●多忙とストレスからヤケ食いしてしまうまで

2014年7月1日、4月に3年次編入した大学院博士課程で、2回目のゼミ発表をしました。
前回(5月)は「ゼミ発表の練習」のような感じで許してもらいましたけど、今回は8月に投稿予定の論文(査読付き)の準備でした。研究歴が過去に(他分野で)あり、論文掻いたことがあって、査読付き発表もしたことあります。でも、それなりに緊張します。
緊張して、資料揃えて、構成を考えていたところに、精神科病棟の「病棟転換型居住等施設」問題が持ち上がり、それどころでなくなってしまいました。

なぜ、精神科病棟を居住施設にしてはならないのか?(1/3) - 「病棟転換型居住等施設」の背景と経緯 
なぜ、精神科病棟を居住施設にしてはならないのか?(2/3) - ある精神科看護師の思い
なぜ、精神科病棟を居住施設にしてはならないのか?(3/3) - 精神科長期入院を経験した人々の思い

6月26日、日比谷野音で「STOP! 精神科病棟転換型居住等施設6.26緊急集会」が開催されました。精神障害だけではなく多種多様な障害者・その障害者たちにかかわる支援者・医療関係者などで、日比谷野音は埋め尽くされました。

尾上浩二さん(@koji_onoue)による実況ツイートまとめ
STOP!精神科病棟転換型居住系施設6.26緊急集会

ちなみに7月1日、厚労省で取りまとめが行われ、いくつかの条件のもと、病棟転換型居住等施設は容認されることとなりました。もちろん、このような人をバカにした施設が許されては困ります。引き続き、働きかけが必要です。

さて、緊急集会の大成功は良かったのですが、私にはその後、この問題について速報性のある「Yahoo! ニュース」で報じつつ、遅れてしまった(予定されていた)仕事や研究をどう挽回するかという課題が残りました。
一人でいられる時間を最大限に確保し、最大限に集中するしかありません。
6月26日から28日早朝にかけ、連載「生活保護のリアル」と前述の3記事の合計4記事を書いて発表し、28日朝から30日にかけてゼミの準備をしました。
障害を抱えての生活と仕事だけで大変なのに、その生活と仕事の基盤を切り崩そうという動きがあれば、その動きとも闘いつつ生活と仕事を回していかなくてはならない。これがイマドキの、働く、家族を持つ(うちは猫ですが)障害者の置かれた実情です。潰されたくないから、仕事を発展させて生活を充実させていきたいから、大学院にも行ってます。「障害者のくせに行くからいけない」なんて言われても。


「障害者利権」などという言葉を口にする方もおられます。働いても働かなくても障害年金は得られます(精神障害の場合、働いたら得られなくなりますが)。これだけ大変なところに、それだけでは生存の保障もできないような障害基礎年金があるからって、それを「利権」と言いますか?

あ、「家が金持ちだから博士まで行ける」という誤解もあるようですが、実家から援助してもらってるから行けているわけではないです。援助してもらってないし。
イマドキの大学院、修士までなんとか行ってしまえば、あとは豊富な経済的支援を利用することが可能な場合もあります。博士課程に行くと、経済的支援の機会と内容はさらに充実します。人と環境によっては「給料もらいながら研究」も可能です。また、「高校も大学も行ってないけど大学院から」が可能な場合もあります。

ただ、実情も知らずに「あの人は恵まれてるから出来るのよ」と僻んだり、「羨ましい、羨ましい」と嫉妬したりするだけでは、そういう機会に近寄ることは難しいと思いますけれども。

私はヤケ食いしながら、寝不足になりながら、短い時間で集中して研究に励みました。
といいますか、無性にお腹がすくのです。しかも白米と甘いものが美味しくて美味しくてたまらないのです。いずれも、ふだんは食べていません。
ご飯をパクパク食べまくりながら、6月30日深夜、論文の下書きのようなものをなんとか書き上げました。
7月1日には一応はゼミで示して指導を受けることができました。
問題はその後でした。


●どうにも止まらない空腹感・食欲・喉の渇き

「異様にお腹が空く」「白米と甘いものが食べたい」という状況は、その後も続きました。どうにもとまらない(古っ)。
さらに、食べると「ぐてっ」という感じで眠たくなり、だるくなるのでした。それは異様なだるさでした。
さらに、ひどく喉が渇くのです。
7月3日、私は炭酸水1リットルを1ダース買いました。その1ダースの炭酸水は、7月5日には飲み干されていました。 
多飲多尿。食べてもパワーが出ない。食べたらだるくなる。
私には、大いに思い当たる節がありました。糖尿病または糖尿病の前段階の可能性です。猫の摩耶(17歳2ヶ月)の糖尿病闘病に、私はもう1年半以上近く付き合っています。
過去の私は、80kgオーバーという体重でありながら、「糖尿病になりかけ」という指摘を受けたことはありません。
たぶん、精神科病棟転換型居住等施設問題と研究の佳境が重なったことで、何かしらヤバい変化の引き金が引かれたのでしょう。 肥満は、引き金を引いたら簡単にヤバいことになるような状況を準備していたのでしょう。
糖尿病にはなりたくありません。摩耶の闘病で懲り懲りです。
なんとか、糖尿病を本格的に発症してしまう前に、引き返せるものなら引き返したい。
しかし病院に行くヒマもないし。
6月10日ごろには82kg台まで落ちていたこともあった体重は、7月3日には85kgに達していました。ここは体重が増えたことそのものより、「大変な量の白米とお菓子を食べているのに、たったこれだけしか体重が増えてない?」と警戒すべきところでしょう。


●糖尿病にはなりたくない! 断固、引き返すぞ!

私は7月5日の夜から、夕食に炭水化物をいただくのを止めました。おからの蒸しパンを作り、空腹感を抑えることにしました。
朝と昼は、これまで通りの食事としました。変えるのが面倒くさかったからです。
7月6日には、喉が渇く感じは軽減してきました。
7月7日には、異様な食欲が収まってきました。
本日7月10日、多飲症状も異様な食欲も、まったくなくなっています。
もし喉の乾きと多飲が、糖尿病(なりかけ?)の症状だったのだとしたら、夕食だけ糖質制限することによって、そこから引き返せたことになります。
7月10日朝、体重は83kgまで減少していました。


●医師の診察は? 客観的データは?

7月4日、別件(股関節と膝関節の痛み、筋肉拘縮の可能性)で整形外科に行ったとき、血液検査をお願いしてきました。
しかし結果を聞きに行く時間は、8月まで取れそうにありません。
摩耶のために買った(人間用)血糖値モニタリンググッズがあるので、検査キットを購入して(まだ買ってない)有効活用する、くらいしかないでしょうね。


●これから

まだまだ油断はできないと思います。
引き続き、体重が減っていくような食生活を心がけると同時に、「ヤケ食い」スイッチが入るような状況に陥ることを極力避け、糖尿病になるかもしれない危機から本格的に脱したいところです。