みわよしこのなんでもブログ : 読書

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ライター・みわよしこのブログ。猫話、料理の話、車椅子での日常悲喜こもごも、時には真面目な記事も。アフィリエイトの実験場として割り切り、テーマは限定しません。


読書

[特設]山口雄也『「がんになって良かった」と言いたい』抜き書きと感想(9/n)

白血病との闘いを続けている京大大学院生・山口雄也さん(Twitter: @Yuya__Yamaguchi)のご著書、『「がんになって良かった」と言いたい』から抜き書きして、自分のメモを記すシリーズの9回目です。
 私は Amazon Kindle 版を購入しましたが、紙の書籍もあります。





ハタチ(2017. 10. 18)

街の中で親と子が仲睦まじくしているのを見て涙が溢れてきたのは、何かを思い出したからでも、もう戻れないからでもなかった。単にその現実が、十九歳だった自分にとって重すぎただけだった。

 がんの手術を終えた後の山口さんは、抗がん剤治療を続けていました。抗がん剤の多くは、がん細胞だけを効率的に狙い撃ちできる段階には達していません。自分自身の細胞も同時に細胞分裂を抑えられることになります。こと生殖機能に関して、影響は深刻です。

 この節を、私は首をかしげながら読みはじめました。19歳の男性が、なぜそんなに自分の遺伝子を引き継いだ子どもにこだわるのでしょうか?

妊孕性ーーこの字は読めないままで良かった。この言葉を使うことのない人生が良かった。僕は将来幸せでなくてもいい、金持ちでなくてもいい。ただ、いつか自分の子供と酒を飲めたらいい。そう思っていたし、今でも思っている。そんな些細な楽しみでさえ、毒物(引用者注:抗がん剤)は奪っていった。

 山口さんの場合、精子保存が出来ないまま抗がん剤治療が継続されることになりました。もしかすると、将来にわたって自分の遺伝子を引き継いだ子どもを持つことが不可能になってしまうかもしれません。自分の肉体に自然に備わっているはずの能力が、使われないまま消滅してしまうかもしれないことの喪失感。私には、想像してみることしかできません。そして、想像できません。

 自分の遺伝子を受け継ぐ我が子を持てないかもしれない痛みが語られた後、やや唐突に、山口さんの20歳の誕生日へと記述が移ります。

 10代最後の日、子ども時代からのかかりつけ小児科医院で受ける日本脳炎ワクチン接種。生まれる前から20年分の記録が残る母子手帳。小児科医院を訪れる乳児と母親。そして自分自身は血を分けた子供を持てないかもしれない運命。現在と過去、希望と絶望が激しく交錯します。

 ここまで二十年、なにはともあれ生きてきた。
 生きていることの喜びと、生きていくことの難しさを同時に感じながら、星空を見上げた。今朝の雨予報も嘘だった。

 医学に基づく知見の多くは、あくまでも確率を示すものです。降水確率と同様に。現在の医学による「あなたは自分の遺伝子を引き継ぐ子どもは持てないかもしれません」という予言は、実現しないかもしれません。

 20歳の誕生日のその日、山口さんは両親と酒を酌み交わします。すごいなあ。20歳まで本当に飲んだことがなかったとは。私なんて中学受験で酒(以下自粛)。

 うまかった。うまかった。泣きそうになるほどうまかった。
 食後のケーキを食らいながら、アルコールの余韻と幼子の瞳は、いつまでも頭蓋にとどまって離れなかった。


 19歳の山口さんが、なぜ「我が子」にそこまでこだわるのか。がんによって生殖能力を失う可能性に直面した経験がない私には、わがこととして共感をもって受け止めることはできません。そもそも、そこまで強く「我が子が欲しい」と思ったことは一度もなかったのです。

 山口さんにとって、「両親の間に生まれて育った自分ら子どもたち」というモデルは、「いつか出会う配偶者と、その間に生まれる我が子」として継承されるものであったのでしょう。なぜ、「父親と母親と子どもたち」のモデルを、自分が成長した子どもとなって再び実現しなくてはならないのか。
 それはきっと「良きものを模倣して自分なりの何かを作り上げていく」という、学問にも芸術にも職業生活にも見られる、それどころか人間限定でさえない、生き物にとって普遍的なプロセスです。
 すなわち山口さんにとって、子どもとして両親やきょうだいとともに育ってきた家庭そのものが、模倣したい「良きもの」なのです。

 ここまで考えて、私は自分自身に大きな欠落があることに気づきました。私は、「今経験しているこれを、自分も我が子のために実現したい」と思える家庭生活や幼少期を経験したことがなかったのです。「悪しき家庭モデルがインプリメントされた」というわけでさえなく、おそらくは「家庭モデルがインプリメントされてない」という状況のまま現在に至ったのです。
 私が物心ついた時から、両親が作ってきた家庭は「ここじゃないどこかに逃げていきたい、なんならあの世でも」というものでした。4歳の私は、なれるかどうかを真面目に考えることなく作家かシナリオライターになろうと志し、自己流で訓練をしはじめていました。本気で「原稿料で家出しよう」と考えたのです。結果として、文筆でゴハンを食べる人になることはできました。50年以上が経過した現在も、その職業に就き続けています。4歳の私に声をかけることができたら、「あなたの夢は、あなたが思っている以上に素晴らしい形で実現する」と教えてやりたいです。そこだけを見れば、「虐待経験が私を育てた」ということも可能かもしれません。

