みわよしこのなんでもブログ : 障害

みわよしこのなんでもブログ

ライター・みわよしこのブログ。猫話、料理の話、車椅子での日常悲喜こもごも、時には真面目な記事も。アフィリエイトの実験場として割り切り、テーマは限定しません。


障害

[しんどい記憶]いわゆる「東大話法」について

2014年6月ごろのことだったと記憶しています。
私は、10年以上の付き合いだった一人の青年に、「東大は東大話法」と食ってかかられました。
毎年参加させていただいている、東大の学外施設での研究合宿から帰ってまもない折のことでした。
青年は長年、精神疾患を持っており、精神障害者でもあります。現在は生活保護を利用して暮らしています。
青年の精神疾患は知り合った時からのことでした。
青年が精神障害者手帳を取得したのがいつだったのかは知りませんが、たぶん知り合って数年の間、円満な交友関係があった時期のことだっただろうと思います。
いずれも、問題にするようなことではありませんでした。
こちらも精神障害者なんだし。
生活保護を必要とする事情が発生する可能性は、ほとんど誰にでもあるし。それどころか、福祉事務所で生活保護の申請を勧められた経験まであるし。2006年、もう10年近く前のことですが。

「東大話法」は、概ねこのように説明されています(Wikipedia「東大話法」)。
 安冨の示した東大話法の概念は、「常に自らを傍観者の立場に置き、自分の論理の欠点は巧みにごまかしつつ、論争相手の弱点を徹底的に攻撃することで、明らかに間違った主張や学説をあたかも正しいものであるかのようにして、その主張を通す論争の技法であり、それを支える思考方法」というものである。
青年が「東大は東大話法」とした根拠は、一人の東大教員(当時)の語りでした。私も、青年が問題にした東大教員の語りそのものを知っています。
その語りのどこが、上記のような「東大話法」の特徴に当てはまるのか、私には現在も分かりません。
しかし青年が執拗に繰り返した以上、青年にとっては「東大話法」だったのでしょう。
 
その東大教員(当時)の語りには、守らなくてはならないものを守るための、やや煮え切らない語り口が含まれていたりはしました。最も守らなくてはならないと考えられていたのは、トップレベル研究拠点であることであり、トップレベルの人材育成を行うことでした。
分かりやすく言えば、ブランディングであり、エリート教育です。
当たり前でしょう。それは東大に期待される重要な役割の一つです。
東大のブランディングやエリート教育は、日本全体の高等教育を守り底上げする役割も、不完全ながら果たしています。「不完全」になってしまう理由は、現在の日本全体の高等教育の構造が95%、現在の東大運営サイドの姿勢によるもの5%、程度でしょうか。
トップにはトップで頑張ってもらわないと、ボトムも困ることになります。もしもトップとボトムが分断されておらず、有機的なつながりを持っているのであれば、当然、そういうことになります。

青年の逆鱗に触れたのは、その「東大が守らなくてはならないと考えられることがら」そのものだったのだろうと思います。
高校中退、苦労して大学夜間部に進学したものの中退した青年は、自分の適応できなかった学校を「下らない」とし、「学校などというものがあるからいけない」と考えており、学問に対して価値を認めつつも認めたくないという、非常に捻れた感情を抱いていました。大学院を修士・博士×2と3箇所も経験している私も、彼の
「小学校より中学校が下らなかった。高校はもっと下らなかった。大学は高校より下らなかった。大学院はもっと下らないんだと思う」
という言葉を、何百回ぶつけられたか分かりません。
私は彼ほどではなかったものの、学校という場所で居心地よい思いや達成感を味わったことは、ほとんどありません。学校の集団生活には、常に不適応気味でした。まったく尊敬できない、問題ある教員によるイジメを受けたことも何回もあります。
その経験から、私は学校教育を「無条件に良いもの」とは考えていません。
しかし、学校教育が大きな機会の一つであり、学校教育によってしか成し得ないことが数多くあることも、また確かだろうと思います。
学校をより良い場とし、より質の高い学びを提供しようとする努力を続ける教員たちを、私は数多く知っています。
自分自身も、高校までの学校教育で「学校教育って何? 教員の役割は何?」という疑問を持ちました。「学校は下らない」「教員はダメだ」と言う前に、学校や教員について「ちゃんと知ろう」と思ったので、大学では教員免許を取得しました。幸いにも教職科目の教員や教育実習の受け入れ教員に恵まれ、私は
「なぜ、学校というものが、そこに来る児童・生徒にとっての幸せな経験と学びの場であることから、しばしば遠ざかってしまうのか」
について、背景や構造を理解する糸口に立つことができました。

