私は1995年ごろから急激に視力が低下し、1997年には矯正視力が両眼とも0.6以下になりました。
しかも生まれつきの外斜視の私は、
「両眼立体視? なにそれ? おいしいの?」
状態です。「両眼立体視」という現象があることは知っていますが、体験したことはありません。
この時期、私の視力は、身体障害等級で視覚の6級に該当していたことになります。視覚障害6級の規定は、
「一眼の視力が0.02以下、他眼の視力が0.6以下のもので両眼の視力の和が0.2を超えるもの」 
ですが、私の場合は(現在も)「両眼の視力」ってものがありません。 

この時期も毎日、自転車で最寄り駅まで行き、勤務先の最寄り駅から勤務先までの交通量の多い道を通って通勤していたのですが、毎日がスリルとサスペンスでした。幸い、幼少時から音楽をやっていたせいか非常に鋭敏な聴覚を持っていた私は、得づらくなった視覚情報の多くを聴覚で補うことができたのですが、1996年ごろから、非常に「静か」な自動車が増加したため、それも難しくなりました。2車線の道路を横断しようとして、右から走ってくる自動車の音は気づいたのですが、左から走ってくる自動車の音が聞こえなかったために気づかず、轢かれそうになったこともあります。

余談ですけど、当時は応用物理学会員でしたので、「応用物理」 誌に、
「大会のときの会場案内とか、ポスター発表のフォントとか、もうちょっと考えてくれませんか」
という投稿をしたことがあります。本名の「三輪佳子」で検索すればすぐ見つかるかと。いやもうホントに困ってました。当時は、ちゃんと見えてる範囲が10メートル程度だったわけです。ここまで見えてないと、行動する上で結構困りますよ。知らない地域でまず案内表示を見つけて会場にたどりつくこと、会場にたどりついたら場内案内を見つけること、受付に到達すること……が一つ一つハードルでした。

論文など大量の書類を読む必要がある職務がら、視力は死活問題でした。1994年ごろから、ぼつぼつ出始めていた音声読み上げソフトのデモ版を利用することが結構ありました。そのためにLinuxを利用し始めたということもあったんですが、すると上司に警戒されたり妨害されたりするんですよ。「職場に良いものを最初にもたらすのは自分でなくてはならない」という思い込みが激しい人でした。1997年12月、仕事納めの日、私は「職場でLinuxを使うな」と言う上司(現・産総研)と大げんかをしました。「職務に関係ないから」というのが上司の口実でした。その一ヶ月後、上司のお気に入りの部下が「これからはPC-UNIX」と言い始めました。上司は満足気にうなづいていました。あ、そういうことだったのね。

障害者福祉については良く知らなかったんですが、
「障害者手帳を取得したら、この問題は少しは、自分のまだ知らない機械その他の力で解決するんじゃないか」
と思ったんですよ(6級程度だと白杖くらいなんですけど、そこまで「何もない」とは知らなかったんです)。それで、当時、斜視の経過観察でお世話になっていた眼科に相談してみたんです。
片眼しか使えないという状態、治るものなら治したいと思ったので、斜視を専門としている眼科医がいたその眼科に数年来通院していました。ドライアイもありましたしね。でも当時、斜視については既に
「矯正不能」 
という結論に達していました。両眼立体視の機能そのものがなく、訓練によっても、レンズにプリズムを入れることによっても無理、ということでした。
で、斜視で「両眼視」のできない人間には、いかに視力に問題がなくとも、一つ大きな問題があります。ほうっておくと優位眼(利き目)しか使わなくなって、もう片方の眼を使わなくなってしまい機能が低下するという問題。優位眼でない方の眼がヤバいことになっていないかどうかのチェックのために、数ヶ月に一回通院していました。
で、障害者手帳の取得について相談してみたら、「とにかく検査してみましょう」ということになりました。視力と視野は検査した記憶があります。他にもいろいろ検査されたような記憶がありますが、よく覚えていません。それまで何回か受けてきた斜視の検査に比べれば、時間もかからず大変でもなかったんじゃないかと思います。斜視の検査って大変なんですよ。気分悪くなって吐いちゃったりすることもあるし。
その視力検査が、未だにトラウマになってます。あんな検査のしかたされると思ってなかったから、こちらに「疑いをもってみられる」に関するレディネスがなかったんです。

数年来の顔なじみの看護師さんに、いつものように視力検査表を使った視力検査をしてもらいました。今までは、私がちょっと
「これは上かな? 下かな?」
と20秒ほど首をかしげていると、それは「見えない」とされました。で、たとえば0.5の段で2つほど「タイムアウト」だと、0.6の段は1つをテストして「点に見えます」と答えることになります。それ以上の検査はされませんでした。これが通常の視力検査だと思います。
でもその時の視力検査では、その「見えている」と言えるのかどうか微妙なあたりで、看護師さんが目を吊り上げて、
「よく見てください」
「輪に濃淡はありませんか、太さの違うところはありませんか」
という感じで、「淡いところがある」「細いところがある」と答えると、それは「見える」とされるのです。
いかに「見えてるか見えてないか微妙」を「見える化(笑)」されたところで、矯正視力は0.6を越えないわけなんですけど、
「こんな検査をされるんだったら、もう見えづらくて不便なままでいい」
と思い始めました。そして、障害者手帳の相談をしたことを、心から後悔しました。
0.6がアウトだったら、0.7以上が見えるわけないですよね? でもその時の看護師は、視力検査表の一番下まで
「見えませんか?」
と検査しました。ただのぼやけた点にしか見えないもの、なんか書いてあるのかどうかさえ判然としないものについて「濃淡は」「太さは」と聴かれることが数十回続いたわけです。

