みわよしこのなんでもブログ : 尊厳死

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ライター・みわよしこのブログ。猫話、料理の話、車椅子での日常悲喜こもごも、時には真面目な記事も。アフィリエイトの実験場として割り切り、テーマは限定しません。


尊厳死

[ニュースクリップ]2020年8月3日 東京新聞より

 本日2020年8月3日の東京新聞朝刊より、独断と偏見にもとづくピックアップです。note記事の下書きも兼ねています。

  • 社説「支え合い 70年の歩み」
1950年、有識者や国会議員が構成員となった政府の社会保障制度審議会が吉田茂内閣に提出した提言書から、戦後に整備された社会保険制度(年金、医療、失業給付など。2000年以後は介護保険)への流れ、そして少子化と高齢化が進行する今後の持続可能性についての懸念、新型コロナ禍で浮き彫りになった医療資源の脆弱さと住宅対策の手薄さを明らかにしています。医療は、供給する人々や病院や物資がなければ提供されません。住宅も、生きるために必要不可欠なものです。そして、1950年の勧告がこれらに触れていたことを紹介して締めくくられています。
 生活保護の成り立ちについて疑問を挟みたくなる記述もありますが、全体として平易、網羅的、そして取りこぼしが少なく、「さすが、新聞の社説ならでは」の内容です。

  • 世田谷、「誰でもPCR」へ(一面)
 世田谷区(保坂展人区長)は、1日あたり3000件のPCR検査体制を整える検討に入っています(現在は1日300件)。誰でもいつでも何回でもPCR検査を受けられるという体制です。費用は「公共的意義があるので」公費負担で、とのこと。財源には「ふるさと納税」やコロナ対策に関する寄付金をあてる予定。米国ニューヨーク州が、無症状感染者を発見して迅速に発見し新規感染者の増加に歯止めをかけたことをモデルとしているようす。検査の迅速化は、検体を試験管に入れる際、5人分をまとめて1本に入れ、陽性なら改めて1人分ずつ調べることで実現するとのこと。

私見:検査の迅速化方法に「おっ!」と思いました。コンピュータ科学の世界で「検索」は重要な要素技術の一つです。検索のさまざまな手法を適用すれば、もしかすると現在の設備のままでも3000件以上の検索をこなすことが可能なのかもしれません。
 しかしながら気になるのは、「陽性」と判明した後です。家族と同居している場合、隔離の場は? 入院治療が必要な場合、病床は確実に確保できるのでしょうか? 病院までの搬送は? 車両は? 人手は? 世田谷区の中だけなら何とかなるのかもしれませんが、新型コロナ以外の病気や症状の医療ニーズが圧迫されたりしないでしょうか? 保坂区長は「なんとかすることができる」という見通しのもとで推進しているのでしょう。私は、やや懸念をもって先行きを見守ろうと思います。
  • 新出生前診断 無認定が急増(三面)
 妊婦の血液から胎児の染色体異常を調べる「新出生前診断」は、2019年から一般医療として受けられるようになっています。関連学会の認定施設は、現在、40都道府県で109あるとのこと。しかし昨年から無認定施設が急増し、東京や大阪の民間クリニックを中心に135施設、うち「形成外科」「美容外科」など産婦人科以外の施設が55施設ということ。認定施設ではダウン症・18トリソミー・13トリソミーの3疾患しか調べられず、遺伝カウンセリングが必ず実施されます。未認定施設では性別判定やゲノム検査なども調べられ、遺伝カウンセリングは任意またはなし。この調査を行った大学教員(産婦人科)は「不適切な形での中絶」「妊婦が強い不安を抱くことで混乱」という可能性を懸念しています。新出生前診断はもともと、安易な命の選別につながる可能性が懸念されていました。


私見:「子どもが親の人生にもたらす不確実性やリスクを可能な限り減らしておきたい」と考える親にとっては、「なぜ、いけないのか?」というところだと思います。「遺伝カウンセリング」も、「余計なお世話」と感じる場面が少なくないものと推察されます。現在の日本では、障害児を生んだら親の自己責任とされ、親が責められることもあります。親は、差別や偏見の視線や口出し、弱みにつけこんだ宗教の勧誘などの中で子どもを育てることになります。高齢での初めての妊娠となり、妊娠・出産・育児の機会が人生で1回きりの場合も増えてきました。胎児に対して「どんな子か知りたい」「産むかどうか自分で選びたい」と思うことを責めるのは酷かもしれません。まずは大人世代一人ひとりが、子育て中の子どもや親に対してとやかく言ったり目くじらを立てたりすることを止めることでしょう。直接の手助けが困難ならせめて考えなしに手を出さず、さまざまな行動によって間接的に「子どもの育ちを支えよう」「子育ては大変なんだから親を支えよう」という大人が増え、結果として、出生前診断にまつわる問題がほぐれていくことを期待したいものです。

  • 「介護離職ゼロ」どうなった?(特報面)
 2015年、安倍政権が掲げた「介護離職ゼロ」という目標は、実現されるどころか、年間約10万人が家族の介護のために離職を強いられています。親が介護を必要とする時期は、子どもが40代~50代の働き盛りの時期と重なります。離職後、次の仕事に就けた人は25%にとどまります。働きながら介護を続ける人は、2012年から2017年の間で、約300万人から約350万人への増加となっています。行政も企業も制度を整備しつつあるのですが、周知されていなかったり、充分に使用されていなかったりします。また、介護サービスの不足による離職も15%以上見られます。そこに新型コロナ禍が襲い、プロの介護者に頼らず、家族が介護を担う傾向が現れています。