おそらく青年にとって、東大は「自分を苦しめた下らない学校」のトップに立つ存在以外の何でもなかったのでしょう。
青年が私に期待していたことは、「学校は下らない、東大はさらに東大話法だから下らない」という主張に「Yes」と答えることだけだったのでしょう。
もちろん私に、「東大は東大話法」「東大は下らない」という説に「Yes」と言う理由はありません。
東大教員に限らず、守らなくてはならないものがたくさんある人が、守りの話法となるのは当然です。家族、部下、もちろん自分。誰が、「守らなくてはならない」こと自体を責められるでしょうか?
私は青年に、その東大教員の語りのどこが「東大話法」なのかを説明して欲しいと、何度もただしました。
青年は、あまり明快な根拠なく「だって東大話法じゃないですか」と繰り返すだけでした。
百歩譲って、その東大教員一人の語りが「東大話法」であることは認めるとしても、東大で行われている運営・研究・教育の努力のすべてを否定することは、私には出来ません。
1コマの授業に10時間の下準備をする東大教員がいることも知っています。
「入念な下準備が出来るほど、やはり東大は恵まれている」
ということでもあるのですが。
私は青年に、その話を何十回したか分かりません。
すると青年は、「学校は下らない、教師は下らない」という話を始めるのでした。
学校組織とは、確かに下らないものであるのかもしれません。大学の同級生には、学校組織に嫌気がさして中高教員を辞めた人も何人かいます。しかしそれは、下らない学校組織の中で個々の教員が尽くす配慮や努力を否定するものではないと思います。
「学校は下らない、教師は下らない」
と言う言葉は、配慮や努力まで否定することになってしまいます。
私自身、非常勤ながら教員経験を持っており、学校の方針や組織の問題はそれはそれとして、目の前の教室で、目の前にいる生徒・学生に出来るベストを尽くしてきました。
私は青年に、
「あなたの『下らない』の対象は、私自身なのか?」
と聞くべきであったかもしれません。その答えは、本人が口にするかどうかはともかく、おそらく「Yes」だったでしょう。
曲りなりにも大学院に在学して研究を続けている私。
年に一回、東大の学外施設の研究合宿に参加することのできる私。
なんとか職業キャリアを手放さずにいられる私。
挫折、失意、芽が出ようとしたらまた挫折、ちょっと芽が出てまた失意、の連続なのですけどね。
青年に、その挫折や失意の部分についても話そうとしたことはあるのですが、
「学校に行くからいけないんじゃないですか?」
と言われるだけだったので、二度とその話はしませんでした。
私が、どんな思いをしてきた末に、どんな経験をしてきた末に、周回遅れで、今も学問の場にいようとしているのか。
何のために、そうしようとしているのか。
高等教育や学問の意味を、私はどう考えているのか。
自分にとって大切な思いを、「行くからいけない」と切って捨てる青年に話す気にはなれませんでした。

その後も青年は、私に対して、何百回「東大話法」「学校は下らない」を蒸し返したか分かりません。
「何百回」というのは誇張ではなく、数秒~3分程度しか続かない10~20通りの定型句のような語りを延々と繰り返すのが、当時の青年の話しぶりの特徴でした。何らかの精神疾患の影響であった可能性もあるとは思います。
私はそのたびに、
「東大は東大だからこそのことをすることに意味があるんだから、それを守るのは当たり前、むしろすべきこと」
「東大にもいろんな先生がいて、地道な教育努力をしている先生もいる」
「今の日本の学校にいろんな問題があることは、学校の拘束時間や権限を減らすことも含めて、解決すべき問題。学校そのものをなくす理由にはならない。学校だからこそ発見して解決に繋ぎやすいことが、たとえば貧困状態の子どもの家族の支援も含めて、たくさんある」
というような話をしました。
反応は
「そうですかあ? でも……(と次の『下らない』に移る)」
のみでした。
私がなかなか青年の主張に「Yes」を言わない、というより言えずにいると、青年の口調は激しくなり、罵倒といってよい口調に代わっていきました。
青年の主張に対し、青年を満足させないであろうと考えつつも、私は自分の知る事実によって「No」を言い続けるしかありませんでした。
青年が用事を思い出して私から離れるまで、いつ終わるとも知れない拷問のような時間が続く中で。
私は
「自分はなんと、愚かなことをしているのだろう」
とも思いました。
青年の考えを少しでも変えることなど、おそらくは不可能でしょう。おそらく青年は「東大話法」「東大」「学校」そのものを問題にしているのではなく、自分の感情のハケ口が欲しいだけです。
私は「東大話法だから」「東大だから」「学校だから」ダメ、とする青年の意見にYesと言わず、そうではない根拠を言い続け、青年の激しい言葉と口調と、時に飛んでくるツバに打たれつづけているわけです。
青年にとって、私は「東大側」「学校側」の人間なのでしょう。そう思われてもしかたがない、とは思います。
私自身が「東大」「学校」で、良い思いをしているというわけではないのに。
青年の「東大話法」という攻撃のきっかけとなった東大学外施設での研究会では、私に対して「ほんとは来てほしくないんだけど」という態度をあからさまにした人もいます。何らかの貢献をしようとしたら、すぐに「それを無意味化しようとしているのかな?」という動きがあったこともあります。他の参加者に露骨な差別を受けたこともあります。
人が集まる場所である以上、当然起こりうることも起こる。それだけの話です。
学校というものと相性が良かったことは一度もない私は、異質な存在とも考えられやすいでしょうし。
貧困問題について書いていたりする現在の私を、「エスタブリッシュメントの敵」と見る人も現れるでしょうし。
それそのものの直截な言葉を直接ぶつけられたことはありませんが、「そう思われているのかな」と感じたことは、数えられないほどあります。
そうは考えないであろう参加者も多数いますし、そういう方々と会話していれば平和な時間が流れるのですが、時には差別の方から近づいてくることも、やっぱりあります。
なのに私は「東大」「学校」の代表であるかのように、攻撃の矢面に立たされているわけです。
私は、東大を守りたいわけではありません。
学校というものを守りたいというわけでもありません。
ただ私は、自分の経験、知っていることがら、見聞きした事実から、青年の主張はおかしいと考え、Yesと言わなかっただけです。
そんな私を、もし他の誰かが見ていたら、どう思うでしょうか。
やはり
「東大にいい思いをさせてもらっているから、東大をかばっているんだろう」
「教員経験があるから、教員や学校組織の味方なんだろう」
としか思わない人の方が、圧倒的多数ではないでしょうか。
貫いても何の利益もない信念を貫き、誤解され、打たれて潰される。それが自分の人生なのか。
なんと愚かな自分。
こんな自分は生きている価値がない。
青年の攻撃にさらされながら、私は自責を続けていました。

