みわよしこのなんでもブログ : 料理

みわよしこのなんでもブログ

ライター・みわよしこのブログ。猫話、料理の話、車椅子での日常悲喜こもごも、時には真面目な記事も。アフィリエイトの実験場として割り切り、テーマは限定しません。


料理

ナスの皮を美味しく食べる方法

今朝の朝食。
左下:三分づき米+アマランサスのご飯
右下:鳥手羽元と豆腐のスープ
左上:アボカドとトマトを刻んで混ぜたもの
右上:ナスの皮・青じそ・ミョウガの和え物
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右上の一皿。
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こんなふうに作りました。
  • ナス2個の皮を剥き、刻み、塩をまぶして数分。
  • 塩を洗い流して水気をよく絞り、ひたひたの三杯酢に3分ほどひたす。
  • 削り節2グラムほどを加え、ナスに吸われなかった三杯酢を吸収させる。
  • 大葉3枚、ミョウガ1個を刻んで混ぜる。
塩漬けされたナスの皮、刻んだだけの生の大葉とミョウガが調和して、爽やかな風味でした。

 

本ブログに料理メモを書いている理由

「みわちゃん・いんふぉ」は最近、ほとんど料理ブログと化しております。
 世には既に、数多くの料理ブログがあり、飽和状態です。
料理のノウハウやレシピを提供する目的で料理ブログに参入し、それなりの結果を出せたら、もう「偉業」というべきでしょう。
私は、ノウハウやレシピの提供を目的として料理の話を書き始めたわけではありません。その路線で結果を出すのは私には無理だろうと思いますしね。

書き始めたきっかけは、STAP細胞問題で研究者のノートへの注目が集まり、誤解も広まったからです。
紙のノートである必然性はありませんし、冊数も使用するノートのタイプも書き方も、「これでなくては」という基準があるわけではありません。
実験や研究が必要かつ充分に記録されていればよく、そのためには最初から研究用に作られたノートが都合よい、誰にとっても目的を果たすような方法にしたがって記録するのが都合よい、というだけの話。

しかしSTAP細胞問題は、実験ノート・研究ノートへの誤解のみならず、「実験屋の仕事」への誤解を世の中に広めているように思えます。
実験屋は、指示されたように手を動かすだけの労働力ではありません。「ピペド」と呼ばれる人々の存在や、労働力をふんだんに提供する「ポスドク問題」「大学院問題」はありますが。
私自身、筑波大時代の元指導教員に「言われたことだけやってりゃいいんだよ」と言われたことがありますけれども。
実験研究は、実験をやれば出来るようなものでもありません。
STAP細胞問題の背景には、「ピペド」に代表されるポスドク問題・大学院問題があります。大学教育にも研究機関の体制や採用プロセスにも、問題がなかったとはいえないでしょう。さらにファッション、お化粧、「オヤジ殺し」スキルなど数多くの問題が絡んでいるようです。

私は「実験屋の仕事」の中身を理解する手がかりを提供したいと思いました。
私自身、発生生物学の実験ノート見せてもらったってワケワカですから。
でも料理好きな人になら、料理の実験ノートならば「実験屋のアプローチ」「実験屋の考え方」といったものが何となく伝わるんじゃないかと。
それに、ほぼ毎日料理していて、小さくとも新しい知見や発展は毎回得ているわけです。それを記録して公開したら、誰かの役に立つかもしれないという思いもあります。人間の家族がいない私は、「食べてもらって家族の反応を見る」ができません。自分で作って自分で食べて自己満足する世界で閉じてしまうのは、ちょっとさびしいんですよね。
それに、人間に目の前で「美味しくない」と言われるのは非常に辛いものがあります。18歳のとき、作った味噌汁を母親が目の前で「まずい」とつぶやいてひっくり返したこと(他の家族は不満を言わずに食べていました。少なくとも、捨てるほど不味いものではなかったのだろうと思います)、2回の事実婚の相手がどちらも料理に関しては、両方フルタイム勤務の共働きなのに「作ってもらえて当たり前、自分好みにしてもらえて当たり前」というタイプの男だったことなどがトラウマになってもいます。

料理メモの公開だったら、そういう結果につながらない分だけ、いくらか安心です。
「他人の実験メモ、参考になることもならないことも、あって当然」
と割りきって読んでいただくことが、最もありがたいです。 

台所のありあわせで作ってみた「ボロ布のスープ」(チーズなし)