私見:親の介護を担う子どもが40代~50代の時期は、子育て期、それも費用がかかる高校生や大学生の時期と重なりがちです。これでは、少子化が進むはず。また、離職する人々の性別も気になります。女性の方が多いのなら、離職後の再就職はより困難になりそうです。元になっている総務省のデータを見る必要がありますが、今そこまでの根性ありません。
 「介護保険事業は障害者福祉よりは利幅が大きく、介護事業所は障害者福祉には参入したがらない」と言われています。確かに、介護事業所の選択肢は障害者福祉より介護保険の方が多いです。しかし、「介護保険の介護事業所でヘルパーが余っている」という話はなく、高齢者が主対象の介護保険の事業所でも、いつも深刻な人手不足です。
 何かが基本的におかしいのでしょう。出生率が回復しなければ少子高齢化が進行するばかりであることは、1980年代から認識されていました。少子化が進行する中で2000年に介護保険制度が発足しているわけですが、少子化の勢いは止まらず、介護保険は使いにくい方向で制度改革されるばかりです。介護保険と障害者福祉の統合を検討するのではなく、家族を当てにしない高齢者福祉の再構築が検討されてほしいところです。が、そうなると、「高齢者を積極的に死なせればいい」という話に流れそうです。2025年をピークに、高齢者は減少に向かうことが分かっているのですから、極論に走らない方向性は見いだせるのではないかと思うのですが。

  • ALS女性 生と死の間で(第二社会面)
  • 母親殺害容疑 28歳三男逮捕 八王子「頼まれた」(第二社会面)
 2019年11月に起こった京都の嘱託殺人事件(ALSに罹患していた51歳の女性が医師らに薬物による殺害を依頼)と、8月2日に28歳の息子(職業不詳)が八王子市に住む61歳の母親に対する殺人容疑で逮捕されたことが、同じ面の上下に掲載されていました。61歳の母親(無職)は、うつ病を患っており、息子に「死にたい」と頼んだとのことです。

私見:ALS女性患者の嘱託殺人の報道には、非常に気になることが一つあります。彼女の残したツイートやブログ記事を見る限り、介護者との関係は相当にストレスフルであったように見受けられ、激しくはないけれども虐待されることが日常の一部となっていた可能性も濃厚に思われます。しかし、どの報道も、その可能性については「全く」と言ってよいほど触れていないのです。本記事も「理解者や友人や生活環境に恵まれていたのに、なぜ?」というトーンです。報道のほとんどがこのようになる背景として思い当たる要因は、両手両足の指で数え切れないほどありますが、証拠をつかまない限りは私の妄想にすぎず、証拠をつかむなんて「無理無理ぜったい無理」。ともあれ私は、自分自身も障害者である立場から、また一般的に女性障害者が経験しやすい状況として「虐待されていた蓋然性が高いのでは」と示し続けることはできます。また、障害者に対する有形無形の強制や圧力について、法や制度の面から「ここがおかしいので、こういうことに歯止めができない」ということもできます。
 61歳のうつ病の母親が「死にたい」と言うので息子が応じて殺した八王子市の事件については、現在の日本で息子が手を下したら殺人容疑となります。しかし、現在の世界には、うつ病で死にたくなって医療機関に「死にたい」と相談したら、「あなたは死にたいんですね?」と意思を確認され、「それじゃ」ということで致死量の鎮静剤が郵送されてくる国や地域が実在します。安楽死や尊厳死を個人の人権のもとに合法化した国々では、そういう成り行きとなりがちなのです。日本の法律は安楽死や尊厳死を認めていませんが、実態として、既に「あるところにはある」状態です。法律が、辛うじての歯止めです。

 新聞は、まだまだ捨てたものではありません。朝刊にザザっと目を通すだけで、人間が発明して発達させてきた紙と印刷と編集とレイアウト技術の歴史的な蓄積の恩恵を受けられます。まだまだまだまだ、有効で大変役立ちますよ。
 東京新聞は、電子版だけなら一ヶ月3450円。1日100円と少しです。他の新聞があまり報道しないけれども重大な課題を継続して報道することに、特に強みを発揮しています。「東京」に偏るのが難ではありますが、おすすめできます。



 

2014.05.22 「尊厳死」法制化を考える院内集会 ~海外の動向から日本の法制化議論を見る~ ノート

「尊厳死」法制化を考える院内集会 ~海外の動向から日本の法制化議論を見る~
に参加してきました。
生活保護問題とも非常に関連の強い問題だと考えていますので。
以下、その場で取ったメモです。
この後、30分間ほどの記者会見が行われましたけれども、そちらの内容はまた後日、または後日の記事ででも。
書き間違い、敬称の不統一などはご容赦を。

・開会挨拶 バクバクの会 大塚さん
・山井議員
民主党も賛否両論

・中西正司さん
重い障害があっても地域生活できる社会から遠ざかろうとしている。
コストがかかる人を殺す議論、欧米も同時進行。
ここで踏みとどまる必要がある。

・タカトリ議員
厚労?委員。その立場を離れて一議員。知的障害者の父。子どもは可愛がられて幸せに生きている。子どもは生きがい。
尊厳死協会、昔の安楽死協会。
「重症障害者や痴呆老人から「大事にしろ」と言われたらたまったものではない」
という。障害者の抹殺という思想が含まれている。
こんなものは認めるわけにはいかない。
(拍手)

・羽生田議員
昨年7月、議員になる前は、医師会副会長として尊厳死の問題に取り組んできた。
どういう状況にあっても助けるのが医療。
「これ以上できない」ということはある。
ではどうするか。治療を止めることは殺人になってしまう。そういうことはなくさなくてはならない。
個人の意志、家族の意志、しっかりと考えなくてはならない。
個人が周囲から影響を受けずに「どうしたいのか」ということが重要。
早まった法案を通すことには個人として反対。

