みわよしこのなんでもブログ : ライフスタイル

みわよしこのなんでもブログ

ライター・みわよしこのブログ。猫話、料理の話、車椅子での日常悲喜こもごも、時には真面目な記事も。アフィリエイトの実験場として割り切り、テーマは限定しません。


ライフスタイル

自主リハビリの成果

2013年3月から続けている自主リハビリ、ここ数日で非常に良好な成果に結びついてきました。

・自主リハビリの内容 

入浴時に浴槽の中でエビ反り+浴槽の縁を利用して脚を伸ばす

・目的

車椅子生活のため、どうしても座った形のままで身体が「固まって」しまう。これを緩和すること。

効果としては、とにかく気持ちよかったです。身体を柔らかくしておくと、床に落ちたものを立位体前屈で拾えて便利ですしね。

ここ数日、さらなる効果が現れてきました。腰を伸ばして眠ることができるようになったのです。
これまでは、椅子に座った状態の骨盤と太腿の関係がそのままという感じ、太腿が少し浮いたような形で寝ていました。
ところが5日ほど前から、太腿の後ろ側がベッタリとベッドにくっついた状態で眠れるようになったのです。
とても深いリラックス感のもとで眠ることができます。

日常生活で「出来なかったことができるようになった」というような改善は特に見られていませんが、疲れにくくなりました。車椅子に長時間乗る日があっても、ひと寝入りすれば疲れが抜けるようになりました。これは私にとっては大きなメリットです。



 

「庶民感覚」「主婦感覚」「当事者感覚」って、そんなに大事?

「庶民感覚」「主婦感覚」「当事者感覚」は、私がどうにも違和感を感じてならない言葉です。
それはいったい何なのでしょうか? そんなに大切なものなのでしょうか? 

そもそも、「庶民」「主婦」「当事者」の範囲を定めるのは至難の業です。
たとえば、「庶民」の年収の上限はどの程度なのでしょうか? 
世帯年収が1000万円あっても
「家のローンと子どもの教育費で生活が厳しく、交通不便な地域に住んでいるため自動車を手放すわけにもいかず、スーパーで見切り品の食材ばかり購入している」
というケースは考えられます。
この一家は「庶民」なのでしょうか? そうではないのでしょうか?

「主婦」もそういう言葉ではないでしょうか。
「主婦」が意味すると誰もが考える内容は、「女性である」「家計を預かる」「家事・育児を担う」であろうかと思います。しかし、家計に対する責任範囲や権限も、家事・育児に関して行っているものごとの範囲も、各人各様でしょう。

「当事者」はさらに危ういものを含んでいると思います。
「障害当事者」でも「生活保護当事者」でもなんでも、すべての「当事者」は、「当事者にならないと分からないこと」を大小なりとも経験していると思います。
それでも、「自分は当事者だから言える」「当事者ではないあなたには分からない」と主張することは、自ら伝えることを放棄しているも同然だと思います。
もう一つ問題があります。
たとえば「障害当事者」には、難聴であることは確かだった佐村河内守氏は含まれるのでしょうか?
「生活保護当事者」には、漏給層(生活保護基準以下で生活している方々)は含まれるのでしょうか?
「当事者だから」「当事者ならでは」という主張は、同様の困難を抱えている人々を排除する可能性もあります。

もう一つ。
これらの「……感覚」は、包摂の文脈ではまず使用されません。排除や非難の文脈で使用されます。
例としては
「◯◯議員が6泊7日の海外出張に200万円を使用した、庶民感覚からして許しがたい」
という主張をあげることができます。
確かに、出張・滞在費としては高くついていることは否めないでしょう。私は14日程度の米国滞在を毎年行っていますが、総経費は多くても20万円以下に抑えています。
しかし、公務での出張であれば、旅費を安く抑えることよりも効果を求めるべきではないでしょうか。
20万円で100万円の効果しかあげられないのと、200万円で1000万円の効果があがるのは、どちらがよいでしょうか?
エコノミークラスでロクに眠れず時差ボケに苦しんでいる状態で現地での公務に向かってもらうのと、ビジネスクラスでじっくり眠って爽やかに目覚めて現地で公務に向かってもらうのと、どちらがよいでしょうか? 多額の費用をかけて選出し、一般サラリーマンの感覚に照らせば多額の報酬を支払っている議員です。報酬以上にしっかり働いて結果を出して貰ったほうがよいのではないでしょうか? 
そして、社会にどれだけの結果がもたらされたか評価して、次の選挙で投票したりしなかったりすれば良いだけの話ではないでしょうか? (現在の小選挙区制度は、その評価を妨げているのですが)
そこに「庶民感覚」を持ち出す必要は、全くないと思います。