 同時に、「もしも将来、自分の子どもを持ったら、幼少の自分がそこまで考えたような家庭環境を与えることだけはしたくない」とも思っていました。20歳で実家を離れた私の前には、誰かと巡り合って家庭を作るという可能性が開けました。結婚を考えて付き合った相手も2人います。ところが、私は「家庭のやり方が分からない」という現実に直面することになりました。自分が生まれ育った家庭ではない家庭の姿は、ドラマや映画や小説やコミックの中にしか見たことがありません。そこに出てくる場面やセリフが、現実の家庭に出てくる場面やセリフのすべてを網羅しているわけはありません。特別な出来事が起こるわけではない家庭の日常の中で、どういう顔をして、何を話していればいいのか。相手と1対1なら、まだなんとかなります。しかし、いざ結婚が現実に近づくと、相手方の血縁者との接触が発生します。そこには「自分のイメージする家庭」というものを持っている年長者がたくさんいます。「その人がそういうイメージを抱くことは尊重するけれども、それを私のものとしては使いたくない」と感じた時、どう言えばよいのでしょうか。「No」なら、当時の私にも言えました。でも「対案」を示すことができません。示さなくてもよいのですが、自分の中にないのです。すると、相手の家庭イメージにすり潰されるしかありません。私は結局、結婚や家庭を作ることそのものを断念しました。こちらは真空。人間の生きていける大気圧は、無限大に近いような高圧となります。触れたら潰されるだけ。

 将来、自分が築くであろう家庭。将来、自分が抱くであろう我が子。がんと抗がん剤が、我が子という可能性を失わせるかもしれないということ。山口さんのそれらの記述を読み、まだ現実にはなっていない家庭やわが子が失われることへの痛みを読んだ私は、どうしても「なぜ?」という疑問を抑えられませんでした。
 そしてたどり着いたのは、「原家族と生育歴そのものが、私から家庭や我が子という可能性を失わせていた」という結論でした。同じ経験をしても、「だからこそ、全然違う家庭を築き上げ、幸せに育つ我が子を」という夢を描き、実現する人もいます。でも、私はそうではありませんでした。「絶対的に無理」と判断し、その可能性から離れました。

 しかたなかった。
 「家庭を作らず子どもを持たない生き方をするしかなかった」という結果は、私が自分の責任によって招いたものではないけれど、避けようがなかった。
 どうしようもなかった。とにかく、この問題で苦しむことはやめよう。
 心から、自分をそのように納得させることができました。

 山口さん、ありがとう。
 まずは、25歳のお誕生日を祝えますように。
 白血病が寛解しますように。
 ご自分の家庭を築き、血を分けていてもいなくても我が子と手をつなぐ日が来ますように。
 ただ、祈ります。


山口雄也さんを応援する方法の例

 ご本人やご家族のために何かしたいというお気持ちを抱かれた方は、どうぞご無理ない形で応援をお願いします。ご家族を間接的に支えることも、ご本人への支えになります。
  • ツイッターで「いいね」やメンションによるメッセージを送る
  • ご著書を読んで、Amazonhonto読書メーターなどにレビューを書く
  • noteでご記事を読む・サポート(投げ銭)する・有料記事を購入する
  • 献血をして、献血センターがいかに素敵な場所であるかをSNS等で述べる(山口さんは、治療に大量の輸血を必要としています)
  • 献血できない人は、日赤などによる献血のお願いをSNS等で拡散する
  • 重い病気と闘病する人々やその家族の心境について、信頼おける書籍を読み、傷つけることなく支援する方法へと近づく



本記事を書いて推薦したくなったコンテンツ


 育ってきた家庭や自分の生育経験を肯定的に捉え、好ましいモデルとして抱くことのできる方におすすめできる本は、想像つきません。
 しかしながら、とりあえず「自分は親や原家族のようにならないことができる」という確信を必要としている方に対しては、「私は親のようにならない」というタイトルそのまんまの本を推薦することができます。
 翻訳者の斎藤学医師に対する多様な評価は熟知していますが、この本の内容には、現在も有用な部分が数多く含まれていると思います。



[特設]山口雄也『「がんになって良かった」と言いたい』抜き書きと感想(番外編その2)

 白血病との闘いを続けている京大大学院生・山口雄也さん(Twitter: @Yuya__Yamaguchi)のご著書、『「がんになって良かった」と言いたい』から抜き書きして自分のメモを記すシリーズを、7回にわたって続けてきました。
 本記事は番外編として、見当たらなかったものについて述べます。それは、共働きで子どもたちを育ててきた山口さんのご両親に対する世間の批判や非難です。

 当該のご著書はこちら ↓ です。
 私は Amazon Kindle 版を購入しましたが、紙の書籍もあります。




働く母親への世間の批判が見当たらない


 山口さんのご両親は共働きです。そのことは、ご本人がツイッターで述べています。ご著書の中にも、保育園に通っていたことが記されています。

 ご著書で闘病について読み進めているとき、私にはやや違和感がありました。共働きのご両親、特にお母様に対して、息子が若くしてがんに罹患したことと結びつけて非難するようなご近所さんや親類はいなかったのでしょうか? 実はいろいろ言われてはいるけれども、息子の耳には決して入れなかったのでしょうか?