・木村よしお議員
この法案の底に流れているもの、恐ろしい。ナチスドイツと同じ。
条文を読んでほしい。
無責任。
医師の免責について「責務」としか書いてない。「責務」には何の義務もない。努力しましょうということ。
努力したら免責されるということ。
こんな片っ方の言い分だけの法案は難しい。
義務を尽くしてはじめて免責ならまだしも、リビングウィルの署名があれば免責。
これほど人間の尊厳を否定する法律はない。
13条。障害者の尊厳。第一項。ただのおためごかし。意味なし。第二項、何をやってもいいよと書いてある。大変。よく衆議院の法制局(?)がこんなものを書いたなと思う。
こんな法案が国会を通るようであれば、賛成する国会議員は、自分の義務や責任を考えてほしい。気がついたときに大恥をかく法律の中身。
皆さん心配だと思う。苦楽を共にしながら歩みを続けたい。
(拍手)

・清水せいじ議員
肢体不自由児父母の会の会長(?)でもある。
13条、「障害者は関係ない」。意味がない。
「2人の医師の確認があれば」、その医師は医療を行っているといえるのかという議論も。
障害、軽い障害から重複障害まで。呼吸器をつけている場合も。
懸命に楽しみながら生活をしている。
この法律は認めるわけにはいかない。
出生前診断の話。今の報道を見ていると、出生前診断で「生命の大切さ」を無視する社会になりつつある。
日本の国としても恥じるべきことではないか。
出生前診断、反対と打ち出していく。よろしく。

・川田龍平議員
気になっていたが議連にも入っていなかった。
国会の状況をみると、のんびりしてもいられないと思う。
多くの議員にとって「知らないうちに法案が」ということ多い。
この法案については党議拘束かからないと思うが、多くの議員は考えたこともなく、議論が終わったところで採決だけだったり。
議論すること自体が進展させてしまうという側面もあるが、伝えていくことはしていきたい。
自分自身、生命の問題をなんとしても「生命を守る」ということでやってきた。
障害者の問題もそうだが、出生前診断。生命を切り捨てるということはさせてはいけないと思う。
お金のあるなしで医療の受ける受けられない、選択医療(混合診療)。進んできている。
生命の問題を等しく考えられるように、一緒に頑張って行きたい。よろしく。

・山本太郎議員
自分も考えてなかった一人。
昔は尊厳死、よいものと思っていた。苦しんで死ぬより薬で楽にさせてほしいと。
でも健康なときの考え。その時にどう思うかはわからない。
今日は勉強したい。よろしく。

・田村智子議員
ロビイングのとき「尊厳をもって生涯をまっとうできる法律を作って欲しい」という話。胸に残っている。
予算があるから出来る法律ではいけない。
ともにがんばろう。

・阿部知子議員
今の国会は暴走列車。成立しかねない。
この法律も成立の可能性ある。超党派議連がある。
「生きる」とは、「選ぶ」とはについて、きちんと考えたい。
脳死移植から反対してきた。
この法案、最大の問題。打ち切りだけではなく「開始しない」を含んでいる。
いろんな意見をうかがって国会のなかで頑張って行きたい。

・福島みずほ議員
安楽死からの流れ、一貫して反対してきた。
ケアを受けながら尊厳をもって生きていくこと、費用の面で否定されること、おかしい。
消費税は上がったが、社会保障、削る流れ。子どもたちの医療まで。
昨日の国会。コピペで資料が誤っていた。紛糾。
国会の中で頑張って、生命を大切にする方向に持って行きたい。
少し話がずれるけど、昨日の大飯原発判決。
防災計画、障害のある人、原発災害時は自宅待機。フィルター、食糧、水を置いて置き去り。
これもぜひ「おかしいぞ」と。
ドキュメンタリー「逃げ遅れる人々」。
原発再稼働反対、集団的自衛権反対、一緒に頑張っていきたいと思う。
国会で審議されないよう、成立されないよう頑張っていこう。

・児玉真美さん講演

世界の流れ、「死の自己決定権」と「無益な治療論」。
「無益な治療論」が広がっている国々で、何が起こっているのかから学ぶ。
積極的安楽死・医師による自殺幇助(PAS:Physiian Assisted Suicide)
を認める法律、6ヶ所。医師だけではなく近親者でもOKなことも。
PAS合法判決、さきの6ヶ所以外に3ヶ所。うち2ヶ所は上訴されて係争中。まだ合法化されていない。
合法化法案が提出されている国、多数。世界同時多発的。把握しきれていないものもあるかも。
スコットランド。2010年、現在と法案提出。2010年要件、「自立生活を送れない身体障害者で生きているのを耐え難いと感じている人」。批判により削除された。
特異な状況にあるスイス。自殺幇助機関。ディグニタスなど。アセスメントがいいかげん、営利目的、自殺者の遺骨を湖に捨てていた、健康な人まで死なせているなどの批判。
事故で全身麻痺になり「2級市民として生きたくない」、健康な夫が末期がんの妻と自殺、容貌や阻害を苦に健康な高齢女性が自殺、など。
報道記事を読んでいくと、「一人暮らし」「家族がいない」など社会的孤立した人が自殺を選んでいるという姿が透けて見える。
スイスの自殺幇助を受けた人の調査、孤独、社会的孤立が要因。
「社会的弱者に対して自殺幇助が行われている可能性が高い」という分析も。

