私が学部と修士でお世話になった東京理科大(神楽坂キャンパス)と、早稲田大学理工学部は、まあ距離的には近いといえば近い距離にありました。
ちなみに、東京理科大野田キャンパスでささやかれていた冗談に
「飯田橋駅前の交番で『理科大どこですか』と聞いて、指差された方向に進んでいった。進めども進めども大学らしいものは見えてこない。そのうちに早稲田大学に着いた」
というものがありました。雑居ビルの集まりに見えてしまう理科大神楽坂キャンパスをからかっていたわけです。
もちろん逆襲もありました。
「野田キャンパスのトイレには水とお湯ともう一つ蛇口があって、ひねったら醤油が出てくる」
とか
「そこの古利根川を醤油が流れてる」
とか。
さて。私には、早稲田大学理工学部に関する、2つの強烈な経験があります。
特に、早稲田理工の出身者に親しくしている人がいるわけでもない私は、この2つの経験から、私は「子どもが早稲田理工に行ってます」という親を警戒するようになりました。
その一
1985年ごろのことです。
仕事帰りの私が、飯田橋の蕎麦屋「翁」で夕食に蕎麦を食べていたところ、サラリーマン二人連れと相席になりました。
二人連れは晩酌をはじめました。そして、一人が私にからみはじめました。
「理科大の女の子は乱れてるんでしょ? 男選び放題で」
とか。
そのオヤジの息子は早稲田大学理工学部に入学したところなのだそうでした。その自慢話をさんざん聞かされた後、私はビールを勧められました。でも、私はそれから大学で授業を受けるのです。
「これから授業ですから」
と断ると、
「そんなことでは世間で許されない」
と説教されました。
私は、からむオヤジをふりほどき、やっとのことで席を立ちました。お店の人が恐縮して、蕎麦代を無料にしてくれました。
その二
私が会社員だったころ、結婚を考えて付き合っていた同僚がいました。
1997年、相手のご両親に挨拶しました。
ご両親はどちらも中卒で、大変な苦労をして同僚と妹さんを育てられ、同僚を福岡県立の進学校から早稲田理工へと進学させたのでした。
最初の一回や二回、お父様の
「息子はT高校から早稲田大学理工学部に」
という話は、
「ああ、本当に嬉しかったんだなあ」
と共感しながら聞くことが出来ました。しかしその後何百回聞くことになったかわかりません。壊れたレコードみたいに。苦痛でしかありませんでした。
だいたい、早稲田大学理工学部キャンパスに行って若い人に石を投げれば、ほぼ100%が早稲田理工の学生さんたちにに当たるでしょう。
ご両親にとっては特別なできごとでも、研究職であった同僚や私にとっては、ありふれた学歴の一つです。
しかし、そのことをご両親にご理解いただくことは可能とは思えませんでした。
そのうちにご両親の態度には、
「自分たちは中卒であるが、早稲田大学理工学部を卒業した息子の両親として、息子より上の学歴を持つこの女をヨメとして虐げることができる」
という喜びが感じられるようになりました。私は露骨にヨメ扱いされ、職業継続に関する協力は何一つ受けませんでした。妨害ならされましたけど。
同僚と私、それから二匹の猫で作っていた当時の家庭は、いつも人間同士の争いが耐えませんでした。ときに仲裁を試み、ときに弟猫の悠(1998生-2013歿)を安全な場所に連れて行ってなだめてくれていた姉猫の摩耶(1997生)に、今でも感謝しています。摩耶、ありがとう。
1999年、同僚の方から「終わりにしよう」と切りだされました。望むところでした。私は別れる手続きを嬉々として始めました。すると同僚は顔色を変えました。間もなく、周囲の人々多数から、私は「離婚しないように」という圧力をかけられるようになりました。同僚が依頼したようです。この時に私に圧力をかけた人々を、私は未だに許していません。なかには、未だに西荻窪地域コミュニティで顔を合わせる機会のある人もいます。顔を合わせれば挨拶くらいはします。でも許していません。それから、「この人、男より猫の方がいいんだよ」と言った酒屋店主。ヒモ男より猫のほうがいいに決まってるじゃないですか。
