みわよしこのなんでもブログ : 読書

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ライター・みわよしこのブログ。猫話、料理の話、車椅子での日常悲喜こもごも、時には真面目な記事も。アフィリエイトの実験場として割り切り、テーマは限定しません。


読書

[特設]山口雄也『「がんになって良かった」と言いたい』抜き書きと感想(番外編その5)

白血病との闘いを続けてきた京大大学院生・山口雄也さん(Twitter: @Yuya__Yamaguchi)のご著書、『「がんになって良かった」と言いたい』から基本は1節ずつ抜き書きして、自分のメモを記すシリーズ、番外編その5です。

本記事では、このシリーズを書きはじめて書き続けるにあたって、乗り越えなくてはならなかった私の内心の障壁について述べます。その内心の障壁は、私が中途障害者であることによってもたらされました。




山口雄也さんが亡くなって薄れたモチベーション

 この抜き書きとメモを書き続けてきたモチベーションは、「何らかの形で山口さんを励ましたい」というところにありました。
 山口さんやご著書について触れることは、私にとって、実はかなりのリスクを伴うことでもありました。「山口さんを励ましたい」という思いが、辛うじてリスクへの恐れを乗り越えさせてくれていたわです。亡くなられてしまうと、リスクを乗り越えるパワーがやはり少なくなってしまいました。
 闘病中の方の闘病記を紹介することが、なぜリスクになりうるのか。おそらく多くの方々には想像もつかないことでしょう。


障害者が生きていくということ

 私は障害当事者です。
 障害者の中では、しばしば「障害者は生き延びるために運動家になる」と言われています。これは事実です。障害者になると、生きて暮らすだけでいちいち「私にも基本的人権があるはずだ」という主張を繰り返す必要があります。さらに、そんな主張をした「罰」として見えない棒で殴られたり空気を薄くされたりするような思いをすることが連続します。それでも主張しなくては生きていけません。「黙っているから生きていけない」「黙っていないから生きていけない」の両方の圧力が存在する中で、「ああ辛うじて今日も死んでない」というような日々が続くことになります。よほど例外的に恵まれた障害者、あるいは例外的な獲得に成功した障害者でない限り、現在も大なり小なりこれが現実。

 障害者として生まれた人、あるいは障害者となった人にとって、既存の障害者運動や障害者コミュニティとつながることは「今日も死んでなくて生きて暮らせてる」という毎日を送るために必須です。日本の障害者運動は、特に身体障害に関しては、世界トップレベルの実績を積み重ねてきた存在でもあります。2000年以後は後退気味ではあるのですけど、それでも世界に誇るべき水準が今も維持されています。2020年以後は新型コロナの影響でさらに悲惨なことになっているのですが、それでも世界的には「まだマシ」な方かもしれないんですよね。


「生きるに値する命」の判断をしない論理

 障害者運動の論理の中では、障害者が生きるにあたって「どのような障害者であるか」ということを一切問わない原則です。そこを問題にすると、「この障害者は生きるに値しない」という判断をすることになります。その判断のラインは、引いたらおしまいです。いつか、そのラインが自分を「生きるに値しない」とするところに移動するかもしれないわけですから。

 私は「あらゆる人命は生きるに値する」という論理を全面的に肯定しています。そうしないと障害者の生存を守れないという現実があります。また、なんとなく人類史の中で維持されてきた「生きるに値しない人命がある」という前提条件をいったん留保して、「あらゆる人命は生きるに値する」という仮定を現実として実現するためにどうすればよいかを追求する路線に大きな魅力を感じます。

 が、障害者の社会の中では、私がそんなふうに考えているとは思われていません。何百回そう主張しても、そのたびに「本当は優生主義で能力主義でネオリベなんでしょ?」という矢が飛んできます。