・議員挨拶
・中根康浩議員
人は最後の瞬間まで生を充実させるために生きている。だから尊厳死法案反対。

・児玉真美さん講演続き
資料(2)
合法化した”先進国”で起こっていること
米国、尊厳死=PAS。比較的富裕な白人高齢ガン患者が主。
「貧困層には拡大していない」と主張されることも。
そうではなさそう。
自殺を希望する理由、終末期の苦痛<<自立や尊厳の喪失。
精神障害者にアセスメントなしに自殺薬。
限られた何人かの医師が自殺の処方箋。
シアトルがんセンター「尊厳死プログラム」。ソーシャルワーカーが死ぬまでの水先案内。
本来、どうしても助けられない患者の痛み苦しみの最後の救済手段だったはず。
でもパッケージ化されて日常の医療に位置づけ。
最後の救済ではなくなり、緩和ケアの一部に位置づけられてしまうのでは。
法の理念からは逸脱ではないか。
唖然とするような事例も。
30代の男性、バウアーズ氏。家族が「脊髄損傷」を説明される。姉が「Do you want this?」。本人「Yes」。呼吸器を外されて死ぬ。
これも事故決定なのかと言葉を失うようなニュースだった。
英国、独自の道。合法化はされていない。
2010年にガイドライン。
近親者による自殺幇助。起訴する/しないのファクター列挙。
対象者要件、手続き、方法、触れていない。
主に近親者が思いやりからしぶしぶやるのであれば、たぶん起訴しないんじゃないかなあ、読める。
英国、そういう認識が広がっている。メディア「近親者による自殺幇助は合法化された」と書いていたりも。
「慈悲殺」に対して寛容になってきている。
米国から出てくるニュースも、夫が「妻が死にたいといっているので手伝った」が認められるもの、じわじわ増えている。一定の介護実績があれば許されるということになりそう。
ギルダーテール事件。慢性疲労症候群で17年寝たきり。看護師の母がモルヒネと空気を注射。母の事後報告のみ。
殺人と自殺幇助、誰が区別するか。決定的な行為を誰がやったかによる。
母が決定的な行為。
英国の世論、深い母の愛に感動。拍手喝采。検察が非難され、母は無罪放免。

自分自身、重い障害のある娘の母。
家族介護は密室。
全面的に身体を委ね、委ねられる関係。支配し支配される虐待関係に転じるリスクもある。
そこから目をそむけて「愛によって殺す」が賛美される。本当に恐ろしいこと。

時間の関係でオランダ省略。
最先端、ベルギー。
倫理問題が取りざたされるケースが相次いで報告されている。
40代の聴覚障害者の双子、ちかく目も見えなくなる。二人で安楽死。
性転換手術の失敗、長期服役の囚人の安楽死。
欧州生命倫理研究所、ベルギーの実態調査。詳細な報告書。安楽死法の拡大解釈。法の理念を逸脱と指摘。安楽死と臓器提供が結びつくことのリスクも指摘。
2010-、安楽死後臓器提供。OKすると手術室のすぐそばで安楽死。数分後に臓器摘出。
ガン患者、ドナーになりにくい。ドナー、主に神経筋肉障害者、精神障害者。
さらにショッキングなニュース。終末期の鎮静、8割が事故決定によらず。
子どもの安楽死合法化。
集中治療医学会、同意によらない安楽死(同意できない場合も)、家族の許可も得ずに行えるという方向性を表明。
医師に選別権を認めているも同然。抵抗しようもなく自分や自分の家族が安楽死させられる。安心し信頼して医療に委ねられるか?

(3)気になること
議論の発端、どこの国でも、どうしても助けられない感じの痛み苦しみ、最後せめて救済手段として。
議論が繰り返されるうちに、じわじわ変容。対象者が拡大。
ダブルスタンダードがまぎれこむ。
カナダ。法案提出したのは車椅子の議員。法案は終末期限定。でも議員はマスメディアには「重度障害者は死にたくなるときがある」。障害者の安楽死が語られる。誰も指摘しないから、そのまま、まかり通る。
「障害のある生は生きるに値しない」という了解が社会に広まっているのでは。だから気がつく人が少ない。ダブスタまかりとおる。広がる。
悪循環を形成しているのではないか。
これが日本の尊厳死法制化の議論でも起こっている。
「死ぬこと」が事故決定の問題になると、介護・貧困など社会保障に差し戻されるべき問題が、誰かを死なせることで解決する自己責任に持ち込まれる。「社会で支える」という視点の欠落。
自己決定概念そのものの変質。操作が入っているのではないかと思われる変質も。
1つは、バウアーズさんの事件、事故翌日に死なせる。セカンドオピニオンも「様子を見る」もなし。
2つ目。無益な治療論。

II 無益な治療論
当初「助けられないのに無益な治療で苦しめるのはやめよう」
繰り返すうちに変容。
今「一方的な治療中止とさし控え」。本人、家族が望んでも一方的に引き上げられる。
米テキサス州。病院倫理委が「無益」と判断したら猶予10日。転院先が見つかっていなかったら引き上げていい。
一方的な決定に抗おうとする本人、家族からの訴訟が多数。

実例。資料「t」は終末期だったと思われる。ちらちら「v」。植物状態の人。2011年、カナダ、ラスーリさん。脳腫瘍摘出。手術失敗。奥さんがもと医師。誤診と主張。最小意識状態。めざましく回復。病院は「もとの状態には戻らないから無益」としてアイバン続行。
2013年、英国。最小意識状態の患者、これ以上意識レベルが落ちるなら生命維持をやめてよいという判決。
「最小意識状態」へと拡大されている。
現在も訴訟続行。
「もとのレベルには戻らない」「24時間介護」「施設介護必須」、多くの人が「これでは生きていきたいと思わない」という状態にしかならないから、治療は無益という主張。
線引きが前倒しで、最小意識状態からさらに拡大されていると思う。