朝、むらむらと「ボロ布のスープ」が食べたくなりました(参考:クックパッド)。
しかし、必須と思われるチーズがありません。
台所にあった食材をテキトーに組み合わせて似て非なるものを作ってみたところ、
「オリジナルじゃないけど、これはこれでいいか」
という感じに美味しくできたので、記憶している範囲で記録しておきます。
  • 材料
 水300cc、粉末ガラスープ(化学調味料不使用の生協仕様を常備)小さじ2/3杯程度、味噌小さじ1/4杯程度、パン粉大さじ1.5杯程度、卵1個、パセリ1茎(茎と葉を分けてハサミで刻んでおいた)、黒胡椒(ミル15回転程度)
、おろしニンニク(瓶詰め)小さじ1杯
(いちいち「程度」がついているのは、よく覚えてないし真面目に計ってもいないから。味見しながら微調整。参考

  • 作業記録
  1. 水を沸かし、粉末ガラスープを溶かす。味の濃さの目安は、吸い加減よりやや濃く。いかにも「粉末ガラスープの味そのまま」というのはヤなんだもん。おろしニンニク小さじ1とパセリの茎部分を加え(葉との火の通り方の違いをここで埋めておく)、さらに味噌を加える。発酵した何かの風味はするけれども「味噌味」とまで判明しない程度の量が目安。塩味が味噌で決まったので、それ以上の小細工はしなかったけれども、塩味不足を感じたら醤油ではなく塩で調整したと思われる。ついで、パン粉の半量を投入してかき回す。つまり、チーズの欠落を、味は味噌でトロミはパン粉でなんとかしようと。成功したようす。
  2. パン粉の残り半量と生卵(全卵)をよく混ぜ、黒胡椒を挽き入れる。胡椒を直接スープに入れると揮発成分が飛んじゃうから、卵のタンパク質の中に閉じ込めて口の中で風味がごく小さい爆発を繰り返すように、という魂胆。これもチーズのトロミと旨味の欠落を補うために試してみた。成功したようす。
  3. スープを箸先で激しくかき回しながら卵液を溶き入れる。軽く煮えたところでパセリの葉を投入。ひと混ぜして器へ。
「スープと卵の両方にパン粉を入れる」は、思いつきで試してみましたが、正解だったようです。
ふんわりした卵が、少しだけとろっとしたスープの全体に上から下まで存在する感じになりました。
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今日の食事:2014年4月27日(日)

下左:茶飯(昆布+塩+酒で炊いた白飯に茶がら(乾燥時大さじ1杯分)を混ぜたもの。2合炊いた。昆布はダシが出た段階で引き上げた)
下右:鶏もも肉(蒸しておいてスライスして使っていった残り)・塩蔵わかめ・カイワレ大根(根元)のスープ
上左:クレソン(干からびかけていた見切り品1/2束)をレンジ加熱したもの
上右:カイワレ大根(上部)のドレッシングがけ、インチキスパニッシュオムレツ風
この他にリンゴ(生)1/2個。
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  • インチキスパニッシュオムレツ風の作り方
ジャガイモ(茹でて冷蔵しておいたもの)1/2個をスプーンで適当に切って卵焼き器に入れる。オリーブオイル少々を上からかけ、切った茹でジャガイモの表裏にまぶし、弱火で表裏をカリっとさせる。卵1個をかきまぜたものにクレージーソルトと黒胡椒で味付けし、卵焼き器に入れて表裏焼きつつ木べらでそれとなく整形する。

  • 昼食
 先週火曜日に作って冷蔵しておいたパン種(ライ麦粉入り)を卵焼き器で表裏焼いたもの、クレソンとジャガイモのポタージュ(材料:朝の残りの茹でジャガイモ1/2個、クレソン1/2束、粉末鶏がらスープ小さじ1/3くらい)
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  • 晩酌
鶏もつ煮(レトルト、生協で購入)、イワシのごま漬け(冷凍、生協で購入)、茹でたニンジン1/2本、焼酎一合

  • 買い物
近所のスーパーが閉まる間際に散歩を兼ねて行ってきた。見切り品を狙っているわけ。
買ってきたもの:鳥手羽元500g、豚コマ300g、魚の西京漬け切り落とし詰め合わせ1パック(17片入ってた)、ニンジン3本、キュウリ2本
(自分としては例外的に肉が多いのは、肉をよく食べるお客さんの予定が近日中に2回あるため)

