生活保護に関連して多数の記事・書籍一冊を書いてきている私ですが、生活保護費の不正・不適切受給を主たる題材とした記事は、過去に一本も書いていません。

既存の書籍をざっと整理してみます。

・生活保護費の不正・不適切受給を重大な問題とする立場からの書籍


・生活保護費の不正・不適切受給を重大な問題とはとらえない立場からの書籍


・中間的な立場の書籍
 

中間的な立場の書籍の少なさが気になります。
「ここがもう少し充実しないと」と思います。
それはさておき、私自身が不正受給について「ほとんど」と言って良いほど書いていない理由は、主に以下の3点です。
知らないわけではありません。不正受給をしている生活保護当事者と接触したことがないわけではありません。
まったく問題でないとも思っていません。
しかし、自分が書くこと、記事化が可能なレベルにまで取材をおこなうことに意味が感じられないのです。

●仕事の内容が事件報道になってしまう

車椅子使用者の私は、健常なライターに比べると移動の手間・時間・機動性などに関して、やはりハンディキャップを負っています。時間も費用も余分にかかるわけですから。
その「余分にかかる」が自分の不利につながらないように、可能であれば有利になるように仕事を組み立てることは可能なのですが、不正・不適切受給報道は、どう考えてもそういうタイプの仕事になりません。
遠隔地に行くのでなく、「現場は隣町のアパートで」というのであっても事情はあまり変わりません。「エレベータのない3F」とかいう時点で、私のアクセスは実質的に阻まれることになります。
不正・不適切受給を報道するとき、「現場に行ってみる」を省くことは不可能です。たとえそれが、どんなに変哲のない古びたアパートであるとしても。
しかも私は取材の内容やアウトプットに関して、「障害者だから」「ハンディキャップがあるから」といって有利に評価されるわけではありません。 読者にそんなことを要求した時点で、プロのライター失格でしょう。
だから、障害が自分の不利に働いてしまう内容の仕事は、最初からすべきでないのです。 

●差別化要因にならない

生活保護費の不正・不適切受給に関しては、多くの報道関係者が、さまざまな形で報道を行っています。
同じことを、より不利な条件で自分がやることには、自分が著述活動を続けていく上で、どのようなメリットも見当たりません。

●そこに 生活保護当事者の「典型」「本質」はない

生活保護費の不正・不適切受給は、金額でみても件数でみても「非常に少ない」としか言いようがありません。
一件あたりの金額が大きい場合、多くは生活保護当事者よりも行政側に問題があります。
摘発体制を強化すれば、さらに多くの不正・不適切受給が見つかるのかもしれません。でも、現在のところまでの厚労省のデータから判明するのは
「摘発体制を強化したら件数は増えた。一件あたりの金額は減少した」
です。さらに、
「収入申告の義務を教えられていなかった高校生などが、アルバイトを申告せずにいたところ、最初から不正受給扱いされた」
というケースが増加していたりします。
不正は不正かもしれませんが、まったく悪意のないケースの場合、これまでは
「もらいすぎた分は返してください」
という適用(生活保護法63条)がされ、繰り返される場合・エスカレートする場合に不正受給扱いされるのが通常でした。道路交通法の「ネズミ捕り」じゃあるまいし、という感じもするところです。
もしかすると、その「不正な不正受給化」「不適切な不適切受給化」を除くと、件数の増加すらなかったりするのかもしれません。
それに「ノイズ」「外れ値」「例外」といったものをどれだけ見つめていたところで、全体で何が起こっているかに気づくことはできません。あくまで、ノイズ・外れ値・例外の傾向が見えてくるだけです。
私は、そこに大きな意味があるとは思えないのです。
不正・不適切受給は、あるべきではありません。ないことが望ましいとも思います。しかし、完全になくすために必要な多大なリソース(少なく見積もっても、過剰に受給される保護費の3倍程度)を考慮したとき、そこにリソースを集中させる意味があるとは思えません。
必要なのは、若干はどうしても入ってきてしまうノイズや外れ値や、例外だから例外として処理すればよい例外のようなものを「なくす」という非現実的な努力ではなく、
「あっても困らない(そもそも、他人がトクやズルをしている可能性が気になってしかたない精神状態って、健全じゃないですよ)
「最初から発生しない(たとえばBIに「不正受給」はないです)
といった現実的な制度設計なのではないでしょうか。
私はそちらには、大きな意義があると考えています。

不正・不適切受給に関する報道は、問題にし、関心を集め、広く知らしめることに意義があると考える方がおやりになるべきです。それは私ではありません。 
行政が重要な役割を担って行われた不正受給(福岡県中間市・大阪府河内長野市など)に関しては、背景も含めて、徹底した検証が必要だと考えています。それに関しては、「可能であればやりたい」という気持ちがあります。
しかし私には、今、生活保護制度の後退を食い止め、日本全国民の生存・生活の基盤を維持することの方が、はるかに優先順位の高い課題に見えるのです。だから、本格的に着手することはできずにいます。

というわけで、私は不正・不適切受給を問題にする機会を持てないままでいます。
現状とその流れを見ると、たぶん、ずっとこのままではないかという気がします。