問題点。
対象者の拡大減少。指標の変化(「救命できるかどうか」→「救命後のQOL」)。
死の自己決定権は患者の決定権。無益な医療、病院の決定権。患者の自己決定権は死ぬ方向にしか尊重されない。
友人に面白いことをいう人がいる。
「うちでは何が大事かはお父さんが決める。何が大事かはお母さんが決める」
患者の自己決定権は、こういうものになっているのではないか。
お母さん、節約に舵をきった。その枠組の中でお父さんが「自己決定」。
コスト論の混入。最近露骨に。話がややこしくなるので著書を読んで欲しい。
判断、個別判断→一律の切り捨て。無益論のマジック。
治療をどうするかという話、本来、個別に具体的に検討されるべき。そうでしかありえないものだと思う。
しかし「無益な治療論」、年齢、障害像による包括的一律の切り捨て論。そのスタンダードを敷いていると思う。
日本の尊厳死法制化の議論は、「無益な治療論」と同じ。
「死の自己決定論」とは言われているが、議論をながめていると、「無益な治療論」である。
日本、パターナリズムが根強い。それを考えると、「死の決定権」は簡単に「無益な治療」に転じる。
そのことが、どれだけ危ういか。
治療の中止・さし控えに風穴。医師による安楽死。
ベルギー「必要性のケース」の主張。「患者が安楽死を必要としている」と医師が判断してよい。
反論「医師の内なるキヴォーキアン(米国で自殺幇助をしていた医師)」。これを解き放つ方向に向かうのではと危惧。
世界各国、「尊厳死」「自殺幇助」と言わなくなった。AID。Assisted dying。死の援助、援助を受けて死ぬこと。漠然としている。何でもひっくるめることができてしまう。
重要な概念の操作が行われるのではないかと懸念している。
例:消極的安楽死と、治療中止・さし控えによる死、積極的安楽死、緩和目的の鎮静による死の早まり、最初から死を早めるための鎮静。
倫理的な違いがあるので慎重に区別されてきた。それがなし崩しに何でもありに。
最近のカナダ、ケベック。AIDにmedicalがついた。死を早める目的の鎮静。MAID。緩和ケアと位置づけて法案提出。反対派は「アパートでアヒルを飼って(違法)犬だと言いはる」。さまざまな新語が創出される。
概念の変容、変質、頻繁におこりつつある。注意して見ないといけないと思う。
鎮静をめぐって。区別がなしくずしになる動き、世界のあちこちに。
日本の尊厳死の議論を巡って重要。
英国、意図的に混同。高齢者を鎮静と脱水で意図的に死なせる。

英国 LCP Libarpool Care pathway
終末期の過剰医療への反省から、看取りケアの平準化へ。
高齢者、アセスメントなし、機会的に適用。
すぐポンプが出てくる。冗談を行っていた患者が意識をなくされ、脱水死に持っていかれる。
問題が多数。国が調査。昨年8月、報告書。高齢者差別が指摘される。シノドスに寄稿した。読んでほしい。
「どうせ高齢者」という意識。
英国のスキャンダルが炙りだしていること。
一方でおきた過剰医療、鎮静と脱水で死なせてしまうこと(これがケア?)、まったく違うものに見える。でもコインの裏表。
コイン、本質に対応しないと。
本質はなにか。
英国の提言書。本質を多数指摘。
信頼関係(家族や本人への説明など)がない。
意思決定が共有されてない(医療職が勝手に決める)←日本の過剰医療の根本問題もこれでは? 
これから団塊世代(英国の)が終末期に。なのに終末期医療は研究費の1%以下。これは何事か。
たとえば脱水防止、疾病群ごとに全然違う。それが出来るところまで研究が尽くされていない。研究を尽くすべきだと。
日本では、こういう指摘が出てこない。不思議。
英国政府が終末期ケア全体を包括的に抜本見直しすべきだと指摘。

これらの国々では、医療と患者と家族が対立し対決しなくてはならないのかという疑問を感じる。
死の自己決定権、無益な医療。議論、エスカレートして、患者が医療を受ける権利をおびやかす。
医療と患者・家族の溝と不信が深まるばかり。
日本も「何がなんでも延命」「さっさと死なせる」のどちらかの議論。コインの裏表。
本質。「医療の現状は追認」。
そこからは、医療の現状をどうするかの議論は出てこない。
医療、患者+家族の信頼関係、崩れるばかり。

患者・家族、「死なせて欲しい」「何が何でも治療して欲しい」のどちらでもない。
その間にとどまりつづけ、一つ一つの判断を丁寧に細やかに繰り返させてほしい。
それが本当の願いだと思う。
重度障害児の親として27年。医療に「絶対」はないと痛感。
ジレンマだらけ。
ジレンマだらけの中で、どこで折り合いをつけてみるか、何をやってみるかでしかない。
悩ましい。
でも私達親子は、早い時期に、その悩ましさを共有してくれる医師に出会えた。
医師の悩ましさ、私達の悩ましさ、共有して「だったらどこで折り合いをつけようか」。
それは幸せなことだった。
重度障害者、あっという間に危篤状態に陥ることがある。
日常の小さな医療の意思決定を医師・本人・家族が共有しておくことが重要。
大きな大きな決断を迫られるとき、それまでの悩ましさの共有、体験が作った信頼関係が重要。
今の日本の尊厳死法制化。「いかに死ぬか」「いかに死なせるか」に終始。
でも「終末期どうあるべきか」「そこに行くまでの医療どうあるべきか」という議論がされるべき。
議論を持ちだした人の意図は全然違うと思う。
でも日本に「一定の状態、障害像になったら潔く死にましょう」というメッセージを投げてしまっている。
医療の問題であるべきものを、患者の自己決定にしてしまっている。
この議論はいったん中断すべき。
死に方の問題と離れて、
「終末期医療を包括的に見直すためにどうするべきか」
から議論を仕切りなおすべき。

