みわよしこのなんでもブログ : 差別

みわよしこのなんでもブログ

ライター・みわよしこのブログ。猫話、料理の話、車椅子での日常悲喜こもごも、時には真面目な記事も。アフィリエイトの実験場として割り切り、テーマは限定しません。


差別

[雑感]まだ脳内に残っている両親のシナリオを壊したい

 私の母親は、今年81歳になるはずだ。専業主婦になることを疑わずに育ち、専業主婦になった。そのまま生涯を全うするであろう。

 母親は私に対しても、専業主婦になることを求めた。私の56歳までの生涯はほとんど全部、母親のその不当な要求およびそのバリエーションとの闘いだった。

 私は結局のところ結婚しなかった。人間の子どもも持たなかった。若い時期に結婚につながりうる出会いはあったし、子どもは持ちたかった。しかし結婚が現実化しそうになると、自分が「家庭」「家族」に対する具体的かつポジティブなイメージを持てないことに気づくのだった。家庭があり家族がいるのなら、そこは自分にとっても「ホーム」といえる家庭であってほしい。家族は「大切にしなくてはならない家族」「大切だと自発的に思わなくてはならない家族」ではなく「大切で、いっしょにいたい家族」であってほしい。しかし、人間の家族がそういうものであるイメージを、私は抱くことができなかった。見よう見真似で作る自分の家庭は、自分の原家族と同様かそれ以上に壊れた家庭にしかなりようがない気がした。

 結婚が現実化し、相手方の血縁者との接触が増えたりすると、「壊れた家庭しか作れないだろう」という感じ方は、「壊れた家庭になる」という確信に変わった。同じ相手、同じ相手方血縁者と、そう悪くない家庭を作れる女性はいたのかもしれない。しかし少なくとも、その女性は私ではなかった。

 結婚しなかった私は、専業主婦にはなりようがなかった。私が30代後半となり、専業主婦にならせることが実質的に意味をもたない年齢になると、「専業主婦にならないと許さない」という要求は変形され、さらに私にとって悲惨なものとなった。しかしながら、なんとか職業を手放さずに、56歳の今日も生きている。

 そして、今週になって気づいたことがある。私は、親の思惑に沿わなかった罰、専業主婦にならなかった罰から、自分を解放したいのだ。私には、そんな罰を受けなくてはならない理由はないのだから。

 両親の思惑は、直接語ったり行動したりするのは主に母親だったのだが、「従わないと罰を受ける」というメッセージとセットであった。罰とは、「親の反対する結婚をして勘当された遠縁の女性が、母親が入って食事したレストランでウエイトレスをしていた」といったものである。母親の中では、女性が中高年になって何らかの形で働かなくてはならない状況にあること自体が何かの罰なのであった。しかし母親の身近には、罰でもスティグマでもなく働く女性が常にいた。母親が「女性が働く」ということとセットにする罰やスティグマには、何らかの除外条件があるらしい。ただし、その条件は未だによくわからない。少なくとも、私は除外されていないと思う。「除外されている」と確信することは全くできない。

 両親の考え方や言動や過去の「私がこうしたら、両親がああした」「私がそうしたら、両親が関わっているかどうかは直接には不明だが、ああなった」の蓄積は、「私もまた、親の思惑に沿わなかった罪により罰されなくてはならない」と問わず語りに語る。「これは両親が与えたい罰なのではないか」と思われる出来事は、この数年間も立て続けに起こっている。両親が何らかの形で関係しているのかどうかはともかく、もう「ああ、ここに来たか」「今度はそこか」と対処するのみ。来るに決まっている天災のようなもの。実際には人災だ。予防も防御もできるはずだ。しかし、現在までの私の予防や防御の試みは、何一つ成功しなかった。パワーバランスが私に対して不利すぎる。
 
 私自身は、もちろん、両親が私を罰することに成功されたくない。両親は、私が「充分に惨めではない」と判断している限り、私をさらに惨めにしようとするだろう。しかし両親が満足するほど充分に私が惨めになっても、それで罰されなくなるわけではない。「私が何もかもを失わされて充分に惨めになった後」という状況は、事実として過去(2009年~2011年)に一度起こった。惨めで攻撃されやすい立場になったら、私が自分の命を自発的になくすか、それとも生きていないのと同じことになるか。そこまで攻撃が続いたのだ。両親との間で私が経験してきたことがらの記憶と事実の集積は、私の心の中で、今も「もう攻撃されないと判断するのは早計すぎる」と大声で叫び続けている。

 では、何があれば両親の「罰」が成功しなかったことになるか。簡単だ。両親の行動の裏付けは、主に父親の資金力と政治力である。対抗するためには、私が資金力や政治力を充分に持てばいいのである。大昔の浜田省吾のヒット曲「MONEY」ではないが、私が純白のメルセデスやプール付きのマンション、最高の男とベッドでドン・ペリニョンといったモノや場面の持ち主になり、その状況が長期に継続しそうになったら、両親の「罰」は成功しないことになる。もっとも、私がそれらを欲しているわけではない。「純白のメルセデス」と書きながら「メルセデスの車ってどんなのだっけ」という調子だ。ベッドでは爆睡したい。男もドンペリもいらない。政治力も、自分の身を守れる程度で充分だ。

