先日、発生生物学を専攻していた時期のある知人と会って昼食を共にしました。 
その知人は研究者そのものではありませんでしたが、数年前まで、とある国立大学の発生生物学の研究室に籍を置いて仕事をしていました。 
STAP細胞の一件が、まず研究の中身そのものからして全く理解できない私に、知人は自分のお古の教科書類をくれ たのでした。

知人は、

・STAP細胞研究の背景
・実際には何かが「出来ていた」可能性があり、
 その「出来ていた」背景に何らかの新規性があった可能性もあること
・渦中の研究者O氏は実際には何をした、あるいは何をしなかった可能性があるのか
・一連の騒動の背景には、どこの誰がどういう形で関与している可能性があるのか
・大学院重点化以後、特に「ゆとり」以後の、発生生物学分野での研究者教育の実情
・国立研究機関・国立大学法人での、特許など知的財産権に関する扱い 

などについて、2時間近くにもわたり、丁寧にレクチャーしてくれました。

あまりにも世界が違いすぎて「聞いてびっくり」な多数の話のインパクトを、私は未だ整理できていません。
私は少なくとも、研究といえば半導体しか経験がなく、しかも経験した研究の場が産学官共同プロジェクト・民営化以後のNTT・産学共同研究を積極的に行っていた大学教員の研究室・民間企業。つまり、ほぼ、よくも悪くも「企業文化」しか知らないわけです。
そのアナロジーでSTAP細胞問題を理解しようとして、私は大変な誤解をしてしまいかけていたのだということが良く分かりました。

一番腑に落ちた話は、
「今、研究室で指導らしい指導なんか行われていないし、指導が行える状況にもないから、若い人たちが勝手にオレオレルールを作ってしまう」
という話でした。その「オレオレルール」の延長上に、さまざまな研究上のルール違反を「悪いこととは思っていなかった」という渦中の研究者の発言があるのではないか、とも。 
その話を聞いて、驚き、かつ、ここ5年間くらいで若い人との間にあった不愉快な出来事を理解できる気がしました。不愉快であったり危険を被ったりしたこと自体は変わりません。相手がそのようなことを、まったく悪気なく行ってしまうことの背景が、おぼろげながら理解できてきたというだけの話です。しかしその理解は、若年層に対する不気味感や恐怖を少しだけ和らげてくれるように思えました。

「最近の若いものは」と言い出したら年寄りの証かもしれません。40代に入ったばかりの知人と、50代に入ったばかりの私が、そんなふうに若年層の生育・教育環境を話題にしていたということ自体が、知人も私も年寄りになったということなのかもしれません。
自分の知っている「若い時」「若い人」からのアナロジーで現在の若年層を考えること自体が、すでに多大な危険性を含んでいるようです。 知人の話を聞いて、そのことだけは良く分かりました。
私は幸いにして、子どもがいません。教育職についているわけでもありません。若年層の行動に対し、自分自身が責任を問われる立場にはありません。
当分は、若年層に対して「なるべく近寄らない」「なるべく接触しない」「慎重に観察する」という態度でいようと思います。
そのうちに、互いに安全な付き合い方を見つけることくらいなら、可能かもしれません。