私が運動障害を抱えるようになったのは、2005年秋、42歳のときでした。
フリーランスになった2000年から2005年にかけて、私は年収300万円~500万円程度の線を維持することができていました。
ちなみに1990年から2000年までは会社員でしたが、手取り年収はほぼ毎年、200万円台後半でした。300万円を超えたのは1991年だけです。単身・女性で(事実婚してましたが会社は一応知らない)、猫がいるので寮も社宅も利用せず、妻子のいる男性社員を前提といた数々の手当の対象には最初からなれず、必要のない残業を一切せず、フレックスタイムは最大限に活用し(フレックスタイムは「あっても利用しない」が望まれていました)、「女は家に」と主張する上司からは徹底的に嫌われており……となると、バブル期でもこんなものでした。
だから、心から「会社辞めてよかった」と思っていました。セクハラ・パワハラを日常的に受ける環境から自由になり、猫たちと一緒に日常を過ごしつつ仕事をしてワーク・ライフ・バランスの取れる生活を営むことができ、しかも収入アップ。
ところが運動障害を抱えることで、収入の前提となっているものの多くが失われてしまったわけです。
幸い、私の仕事の中には著述業が含まれていました。「含まれていました」というのは、著述業で得る収入の比率にも大きな波があったからです。
著述業は、障害によるネガティブな影響を少なくすることが比較的容易な職種の一つではあろうと思います。また、どちらかといえば軽視・軽蔑の対象となるゴーストライティング・事前リサーチ・音声起こしといった仕事に対しても、あまり抵抗を持っていませんでした(特に同業の他人様のインタビュー音声起こしは、とても勉強になって面白いです。余裕があれば、今でも時々ならやりたいくらいですが、なにぶん時間の余裕がありません)。
著述業を、または著述業の一部に分類される仕事を細々とでも続けてきた私には、「仕事も収入も全くない」という時期はありませんでした。「所得がない」または「所得が少ない」は、慢性的につづいていましたけれども。 
ちなみに、2006年~2012年の収入は、50万円~200万円程度で推移していました(所得ではなくて収入ですよ)。2008年からは障害基礎年金(1級)を受給し始めていたので、仕事での所得が50万円あれば生活保護水準に届くことになります。しかも自営なので、「収入が200万円で所得が50万円」という場面でも、給与所得者の「手取り150万円」に比べれば時間的にも経済的にも格段に余裕がある感じの生活を組み立てることが可能です(後記もご参照ください。給与所得者の価値観は捨てることが大前提です)。他にも、さまざまな幸運や支援がありました。大赤字だった年もありましたけど、猫の闘病も含めて、なんとか乗り越えてこれて……います。
生活保護の申請? 当然、何十回も考えましたよ。福祉事務所で申請を勧められたことまであります。ただ私は「もう一度大学院に行って博士号を取得し、博士号を前提とする次のステップを踏み出す」という希望を捨てたくなかったので、利用できませんでした。もし私が、大学院進学を前提としない将来像を考えていたり、あるいは、自分の将来の希望を大きく捻じ曲げずに生活保護を利用することが可能なのであれば、利用していたと思われます。いわゆる「スティグマ」は、自然に障害者自立運動に馴染んでいた私には全くありませんでしたから。
そんなわけで、猫の医療費・自腹の場合の取材経費を除くと「お金がないので困る」とか「カネがないのは首がないのと同じ」とか感じた経験は数えるほどしかないのですけれども、少なくとも「お金が充分に使える」という感じではありませんでした。今でも、お金を使うことには恐怖とためらいを感じています。

では、使えるお金が少ないとき、どこから削るか。
当時の私の場合、削ってよいと考えられる順位は
  1. 趣味・楽しみ・他人が「生きがい」と考えることがらのうち、「死守する必要はない」「代替手段がある」と考えられる部分+むしろ「世間様にとやかく言われる」予防のために戦略的に手放すべきと考えられる部分
  2. 衣服のうち、他人からは見えない部分
  3. 食のうち健康維持への寄与が少ない部分 
  4. 日常的な気晴らし(ゲームセンター通いとか)
  5. 衣服のうち、他人から見える部分
  6. 住のうち「見栄」に属する部分(これは「もしあれば」の話。実際にはなかった)
  7. 生産にかかわるもの(書籍・資料・PCなど作業に必須の機器を含む)のうち、代替出来る部分(図書館で利用することの可能な書籍など)
  8. たまの気晴らし(映画・外飲み・ライブなど)
  9. 住のうち日常のQOLに関わる部分
  10. 医療費。市販薬・マッサージ・サプリメントなどを含む。生産に対する効果という面から「選択と集中」。費用を抑制する。
  11. 猫に関する費用のうち、「安心料」に類するもの(フードの質を落とす・ワクチン接種の間隔を支障ない範囲で延ばすなどで対応)・何らかの代替手段があるもの
  12. 生産にかかわるもののうち、将来につながるもの(大学院の学費を含む)
  13. 住のうち仕事の生産性に関わる部分
  14. 食のうち健康維持への寄与が大きい部分
  15. 猫に関する費用のうち、生存・QOLに大きく関わるもの(医療費を含む)
という感じでした。
(交際費・通信費などは、目的・用途に応じて、1~15のどこかに割り振られる感じです)

この優先順位付けは、あくまでも私自身の価値観に基づくものです。しかも
「今なら自分自身だって、こうは考えないんだけどねえ」
という感じです。最下位の15位・14位は、今でもそうですけど。
もちろん、近親者その他の人々との間に、数多くの摩擦や対立を生みました。
でも私は、
「自分で考え、自分で決め、自分で選択する」
にこだわりました。
お金がないからこそ、自分の尊厳を守りたかったんです。自分の生活だけで大変だったからこそ、猫たちの楽しそうな姿と笑顔が大切だったんです。
私にとって、自分の尊厳の中心にあることは、
「自分で考え、自分で決め、自分で選択し、自分で行動し、結果を見て自分で考え……」
でした。そこには、猫も含めて誰とどのように暮らすか・誰とどのような関係を持つかが含まれています。
「自己決定を放棄するなら、ただ生きていることくらいは許してやってもいい」
というような干渉、何回も受けました。
そのたびに
「自己決定を放棄させられるくらいなら、誰にどのように放棄させられたかを明らかにして、放棄させた相手になるべく確実にダメージを与えられるように自殺する」
という決意を新たにしていました。
自己決定を放棄させようという強い圧力が加えられるたびに、私は自殺を決意しました。
実行しなかったのは、目の前に二匹の猫たちがいたからです。
猫たちを信頼できる誰かに託さずに自殺を実行することはできなかったから、「今日、今すぐ死ぬ」は先送りされざるを得なかったのです。
猫たちがいなかったら、私はたぶん、50歳の現在まで生きてこなかったと思います。

低収入のときにこそ、自己決定が重要。
社会的承認を得づらいからこそ、尊厳をもって扱われることが重要。
経験を通して、これらの実感にモチベートされているので、今の私は
「生活保護のくせに」「生活保護なのに」「生活保護なんだから」
の類に、全力で「No」と言いつづけています。
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