中途障害者には、障害者になるまでの人生がある

 中途障害者には、障害者になるまでの人生があります。それが良いかどうかはさておいて。
 障害のない子どもは、スクールバスや公共交通機関を使って、あるいは遠隔地で寮生活をしながら、特別支援学校に通ったりしません。地元の小中学校(あるいは受験して他地域の小中学校)に通学し、障害児がいない環境(注)で教育を受け、障害があることを前提としない進路へと進みます。
 中途障害者は、健常者向けの人生コースのどこかで障害者になった人です。健常者としての人生の蓄積や経験があり、それを失うことへの痛みがあるわけです。でもそれは、障害者の社会の中で堂々と言えるようなことではありません。
 生まれながらの障害者の多くは、自分が失ってイタいものや健常者としての機会を、最初から与えられていなかったわけです。その責任は、私にはありません。しかし、「自分にとって自然だったり当たり前だったりしたものの存在で傷つく人がいる」ということは事実です。
 かくして、不用意に誰かを傷つけないように障害者になるまでの自分についてはなるべく語らないことになります。そうすることは、「実は優生主義者で差別主義者」といった反発や陰口を避けるための処世術としても必要です。障害者運動や障害者コミュニティとのお付き合いが「そこはそれ」で済むのであれば、「そこではそういう自分を演じる」というだけの話です。でも中途障害者とはいえ、自分が障害者であるということは、もはや自分の全人的な前提です。

 ぶっちゃけて言いましょうか。
 私は1990年に大学院修士課程を修了し、2005年に発生した身体障害により障害者となりました。そして2021年現在、1990年の学歴によって攻撃されることが続いているんです。「障害者の誰もが、いつも」というわけではありませんが、1990年の私の学歴を知っていて10年以上お付き合いしていたはずの障害者が、いきなり学歴逆差別を始めたりします。もちろん、そんなことをする方とお付き合いしつづける必要はありません。でも「ああ、そうですか。じゃ、絶交」ときっぱり切ってしまうと、相手は「学歴差別された」「あいつは能力主義」をはじめとするないことないことを影で主張するでしょう。私が生きるにあたって必要な障害者からの助力が、「あいつは障害者の敵だから」という理由で得られなくなるかもしれません。これらは可能性ではなく現実です。似たようなことは他の障害者にも起こりつづけています。
 こんなことを書くと、「障害者運動を悪く言っている」という罪により何らかの罰を課されるのかもしれません。これも私が経験してきた現実です。私は「人間や人間のグループのやることが、全面的にきれいごとであったり、何ら批判されるべき側面を持っていなかったりするわけはない」という認識ですし、その認識に基づいてものを言っているだけですが。

注:
私は1970年に地元の公立小学校に入学しました。養護教育義務化ですべての障害児に義務教育の機会が確保されたのは1979年でした。
私の通った小学校には、今でいう特別支援学級はありませんでした。小学校が絶対的に不足していて、理科室も家庭科室も音楽室も教室として利用せざるを得ないような状況でしたから、場所がなくて設置できなかったのです。
というわけで、現在なら特別支援学級や特別支援学校に行くかもしれない障害児が、健常児と同じクラスに当たり前にいました。軽度から中度の知的障害、弱視、難聴など。
先生方の主力は、戦後の焼け跡闇市時代に高校生だったり教員養成教育を受けたりした世代でした。そういう状況下で混乱混沌を招かずにクラスを運営して全員が折り合いをつけて幸せに暮らすノウハウは、それなりにお持ちのことが多かったです。
世代や制度から個人の経験が「こうであったはず」と言えるわけではないことは、強調しておきたいです。

私が京大大学院生に言及するということ

 山口さんのご著書やご闘病に公然の場で言及するために、私は勇気を奮い起こす必要がありました。ここまで述べてきた、私が障害者であるゆえに背負っているリスクを乗り越えなくてはならないからです(もちろん、私を過去の学歴によって攻撃する障害者の方々も、山口さんの闘病と今後の人生において人権が最大限に守られなくてはならないことを公然と否定するようなことはないでしょうけど)。