 ご著書は、あくまでも山口さんが自分の目線と立場から書かれています。ご家族は登場しますが、あくまでも息子である山口さんから見たご家族です。「もしも、◯◯という深刻な出来事があったら、山口さんを通してこのような描写が現れるはずではないか?」という私の仮定の中には、両親の共働きとがん罹患を結びつけて非難するご近所さんや親類の存在がありました。

 ご両親は、私より少し若年の方でしょうか。だとすると、ご両親が結婚や出産や育児を意識されたり実現したりされたころ、女性のライフプランや結婚や育児に関する世の中の認識は、私が20代や30代で経験してきたものと大差なかったのではないかと思います。山口さんの幼少期、ご両親の周辺には、「保育園に子どもを預けて働くなんて、子どもがかわいそう」「共働きの母親は子どもに充分な愛情を注げない(注いでいない)」「共働きだと食生活が乱れがちになるから子どもの身体が健全に育たない」といった声が大なり小なりあったはず。共働き家庭の子どもが非行に走ったり重い病気を患ったりすると、表に現れないまでも「それみたことか」というほくそ笑みが、近辺のどこかにあったはず。

 私には約10歳下の妹がおり、両親は戦前生まれで現在80代です。少なくとも私が30代半ばあたりまで、すなわち1990年代の後半まで、私の親やきょうだいが「共働きは子どもがかわいそう」という考え方を明確に否定したことはありません。20代や30代、初期の女性総合職として死ぬ思いをしながら職業生活を続けていた私に、母親は結婚や「親に孫の顔を見せる」ことへのプレッシャーをかけつづけました。1990年代に入った後、私は妹にから「子どもを保育園に預けるなんて」という非難をされたことがあります。妹は20歳を過ぎたばかり、私は30歳を過ぎたばかりでした。1990年代後半になると、母親は焦りからか「共働きもアリ」という認識を示すようになりましたが、母親はとにかく孫が欲しかっただけで、その孫を生む私の人生や職業はどうでもよかったようでした。私自身は「子どもを持ちたい」とは思わなくもなかったのですが、それほど強い欲求ではありませんでした。共働きに適した配偶者になれそうな男性を見つけることは、1990年代だと絶望的に困難だったりもしました。というわけで1990年代後半、35歳を過ぎるころに自分自身の子どもをあっさり断念し、世の中や世界の子どもに対する子育ての社会化に注力したいと思いました。

 山口さんのご母様は、1963年生まれの私と1972年生まれの妹の間あたりの世代に属しているのではないかと思います。よほどの進学校や高偏差値大学、あるいは「女子だからこそ手に職」というタイプの学校を除き、高校も高校以後も、教室の中には「女の幸せは結婚であるべき」というタイプの女子がいたはず。そういう思い込みがただされる機会も少なかったはず。

 その親世代、現在の団塊世代以上に当たる世代には、たとえばウーマン・リブ運動と子どもの共同保育のような活動をしていた人々もいました。しかしながら、ごく少数派でした。物心ついてから青年期まで「女の幸せは結婚」と思いこまされたまま専業主婦になるか。職業を持つ女性として生きていくのが大変すぎるので不本意に専業主婦になるか。そうではない人生を目指したい女性も、たいていは、それらのバリエーションへと追い込まれるものでした。

 他の選択肢が選択肢にならないから専業主婦になり、家事と育児に専念し、自分名義の収入を持っていない女性たちの近くに、職業生活を継続している女性がいて、しかも結婚していて子どももいる。案外、幸せそう。しかもフルタイムの母親ではないのに、子どもたちの出来が案外良い……となると、そこには嫉妬と憤懣が渦を巻く世界が生まれがちです。その女性たちが悪いというより、女性たちは親世代や男たちの代理戦争をさせられているわけでもあります。

 山口さんが幼少だった2000年前後、共働きでの育児は、正々堂々と市民権を得ていた時代だったでしょうか? そうではなかったという認識があります。というわけで、山口さんのがん罹患がご両親の共働き育児への「それみたことか」という批判や非難の噴き出し口にならなかったことは、私にとっては「ちょー驚き」でした。でも、冷静に考えてみると、現在ならそれが当たり前のような気もします。

 私なりに理由を推測してみます。
 山口さんが幼少だった2000年前後、共働きカップルが保育園も何もかもフル活用して共働きで仕事も育児も大切にするライフスタイルを実現し続けようとする場合、批判や非難は受けつつも、それなりに「存在するのが当たり前」という感じの理解が広がりつつもあったような気が。
 1990年をすぎてバブルが崩壊した後は、日本経済の低迷が続きました。「結婚後は片働き(という言い方はありませんが)で専業主婦になって家事育児に専念する」という選択肢は、選びたくても選べるとは限らないものとなっていきました。男性会社員の片働きによる夫妻のライフプランが、そもそも成立しにくくなっていったからです。というわけで、結婚して子どもが生まれたら共働き育児、あるいは最初から結婚しないという選択が増えました。そして、共働き育児が「当たり前」に近くなっていく2000年代を経て、「保育園落ちた日本死ね」が生まれる2010年代を迎えたわけです。