尊厳死法制化推進派、「日本は人権意識が遅れている」という。
日本にないものを紹介。
米国、障害者の保護と権利擁護システム。財源、連邦。医師に尊厳死させられる前に介入して生命を救った例も。自分のブログに日本語訳。ぜひ読んで。
「障害者の人権に配慮」、実効性のある権利擁護システムがなければ。「配慮」だけで弱者の人権が守れることありえない。
米国、介護者支援制度。地方自治体に義務付けられている。介護者の支援が位置づけられているから、障害者の人権が擁護される。
国際標準に追いついて、弱者の人権が守られる国にしてほしい。
人間生まれて死ぬまでいろいろある。死ぬことが尊重されるだけではなく、生きて自己決定することが支援され尊重あれる国であってほしい。
ありがとうございました。
(拍手)

・休憩

・福山哲郎(?)議員(写真撮れず)
集まってくださってありがとうございます。障害者権利条約、指導と支援感謝。
ここからもう一度始まるという感じ。
尊厳死法案、機運高まってないと思う。内容も抽象的。
恣意的に運用ができる内容、危険。
意見を聞いて、しっかりチェックしていきたい。
残念ながら議連に入っていない。状況よくわからない。
京都府選出。京都府、女性の障害者に対する差別を含めた条例、成立。
障害者スポーツ、毎週のように見ている。
今回の尊厳死の議論、あまりしっかりした議論なく進むことに危惧。
がんばっていきたい。

・川口有美子・橋本操「Not Dead Yet」
橋本
まだ死んでないと言わないと殺されてしまう

川口
年齢の拡大、障害者差別につながる。多数決で決めていいのか。
雰囲気で賛成する議員が多いのではないかと思う。
尊厳死はいいことだと、自分も考えていた。
母がALSになったとき、向き合った。
尊厳ある死はいいことだと、多くの人が考えている。
しかし「自己決定」「尊厳ある死」に疑問。
一度始めた治療が中止できないこと。本人の意志に反していることもあるかも。
でも話し合って丁寧に決めるべきこと。
治療停止、「最初に本人が決めておく」。
その時には本人は意思表示できない。
医療サイドの都合で中止されたりさし控えされたりすることになる。
本人のための法律にはならない。
医療というより介護の問題。本人を死なせて解決できるようにするということ。
ALS、人手、技術が足りない。意思の読み取りも難しい。出来る介護者、少ない。
解決しがたい問題を「本人の自己決定」で死なせて解決。
2人の医師のGoで呼吸器外せる。恐ろしい法律。
とりあえずこの法律には反対しておいたほうがいいと考えている。

橋本
私はチキンだから大量の鎮静剤を流されて臓器を取られるのが許せないんだ

川口
ありがとうございました。

・大濱眞 法制化をめぐる状況

現在、自民党PTに障害者団体として参加。はっきり反対。
田村厚労相、厚労相になる前にレクチャー。
「これでは障害者は生きていけなくなる」
そこで自民党PTに推薦してもらった。

米国、バウアーズ事件。
脊損、親からよく相談される。
医師に「歩けません」と言われた脊損の人が半年後に歩いている実例、たくさんある。
高度医療を勉強している医師とそうでない医師に大変な差。

自民党PTから、「手の内をはっきり見せない方がいい」と言われている。
でも「2人の医師」は危険。
どういう医師でも、2人の医師が「終末期で助からない」で死を決められたらたまらない。
いろいろと危険な問題をはらんだ法案。

さっきの児玉さんの話。
これから高齢者の問題。出てくると思う。
高齢者の終末期をどうするか。課題となると思う。
今日、尊厳死協会の方も来られているということでお願いしたい。
タカトリ議員の話にもあったように、大田典明、そもそも安楽死。
ピーター・シンガー、「意識がないなら殺していい」。
そこから日本の安楽死協会。障害者の敵。
安楽死協会、いったん解散してほしい。
法律は作ったほうがいいのか、どういう法律がいいのか、私達と一緒にゼロから考えてほしい。
それが一点目。
二点目。高齢者医療と医師会の倫理。
日本医師会、安楽死も自殺幇助も否定している。
これが原点だと思う。
児玉さんが言っていたように、「いかに死ぬか」でなく、「終末期医療いかにあるべきか」。
死んでいくとき、苦痛を伴わないで自然死できるということ。
尊厳死という言葉がおかしいと思う。
この場で、尊厳死という言葉を否定したい。
医師会の倫理として、違うと言っている。
そのベースを確認して、私達は尊厳死協会に対して、はっきり反対と言いたい。

・各界からのコメント

佐々木じゅん氏
在宅医療の内科医。ALS、神経疾患、末期がん患者さんなど見てきた。
尊厳死、考えてきた。
医師、障害者をみると「かわいそう」と思う。
医学部でICD?という尺度を学ぶ。
究極の健康状態を100%とすると、たとえば橋本操さんは15%。心臓と脳は動いている。
そういうことでいいんだろうか?
在宅医療、ICF、生活機能分類(?)を評価する。
ホーキング博士、身体が動かないから不健康というわけではないと思う。
したいことができて、社会に参加できている。これは健康。
五体満足でも引きこもってゲーム、お風呂入らずカップラーメン、これは不健康かも。
在宅医療、その人らしく生きること、そのための支援を考える。
病院、病気を治すことしか考えない。治らないなら「終末期」となるかもしれない。
でも終末期でも、環境を整えれば人生を楽しむことできる。
そのために支援を考えることが医療の役割。
自分は医師。殺すための医療はイヤ。
今の尊厳死法案、自分は疑問を感じる。
皆さんを応援している。がんばってください。