 でも私は、1984年に入学した大学、1988年に進学した大学院修士課程、並行していた職業生活の中で、半導体と情報処理と物理にどっぷり漬かっていました。山口さんに強い関心を抱いた背景の一つは、私自身に同じく理系院生としての経験があったことでした。闘病しつつの学業とその後の人生について、ある程度は「わがこと」としての想像が及んだわけです。

 私がそうであること自体が、同様の経験を積む機会に最初からアクセスできなかった障害者を傷つける可能性は、当然考えました。でも私は結局「学歴も能力も関係ねーじゃん!」と割り切ることにしました。
 「高学歴だから」「さまざまな能力を持っているから」といったことがらゆえに「だから生きてよい」という論理を受け入れない障害者運動の論理は、私と重なるバックグラウンドを持っている人への理解や共感や関心を明らかにすることと両立するだろうと考えたのです。といいますか、わざわざ考える必要がないほど当然です。ただ、感情あるいは過去の障害者運動の行きがかりの問題として、「京大大学院生の闘病に”だけ”共感を表明しているアイツは優生主義で能力主義でネオリベ」といった攻撃が表で裏で噴出するリスクは、現実として覚悟せざるを得ません。

 覚悟のうえで一定のリスクを見込みつつ、私は山口さんのご著書への言及をはじめました。今、亡くなられてしまって、「それでもやる」という根性は少し萎え気味。でも、そのうち再開するでしょう。

闘病する若い方、そしてご家族のために

 闘病する若年の方、闘病を経て健康に不安を抱えつつ生きる方、そしてご家族のために「何かできないか」というお気持ちを持たれる方には、以下の事柄を提案いたします。
  • とりあえず、山口雄也さんやご遺族に関する情報を求めたり探ったりしない。ご遺族が自ら公表されるまで待ちましょう
  • 山口雄也さんのツイッターを読み、参考になったと思ったら「いいね」をクリックする
  • ご著書を読む。できればAmazonhonto読書メーターなどにレビューを書く
  • noteでご記事を読み、良いと思ったら「スキ」やコメントをする
  • 献血する。献血センターがいかに素敵な場所であるかをSNS等で述べる(山口さんは、治療に大量の輸血を必要としており、献血への意識喚起もされていました)
  • 献血できない人は、日赤などによる献血のお願いをSNS等で拡散する
  • 重い病気と闘病する人々やその家族、亡くなった方の遺族の心境について、信頼おける書籍を読み、傷つけることなく支援する方法へと近づく
  • 選挙権をお持ちの方は、選挙があれば棄権しない。病気や後遺障害を抱えた方やそのケアにあたる家族を支えてくれそうな候補者に投票する




[特設]山口雄也『「がんになって良かった」と言いたい』抜き書きと感想(番外編その4)

白血病との闘いを続けてきた京大大学院生・山口雄也さん(Twitter: @Yuya__Yamaguchi)のご著書、『「がんになって良かった」と言いたい』から基本は1節ずつ抜き書きして、自分のメモを記すシリーズ、番外編その4です。




山口雄也さん、ついに力尽きる

 ご友人・山本周雅さんのツイートによれば、山口さんは残念ながら他界され、昨日6月8日に告別式が営まれたようです(山本さん、ツイートでお知らせいただき、ありがとうございます)。
 ご冥福を心よりお祈りするとともに、ご家族のお心の平安を祈ります。
 5年にわたった闘病、ご家族の皆様は覚悟されてはいたことと拝察します。
 しかしながらご家族のお気持ち、特に、若年の我が子を見送り葬儀を営む巡り合わせとなったご両親のお気持ちは、想像を絶します。

山口さんに贈るものは拍手しかない

 山口さんが他界された報に接して思い浮かんだのは、テオ・アンゲロプロス監督の映画「旅芸人の記録」の一シーンです。物語終盤近く、旅芸人一座の若手俳優だった女主人公の弟は、数年にわたるパルチザン運動の末に政治犯として処刑され、血縁者と仲間たち、旅芸人一座の見守る中で埋葬されます。その時、一同は拍手を贈るのでした。