青年とは、2015年1月に絶交しました。以後、どうしているのか全く知りません。
絶交直前、私は
「自殺か、夜逃げか、あるいは青年が何らかの理由でこの世から消えるか」
以外の解決の可能性が考えられないようなところまで追い込まれていました。
おそらく、この悩みは、精神障害を持つ人を強制入院させたいと望む家族と同質のものであったでしょう。
しかし幸いにも、私は青年の家族ではないので、強制入院・強制医療につながるような行動の選択肢はまったく持っていませんでした。
唯一可能だったのは、絶交でした。

それから7ヶ月が経過し、徹底的に痛めつけられた私の心身は、かなり回復してきました。
研究に向かおうとすると、頭の中や目の前に蘇る青年の声や言葉や表情は、今も私を苦しめています。
こんなことに苦しめられ、打ちのめされ、前に進めないままの人生を送るのか。
こんなことに苦しめられたけれども、前に進むことができ、一定の達成はでき、
「妨害は受けたし、そのダメージはやはりあるにはあるけれども、ここまで来れたから自分を評価することにする」
と思える将来を手にするのか。
1990年代末期のある日、10代だった青年と出会って楽しい交友関係を持てたことは、後悔するようなことではありません。 
2005年の不幸な出来事から、もともと精神を病んでいた青年は精神症状を悪化させ、2007年には強制入院に至ったと聞いています。
そして2014年には、こういう不毛な会話(というより私が一方的に聞かされ、相槌を求められるだけなのですが)の連続につながってしまいました。
受けてしまったダメージは、とても否定できません。今も引きずっています。
なんで、青年からさっさと離れなかったのか。もっと早く絶交しなかったのか。自責の念も、未だにあります。
過去はどうしようもありません。
過去の不幸な出来事やダメージを引きずりながら、
「あんなことがあったけれど、今ここまでこれた」
と、小さな自己満足につながる今後を作るしか、ないのです。 

それを「会話」とは呼ばない

2013年12月のFacebookへの書き込みを、本人のプライバシーに関する記述を全面的に改変したうえで公開します。
この本人とはすでに絶交しています。
しかし過日、私が貧困ジャーナリズム大賞を受賞したあと、本人が
「貧困の報道をやっている人に絶交された。自分が精神を病んでいるということが理由だ。その人だって精神障害者なのに」
という愚痴をネットでぶちまけていることを知りました。
彼女と絶交した理由は、彼女が精神を病んでいるからではありません。私にはいわゆる「メンヘル」や精神障害者の友人がたくさんいます。その友人たちは「精神を病んでいるからといって、みわよしこに絶交された」と聞いても「は?」でしょう。
 私は、何らかの障害を理由に人を遠ざけたり絶交したりすることはありません。経済状況も同様です。たとえば、生活保護を利用していることそのものを理由に人を遠ざけたり絶交したりすることはありません。
ただ、自分にとって有害なため付き合えない人とは付き合いません。自分が付き合いづらく消耗すると感じる人も遠ざけます。障害の有無・経済状況・その他の「フラグ」とは関係ありません。
「自分も障害者なのだから、相手が障害者である場合には、相手に傷つけられ続けることを拒んではいけない」
「職業として生活保護問題について書いているのだから、生活保護を利用している人のどのような理不尽も受け入れなくてはならない」
という理由はありません。
「自分が障害者である」と「障害者のワガママは許されるべきである」の間には、どのような関係もありません。
「自分が職業として生活保護問題について書いている」と「生活保護を利用している人の理不尽は許されるべきである」にも関係はありません。
言うまでもないことですが、「障害者(の全員)はワガママである」とも「生活保護利用者(の全員)は理不尽である」とも言っていません。というか、考えていません。
ただ、
「自分にとって有害であったり、自分にとって消耗のすぎる人間関係は、自分自身の生存と生活を守るために遠ざけたり減らしたりせざるを得ない」
と言っているだけです。
これは当たり前のこと、誰にとっても同じことでしょう? 
私が障害者だから、生活保護について書いているからといって、その「誰にとっても同じこと」を適用されない理由はないはずです。
 
ましてや、自ら「自分は障害者であるから、自分の問題ある言動は無条件に受け入れられるべきだ」という態度や主張を行う人は、自ら「私は危険人物です」と主張しているも同然なので、遠ざけます。
限りある人生の時間の中で、出会うこと・付き合うことのできる人の人数は多くありません。
出会いたい人と出会い、付き合いたい人と付き合いたい。
私にも、他のあらゆる方と同じように、そうする権利があるはずです。

というわけで本文です。
今日、FBFを一人削除した。

昨晩、彼女と会って会食し、あまりにも不快だったからだった。
彼女は40代前半の駆け出しライターだ。本当は少し違うのだが、そういうことにしておく。
仕事を選ばないので重宝され、今のところ仕事は順調なようだ。単価の高い仕事に食い込むのは難しかったり、単価切り下げなどの憂き目にも遭っているのだが、地方の両親の家に同居しているので就労を継続できている上、お金のかかる趣味を楽しんだりなどもできている。