以後、私はその眼科には一度しか行っていません。結果を聞きに行っただけです。
その嫌がらせめいた視力検査によってさえ、視力に視覚障害6級レベルの問題があることははっきりしました。視野にも問題がありました。身体の状態的には、継続して視力検査を行って「障害の固定」とみなされれば、障害者手帳の取得は可能な状態でした。医師はそう説明しました。でも私は、もう、あの嫌がらせめいた視力検査を受けたくなかったんです。その間に障害者福祉について少し調べ、6級程度だと本当に白杖くらいしかないということも判明しましたし。
その後も視力は絶賛低下中でした。一番ひどいときは矯正視力が0.4くらいかそれ以下まで落ちてたかな? 2000年代に入ってから、別の眼科で検査を受けたことがあります。まだ歩けていましたから、2004年より前のことであろうかと思いますが。眼科医は私の視力を「ロービジョン」というものだと教えてくれました。そして「今、いろいろロービジョン用の補装具は開発されているから、それを使ったほうがいいんだけど」と言いつつ、「でも障害者手帳の取得はできるかどうか」と眼科医はうつむきました。私の眼には器質的な問題はなく、したがって視力低下に関する医学的な説明がつかず、その状態では障害者手帳は取得できないから、ということでした。一台数十万円という補装具を自腹で購入できるような経済力は私にはありません。私はWebカメラやパソコンを組み合わせて拡大読書器のようなものを作り、何とかしのぎました。パソコンのフォントは簡単に拡大できますから、あまり大きな問題になりませんでしたしね。お外で大変なのは、もう数年来のことでしたから。気にはなるし、大変は大変ですけど、どうにもならない「大変」ではないし。その状態で危険少なく、困惑少なく、日常生活を送ることに関して、もう10年に近いキャリア(笑)があったわけですし。単眼鏡を持ち歩いていれば、はじめての海外でさえ何とかなりました。
ああそうそう。当時の私は、見えてるふりをしなくちゃいけない場面が結構多かったんですよ。見えてないふりじゃなくて。専門学校や社会人向け技術教育を中心に、講師業をずいぶんやってましたから。それももう、2000年以後は慣れたものになっていました。それも日常的なことではありませんでしたしね。1990年代後半、勤務先では、私がロクに見えてないことを利用したイジメに日常的に遭ってましたけど、2000年後に退職した後に出会った人たちは、私の視力がそこまで悪かったことに最初から気づいてなかったんじゃないかと。イジメられたくなかったから、もう最初から弱みを見せなかったというわけです。ちなみにその1990年代後半の勤務先は、障害者支援技術に注力していることで知られている沖電気工業でした。「TEPS」のような場で出会う沖電気の技術者たちは良心的だし、「外面と内面が全然違う」とかいうこともなさそうだし、製品も良いものです。でも私はずっと、社会やエンドユーザとの関わりが非常に少ない半導体部門(現在はほぼ消滅しています)にいました。もしも私が障害者支援技術に関わっている部門にいたのだったら、そんな経験はしなかったのかもしれません。視力について開示して、必要な配慮をうけて普通に働けていたのかもしれません。でも未だ、障害者支援の場面で「沖電気」という社名を見かけると、その「沖電気」で自分が経験したことを思い浮かべて、なんとも複雑な気持ちになります。どちらも「沖電気」に違いはないので。
まあ、そんな経験してきてますので、今でも、もし「健常者同様に歩けるふり」が可能なら、とっくにやってるでしょうね(笑)……いやほんと佐村河内氏以後、くだらん嫌がらせに遭うことが増えてるんですよ。わざわざ近づいてきて偶然を装って車椅子を蹴っていくオヤジとか、同じくわざわざ近づいてきて不注意を装って頭に荷物ぶつけるババアとか。それまでは数日に一回あるかないかだったんですが(「たまに」でも問題ですけど)、今は「不特定多数の人のいる場に一日いれば、一日数回」という感じです。忘れっぽい日本人、さっさと佐村河内氏のことを忘れてくれたらいいんですけど、こういうことは忘れられないでしょうね。なにしろ「障害者を見たら疑え!」というお墨付きを「お上」が出したも同然なんですから。それはもう、よくよく日本人健常者多数によって記憶され、繰り返し利用され、日本の「ふつう」の習慣、空気のようなものになっていくんでしょうね、はぁ……。

2009年になって、私の視力に影響を与えていた原因が判明しました。現在も服用している向精神薬です。医学的にどう説明されるのかは分かりませんが、向精神薬の量と私の視力には相関があります。「CP換算」という向精神薬量の目安がありますが、これが50mgを超えると視力に影響が出ます。生活だけではなく仕事にも影響しますから、現在は、精神科医とも相談し、向精神薬はなるべく少量を必要な期間だけ、というふうにしています。
紆余曲折の末、信頼関係を作ることのできる精神科医に出会って減薬に成功したら、視力の問題が改善した……というわけだったのでした。現在はたぶん、1.0くらいはあるんじゃないかなあ? と思います。問題はむしろ、老眼が加わったせいか、近くがより見づらくなったことです。2006年ごろから、資格試験などのときには文字の拡大をお願いしてますよ。特に英語は、視力に問題のない方向けのサイズだと厳しすぎるので。洋書はだいたい買ってから「さて、どうやって読もうか」と慌ててます。電子書籍ばんざい。
眼科には「メガネが合わなくなった」と感じた時に、数ヶ月~1年に1回くらい行っているわけなんですけど、視力検査の結果は良く覚えてないんです。私にとって重要なのは、生活や仕事に支障がないかどうかであって、視力検査の結果の数字じゃありませんから。

なお、視力検査での応答時間をどう評価するかに関する問題は、いまだ研究対象になっている状態のようですね。たとえば、こちらの慶應の論文とか。