白血病との闘いを続けている京大大学院生・山口雄也さん(Twitter: @Yuya__Yamaguchi)のご著書、『「がんになって良かった」と言いたい』から抜き書きして、自分のメモを記すシリーズの9回目です。
私は Amazon Kindle 版を購入しましたが、紙の書籍もあります。
ハタチ(2017. 10. 18)
がんの手術を終えた後の山口さんは、抗がん剤治療を続けていました。抗がん剤の多くは、がん細胞だけを効率的に狙い撃ちできる段階には達していません。自分自身の細胞も同時に細胞分裂を抑えられることになります。こと生殖機能に関して、影響は深刻です。
この節を、私は首をかしげながら読みはじめました。19歳の男性が、なぜそんなに自分の遺伝子を引き継いだ子どもにこだわるのでしょうか?
山口さんの場合、精子保存が出来ないまま抗がん剤治療が継続されることになりました。もしかすると、将来にわたって自分の遺伝子を引き継いだ子どもを持つことが不可能になってしまうかもしれません。自分の肉体に自然に備わっているはずの能力が、使われないまま消滅してしまうかもしれないことの喪失感。私には、想像してみることしかできません。そして、想像できません。
自分の遺伝子を受け継ぐ我が子を持てないかもしれない痛みが語られた後、やや唐突に、山口さんの20歳の誕生日へと記述が移ります。
10代最後の日、子ども時代からのかかりつけ小児科医院で受ける日本脳炎ワクチン接種。生まれる前から20年分の記録が残る母子手帳。小児科医院を訪れる乳児と母親。そして自分自身は血を分けた子供を持てないかもしれない運命。現在と過去、希望と絶望が激しく交錯します。
医学に基づく知見の多くは、あくまでも確率を示すものです。降水確率と同様に。現在の医学による「あなたは自分の遺伝子を引き継ぐ子どもは持てないかもしれません」という予言は、実現しないかもしれません。
20歳の誕生日のその日、山口さんは両親と酒を酌み交わします。すごいなあ。20歳まで本当に飲んだことがなかったとは。私なんて中学受験で酒(以下自粛)。
19歳の山口さんが、なぜ「我が子」にそこまでこだわるのか。がんによって生殖能力を失う可能性に直面した経験がない私には、わがこととして共感をもって受け止めることはできません。そもそも、そこまで強く「我が子が欲しい」と思ったことは一度もなかったのです。
山口さんにとって、「両親の間に生まれて育った自分ら子どもたち」というモデルは、「いつか出会う配偶者と、その間に生まれる我が子」として継承されるものであったのでしょう。なぜ、「父親と母親と子どもたち」のモデルを、自分が成長した子どもとなって再び実現しなくてはならないのか。
それはきっと「良きものを模倣して自分なりの何かを作り上げていく」という、学問にも芸術にも職業生活にも見られる、それどころか人間限定でさえない、生き物にとって普遍的なプロセスです。
すなわち山口さんにとって、子どもとして両親やきょうだいとともに育ってきた家庭そのものが、模倣したい「良きもの」なのです。
ここまで考えて、私は自分自身に大きな欠落があることに気づきました。私は、「今経験しているこれを、自分も我が子のために実現したい」と思える家庭生活や幼少期を経験したことがなかったのです。「悪しき家庭モデルがインプリメントされた」というわけでさえなく、おそらくは「家庭モデルがインプリメントされてない」という状況のまま現在に至ったのです。
私が物心ついた時から、両親が作ってきた家庭は「ここじゃないどこかに逃げていきたい、なんならあの世でも」というものでした。4歳の私は、なれるかどうかを真面目に考えることなく作家かシナリオライターになろうと志し、自己流で訓練をしはじめていました。本気で「原稿料で家出しよう」と考えたのです。結果として、文筆でゴハンを食べる人になることはできました。50年以上が経過した現在も、その職業に就き続けています。4歳の私に声をかけることができたら、「あなたの夢は、あなたが思っている以上に素晴らしい形で実現する」と教えてやりたいです。そこだけを見れば、「虐待経験が私を育てた」ということも可能かもしれません。
