ドラマ「明日、ママがいない」の放映が、
続行されるべきか中止されるべきかをめぐって
スポンサーのCM自粛も含めた大きな動きが起こっています。

今の成り行きを見ると、
近い将来に放映中止の判断がなされそうではあります。
ありうる、妥当な判断の一つだと思います。

しかし私はあえて、
「最終話まで放映されるべき(反語)」
と考えています。
このドラマに、
問題ありすぎる表現、関係者を傷つける表現が多いことは
承知しています。

・放送局の責任
 
  どのような体制、どのような意思決定のもとで、
 制作されオンエアされたのか。 
 その判断材料としても、ドラマそのものは重要です。
 多くの問題を含むドラマの放映を開始した以上、
 スポンサーが降りても最後まで放映するのも、
 一つの責任の取り方ではないでしょうか。

・表現者の責任

 すべての表現には、
 確かに誰かを傷つける可能性があります。
 その表現によって誰がどんなふうに傷つくか。
 表現する必要があると確信している表現者ならば、
 傷つけられる人々と傷つき方を見届けたうえで
 「ケツを拭く」 だけの覚悟があるのでしょう。

・視聴者の責任

 放映開始までには
 「視聴者は『あるある!』と思うだろう」
 「視聴者にウケるだろう」
 という判断が、明確にでなくともあったでしょう。
 「視聴者そういうもの」
 と考えられてしまっているモデルに近い視聴者は、
 少数であっても、確かにいるのでしょう。
 その番組を見ていない貴方は、
 「TVのドラマでもやってたから」
 と身近な誰かに事実であるかのごとく言われた時、
 「私、それ見てないけど、ちょっと違うんじゃないかと思う」
 と言えるでしょうか?
 世の中に流布しすぎているけれども、
 ちょっと考えてみると、どこかおかしな言説。
 たくさんあります。
 「ちょっと違うんじゃないの?」
 と言えますか?
 私も、生活保護問題を除くと、
 「ちょっと違う」と感じる自信も、
 「おかしい」といえる自信もないのです。
 さらに、その自信のなさについて、
 「私、TV持ってない歴30年だから免責ね」
 と言い訳するわけにもいかない気がしています。

放映が続行されるとしても、中止されるとしても、
なぜ放映に至ってしまったのかが
きちんと検証され、議論され、検討されますように。

間違っても
「抗議を受けたしスポンサーも降りたし
 BPOにも怒られちゃったから、
 仕方なく放映中止。
 おざなりな検証番組を作って、解決したことに」
という成り行きにならないことを、
私は心から望んでいます。