 ならば、私は若干の資金力や、自分にとって充分な程度の政治力を追求すればよいことになる。しかし、それを実行してしまうと、障害者の世界で生きていけなくなる可能性がある。障害者として生きていけないということは、生き物として生きていけないということである。生き物として生きておらず、したがって人間として生きていないのなら、職業生活を含めて社会生活どころではなく、資金力や政治力の追及もできない。

 障害者の世界には、障害者に対して「障害者として被差別の惨めな社会的弱者の立場にいること以外は許さない」文化がある(注1)(注2)。健常者社会にある同様の文化を、さらに強烈にしたようなものだ。それは、障害者の世界の全部ではない。それどころか、主流ですらない。しかし、一部に確実に残っている。一部のそのまた一部からターゲットとされるだけで、私の息の根は止まりかねない。

 私は障害者であり、女性でもある。しかも、健常者時代に大学院修士課程を修了しており、大企業総合職の経験もある。何らかの意味で被差別の立場にある人々の反感をかきたて、障害者運動や連携している他の市民運動のどこでも私を生きていけなくすることなんて、簡単だ。私について、「名誉男性」「名誉男性になりたがっている」という評判を流布させれば、それだけで済む。女性がそういう評判を流布させるのであれば、さらに効率的だ。それは、ここ数年間で実際にやられたことである。

 私は、「ああこのあたりに、みわよしこ名誉男性志望説が流布されてる。またか」と感づくたびに、「私が子どもだった唱和40年代、グリコのキャラメルのおまけには女の子向けと男の子向けがありましたけど、私は男の子向けのほうが好きだったので、女の子向けがほしい男の子と交換してました。その延長で今まで生きてきているのですが、それを『名誉男性』と言われましても」といったことを語る。だいたい、それで済む。それで済まなかったら、その相手を遠ざければいい。

 自分にとって何が必要で、どこまで追求したいのか。自分自身にもよくわからない。ただ、両親はじめ原家族と障害者社会の両方から縛られるのはおかしい。まずは数え切れない束縛を、ほどけるものからほどいていきたい。

(注1)
障害者に対して「障害者として被差別の惨めな社会的弱者の立場にいること以外は許さない」文化は、ヤンキーグループの文化と似ているかもしれない。ヤンキーグループから「カタギになるために抜けよう」とする人には、通過儀礼のリンチとかあるわけで。ただ、ヤンキーをやめてカタギになることはできても、障害者が障害者をやめることは通常はない。このため、「障害者らしさ」に欠けた人間を障害者の社会から追い出すことは、「あいつは本当は障害者ではない」という噂の流布などを伴う。ほんっとに生きていけなくなりかねない。障害を偽装したり重く見せたりするメリットはない。障害がない状態を偽装するメリットなら、いくらでも思いつく。もしも可能なら既にやってるよ。望んでも不可能なのが障害者。でも、他人の悪口や噂話を疑わずに楽しめる人たちが、世の中にはたくさんいる。だから、この手の噂が流布されるたびに、「もう死のうか」と思うほどのダメージと苦痛を味わうことになる。最も辛いことは、噂の主や同調者や噂を疑わなかった人々が口にする「人権尊重」「生命は大事」といった言葉を、それ以後は信じられなくなることだ。「私以外の人権を尊重」「私の生命以外の生命は大事」と脳内で翻訳しながら、反対の余地のない「人権尊重」「生命は大事」それ自体に賛成するときの苦痛は、言い表しようがない。
ただし、この不思議な文化は、障害者が置かれてきて、現在もそこにいる障害者がいる状況そのものの反映でもある。
1975年まで、日本の障害児は義務教育が受けられるとは限らなかった(養護学校義務化は1976年から)。小学校にも中学校にも行っていないのに就労なんて無理ゲーすぎた。だから生活保護は利用しやすい。この状況を逆手にとって、障害者たちは生活保護をはじめとする給付や公共サービスを生存の基盤として活用し、たとえば「介助者に公共から給料が出る」といった制度(たとえば現在も生活保護の中に残る他人介護料加算。1970年代)を一つ一つ整備してきた。今もその蓄積の上に参議院議員の木村英子さんがおられたりする。
その人々の主張を一言で無理やりまとめると、「社会的に不利な状況に置かれやすく、したがって差別されやすい人々は、まず、そのままで生きていくことを保障される必要がある」ということ。私はこの点には全面的に賛成だ。反対したことない。
この主張の一部は、「社会的に不利な状況に置かれやすく差別されやすい人々は、より有利な状況や差別されない立場を望んだり目指したりしてはならない」というふうに化けて、現在に至っている。なぜそうなるのか、私には全く理解できない。選択肢が増えるのは、良いことではないのか? 選択肢があって、なお選ばない自由と選ばなくても快適で幸せでいられる権利が保障されるのであれば、何も言うことないと思うし、私が目指しているのはそちらなんだけど。
この手の、理解できないなりに身を守る必要がある障害者運動の主張を、ときどき障害者運動の国際的なつながりのなかでボヤくことがある。たとえば2013年以来、日本の障害者の社会は2020年(予定だった)五輪のせいでグッチャグチャに分断されている。その中で「五輪どころか競争的な競技自体が悪だ」といった主張が出てくる。健常者時代に若干の競技歴があり、今も可能ならやりたい私は、そんなことを口にできない。そんなことをボヤくと、たいてい笑われる。あまりに重なると、「誰がそんなこと言ってるの?」と聞かれる。しかし言えない。「そんな陰口めいたことは言いたくない」ということもある。それ以上に、本人が国際社会で見せてる顔と国内の女性障害者を相手に見せてる顔の違いに、私自身が打ちのめされてしまっている。

