本日2020年8月3日の東京新聞朝刊より、独断と偏見にもとづくピックアップです。note記事の下書きも兼ねています。

  • 社説「支え合い 70年の歩み」
1950年、有識者や国会議員が構成員となった政府の社会保障制度審議会が吉田茂内閣に提出した提言書から、戦後に整備された社会保険制度(年金、医療、失業給付など。2000年以後は介護保険)への流れ、そして少子化と高齢化が進行する今後の持続可能性についての懸念、新型コロナ禍で浮き彫りになった医療資源の脆弱さと住宅対策の手薄さを明らかにしています。医療は、供給する人々や病院や物資がなければ提供されません。住宅も、生きるために必要不可欠なものです。そして、1950年の勧告がこれらに触れていたことを紹介して締めくくられています。
 生活保護の成り立ちについて疑問を挟みたくなる記述もありますが、全体として平易、網羅的、そして取りこぼしが少なく、「さすが、新聞の社説ならでは」の内容です。

  • 世田谷、「誰でもPCR」へ(一面)
 世田谷区(保坂展人区長)は、1日あたり3000件のPCR検査体制を整える検討に入っています(現在は1日300件)。誰でもいつでも何回でもPCR検査を受けられるという体制です。費用は「公共的意義があるので」公費負担で、とのこと。財源には「ふるさと納税」やコロナ対策に関する寄付金をあてる予定。米国ニューヨーク州が、無症状感染者を発見して迅速に発見し新規感染者の増加に歯止めをかけたことをモデルとしているようす。検査の迅速化は、検体を試験管に入れる際、5人分をまとめて1本に入れ、陽性なら改めて1人分ずつ調べることで実現するとのこと。

私見:検査の迅速化方法に「おっ!」と思いました。コンピュータ科学の世界で「検索」は重要な要素技術の一つです。検索のさまざまな手法を適用すれば、もしかすると現在の設備のままでも3000件以上の検索をこなすことが可能なのかもしれません。
 しかしながら気になるのは、「陽性」と判明した後です。家族と同居している場合、隔離の場は? 入院治療が必要な場合、病床は確実に確保できるのでしょうか? 病院までの搬送は? 車両は? 人手は? 世田谷区の中だけなら何とかなるのかもしれませんが、新型コロナ以外の病気や症状の医療ニーズが圧迫されたりしないでしょうか? 保坂区長は「なんとかすることができる」という見通しのもとで推進しているのでしょう。私は、やや懸念をもって先行きを見守ろうと思います。
  • 新出生前診断 無認定が急増(三面)
 妊婦の血液から胎児の染色体異常を調べる「新出生前診断」は、2019年から一般医療として受けられるようになっています。関連学会の認定施設は、現在、40都道府県で109あるとのこと。しかし昨年から無認定施設が急増し、東京や大阪の民間クリニックを中心に135施設、うち「形成外科」「美容外科」など産婦人科以外の施設が55施設ということ。認定施設ではダウン症・18トリソミー・13トリソミーの3疾患しか調べられず、遺伝カウンセリングが必ず実施されます。未認定施設では性別判定やゲノム検査なども調べられ、遺伝カウンセリングは任意またはなし。この調査を行った大学教員(産婦人科)は「不適切な形での中絶」「妊婦が強い不安を抱くことで混乱」という可能性を懸念しています。新出生前診断はもともと、安易な命の選別につながる可能性が懸念されていました。


私見:「子どもが親の人生にもたらす不確実性やリスクを可能な限り減らしておきたい」と考える親にとっては、「なぜ、いけないのか?」というところだと思います。「遺伝カウンセリング」も、「余計なお世話」と感じる場面が少なくないものと推察されます。現在の日本では、障害児を生んだら親の自己責任とされ、親が責められることもあります。親は、差別や偏見の視線や口出し、弱みにつけこんだ宗教の勧誘などの中で子どもを育てることになります。高齢での初めての妊娠となり、妊娠・出産・育児の機会が人生で1回きりの場合も増えてきました。胎児に対して「どんな子か知りたい」「産むかどうか自分で選びたい」と思うことを責めるのは酷かもしれません。まずは大人世代一人ひとりが、子育て中の子どもや親に対してとやかく言ったり目くじらを立てたりすることを止めることでしょう。直接の手助けが困難ならせめて考えなしに手を出さず、さまざまな行動によって間接的に「子どもの育ちを支えよう」「子育ては大変なんだから親を支えよう」という大人が増え、結果として、出生前診断にまつわる問題がほぐれていくことを期待したいものです。