知り合ったきっかけは、ツイッターだった。私が元夫のグチをこぼしていたら、「自分もDV被害に遭って離婚した」ということだった。
半年ほど前、互いに近くに居合わせる機会があったので、「それでは」と昼食を共にした。どちらかというと、会いたがったのは彼女のほうだ。彼女がほぼ一方的に自分の身の上を話し、私は「自分にも似たようなことが」と少し話すという調子だった。それだけなら、「ちょっと口数の多い人」で済んだかもしれない。
「あれ?」
と思ったのは、その翌日のことだった。彼女のFBF限定とはいえ、私が昨日話したことが、私のペンネームとともに書かれていた。私が話したことについては「学歴差別とも取れる」というコメントがついていた。
この後、ツイッターやFacebookで何度か、不快な接触があった。一回二回なら「行き違い」で済んだかもしれない。でも数えきれないほど度重なった。彼女の方も、私が怒っている可能性は考えていたのかもしれない。旅話、猫話といった比較的当たり障りない話題に、彼女は絡んできた。すきあらば自慢しよう、すきあらば自分の話をしよう、という態度に、私はほとほと嫌気がさしていた。というより、なぜそんなことをするのか理解できなかった(後記:自分の自慢、自分の話がしたいのだったら、自分のウォールでやれば良い話。他人へのコメントで行うのが解せない。あまりにもストレスが溜まっているときには、私もついついやってしまうことがあるけど……)。しかし、当たり障りなく相手していた。
彼女は東京に来るたびに「会いたい」と連絡してきた。私は多忙を理由に断り続けた。11月半ば、「来月上京します」という連絡があった。私が返事しないでいると「会えるんですか、早く返事してください」と催促された。私は「○日夜なら会えます」と返事した。
彼女はついで、私の住まいを訪れて猫に会いたいという。断ったら逆ギレされそうなので、応じることにした。
 
その日の夕方は、落ち合うまでが大変だった。
彼女は交通事情を理由として「遅れるかもしれない」と連絡してきた。それは事実であったようだ。しかしその後、「今、◯◯(待ち合わせ場所から電車で40分程度の場所)にいます」と連絡があり、落ち合えたのはその2時間後だった。彼女は山手線の緊急停止を理由にした。だったらなぜ、「今、◯◯にいます、電車が遅れています」という連絡を何度か入れないのだ? 私よりも高学歴(博士号取得してたはず)で、社会人経験も社会経験も豊富にあるはずの、40代の女性が?
私は、会って食事するためにカフェを予約していた。彼女は
「時間がなくなったので、食事したあとで三輪さんの住まいに寄りたい」
という。そんなことをしたら、彼女は最終的に何時に帰ってくれるのだろう。明日は朝から飛行機で出かけると(後記:数日前からメッセージで)言っているのに。
この厚かましい、配慮をまったくしない(*)女性が私の住まいに長居することは、なんとかして避けたかった。私は
「10分くらいしかいてもらえないけど、前にしませんか。うちは駅から遠いから、食事したあとでは行く気になれないと思いますよ」
と言った。彼女も同意した。
彼女は10分程度、私の住まいにいて、猫を撫でたり少し遊んだり食事を与えたりした。猫などの動物と暮らすことは慣れていると自称している彼女は、長い時間にわたって玄関ドア(そこには「猫がいます、注意して下さい」と張り紙まである)を開けっ放しにして、私をヒヤヒヤさせた。
ついで彼女と私は、夕食を食べにカフェに行った。彼女はただただ一方的に、脈絡もなく、自分の話したいことを話し続けた。食事や酒に対してコメントはするのだが、味わってはいなかった。手にフォークを持って振り回しながら(後記:ツバも飛ばしながら)熱弁をふるう彼女に、私はつくづく閉口した。
彼女は躁うつ病であり、今は若干、躁気味であるということだった。それだけなら
「ああ、病気のなせるわざか」
で済んだかもしれない。
 