(注2)
「だったら乙武洋匡さんはどうなのか」という意見がありそうだけど、障害者として生まれたときから、両親の理解、恵まれた環境、充分な教育、キャリア構築の初期に比較的順調であったことなどの偶然が重なると、「物心ついてからずっと名誉健常者」という存在になってしまうのですよ。私の直接知る範囲にも何人か、乙武さんほどではないけれども「名誉健常者」になれた障害者がいる。
ただし、そういう「名誉健常者」の方々は、世の中で思われているほど他の障害者の社会と分断されているわけではない。関係はめっちゃ複雑。「あの良い障害者に比べ、あなたはなんとダメな障害者なの」といったことを言いたいのなら、口にする前に、その良い障害者とダメな障害者の間につながりがあったり関係が良好であったりする可能性を考えたほうがいい。

[エッセイ]「違う、そんなの美談じゃない!」 ~ 障害者差別に怒らない「寝たきり社長」のエッセイと感想への応答

本ブログは、note記事の下書きを兼ねています。

 「寝たきり社長」こと佐藤仙務さんの連載エッセイ『寝たきり社長の突破力』、2020年8月13日に公開された「差別されても 障害者の私がネガティブ投稿しないわけ」を読んで、私は正直なところ、頭を抱えてしまいました。記事の内容は、タイトルのとおりです。

 もちろん、佐藤さんご自身がそういう選択や表現をすることについて、外野がとやかく言う筋合いはありません。しかし、そのエッセイを読まれた健常者の方々がどう考えるか。それは障害者に対してどういう風当たりとなるか。リアルに想像できるだけに、どうにも落ち着かないのです。

 そして本日、Yahoo!ニュースでも公開されていることに気づきました(新聞社との契約により数日後には消えるのですが、一応URL)。コメント欄を見ると案の定。想定範囲内のコメントが並びます。私よりも立場の弱い人々のことを考えると、とても黙っているわけにはいきません。

 以下、典型的なコメントの分類と、それぞれへの応答です(太字は筆者による)。

  • 「権利の主張ばかりではダメ」論
権利を主張することも時には大事だけれど、そればかりだと現実社会では人は離れていってしまうからバランスが大切ですよね。
特にSNSでは意図していない方向に話が転がっていってしまったり、むやみに炎上してしまう可能性があり、ネガティブなことは発信しないに限ると思います。

 日本の教育が、「人権」を理解とともに腹落ちさせることに失敗しているということでしょうね。人間としての権利を主張し、差別に対して異議申し立て(実質的に怒りの表明や告訴になります)を行うことは、現実社会で処世術を駆使しながら生きていくための基盤になるものです。「人が離れないようにバランスよく権利の主張を」では権利主張にならないし、「ネガティブ発信は避けたほうがいい」というのは一般的な処世術。本人の人権あっての話です。

  • 「良い障害者なら支援に値する」論
支援してもらうのが当たり前、自分の思い通りにならないとやれ、差別だと騒ぎ出す。そんな障害者(と周囲の人間)が増えている。そんな状況だから、支援を求められれば応じてもあえて自分からすすんで支援の手を差し伸べようとする気持ちは私にはない。でも、自分の権利だけを主張することなく支援する側の事情や気持ちを考える、記事のような人には最大限の支援をしたいと素直に思う。

 コメントを書かれた方が「差別」を理解しているのかどうか疑問です。ともあれ、典型的な「良い障害者と悪い障害者を分断してよい」「悪い障害者なら支援されなくてもしかたない」論。それ自体が差別なんです。
 障害があろうがなかろうが、ヤな奴はヤな奴、迷惑をかけられたら迷惑ですよね。そこに障害をからめる必要はないはず。
 しかし相手が障害者などマイノリティである場合、ヤな奴だから「あっちに行け」と言い、迷惑だから「その振る舞いをやめてほしい」と言っただけなのに、「差別だ」と言われる可能性を気にしなくてはならない現実は、確かにあります。それは私の現在進行形の問題ですから(ただし、差別する側として)。面倒くさいっすよね。
 たとえば、単に「男性からボディタッチされたくない」というだけなのに、相手が生活保護で暮らす障害者だったりすると、あとで「生活保護差別」「障害者差別」と言われる可能性を覚悟しなくてはならない現実は、私にもあります。数カ月後に「生活保護について記事書いてる障害者なのに差別した、あいつ酷い」という噂話が派手な尾ひれつきで流布されていると知るといったことは、数え切れないくらい経験してますよ。でも、私が「この人と性的な関係になりたい」と思っているわけでもなんでもない男性にボディタッチされて我慢しなきゃいけない理由は何もありません。だったら「その場で肉体的に反撃してやめてもらう」というのが正解であるようにも思えますが、相手の身体のコンディションをよく知らないと、躊躇してしまいます。指や腕を捻ったら骨折するような身体(たとえば糖尿病による下肢不自由だと、大いに考えられます)だと、物理的な手出しは、ちょっとね……。
 この面倒くささを無くす方法は、日常から差別をなくすことしかありません。障害者差別が事実として全くない社会なら、障害者に対して「お前はヤな奴だ」「その振る舞いやめろ」ということは、単にその人が「イヤだ」と思う相手に「イヤだ」と言い、やめてほしいと思った振る舞いを「やめろ」と言っただけになります。もちろん、犯罪レベルで”やりすぎ”になってしまったら、相手が健常者である場合も障害者である場合も、同様に問題になるだけです。
 障害者差別に対して言挙げする障害者たちの多くは、そういう社会を目指したいと考えているのではないかと思います。国連や国際人権団体が考える「障害者差別が解消された状態」はそのようなものですし、私自身もそう考えています。
 日本政府も一応、そのように考えたので、障害者差別解消法を制定しました。それらの国内法整備があったから、国連障害者権利条約を2014年に締結できたわけです。しかし、次のコメントを読むと、まったく効果ないようですね。