  • 夜の下処理(晩酌したり本読んだりしながら)
  1. 鳥手羽元、今朝の茶飯のダシガラ昆布(細く刻む)、ショウガ1片(むいた皮+中身のスライス)を水(2リットルくらいだったと思う)煮てスープを取る。煮立ったところで塩大さじ1・酢大さじ2を入れて弱火にして1時間。煮立っているときに皮をむいたニンジン3本をまるごと投入、火が通ったところで引き上げ、鶏肉やスープと別に冷まして冷蔵。
  2. 豚コマに醤油大さじ2・みりん大さじ1・ショウガ大さじ1を加えてポリ袋に入れる。空気を抜いて冷蔵。
  3. 魚の西京漬けを脱水シートにグルグル巻きして冷蔵。
  4. 残っていたタマネギ1個をくし切りに、買ってきたキュウリ2本を長さ半分にしたり、割って長さ半分にしたりして塩水(水200cc、塩大さじ1、砂糖4g(スティックシュガー1本)に漬け、ビニール袋に入れ、空気を抜いて冷蔵。これらは浅漬として食べたり、刻んで「なんちゃって山形のだし風」にしたりする見込み。
  5. 晩酌のおつまみにした鳥モツ煮の煮汁に、ごま油少々・卵一個を混ぜてレンチン。明日の朝ごはんのおかず予定。
参考
 

 

簡単に入手できる料理レシピから腕前をなるべく速く向上させる、超簡単な方法

4月から、進学や就職をきっかけに一人暮らしと自炊を始めた方も多いかと思われます。
自炊を始めて一ヶ月足らずの時期にできることは、その方の生活スタイル・それまでに蓄積した生活スキルなどに大きく左右されることでしょう。
本エントリーでは、 「クックパッド」をはじめとするインターネット上のレシピ・一般的で比較的安価な料理書からスタートして、自炊初心者が料理の腕前を短期間で向上させる方法について書いてみたいと思います。
  • 腕前向上のための超簡単な方法:味見回数を5~10倍(自分比)にする
どれか一つ、スタート地点とする料理とレシピを決めます。自分の好物料理を選んでください。
スタート地点とするレシピは、「クックパッド」でも書籍でも、誰かに教えてもらったものでも何でもかまいません。自分が無理なく「面倒くさい」と思わずに作れそうなものを、定評あるレシピの中から選びます。
「クックパッド」には「玉石混交すぎる」という難点はあるのですが、一定数の「つくレポ」があって何人かに「リピします」と書かれているレシピならば、大きな問題はないでしょう。
道具は、今、必要最低限と思われるものが揃っているのであれば、何かを新しく揃える必要はありません。「包丁を研ぐ」などの手入れを改めて行う必要もありません。 ただ、箸5膳・スプーン5本くらいが余分にあると便利です。ごく安価だったりタダでもらえたりする割り箸・スプーンでかまいません。スプーンはなるべく金属製がよいのではありますが、樹脂のスプーンでかまいません(耐熱温度は確認しておいたほうがよいかも)。

まずは、レシピ通りに作ってみます。
ここで私が提案したいのは、
「一行程ごとに、ちょっとだけ口に入れてみる」
ということです。 
つまり「味見をする」ということですが、私がお勧めしたいのは、味見を通常考えられる数倍の頻度で行うことです。
たとえば、
「濃縮めんつゆを3倍に薄めて調味液を作る」
とレシピに書いてあるのなら、濃縮めんつゆ段階・3倍に薄めた段階のそれぞれで口に入れてみます。その濃縮めんつゆの味の特性を把握し、この場合の塩分濃度やダシの濃さの「ほどよい」とはどういうことであるかを考え、最終的に出来上がった料理への影響をモニタリングするためです。一回ごとに水を飲んで口の中を「リセット」することをお忘れなく。
カレーを作るために
「タマネギを刻んで炒める」
というのであれば、刻んだ生タマネギ・1分炒めたタマネギ・2分炒めたタマネギ……炒め上がりと考えられるタマネギを少しだけ口に入れてみます。すると、刻み方や火の通し方による影響が分かります。
この「段階的味見」を、その料理の最終工程まで行います。
「弱火で煮込むこと30分」
を含むレシピだったら、煮込む前と後の味を見ておきます。ついでに、煮込まれる肉なり魚なり卵なりの表面を、煮込み前・煮込み後のそれぞれ、割り箸で軽くつっついてみましょう。すると、表面の固さや弾力がどう変化するのかに関する情報を得ることもできます。ちなみに私、焼き魚の振り塩やステーキの塩コショウも、焼く前に魚や肉の表面をちらっと舐めますよ。自分が作って自分だけが食べる場合に限定ですけど。
ただ、味見一回あたりの量が一般的な味見の場合の量だったら、独り者の一食分のおかずは、完成する前に簡単に消滅してしまいます。だから、一回あたりの味見は「お箸の先で野菜みじん切り1切れ」「スプーンの先で調味液や汁を1cc以下」という感じで行う必要があります。少量を確実に取るためには、箸やスプーンが必要です。味見のたびに箸やスプーンを洗っていたのでは面倒くさいし、乾燥しきってない箸やスプーンの水気が加わると味見にならなくなったりしますので、「箸とスプーンは余分にあったほうがよい」というわけです。

