みわよしこのなんでもブログ : 子ども

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ライター・みわよしこのブログ。猫話、料理の話、車椅子での日常悲喜こもごも、時には真面目な記事も。アフィリエイトの実験場として割り切り、テーマは限定しません。


子ども

「考える人間」に育つには? (3)再び、我が子へ:自分の立場に対して

「考える人間」に育つには?

(1) 我が子へ:日本の学校教育というものに対して
(2) 学校教員たちへ

の続編です。

「我が子」として想定しているのは、
「もし、我が家の猫の摩耶(16)が、人間の高1女子だったら」
です。
収入の不安定なシングルマザーである私の娘、摩耶は、
「本当は行きたい高校が、公立にも私立にもあったんだけど、
 私立は受かったけど行けず、
 公立は安全圏を狙って、ちょっと不本意なところに」
という感じで高校受験。
学区ナンバー3かナンバー4くらいの、
進学実績をあげようと教員たちがやや必死になっている
都立高校の全日制普通科に通っている。
一応、大学進学希望。まだ文系か理系かも決めていない。
おかーさんからは、つねづね、
「うち、大学だったら国公立か夜間しか行かせてやれないからね」
と言われているけれど、
「進学はさせてやれないから、就職して、家にお金入れて」
とは言われていない。
……そういう設定とします。
我が家の文化的バックグラウンドや、
私自身が勉強をかなり見てやれることを考えれば、
学習・知能に特にハンディキャップがなければ、
摩耶は、それが可能な程度の発達は自然に遂げていそうだからです。

私の住む学区には、
制服がなく自由な校風で知られる都立高校もありますが、
不本意にもそこを受験できなかった摩耶は、
ちょっと気に入らない制服や、結構ヘンな校則のある高校に進学。
一年が過ぎかけています。

本エントリーのお題は、制服と校則についてです。

制服と校則に対して、
親・子それぞれ、または親子ともが、
どう考え、どう対応できるか。
親と子どもがどの程度話をできているか、
親を子どもがどの程度信頼しているか、
そういったことを試す良い機会になりそうです。
 
私は福岡県の女子中・女子高に通っていました。
福岡では、名門女子校として知られている学校の一つです。
制服で学校の外にいると、
その制服を性的な記号としてしか見ないオヤジが多くて
つくづく困惑しました。
高校3年の1学期まで芸術系への進学を考えていた私は、
制服のまま、音楽のレッスンなどに通う機会が多く、
しばしば22時台の終バスを、バス停で待つことになりました。
すると、ちょっと一杯ひっかけたらしいオヤジが
「◯校の生徒って、本当は乱れてるんでしょう?
 飲みに行こうよ、タクシーに乗ってラブホ行こうよ」
などと、しつこいのです。
そこまでのことがなかったとしても、
「躾に厳しいはずの名門女子校の制服に身を包んだ中学生・高校生女子」
という性的記号としてしか見られていないな……という場面は
かなりの頻度でありました。


そして原家族とその周辺には、
そういう相談が出来る大人は全然いませんでした。
むしろ、進んで性的な記号にならないことを
責めるような大人が圧倒的に多かったのです。
そうじゃない大人も少しだけいましたが、
発言力は、いないのと同程度に少なかったです。
でも、一番辛かったのは、そのことではありません。

その女子中・高が
「お金持ちの子どもの行く学校」
とされていたということは、
私をかなり長い間苦しめました。
制服で福岡市中心街に出ると、
「あしなが育英会」の高校生が募金に立って、
「よろしくお願いしまーす!」
と声を張り上げていたりします。
たいていは、市立や県立の、あまり偏差値の高くない高校の制服です。
名門女子校の制服を着た私は、
どんな顔をして、何と言って募金に応じれば、
あるいは応じなければ良いのでしょうか?
たいていは、黙って頭を下げて、
小遣いの中から一番大きいお金を渡しました。
「ありがとうございます!」
という声が返ってきます。
それは辛い時間でした。
なぜ、目の前の同世代の高校生が、
同じ高校生に献金されて感謝しなくてはならないのか。
理不尽極まりない話です。
でも、この問題を、一人の高校生が解決できるでしょうか?
はっきり言って、無理です。
問題意識を抱えたまま、少しでも解決できる大人になること。
それ以外に解決の道はありません。
だから、私は自分を責めずに、
高校生活を充実させ、勉強し、進学すべきだったのです。
……当時の私に、そう言ってくれる大人がいれば。
今でも、ときどきそう思います。