  • 「合理的配慮をしないことが許されないのは苦しい」論
障がい者差別解消法が施行されてから、
本音と建前、この人までは対応できるがここからは無理が許されなくなり、ややこしくなった。
大家さんも人間だし、不都合があったとき全部被るのが自分だから、
あまりにも手に余るケースは尻込みするだろうに。
入居時は大丈夫大丈夫、傷もつけない、自分でやると言い切るが、
実際にぼやでもおきれば、やれ避難経路が確保できないからこれじゃ死ぬとか、
この状態で契約してるんだから整備するのが合理的配慮だとか、
そんなことになるんだよ。
映画館でも、介助が一人いるとして、ストレッチャーなら緊急避難時には後二人は必要だ。
平日でキリキリで回してる映画館だと、厳しい時もある。
両者の合意がなければ結べないのが契約のはずなのに、
断る自由が許されない。
この人は引いてくれたけど、引かないと思えばどこまでも闘ってくるから…。
定員割れ高校の件みたいに、何年も。
きついよ。

 この方は映画館にご勤務のようですが、民間事業者に求められている合理的配慮義務の範囲を全くご存知ないようです。愚痴る前に、担当省庁に問い合わせてみられてはどうでしょうか。建物が古くて対応が難しい商業施設や小規模事業者にまで、ゴリゴリに要求されているわけじゃないんですよ。無理だもん。特に、日本は超絶ユルユルです。
 合理的配慮を「建前」として掲げ、本音では「提供しません」というのは、どうしようもなく差別です。しかし「この人までは対応できるがここからは無理」の限界を超えた合理的配慮の提供は、その企業や施設の規模等によりますが、通常は要求されていません。
 ご自分の無知を障害者のせいにされては困ります。さらに職業の場においては、雇用者や施設責任者には周知させる義務があります。結果として、この方のご勤務先のしょうもなさまで明らかになっています。
 「引かないと思えばどこまでも闘ってくるから…。」という「定員割れ高校の件」は、コミュニケーション障害や知的障害を持つ重度障害者が、定員割れしている高校を受験しても合格しないという事例です。今、高校までの教育は事実上義務教育のようなものになっています。そして、障害者差別をしないことを国際社会に約束した日本(国連障害者権利条約を締結するとは、そういうこと)は、障害児を特別支援学校に分離して教育するスタイルを減らしたりなくしたりする義務を負っています。その方々が特別支援学校の高等部ではなく、あくまで高校受験と高校在学にこだわっている背景は、そういうことです。「Yahoo!ニュースの読者さんには伝わっていない」ということでしょうか。


  • 妊娠経験からの「感謝すると優しくされやすくなる」というご意見
この記事を読んで、すごく勉強になりました。
妊婦の頃は席を譲ってくれない、
乳児を抱えて電車に乗れば舌打ちされる、
子連れで店に入れば何もしてないのに睨まれる、
こんな理不尽なことを経験するたびに、自分も含め、怒りに震えてきた人多いと思う。
でもそれって、心のどこかに、妊婦は席を譲って当たり前、妊婦は優しくされるのが当たり前、という思いがあったから、
それがどことなく伝わってしまっていたのかな、なんて思います。
すべてに対して感謝しまくっていると、
だんだん周囲の対応も変わってくるような気がします。
周囲にペコペコ頭下げながら感謝しながら、泣き喚く赤ちゃんを汗だくであやしてるママさんを見たら、
誰だって席を譲ってあげたい、って思うだろうし。
障害者も妊婦も子持ちママも同じですよね。
全員が謙虚と感謝を持てば、社会はすごく良くなっていくと思う。