「庶民感覚」「主婦感覚」「当事者感覚」とも、私は使わない用語です。
自分の経験に基づく「感覚」に依拠して、その「感覚」を持ち得ない誰かに対して何かを主張することは、伝わらない・受け入れられないという結果を自ら選択しているも同然です。
もちろん、収入面では紛れもなく「庶民」に属し、家計家事をマネジメントしているという意味で「主婦」でもあり、障害「当事者」でもある自分は、それらの経験や、経験に基づく感覚を持ちあわせています。
しかし、その感覚をもって自分の正当性を主張したり、相手に仲間と認識することを求めたり、その感覚を持ち得ない人を排除するようなことはしたくありません。
「消費税が5%から8%になることの打撃は、富裕層出身の政治家である貴方には分からない」
と声を荒らげるのは、
「障害基礎年金の他に若干の就労収入があり、生活保護基準に比べれば相当の余裕のある生活をしているけれども経済的に充分な余裕があるというわけではないという状況にある自分にとっては、消費税が5%から8%になることの経済的インパクトは、たとえば野菜の購入を……だけ控えるという形で現れている」
と説明して、「それでも全く伝わらなかった」という結果が出た後で充分だと思うのです。

台所の脱腐海化作戦(1) 冷凍冷蔵庫まわり


今日は比較的体調がよいので、30分ほどを台所の片付けに費やしました。

まず、140リットルの冷凍冷蔵庫の下部にある引き出し式の冷凍庫のドアが開かなくなっていましたので、それに対策。
引き出しを引き出すために前部にスペースを取っているんですが、あるヘルパーさんがそこに「当座使わない」と判断したものを置いてしまい、別のヘルパーさんも同様に……が繰り返された結果、開けられなくなってしまっていたのです。
正確にいうと、10cm程度引き出すことはできたので、わずかな隙間からモノの出し入れを行っていました。

冷凍庫のドアが開けられなくなってから、どれほどの時間が経過したのか分かりませんが、少なくとも1年は経過していたようです。
一番上にあったスーパーのレジ袋の束を移動させると、整理に使おうと購入していたけれども見当たらなくなっていた金属製バスケットが2個出てきました。それから、銀行かどこかでノベルティにいただいたプラスチックのカップとか、さらにその下に、スーパーのレジ袋の束とか。
それらを一つ一つ移動させていくと、 糠床の袋がありました。自立するプラスチックの袋に入っている糠床で、その袋のまま糠漬けが出来るというものです。こういう商品。


問題は、いつの糠床なのかということです。
腐敗さえしていなければ大丈夫なのですが、袋には大きな穴が開いていました。そして乾燥してしまっていました。ウジ床やハエ床になっていなかったのは不幸中の幸いでした。
穴を開けたのは、おそらくネズミと思われます。2013年2月から4月にかけ、我が家にはネズミが出没していましたから。 
15歳と14歳だった猫たちは、ネズミ退治には貢献してくれませんでした。14歳だった猫の故・悠は、当時末期がんで闘病中でしたしね。
悠が2013年3月に他界すると、15歳だった猫の摩耶が一人娘化してしまいました。大変寂しがり、落ち込み続けていました。
2013年4月、寂しがりつづける摩耶をそのままにはしておけないので、アニマルシェルターから4歳の猫・瑠に来てもらいました。瑠には1ヶ月ほどケージの中で過ごしてもらったあと、家の中で自由に過ごしてもらうことにしました。ケージから出てもらった翌朝、ネズミが玄関で死んでいました。瑠、でかしたぞ。
この後、屋根裏に出没していた別のネズミも、外をうろうろしている近所の猫に殺されました。屋根裏で乱闘の音とネズミの断末魔の悲鳴が聞こえ、ついで、ずるずる引きずっていく音が聞こえました。その猫さん、どこだか知らないけど、ちゃんと家の外に持って行ってくれたようです。
以後、我が家ではネズミ問題は発生していません。
ともあれ、この恐ろしい糠床は、捨てるしかありません。だから捨てました。他に誰かがいると、何も言われていなくても
「『なんともったいない』と内心ムカついているのでは」
「余計なことをするからいけない、糠漬けを買ってこないからいけない、と説教したいのでは」
と気になりますが、一人なら「捨てるしかないから捨てる」が気楽にできます。問題は、肉体的にも時間的にもそれが可能な条件はなかなか整わないということなのですが。