  • 「介護離職ゼロ」どうなった?(特報面)
 2015年、安倍政権が掲げた「介護離職ゼロ」という目標は、実現されるどころか、年間約10万人が家族の介護のために離職を強いられています。親が介護を必要とする時期は、子どもが40代~50代の働き盛りの時期と重なります。離職後、次の仕事に就けた人は25%にとどまります。働きながら介護を続ける人は、2012年から2017年の間で、約300万人から約350万人への増加となっています。行政も企業も制度を整備しつつあるのですが、周知されていなかったり、充分に使用されていなかったりします。また、介護サービスの不足による離職も15%以上見られます。そこに新型コロナ禍が襲い、プロの介護者に頼らず、家族が介護を担う傾向が現れています。

私見:親の介護を担う子どもが40代~50代の時期は、子育て期、それも費用がかかる高校生や大学生の時期と重なりがちです。これでは、少子化が進むはず。また、離職する人々の性別も気になります。女性の方が多いのなら、離職後の再就職はより困難になりそうです。元になっている総務省のデータを見る必要がありますが、今そこまでの根性ありません。
 「介護保険事業は障害者福祉よりは利幅が大きく、介護事業所は障害者福祉には参入したがらない」と言われています。確かに、介護事業所の選択肢は障害者福祉より介護保険の方が多いです。しかし、「介護保険の介護事業所でヘルパーが余っている」という話はなく、高齢者が主対象の介護保険の事業所でも、いつも深刻な人手不足です。
 何かが基本的におかしいのでしょう。出生率が回復しなければ少子高齢化が進行するばかりであることは、1980年代から認識されていました。少子化が進行する中で2000年に介護保険制度が発足しているわけですが、少子化の勢いは止まらず、介護保険は使いにくい方向で制度改革されるばかりです。介護保険と障害者福祉の統合を検討するのではなく、家族を当てにしない高齢者福祉の再構築が検討されてほしいところです。が、そうなると、「高齢者を積極的に死なせればいい」という話に流れそうです。2025年をピークに、高齢者は減少に向かうことが分かっているのですから、極論に走らない方向性は見いだせるのではないかと思うのですが。

  • ALS女性 生と死の間で(第二社会面)
  • 母親殺害容疑 28歳三男逮捕 八王子「頼まれた」(第二社会面)
 2019年11月に起こった京都の嘱託殺人事件(ALSに罹患していた51歳の女性が医師らに薬物による殺害を依頼)と、8月2日に28歳の息子(職業不詳)が八王子市に住む61歳の母親に対する殺人容疑で逮捕されたことが、同じ面の上下に掲載されていました。61歳の母親(無職)は、うつ病を患っており、息子に「死にたい」と頼んだとのことです。

私見:ALS女性患者の嘱託殺人の報道には、非常に気になることが一つあります。彼女の残したツイートやブログ記事を見る限り、介護者との関係は相当にストレスフルであったように見受けられ、激しくはないけれども虐待されることが日常の一部となっていた可能性も濃厚に思われます。しかし、どの報道も、その可能性については「全く」と言ってよいほど触れていないのです。本記事も「理解者や友人や生活環境に恵まれていたのに、なぜ?」というトーンです。報道のほとんどがこのようになる背景として思い当たる要因は、両手両足の指で数え切れないほどありますが、証拠をつかまない限りは私の妄想にすぎず、証拠をつかむなんて「無理無理ぜったい無理」。ともあれ私は、自分自身も障害者である立場から、また一般的に女性障害者が経験しやすい状況として「虐待されていた蓋然性が高いのでは」と示し続けることはできます。また、障害者に対する有形無形の強制や圧力について、法や制度の面から「ここがおかしいので、こういうことに歯止めができない」ということもできます。
 61歳のうつ病の母親が「死にたい」と言うので息子が応じて殺した八王子市の事件については、現在の日本で息子が手を下したら殺人容疑となります。しかし、現在の世界には、うつ病で死にたくなって医療機関に「死にたい」と相談したら、「あなたは死にたいんですね?」と意思を確認され、「それじゃ」ということで致死量の鎮静剤が郵送されてくる国や地域が実在します。安楽死や尊厳死を個人の人権のもとに合法化した国々では、そういう成り行きとなりがちなのです。日本の法律は安楽死や尊厳死を認めていませんが、実態として、既に「あるところにはある」状態です。法律が、辛うじての歯止めです。

 新聞は、まだまだ捨てたものではありません。朝刊にザザっと目を通すだけで、人間が発明して発達させてきた紙と印刷と編集とレイアウト技術の歴史的な蓄積の恩恵を受けられます。まだまだまだまだ、有効で大変役立ちますよ。
 東京新聞は、電子版だけなら一ヶ月3450円。1日100円と少しです。他の新聞があまり報道しないけれども重大な課題を継続して報道することに、特に強みを発揮しています。「東京」に偏るのが難ではありますが、おすすめできます。