 2021年現在、保育園に子どもを預けて働くこと自体は批判や非難の対象になりえません。
 共働きで育児するカップルや個性豊かに健全に育ちゆく子どもたちを、内心、面白くなく思っている人々は、そこにもここにも実はいるのかもしれません。でも2010年代後半、その思いを正論めかして語ることは、既にはばかられる状況になっていました。「保育園落ちた日本死ね」は、大きな反感とともに、反感を上回る共感と支持を引き起こしました。山口さんのご両親を襲った「元気で優秀だった息子の10代でのがん罹患」という衝撃的な出来事は、概ね「保育園落ちた日本死ね」と同時期のことでした。「共働きで子どもを育てたから悪かった」という批判非難が、問題になるほど湧かなかったとすれば、その最大の背景は「時代が変わった」ということでしょう。

 このことに気づいたとき、私は嬉しくて涙が出てきました。世の中は、少しずつ少しずつマシな方へと動いているじゃないか、と。
 実際には、ご両親の共働きと育児をチクリと刺す声があったり、宗教や健康食品を押し付けたりする動きがあったのかもしれません。若干なら、時代や世代と関係なく起こりそうではあります。でも、大きな問題になるような規模では発生せず、継続もしなかったのなら? そういうことを口にした瞬間に、誰かが諌めるものになっているのだとしたら? 自分と違う生き方を認め、自分と違う生き方をしている家族を襲った衝撃を「他人の不幸は蜜の味」とすることを慎むようになっているのだとすれば? 
 「人間として当たり前のことがやりやすくなっているだけ」と言えばそれまでですが、日本社会にとっては大変な達成です。


山口雄也さんを応援する方法の例

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  • 重い病気と闘病する人々やその家族の心境について、信頼おける書籍を読む

今日はコンテンツの推薦はありません

 Amazonの山口さんのご著書へのリンクを置いておきます。



[特設]山口雄也『「がんになって良かった」と言いたい』抜き書きと感想(8/n)

白血病との闘いを続けている京大大学院生・山口雄也さん(Twitter: @Yuya__Yamaguchi)のご著書、『「がんになって良かった」と言いたい』から抜き書きして、自分のメモを記すシリーズの7回目です。
 私は Amazon Kindle 版を購入しましたが、紙の書籍もあります。





(2017. 4. 24)


 この節は、伊勢物語に出てくる詠み人知らずの短歌の引用から始まります。そして、桜の美しさと生と死をめぐる逡巡と思索が、交錯するさまざまな感情とともに、繊細かつリズミカルな文章で語られます。


散ればこそ いとど桜はめでたけれ
憂き世になにか 久しかるべき


 がんの手術を終えた山口さんは、まだ退院できずにいたものの、がんは寛解していました。そして振り返るのは、「強いね」「治ってよかったね」といった他者の言葉に対する自分の心の動きです。


強がることには昔から長けていたから、そうしていただけだった。
(引用者注:がん告知に平気な顔をしていたのは)見栄だけは一人前だった。
そのうちにどれが自分の感情なのかを見失ってしまった。
もう笑っているのか口を結んでいるのか。泣いているのか怒っているのか。
果たしてどれが自分の感情が創り出した表情なのか分からなくなってしまった。
コミュニケーションの潤滑油として、ありもしないところから無理に表情を引っ張ってくる。
生ぬるい無造作な皺が、心との温度差を生じる。

 いちいち、身に覚えがあります。私自身が「障害者界」に閉じ込められてしまってから数年間の経験として。山口さんと同じ「がん患者界」に閉じ込められたわけじゃないのに、なぜ経験に共通点が感じられるのでしょうか。

 障害者も、その時点でのがん患者も、他者たちに何となく「こうあるべき」と定められてしまう存在です。定めるのは、障害をもたない人々、あるいは、その時点ではがん患者ではない人々です。
 障害者は、日本の全人口の10%に満たない少数派です。先進諸国と比べて異様に少ない理由は、日本の障害認定が異様に厳しいことにあります。
 日本人の約50%は生涯の中で1度はがんを経験し、約25%はがんで亡くなります。しかし「その時点でのがん患者」、特に若年のがん患者は、少数派であるはずです。国立がん研究センターの最新がん統計によれば、10代あるいは20代でのがん罹患率は0.5%未満と見てよさそうです。同世代の中では、障害者よりもさらに1桁少ないことになります。
 人口比で50%、せめて30%なら、その人と同じ側にいない50%あるいは70%が何を言おうが、ただちに「数の暴力」という種類の政治力が発揮されるわけではありません。しかし、10%未満の障害者、そして同年代では1%未満の10代・20代のがん患者に対しては、「90%以上」「99%以上」の数の暴力が否応なく降り注ぎます。各人に「暴力」のつもりが全くないとしても、「私の考える障害者像とは」「僕の考えるがん患者像とは」というものが存在するだけで、数の暴力になってしまいます。では、マジョリティは何も知らなければよいのでしょうか? それはそれで、無知ゆえに善意をもって相手をすり潰してしまい居ないのと同然にするという、さらにタチの悪い暴力となってしまいます。

 解決方法? ありませんよ。だって、数の不均衡を是正する方法がないんですから。もしも是正できたら、その時には「みんな障害者」「みんな、がん患者」です。それは、やはり望ましいことではないだろうと思います。「現在の健常者は、将来の中途障害者」「がんを経験していない人の半分は、将来のがん患者」とは言えるかもしれません。「わがことになるかも」という想像力は、少しだけ状況を変えるかもしれません。でも想像上の「将来のわがこと」は、別の誰かの「現在のわがこと」とは、やはり似て非なるものです。「想像できるから、私はあなたの理解者になれるはず」なんて言われた日には、ぶん殴(以下自粛)。