この「細かく味見」を習慣づけると、たいていは自動的に料理の腕前が上がるでしょう。
最初に選んだ大好物を、繰り返し作ってみたくなります。前回「これでいいのかな?」と思ったポイントを改良して試してみたいと自然に思うでしょうから。それを繰り返していれば、最初から大好物であったものが、さらに美味しく作れるようになります。時間もかからなくなっていきます。「これは省いてもいい」「これに関しては包丁でのみじん切りではなく、ミキサーでガーッとやっても仕上がりには響かない」「加熱に入ったら◯分間は大きな変化はないので、タイマーかけて他のことやっていようっと」「材料の一部を取り分けておいて、弱火煮込み段階でポリ袋に入れて参加させて別の料理を」などの工夫が、半自動的に行われるようにもなるでしょうから。
平たく言えば、「PDCAサイクルを回す」ということです。義務だから回させられるのでも、良い社畜であることのアピールのために速く回したいと思っているふりをするのでもありません。ただ楽しいから、面白いから、美味しいから、回せるときに回したいように回す。この繰り返しは当然のことながら、その料理を作る手際や出来上がりを向上させます。
その向上のプロセスに、数多くの「おまけ」がついてきます。自分自身に料理の地力がつくということ。
まず、料理書から得られる情報量が多くなります。同じ文章・同じ写真を見たときに「何をどうすればそうなるのか」が理解しやすくなります。
「食べたことのない料理を、文字と完成写真だけを手がかりにして作ってみる」
という場面でも、少なくとも食べられるもの・極度に不味くはないものが作れるようになります。
たとえば柴田書店のプロ向け料理書(買ったら高いけど図書館で読めます)のレシピを、ひとり暮らしや数人での「家飲み」向けのレシピに読み替えることも容易になります。10人前のレシピを1人前に置き換えるとき、単に量を1/10にしただけでは似て非なるものしかできないわけです。どこをどうすれば本質を変えずに仕上がり量だけ変え、肝心なポイントは外さず、自分の事情に合わせてアレンジできるのか。そのための「道具」は、
「アレをコレしたらソレになる」
という細かな因果関係の組み合わせ・重ねあわせが数多く「保存」されており「この場合の組み合わせ最適」を見つけ出すことのできる自分の脳と、可能な範囲で再現できる自分の手(または、他人に行ってもらうための自分の口)しかないと思います。

  • 「細かく味見」法にたどりついた経緯
進学で東京に出てきたときに住んでいた大学近くのアパート(6畳+半畳のキッチン、風呂なしトイレ共同)のすぐ近くに、新宿区立中町図書館がありました。そこに、津村喬「ひとり暮らし料理の技術」があったんです。偶然手にとり、あまりにも面白いので借りて読み、のちに購入しました。名著ですが絶版。

 この本は、料理の「食文化」という側面が「ひとり暮らしの自炊」というテーマを通じて幅広く解説されているのですが、「何を何グラム」といった分量の解説は皆無に近いんです。著者のポリシーとして記載しないということでした。
私は掲載されている料理の数々を読んで「なんと魅力的な」と思い、実際に作ってみようとしたんですが、失敗したり「食べられるものは出来たけど、これはその料理そのものなのか?」という疑念が湧いたり、でした。
そうこうするうちに、「ひとり暮らし料理の技術」で紹介されていた、辰巳浜子「料理歳時記」を読んでみる機会がありました。この本は現在も新刊で入手できますし、Kindle版もあります。
辰巳浜子さんは、昭和30年代~40年代に活躍された料理研究家で、料理研究家の辰巳芳子さんの母上です。

