういうことはやめてほしいと思います。 
この3つだけをやめてほしいわけではなく、私が嫌な思い・恐ろしい思い・辛い思い・悲しい思いをするようなことは、しないでほしいのです。
母親が私にした過去の数多くの虐待を、私は未だに思い出して泣くことがあります。虐待そのものが辛かったというだけではありません。その虐待によって失われた機会や奪われた時間は、もう永久に返ってきません。
だから今後は、そんなことはしないでほしいのです。
今後の私は可能な限り、そんなことをされずに過ごしたいのです。 
せめて、されてしまった私が「イヤです」「やめてください」と言う自由くらい欲しいんです。
こちらのエントリーにある「昨年秋の出来事」とは、母親の上記のような行動に対して、私が「やめてほしい」と言った、ということです。
私は、されるべきではないことをされたので、「イヤです」「やめてください」と言っただけなんです。
今までだって、勇気をふるって、可能な限り、「イヤです」「やめてください」という意思表示はしてきました。でも、全く通じなかったんです。
その「昨年秋の出来事」が起こったのは、家族以外の方もいる場所でのことでした。私の「やめてほしい」という意思表示は、生まれてはじめて無視されませんでした。その場では、母親は私の肩から手を離しました。
しかし、引き続いて起こったことは、私の生存の基盤に対する脅威となるできごとでした。今、詳細をここに書くわけにはいきませんが。
父親は、私が両親に恥をかかせたと言っています。そうかもしれません。でも、ここで私が「やめてほしい」と書いている3項目のうち1.と2.を母親が行ったのでなかったら、私は「やめてほしい」と声を上げることはなかったでしょう。したがって、両親が「恥をかかされた」ということにもならなかったはずです。
誰が誰の顔に泥を塗ったのでしょうか? 誰が誰に恥をかかせたのでしょうか? 私は、「私が」泥を塗ったのでもなければ、「私が」恥をかかせたのでもないと思っています。

私は、おかしな扱いを受けずに生きて暮らしたいです。
おかしな扱いに甘んじなければ生きることも暮らすことも難しくなるのだとしたら、その状況はおかしいと思います。
そのことを自ら確認する意味で、ここに書きました。
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「生活保護リアル(Kindle版)」
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「ソフト・エッジ」
(中嶋震氏との共著 2013.3 丸善ライブラリー)


「組込みエンジニアのためのハードウェア入門」
(共著 2009.10 技術評論社)

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