 ハンデを持つマイノリティが、ハンデを持ったマイノリティであるままで尊重されることを、「多様性の尊重」「ダイバーシティ」と言います。しかし、マジョリティによる多様性の尊重やダイバーシティ推進の程度を、誰が評価するのでしょうか? マジョリティに任せておくと、「自分たちは充分によくやっています。少しは反省すべき点もありますが」という評価にしかなりません。マジョリティが「マイノリティの声を聞く」という姿勢を見せることもありますが、人選や聞き方をマジョリティにまかせておくと、自分たちに都合のよい声しか聞かれません。マイノリティの中には「この政治を利用して自分の地位を確保したい」という動きが必ず現れます。すると、マイノリティは結果として分断されたり、あるいは出世した少数のマイノリティに支配されたりすることになります。たいへん具合悪い状況ですが、マイノリティである各個人の誰かがそういう選択をすること自体は、一概に否定できないように思えます。マイノリティの誰か1人が、権力や地位や達成に関する欲望を抱き、実現しようとするとき、誰が「あなたはマイノリティだから、そんなことを考えてはいけない」と言えますか? それはそれで人権侵害です。放っておくとマイノリティ全体の人権侵害に及びかねないという問題はありますが、だからといって、誰が「全体のために、あなた個人は犠牲になれ」と言えるでしょうか? 
 まことに面倒くさいのですが、この面倒くささは、障害ある学生や障害ある職業人として変化の中を生きている人々、障害がない時期に何者かとなった後に障害者となった人々につきまとう宿命です。障害者の社会参画に関して先進的と見られている西欧や北欧や米国にも、形を変えて存在します。よりマシだと思える「面倒くさい」を選ぶことはできても、自由になることは無理そうです。

 大学院生(大学生)として学業と研究の世界にも生きている山口さんは、がん患者ではない大学院生(大学生)だから求められることと、がん患者である現実の自分、そして2つの自分を取り巻く社会との間で、人知れず苦しまれたことが多々あるだろうと拝察します。それは、障害者であり現実にハンデを負っている人々が、福祉的ではない職業に就いてパフォーマンスを求められたり挙げたりしている場合に直面する困難そのものでもあります。

 5年後、10年後。山口さんと同じように苦しむ若年のがん患者、障害者、その他マイノリティが、少しでも減っていればいいと望みます。マジョリティの”苦しめ方”がもう少しマシになっていればいいと願います。今すぐには無理でしょう。だけど、少しずつ。

 さて、この節のタイトルは「桜」です。山口さんの状況は、死を意識しなくてもよいタイプの健康な障害者とは異なっていました。

五年以内に死ぬだろうと思って生きることの恐怖と失望とは、あなたには決して分からない。なぜなら自分にもさっぱり分からなかったからだ。
背水を気にせずどう生きろというのか。

 そして山口さんは、自分が感じている怖れと悲哀を、丁寧に腑分けしていきます。

万物無常、早かれ遅かれいつかはサヨウナラ。じゃあ悲哀の対象はというと、”存在がなくなること”ではなくて、むしろ”忘れられること”だった気がする。

 昔から、「人は二度死ぬ」と言われてきました。一度目は肉体的な死。二度目は、その人を知っている人が全員いなくなるという意味での死。2021年現在、Web空間に残した情報は永久に残る可能性があり、「忘れられる権利」が問題になっています。でも、Web空間に自分の残した情報が残りつづけていても、参照されなくなれば、発見されるまでは無と同じ。情報が埋もれるスピードが速くなるのとともに、二度目の死が早く訪れるようになるのかもしれません。

あなたに会えないことよりも、あなたに忘れられることの方が恐ろしい。生きたことが忘れられたとき、「わたし」はその人にとって存在しなかったことになる。その人を忘れた時、あなたは無意識にその人を殺している。

 このフレーズには、個人的な気づきがありました。
 私の母親は、私が物心ついたころから「親をないがしろにする」と怒り続けていました。2000年を過ぎてからは、通算で3時間も会話していないはずですが、たぶん現在もそうなのでしょう。私は積極的に母親を「ないがしろ」にしたかったわけではありませんが、何をすれば「ないがしろ」にしなかったことになるのか、全く見当がつきませんでした。母親の「自分をないがしろにされたくない」という思いが、死や忘却に対する母親自身の何らかの感情と結びついていたのであれば、幼少だった私、そして成人して現在に至っている私には、どうしようもなかったことになります。もう、そういうことにして、母親が自分にとって何であったかという問題を少しずつ棚上げし、自分の責任の及ばない問題ということにして、そして自分の問題としては終わらせてしまおうと思います。息子でもおかしくない年齢の山口さんが書かれた文章に、長年の親との問題の個人的な解決を少し助けてもらいました。ありがとう。

 ともあれ山口さんは、いずれ自分が忘れられ、存在しなかったことになり、無意識のうちに誰かに殺されるかもしれない運命を心に抱え直しつつ、桜をめぐって生命への思索を続けます。

雨にも負けて、風にも負けて、そうして一瞬のうちに散りゆくから、生命は美しい。
死こそが生命を生命たらせ、そうして平等にする。
残酷さが、美しさを創り上げる。
今年も、美しい桜が忘れられていく。
散ればこそ、めでたけれ。