摩耶が同じようなことで悩んでいたら、
おかーさんである私は、
自著「生活保護リアル」の「江戸川中3勉強会」の章にしおりを挟んで、
黙って渡すと思います。

「もう読んだし!」と言われちゃったら、こちら。


校則というものは、ある意味で
「これを守っていれば公的には罰されません」
という学校内ガイドラインです。
私は、校則を厳格に守っていました。
私の母親は、しばしば制服のスカート丈を勝手に長くしては
「短いとみっともないから、お母さんがしてやった、だから!」
と、嫌がる私を無理やりそのまま学校に行かせました。
その日が風紀検査だったら、
私は校則違反でとっちめられるわけです。
それ以外では、私は校則違反は一回もしていません。 
そのことは、私の学校内での居心地を、
良くもしましたし、悪くもしました。
校則を重視する教師たちのウケはいいのですが、
同級生からのウケが良いわけはありません。
校則より大事なことがあると考える教師たちからも、
強い風当たりを受けることになりました。

基本的には、制服や校則といった
「世の中の『理不尽』なルール」は、
そのようなものをめぐって、どう考え、どう行動するか。
親子で鍛えられ、親子で成長する良い機会だと思います。
そもそも「理不尽」という言葉は、
制服や下らない校則について使うものではないと思います。
お金はやや(かなり?)不足気味の、
シングルマザーの子どもとして育ったけれども、
ほどほど・そこそこ・まあまあの愛情と、
やや多すぎるかもしれない知的な刺激を受け、
そこそこの都立高校に行けて、
進学の道も閉ざされてはいない、
摩耶のような高1、世の中には少なくないでしょう。
 おかーさんに充分なお金はありませんが、知恵や経験はあります。
 おかーさんのたくさんの友人たちも、
 摩耶の進路相談や将来計画の実現に、
 知恵と力を貸してくれるでしょう。
 しかしそれは、おかーさん自身の
 大学院博士課程満期退学という学歴と
 大いに関係ある話です。
 おかーさんの友人に、
 博士号取得者はいったい何人いるんでしょうか。
 数えたことはありませんが、100人近そうです。 
 子どもが育つにあたっての、大変な無形資産です。 
一方で、お金も愛情も成長への刺激も不足し、
そこまでも到達できない子どもがいます。
「理不尽」という言葉は、そういうことに対して使うべきだと、
おかーさんである私は思うのです。

こんな時代ですから、
より良く、より深く考える存在に。
よりタフな存在に。
変化し、成長する機会は大切です。
親子とも、ね。

「考える人間」に育つには? (2)学校教員たちへ

の続編です。

私は、
日本の学校教育を「子どもに与えたい教育」とは
考えていません。
しかしながら、
日本で生まれ、日本で育ち、日本の学校に通い、
今すぐに日本を飛び出せる当てがあるわけでもなんでもない我が子に対しては、
現状と折り合いつつ自分の将来を考えられるように
ヒントを与え、環境を整備することを続けざるを得ないと思います。
それが前編でした。

では、学校や教員に対しては?
私、一応、教員免許(高校理科専修・中学理科一級)を持ってて、
まだ無効にはなってません。
また、専門学校非常勤などの教員経験もあります。
その立場から、学校・教員サイドに質したいことは、やはりあるのです。

・目の前の従順そうな生徒が、
 「無味乾燥な知識を無意味に暗記させられる」と考えている可能性について、
 どのくらい考えていますか? 
 
・たとえば、あなたが理学部物理学科出身であるとして、
 「物理、なにそれ、嫌い」と言っている低学力の生徒に
 どう接したいですか? 
 「教えることを(実質的に)断念する」以外に
 行動の選択肢を持っていますか? 
 その生徒たちは、その後の一生で二度と、
 物理に触れないかもしれないんですよ。
 人生最後かもしれないんですよ。
 その可能性を考えていますか? 
 (そこらへんに想像が及ばず、対策しない教員が多かったから
  物理の選択率が下がって、
  物理科の教員採用が激減したんでしょうが!)


・団体行動は、それ自体は出来ないより出来たほうがいいんです。
 巧くできるに越したことはないんです。
 では、
 「団体行動する」「集団の和を乱さない」「秩序正しく行動する」と、
 「生命を守る」「健康を守る」「安全を守る」の優先順位の関係はどうですか? 
 相容れない場合、摺り合わせられますか? 
 摺り合わせ方法や方針は? 判断基準は?
 (参考:石巻市・大川小学校事件)


しかしながら、学校に問題がたくさんあるとはいえ、
日本で学校に通い、問題意識を持てる子どもの立場は、
やはり社会全体から見て
「恵まれている」
と言わざるを得ません。
自分の立場をどう考えるか。
続編は、ふたたび、子どもへのメッセージです。 