 山口さんに関しては、どういう結果になっても、頑張りを称えることしかできないと思っていました。
 今、山口さんが力尽きて命尽きるという結果を迎え、やはり称賛、そして拍手しかありません。
 よくぞ走り抜かれました。
 山口さんとのSNSでの少しだけのメッセージのやりとり、形見として大切にします。厳しいご体調の中、メッセージを下さったことに、心から感謝しています。


我が子を闘病の末に喪う親の気持ちとは

 私は人間の子の親になったことはありません。人間の子に特有の愛しさも苦労も、そして人間の我が子に先立たれる痛みや悲しみも、我がこととして経験したことはありません。
 しかしながら50歳を超えると、我が子を喪った経験を持つ方々が、直接知る範囲に若干はいます。
 そのお一人が、「空手家図書館員」として知られる井上昌彦さんです。
 井上さんは2012年6月6日、当時小学6年生だった娘さんを、脳腫瘍との約1年にわたる闘いの末に喪われました(井上昌彦さんのブログ)。
 井上さんは図書館員、そして保育園給食の調理師であるお連れ合いも元図書館員です。知と情報を駆使してネットワークを構築しつつ、娘さんの闘病と生活、そしてご自分たちご家族の生活を支えるご夫妻のパワーは、約10年後の今から思い返しても驚嘆すべきものでした。
 しかしながら、いかに知や情報や人的ネットワークの支えがあっても、瘉えない哀しみは瘉えないものであるようです。私はご夫妻を知る者の一人でしかありませんが、ご夫妻の歩みを通じて、我が子を愛するということ、そして我が子を喪うということについて少しずつ理解が及ぶようになりました。
 (後記:山口さんのお父様のツイートによれば、山口さんが旅立たれたのも6月6日だったとのこと。なんという奇遇。もう私は生涯忘れようがありません)

 山口さんのご両親、そして弟さんに、どうか最大限の配慮と思慮が向けられますように。

勝手ながら、絶対に言わないで(書かないで)ほしいと思うこと

 山口さんご自身からの弟さんへのご配慮は、ご著書やブログのはしばしに感じられました。具体的にどういう記述があり、私がどう感じたのかは、書かずにおきます。代わりに、思い出したことを書きます。

 1986年、私が山好きの大学生だったころ、冬山での遭難事故がありました。亡くなったのは物理学者の水戸巌さんと、20代だった2人の息子さんたちです。事故そのものは、冬山遭難としては珍しくないタイプの事故でした。しかも、亡くなった方々は合計3名。多人数ではありません。そういう事故は、山岳雑誌では詳細が報道される可能性もありますが、一般的には「新聞の社会面に少しだけ取り上げられることもあるかもしれない」程度。そして、あっという間に忘れられるのが通例です。

 ところが水戸父子の遭難は、女性週刊誌にまで相当のボリュームで取り上げられました。私は当時すでにTVを所有していなかったのですが、TVのワイドショーでもかなり報じられたようすです。というのは、山に無関心な私の母親が「TVで見た」と言っていましたから。

 よくあるタイプの冬山遭難、しかも犠牲者の人数が多いわけではないのに通常のメディアで大きく報じられたのは、水戸さんが大学教員であり、2人の息子さんたちが京大院生・阪大生だったからでした。受け手である女性週刊誌の読者やTVワイドショーの視聴者たちの反応は、「京大と阪大なのに、もったいない」。ときに「せっかくお父さんが大学教授で、受験勉強させて成功させたのに(嬉しそうな薄笑いとともに)」というものでした。当時のメディアはまさに、そういう関心に応えたわけです。

 世の中のそういう関心、そういう反応に、明快な「No」は言えませんでした。私は20代前半。水戸父子の遭難に対してそういう関心を向ける方々は、私の親世代だったり母親自身だったりしました。下手にその人々に逆らうと、あとでどういう反撃を受けるかわかりません。「イヤだなあ」と思いながら反応せずにいるのが精一杯でしたが、それはそれで、その人々からは「自分の正論に共感しない」という反感を買うんですよね。さらに意図的に曲解されて「心がない」「人が死んでも平気」という形で伝えられていることを、あとで知りました。
 でも、もしも当時、言い返すことが可能であれば、私はこう言いたかったのです。