当時の同僚は会社に出勤できず引きこもっていました。文筆業で収入を得て一家の家計を支えていたのは私でした。同僚は、仕事があって活躍できている私に嫉妬をぶつけました。周囲の人々は、「夫を立てないから夫がダメになる」「夫に優しくしないから夫がダメになる」と私に説教しました。ヒモを立てろと言われてもねえ。
そのうちに同僚は、酒と薬でラリって刃物を振り回したりするようにまでなりました。猫たちも私も傷つかなかったのは不幸中の幸いでした。そんな状況でも、私の父親は「食事を作って食べさせてやらないからいけない」とか私に言っていましたよ。刃物まで出てきているというのを知ってはいただろうと思うのですが。
私は苦心の末、2001年に同僚と別れることに成功しました。
そして2013年のことです。
企業時代に9年間、私の一次上司(現・産総研)だった人物の息子さんが、日比谷高校から早稲田理工に進学していた事を知りました。
私はこの息子さんに、いつか、「あなたのお父さんが私や他の何人かの人に何をしていたか」を聞いて欲しいと思っていました。この人物は、いわゆる「クラッシャー上司」でした。何人もの人が潰され、会社を追われました。真面目で優秀な中堅だった20代男性が精神を病まされ、その後定職にもつけないままであったり。30代で妻子との生活のために家を買ったばかりの時期を狙って集団イジメを仕掛けられ、遠隔地への転勤を強いられた男性もいました。そして私も凄まじいパワハラに遭いました。
私はいつか、この息子さんに、私が、同僚たちが、お父さんに何をされたかを話したかったのです。お父さんが会社で話していた子煩悩ぶりがどのようなものであったかとともに。
しかし、そう思っているうちに、今回のSTAP細胞騒動が起こりました。早稲田理工では当たり前なのかどうかまでは分かりませんが、かなり大規模に、論文等でのコピペが行われていたという話に接して呆れました。大学で特別な倫理教育を施さなければ防止できないことであるとも思えませんが。
私は、この息子さんに対して、
「ああ、早稲田理工だったら、言ってもきっと何も通じない。倫理的であることなんか求めてもムダ、ましてやあのお父さんの息子なんだし」
と考えることにしました。そして、この息子さんに将来「あなたのお父さんは……」と話す計画は、実行しないことにしました。本気で、早稲田理工に倫理を求めてはならないと考えているわけではありません。ただ、
「30年近く前の、ご本人には責任のとりようのないお父さんの行状を息子に話す」
という生産性ゼロの行為の準備をやめるきっかけと理由を、私はどこかで探していました。今回のSTAP細胞騒動は、その格好の理由を提供してくれた、というわけです。そして、「特別な倫理教育が必要なわけでもないはずのことを早稲田理工では博士課程の院生までやらかしてしまう」ということの理由を「早稲田理工に子どもを行かせる親にそもそも問題が」に求めておけば、ひと通りのツジツマは合います。まあ、私自身、本気で「早稲田理工に子どもを行かせる親に問題が」と思っているわけではないのですけれども。
現在、早稲田理工にはあまり良いイメージを持っていない私ですが、私には早稲田大学(元)教職員の友人知人が何人もいます。 でも、その方々は、たまたま(元)勤務先が早稲田大学というだけ。勤務先が早稲田大学だからお付き合いしているわけではありません。みんな優秀で良心的な方々です。
STAP細胞騒動は、いい機会だったと思います。
「ますます、大学のハクなどに惑わされずに人物を見なくちゃね」
と肝に銘じる機会になりました。
とりあえず、子どもが早稲田理工に行っているという親御さんに対しては、引き続き警戒を続ける必要を感じています。たった2例・3人ではありますけれども、子どもの通っている大学のハクの使い道を思いっきり勘違いした親御さんを見ていますから。そういう親御さんでないことが明確になるまで距離を縮めないようにしないとね。