同時に、「もしも将来、自分の子どもを持ったら、幼少の自分がそこまで考えたような家庭環境を与えることだけはしたくない」とも思っていました。20歳で実家を離れた私の前には、誰かと巡り合って家庭を作るという可能性が開けました。結婚を考えて付き合った相手も2人います。ところが、私は「家庭のやり方が分からない」という現実に直面することになりました。自分が生まれ育った家庭ではない家庭の姿は、ドラマや映画や小説やコミックの中にしか見たことがありません。そこに出てくる場面やセリフが、現実の家庭に出てくる場面やセリフのすべてを網羅しているわけはありません。特別な出来事が起こるわけではない家庭の日常の中で、どういう顔をして、何を話していればいいのか。相手と1対1なら、まだなんとかなります。しかし、いざ結婚が現実に近づくと、相手方の血縁者との接触が発生します。そこには「自分のイメージする家庭」というものを持っている年長者がたくさんいます。「その人がそういうイメージを抱くことは尊重するけれども、それを私のものとしては使いたくない」と感じた時、どう言えばよいのでしょうか。「No」なら、当時の私にも言えました。でも「対案」を示すことができません。示さなくてもよいのですが、自分の中にないのです。すると、相手の家庭イメージにすり潰されるしかありません。私は結局、結婚や家庭を作ることそのものを断念しました。こちらは真空。人間の生きていける大気圧は、無限大に近いような高圧となります。触れたら潰されるだけ。
将来、自分が築くであろう家庭。将来、自分が抱くであろう我が子。がんと抗がん剤が、我が子という可能性を失わせるかもしれないということ。山口さんのそれらの記述を読み、まだ現実にはなっていない家庭やわが子が失われることへの痛みを読んだ私は、どうしても「なぜ?」という疑問を抑えられませんでした。
そしてたどり着いたのは、「原家族と生育歴そのものが、私から家庭や我が子という可能性を失わせていた」という結論でした。同じ経験をしても、「だからこそ、全然違う家庭を築き上げ、幸せに育つ我が子を」という夢を描き、実現する人もいます。でも、私はそうではありませんでした。「絶対的に無理」と判断し、その可能性から離れました。
しかたなかった。
「家庭を作らず子どもを持たない生き方をするしかなかった」という結果は、私が自分の責任によって招いたものではないけれど、避けようがなかった。
どうしようもなかった。とにかく、この問題で苦しむことはやめよう。
心から、自分をそのように納得させることができました。
山口さん、ありがとう。
まずは、25歳のお誕生日を祝えますように。
白血病が寛解しますように。
ご自分の家庭を築き、血を分けていてもいなくても我が子と手をつなぐ日が来ますように。
ただ、祈ります。
山口雄也さんを応援する方法の例
ご本人やご家族のために何かしたいというお気持ちを抱かれた方は、どうぞご無理ない形で応援をお願いします。ご家族を間接的に支えることも、ご本人への支えになります。
本記事を書いて推薦したくなったコンテンツ
育ってきた家庭や自分の生育経験を肯定的に捉え、好ましいモデルとして抱くことのできる方におすすめできる本は、想像つきません。
しかしながら、とりあえず「自分は親や原家族のようにならないことができる」という確信を必要としている方に対しては、「私は親のようにならない」というタイトルそのまんまの本を推薦することができます。
翻訳者の斎藤学医師に対する多様な評価は熟知していますが、この本の内容には、現在も有用な部分が数多く含まれていると思います。
私は Amazon Kindle 版を購入しましたが、紙の書籍もあります。
ハタチ(2017. 10. 18)
街の中で親と子が仲睦まじくしているのを見て涙が溢れてきたのは、何かを思い出したからでも、もう戻れないからでもなかった。単にその現実が、十九歳だった自分にとって重すぎただけだった。
がんの手術を終えた後の山口さんは、抗がん剤治療を続けていました。抗がん剤の多くは、がん細胞だけを効率的に狙い撃ちできる段階には達していません。自分自身の細胞も同時に細胞分裂を抑えられることになります。こと生殖機能に関して、影響は深刻です。
この節を、私は首をかしげながら読みはじめました。19歳の男性が、なぜそんなに自分の遺伝子を引き継いだ子どもにこだわるのでしょうか?