 ぱっと咲いてぱっと散るのは、ソメイヨシノ系の桜の特徴です。ソメイヨシノは江戸時代以後の品種で、伊勢物語の時代には「それそのもの」はなかったはずですけれど。
 他にも、たくさんの桜があります。散り急がない桜もあります。そして私は、花の後の葉桜が、咲いた桜よりも好きなのです。

 山口さんが、来年の桜を見られますように。散るから美しい桜ではなく、咲き続けるから美しい桜の数々も見ることができますように。そして、今まで重ねられてきた思索の上に、さらに思索と自分の人生を重ねて行かれますように。

 ただ、祈ります。


山口雄也さんを応援する方法の例

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  • 献血をして、献血センターがいかに素敵な場所であるかをSNS等で述べる(山口さんは、治療に大量の輸血を必要としています)
  • 献血できない人は、日赤などによる献血のお願いをSNS等で拡散する
  • 重い病気と闘病する人々やその家族の心境について、信頼おける書籍を読み、傷つけることなく支援する方法へと近づく



本記事を書いて推薦したくなったコンテンツ


 多数派の思い込みの世界に、あるいは政治的に強い力を持った存在の思うがままの世界の中に自動的に閉じ込められてしまう人々を、スピヴァクは「サバルタン」と名付けました。




 精神科医・中井久夫氏の著書『時のしずく』には、愛弟子の1人であった安克昌医師への追悼が収録されています。中井氏は阪神淡路大震災における精神医療の総指揮に当たり、安医師は最前線でケアにあたりました。リアルな生と死の重みに向きあった精神科医の1人が旅立ち、師であった精神科医が悼むという巡り合わせが生んだ追悼文。いずれはやってくる安医師の「二度目の死」への中井氏の怖れが胸に迫ります。



 なお安克昌医師は、NHKのドラマおよび映画『心の傷を癒やすということ』の主人公のモデルです。ご本人による同名のご著書もあります。余談ですが、私はNifty-Serveの心理学フォーラムで接点がありました。「自分の居場所」という言葉を含むお返事を、私は終生忘れそうにありません。私が生きている限り、あなたは死なないよ、安さん。


[特設]山口雄也『「がんになって良かった」と言いたい』抜き書きと感想(番外編その1)

 白血病との闘いを続けている京大大学院生・山口雄也さん(Twitter: @Yuya__Yamaguchi)のご著書、『「がんになって良かった」と言いたい』から抜き書きして自分のメモを記すシリーズを、7回にわたって続けてきました。
 本記事は番外編として、「なぜ、このシリーズを書いているのか」について述べます。

 当該のご著書はこちら ↓ です。
 私は Amazon Kindle 版を購入しましたが、紙の書籍もあります。




山口雄也さんの「僕の生きた証」とは?


 このシリーズを続けている理由は、一言で言えば「山口さんの生きた証を残すことに協力したい」ということです。山口さんはツイッターで「僕の生きた証を残したい」と語られています。

 山口さんの「生きた証」なら、十分に残っているはずです。ブログ記事、note記事、書籍、NHKの番組。そして卒論。なんといっても、山口さんを直接知る方がたくさんいて、その方々の多くは好意的です。「生きた証は、充分に残されている」と言える状態ではないでしょうか。

 24歳で闘病生活が6年目で、そういう状況にある方は、多くはないだろうと思います。若年で難病に捉えられてしまうと、自暴自棄になったり、やさぐれてしまったりすることもあります。いったん離れてしまった友人たちや壊れてしまった人間関係を取り戻せないまま、短い生涯の終わりを迎える人々も少なくありません。ご著書によれば、そういう瞬間は山口さんにもありましたが、幸いにも瞬間的なものに終わり、失ったものは少なかったようです。

 山口さんのツイートを見ると、「生きた証」という言葉に込められているものは、単にご自分が残すものではないように思えます。「大手書籍通販サイトや大手書評サイトに記されたレビューが増えてほしい」というツイートもありました。ご自分が残すものだけではなく、ご自分と社会とのつながりがあってこその「生きた証」なのでしょう。発信は反響あってこそ、なのでしょう。さすがSNS世代。

 よっしゃあ。プロライターとして、「生きた証」のためにプロの犯行で一肌脱ぐで!
 山口さんは、私の子どもでもおかしくない年齢です。インターネット環境に触れた時からSNSが当たり前だった世代に属しています。
 私は親世代(たぶん親御さんより年長)の者として、日本のインターネット萌芽期をリアルタイムで知っている者として、ささやかながら出来ることはしたいと思いました。

O.ヘンリー「最後の一葉」じゃないけれど

 山口さんは、これまでの闘病でも「死ぬかもしれないA」「死ぬかもしれないB」の二者択一を迫られてきました。2021年に入ると余命宣告を受け、「死ぬことは確実なので緩和治療」「1ヶ月後に生きている確率は低いけれども骨髄移植」の選択を迫られました。骨髄移植から2ヶ月後の現在も、非常に厳しい状況が続いています。

 このブログでは、ご著書から一節ずつ抜き書きして私の感想を綴っています。この調子では、向こう何日かかるのだか。「西荻窪の由緒正しい飲んだくれ不良中年」を標榜してきた私ですから、サボる日も出てくるでしょう。でも、ペースアップしたいとは思いません。

 O.ヘンリーの短編小説「最後の一葉」ではありませんが、私が抜き書きと感想を続けている限り、山口さんは大丈夫なのではないかと。根拠なんかありません。ただの思いこみです。「最後の一葉」のヒロインも、「窓から見える落葉樹の最後の一葉が落ちる時に自分は死ぬのだ」と思い込んでいた闘病中の患者でした。それだって根拠なかったんですよね。

 ご著書の末尾にたどり着くころ、山口さんはまだまだ闘病を続けていて、ジリジリとでも今よりも快方に向かっているのでは? 根拠はなく、ただの思いこみですが、そう思い込ませてください。

 いわば、願掛けのようなものなのです。

なにゆえアフィリエイト?