ちなみに、東京理科大野田キャンパスでささやかれていた冗談に
「飯田橋駅前の交番で『理科大どこですか』と聞いて、指差された方向に進んでいった。進めども進めども大学らしいものは見えてこない。そのうちに早稲田大学に着いた」
というものがありました。雑居ビルの集まりに見えてしまう理科大神楽坂キャンパスをからかっていたわけです。
もちろん逆襲もありました。
「野田キャンパスのトイレには水とお湯ともう一つ蛇口があって、ひねったら醤油が出てくる」
とか
「そこの古利根川を醤油が流れてる」
とか。
さて。私には、早稲田大学理工学部に関する、2つの強烈な経験があります。
特に、早稲田理工の出身者に親しくしている人がいるわけでもない私は、この2つの経験から、私は「子どもが早稲田理工に行ってます」という親を警戒するようになりました。
その一
1985年ごろのことです。
仕事帰りの私が、飯田橋の蕎麦屋「翁」で夕食に蕎麦を食べていたところ、サラリーマン二人連れと相席になりました。
二人連れは晩酌をはじめました。そして、一人が私にからみはじめました。
「理科大の女の子は乱れてるんでしょ? 男選び放題で」
とか。
そのオヤジの息子は早稲田大学理工学部に入学したところなのだそうでした。その自慢話をさんざん聞かされた後、私はビールを勧められました。でも、私はそれから大学で授業を受けるのです。
「これから授業ですから」
と断ると、
「そんなことでは世間で許されない」
と説教されました。
私は、からむオヤジをふりほどき、やっとのことで席を立ちました。お店の人が恐縮して、蕎麦代を無料にしてくれました。
その二
私が会社員だったころ、結婚を考えて付き合っていた同僚がいました。
1997年、相手のご両親に挨拶しました。
ご両親はどちらも中卒で、大変な苦労をして同僚と妹さんを育てられ、同僚を福岡県立の進学校から早稲田理工へと進学させたのでした。
最初の一回や二回、お父様の
「息子はT高校から早稲田大学理工学部に」
という話は、
「ああ、本当に嬉しかったんだなあ」
と共感しながら聞くことが出来ました。しかしその後何百回聞くことになったかわかりません。壊れたレコードみたいに。苦痛でしかありませんでした。
だいたい、早稲田大学理工学部キャンパスに行って若い人に石を投げれば、ほぼ100%が早稲田理工の学生さんたちにに当たるでしょう。
ご両親にとっては特別なできごとでも、研究職であった同僚や私にとっては、ありふれた学歴の一つです。
しかし、そのことをご両親にご理解いただくことは可能とは思えませんでした。
そのうちにご両親の態度には、
「自分たちは中卒であるが、早稲田大学理工学部を卒業した息子の両親として、息子より上の学歴を持つこの女をヨメとして虐げることができる」
という喜びが感じられるようになりました。私は露骨にヨメ扱いされ、職業継続に関する協力は何一つ受けませんでした。妨害ならされましたけど。
同僚と私、それから二匹の猫で作っていた当時の家庭は、いつも人間同士の争いが耐えませんでした。ときに仲裁を試み、ときに弟猫の悠(1998生-2013歿)を安全な場所に連れて行ってなだめてくれていた姉猫の摩耶(1997生)に、今でも感謝しています。摩耶、ありがとう。
1999年、同僚の方から「終わりにしよう」と切りだされました。望むところでした。私は別れる手続きを嬉々として始めました。すると同僚は顔色を変えました。間もなく、周囲の人々多数から、私は「離婚しないように」という圧力をかけられるようになりました。同僚が依頼したようです。この時に私に圧力をかけた人々を、私は未だに許していません。なかには、未だに西荻窪地域コミュニティで顔を合わせる機会のある人もいます。顔を合わせれば挨拶くらいはします。でも許していません。それから、「この人、男より猫の方がいいんだよ」と言った酒屋店主。ヒモ男より猫のほうがいいに決まってるじゃないですか。
