●2014年2月18日
この日午後、シカゴからNYCに移動。
午前中、
・ユースホステルのチェックアウト
・お土産の買い物(スーパーのエコバッグですけど)
・撮影
などを行い、アセアセとブルーラインに乗ってオヘア国際空港へ。
・ユースホステルのチェックアウト
余った瓶詰め調味料類を、後の人のために残していきました。
私も過去の米国のユースホステル利用で、さんざん、他人様に残してもらった食材のお世話になっていますからね。今回は他人様の余り食材のお世話にはなれませんでしたけど。
こんなふうに「FREE FOOD」というラベル(用意されている)を張っておきます。
予想外に外食したので、パン・チーズなどが1食分くらい余っています。
私はバッグパックにそれらを詰め込みました。
おかげで、この日、夕食が食べられることになりました。
・撮影
ユースホステルを出て近辺の風景の撮影など。
気楽に「また撮りにくればいいさ」というわけにはいかないので。
西鉄大牟田線の天神-薬院間にちょっと似ている風景。
路上生活者に障害者が目立つこと、日本と同様です。
私はたいへん気になりました。
下肢欠損のお一人に話しかけて若干の会話をし、いくらかの小銭をさし上げて撮影させていただくことに成功。
かなり年配の方でした。
障害ゆえ家族から疎まれ、ろくに教育を受けられず、家庭から放り出されたら簡単に路上へ、という成り行きのようでした。米国で障害児に対する教育機会保障が始まったのは1970年代のことですから、現在50歳の私と同年輩以上だと、その恩恵には与っていない可能性があります。
ご本人が本当のことを言っているのかどうかは判断のしようがないし、自分の英語力に自信ないし、1分くらいしかお話を聞けてないのですが(なにしろ施しを受けるためのアピールにお忙しい)、似たような話は日本にもよくあります。
日本の障害者の場合、困窮すると路上に長居もできず、わざと軽犯罪を犯して刑務所に行ったりすることが珍しくないので、「見えづらい」といえば見えづらいのではありますが、路上生活者の障害者比率が高いこと、ちょっと注意していれば日本でも気づきますよ。
・お土産の買い物
といっても車椅子に余分に積める荷物の量は微々たるもの。
現地スーパーのエコバッグ、シカゴ美術館の絵葉書セット程度。
この日、シカゴ美術館の車椅子用スロープは閉鎖されており、除雪もされていませんでした。
まごまごしていると、通りすがりの方が「あっちに accecible な入り口あるよ」と教えてくださいました。視覚サインのわかりやすさは、日本の方がかなり上という印象を受けますね。
・オヘア国際空港へ
このあたりで時間がなくなってきました。
前日と同様にブルーラインに乗り、オヘア国際空港へ。
全く困ることなく乗降車介助を受けることができました。
私の顔に「焦ってるんだよー! 確実に乗せてええええ!」と書いてあったからかもしれません。
・フライト遅延の上キャンセル、振替便も遅延
14:30予定のフライトが遅延していたので、搭乗手続きの後、昼食を食べることにしました。
なんだか疲れて食欲がありません。スープとコーヒーのみ。空港価格で9ドル。
食べたら出ます。というわけでトイレへ。
車椅子トイレ(女子トイレの中にある)の鍵が壊れていましたが、背に腹は変えられません。
まー、間違って開けられても、相手は女性だし。
この後、フライトは遅延に遅延を重ねた末キャンセル。
17:30の便に振り替えてもらったのですが、その便も遅延。
手配していたNYCからのSuperShuttleをキャンセルして予約の取り直し、ホテルに到着が遅れる旨の連絡、機内預けの荷物が振替便に積まれたことの確認、などなどを行い、車椅子の上でぐったりしていました。
結局、振替便の離陸は19:00過ぎになったような。もう疲れ果ててて、はっきり覚えてません。
NYC(ラガーディア空港)到着は21:30、 そこからSuperShuttleでホテル(West Side YMCA)に向かい、チェックインしたのが23:00ごろ。
もう外に行く元気ありません。カバンの中の残り食糧で夕食にしました。
それにしても、このホテル、絶好のロケーションと安価さ(約80ドル)はありがたいのですが。なかなか壮絶です。窓から隙間風が吹き込んでくるし、トイレに行くのにエレベータ乗らなきゃいけないし。 「どうしても、この場所じゃないと」という理由がなければ、二度と利用しないんじゃないかなあと思います。古くて趣きのある建物で、中も外も見る分には楽しめるんですけどね。
