さんざん記している通り、私はいわゆる「毒親育ち」だ。20歳で実家を離れるとすぐ、PTSDの多様な症状に苦しめられ、現在に至っている。しかし、その苦しみは少しずつ和らいできた感じがする。
今年4月から、私は「いじめられ癖をなくす」ということを心がけた。両親はじめ原家族のメンバーの中でいじめられて育った過去は致し方ない。これから、自分に刷り込まれた「いじめやすさ」をなくすことはできるだろう。そして、それには成功しつつある。
並行して、腹家族で何があったのかを、なるべく隠さないようにした。いくらなんでも書けないことが未だに多数あるけれど。4月から5月にかけて、実家とトラブルがあったことが、私の背中を押した。
時に、激しい身体の痛みを経験した。叩かれたり蹴られたり、耳元で毒台詞を吐き続けられたりするとき、私は身体を固くして衝撃に備えていたようだ。いつもいつもそうだったから、それが身体に染みついていたようでもある。
コロナ禍でオンラインの講演会等が増えた。自分のビデオをオフにできるときは、ストレッチしながら試聴したりする。どうしても硬さが取れない筋肉に、幼少期からの痛みとやりすごしてきた努力がこびりついている。ほぐそうとすると、その場面が想起され、心身ともに激しい苦痛を味わうこともあった。いったんほぐれても、数日後にフラッシュバックとともに緊張がやってくることもあった。その一進一退も、だいぶ進む側に動いてきた感じがある。
そして私は、自分がその中で育ってきた原家族という舞台装置、そこにいる人々の動きを大きく決める原理を概ね理解できたのではないかと思う。すると、すべてのことは「そうなるしかない」。私が悪いのだと誰がどれほど激しく罵ったとしても、私は悪くなかったと言える。
このことは、私の気持ちを非常に楽にした。たとえば「◯年◯月、妹(◯歳)が、これこれの状況下で、私に◯◯をした」という出来事は、妹や私のキャラクターの問題ではなく、いずれかの性格や認知の問題でもなく、私が対応を誤ったわけでもなく、その舞台装置がその力学のもとにあるゆえに起こることなのだ。そういう認識を持てると、過去の記憶はむしろ、表に出しやすくなる。相手個人や相手のした個々の言動を問題にすると、「相手も人であり立場であり、屁理屈でも理を持っている」という事実の前に怯んでしまいがちだ。しかし、相手や相手の言動を、その舞台装置を描くために示すのであれば、私が罪悪感を抱くことはなくなる。
その舞台装置の中に生まれた私に、舞台装置を使ったことの責任はない。事実上弾き出されてしまっているというか、そこにとどまるという選択肢が事実上なかったことについては、「多数決」かつ大人と子どもの差により、やはり私の責任ではないはずだ。20歳で原家族を離れてなお、35年以上にわたって私が苦しまなくてはならなかったことも、かなりの部分は「私のせいじゃない」と言える。
ならば、誰にどういう責任があるのか? 知らない。少なくとも、私にはない。
そして2020年10月1日の朝、私は背中に羽が生える感じを味わいながら目覚めた。その後数日、目が覚めようとする時のぼんやりした感覚の中で、私の背中の羽は、高橋しん『最終兵器彼女』のヒロインの羽のように広がったりもした。
目覚めると、もちろんそんな羽は生えていない。しかし、羽が生えそうな朝を何日分か過ごすと、両親やその大事な子どもさんたちである弟妹とその配偶者、大事なお孫さんたちである甥たちへの恐怖心が消え、遠くのどこかで暮らす普通の人に見えてきた。普通の人たちなら怖くないわけではないが、血がつながっていなければ、私と血のつながりを持っている故に恐怖をもたらすことはない。これが、まともな感覚なのだろう。
私は、「誰も、私から翼をもぎ取ることはできなかった」という希望の結末と、救いあるその後に向かって、少しずつ歩みたい。