頼んだコースの料理が終わり、デザートが出てきた。
彼女は
「今日はたくさん話ができて楽しかった」
と言った。これが「話」? 一方的にあなたが話していただけじゃないか。時間の95%はあなたが話していたんじゃないか。あなたは私の話を聞こうともしていなかったではないか。私が二言三言何か言いかけると、あなたは自分のしたい話ばかり、私が聞きたいかどうかには関心を向けずにまくしたてて。私はこんなことを「話をした」とは言わない。互いに話をしたと言うなら、せめて発話していた時間が1:4でなくては。それでも相手にしゃべられ過ぎだとは思うけれども、20%も自分が発話できていれば、「一方的に話を聞かされた」とは私は考えない。でも、私が何か言うと、この前のように(後記:「学歴差別とも取れる」とか)悪意ある紹介をされてしまうかもしれないから、むしろ私に話す機会がないことは幸いかもしれないのだが。
そこで私は思わず、
「そうですか。私はこの前みたいに、『差別と取れること』とあとで書かれないためにどうすればいいかと、戦々恐々としていました」
と言った。彼女は息を飲んで顔を凍らせた。
私は
「今日、私と会ったということを、どこにも書かないでいただけますか」
と言った。彼女は怒りを含んだ声と表情で、
「書きませんよ、こんな人、こんな場所のことなんか」
と答えた。
そして
「あの『学歴差別と取れること』と書いたときは、病気の調子が悪くて」
「みわさんがツイッターでIさんに絡まれていたときに『優しく話を聞いてあげては』と(FBで)言ったのは、どういう粘着をされていたか知らなかったから(後記:その人物は大学院でアカハラに遭ったということだった。私はここにまとめたようなアドバイスをしたのだが、その人物は「アカハラは事実である」「悪いのは教員と大学である」といって欲しかったようだった。私がそのニーズに応えない(なにしろ、どこの大学の誰の話かも分からないのに、事実であるかどうか・誰がどう悪いのかを判断することなどできない)でいると、その人物は逆上して執拗かつ激烈な粘着をツイッターで行い、彼女は私に「優しく話を聞いてあげては」と差し出口してきたのであった)」
「三輪さんが怒っているとは思わなかったから」
などと言い訳を始め、さらに
「言い訳がましく聞こえるかもしれないけど」
と、「言い訳」と取らないでほしいという意思表示までした。
私はさらに立腹した。彼女は現在も病気で、精神障害者手帳も取得している。ということは、付き合い付けていたら、将来にわたっていつも私は彼女に陥れられるようなことをされ、さらに「病気のせい(だから許すべきだ)」と言われなくてはいけないということだ。さらに彼女は「知らなかったから」と言えば、どんな手ひどい攻撃も許されると考えているようだ。なんでこんな人間を、私は自分に近づけたのだ! 精神疾患だろうが、躁病だろうが、そんなことは関係ない。病気が事実であるとしても、この女性はただ卑劣で身勝手なだけだ。都合よく、病気や「DV被害者」を使いまわしているだけだ。私も病気だし、私もDV被害者なのに、彼女は私に同じ権利を認めないじゃないか。こんなバカなことがあるか!
カフェに入ってから、3時間近くが経過していた。
「私、明日は朝からフライトなので、このへんで」
と言ったら、彼女は
「調子が悪いときに遠出しないほうがいいんじゃないですか?」
と言った。皮肉な口調、険悪な表情であった。余計なお世話だ!
私は彼女を駅まで送っていった。彼女は
「思っていたことを言ってくれてありがとう、言ってもらわないとわからないから」
と言った。私が「言わなかった」ということまで使って私に責任を押し付けるのか! 私は
「言わずにいられなかったです」
と答えた。彼女は
「わだかまりは解けた?」
とニッコリ笑った。
私は
「まあ、解けたんじゃないでしょうかね」
と答えた(私は「です」「ます」で話し、彼女は最初から一貫してタメ口。ちなみに私のほうが5歳程度年長)。
私の怒りは、ここで頂点に達した。
彼女は一方的に、私に「わだかまる」権利を与えないのだ。私に怒ったり悲しんだりする権利を与えないのだ。てめえ何様だよ! 私の感情は、私のものだ!
帰ってさっさと寝た翌朝、何事もなかったかのように、彼女からのFBメッセージが届いていた。
私は
「こちらこそ。お疲れ様でした」
と返事を書いた。余計なことを書くと、どう利用されるだろうかと怖くてたまらないから、それ以上は何も書けなかった。
そして、彼女をFBFから削除した。

(*)
本人は「自分は発達障害もあるかも」と言っていた。そうかもしれない。躁うつ病も、昨日、躁状態だったのもたぶん事実なんだろう。だけど、発達障害者向けの社会訓練や精神科デイケアには全く通っていない様子だし(彼女の住んでいる地方に存在しないわけではない)、社会訓練が必要だと認めて受けているという話は全く出なかった。
わかります。
病気であることを「自分に優しくしてほしい」「自分を受け入れてほしい」という文脈では使うわけですね。
病気によって引き起こされる問題を自分が解決する努力、同病の方がたくさんいるところで自分も仲間として振る舞う努力はしないわけですね……甘ったれるな!

寄せられたコメントより。
お疲れ様でした…自分が磨り減るような事が続くと、参ってしまいますよね。どうぞ、猫ズさん達と癒しの時間を(心理職)

お疲れ様でした。こういった狡猾な手合いを近づけない方法がちょっと思いつかないです。。。(精神疾患のため休職中のエンジニア)

病気はその人の一部、全部ではない。それは理由にならない。三輪さん会いに来たのは気まぐれ特に理由はなく思い付きでは(精神障害者を主対象とした作業所の職員)

病気の人にも病気だからなんでも許される訳ではないので、きちんと怒って関係を絶ったみわさんは正しいと思います(困窮者援助に関わる会社員)

精神科病院に生涯住みたいですか? 6/26は日比谷野音へ

昨年後半から、「精神科病院を居住施設に転換しよう」 という動きが出てきています。
 
日本には非常に多数の精神科長期入院患者がおり、その多くは「社会的入院」 です。退院して地域で生活を営むことは病状面からは可能なのですが、「家族が拒む」「借りられるアパートがない」、あるいは「病院が退院させたがらない」という理由で退院できない人々です。精神医療界隈には、長期入院している患者・長期入院させることの可能な患者を指す「固定資産」という用語法まであります。精神科病院にとっての「固定資産」ということです。 

日本の30万人以上の長期入院患者は、長年、国際社会で問題になっています。そこで「退院促進」「地域生活促進」といった動きが活発になってきました。長期入院患者の退院時の住まいを確保する活動など、数多くの支援活動もなされてきました。