妊孕性ーーこの字は読めないままで良かった。この言葉を使うことのない人生が良かった。僕は将来幸せでなくてもいい、金持ちでなくてもいい。ただ、いつか自分の子供と酒を飲めたらいい。そう思っていたし、今でも思っている。そんな些細な楽しみでさえ、毒物(引用者注:抗がん剤)は奪っていった。
山口さんの場合、精子保存が出来ないまま抗がん剤治療が継続されることになりました。もしかすると、将来にわたって自分の遺伝子を引き継いだ子どもを持つことが不可能になってしまうかもしれません。自分の肉体に自然に備わっているはずの能力が、使われないまま消滅してしまうかもしれないことの喪失感。私には、想像してみることしかできません。そして、想像できません。
自分の遺伝子を受け継ぐ我が子を持てないかもしれない痛みが語られた後、やや唐突に、山口さんの20歳の誕生日へと記述が移ります。
10代最後の日、子ども時代からのかかりつけ小児科医院で受ける日本脳炎ワクチン接種。生まれる前から20年分の記録が残る母子手帳。小児科医院を訪れる乳児と母親。そして自分自身は血を分けた子供を持てないかもしれない運命。現在と過去、希望と絶望が激しく交錯します。
ここまで二十年、なにはともあれ生きてきた。
生きていることの喜びと、生きていくことの難しさを同時に感じながら、星空を見上げた。今朝の雨予報も嘘だった。
医学に基づく知見の多くは、あくまでも確率を示すものです。降水確率と同様に。現在の医学による「あなたは自分の遺伝子を引き継ぐ子どもは持てないかもしれません」という予言は、実現しないかもしれません。
20歳の誕生日のその日、山口さんは両親と酒を酌み交わします。すごいなあ。20歳まで本当に飲んだことがなかったとは。私なんて中学受験で酒(以下自粛)。
うまかった。うまかった。泣きそうになるほどうまかった。
食後のケーキを食らいながら、アルコールの余韻と幼子の瞳は、いつまでも頭蓋にとどまって離れなかった。
19歳の山口さんが、なぜ「我が子」にそこまでこだわるのか。がんによって生殖能力を失う可能性に直面した経験がない私には、わがこととして共感をもって受け止めることはできません。そもそも、そこまで強く「我が子が欲しい」と思ったことは一度もなかったのです。
山口さんにとって、「両親の間に生まれて育った自分ら子どもたち」というモデルは、「いつか出会う配偶者と、その間に生まれる我が子」として継承されるものであったのでしょう。なぜ、「父親と母親と子どもたち」のモデルを、自分が成長した子どもとなって再び実現しなくてはならないのか。
それはきっと「良きものを模倣して自分なりの何かを作り上げていく」という、学問にも芸術にも職業生活にも見られる、それどころか人間限定でさえない、生き物にとって普遍的なプロセスです。
すなわち山口さんにとって、子どもとして両親やきょうだいとともに育ってきた家庭そのものが、模倣したい「良きもの」なのです。
ここまで考えて、私は自分自身に大きな欠落があることに気づきました。私は、「今経験しているこれを、自分も我が子のために実現したい」と思える家庭生活や幼少期を経験したことがなかったのです。「悪しき家庭モデルがインプリメントされた」というわけでさえなく、おそらくは「家庭モデルがインプリメントされてない」という状況のまま現在に至ったのです。
私が物心ついた時から、両親が作ってきた家庭は「ここじゃないどこかに逃げていきたい、なんならあの世でも」というものでした。4歳の私は、なれるかどうかを真面目に考えることなく作家かシナリオライターになろうと志し、自己流で訓練をしはじめていました。本気で「原稿料で家出しよう」と考えたのです。結果として、文筆でゴハンを食べる人になることはできました。50年以上が経過した現在も、その職業に就き続けています。4歳の私に声をかけることができたら、「あなたの夢は、あなたが思っている以上に素晴らしい形で実現する」と教えてやりたいです。そこだけを見れば、「虐待経験が私を育てた」ということも可能かもしれません。
