私を虐待していた母親は、同時に、私に対して「自殺はいけない」と言っていました。
肉体的にも精神的にも追い詰られ続けることが何日も続くと、私は「死にたい」と考えました。まったく自然な反応だと思います。 それは母親から見ても「死にたいと思っているのでは?」と感じられるものであったようでした。そういう時、母親は私に
「自殺はしてはいけない」
と言い始めるのでした。
最初は私が小学4年くらいだったでしょうか。最後は18歳くらいの頃だと思います。
高校卒業後の私は、もう原家族での自分の立場を少しでもマシなものにする可能性を考えていませんでした。なるべく早く、そこを離れることに注力していました。離れられたら、生き延びられるかもしれない。自殺や発狂に追い込まれずに済むかもしれない。その可能性に希望を託していました。 少なくともその期間は、「死にたい」と思う必要はありませんでした。「原家族を離れることに対する母親(+ときには父親)の妨害にどう影響されないか」は重大な課題でしたが。

母親によれば、私が自殺してはいけない理由は、以下のとおりでした。

・自分たち家族が、この家に住んでいられなくなる。家族に迷惑がかかる。
・弟妹が結婚できなくなる。弟妹の将来がメチャクチャになる。

 
確か1990年代後半、両親はセカンドハウスを手に入れました。つまり、どうしても私が育った家に住んでいなくてはならない理由はなくなったわけです。
2000年を過ぎた頃、9歳下の妹が、翌年に4歳下の弟が結婚しました。
弟の結婚式の後、私は
「ああ、これで私はもう自殺してもいいんだな、母親的には」
と思いました。 

弟が結婚した相手の女性は、立派な学歴と立派な職業を持っていました。2児を設けた現在も、職業はセーブしつつも継続していると漏れ聞いています。「漏れ聞いている」というのは、辛いのでお付き合いしていないからです。弟の妻に何かされたわけではないんですが、両親の弟の妻への態度と私への態度の違いが、あまりにも辛いので。
「イエ」「ヨメ」「長男」「長女」といった意識が強い両親ですが、「長男のヨメ」である弟の妻から職業を奪い取ろうとは考えなかったようです。それどころか、弟の妻の職業継続に対し、両親は充分以上の理解を示し、具体的な協力を提供し続けています。私の職業キャリア構築や職業継続、職業キャリアにつながる教育に対しては、まったくそうではなかったのに! 母親は私に対して全力で、専業主婦以外の何にもなれないように抑えこもうとしつづけていたのに! 
私は、弟の妻が結婚相手の両親から充分な理解を得ていることに対して、職業を持つ女性として喜びたいのです。「長男のヨメだから」といって職業や達成から遠ざけられるような目に遭っていないことを喜びたいのです。しかし喜べば喜ぶほど、自分の首が締まるという構造になってしまっています。その構造を作ったのは私ではありませんが。
では、弟の妻を憎むべきなのでしょうか。悲しむべきなのでしょうか。怒るべきなのでしょうか。「女の敵は女」と喜んで囃し立てるオヤジたちの姿を思い浮かべるまでもなく、そんな悲しいことはしたくありません。
だから、弟一家とは付き合わないことにしています。

弟が結婚した直後、母親は私に
「福岡に帰ってこれないのか」
と言うようになりました。つまり「ヨメ」に要求したいことがらを長男の嫁に要求したくないので、私にさせられるようにしたいということでしょう。長男の妻に対しては介護を要求しないが、介護の戦力が誰か必要なので、だったら長女に、ということでしょう。
私は再び、死にたいと考えるようになりました。両親から逃げ切るためには、他に方法がなさそうだからです。
両親の介護については、いつか持ち上がる問題であろうと十代の時期から考えていました。きょうだいが3人もいるのですから、もし話し合いが可能であれば、なんとかなるであろうとも考えていました(話し合いどころか付き合いもないのが現在の現実ですが)。
しかし、この時点での母親の要求に応じることは、とてもできないと思いました。具体的な介護をどうするか以前の問題として、母親のご都合主義とは付き合えないと思ったのです。

数年後、私に運動障害が発生しました。私は肉体的に、両親の介護の戦力にはなれなくなりました。
すると両親は、
「うちはもう(お前には)関係ないから」
と言い始めました。
また、2008年のことと記憶していますが、父親に
「いつまで生きるつもりだ」
と言われたこともありました。私は脳内で即座に「早く死んでくれたらいいのに」と翻訳しました。でも言われた言葉に言葉通りに反応しているふりをして
「寿命までは生きるつもりだけど」
と答えました。

今でも、母親がたびたび私に言い聞かせた自殺してはいけない理由と、父親の「いつまで生きるつもりだ」発言は、トラウマになっています。思い出して何度も泣きました。
いつまでも泣いていたいとは思わないし、これ以上、同じような目に遭いたくありません。
そこで、ここに記録しておくことにしました。