福島第一原発の事故により、長期入院していた病院が閉鎖となり、 地域生活を始めた方もいます。長期にわたって入院していたからといって地域生活が不可能なわけではないということは、この事例からも読み取れます。
ハートネットTV: 60歳からの青春 ―精神科病院40年をへて―

多数の長期入院患者が退院すると、精神科病院には多数の空きベッドが出来ます。だったら病院の規模を縮小すればいいんです。時代とともに役割を(遅すぎる感はありますが)終えたのですから。
しかし、そこで出現したのが、その空きベッドを居住施設に転換するという動きです。引き続き病院の中に住んでいるようなものであるにもかかわらず「地域生活してます、入院してません」ということです。
また、その居住施設は、居住施設とはいいながら居住権を認めるのではなく、利用権(ホテルと同様)だけ認められるものになる可能性が高いと見られています。「住」の場として権利保障されるわけではないということです。

この動きに抗して、精神医療・精神保健福祉に関連する数多くの医師・ソーシャルワーカー・看護師・患者等が、2014年6月26日に日比谷野外音楽堂で集会を開催します。
お時間のある方、ぜひお越しください。

主催団体「病棟転換型居住系施設について考える会」ブログ(私も名を連ねています)
2014年6月26日の集会詳細

障害者席にメリットはあるのか? → たいていは、ない!

サッカー・ワールドカップの会場で、車椅子に乗っていた男性が立ち上がっていたことがネットの話題となっています。
 車椅子から立つ…健常者が障害者チケ購入か

「立てる」「若干なら歩ける」は、「車椅子は不要なはず」「障害者ではないはず」の根拠にはなりません。日本の厳しすぎる障害認定基準においてさえ。そんなことをしたら、
「実際には車椅子が必要な障害者であるにもかかわらず車椅子など必要な補装具などの交付対象にならず、したがって生きていけない」
という人が多数困惑し、社会参加・生活・場合によっては生存までも断念しなくてはならなくなります。
まあ、「あれは障害を偽装しているのではないか」と言い立てたがる方々は、そういうことを問題にしているわけではなく、
「障害者席いいなあ、障害者席を利用しているのに障害者でなさそうに見える、けしからん」 
なのでしょう。自分たちの嫉妬が誰をどんなふうに困らせようが、知ったことではないのでしょう。

結論からいうと、障害者席は羨ましがられるようなものではありません。もし、件の立ち上がっていた男性が障害を偽装していたのであるとしたら、たぶん動機は「障害者席しか残ってなかった」あたりではないかなあと思いますよ。たいていは特に安くもなければ良い場所でもないので、もし他の選択肢があるのならば、積極的に買いたいものではないのですよね。
いくつか例をあげます。
  • 球場 
私は野球観戦の趣味がないのですけれども、友人の一人が野球狂です。神宮球場での試合観戦に誘われて、その気になって調べてみました。
 内野席・外野席とも、「障害者だから非常に安く良い席が使える」というようなことはないですよ。
神宮球場:車椅子席 

東京ドームの場合、内野席にしか車椅子席がありません。「安くていいから」というニーズを持つ車椅子族は考慮されていないことになります。
東京ドーム:巨人公式戦 チケット料金

障害者の多くは充分な経済力を持っていません。「障害者ゆえに、健常者同等に安い店や安い座席を利用できない」という問題は切実です。
日本では、ファストフード店や牛丼チェーン店の多くが車椅子でのアクセスを事実上阻んでいます。狭いスペースに座席を押し込み、しかもその座席が固定式であったりしますから。同じチェーンが米国内の店舗では、ちゃんと車椅子でアクセスできる環境を整えていたりします。入り口にスロープを設け、店内には通常のテーブルと椅子を設け(椅子を外してもらえば車椅子で食事できるように)。ADA(米国障害者法)で、そうすることが義務付けられているからです。日本には該当する法律がありませんので、スペースを食う車椅子族は事実上排除されるわけです。ダブルスタンダード。

  • 映画館 
車椅子席は、一番後ろであることが多いです。あるいは最前列の右端か左端。首が疲れるので、最前列の車いす席は車椅子族に結構不評です。

  • コンサートホール 
車いす席は、アリーナ該当部分の最後列の右端か左端であることが多いです。音が偏って聴こえるし、「自分は今回のコンサートでこれ(たとえばピアニストのペダリング)が見たい」といった固有のニーズが考慮されるわけでもありません。健常者だったら、お金払えば(そして空席があれば)自分のニーズに適した場所を選べるのに!

以上、正直なところ、
「なんで、こんなものが羨ましがられるかねえ?」
といったものばかりなのです。 
私は「もう少しマシになってほしい」と思う一方で、「今の日本では、この程度にしておかないと」とも思います。
「障害者が安くて(本人にとって)良い席を選べる」
という状況が用意され、その事実が広く知られると、今まで以上に健常者の嫉妬を恐れなくてはならなくなりそうですから。嫉妬によって悪意を正当化する健常者の暴走は、冷静な議論で止められるものではありません。その暴走で障害者や障害を抱えた人がどんなに困惑しようが、暴走する健常者の知ったことではありません。そして現在の日本では、政府もそのような健常者の暴走を政治利用します。私はそれを、佐村河内守氏の事件でイヤというほど見ました。恐ろしい。

怖くてコンサートにも映画にも行けなくなるより、ちょっとだけ料金を割り引かれて、条件の悪い席で、それでも「見る(聴く)ことくらいはできる」 に満足させられる方が、いくらかはマシな気がします。

私の身体障害の話は、タブーなのでしょうか?