・平川克美氏
尊厳死に反対する市民の会(?)世話人もしている。
死はデジタルなものと思われているがアナログ。
自分は63歳。身体のあちこちが死につつある。
生きているとは、少し死につつあるということ。
「無益な治療論」があるとしたら、みんな無益。70年か80年たったらみんな死ぬ。
生や死に関する根本的な理解が幼稚、トンチンカン、デタラメというところから、この議論が来ていると思う。
生きているとか死んでいるとはどういうことなのか。
基本的な理解、人間に対する理解が、浅い、ガキのような、お金だけみたいなところから、こういう考え方が出てきている。
とても悲しく思う。
日本は、世界がどうあろうとも、この問題に関しては、死は個別的な死、みんな自分の死を死ぬ権利がある。
法律で「ここから先は治療をやめる権利がある」と決めるのは、まったくトンチンカン。
みんな自分の分野で、自分の知見を共有し合いながら、バカな法律を作らないようにしたい。
よろしく。

・雨宮処凛氏
川口さんに去年会うまでよく知らなかった。
貧困問題やっている。
知的障害のいとこが、病院から受け入れ拒否されて亡くなったことあり。
今でも経済的弱者は医療を受けられない問題。
人を生きられないようにする方向の法律、とんでもないと思う。
明日、川口さん、米津さんと、14歳からわかる生命倫理学を出す。

・司会
会場から何か。

・会場(男性)
精神障害2級の障害者。
障害者抹殺法案、なくしてほしい。
臓器提出。勝手に臓器取られる恐ろしい法案、やめてほしい。

・会場(男性・イシダさん。)
尊厳死法案に反対したい。いっしょにやりましょう。

・天畠さん
脳死経験者の天畠です。この法律の背景にはカネ。
死ぬ権利より生きる権利だ。

・男性
これは奇跡のことではありません。白雪姫プロジェクトをネットで見てください。
(聞き漏らす)
医療現場ではこの事実をどうお考えですか?
議員一年目と紹介された元医師の方、お答えください。

・司会
議員さん帰られたので、回答いただけるようにする。

・安積遊歩さん
1996年、優生保護法撤廃。
最初に障害者の不妊手術が定められていた恐ろしい法律。
障害者が生まれたらお金がかかるから。
1994年カイロ会議で、2000人の前でアピール。世界中からインタビューされて撤廃に。
その年に遺伝性の障害を持つ娘を産んだ。
でも今、世界では恐ろしいことになっている。
周りの人に、尊厳死という名のウソを。
自殺というより、追い詰められるから自殺させられるのであって、社会的に、生命というものは、生きたいということが本質。
尊厳死という名の「殺される」人生を生きるのは、まっぴら。
自分自身が重い障害を持っていなくても。
そのことを周囲にどんどん伝えていって。
すべての障害のない人も、赤ん坊のときは何もできない。
だったら殺すか?
価値のある赤ちゃんと価値のない赤ちゃんにわけて、障害のある赤ちゃんはお腹の中から殺していいという法律が通った。
出生前診断、臓器移植、尊厳死。
優生保護法、女性を守ることで母体保護法に。でも不十分。
社会全体が、生命をはぐくむ重要な場所。
「どうしたらいきいきと生きていけるのか」
障害のない人も含めて、すばらしい生命を持っている。
重い障害を持つ人は、本当に大事な人。
戦争にお金を使うヒマはない。
私達自信が、豊かにいきいきと人生を楽しむことをやっていこう。

・中西さん
閉会の挨拶。
多数の参加、感謝。議員も多数参加。法制化反対に大きな動きを作れたと思う。
この法律を阻止できればと思う。
自民党、与党の中でもきちんと議論された形跡はない。
大きな変化は当面起こりそうにない。
しかしこういう法律は、突然出てきて成立するもの。
どういうふうに進展していくのか、これが国会上程されるようなことがあったら、また集まって完全阻止を。
今日はありがとうございました。
(拍手)

・大塚
衆参あわせて議員16名、秘書さん10名、一般参加者約200名以上。
長時間ありがとうございました。

低収入だからこそ手放せなかった自己決定

私が運動障害を抱えるようになったのは、2005年秋、42歳のときでした。
フリーランスになった2000年から2005年にかけて、私は年収300万円~500万円程度の線を維持することができていました。
ちなみに1990年から2000年までは会社員でしたが、手取り年収はほぼ毎年、200万円台後半でした。300万円を超えたのは1991年だけです。単身・女性で(事実婚してましたが会社は一応知らない)、猫がいるので寮も社宅も利用せず、妻子のいる男性社員を前提といた数々の手当の対象には最初からなれず、必要のない残業を一切せず、フレックスタイムは最大限に活用し(フレックスタイムは「あっても利用しない」が望まれていました)、「女は家に」と主張する上司からは徹底的に嫌われており……となると、バブル期でもこんなものでした。
だから、心から「会社辞めてよかった」と思っていました。セクハラ・パワハラを日常的に受ける環境から自由になり、猫たちと一緒に日常を過ごしつつ仕事をしてワーク・ライフ・バランスの取れる生活を営むことができ、しかも収入アップ。
ところが運動障害を抱えることで、収入の前提となっているものの多くが失われてしまったわけです。
幸い、私の仕事の中には著述業が含まれていました。「含まれていました」というのは、著述業で得る収入の比率にも大きな波があったからです。
著述業は、障害によるネガティブな影響を少なくすることが比較的容易な職種の一つではあろうと思います。また、どちらかといえば軽視・軽蔑の対象となるゴーストライティング・事前リサーチ・音声起こしといった仕事に対しても、あまり抵抗を持っていませんでした(特に同業の他人様のインタビュー音声起こしは、とても勉強になって面白いです。余裕があれば、今でも時々ならやりたいくらいですが、なにぶん時間の余裕がありません)。
著述業を、または著述業の一部に分類される仕事を細々とでも続けてきた私には、「仕事も収入も全くない」という時期はありませんでした。「所得がない」または「所得が少ない」は、慢性的につづいていましたけれども。 
ちなみに、2006年~2012年の収入は、50万円~200万円程度で推移していました(所得ではなくて収入ですよ)。2008年からは障害基礎年金(1級)を受給し始めていたので、仕事での所得が50万円あれば生活保護水準に届くことになります。しかも自営なので、「収入が200万円で所得が50万円」という場面でも、給与所得者の「手取り150万円」に比べれば時間的にも経済的にも格段に余裕がある感じの生活を組み立てることが可能です(後記もご参照ください。給与所得者の価値観は捨てることが大前提です)。他にも、さまざまな幸運や支援がありました。大赤字だった年もありましたけど、猫の闘病も含めて、なんとか乗り越えてこれて……います。
生活保護の申請? 当然、何十回も考えましたよ。福祉事務所で申請を勧められたことまであります。ただ私は「もう一度大学院に行って博士号を取得し、博士号を前提とする次のステップを踏み出す」という希望を捨てたくなかったので、利用できませんでした。もし私が、大学院進学を前提としない将来像を考えていたり、あるいは、自分の将来の希望を大きく捻じ曲げずに生活保護を利用することが可能なのであれば、利用していたと思われます。いわゆる「スティグマ」は、自然に障害者自立運動に馴染んでいた私には全くありませんでしたから。
そんなわけで、猫の医療費・自腹の場合の取材経費を除くと「お金がないので困る」とか「カネがないのは首がないのと同じ」とか感じた経験は数えるほどしかないのですけれども、少なくとも「お金が充分に使える」という感じではありませんでした。今でも、お金を使うことには恐怖とためらいを感じています。