「亡くなった息子さんたちが京大院生や阪大生じゃなかったら、何が違うんですか? その息子さんたちと一緒に亡くなったお父さんが大学教授じゃなかったら、何が違うんですか?」

 言い返しても、「アンタは何も分かってない」「世間知らず」といった反応しか返ってこなかったでしょうけど。

 今も当時も、山岳事故あるいはその他の不慮の事故、そして難病で亡くなる方々の中には、富裕層も貧困層もいます。受験競争の勝者も敗者も、そもそも競争に参加できなかった方々もいます。そういったバックグラウンドによって、病苦の実質や愛しい者を喪う哀しみの具体的内容が少し異なってくることは、現実の問題としてありえます。
 貧困問題や生活保護界隈の取材・報道をしてきた者として、カネの切れ目が治療の切れ目となりかねないこと、そして病苦の中でさえ尊厳をもって扱われない方々、ご遺骨が無縁仏のものとして扱われるしかない方々が少なからぬ人数でおられることは、良く知っています。でも、その状況そのものが解決されるべき社会課題です。「そういう人々がいるから、より恵まれている人々は何をされてもしかたない」という考え方を、私は受け入れられません。
 お金があっても、別の一面では勝者であっても、人間として味わう痛みや哀しみそのものがなくなったり軽くなったりするわけはないのです。

 どうか、誰かの「やっかみ」や醜い感情によって、ご遺族が心を乱されるようなことは決してありませんように。


闘病する若い方、そしてご家族のために

 闘病する若年の方、そしてご家族のために「何かできないか」というお気持ちを持たれる方には、以下の事柄を提案いたします。
  • とりあえず、山口雄也さんが亡くなられた状況やお葬儀に関する情報を求めたり探ったりしない。ご遺族が自ら公表されるまで待ちましょう
  • 山口雄也さんのツイッターを読み、参考になったと思ったら「いいね」をクリックする
  • ご著書を読む。できればAmazonhonto読書メーターなどにレビューを書く
  • noteでご記事を読み、良いと思ったら「スキ」やコメントをする(ただし、サポート(投げ銭)や有料記事購入にあたっては、いつまで可能か分からないこと、銀行口座凍結などによってご遺族に負担がかかる可能性があることも考慮する必要があります)
  • 献血する。献血センターがいかに素敵な場所であるかをSNS等で述べる(山口さんは、治療に大量の輸血を必要としており、献血への意識喚起もされていました)
  • 献血できない人は、日赤などによる献血のお願いをSNS等で拡散する
  • 重い病気と闘病する人々やその家族、亡くなった方の遺族の心境について、信頼おける書籍を読み、傷つけることなく支援する方法へと近づく




 

[特設]山口雄也『「がんになって良かった」と言いたい』抜き書きと感想(番外編その3)

白血病との闘いを続けている京大大学院生・山口雄也さん(Twitter: @Yuya__Yamaguchi)のご著書、『「がんになって良かった」と言いたい』から基本は1節ずつ抜き書きして、自分のメモを記すシリーズ、番外編その3です。



2週間の中断と、嬉しいできごと

 5月下旬から、2週間ほど中断していました。全力を振り絞って取り組むべきことがいくつか続き、その後はしばらく脱力していました。

 山口さんの病状は予断を許しませんが、私が全力で取り組んだり脱力したりしている間に、素晴らしい展開がありました。5月31日、衰弱して全介助となっていた山口さんは、歩行器を使いながら歩行訓練に取り組むことができたということです。オバハンは、動画を見て涙ぐんでしまいましたよ。




 抜き書きと感想を再開する前に、気になることを2つコメントしておきます。


1. 長期闘病、これでいいのか?