 このシリーズには、多数のアフィリエイトが埋め込まれています。山口さんのご著書、そして関連して推薦したい書籍やコミックなどのコンテンツ。フレームにデフォルトとして埋め込んでいる Google Adsense のリンクもあります。
「いちいち外すのが面倒くさい Google Adsense はともかく、なにゆえコンテンツにいちいちアフィリエイト?」
という疑問を持たれる方も少なくないかと思われます。

 理由はただ一つ。
 確実に読んでいただきたいから。読まれないまでも、触れていただきたいから。

 パソコンで読まれている方は、「当該コンテンツのページに飛んだ後でアフィリエイトだけ外して購入する」なんて朝飯前でしょう。それでもかまいません。アフィリエイトさえ貼っておけば、クリック数を私が確認できます。それは私自身の励みになります。「そのコンテンツの存在を知る方を増やすことはできた」というわけですし、クリック数も確認できますから。とにかく、リンクをたどっていただければ、当該コンテンツが何であるのかを知っていただけるわけです。

 紹介したコンテンツを知ってほしい。できれば読んでほしい。そして、山口さんや難病と闘う方々やご家族に、少しでも有効で害の少ない支援をしてほしい。間接的にでも。それが私の一番の願いです。

 なお、2021年5月16日現在、本シリーズによるアフィリエイト収入は0円です。「むしろスッキリ」と喜んでいます。他人さまの闘病で商売したいとは思いません。もっとも、結果として私に何らかの収益がもたらされるのであれば、私自身や家族(猫×2)のために使ったり寄付したりして、ポジティブなスパイラルを作ることに役立てることができます。そんなわけで、収入があればあったで喜ぶことでしょう。


山口雄也さんを応援する方法の例

 ご本人やご家族のために何かしたいというお気持ちを抱かれた方は、どうぞご無理ない形で応援をお願いします。ご家族を間接的に支えることも、ご本人への支えになります。
  • ツイッターで「いいね」やメンションによるメッセージを送る
  • ご著書を読んで、Amazonhonto読書メーターなどにレビューを書く
  • noteでご記事を読む・サポート(投げ銭)する・有料記事を購入する
  • 献血をして、献血センターがいかに素敵な場所であるかをSNS等で述べる(山口さんは、治療に大量の輸血を必要としています)
  • 献血できない方は、日赤などによる献血のお願いをSNS等で拡散する
  • 重い病気と闘病する人々やその家族の心境について、信頼おける書籍を読む

今日はコンテンツの推薦はしません

 今日は、本シリーズ記事のイメージ画像を設定することにします。設定していないと私のアイコンのコラージュが表示されてしまい、なんだか違和感があるもので。
 代わりに再度、Amazonの山口さんのご著書へのリンクを置いておきます。



[特設]山口雄也『「がんになって良かった」と言いたい』抜き書きと感想(7/n)

 白血病との闘いを続けている京大大学院生・山口雄也さん(Twitter: @Yuya__Yamaguchi)のご著書、『「がんになって良かった」と言いたい』から抜き書きして、自分のメモを記すシリーズの7回目です。
 私は Amazon Kindle 版を購入しましたが、紙の書籍もあります。




望み(2017. 3. 30)


 最初に見つかったがんの手術を終えた山口さんは、病棟で共通点の多い中年の男性患者と出会います。違いは、山口さんのがんは予後不良とはいえ治る可能性が高いものであり、男性が患っているタイプの膠原病は不知の病であるということでした。

 入院先の京大病院は、日本で肺移植を取り扱うことができる10施設のうち1つです。男性は35歳で、皮膚だけではなく血管や臓器が侵されていくタイプの膠原病に肺まで侵されました。

 男性が最後の望みを託したのは、脳死肺移植でした。肺移植のリスクは非常に高く、他のどの移植手術よりも術後生存率が低く、文字通り「必死」で臨むこととなります。手術室に入って麻酔を受けたら生きて戻ってこれないかもしれない移植手術の日は、前日に突然、電話でやってきます。しかし、男性は生き延びました。そして経過観察のための入院で、山口さんと出会い、手術が成功して妻と川べりを散歩した時のことを語りながら涙ぐみました。

どうして俺はこうやって生きていられるんだろう、そう思って泣き続けたという。

 山口さんと車の趣味が合う男性は、愛車の話題を振られた時、今は車の運転をしていないと答えました。薬を飲み続けている限り、運転できないからだそうです。

 しまった、と思った。職だけでなく、趣味さえも取り上げられてしまうのか。もしこれが自分だったら、何を楽しみに生きていいか分からなくなるかもしれない。


 しかし男性には、生きる希望がありました。当時4歳の息子です。息子が小学校に入り、中高生になり、成長していく様子を見ることです。その希望が叶う可能性は高くありません。病気は、少しずつ進行していました。