では、使えるお金が少ないとき、どこから削るか。
当時の私の場合、削ってよいと考えられる順位は
  1. 趣味・楽しみ・他人が「生きがい」と考えることがらのうち、「死守する必要はない」「代替手段がある」と考えられる部分+むしろ「世間様にとやかく言われる」予防のために戦略的に手放すべきと考えられる部分
  2. 衣服のうち、他人からは見えない部分
  3. 食のうち健康維持への寄与が少ない部分 
  4. 日常的な気晴らし(ゲームセンター通いとか)
  5. 衣服のうち、他人から見える部分
  6. 住のうち「見栄」に属する部分(これは「もしあれば」の話。実際にはなかった)
  7. 生産にかかわるもの(書籍・資料・PCなど作業に必須の機器を含む)のうち、代替出来る部分(図書館で利用することの可能な書籍など)
  8. たまの気晴らし(映画・外飲み・ライブなど)
  9. 住のうち日常のQOLに関わる部分
  10. 医療費。市販薬・マッサージ・サプリメントなどを含む。生産に対する効果という面から「選択と集中」。費用を抑制する。
  11. 猫に関する費用のうち、「安心料」に類するもの(フードの質を落とす・ワクチン接種の間隔を支障ない範囲で延ばすなどで対応)・何らかの代替手段があるもの
  12. 生産にかかわるもののうち、将来につながるもの(大学院の学費を含む)
  13. 住のうち仕事の生産性に関わる部分
  14. 食のうち健康維持への寄与が大きい部分
  15. 猫に関する費用のうち、生存・QOLに大きく関わるもの(医療費を含む)
という感じでした。
(交際費・通信費などは、目的・用途に応じて、1~15のどこかに割り振られる感じです)

この優先順位付けは、あくまでも私自身の価値観に基づくものです。しかも
「今なら自分自身だって、こうは考えないんだけどねえ」
という感じです。最下位の15位・14位は、今でもそうですけど。
もちろん、近親者その他の人々との間に、数多くの摩擦や対立を生みました。
でも私は、
「自分で考え、自分で決め、自分で選択する」
にこだわりました。
お金がないからこそ、自分の尊厳を守りたかったんです。自分の生活だけで大変だったからこそ、猫たちの楽しそうな姿と笑顔が大切だったんです。
私にとって、自分の尊厳の中心にあることは、
「自分で考え、自分で決め、自分で選択し、自分で行動し、結果を見て自分で考え……」
でした。そこには、猫も含めて誰とどのように暮らすか・誰とどのような関係を持つかが含まれています。
「自己決定を放棄するなら、ただ生きていることくらいは許してやってもいい」
というような干渉、何回も受けました。
そのたびに
「自己決定を放棄させられるくらいなら、誰にどのように放棄させられたかを明らかにして、放棄させた相手になるべく確実にダメージを与えられるように自殺する」
という決意を新たにしていました。
自己決定を放棄させようという強い圧力が加えられるたびに、私は自殺を決意しました。
実行しなかったのは、目の前に二匹の猫たちがいたからです。
猫たちを信頼できる誰かに託さずに自殺を実行することはできなかったから、「今日、今すぐ死ぬ」は先送りされざるを得なかったのです。
猫たちがいなかったら、私はたぶん、50歳の現在まで生きてこなかったと思います。

低収入のときにこそ、自己決定が重要。
社会的承認を得づらいからこそ、尊厳をもって扱われることが重要。
経験を通して、これらの実感にモチベートされているので、今の私は
「生活保護のくせに」「生活保護なのに」「生活保護なんだから」
の類に、全力で「No」と言いつづけています。
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(共著 2015.4 丸善出版)


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 (執筆協力・永島孝 2013.9 技術評論社)


「生活保護リアル」
(2013.7 日本評論社)

「生活保護リアル(Kindle版)」
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「ソフト・エッジ」
(中嶋震氏との共著 2013.3 丸善ライブラリー)


「組込みエンジニアのためのハードウェア入門」
(共著 2009.10 技術評論社)

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