 山口さんは、がん患者であり、今は白血病患者です。それは確かなのですが、24歳の青年であり大学院生でもあります。退院後の生活があり、寛解後の人生の長い歩みがあるはずです。でも医療者たちに、そのことへの充分な理解と配慮があるようには見えないのです。
 過去と今と未来の本人の人生と社会とのつながりを視野に入れて「まるっと」支援することは、医療の役割ではないのかもしれません。医療者は、「病気の治療以外はどうでもいい」と思っているわけではないけれども、とても手が回らないのかもしれません。私自身、「どこの誰ならそういう支援ができるのか」と聞かれても、思い当たる機関や人はいません。本人や家族や、本人の所属する大学などの部分社会や、本人の行く末やライフプランを、ちょっと上から目線で「まるっと」支援するような立場の機関や人は、実はいない方が良いのかもしれません。
 しかし、あまりにも、「病人」「病気」だけがその他の世界から切り離されているように見えます。そのことは、山口さんのストレスを増すことはあっても、減らすことはないのではないかと思います。

2. 本人のメンタルヘルスに関して、本人を治療するしかないのか?

 前項と関連して、もう一つ気になることは、山口さんのメンタルヘルスが悪化した時の医療者の対応です。
 19歳でがん患者となり、いったんは寛解したものの子どもを持てないかもしれない状況となり、白血病となり、病状は深刻になっていく一方。大学院の同級生が「就活」する時期に「終活」に直面しているわけです。山口さんは十分すぎるほどメンタルが強いと感じていますが、それでも苛酷すぎる状況というべきでしょう。そして山口さんは何回か、メンタル面の危機に遭遇しています。
 山口さんのメンタルが崩れると、精神科医が精神医療的にアプローチします。具体的には、「不安焦燥が強く現れるうつ状態」という診断に基づいていると思われる向精神薬の投薬とか。「身体が弱っているところに、この薬飲んだら、副作用がキツいんじゃないかなあ」とか思ってしまいます。

 もっと正直に言っていいですか? 
 山口さんのメンタルが崩れて精神医療が出てくるたびに、私、「ああまたか」とうんざりしています。山口さん個人が十分な配慮を受けているとは思えないことに対する「ああまたか」でもありますが、身体疾患でストレスフルな状況にある患者が「想定内」の結果としてメンタル面が崩れた時、「本人に向精神薬を飲ませる」という精神科医としては当然かもしれないアプローチへの「ああまたか」でもあります。
 私、向精神薬を否定するつもりはありません。便利な道具の一つです。私も使ってますよ? でも、環境調整、周囲との関係の調整、そのために本人に面接療法でのアプローチを行うこと、その結果を踏まえた関係調整や環境調整が本筋なのであり、「薬もあったほうがいいね」という場面で薬がはじめて登場すべきなのではないですか?
 「本人が」荒れていて暴言を口にしていて不穏なツイートをしているから、「本人に」向精神薬を飲ませて解決するというアプローチに未だに疑問が持たれていないことに、私はうんざりしています。ああまたか。
 新型コロナ感染症だけでも大変すぎる今、「すぐに!」と言うつもりはありませんが。

 抜き書きでは今後、そういったことも述べていこうと思います。
 「ちょっと、何言ってるんだかわからない」という方は、wezzyの連載『メンタルヘルス事件簿』も読んでね。

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[特設]山口雄也『「がんになって良かった」と言いたい』抜き書きと感想(11/n)

白血病との闘いを続けている京大大学院生・山口雄也さん(Twitter: @Yuya__Yamaguchi)のご著書、『「がんになって良かった」と言いたい』から基本は1節ずつ抜き書きして、自分のメモを記すシリーズの11回目です。
 私は Amazon Kindle 版を購入しましたが、紙の書籍もあります。





スターライト(2018. 4. 3)

 人間の精神における「正常」と「異常」、そして人間が必ず経験する喪失とその後に関する示唆に満ちた本節は、山口さんのがんがいったん寛解し、穏やかな生活が続いていたころに書かれました。