昨年(2013年)7月、書籍「生活保護リアル」を出版しました。
本書は幸いにも、多くの方々の積極的な関心を頂戴し、いくつものメディアで紹介していただきました。
生みの親である私も、昨年夏から今年初春ごろにかけて、いくつかのメディアにインタビューを受けました。
掲載されたインタビューのいくつかを拝見して、たいへん気になったことがあります。 
私の身体障害について、「全く」に近く触れられていないということです。
インタビューで聞かれなかったわけではありません。かなりの時間を割いて質問されています。こちらも隠すことなく、お答えしています。
しかし、結果として公表されるインタビュー記事には、身体障害の話は全く触れられていないことが多いのです。診断の経緯も、身体障害者手帳(2級)を取得していることもお話しているのですが、それは全く触れられず「車椅子に乗っている」とだけ書かれていたりとか。
「不確実なことを書いて、あとで誤報と言われたくない」
という判断なのでしょうか(身体障害者手帳を取得していることは、不確実なことでもなんでもないのですが)?
それとも
「これは詐病を疑ったほうがいいかも」
と判断されたのでしょうか?
どちらの判断の可能性も、私をたいへん傷つけるものです。
記事に記載しないことは、記事を書かれる方や組織のご判断の範囲です。でも私は、身体障害の話が記載されていないインタビュー記事を見るたびに、
「自分の障害は触れてはいけないタブーなのか?」
と悩むのです。

バレエやスポーツに熱心に取り組んでいた私に運動障害が発生し始めたのは、2005年のことでした。しかし検査しても、障害の説明となるような原因は判明しませんでした。疑われた疾患は、脳腫瘍からヒステリーまで多岐にわたります。
私が身体障害者手帳を取得できたのは、2007年のことでした。2005年から2007年までの約2年間、私は障害がありながら、どういう障害者福祉の対象にもなっていなかったわけです。
職業機会・収入機会が減少する一方で、障害者雇用の対象にもなりません。さらに当時の障害者雇用は、現在よりもずっと、質量ともに貧弱でした。外出するには車椅子などの補装具が必要ですが、その費用は自弁せざるを得ません。
こんな生活を長期にわたって続けることは、誰にとっても不可能でしょう。そこに「障害者になったんだから、猫を処分しろ」といった中傷まで加わりました。
2007年、ある神経内科医が、身体障害者手帳申請のための診断書を作成してくれました。とはいえ、そこに記載されていたのは原因疾患ではなく、症状です。例えれば、「咳が出ている」という状態をもって、原因が風邪なのか結核なのか肺ガンなのか、あるいは何らかの未知の病気であるのかは不明のまま「咳症」とし、その「咳が出て生活上の困難が発生している」に対する(広義の)生活環境への配慮を受けられるようにした、といったところです。
私は当時のこの医師の対応に、心から感謝しています。身体障害に関して、症状があり、身体的な障害が発生しており、さらに症状や障害の継続によって社会生活上の「障害」が発生しているという現実を無視しない対応をしてくれた最初の医師でした。
東京都と医師の間で、かなり面倒なやりとりがあったと聞きましたが、とにもかくにも私は身体障害者手帳(2級)を取得することができました。
このような適用は、かつては広く行われており、多くの人々を救ってきました。
おそらくは、「認められぬ病―現代医療への根源的問い (中公文庫)」の柳澤桂子さんもそうだったと思われます。柳澤さんが原因疾患不明のままで障害者手帳(1級)を取得された経緯、数多くの著書のどれかには書かれているのかもしれませんが、少なくとも私は知りません。ただ、おそらく症状・経緯などに対して、医師としての総合的な判断によって手帳取得を可能にした医師がいたのでしょう。そうでなければ、手帳取得は不可能なはずですから。
「障害がまったくない」と「誰から見ても明白な障害がある」の間は、それほど明確に区切られているわけではありません。もちろん、明確に区切ることの可能なケースもあります。「全盲」「全ろう」「肢体の切断または欠損」といった事例です。しかし機能障害の場合、デジタルに区切ることは困難です。もしかすると、デジタルに区切ること自体が問題なのかもしれません。
とにもかくにも、障害者福祉が適用されたために柳澤桂子さんは生き延びることができました。その後、疾患名と治療法が発見され、寝たきり生活から再び歩き出すことができました(その後、また別の難病を抱えられたようですが)。生き延びていなければ、治ることも、生きてその後の仕事を成し遂げられることもありませんでした。
慢性疲労症候群でも、医師としての総合的判断による身体障害者手帳取得によって障害者福祉の対象となり、生き延びることのできた患者さんたちが数多く存在します。「怠け」「気のせい」「病気のふり」、良くて「ヒステリー」と片付けられがちだった慢性疲労症候群は、つい先日、脳の炎症である可能性が指摘されたばかりです。