当時の同僚は会社に出勤できず引きこもっていました。文筆業で収入を得て一家の家計を支えていたのは私でした。同僚は、仕事があって活躍できている私に嫉妬をぶつけました。周囲の人々は、「夫を立てないから夫がダメになる」「夫に優しくしないから夫がダメになる」と私に説教しました。ヒモを立てろと言われてもねえ。
そのうちに同僚は、酒と薬でラリって刃物を振り回したりするようにまでなりました。猫たちも私も傷つかなかったのは不幸中の幸いでした。そんな状況でも、私の父親は「食事を作って食べさせてやらないからいけない」とか私に言っていましたよ。刃物まで出てきているというのを知ってはいただろうと思うのですが。
私は苦心の末、2001年に同僚と別れることに成功しました。
そして2013年のことです。
企業時代に9年間、私の一次上司(現・産総研)だった人物の息子さんが、日比谷高校から早稲田理工に進学していた事を知りました。
私はこの息子さんに、いつか、「あなたのお父さんが私や他の何人かの人に何をしていたか」を聞いて欲しいと思っていました。この人物は、いわゆる「クラッシャー上司」でした。何人もの人が潰され、会社を追われました。真面目で優秀な中堅だった20代男性が精神を病まされ、その後定職にもつけないままであったり。30代で妻子との生活のために家を買ったばかりの時期を狙って集団イジメを仕掛けられ、遠隔地への転勤を強いられた男性もいました。そして私も凄まじいパワハラに遭いました。
私はいつか、この息子さんに、私が、同僚たちが、お父さんに何をされたかを話したかったのです。お父さんが会社で話していた子煩悩ぶりがどのようなものであったかとともに。
しかし、そう思っているうちに、今回のSTAP細胞騒動が起こりました。早稲田理工では当たり前なのかどうかまでは分かりませんが、かなり大規模に、論文等でのコピペが行われていたという話に接して呆れました。大学で特別な倫理教育を施さなければ防止できないことであるとも思えませんが。
私は、この息子さんに対して、
「ああ、早稲田理工だったら、言ってもきっと何も通じない。倫理的であることなんか求めてもムダ、ましてやあのお父さんの息子なんだし」
と考えることにしました。そして、この息子さんに将来「あなたのお父さんは……」と話す計画は、実行しないことにしました。本気で、早稲田理工に倫理を求めてはならないと考えているわけではありません。ただ、
「30年近く前の、ご本人には責任のとりようのないお父さんの行状を息子に話す」
という生産性ゼロの行為の準備をやめるきっかけと理由を、私はどこかで探していました。今回のSTAP細胞騒動は、その格好の理由を提供してくれた、というわけです。そして、「特別な倫理教育が必要なわけでもないはずのことを早稲田理工では博士課程の院生までやらかしてしまう」ということの理由を「早稲田理工に子どもを行かせる親にそもそも問題が」に求めておけば、ひと通りのツジツマは合います。まあ、私自身、本気で「早稲田理工に子どもを行かせる親に問題が」と思っているわけではないのですけれども。
現在、早稲田理工にはあまり良いイメージを持っていない私ですが、私には早稲田大学(元)教職員の友人知人が何人もいます。 でも、その方々は、たまたま(元)勤務先が早稲田大学というだけ。勤務先が早稲田大学だからお付き合いしているわけではありません。みんな優秀で良心的な方々です。
STAP細胞騒動は、いい機会だったと思います。
「ますます、大学のハクなどに惑わされずに人物を見なくちゃね」
と肝に銘じる機会になりました。
とりあえず、子どもが早稲田理工に行っているという親御さんに対しては、引き続き警戒を続ける必要を感じています。たった2例・3人ではありますけれども、子どもの通っている大学のハクの使い道を思いっきり勘違いした親御さんを見ていますから。そういう親御さんでないことが明確になるまで距離を縮めないようにしないとね。