 人間の内部には、多かれ少なかれ空洞がある。(略)とにかくそれは、誰にも彼にも存在しているのだ、と。
 ところが空洞には、とりわけ頑丈な蓋が施されていて、僕たちはたいていそれを閉じたまま生きていくことができるようになっている。(略)
 しかしながらある種の人間の場合、その蓋は往々にして無意識のうちに開場され、あらゆるエネルギーがその空洞に落とし込まれるのだ。  

 空洞の中には、低次から高次までのありとあらゆる欲求が落とし込まれ、消えるかのように見えますが、実は消えておらず、姿を変えて自分のもとにやってきます。人間がそういうものである以上、誰にも起こりうることなのでしょう。

 その空洞を虚無と呼ぶ者もいるし、鬱と呼ぶ者もいる。

 記憶。自分を支えてきた過去。

 自分にとっての過去のほとんどは、輝きを放っていたはずだった。
 しかし、それがいつしか僕を苦しめるようになった。

 自分を形作ってきたものが、自分を苦しめるという感覚。こういったことから精神症状が発生する可能性(ホルモンバランスを含め、精神症状の多くは原因不明です)があるとすれば、誰もが一定条件下で精神症状を経験しうることになります。

 星々のような記憶が自分を苦しめる様子は、宇宙論の知見になぞらえて描かれます。

 エネルギーの源だったはずの記憶の塊が、星座が、ある出来事を境に爆発してエネルギーを奪うようになる。
 輝きを放っていたはずの過去は、天の川は、光さえ吸収するほど黒ずんでしまう。

 がんが発覚する前の自分、そして現在の自分を比べる山口さん。

 何もかもさめてしまったのだ、と思う。
 もう星を探してはいけないのだ、と。今現在の言動が、いつか未来の自分を攻撃してしまうのだ、と。

 似たような感情を経験したことがある、と思い当たる方は少なくないことでしょう。私自身はそうです。ただ、がんで余命を宣告されたことはありません。敢えて、「似ている部分もある」「部分的には共通点がなくはない」程度の共感にとどめておくべきだと思います。辛い時の安易な「わかる、わかる」ほど、辛さを大きくするものはありません。

 山口さんは、がん以前に思い描いたものではない現在を生きつつ、がんの前後で変わってしまった自分の過去を位置づけしなおす方向へと向います。ただし、焦らずに。

 「確かにさめてしまったが、全てがさめてしまったわけではないのだ」、そう思った。
 歪んでいたはずの過去は、まだ上手く解釈できないけれど、少しずつ元の形に戻ろうとしている。無理に言葉にする必要はない。目を閉じて待てばいい。

 そして、車を運転していた山口さんは、アクセルペダルを踏みます。車の運転をしたことがない私も「そういう感じなのだなあ」と共に爽快感を感じているような気持ちになります。


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本記事を書いて推薦したくなったコンテンツ


 精神疾患を持つ人々が何を必要としているのかを考える上で必読と思われる書籍を、精神科医が医療者に向けた書籍・精神科医が支援者に向けた書籍の2点紹介します。




 精神疾患を持つ当事者による書籍も紹介したいのですが、私の認識では決定版といえるものがありません。むしろ、健全なことでしょう。
 もっともっと当事者による発信が増えて、誰もが自分にフィットするコンテンツ群に接することができ、自分のために編集することが容易になればいいと思います。


[特設]山口雄也『「がんになって良かった」と言いたい』抜き書きと感想(10/n)

白血病との闘いを続けている京大大学院生・山口雄也さん(Twitter: @Yuya__Yamaguchi)のご著書、『「がんになって良かった」と言いたい』から基本は1節ずつ抜き書きして、自分のメモを記すシリーズの10回目です。
 私は Amazon Kindle 版を購入しましたが、紙の書籍もあります。





報われない努力(2017. 11. 25)