 私には妊娠・出産・育児の経験はありません。そして、電車やバスの中で赤ちゃんが泣きわめいていたり幼児が聞き分けない様子であったりすると、別の意味でムカつきます。親御さんが恐縮していると、さらにムカつきます。泣く赤ちゃん、暴れる子どもに対して不快をあらわにし、親に責任を問おうとする周囲の人たちにムカつくのです。
 親御さん(たいていは母親←これも問題)は恐縮して、赤ちゃんを早く泣き止ませようとしたり、幼児を静かにさせようとしていることが多いです。しかし、特に親御さんが母親である場合、非難がましい視線や声がお母さんに向けられます。父親である場合はそうでもないのは、なぜでしょうね? 
 親御さんが、赤ちゃんや幼児を放置しているように見える場合もあります。疲れ切っていたり、「どうすればよいのかわからない」という様子であったりします。周囲からの非難の視線や声は、さらに非難がましくなります。
 私はそういう時、先手を打ちます。「赤ちゃんは泣くのが仕事ですよねえ、元気でいいですねえ」「子どもは暴れるのが仕事(以下同文)」と親御さんに話しかけ、その赤ちゃんや幼児の月齢年齢や性別や名前を聞いたりします。親御さんと私が和やかに話していると、赤ちゃんの泣き声のトーンは下がり、幼児は話に割り込んでこようとします。自分のことが話されているわけですからね。そうなればしめたもの。どの駅で降りるのかを聞き、その駅で無事に降りられそうか周囲を見ながら、赤ちゃんや幼児と遊ばせてもらいます。生育にかかわる責任を一切負っていない通りすがりのオバサンがそのくらいしたって、バチは当たらないでしょう。
 生涯ただ1回きり、あるいは、せいぜい2回目の子育てで経験を蓄積するところまで至れないイマドキの親の事情を理解してアクションすることは、子育て世代よりも年長の世代の務めではないでしょうか。母親に「必死で恐縮して席を譲ってもらう」というライフハックを編み出させてしまうことは、日本社会の、特に年長世代の失敗。「みんなが協力して配慮してくれるから、子育ては楽しい♪」と思われるくらいで、ちょうどいいんです。少子化って、日本の課題でしょ?
  • 「精神的成長」論
〉人は、人を批判することで一時的にすっきりするかもしれないが、本当の心の豊かさは得られないと知った。

自分は辿りつけていない境地だと思った。
反論したり、批判したりしなければならない場面はたくさんある。でも、時にはこう考えることも必要なのだろう。
すぐには変えられないかもしれないけれど、少しずつ意識していこうと思った。

 佐藤仙務さんが重度障害者であることを度外視すれば、特になんということはない、ありがちなコメントです。逆境を精神的修養の機会に置き換えることは、よくある合理化機制の一つであり、社会的弱者がエージェンシー(せめてもの主体性)を発揮する手段の一つでもあります。
 しかしながら、言挙げする障害者や言挙げするマイノリティの多くは、すっきりするために批判しているわけではないはず。そこへの眼差しが全く感じられないのは、なぜでしょうか?

佐藤仙務さんご自身は、何をどう書いたのか

 当該のコラム「差別されても 障害者の私がネガティブ投稿しないわけ」に書かれている内容は、以下のとおりです。
  1. オフィス探しで障害者差別に遭った。幼少のころから、差別される経験は重ねてきている。しかし今は、差別や世の中の理不尽とは決して真正面から戦わないスタンス。
  2. 映画館で障害者差別に遭い入館を断られたとき、SNSにその事実と怒りを示すと、顧客の一人に窓口の人に事情があった可能性を考えるよう示唆された。
  3. 批判をあからさまにすると、権利を盾に相手を傷つけることになる。
  4. 自分のせいで、他の障害者が色眼鏡で見られたり、親切にしようと思っている人への善意を踏みにじりたくはない。
  5. そこで自分のルールを変えた。理不尽なことや差別をされても、私はお陰様と感謝の気持ちを持つことにした。
  6. すると、周囲にたくさんの仲間ができた。普段親切にしてくれる周りの人間をより大切にしたくなった。
  7. 人を批判することで一時的にすっきりするかもしれないが、本当の心の豊かさは得られないと知った。
 エッセイには、幼少時からの経験、障害者団体の関係者からの意見なども記されています。狭い障害者の世界の「誰かが自分の苦痛を訴えただけなのに他の誰かを殴ったことになる」という複雑なアヤ、それを健常者中心の日本社会がどう見るかという問題は、おそらく意識された上での本エッセイだと見ています。なによりも冒頭で書いたとおり、佐藤さんには、思ったり考えたり書いたりすることすべての自由があります。

 ただ、上記「7」の「人を批判することで一時的にすっきりするかもしれないが、本当の心の豊かさは得られない」については、私自身の言論の自由を行使して、異議を申し上げます。
 障害者差別が行われた事実、怒り、悲しみといったものを表明する行為は、多くの障害者にとって、「批判することで一時的にすっきり」という性格のものではありません。誰かが表明しなくては、「そのような現実がある」「そのような苦しみが生み出されている」ということが知られないから、勇気をもって、極めて面倒な反応の数々や炎上を覚悟しつつ表明しているのです。
 少なくとも、私自身はそうです。イヤなことは、さっさと忘れたいですから。でも、私よりも声をあげにくい女性障害者たちは、もっと黙らされている可能性があります。だから可能な限り、黙らないようにしています。
 私は生まれながらの障害者ではなく、中年になってからの中途障害であり、現在は佐藤仙務さんの親であってもおかしくない年代です。そして、女性でもあります。このことが、佐藤さんと異なる認識と異なる判断をもたらすのは、当然でしょう。

 どうか佐藤仙務さんの本エッセイが、立場が弱く差別されやすい人々を抑圧するツールとして、健常者中心の日本社会で独り歩きさせられませんように。

[死なずに生きててよかった]私が、弟と同等あるいはそれ以上に価値ある自分になれる方法

私は、3人きょうだい(自分・弟・妹)として、福岡市近郊で育ちました。
1933年生まれの父親は中学から、1939年生まれの母親は小学低学年から、戦後民主主義教育を受けて育っています。しかし両親の脳内は、戦前の「イエ」主義や、もしかすると法でも制度でもない江戸時代か何かの農村的封建思想で出来上がっていました。
「長男」である弟は、両親にとって何より尊重されるべきものでした。そこで私は壮絶なきょうだい差別を受けて育ちました。その内容について詳しくは書きませんが、幼少児の私の切実な希望は
「後ろから、弟にいきなり蹴られたり殴られたりしたくない」
「弟に痛い思いをさせられたとき、痛いと言いたい」
 「弟妹と母親が食事している同じ場所・同じ時間に、同じように、温かい食事をTVを見たり談笑したりしながら食べたい、床に正座させられ、食卓の裏や母親と弟妹の脚を見ながら食事時を過ごさせられ、何時間か後に冷えきった食事を食べるのではなく」
でした。

