ヘルパーさんが来ていてもできない、むしろ、来ているからこそ出来ない家事があります。「片付け」です。
片付けは「これは捨てるか、捨てないか」「これをどこに置くか」という細かな判断の連続です。
ヘルパーさんと一緒に片付けを行うということは、異なる判断基準の確認の連続です。
「この人はこの人だから」で済めばいいんですが、たいていは、さまざまな感情的な問題を引き起こします。
ヘルパーさんに「捨てましょう」「これはまだイケますよね」と言われた時に「No」をいうのは、私にとっては非常にストレスフルなことです。でも意に沿わない「Yes」は言いたくありません。とすれば、「ヘルパーさんと片付けはやらない」が正解、ということになります。
片付けのヘルプをお願いしても軋轢が発生しない、あるいは私が泣き寝入りを強いられて悲しまないヘルパーさんは、過去7年のヘルパー派遣経験の中で2人しかいません。
私は入浴に介助を必要とするため、ヘルパーさんは必然的に女性となります。長年、異性介護は人権侵害のシンボルのようなものでしたから。
私にとって
「家事のやり方をめぐって女性どうしがぶつかる」
ほどイヤなことはありません。それはしばしば「だから女は」「だから女同士は」という冷笑の対象になります。もちろん
「家事のやり方をめぐって男性と女性がぶつかる」
もあるわけですし、それは女性に対して「男性がせっかくやってくれているのに」「感謝の心が足りない」などという説教の対象になりますが、それは男性の家族がいなければ解決できることです。そして、介護業界で長続きするタイプの男性のヘルパーさんは、概して、そういう愚かな「ぶつかる」を引き起こさない感じがします。
とにかく私は、ヘルパーさんとぶつかったり感情を損ねたりするのが本当にイヤなので、「それをされたら暮らせなくなる」レベルのこと以外では何も言いません。
しかし、細かな判断の異なりが細かくぶつかり合う「片付け」という場面では、私は少なくとも「(女の)闘い」を引き起こしてしまうヘルパーさんと一緒にいたくありません。「闘い」が起こらないにしても、「ヘルパーさんと片付けをする」は大変ストレスフルです。しかし片付けないと、自分が快適に過ごせない。
私はこのようなジレンマの中で日常を送っています。
「(女の)闘い」は私の取り越し苦労ではなく、実際に発生します。
ある介護事業所の所長(50代・女性)からは
「台所の布巾で床を拭かれて、それを台所に戻された」
というようなことをされました(雑巾は別の場所にちゃんとあります)。
この介護事業所の別のヘルパー(50代・女性)から暴言・暴行などを受け続けたので対処を要望したところ、所長がある日突然、
「明日から支援できません」
と打ち切りを通告してきました。
「それは困ります、明日まではお願いします」
と言ったところ、所長がやってきて、若干のヘルパー業務とともに暴行・暴言、さらに「台所の布巾で床を拭く」をやられたのでした。
別の介護事業所のサービス責任者(当時・30代女性)は、
「雑巾がなくなったのでタオルを一枚雑巾におろしていいですか?」
と私に言いました。私が
「はい、お願いします」
と答えると、新品に近かった戴き物のジャガード織りのタオルが雑巾にされていました。雑巾にするにふさわしいタオルは、他にもたくさんありました。でも私は何も言いませんでした。何か言ったら、「嫌がらせをされている」という惨めな事実を認めることになるし、愚かな「女の闘い」に巻き込まれることにもなります。
私はそのサービス責任者が帰った後、その雑巾にされたタオルを、泣きながら捨てました。その、嫌がらせの象徴を見続けたくなかったのです。
それから、古いベッドパッドを切り刻み、数年分の「雑巾」を作りました。
このような問題が起こってしまう背景には、さまざまな問題があるでしょう。
介護労働者の労働条件が良くはならず悪くなる一方であることも、その一つかと思われます。
