「橋のない川」は、住井すゑの小説のタイトルです。
部落差別が目に見える深刻な問題であった時期、被差別部落への経路となる道や橋は設けられないことが少なくありませんでした。目の前の集落へつづく道がない・目の前の集落へ渡る橋がない風景は、言葉よりもずっと雄弁に、そこにある部落差別を物語っていました。
その後、いわゆる「同和対策事業」が盛んに行われました。その時期に数多くの道路や橋が設けられたため、「道がない」「橋がない」という風景を見ることはなくなりました。
では、目に見える差別はなくなったのでしょうか? そんなことはありません。
あなたの地域の福祉事務所は、もしかすると、現代版「橋のない川」なのかもしれません。

社会保障、特に生活保護について取材・執筆する機会の多い私は、北海道から九州までの日本の各地で福祉事務所を訪れています。
最初の動機は
「自分に辛く当たるケースワーカーがいる」
というような話を当事者の方に聞いたことです。私は、その方の地域を所管している福祉事務所を訪れ、担当ケースワーカーがいるようでしたら直接お話したいと思いました。とはいえ、不用意に
「受け持ち世帯の被保護者の方に辛く当たってませんか」
「 ◯◯さんが辛く当たられて苦しいと言っています」
とか言うわけにはいきません。かつて報道で重要視された「情報源秘匿の原則」の意味や重要性は、時代とともに変わってきていますけれども、 ケースワーカーに対する生活保護当事者のように政治的に弱い立場の方が情報源である場合には、現在でも情報源秘匿は重要な原則であると私は考えています。
だから、もし、そのケースワーカーさんにお目にかかることができたとしても、受け持ち世帯の方の話はできないというもどかしさがありました(このような場合には、「私が直接何か言う」という形ではない手段を考慮する必要があります)。
「生活保護について書くことの多いライターで、用事があって近くまで来たので、この地域の福祉事務所を見学させていただきたくて来ました」
と話し、本当に一般的な資料だけを頂戴し、可能であれば地域の事情を伺うのが精一杯です。長くても10分を超えることはありません。先方もお仕事中なのですから。
ところが、いくつかの福祉事務所で、このような取材ともなんとも言いがたい立ち話(車椅子族の私は座っていますが)を繰り返しているうちに、この1分~10分程度の立ち話で得られるものの大きさに気付きました。
最も得るところの多い収穫は、福祉事務所の建物やカウンター・机その他の什器・人員の配置を「わが目」で確認できることです。福祉事務所の建物は、自治体の通常の庁舎とは別の場所にある場合もあります。それ自体は、「福祉事務所に出入りする姿を見られたくない」というニーズへの配慮かもしれません。でも、いかにも「番外地」というような場所に福祉事務所相当部門を設け、プライバシーへの配慮もなにもない什器配置をしている福祉事務所もあります。もしかすると、建物やその位置づけが、お金をかけずに出来るはずの配慮までしづらくしているのかもしれません。
同じように「福祉事務所に出入りする姿を他人に見られにくい」というエントランスであっても、背景は大いに異なります。「配慮して、その人なりの自立を支援する」でもありうるし、「密室でさらに恥ずかしい思いをさせ、差別し、支配する」でもありえます。そして、建物や什器配置ほど雄弁に背景を物語るものは見当たりません。

素晴らしい例を一つ紹介します。
江戸川区の、ある福祉事務所(正式名称は異なります)の建物を正面から撮影したものです。福祉事務所への入り口は、左手奥にあります。


さらに見るべきことがあります。表示はどうでしょうか。漢字にふりがなはあるでしょうか。日本語以外の言語はあるでしょうか?

上の写真と同じ福祉事務所の中にある表示です。外国人の生活保護受給に関しては多様な意見があることを知っていますが、私はそれでもなお、言葉もままならない異国で困窮した方々への配慮は大切だと考えます。
こういうことの出来ない国、あるいは、こういうことを快くないと考える国民が多数いる国は、オリンピック・パラリンピックだからといって、外国の方に対する「おもてなし」を云々すべきではありません。

これでも足りないかも。他にスペイン語・ポルトガル語・タガログくらいは必要でしょうね。


トイレはどうでしょうか? 実際に障害者が問題なく利用することのできる多目的トイレが存在するでしょうか? 時期によりますが、生活保護当事者の相当の比率は障害者・傷病者に占められています。高齢で歩行が困難になりつつある方々も含めると、生活保護当事者の半数程度は手すり・トイレに関する配慮などを必要としていると考えられます。それらの「インフラ」は十分でしょうか? 自力移動・自力での日常生活が可能なように配慮することもできない自治体に、「経済的自立」「就労自立」とか言われてもねー。

見るべきものは、まだまだ他にもあります。
相談や申請目的での来所を拒むかのように、いかついガードマンがエントランス付近を警備していないでしょうか? もしそのような風景が見られるならば、その自治体がタテマエの世界で何を語っているとしても、生活保護行政にはあまり期待できません。
「いや、そういう目的でのガードマンではなくて」
ということにはなっているでしょうけれども、いかにも圧迫するかのようにガードマンや警察OBを配置している自治体は概ね例外なく、水際作戦その他の悪評が高い自治体でもあります。

口から出る言葉・表示したりインターネット上で公開したりする文字や文章を整えることは、建物を整えることに比べればずっと容易です。そしてそれらは「ホンネと裏腹のタテマエ」でもありえます。しかし、建物には「ホンネと裏腹」はありえません。良くも悪くもホンネだけが現れます。タテマエとホンネを使い分けたいのであれば、そのホンネが建物に現れます。
残念ながら、正式に取材申し込みをしているのでもない限り、福祉事務所の中で写真撮影を行うことは困難です。写真撮影を許可していただけたとしても、相談などで来所している当事者の方のプライバシーを守るため、撮影は慎重に行う必要があります。机の上にケース記録らしきファイルが広げられていたら、それが写り込まないようにアングルを考えます。隠し撮りなど、もってのほかです。というわけで、私も多くの写真は持っていません。
写真は残せないとしても、見ておくことには多大な意味があると思うので、行って見てみることを続けています。

さて、あなたの地域の福祉事務所は、
「生活保護にまつわるスティグマを増大させる場として」
「生存権保障の基盤としての生活保護を運用する場として」
「水際作戦の現場として」
「最後のセーフティネットの拠点として」
……
どのようにありたい場なのでしょうか。

生活保護に関心があるなら、まず、お近くの福祉事務所に行ってみましょう。
建物を見てみましょう。そして、入ってみましょう。いかついガードマンがいたとしても、入ること自体を拒まれることはありません。 
にこやかなケースワーカーの前に鬱屈を浮かべて背中を丸める当事者がいたら、「まあひどい」という表情を浮かべてケースワーカーの顔を見てみましょう。かなりの確率で、その当事者は「にっこり笑って五寸釘」的なイヤミ攻撃をされていますから。
ささいなことばかりですが、そんなことの数々は、時間はかかっても、お住まいの地域の福祉全般を底上げしたり、後退を食い止める力になります。
「見られている」「隠せない」という意識があれば、時間がかかっても自治体は変わります。


以下、アファリエイトです。

当事者・経験者から見た生活保護が分かります。
生きることは、それだけで機会です。
そして生活保護は「生きることを正義として国が支える」を具現したものです。
恥であるわけがありません。


生活保護を経験した和久井みちるさんのご著書。
生活保護当事者であるとは、どういうことなのか、よく分かります。



生活保護をテーマとしたマンガ単行本。
水際作戦の実際、申請に行った困窮者から見た福祉事務所の姿も描かれています。


拙著です(ソフトカバー(左)・Kindle版(右))。