 人生とは、理不尽である。自ら命を断つ人もいれば、こうして生きたくても生きられない人もおり、あるいは何も考えずに生きている人もいる。彼の息子が僕と同じ年齢になったとき、果たして彼は生きているのだろうか。
 生きていてほしい。

 山口さんは、子の立場での経験から、次のように語ります。

 もし親をなくしたらここまで生きてこられなかっただろう。
 親にとっての生きる希望が子であるように、子にとってもまた、生きる希望は親なのである。

 このくだりは、引用していて胸にズキンとくるものがありました。
 貧困問題の取材をしていると、貧困と虐待は強く結びついているという事実を否応なく突きつけられます。搾取するために子どもを増やす親も、DVの結果として子だくさんになった父親も、いるところにはいます。その環境の中で育つ子どもたちは、家庭といえばその家庭。親といえばその親しか知りません。親の役割を果たせていない親の子どもたちは、リアルな親自身に希望を見出すことができません。そういう子どもたちは、自分の「親を支える」という役割、いつか親を変えられる可能性、その他、想像力と思考力の限りを駆使して、親とその周辺に「親という希望」を見出そうとするのです。空想? 妄想? 虚構? そうかもしれませんが、なくしたら子どもは生きていけなくなるでしょう。

 虐待のもとにある子どもたちとは異なる意味で、理不尽な運命の真っ只中にいる男性は、山口さんに次のように語ります。

「病気になるとさ、色んなことが見えてくるよね。それにはすごい感謝してるかな。
でもこんな病気にはなったらいかんよ」


 神谷美恵子氏の「私たちではなく、なぜあなたが? あなたは代わってくださったのだ」という詩の一節を、どうしても思い浮かべてしまいます。神谷氏の著書に引用されているハンセン病患者、「天刑病」と言われていた病気を抱えて生きてきた人による「癩は天恵でもあった」という詩の一節も。
 男性の述懐を言い換えれば、「私に当たったので、引き受けることになりました。病苦は病苦ですが、天恵でもありました。だけどあなたは、この病気に当たらないでくださいね」ということになるでしょうか。どう言い換えても、重さや深さは変わらないように思えます。

 そして数日後の山口さんは、青い空、美しい川の流れ、水辺で遊ぶ鳥たちを見ました。澄んだ風を感じました。でも、心は晴れませんでした。

 自分自身の病が前者(引用者注:治る可能性のある病気)であることを手放しで喜ぶことは、もはやできなかった。


 生体肺移植も、受けられて生き延びる機会が出来るからといって、手放しで喜べるものではありません。その肺を持っていた誰かが亡くなったから、その肺を受け取って生きる人に機会が生まれているわけです。

 医学の発展が、彼の病を後者(引用者注:治らず、進行して最後には命を奪う病気)から前者へと変えることを切に望むほかなかった。

 生命の危機は、生きることの尊さやかけがえなさを否応なく認識させます。しかし、生命の危機自体は決して歓迎したいものではありません。不幸や理不尽は減ることが望ましく、減ったら減ったで新しい不幸や理不尽に直面しなくてはならず、日頃から深く考えていれば「いざ」という時の衝撃がより深く重くなり、日頃何も考えていなければ「いざ」という時の奈落感が大きくなるわけです。どう生きることが正解なのか。正解は、誰も知りません。

 膠原病の男性には、自分の人生の明確な理想像がありました。その理想像を、山口さんは次のように描写します。

 彼が、妻と息子と三人で、出来るだけ長く寄り添って歩けるよう、心から願うばかりだった。



山口雄也さんを応援する方法の例

 ご本人やご家族のために何かしたいというお気持ちを抱かれた方は、どうぞご無理ない形で応援をお願いします。ご家族を間接的に支えることも、ご本人への支えになります。
  • ツイッターで「いいね」やメンションによるメッセージを送る
  • ご著書を読んで、Amazonhonto読書メーターなどにレビューを書く
  • noteでご記事を読む・サポート(投げ銭)する・有料記事を購入する
  • 献血をして、献血センターがいかに素敵な場所であるかをSNS等で述べる(山口さんは、治療に大量の輸血を必要としています)
  • 献血できない人は、日赤などによる献血のお願いをSNS等で拡散する
  • 重い病気と闘病する人々やその家族の心境について、信頼おける書籍を読む

本記事を書いて推薦したくなったコンテンツ

 石井光太さんのご著書の中には、厳しい状況と制約の中で、それでも希望を創造しようとする人々の姿が数多く現れます。石井さんは、人間一人一人が心の中に作り上げる希望を「小さな神様」と呼んでいます。




 移植については、一宮茂子さんのご著書『移植と家族』が必読でしょう。一宮さんは、京大病院の臓器移植を取り扱う病棟で、長年にわたって看護師として働いて来られた方です。看護師としての経験から抱いた問題意識を研究へと昇華され、さらに「読ませる」書籍へと展開されたのが本書です。臓器を提供する側にとって、提供される側にとって、臓器移植とは何なのか。本書の対象は家族間の生体肝移植ですが、ここまで深く掘り下げて描き出した書籍は、未だに他に存在しないと思います。




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(共著 2015.4 丸善出版)


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 (執筆協力・永島孝 2013.9 技術評論社)


「生活保護リアル」
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「生活保護リアル(Kindle版)」
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「ソフト・エッジ」
(中嶋震氏との共著 2013.3 丸善ライブラリー)


「組込みエンジニアのためのハードウェア入門」
(共著 2009.10 技術評論社)

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