大きくなっていった私は、両親に理由を尋ねるようになりました。不公平だ、イヤだとは言えませんでした。
父親は、あいまいに言葉を濁して話題を変えたり、「そんなことを気にするのはおかしい」と言うばかりでした。
母親は、
「H(弟)は跡取り。女でナマイキなアンタなんか努力しても何にもなれない価値のない人間。Hは男だから立派な大人になって、たくさん稼いで、結婚して自分たちの老後を見てくれる価値ある人間」
と言うばかりでした。
それならば、客観的な「弟より価値ある自分」の証拠を作らなくては。
私は、そのように考え、さまざまな努力をしました。
しかし、学業成績は「女のくせに」「勉強だけできても」というdisりにつながるので、私の両親に対しては、あまり意味がありません。それに、あまり勉強向きでなかった弟の不機嫌や鬱屈の原因にもなり、まわり回って自分にどういう禍いがやってくるか。「成績が良かったために恐ろしいことが起こった」を、原家族の中で、私は数えきれないほど経験しています。なので、両親に対して「ヨシコはH(弟)と同じくらいには価値がある」と認めさせる目的に対しては、有効ではありません。
運動は、弟の運動能力があまりにも優れていたため、勝負にならず。
ピアノや書道にも熱心に取り組み、それなりの結果は出していましたが、弟の運動での「県大会入賞」などの成果に比べると、自分でも「価値あり」とは思えない程度でした。
では学歴か。親が認めたくなくても、周囲の人に「認めさせられる」はありうるかも。
就職して仕事を手放さずにいれば、自分の収入が弟の収入以上になるかも。そうすると、死んだり殺されたりしたときの「逸失利益」という形で、弟以上になれる。それは今の日本で誰もが納得する、命の値段。
自分だって
「自分の命が弟の命よりも高額だったら、自分の方が弟より価値がある」
は思っていません。でも、せめてそこで、「自分にも価値がある」と思いたかった。
障害者になっても、仕事は手放しませんでした。稼いでいれば「障害者だから逸失利益が低い」とはなりませんから。
でも、いろんなことがあって、仕事がほとんどできない数年間がありました。そこに原家族も関係があるのですが、それはさておきます。
2010年から2012年にかけ、父親は私に電話で、
「つつましく生きていければ、それで良かろうもん」
と繰り返し言いました。血縁からの実質的な縁切りは、それ以前、2007年に私が障害者手帳を取得したときに行われていました。
おそらく、父親は
 「生活保護で生きていけばいいだろう」
と言いたかったんだと思います。不要・有害と判断して縁を切った娘が、どこかで生活保護を受けても、「イエの恥」にはなりませんからね。

その間に、弟はキャリアを展開させ、安定した高収入の立場となり、皆さんが羨むようなステータスある女性との結婚をし、両親の深い理解と協力のもと共働きを継続し、子どもたちにも恵まれました。
「私の逸失利益が弟のそれを上回ることは、もう無理だろう」
と認めたのは、2011年末、私が47歳のときのことでした。
弟は子どもたちに恵まれたため、保険金の計算に子どもの育成・教育に必要な費用が加算されることになりました。それも含めて、私が抜き返すことは不可能でしょう。もちろん、子どものための費用の加算それ自体は、必要不可欠、当然すぎるのですけれど。
私は雨の中、外で声をあげて、手放しで泣きました。
私のそれまでの生涯をかけての闘いは、完璧な敗北に終わった。それは認めざるを得ませんでした。
人生詰んだ。
それが、偽らざる実感でした。
そして私は「余生」を生き始め、社会保障や社会福祉についての執筆活動を始めたのです。
物理やコンピュータに比べると「女っぽい」それらは、男である弟に勝つためには使えないので、関心はあっても仕事にしないできたのです。
でも、もう弟には負けが確定したのだから、最後、余生に後悔を残さないために、書いてみようと思いました。
そして現在に至ります。

つい最近、2016年6月のこと。 
私は、逸失利益を弟以上にする方法を発見しました。
あと15年くらいで、弟の子どもたちは成人し、扶養を必要としなくなります。
そのころ、弟は60歳を過ぎています。
弟が厚生年金との2階建ての年金を受給するのは何歳でのことかわかりませんが、 いずれは年金+就労収入、あるいは年金オンリー、になるでしょう。 
年金の金額でも、私は弟を抜くことができません。まず、弟の妻自身の年金もあります。
厚生年金加入者だった年数が通算で11年しかない私は、老齢年金を2階建てで満額ゲットしたって生活保護基準以下。だから、働き続けるしかないでしょう。
私がまだ働き続けているうちに、弟が働くことをやめたら?
その日以後、私の逸失利益は、弟を上回ることになります。

私は、なんと下らないことを考え続けてきて、今も考えているのでしょう?
別に、弟をぶちのめすために生まれてきたわけではなかったはずだし、そんなことがしたかったわけでもないんです。今も、したくてやっているわけではありません。
でも、私は、「自分が、少なくとも弟と同等の価値を持っている」と思いたかったんです。
生き、育ち、学び、働き、人と交流したりするにあたって、その前提条件として、「私の価値は、少なくとも弟と同等」と思いたかったんです。