冷凍庫を引き出せるようになったので、冷凍庫の中を確認しました。概ね、生協の宅配でやってくる冷凍品がそのまま入っているだけで、「余剰スペースがない」ということを除けば大きな問題はない感じです。冷凍庫をちゃんと開けたのが1年以上ぶりだった、ということになります。
たぶん、この写真に映っている表面のいくつかは、問題なく食べられるものと思われます。ほじくり返したら中から何が出てくるやら。恐怖。
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製氷皿スペースからは、こんなものが出てきました。大人の親指ほどの量の白身魚を昆布締めして脱気シールしたものです。
猫たちが食欲をなくしているとき、ウエットフードにトッピングする目的で作ったものです。
脱気シール機の性能に今ひとつ信頼を置けなかったので、白身魚を水浸しにして昆布とともに脱気シールし、昆布によって脱水することにしたのでした。たぶん2010年夏~秋にかけてのことだったと思います。体調を崩した悠が食欲をなくし、あの手この手で食欲喚起をはかっていましたから。
必要なときに、ほんのちょっとだけの刺身を出すための工夫でした。人間が毎日新鮮な刺身を買ってきて食べれば済む話ですが、当時の我が家は、そういう経済的余裕がありませんでしたから。
ちなみに、その信頼置けない脱気シール機は、2011年春に手放しました。
この昆布締めは、見たところどこも悪くなっていないようなので、今晩の晩酌のアテにしようと思います。
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ちなみに冷蔵庫の現状はこんな感じです。ありえないほどのギュウギュウ詰め。衛生面の問題もあります。
このギュウギュウ詰め状態の最大の原因は、我が家の食生活に対して冷蔵庫が小さすぎることでしょう。
「せめて300リットルだよなあ」とは思うので、いずれ動線確保のうえ買い替えたいと思っています。
「これじゃ冷えないのでは」と心配される向きもありそうですが、ここまでギュウギュウにしてしまうと、かえって温度は安定するようです。冷蔵庫から取り出したものの温度を測ってみると、だいたい4~5℃。ただ効率はよくないでしょうね。
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ドアポケット。1990年代後半(1998年?)に購入した四季桜「花宝」。手前の瓶は、同じ年に購入した四季桜「聖」を詰め替えたもの。当時の「四季桜」さんには佐々木守一さんという名杜氏がいました。その佐々木さんの最後の作品か、最後の一年前の作品です。
冷蔵庫のスペースは大切ですが、これは捨てられません。
これらの貴重なお酒は、猫の摩耶(もうすぐ17歳)を見送ったら飲もうと思っています。摩耶の生まれたころに出来た酒ですから。
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ともあれ、冷蔵庫がこんなでは使い勝手が悪すぎるし、これから夏にかけて衛生面の問題も深刻になっていきますから、出来ることから少しずつ改善していこうと思います。 