「考える人間」に育つには? (1)我が子へ:「日本の学校教育」というものに対して

「日本の学校は、考えない人間を5つの方法で生み出している」 

が、身近でちょっと話題になっています。
まず、話題になっている部分を引用します。

教育の現場では、どうやって子供たちを考えさせないようにしているのだろうか。それには、次の5つによって、成し遂げられている。
(1)暗記を押し付けて「考えさせない」
(2)苦手を押し付けて「考えさせない」
(3)制服を押し付けて「考えさせない」
(4)規則を押し付けて「考えさせない」
(5)団体行動を押し付けて「考えさせない」
暗記をひたすらやらせると、考えるヒマがない。だから、学校は考える余裕がなくなるほど、暗記させる。
暗記教育が悪いわけではないが、暗記重視によって考えるという部分が消失してしまうようにしているのは問題だ。
得意を伸ばさず、苦手を克服するように仕向けるのも、考えさせるのを嫌にするための手法だ。
誰もが苦手なものを考えるのは苦痛だが、その苦痛を押しつけることによって、考えることそのものを苦痛にしてしまう。その結果、誰も考えなくなってしまう。
制服を押しつけるのも、個性を殺して「考えさせない」ための有益な手法である。
細かい規則を守らせるのも、団体行動を強制するのも、すべて「考えさせない」で「従わせる」ためのものなのである。学校が馬鹿げているほど細かい規則を守らせるのはなぜか。

究極的には「何も考えず、黙って従う」人間を作り出すためだ。日本の学校は、考えない人間を5つの方法で生み出していると言っても過言ではない。 

ほんとかなー?
学校教育を供給する立場の人々の一部に、
そういう意図「も」ないとは言わないけど。


私は人間の子どもを持ったことはありませんが、
「我が子」ということにしている猫が、延べ4匹おります。
現在存命中の猫は、16歳女子と5歳男子。
もし、16歳女子の摩耶が人間の高校1年生で、そういうことを言い出したら?
私は以下のように言って聞かせたいと思います。

「おかーさんも、日本の学校教育に問題が多いことは確かだと思う。
 『考えない人間』量産システムという側面も、確かにある。
 でもさ、そんなことで『考えない人間』になってしまう人は、
 どんな結構な環境があっても『考える人間』にはなれないと思うよ。

 暗記して頭に入れておくこと、日本的な『お勉強』のスキルと実績は、
 どこに行っても必要だよ。
 考えるためには、ある程度は覚える必要がある。
 覚えることは考え始めるきっかけでもある。
 『考える』『覚える』を別物のように考えることには、おかーさんは反対だな。 
 
 苦手科目とか嫌いな科目とかって、あるよね。
 おかーさんも、あったさ。
 中学1年で数学落ちこぼれ、中学3年で英語落ちこぼれ、
 大学では、物理落ちこぼれ。
 ……え? なんでそんなに、もともと丸い目を真ん丸にしてるの?
 物理学科に行って物理落ちこぼれるなんて? って?
 よくある話よ。
 高校生が考えてる大学での勉強と、大学の勉強は違うからね。
 (実話。解析力学以外は苦手だったんですよ。
  数学と英語は大学では非常に得意だったので、
  大学院入試は何とかなりましたけど)
 
 でもさ、苦手なことにも、ちょっと触れてみるくらいの機会はあったほうがいい。
 案外、食わず嫌いなだけかもしれないし。
 『この先生嫌い』が『この科目嫌い』になっているという残念な話かもしれないし。
 将来、やりたくなってやり直したら、
 今、下地が少しでもあるぶんだけ、スムーズに出来るかもしれないし。
 
 制服や規則、ナンセンスでイミフなものが多いよね。
 おかーさんの通った高校にも、
 『制服のスカート丈は床から33cmのこと』
 というイミフな校則があったさ。
 でもさ、それって『なぜ?』『背景は?』を考えはじめる重要なきっかけにもなるでしょ?
 なぜ『膝が隠れる丈』ではなくて『床から33cm』なのか。
 どういう成り行きで、そういう校則になったのか。
 ……あ、摩耶、今着てるその高校の制服、着替えてらっしゃい。
 ここは家なんだから。学校じゃないんだから。
 着替えてきたら、おやつにしましょ。いつもの煮干しでいい?
 (私の高校時代のおやつは、煮干しでした。猫と一緒に食べてました)
 
 団体行動、どうしても苦手って子もいるよね。
 おかーさんも超苦手だったよ。
 摩耶もネコ科だから苦手そうだよね。
 でもさ、団体だから出来ることってのもある。
 だから、団体との最低限の折り合いのつけかたは
 早く身につけておいたほうがいいよ。
 協調も同化も埋没もしなくていいよ。
 摩耶なりの折り合いがつけられればいいんだよ。