「料理歳時記」を読んだ大学1年の私、「ひえええええええええええ!」とぶったまげました。ご飯や味噌汁やお浸しや焼き魚といったものに、一つ一つ深い情熱を傾ける人がいたという事実。その情熱の目的は、料理研究家として世に出ることでもなんでもなく、動機は「家族(+お客さん)に美味しいものを食べさせたい、家庭を喜びで満ち溢れさせたい」ということであったらしい、ということ(結果として世に出たのではありますが)。伝統を大事にしつつもハイテク(冷凍庫←昭和20年代の話です)は積極的に導入する超合理性。アウトプットを最良最高にするために大切にされるプロセス。辰巳さんは決して「手段の目的化」をしません。真似する気にもなれない手間暇をかけ、これ以上はないほどの真心は込めていますけど、「手間暇」「心を込める」が目的なのでもなければ、そこを評価されたいというわけでもなく……。どの一つにも驚嘆しました。家事、料理、主婦業といったものを、才能と志ある人は、そこまで高めてしまうわけです。さらに「高める」が本人の心がけや家族の幸福感で終わったというわけではなく、夫君の生産活動を支え、社会で何らかの生産を行うことのできる子どもたちを育てたうえに、後には自らの料理も評価されているわけです。「おいしいね」という言葉や家族の笑顔だけではなく、経済的に、金銭という形で。なにしろ死後40年近くにもなる現在、まだ売れ続けているご著書が何冊もあるという事実。
こんなことを書かれたら辰巳さんご自身は不快になられるかもしれませんが、この方は生涯に、いったいどれだけの経済的生産を行われたのでしょうか。ご著書のセールスだけでも大変な金額になっているでしょう。その達成の前提となったのは「恵まれたご家庭に育ち、適切な教育を受け、良家に嫁いだ」という幸運ではありますが、「費用対効果」が非常に大きい方だったことは間違いないかと思われます。どういう偶然が重なったら、ここまで費用対効果が大きくなるのかは分かりません。才能と志が素晴らしいものであったことは感じますけれども、それだけではないように思われます。最も重要だったのは、原家族での育てられ方、生育環境、受けた教育でしょうか。私立の高等女学校に通っていたこと以外は、特別にお金のかかるものではなさそうに思えますが、「生まれてから18歳まで」というタイミングに大きな意味があったのは間違いないでしょう。そのタイミングをのがした場合、あとで補いがつく可能性はあるでしょうか? あるとすれば、どうやって……? 本当に、いろんなことを考え始めるきっかけになる本でした。
この本は、「職業って何だろう? キャリアって何だろう?」と考え始めるきっかけにもなりました。私が職業を手放さずにきたこと、職業を継続できていることの根には、「料理歳時記」に学んだ職業観・キャリア観があるようにも思えます(ただし、昭和の高度成長期の専業主婦のほとんどを、私は職業人とは考えていません。彼女たちの家事を「キャリア」とも考えていません。「主婦業も立派な仕事」という言い回しには警戒を怠っていません。念のため)。
この本には一つだけ、大きな問題点がありました。読んでも「実際にやってみよう」というモチベーションが沸かず、むしろ萎えることが多いのです。心がけも考え方も手順の一つ一つも、あまりにもハイレベルというか面倒くさすぎて。料理好きな専業主婦・主夫の多くにとっても、おそらくはそうなのではないかと思います。まして、昼も夜も職場や大学で過ごしている勤労学生だった私に実行可能そうなことは、片手で足りるほどしか見いだせませんでした。
私は大学のすぐそばに住んでいましたから、「職場帰りに買い物をして、いったんアパートに帰って軽い夕食を食べ、明日の朝食の下拵えをしてから大学で授業に出る」が可能な日もありました。勤労学生としては恵まれた条件にあったと思いますが、それでも「料理歳時記」は「こんなこと、実際に出来るわけがあるもんか!」の連続でした。私は幼少時から料理を自然に覚え、習慣的に行って(というかやらされて)育っています。漬物・梅干し・味噌といったものは家で作ったり、作った方に分けてもらったりするのが当たり前という環境でした(お店で買えると知って驚いたのは10歳くらいの時)。20歳時点での料理スキルは、同世代の中では、偏差値でいえば確実に75以上だったでしょう。それでも、「料理歳時記」の記述のほとんどは「出来るわけがあるもんか!」だったんです。
最も驚かされたのは、数え年17歳の辰巳浜子さんが白和えを作り始めたときのエピソードです。「白和え」という料理一つをものにするために、少女といってよい年齢の辰巳さんが何をなさったか。ぜひ、「料理歳時記」でお読みください。

