ここ数日、近未来に自分が生きていけなくなる可能性で頭がいっぱいです。
障害認定を今より厳しくする動きは、厚労相が、既にいろんな障害で始めてます。佐村河内氏事件の何年も前から。精神障害については少なくとも10年前から。厚労省は、そりゃ「適正化」としか言いません。でも、私から見れば、生きていけなくなる人・生きていくことが厳しすぎる状況になる人を増やすことが、厚労省の「適正化」です。今だって、日本で障害者手帳を取得している公認の障害者比率の少なさは、異常です。
佐村河内氏は聴覚障害について、厚労省の「適正化(自称)」に絶好のお墨付きを与えてしまっただけでしょう。
たぶん他のどの障害にも、同じ流れはやってきますよ。何年先に、誰の、何が、どのような形で格好の理由に使われてターゲットになるかだけの違いかと。
もしその流れがどうしても来てしまうものであれば、私は障害が重くならない限りは、近未来に生きていけなくなるんじゃないかと恐れています。そんなことを考えながら仕事はできません。
というわけで、障害と一応関係ないエントリを書く努力をしてみます。

「リケジョ」という言葉が、数年前に発明されたようです。理系女子を指してリケジョ。
高校卒業以後ずっと理科系のコースにいて、最終学歴がまぎれもない理科系の大学院博士後期課程(単位取得退学)である私は、傍から見れば「年食ったリケジョ」ということになりそうです。
というわけで、当事者からみた「理系女子」について書いてみます。
 
●自分が理系であることを意識する機会は、非常に少ない

「え?」と思われそうですけど、理系のコースに進んでしまうと、周囲は男女含めて理系ばっかり。だから、ことさらに「自分は理系」と意識する機会は少ないんです。男女とも。
総合大学で、部活などで他学部とのお付き合いが多い場合はまた違ってくるのかもしれません。けれども特に体育会系部活の場合、理系だけのリーグといったものがあるんです。実験等で授業の拘束時間が長く、したがってトレーニング時間が少なくなりやすい理系が、特別に不利にならないために用意される試合の機会です。また、実験スペース等の都合により「理工系学部だけ別の地域に」という大学も少なくありません。すると部活やサークルも、理系ばっかりの世界で行われることになります。

●「理系だから」就職しやすいわけではない

「理系は就職しやすい」という誤解があるみたいです。確かに、就職実績の悪くない大学・学部が多いかとは思います。でも「理系だから」就職しやすいというわけではなく、「手に職」「身についたスキルがある」「スキルを身につけた経験がある」を買われている場合の方が多いんじゃないでしょうか。その機会は、大学では文系より理系の方が確かに多いかな? とは思います。理系で自然に学生生活やってれば、ある程度はそういう機会に恵まれやすい面が確かにあります。たとえば、学生実験は大学生に向けたレベルといえども、「手に職」の訓練に近いところがありますしね。

●「理系だから」女子を楽しみにくいわけではない

私は物理学科でしたから、女子は少なかったです。3%とか5%とか。7%いれば多い方と感じます。でも、その少ない女子どうしは、たいていは良好な関係を保っていることが多かったと記憶しています。
もちろん、同学科の同学年で同クラスだからといって仲良くできるとは限りません。相性、好き嫌いはあります。でも、そもそも人数が少ないので、上や下の学年とも知り合ったり仲良くなったりしやすいんですよね。私、大学時代に、今でいう「女子会」を何回か開催したことありますよ。学年関係なく、OGにも来てもらって、楽しく和やかな時間を過ごしました。
ただ、当時(約30年前)の東京理科大では、「女子だけ集まって何の話するんだよ?」と中止させたがったり覗きに来たがったりする男子学生が数名出現しました。「男の悪口で盛り上がるんだろう」とでも邪推してたんでしょうか? 「集まりたいどうしが集まって飲んで話して何が悪いの?」と追っ払いました。あとでちょっとだけ、私が嫌がらせに遭うようなことはありましたね。

●「理系女子だから」共通の悩みごとがあるわけではない

入試に数学があるという理由で「理系」でくくられる多様な学科には、専攻内容・女子比率など多様な違いがあります。女子の多い薬学部と、女子あんまりいない理学部物理学科では、たとえば同じように「同じクラスの女子との付き合い方で悩んでいます」と女子がいう場合、悩みごとの内容が全然違ってきて当然ではないかと。