4歳下の弟より一日でも長く働くことが、今の私の目標です。
そのためには、障害はあっても健康である必要があります。これは、なんとかなりそうです。弟はヘビースモーカーですけど、私は過去に一本もタバコは吸っていませんから。
「弟より一日でも長く働く」を実現するには、少なくとも向こう20年、ヘタすると25年・30年といった時間が必要です。その日まで、どうあがいても、私の逸失利益は弟を上回りません。
父親の「所詮は予定、所詮はつもり(どうせ実現しないだろう)」と嘲笑する声、何百回もぶつけられた声が聞こえる気がします。
でも、この目標に向かって努力しつつ、私は「すでに実現した」と思うことにしました。 
実現する前に、私が死んでしまうかもしれません。
でもその瞬間まで「実現した」ということにしておけば、少しでも多く希望を持って、明るい気分で過ごすことができます。それだけでも、私にとっての価値は「プライスレス」です。

52年かかりましたが、原家族トラウマを乗り越えてゆく糸口が、やっと見えてきました。
今日こう思っているだけでも、今日、生きててよかった。 

ブラ美(仮名)さんの「東大卒は使えない」説

過日絶交したブラ美(仮名)さんは、過去の職場で東大卒業者と一緒に働いたことがありました。
ブラ美さんについては
難忘的一夜 - ゼミ前日にブラ美さん(仮名)に転がり込まれた件
をご参照ください。
この夜、ブラ美さんは「東大卒は使えない」と主張していました。

東大卒業者がいたのは、現在53歳のブラ美さんの2つ目か3つ目の職場でのことだったそうです。中規模か小規模の専門商社だったと聞いたような記憶があります。
時期は1990年か1991年ごろ。まだまだバブル経済が続いていたころです。
ブラ美さんのいた職場には、東大卒の新人が3人いたとのこと。
うち1人は女性で、人前で鼻クソをほじる癖があり、その鼻クソを「こんなに大きいのがとれた」と同僚に見せびらかしていたそうです。
他の2人も、何かと問題があったそうです。詳細は覚えていませんが、無断欠勤が多いとか、電話応対ができないとか、叱ったら親から苦情の電話がかかってくるとか、当時の「問題の新人」のよくあるパターンのいくつかだったと記憶しています。
この3人から、ブラ美さんは「東大卒は使えない」と結論づけていました。3人が3人ともダメだったから、と。

私はこのとき、
「この時期が空前の売り手市場だったのは覚えてるよね? 大手有名企業でもブランド大学卒業者の採用には苦戦してたでしょう? 私のいた一部上場の電機メーカーも、何年か続けて東大卒の採用が出来なくて、東大出身者たちが『社内同窓会を維持できなくなる』と危機感を抱いてたよ。単純に、採用が難しかったから問題の大きな人でも採用せざるを得なかっただけで、『東大』はあまり関係ないんじゃないの? そのころの私の同期にも、鼻クソほじる癖のある京大出身者がいたよ」
と答えました。
その答えは、親の反対で四年制大学に進学できず女子短大に進んだブラ美さんを、全く満足させないものであったようです。
 
1990年に私が一部上場電機メーカーに就職したとき、同期に東大出身者はいませんでした。早慶上智・旧帝国大学の出身者もほとんどいませんでした。
同期400名のうち数名は旧帝国大学出身者でしたが、そのほとんど全員が中国籍などの外国人でした。どこの国であるかはっきり覚えていませんが、イスラム教国の出身者も一人いました。そのたった一人のために、合宿研修のときには宗教的禁忌に配慮した食事が用意されていました。
他にはMARCHや関関同立が若干、入試偏差値でいえば40台〜50台が中心の感じでした。そこまでの売り手市場だったんです。
同期の中に、京大出身の男性が一人いました。 この男性は、人前で鼻クソをほじる癖がありました。しかもそれを相手の服になすりつけたりするのです。相手は女性であったりもしました。3年ほどで、数ヶ月単位での異動を繰り返した末、セクハラの嫌疑をかけられて退職したと聞いています。もしかするとセクハラの内容は「鼻クソを女性の服になすりつけた」だったのかもしれません。他にもさまざまな奇癖がありました。朝、出勤しようとして職場近くまでやってきて、コンビニの店頭でマンガ本の立ち読みを始めて遅刻するとか。

現在なら、ブラ美さんの3人の東大卒の元同僚も、京大卒の私の同期も、まず正社員としての就職は不可能だろうと思います。 「東大」「京大」といったブランドがあっても、そこまで問題のある人を企業コミュニティの一員として受け入れたいと考える企業はないでしょうから。
しかし、自分の能力努力の不足によってではなく四年制大学への進学の道を閉ざされたブラ美さんにとって、20年以上前のその出来事は、現在も「東大卒はダメ」の根拠とするに足ることであるようです。

「行きたいのに行けなかった」「したいのにできなかった」という人たちの怨恨は、どう晴らされればいいんだでしょうか?
ブラ美さんの怨恨の晴らし方は、どう考えてもおかしな「逆恨み」の類だと思います。
でも、不本意に蓄積させられた怨恨を自分の心がけや努力によって昇華することを、さまざまな機会に恵まれなかった人が 一方的に求められ続けるのは、ブラ美さんの「逆恨み」以上におかしいと思います。