ともあれ、ほとんどのヘルパーさんに、私は片付けのヘルプを頼むことができないという現状があります。
片付けは「これは捨てるか、捨てないか」「これをどこに置くか」という細かな判断の連続です。
ヘルパーさんと一緒に片付けを行うということは、異なる判断基準の確認の連続です。
「この人はこの人だから」で済めばいいんですが、たいていは、さまざまな感情的な問題を引き起こします。
ヘルパーさんに「捨てましょう」「これはまだイケますよね」と言われた時に「No」をいうのは、私にとっては非常にストレスフルなことです。でも意に沿わない「Yes」は言いたくありません。とすれば、「ヘルパーさんと片付けはやらない」が正解、ということになります。
片付けのヘルプをお願いしても軋轢が発生しない、あるいは私が泣き寝入りを強いられて悲しまないヘルパーさんは、過去7年のヘルパー派遣経験の中で2人しかいません。
私は入浴に介助を必要とするため、ヘルパーさんは必然的に女性となります。長年、異性介護は人権侵害のシンボルのようなものでしたから。
私にとって
「家事のやり方をめぐって女性どうしがぶつかる」
ほどイヤなことはありません。それはしばしば「だから女は」「だから女同士は」という冷笑の対象になります。もちろん
「家事のやり方をめぐって男性と女性がぶつかる」
もあるわけですし、それは女性に対して「男性がせっかくやってくれているのに」「感謝の心が足りない」などという説教の対象になりますが、それは男性の家族がいなければ解決できることです。そして、介護業界で長続きするタイプの男性のヘルパーさんは、概して、そういう愚かな「ぶつかる」を引き起こさない感じがします。
とにかく私は、ヘルパーさんとぶつかったり感情を損ねたりするのが本当にイヤなので、「それをされたら暮らせなくなる」レベルのこと以外では何も言いません。
しかし、細かな判断の異なりが細かくぶつかり合う「片付け」という場面では、私は少なくとも「(女の)闘い」を引き起こしてしまうヘルパーさんと一緒にいたくありません。「闘い」が起こらないにしても、「ヘルパーさんと片付けをする」は大変ストレスフルです。しかし片付けないと、自分が快適に過ごせない。
私はこのようなジレンマの中で日常を送っています。
「(女の)闘い」は私の取り越し苦労ではなく、実際に発生します。
ある介護事業所の所長(50代・女性)からは
「台所の布巾で床を拭かれて、それを台所に戻された」
というようなことをされました(雑巾は別の場所にちゃんとあります)。
この介護事業所の別のヘルパー(50代・女性)から暴言・暴行などを受け続けたので対処を要望したところ、所長がある日突然、
「明日から支援できません」
と打ち切りを通告してきました。
「それは困ります、明日まではお願いします」
と言ったところ、所長がやってきて、若干のヘルパー業務とともに暴行・暴言、さらに「台所の布巾で床を拭く」をやられたのでした。
別の介護事業所のサービス責任者(当時・30代女性)は、
「雑巾がなくなったのでタオルを一枚雑巾におろしていいですか?」
と私に言いました。私が
「はい、お願いします」
と答えると、新品に近かった戴き物のジャガード織りのタオルが雑巾にされていました。雑巾にするにふさわしいタオルは、他にもたくさんありました。でも私は何も言いませんでした。何か言ったら、「嫌がらせをされている」という惨めな事実を認めることになるし、愚かな「女の闘い」に巻き込まれることにもなります。
私はそのサービス責任者が帰った後、その雑巾にされたタオルを、泣きながら捨てました。その、嫌がらせの象徴を見続けたくなかったのです。
それから、古いベッドパッドを切り刻み、数年分の「雑巾」を作りました。
このような問題が起こってしまう背景には、さまざまな問題があるでしょう。
介護労働者の労働条件が良くはならず悪くなる一方であることも、その一つかと思われます。
ともあれ、ほとんどのヘルパーさんに、私は片付けのヘルプを頼むことができないという現状があります。