私は「この人の真似はできない」と思いました。「私は物理屋になろうとしているんだから、この人のようになれなくても別にかまわないんだし」とも思いました。人生の最初に見た白和えのレシピが、辰巳浜子さんの「究極」といってよいレシピだったことは、私から「白和えを作ろう」というモチベーションを失わせてしまいました。半端に作ったって「まがいもの」しか出来ないんだから、とモチベーションが萎えてしまったのです。「料理歳時記」を読んで以後、一度も白和えは作っていません。それどころか、「料理歳時記」に書いてあるとおりに何かを作ったことは、ほとんどありません。ちょっとしたコツのいくつかを取り入れるのが精一杯でした。
でも、この本は深いところで、私の何かを変えてしまったようです。

いつの間にか私は、味見を細かく行うようになっていました。
当時も今も、料理には時間はかけられません。体力気力がないときには、時間がない上に、やることが雑になります。しかし、時間も体力も気力もない中で「今できるベスト」「今できる『ちょっとだけマシ』」を追求することならできるだろう、と思ったんです。
そのために必要なことは、「今、何が起こっているのか」を知っておくことでしょう。味見を細かく行うことは、特に面倒くさくも苦痛でもなく、疲れることでもありません。辰巳さんの「白和え」の取り組みを爪の垢ほどでも取り入れてみるかと始めてみたら、面白くて楽しいので、ごく自然に習慣になりました。
それを積み重ねて、30年経ちました。
「中間データを可能な限り細かく取る」は、実験でも重要です。大学2年から実験を職業にしていた私は、そのノウハウも自炊料理に惜しみなく投入しました。キッチンサイエンスの成書・科学的知見を盛り込んだ料理書に接する機会があったら、自分が日々やっていること・舌や指先で得た「データ」の数々と頭のなかで突き合わせてみました。結果は、次回に自然にフィードバック。
この繰り返しは、基本的には楽しいことでした。そして余裕のあるときに「楽しんで」おく積み重ねで、疲れているとき・本当に時間のないとき・ロクな道具がないときに出来ることのレベルが上がっていきました。これもまた楽しく快適なことでした。なにしろ食べて旨く、身体にも悪くないわけですから。
残念ながら、料理に関しては記録をほとんど残していません。あまりにも日常的なことなので、わざわざ記録してみようという気にもならなかった……という理由もあります。専攻が同じ男性の先輩・同じ仕事をしている同僚と付き合っていたり半同棲していたり事実婚していた時期が、通算15年ありました。料理という「女性的」なことに取り組んでいる姿を男性に見せたら、「やっぱり女性だから」と軽蔑される……という危惧もありました(相手の選択を間違えていたのかもしれませんが)。読んだ論文・やった研究については、同居男性がそこにいても、神経質なくらいノートつけてました(ただし相手のプライドが傷つかない程度に配慮しつつ)。それは「私はこの仕事を手放さないからね、あなたには『手放せ』という権利はないからね」という無言の主張でもありました。
料理について書籍を読んだりノートをつけたりすることは、少なくとも「男性の前でやる」はやりたくありませんでした。料理の記録を若干とも残せるようになったのは、パソコンを所有するようになって以後の話です。電子データだったら、紙のノートよりは安全ですから。
それでも、漬物や梅干しはノート作ってました。年に1回~数回しかやれないわけですから、繰り返して「前回よりマシ」にしたいと思ったら記録が頼りです。それなりの手間暇をかけて、不味いもの・食べられないものが出来たら悲しいです。それに、限られた手間暇でも少しでも旨いものを作りたいですからね。
ああ、毎日の料理での試行錯誤の数々をノートに記録していたら、もっと大きな発展があったかもしれなかったのに。残念。

今の私は自分の自炊に対して、「料理の食味そのものについては100点満点の85点くらい、総合点では100点満点の65点かな」と考えています。食味については、自己ベストからの減点。総合点の減点ポイントは、台所や用具・道具のマネジメント、盛り付け・見た目などについてです。
「私は、辰巳浜子には絶対になれない」
と諦めた20歳大学生女子、30年後にも大した高みには上れていませんが、小高い丘の上には到達できたかなあ? と思っています。

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著書です(2009年-)
「おしゃべりなコンピュータ
 音声合成技術の現在と未来」
(共著 2015.4 丸善出版)


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 (執筆協力・永島孝 2013.9 技術評論社)


「生活保護リアル」
(2013.7 日本評論社)

「生活保護リアル(Kindle版)」
あります。

「ソフト・エッジ」
(中嶋震氏との共著 2013.3 丸善ライブラリー)


「組込みエンジニアのためのハードウェア入門」
(共著 2009.10 技術評論社)

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