この日午後、シカゴからNYCに移動。
午前中、
・ユースホステルのチェックアウト
・お土産の買い物(スーパーのエコバッグですけど)
・撮影
などを行い、アセアセとブルーラインに乗ってオヘア国際空港へ。
・ユースホステルのチェックアウト
余った瓶詰め調味料類を、後の人のために残していきました。
私も過去の米国のユースホステル利用で、さんざん、他人様に残してもらった食材のお世話になっていますからね。今回は他人様の余り食材のお世話にはなれませんでしたけど。
こんなふうに「FREE FOOD」というラベル(用意されている)を張っておきます。
予想外に外食したので、パン・チーズなどが1食分くらい余っています。
私はバッグパックにそれらを詰め込みました。
おかげで、この日、夕食が食べられることになりました。
・撮影
ユースホステルを出て近辺の風景の撮影など。
気楽に「また撮りにくればいいさ」というわけにはいかないので。
西鉄大牟田線の天神-薬院間にちょっと似ている風景。
路上生活者に障害者が目立つこと、日本と同様です。
私はたいへん気になりました。
下肢欠損のお一人に話しかけて若干の会話をし、いくらかの小銭をさし上げて撮影させていただくことに成功。
かなり年配の方でした。
障害ゆえ家族から疎まれ、ろくに教育を受けられず、家庭から放り出されたら簡単に路上へ、という成り行きのようでした。米国で障害児に対する教育機会保障が始まったのは1970年代のことですから、現在50歳の私と同年輩以上だと、その恩恵には与っていない可能性があります。
ご本人が本当のことを言っているのかどうかは判断のしようがないし、自分の英語力に自信ないし、1分くらいしかお話を聞けてないのですが(なにしろ施しを受けるためのアピールにお忙しい)、似たような話は日本にもよくあります。
日本の障害者の場合、困窮すると路上に長居もできず、わざと軽犯罪を犯して刑務所に行ったりすることが珍しくないので、「見えづらい」といえば見えづらいのではありますが、路上生活者の障害者比率が高いこと、ちょっと注意していれば日本でも気づきますよ。
・お土産の買い物
といっても車椅子に余分に積める荷物の量は微々たるもの。
現地スーパーのエコバッグ、シカゴ美術館の絵葉書セット程度。
この日、シカゴ美術館の車椅子用スロープは閉鎖されており、除雪もされていませんでした。
まごまごしていると、通りすがりの方が「あっちに accecible な入り口あるよ」と教えてくださいました。視覚サインのわかりやすさは、日本の方がかなり上という印象を受けますね。
・オヘア国際空港へ
このあたりで時間がなくなってきました。
前日と同様にブルーラインに乗り、オヘア国際空港へ。
全く困ることなく乗降車介助を受けることができました。
私の顔に「焦ってるんだよー! 確実に乗せてええええ!」と書いてあったからかもしれません。
・フライト遅延の上キャンセル、振替便も遅延
14:30予定のフライトが遅延していたので、搭乗手続きの後、昼食を食べることにしました。
なんだか疲れて食欲がありません。スープとコーヒーのみ。空港価格で9ドル。
食べたら出ます。というわけでトイレへ。
車椅子トイレ(女子トイレの中にある)の鍵が壊れていましたが、背に腹は変えられません。
まー、間違って開けられても、相手は女性だし。
この後、フライトは遅延に遅延を重ねた末キャンセル。
17:30の便に振り替えてもらったのですが、その便も遅延。
手配していたNYCからのSuperShuttleをキャンセルして予約の取り直し、ホテルに到着が遅れる旨の連絡、機内預けの荷物が振替便に積まれたことの確認、などなどを行い、車椅子の上でぐったりしていました。
結局、振替便の離陸は19:00過ぎになったような。もう疲れ果ててて、はっきり覚えてません。
NYC(ラガーディア空港)到着は21:30、 そこからSuperShuttleでホテル(West Side YMCA)に向かい、チェックインしたのが23:00ごろ。
もう外に行く元気ありません。カバンの中の残り食糧で夕食にしました。
それにしても、このホテル、絶好のロケーションと安価さ(約80ドル)はありがたいのですが。なかなか壮絶です。窓から隙間風が吹き込んでくるし、トイレに行くのにエレベータ乗らなきゃいけないし。 「どうしても、この場所じゃないと」という理由がなければ、二度と利用しないんじゃないかなあと思います。古くて趣きのある建物で、中も外も見る分には楽しめるんですけどね。