原因疾患がわからないまま身体に障害を抱えている誰かがいるとき、「怠け」「気のせい」「詐病」「ヒステリー」と片付けるのは早計にすぎるでしょう。柳澤桂子さんも慢性疲労症候群の方々も、時間はかかりましたが、「怠け」「気のせい」「ヒステリー」のいずれでもないことが明らかになったり、明らかになりつつある途上です。
「怠け」「気のせい」「詐病」「ヒステリー」の類の判断は、このような方々から生存の機会を奪います。障害者福祉の対象とすべきと判断した医師がいても、もしそれが世間によって圧殺されるようであれば、その方々は生きていくことができなくなります。死んでしまったら、将来のいつか原因が判明したり治ったりする機会は永久に失われます。
私自身、
「いつ、生きていけなくなるだろうか」
と怯え続けています。「疑いを持って見られている」と感じることが多いからです。喘息でかかった病院で酸素吸入を受けている真っ最中に、どう考えても無関係な腱反射を医師にテストされたり。爪の炎症で整形外科に行ったら、レントゲン撮影のどさくさに紛れて、医師が膝をハンマーで叩いていったり! もちろん、日常生活において疑問・疑念をぶつけられることは、しょっちゅうです。「直接、言葉にしてくれれば、まだしも」と思うくらいです。

話を自分自身に戻します。
症状、障害の程度に関しては、幸いなことに、2007年当時も今もそれほど大きな変化はありません。肉体的な状況は変化し続けてはいるのですが、
「できないことが増える→対処を決める→落ち着く→その間に残存能力で出来ることを増やす(レベルを上げる)」
の繰り返しが延々と続くことに、私自身が慣れてしまいました。繰り返されるうちに、対処も容易になってきましたし。
日常生活上の障害については現状維持できており、職業上の障害については軽減してこれた……と思っています。

ただ、社会生活上の障害に関しては、むしろ増大していると感じています。
2008年、北海道で聴覚障害や視覚障害を偽装している数多くの人々の存在が報道されました。その背後には医師やブローカーの存在があり、さらに
「稼働年齢層だけど地域に仕事がなく、福祉事務所に行って生活保護を申請しようとしたら『稼働年齢層だからダメ』と追い返され、ブローカーに話を持ちかけられて障害者になったら生活保護を申請できた」
という背景があります。しかし、この報道に接した多くの人々の反応は
「障害を偽装して障害者福祉を詐取するなんてひどい」
というものでした。背景が注目されることはありませんでした。そして、2007年の私のように、原因疾患不明の状態で現存する症状と障害に対して障害者手帳を取得することは、事実上不可能になりました。もし私の発症が1年遅れていたら、私は今まで生き延びてこれなかったかもしれません。
2014年には、佐村河内守氏の事件が報道され、障害者手帳の継続認定のあり方が見直される事態に発展しています。聴覚に障害を持つ方々は、現在の手帳制度の問題点や聴覚障害に関する世の中の誤解について積極的な発信を行いましたが、どれほど世の中に浸透したでしょうか。疑問です。
おそらくは、原因を突き止めることのできない症状によって障害が生じていても、手帳の交付を受けて「障害者」と公認されることができず、したがって障害者福祉の対象とならず、結果として生きることを諦めさせられる人々が、現在の日本には数多くいるのでしょう。私も、諦めさせられようとしました。過去形で書くのはまだ早すぎるのかもしれません。これから、生きることを諦めさせられるのかもしれません。

はっきりしているのは、たぶん非常に稀少と思われる障害偽装に関する報道が広く行われるたびに、それを利用した障害者福祉の事実上削減が起こるということです。その動きは近未来に、私自身の生存を不可能にするかもしれません。
障害を偽装するメリットは、「ない!」の一言に尽きるにもかかわらず、私はその可能性に怯えています。原因疾患、今に至るも不明なままですから。疑いをもって詮索する人に「◯病です」と言えればどんなに良いかと、私自身が思っているのに。
2008年の北海道のケースは、
「そうしないと生活保護を申請出来ない」
という、どちらかといえば障害者福祉以外の制度の問題が引き起こした事件です。
また、佐村河内氏のケースは
「そうしないと作曲家として売り出せない、ただでさえ自分は曲が書けなくて、作曲家として全く市場価値を持たないんだから」
という奇妙な個人のモチベーションによるものです。そういう特殊かつ稀少な事例によって、なぜ障害者一般、公認の障害者とされていないけれども障害を抱えている人々一般が、巻き添えを食わされるのでしょうか?

また、障害者手帳の継続認定の見直し、今のところは聴覚障害だけが対象ですけれど、全障害に発展する可能性があります。もし障害者手帳がすべて有期認定になったら、障害者福祉費用の「総量規制」、あるいは「都合の悪い障害者の息の根を止める」といったことに便利に使われたりするかもしれません。精神障害では、現在すでに、それに近いことが起こっています。

メディアの皆さん。
影響力の大きなブロガーの皆さん、大手メディアの皆さん。
どうか、「判断の難しい障害」の話を、タブー扱いしないでください。
その判断の難しい障害を、どう判断するかで、人の生き死にが決まることも多々あるのです。

今、「障害サバイバル」という書籍の準備を進めています。秋ごろ、山吹書店から刊行予定です。
この書籍には、私がどのように、どのような経緯を経て生き延びてきたかを、詳細に記してあります。障害者手帳取得のいきさつも含めて。

私は、自分でも良くわからないので気にすることを止めている私の障害ごと、タブーではなくなりたい。
良くわからないところがあることによって社会から「タブー」として排除されるのではなく、良くわからないところもあるけれど包摂される存在でありたい。
心からそう望みます。望んではならないことではないと思います。
そして、佐村河内事件から約半年後という(もしかすると最悪の)タイミングで、書籍「障害サバイバル」を送り出すことにしました。 
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(中嶋震氏との共著 2013.3 丸善ライブラリー)


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(共著 2009.10 技術評論社)

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