東京都文京区に障害者ホームを建設する計画が、周辺住民の反対のため、2年にわたって実行出来ない状態のままになっています。

相次ぐ障害者ホーム反対の背景は (NHK NEWSWEB 2014年1月27日)

東京・文京区小石川にある障害者のグループホームの建設予定地では、2年余り前に計画が持ち上がってから一部の住民が反対運動を続けています。建設予定地の周辺には今も「障害者施設建設反対」と書かれたのぼり旗が立ち並んでいます。この場所には文京区出身の障害者10人が暮らすグループホームが建設される予定です。

ホームを建設する社会福祉法人の江澤嘉男施設長は、「障害のある方たちが地域の住民の方と普通に交わって、地域の中の一市民として認めてもらえるためにも、このグループホームができあがることがわれわれにとって悲願です」と話しています。

しかし文京区が開いた説明会では、建設に反対する住民から障害者への不安や嫌悪感を示す発言が相次ぎました。

説明会の議事録には反対する住民たちの発言が記されています。

「女性の後をつけ回したりしないか」「ギャーとか、動物的な声が聞こえる」「(地価など)資産価値が下がる」

こうしたグループホームへの反対運動は、今、全国各地で起きています。

いやはや。
地域住民がこういう発言を恥ずかしげもなくできるような都市で、オリンピック・パラリンピックを実施してもいいものでしょうかねぇ……。
正直、
日本の恥だと思います。
障害者の問題行為は障害によって起こっているわけではないことの方が多いし、障害が原因であるとしても適切な療育や介助で大半が解決します。
性的嫌がらせレベルの「女性の後をつけ回す」だったら、障害の有無と無関係に警察に通報すれば済む話(で、そんなことは、めったにあるものではないです)。
「ギャーとか、動物的な声」に関しては、嫌がらせやイジメに対する唯一の抵抗であることが大半です。
「資産価値が下がる」に関しては、よくもまあ恥ずかしげもなくそんなことを言えるものだと呆れます。

ただ、私は、別の面から、このグループホーム計画に抵抗を感じます。
「障害者ホームを街の中に作る」は、ノーマライゼーションでもなんでもないと思うからです。
記事末尾には、このような記述がありますけれども。

こうした状況への反省から生まれたのが、障害のある人たちが地域で普通に暮らせるようにという「ノーマライゼーション」の理念で、グループホームなどの設置もこのノーマライゼーションの視点から進められているのです。

は? グループホームづくりのどこが、ノーマライゼーションなの?

かつて障害者施設や障害者ホームは、人里離れた風光明媚なところに建設されるものであり、その中には浮世離れした世界がありました。良くも悪くも「生産」「社会参加」から切り離された、障害者と介助者だけの世界です。
現在も、基本的にこの流れは変わってはいません。精神科病棟を居住施設に転用するという計画も、厚労省主導で進められようとしています。
「精神科病棟の中で、1Fは精神科外来、2Fは入院施設、3Fと4Fが居住施設(もと入院施設)。居住施設にいる人は、入院しているわけではなく、病院の敷地の中で『地域生活』してるんですっ!(キリッ)」
という、
大嘘やゴマカシも大概にしてほしい話が、ヘタすると現実化してしまう状況です。
これに比べれば、文京区の街の中に障害者ホームを作り、もともと文京区で家族と暮らしていた障害者たちが今後もずっと住み慣れた地域で住めるようにすることは、決して悪いことには見えません。たぶん、悪いことではないのだと思います。

しかし。
なぜ、その障害者たちは、アパートを借りて入居することができないのでしょうか?
「一人では契約できない」「一人では生活を営むことが困難」などの問題があるとしたら、そこは介助者・NPO・障害者団体などに支援を依頼すれば済む話。
施設の中は、そのような支援が提供される場でもあるわけですけれども、同じような支援を施設の外で提供して悪い理由はありません。
24時間の見守りを必要とする障害者が一人でアパートを借りて住めば、少なくとも1人の介護職の雇用を生み出すことができます。
「ノーマライゼーション」という言葉は、せめてこういうことに対して使って欲しいと思うのです。

それでもしかし、せめて(人里離れた場所ではなく)街の中に障害者ホームを作ることが
「ノーマライゼーションの大きな一歩」
であり、社会福祉法人の方が「悲願」とまで言われる日本の現実は、私もわがこととして、痛いほど理解できます。
ああ情けない。
日本は先進国の看板を下ろすか、先進国にふさわしい行動をするかのどちらかにしてほしいです。