●「理系女子だから」男子選び放題というわけではない

よくある誤解に、
「理系で(しかも物理学科なんぞで)女子が少ないんだったら、周囲は男性ばかりで、よりどりみどり(だった)でしょう?」
というものがあります。
これについては、経験者が一人ひとり、違うことを言う場面かと思います。
「周囲を恋愛したい・やりたいさかりの若い男性に取り囲まれていて、振り払うのが大変だった」
「ネクラなヲタク男ばっかりで、恋愛対象として見られる男子学生がほとんどいなかった」
「同じクラスの男子学生は、早々に学内で(同じ学科・同じクラスで)相手を探すことを諦めて、女子大と合コンしてる。だから同じクラスの女子学生には声がかからない」
などなど。
いずれにしても、男女比がアンバランスな状態はあまり良いことではありませんけどね。

●「理系女子だから」男子学生と恋愛しやすくて嬉しいわけではない

あまりにも女子が少ないと、確率の問題で、やはり「身近の同じクラスの女子と恋愛がしたい」という男子学生は現れやすくはなります。いやもうこれに関しては、私、トラウマがいっぱいで。いずれ全部書きたいと思いますが。私は自分の人生のために大学に進学して勉強してるわけで、男子学生の恋愛の相手になるためにそこにいるわけじゃないですよ。で、私に近寄ってくる男子学生は恋愛の相手に「かわいげ」「自分の上手に立たない」といったことを求めがちでしたから、さらに迷惑でした。大学院進学を全力で妨害されたりとか(でも進学しましたけど)。男子学生は恋愛したいかもしれない。女子学生が少なければ恋愛の機会自体は多いかもしれない。でもそれは、少しも幸せだったり嬉しかったりする状況じゃないんです。

●「理系女子だから」何なのよ?
 
人を「理系女子」で束ねて、その「理系女子」にイメージを抱くのはその方の自由ですが、そのイメージに当人たちがお付き合いしなくてはならない理由はありません。「理系女子、だから何?」と言いたくなります。

●こういうことが言える時代になって、よかった!
 
20代前半のころ、ほんっと辛かったんですよ。
もし当時「リケジョ」という言葉があったら、どんなに、その言葉とイメージに責めさいなまれたことだろうかと思います。「リケジョ」という言葉のない時代に女子学生やっててよかったです。
大学1年・2年くらいのときには、夏休みには実家に帰省していたりしてたんですが、すると
「東京で女子大生やっていて、しかも物理学科で男ばっかりに囲まれている」
ということに勝手なイメージを抱いてふくらませている親類のオバサンたち(後記:特にそういうことを言い立てるのは、父親の弟の妻一人でしたけど、なにしろ、その問題の叔母との接触の機会が非常に多かったのです)と接触せざるを得なくて。 
親類のオバサンたちは、自分のイメージと違うことを私がいうと、
「うそぉ!」
「そんなことがあるわけない!」
「(私の母親を呼んで)ちょっとちょっと、何か隠れて悪いことしてるみたいよ」
などと大騒ぎするんですよ。 でも、オバサンたちの多くが期待しているのは
「東京で女子大生やっていて、周囲は男子学生ばかりで、選び放題で、ちょっと恋愛して遊んだりとかしてて、なんてふしだらな、羨ましい」
と言った返事だったようですから。
私の方は、オバサンたちが期待するような意味で「遊ぶ」ヒマは全然なかったんですよ。勤労学生だったし、大学院進学か国家公務員試験を目指しつつも、好きで得意な何かを早く収入に結び付けられないかといろいろ努力してたし。夜遅くなるとしたら、
「実験が夜9時に終わって、それから部活、夜10時半に大学を出て、それから食事したり銭湯に行ったり洗濯したり、午前1時に帰宅して寝る」
といったことだったので。
それをそのまま答えたら、「ウソぉ!」と全否定されたわけです。あんまり辛いので、大学3年以後、仕事等を理由にして、一度も夏休みに実家に帰っていません。 
それから30年近くの時間は必要でしたが、今、こういうことを言えるようになって、本当によかったと思っています。