この問題に結論は出せていません。
私自身も、今後、どうすべきなのかを自分自身の生き方を通じて考え続けなくてはならない立場にあります。 
私にも「したいのにできなかった」がたくさんあります。
さらに、「できる」に近づけ、「できる」を達成したら、さらに成功しないように脚を引っ張り続けられることの連続でした。 
「脚を引っ張る人々やその行為がおかしい」 とは思います。
私は、そんなことをされたくありません。
怨恨の怪物にならざるをえない人々が既に抱えさせられてしまった怨恨に対する何らかの解決が必要だとは思います。
でも、私が怨恨をぶつけられることは解決ではない気がします。

ある医師からのムカつくコメント

Facebookの「みわよしこ」ページに、九州の医師の方からコメントを頂戴しました。
あまりにも気持ち悪いので、この方はブロックしましたが、コメントを末尾に掲載しておきます。

まったくもう、何が言いたいんでしょう。
なぜ、アフリカや中国農村部やロシアや北朝鮮を持ち出す必要があるのでしょうか?
日本の健常者のサラリーマンが「東南アジアやアフリカには奴隷労働ってものがあるんだから」と労働条件を切り下げられるのは、誰がどう考えてもおかしくありませんか?
日本の障害者や困窮者の生活であれば、どうあるべきかを考えるために比較するのなら、まず比較すべきは日本の健常者の生活に対してではありませんか?
感謝の気持ちを持つべきだと他人にエラソーに説ける理由は何ですか?
相手が障害者であれ、生活保護利用者であれ、余計なお世話です。
迷惑患者は、迷惑患者として対処すれば良いだけの話ではないんですか? 生活保護を利用していようが、いなかろうが。
生活保護利用の迷惑患者に「生活保護だから」と言ったり、言わないまでも心の中で思っているのが態度に出てしまったら、こじれずに済むはずのトラブルもこじれるでしょう。

「医療トラブルは、いつも医療が悪くて患者が正しい」なんて思ってません。
でも、こういう医師のいる病院に対しては
「医療は正しくて患者が悪い」
と言われても
「身から出た錆!」
と考えてよいのではないかと思います。

何よりも、私の書くことや書くものに対して、
「てめえ何様だよ!?」
と怒鳴りたくなるような差し出がましさ。
「……な発言は控えていただきたく」
って、なぜ、この方が言えるんですか?
私の生命や生活を左右するくらい、私の著作に対してお金払ってくれているというのなら、まだ分からないでもありません。
でも、そんな事実はありません。
それに、もしもスポンサーならば、クライアントに何でも言ってよいのでしょうか? それだって微妙ですよ。

もしかすると、この方は、私以上に納税しているのかもしれません。
でも私は、この方に養われているわけではありません。
この方が、どれだけの高額納税者であっても、です。
もし、高額納税者であるゆえに、私にエラソーに「ああ書け、こう書くな」と言えるのだと思っているのなら、それは勘違いです。

この方、プロフィールを信用するならば、私立の中堅どころの医学部のご出身です。
ああ、だったら。
入試に社会のテスト、ないですからねえ。
納税の意味をご存知なくても不思議ではないかもしれません。

以下、コピペです。
みわさん。自分はみわさんが間違った事を言っているとは思いませんが、
生活保護者や障害者が『守られてる』事実だけは、その方々にも理解しておいて欲しいです。
別に卑屈になれだとか媚びれとか失礼な事を言っている訳ではありません。
しかし、福祉が充実している国に住めているから、生活できる事実も心の隅に置いておいて
欲しいとおもいます。
アフリカや中国農村部、ロシア、北朝鮮などでは、『生きて』いない(生きていけないでなく、
既に死んでいる)=発言もできないという事実を判っている上で、保障や保護を受けている方々
が皆発言しているか疑問に感じる事が非常に多いのです。助け合うのが『人や村の常』と考えなら
上記に挙げた国は獣が住む村にもなれない場所だと公言できますか?
健常者であれ障害者であれ、生活保護者であれ、この国に生まれ生活できている感謝の気持ちをまず
持つべきだと自分は思いますが、中には(特に生保の透析患者などに多いですが)王様乞食とでも言うような
傲慢で我儘な患者さんもおられます。
堂々と『嫌なら別の病院に皆で移るから』と脅すケースもあると聞いています。
みわさんがそうだとは、決して言っている訳ではないのです。
ただ、そういう一部変な方々に『そのままでいいんだ。』という勘違いを犯させる
発信は控えて頂きたく思います。
突然のカキコミかつ、長文申し訳ありませんでした。
最近のみわさんの発言力に危惧しておりましたので。
こちらは発言力あってナンボ、読まれてナンボ。 それで生計立てて、外注工賃払って、猫たちを養っているんです。 発言力を「危惧」するなんて、私に「稼ぐな」「生きるな」「納税するな」ってことですか? おととい来やがれ!
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 音声合成技術の現在と未来」
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 (執筆協力・永島孝 2013.9 技術評論社)


「生活保護リアル」
(2013.7 日本評論社)

「生活保護リアル(Kindle版)」
あります。

「ソフト・エッジ」
(中嶋震氏との共著 2013.3 丸善ライブラリー)


「組込みエンジニアのためのハードウェア入門」
(共著 2009.10 技術評論社)

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