長らく休眠ブログになっていた本ブログを、復活させることにしました。
言い換えれば「どんなことがあっても、言論の自由と表現の自由を守ります」というスタンスを明確にしているプラットフォームは見当たらない、ということです。プラットフォームというスタイルを考えると、「原理的に無理」というべきでしょう。
また、私の所属していた(いる)団体や関係者からの、何らかの働きかけやご迷惑もありえます。昨年、所属している障害者団体の内紛から当方の所属している職能団体にご迷惑がかかることが実際にありました。
新聞・雑誌などのレガシーメディアは、ある程度はそのような迷惑・圧力を織り込んでいます。対応経験も蓄積されていますし、専門家を社内に抱えていたりすることもあります。
しかし、ネットでスタートしたメディアやプラットフォームには、一般的に、そのような構えはありません。
私は「女がいるというだけでイヤ、補助的でないだけでイヤ、辞めないだけでイヤ」という男たちの中で働いてきた時期が長く、「同じ職場に居やがった」「総合職だった」「なかなか辞めなかった」に加え、「今でも社会から消えていない」という恨みつらみを買い続け、もしかすれば今も新たに買い続けなくてはならない世代に位置しています。
「均等法世代」の多くは、バブル崩壊・業界再編・リーマンショックなどで職業の場を去り、のぶみ氏の(炎上した)『あたし おかあさんだから』と同様に出産・育児・パート労働の世界に入りました(注)。
お勧めはしませんが、商品情報。
私は「絶対に職業人の世界から消えない」とあがきつづけています。このことも、私自身に対する攻撃、または私の活動の場に対する攻撃をもたらしえます。「5年間、パワハラでボロボロにしてやろうとしたのに逃げられてしまい、会社からは追い出せたけど社会からは追い出せてない、ちくしょう」といったことはありえます。
「派閥抗争の敗者を退職後まで追いかけて、最終的に潰す」といったことは、伝統的な企業では、男性が対象でもフツーにあります。女性だったらなおさら、と考えておくべきでしょう。
私が20代だった1980年代には、虐待は「特に問題ある家庭の問題ある親によって稀に引き起こされること」と認識されていました。また、内田春菊さんの『ファザー・ファッカー』は、むしろ特殊な事例として注目を浴びました。
その時期を振り返ると、被虐待経験を語ることが当たり前になってきた昨今は、隔世の感があります。
しかし虐待した側は、虐待が語られることを望みません。これもまた当然です。何をされても決して黙らなかった私に対して、虐待を行い、黙認し、なかったことにしようとしてきた原家族メンバーが、今、私に望むことは、私から発言力を奪い、社会的に「消えた」ものとすることかもしれません。
少なくとも、そうであっても何の不思議もありません。 「そうではない」と確信するに足りる材料は、何もありません。
とはいえブログだからといって、言論の自由・表現の自由が守られる担保はありません。
ライブドアさんのご都合で消し飛んでしまう可能性は、いつでもあります。
しかしプラットフォームに比べれば「少しは安心できるかな」と思います。
ブログサービスには、長年の歴史があり、名誉毀損・中傷などに関する紛争や解決や判例も積み重ねられてきています。だから少しは安心、少しだけ安心なのです。
そういうわけで、ブログを復活させます。
どうぞ、よろしく。
- なぜ、今ごろブログ?
言い換えれば「どんなことがあっても、言論の自由と表現の自由を守ります」というスタンスを明確にしているプラットフォームは見当たらない、ということです。プラットフォームというスタイルを考えると、「原理的に無理」というべきでしょう。
- みわよしこの発信は、そんなにヤバいのか?
また、私の所属していた(いる)団体や関係者からの、何らかの働きかけやご迷惑もありえます。昨年、所属している障害者団体の内紛から当方の所属している職能団体にご迷惑がかかることが実際にありました。
新聞・雑誌などのレガシーメディアは、ある程度はそのような迷惑・圧力を織り込んでいます。対応経験も蓄積されていますし、専門家を社内に抱えていたりすることもあります。
しかし、ネットでスタートしたメディアやプラットフォームには、一般的に、そのような構えはありません。
- そもそも、みわよしこは存在が悪なのかもしれない
私は「女がいるというだけでイヤ、補助的でないだけでイヤ、辞めないだけでイヤ」という男たちの中で働いてきた時期が長く、「同じ職場に居やがった」「総合職だった」「なかなか辞めなかった」に加え、「今でも社会から消えていない」という恨みつらみを買い続け、もしかすれば今も新たに買い続けなくてはならない世代に位置しています。
「均等法世代」の多くは、バブル崩壊・業界再編・リーマンショックなどで職業の場を去り、のぶみ氏の(炎上した)『あたし おかあさんだから』と同様に出産・育児・パート労働の世界に入りました(注)。
お勧めはしませんが、商品情報。
私は「絶対に職業人の世界から消えない」とあがきつづけています。このことも、私自身に対する攻撃、または私の活動の場に対する攻撃をもたらしえます。「5年間、パワハラでボロボロにしてやろうとしたのに逃げられてしまい、会社からは追い出せたけど社会からは追い出せてない、ちくしょう」といったことはありえます。
「派閥抗争の敗者を退職後まで追いかけて、最終的に潰す」といったことは、伝統的な企業では、男性が対象でもフツーにあります。女性だったらなおさら、と考えておくべきでしょう。
- 被虐待経験の「詰め」は、親が死んでも終わらない
私が20代だった1980年代には、虐待は「特に問題ある家庭の問題ある親によって稀に引き起こされること」と認識されていました。また、内田春菊さんの『ファザー・ファッカー』は、むしろ特殊な事例として注目を浴びました。
その時期を振り返ると、被虐待経験を語ることが当たり前になってきた昨今は、隔世の感があります。
しかし虐待した側は、虐待が語られることを望みません。これもまた当然です。何をされても決して黙らなかった私に対して、虐待を行い、黙認し、なかったことにしようとしてきた原家族メンバーが、今、私に望むことは、私から発言力を奪い、社会的に「消えた」ものとすることかもしれません。
少なくとも、そうであっても何の不思議もありません。 「そうではない」と確信するに足りる材料は、何もありません。
- 私は黙らない、そのためにもブログ復活
とはいえブログだからといって、言論の自由・表現の自由が守られる担保はありません。
ライブドアさんのご都合で消し飛んでしまう可能性は、いつでもあります。
しかしプラットフォームに比べれば「少しは安心できるかな」と思います。
ブログサービスには、長年の歴史があり、名誉毀損・中傷などに関する紛争や解決や判例も積み重ねられてきています。だから少しは安心、少しだけ安心なのです。
そういうわけで、ブログを復活させます。
どうぞ、よろしく。