 11月24日を、山口さんは「告知日」と命名しました。がんの告知を受けた日だったからです。
 それから1年と1日が経過した日、闘病生活を振り返ります。

激動の一年はこれほどまでに長かった。

 山口さんは、誕生日を第一の人生の始まり、告知日を第二の人生の始まりとしています。
(引用者注:誕生日と告知日は)どちらも大きな声で叫ぶように泣いた日で、右も左も分からない世界に入った日だ。そしてどちらにおいても、あることを思いしらされた。

――「努力は報われない」

 「あらあら、生まれたばかりの赤ちゃんが”努力は報われない”なんて言わないでしょうが」と突っ込みたくなりますが、もしかすると赤ちゃんは「ずっと胎内にいたかったのに!」と泣きながら生まれるのかもしれませんね。

 叙述は、京大の大学祭での林修氏による特別講義へと移ります。予備校講師として高名な林修氏は、「天授」という言葉を繰り返します。天がどのような才能を与えるか。生まれてくる本人は選ぶことができません。
 さらに叙述は、山口さんの心象描写へと移ります。いやもう巧すぎる。時期はちょうど、クリスマス1ヶ月前。

 もう二度とクリスマスが訪れることはないだろうと感じながらクリスマスソングを聴く人間の気持ちが分かるだろうか?
 絶対に分からないだろう。
 病気が治るかどうかは、努力の如何ではなかった。全ては運だった。
 (中略)
 あらゆるものは天授だ。


 林修氏の演題は、「やりたいことと出来ること」。林氏は「出来ること」を「社会に認められること」と規定します。「報酬が得られること」ではないのです。おそらく林氏は、予備校講師として、努力したいのに出来る状況ではなくなった受験生、不本意な結果しか出せず泣いた受験生、希望の進学を遂げたあとに「こんなはずでは」と苦悩する元受験生の大学生を、数多く見てきたことでしょう。そういう受験生や元受験生に対するデリカシーを感じます。

 林氏によれば、「やりたい」「出来る」の組み合わせは、以下の4通りになります。

  1. やりたいこと・出来ること
  2. やりたくないこと・出来ること
  3. やりたくないこと・出来ないこと
  4. やりたいこと・出来ないこと
 「1」で生きていける少数の人々は幸運です。が、サイアクと思われる「3」で生きるしかない人も少なく、多くの人々は「2」または「4」のどちらかで生きていくことになります。

 山口さんの意識は、為末大氏の言葉へと向かいます。夢を叶えるための努力は、無駄に終わるかもしれません。でも、努力の日々そのものが報酬であったのかもしれません。山口さんは考えます。

 病が癒えなかったからといって、これまでの努力は無駄になるのだろうか。大学に受からなかったからといって、これまでの受験勉強は無駄になるのだろうか。追い続けた夢を諦めたとして、その過程を無駄だと言い切ることは、果たして出来るのだろうか。

 山口さんは、為末氏の言葉を噛み締めます。ときには逃げることも必要です。逃げは、自分が何に縛られていたのか気づく契機になります。自分の足元では、大小さまざまな価値が発見されることを待っていそうです。

 山口さんが、これからも多様な価値を発見していく長い年月を送っていけますように。ただ祈ります。


山口雄也さんを応援する方法の例

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本記事を書いて推薦したくなったコンテンツ


 脚本家の内館牧子さん、コラムニストの上原隆さんのご著書から4点を推薦します。
 特に内館さんのこれらのご著書は、日本の女性とキャリアを考える上でも歴史的価値を発見されるべきものだと思っています。


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著書です(2009年-)
「おしゃべりなコンピュータ
 音声合成技術の現在と未来」
(共著 2015.4 丸善出版)


「いちばんやさしいアルゴリズムの本」
 (執筆協力・永島孝 2013.9 技術評論社)


「生活保護リアル」
(2013.7 日本評論社)

「生活保護リアル(Kindle版)」
あります。

「ソフト・エッジ」
(中嶋震氏との共著 2013.3 丸善ライブラリー)


「組込みエンジニアのためのハードウェア入門」
(共著 2009.10 技術評論社)

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東日本大震災後、
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