同時に、「もしも将来、自分の子どもを持ったら、幼少の自分がそこまで考えたような家庭環境を与えることだけはしたくない」とも思っていました。20歳で実家を離れた私の前には、誰かと巡り合って家庭を作るという可能性が開けました。結婚を考えて付き合った相手も2人います。ところが、私は「家庭のやり方が分からない」という現実に直面することになりました。自分が生まれ育った家庭ではない家庭の姿は、ドラマや映画や小説やコミックの中にしか見たことがありません。そこに出てくる場面やセリフが、現実の家庭に出てくる場面やセリフのすべてを網羅しているわけはありません。特別な出来事が起こるわけではない家庭の日常の中で、どういう顔をして、何を話していればいいのか。相手と1対1なら、まだなんとかなります。しかし、いざ結婚が現実に近づくと、相手方の血縁者との接触が発生します。そこには「自分のイメージする家庭」というものを持っている年長者がたくさんいます。「その人がそういうイメージを抱くことは尊重するけれども、それを私のものとしては使いたくない」と感じた時、どう言えばよいのでしょうか。「No」なら、当時の私にも言えました。でも「対案」を示すことができません。示さなくてもよいのですが、自分の中にないのです。すると、相手の家庭イメージにすり潰されるしかありません。私は結局、結婚や家庭を作ることそのものを断念しました。こちらは真空。人間の生きていける大気圧は、無限大に近いような高圧となります。触れたら潰されるだけ。
将来、自分が築くであろう家庭。将来、自分が抱くであろう我が子。がんと抗がん剤が、我が子という可能性を失わせるかもしれないということ。山口さんのそれらの記述を読み、まだ現実にはなっていない家庭やわが子が失われることへの痛みを読んだ私は、どうしても「なぜ?」という疑問を抑えられませんでした。
そしてたどり着いたのは、「原家族と生育歴そのものが、私から家庭や我が子という可能性を失わせていた」という結論でした。同じ経験をしても、「だからこそ、全然違う家庭を築き上げ、幸せに育つ我が子を」という夢を描き、実現する人もいます。でも、私はそうではありませんでした。「絶対的に無理」と判断し、その可能性から離れました。
しかたなかった。
「家庭を作らず子どもを持たない生き方をするしかなかった」という結果は、私が自分の責任によって招いたものではないけれど、避けようがなかった。
どうしようもなかった。とにかく、この問題で苦しむことはやめよう。
心から、自分をそのように納得させることができました。
山口さん、ありがとう。
まずは、25歳のお誕生日を祝えますように。
白血病が寛解しますように。
ご自分の家庭を築き、血を分けていてもいなくても我が子と手をつなぐ日が来ますように。
ただ、祈ります。
山口雄也さんを応援する方法の例
ご本人やご家族のために何かしたいというお気持ちを抱かれた方は、どうぞご無理ない形で応援をお願いします。ご家族を間接的に支えることも、ご本人への支えになります。
- ツイッターで「いいね」やメンションによるメッセージを送る
- ご著書を読んで、Amazon・honto・読書メーターなどにレビューを書く
- noteでご記事を読む・サポート(投げ銭)する・有料記事を購入する
- 献血をして、献血センターがいかに素敵な場所であるかをSNS等で述べる(山口さんは、治療に大量の輸血を必要としています)
- 献血できない人は、日赤などによる献血のお願いをSNS等で拡散する
- 重い病気と闘病する人々やその家族の心境について、信頼おける書籍を読み、傷つけることなく支援する方法へと近づく
本記事を書いて推薦したくなったコンテンツ
育ってきた家庭や自分の生育経験を肯定的に捉え、好ましいモデルとして抱くことのできる方におすすめできる本は、想像つきません。
しかしながら、とりあえず「自分は親や原家族のようにならないことができる」という確信を必要としている方に対しては、「私は親のようにならない」というタイトルそのまんまの本を推薦することができます。
翻訳者の斎藤学医師に対する多様な評価は熟知していますが、この本の内容には、現在も有用な部分が数多く含まれていると思います。