 折り合いをつけるのも無理そう?
 (ああ、娘が高1になるまで気づかなかった自分のバカバカ!)
 だいじょうぶ。団体に属さなくても死にゃしない。
 おかーさんを見たらわかるでしょ。
 ……え? 
 『ふーん、だからウチには、いつもお金がないんだ』
 って? あはははははは。

 うん、今のところ、日本では、
 大きな会社、大きな群れに混ぜてもらって
 そのままでいるのが一番稼ぎやすいわけ。

 だから、群れないで生きるんだったら、
 群れずに済むだけの何かを持たないとね。

 学校に行く代わりに、
 朝から晩まで熱中できそうなことは何かあるかい?
 
 おかーさん、大して稼いでないけど、応援するよ。
 あ、高校は通信制か高検でいいから卒業しといてね。

 良かったじゃないの。
 学校に行ったおかげで、
 団体行動に向かないってことが、はっきり分かったんだから。
 (……ああ、
  中学までで自殺に追い込まれるようなことがなくて、よかった!)」


でもね。
母親としては。
子どもが学校に通っていたら、
日本の学校に対して言いたいことがないわけはないですよ。

というわけで、続編に続きます。
 

正しい「他人ごと」の態度とは? 子ども・子育て問題と私

私の周囲は、出産ラッシュです。「少子化」とは、どこの誰の話なのでしょうか。

共通していることは、30代以上、それも30代後半以上での出産が多いということです。
避妊に失敗した結果の妊娠もありました。
悩みに悩み、迷いに迷っての妊娠もありました。
子どもを失ったお母さんの、最後のチャンスに賭けての妊娠もありました。 
共通していることは、 
「悩んだり迷ったりしたけれど、お母さんが、または両親が、主体的に選びとっての出産」
ということです。

父親たちの育児への協力ぶりは、いろいろです。
積極的に 育児に関わる父親もいれば、妻が嫌がるので「イクメン」にはならないという父親もいます。

かくいう私は、
「仕事も家庭も子どもも」
と強く望んで、失敗した口です。
仕事と家庭・子どもの二者択一で、私は仕事を取りました。
家庭と子どもがなくても、生きて行けます。
でも、仕事がなかったら、 生きていけません。
そして、子どもを持つチャンスを逃したまま50歳になろうとしています。 

子育ての経験はありませんが、子育てが大変なことは理解できます。
3人きょうだいで、一番下とは9歳違い。
ただ、子育てそのものを親として体験したわけではありません。
自分が子どもだった時期も、遠い昔になりました。
子育てにまつわる問題も、いま現在子どもである人たちの問題も、 理解はできますが共感はできません。
そして最近、それでいいんだと思うようになりました。

困難に向き合っている母親たちは、父親たちは、子どもたちは、共感してほしいと思っているとは限りません。
共感はできないからこそのクールな関わりと、当事者ではないからこその問題解決思考が、困難に向き合う人々を救うかもしれません。

クールに関われて、当事者の感情を持たないからこその問題解決思考をまとった大人として、
子育てという難事業に関わる人々や、
これから育っていくという難事業を成し遂げようとしている子どもたちの近くにいること。
無理をせずに支えられるときに支えること。

当事者じゃないからこそ、所詮は「他人ごと」だからこそ、できることがあるのでは。
最近、そんなふうに思うようになりました。



以下、アフィリエイトです。

私が「子どもをほしい」と思っていた時に読んでいた本です。


子どもの貧困は、ただ、その子どもが現在貧困であるということではありません。
数多くの機会を、将来にわたって奪うということです。

中学生と小学生の子どもがいる家族が困窮し、生活保護で周囲の人々ともども再生していく物語です。


拙著です。一章を子どもの貧困の問題に宛てています。
ソフトカバー版

Kindle版


12月4日発売の「フライデー スペシャル」に、インタビューを掲載していただきました。
貧困の中で子ども時代を送った生活保護当事者の方を、お一人紹介しています。
 
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「おしゃべりなコンピュータ
 音声合成技術の現在と未来」
(共著 2015.4 丸善出版)


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 (執筆協力・永島孝 2013.9 技術評論社)


「生活保護リアル」
(2013.7 日本評論社)

「生活保護リアル(Kindle版)」
あります。

「ソフト・エッジ」
(中嶋震氏との共著 2013.3 丸善ライブラリー)


「組込みエンジニアのためのハードウェア入門」
(共著 2009.10 技術評論社)

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