「電動車椅子を利用はしているけれども、数メートル程度の歩行は可能」という私にとって、佐村河内守氏の一件と、それを受けての(ということになっている)厚労省の動きは、非常に痛手の大きな出来事でした。
佐村河内守氏に関する報道やネットの反応が引き金となり、私は幻覚妄想状態といっても良さそうな状況にまで陥りました。「いっても良さそうな」と書いているのは、その状態のまっただ中にある時に精神科を受診しておらず、それが精神科的にいう「幻覚妄想状態」そのものであるのかどうかは不明だからです。その期間に精神科を受診しなかったのは、恐怖から外出が難しく、かかりつけ精神科まで行けなかったからです。
現在は落ち着きつつあるので、どういう変化が起こったか、どう対処したかについて記録しておきます。

●時系列

・2014年2月6日
新垣隆氏謝罪会見。 この時は障害云々よりゴーストライティングの方が話題になっていたと記憶。私は、あまり大きな影響は受けなかった。というか渡米を控えてもろもろ多忙で気にするヒマがなかった。

・2014年2月10日
私、シカゴへ出発。

・2014年2月14日ごろ 
日本のニュースをチェックしていたときに、佐村河内守氏の障害偽装に関する大量のツイートが目に入る。中には「障害者はみんなチェックしろ」というものも。それらのツイートを見ている間に下痢した。
ちなみに私の場合、障害者手帳は再判定なしとなっているけれども、障害基礎年金で3年に1回の再判定を受けている。手帳と年金の両方で再判定なしとなっている障害者は、非常に例外的な存在。つまり、チェックならされている。そういうことを全然知らない人が、好きなように騒いでいることに、恐怖を感じた。

・2014年2月21日
日本の健常者が障害者を見る目がどうなっているのか恐怖を感じながら、帰国。
成田空港についてNEXを待つ間も、周囲の人々の視線が突き刺さるような感じだった。

・2014年2月22日~2014年3月5日ごろ
居酒屋での晩酌、カフェでの昼食などは、極力それまでと同じように行うようにしていたが、回数は激減していた。行きたくなかった。車椅子に乗っていたり、車椅子を降りて数歩歩行して席に座っている姿を見た健常者がどう考えるかと思ったら、怖くてしょうがなかった。冷ややかな視線、詮索がましい視線を向けられているような気がするが、胸を張って無視して飲食していた。
しかし食欲は激減していた。体重が3kg減少。

・2014年3月6日~3月9日ごろ 
非常な疲労感と恐怖感を感じるようになる。引きこもりがちに。西荻窪駅前まで出ることも難しくなる。立川のかかりつけ精神科に行かなくてはとは思うけれども、なにしろ駅まで行けないので電車にも乗れない。
この間に佐村河内氏の謝罪会見(3/7)があったようだが、ニュースを数本、ツイッターをチラ見したくらい。もう佐村河内氏どうでもいい、自分の精神状態の方がよっぽど問題、という感じ。

・2014年3月10日
友人の生活保護申請の付き添いで外出。カフェに入ったところ、知らない女性にジロジロ見られ続けるという出来事があった(参照)。この出来事をきっかけに妄想幻覚状態に。 

・2014年3月11日
夕方まで引きこもって過ごしていた。
しかし糖尿病もちの猫(摩耶、もうすぐ17歳)のインシュリンが切れていたので、動物病院(徒歩5分ほど)まで行かなくてはならない。夕方、やっとのことで動物病院方面に行く。まず朝から何も食べていなかったので回転寿司に入り若干の飲食。それからキャットフードや私自身の食べ物も切れているのでスーパーに。
行き交う人々がみな、自分のことを「偽装障害者ではないか」「障害者利権に恵まれていいご身分」「働かなくて済んでいいねえ」というふうに見ているという妄想が出る。人の顔という顔に、マンガの吹き出しみたいなものがついていて、そういうセリフが書いてあるように見える。やっとのことで動物病院に飛び込み、泣きながら用を済ませて帰途に向かう。通りすがりの人が自分を疑っていたり悪意を向けているように見えてしまう。私は「疑ってるんでしょう?」「何もごまかしてません、ウソついてません」「私、障害者福祉に甘えてません、働いてるんです、ウソじゃありません、証拠もあります」などと絶叫しながら帰宅。
頭のなかにあるだけなら妄想はまず問題にならないが、言葉や態度になって出てしまうと問題。私は
「妄想を絶叫してしまった」
と自責。もう生きていけないと思った。なんで「もう生きていけない」なのか、今からは理解できない。でもその時は、とにかく「生きていけない、早く死ななくては」と思った。そして二匹の猫を道連れに一家心中するしかないかと考えたが、猫を道連れにするのは忍びないので、愛猫家である25年来の友人に電話。話を聞いてもらい、落ち着かせてもらった。
そこに別の友人が来訪。用件は「カネがない、コメちょうだい」。非常用に備蓄している貴重な玄米(2010年福島産。長期保存可能なようにパッキングしてもらってあり、今でも新鮮な状態で食べられる)を5kg渡し、たわいない話をする。それで何とか落ち着いた。

・2014年3月12日-14日
なるべく外出を避けて過ごす。
1回だけ、上記の25年来の友人(居酒屋経営)の店に行く。私が佐村河内氏の事件以後、あまり精神状態がよくなくなっていることを心配した別の友人もやってきて、いろいろ話をした。少しは落ち着いた。しかし往復・店の出入りで人を見かけると怖かった。
この期間に大学院(4月から立命館大学先端研博士課程3年次に編入)入学手続き。不特定多数の人がいる街(西荻窪駅前といえども)に出ていき、写真館で証明写真を撮り、銀行の窓口で振込手続き……など。よくやれたと思う。

・2014年3月15日
立川のかかりつけ精神科へ。症状としのぎ方を相談。往復で非常に疲れた。不特定多数の人の顔を見ること自体が脅威。

・2014年3月16日-23日
「人が自分のことを疑念や悪意で見ている」という妄想はなくなったが、気が抜けたというか、いわゆる欠陥状態に近い状態に。気が抜けて虚脱状態という感じ。
外出や「他人がいる」に関する恐怖感は、それほど大きくはなくなった。
でも佐村河内氏の一件以後、障害者に対する日本の世の中の視線は、 冷たく詮索がましく無遠慮になったと感じる。また、障害者に対して悪意をぶつけることに対し、日本の世の中から抵抗感が若干失われたと感じる。今もそう感じ続けている。

●どう対処したか
 
・肉体の状況を少しでも良好に保つように心がけた。
 といっても食欲が非常に不安定になっていたし、家事をやるエネルギーもなかった。 
 せめて一日2回は食事をするように、うち1回は野菜や豆製品が入っている食事となるように心がけた。

・ふだんから、毎日リハビリを兼ねて入浴している。どんなに疲れていてもこの習慣は維持した。

・心身とも緊張が強いときには、外出が可能であればマッサージ店に入り、マッサージを受けた。
 さらに、その後すぐ寝るようにした。

・疲労・緊張・妄想が激しいときには、とにかく寝るようにした。
 帰国後の睡眠時間は、1日あたり10時間~13時間程度と思われる。

・仕事はなるべく通常通りに行うようにした。
 というか、仕事が行えるように睡眠・リラックスなどを充分に行い、
 精神状態が少しでもマシなときに集中して仕事した。
 「外に出る」「人の顔を見る」が妄想状態の引き金になるので、それさえ避けていればなんとかなった。

・とはいえ、この間、厚労省での傍聴2回、打ち合わせ2回のために外出する必要があった。
 不思議なもので、頭が仕事モードに入ると妄想さんが引っ込むため、なんとかなった。
 もっとも打ち合わせのための外出はやはり大変。
 「不特定多数の人がいる駅前に出て、不特定多数の人にジロジロ見られながら電車に乗る」
 とか考えただけで、朝から食欲がない。
 朝から何も食べずに、午後、打ち合わせをして、打ち合わせ後、空腹に気づいてファミレスに入ったり。
 するとそのファミレスから何時間も出られなくなってしまったりした。
 
●これからどうするか 

ただでさえ障害者に対する偏見が強く、障害者差別に対する本気の対処が行われていない日本の状況を、佐村河内氏の事件はさらに悪化させてしまった。田村厚労相や厚労省は
「ああいう一部の特異な事例のために、障害者がひどい目に遭うようなことがあってはならない」
というような言明を一度もしておらず、むしろその逆だし。
その日本で当面は生きていくしかないという事実は、考えただけで生き続ける意欲が萎える。
もうすぐ17歳になる猫の摩耶に、すこしでも長く、良い健康状態で生きてもらって天寿を全うさせるためにも、私は自殺するわけにはいかないし、ストレスで心身を痛めるような状況にありつづけるわけにもいかない。
当面は「猫のためにも死ねないから」と自分に言い聞かせながら日本で生き延びるしかないかと。
その間に、日本ほど障害者差別が酷くもなければ事実上の奨励もされていない国に、何らかの形で脱出することも考えたい。