台所の脱腐海化作戦(0) ヘルパー派遣を受けている「からこそ」出来ないこと

ヘルパーさんが来ていてもできない、むしろ、来ているからこそ出来ない家事があります。「片付け」です。
片付けは「これは捨てるか、捨てないか」「これをどこに置くか」という細かな判断の連続です。
ヘルパーさんと一緒に片付けを行うということは、異なる判断基準の確認の連続です。
「この人はこの人だから」で済めばいいんですが、たいていは、さまざまな感情的な問題を引き起こします。
ヘルパーさんに「捨てましょう」「これはまだイケますよね」と言われた時に「No」をいうのは、私にとっては非常にストレスフルなことです。でも意に沿わない「Yes」は言いたくありません。とすれば、「ヘルパーさんと片付けはやらない」が正解、ということになります。
片付けのヘルプをお願いしても軋轢が発生しない、あるいは私が泣き寝入りを強いられて悲しまないヘルパーさんは、過去7年のヘルパー派遣経験の中で2人しかいません。

私は入浴に介助を必要とするため、ヘルパーさんは必然的に女性となります。長年、異性介護は人権侵害のシンボルのようなものでしたから。
私にとって
「家事のやり方をめぐって女性どうしがぶつかる」 
ほどイヤなことはありません。それはしばしば「だから女は」「だから女同士は」という冷笑の対象になります。もちろん
「家事のやり方をめぐって男性と女性がぶつかる」
もあるわけですし、それは女性に対して「男性がせっかくやってくれているのに」「感謝の心が足りない」などという説教の対象になりますが、それは男性の家族がいなければ解決できることです。そして、介護業界で長続きするタイプの男性のヘルパーさんは、概して、そういう愚かな「ぶつかる」を引き起こさない感じがします。
とにかく私は、ヘルパーさんとぶつかったり感情を損ねたりするのが本当にイヤなので、「それをされたら暮らせなくなる」レベルのこと以外では何も言いません。
しかし、細かな判断の異なりが細かくぶつかり合う「片付け」という場面では、私は少なくとも「(女の)闘い」を引き起こしてしまうヘルパーさんと一緒にいたくありません。「闘い」が起こらないにしても、「ヘルパーさんと片付けをする」は大変ストレスフルです。しかし片付けないと、自分が快適に過ごせない。
私はこのようなジレンマの中で日常を送っています。

「(女の)闘い」は私の取り越し苦労ではなく、実際に発生します。

ある介護事業所の所長(50代・女性)からは
「台所の布巾で床を拭かれて、それを台所に戻された」
というようなことをされました(雑巾は別の場所にちゃんとあります)。
この介護事業所の別のヘルパー(50代・女性)から暴言・暴行などを受け続けたので対処を要望したところ、所長がある日突然、
「明日から支援できません」
と打ち切りを通告してきました。
「それは困ります、明日まではお願いします」
と言ったところ、所長がやってきて、若干のヘルパー業務とともに暴行・暴言、さらに「台所の布巾で床を拭く」をやられたのでした。

別の介護事業所のサービス責任者(当時・30代女性)は、
「雑巾がなくなったのでタオルを一枚雑巾におろしていいですか?」
と私に言いました。私が
「はい、お願いします」
と答えると、新品に近かった戴き物のジャガード織りのタオルが雑巾にされていました。雑巾にするにふさわしいタオルは、他にもたくさんありました。でも私は何も言いませんでした。何か言ったら、「嫌がらせをされている」という惨めな事実を認めることになるし、愚かな「女の闘い」に巻き込まれることにもなります。
私はそのサービス責任者が帰った後、その雑巾にされたタオルを、泣きながら捨てました。その、嫌がらせの象徴を見続けたくなかったのです。
それから、古いベッドパッドを切り刻み、数年分の「雑巾」を作りました。

このような問題が起こってしまう背景には、さまざまな問題があるでしょう。
介護労働者の労働条件が良くはならず悪くなる一方であることも、その一つかと思われます。
ともあれ、ほとんどのヘルパーさんに、私は片付けのヘルプを頼むことができないという現状があります。

全身マッサージを受けたいけれども受けられないときに

「全身マッサージを受けたいけれども、時間・お金・その他の都合で受けられない」
というときに、私は温感湿布剤を手や足に貼ります。
腕や脚ではなく、手や足です。
貼る場所は、指の間・指の付け根・その他手や足にあるツボで自分の貼れるところです。
こんな感じ。

IMG_2224[1]

自分で自分の身体を揉むのは困難ですが、手足に湿布を貼るのは可能ですし、数分でできます。
マッサージに行きたいけど行けないとき、お試しを。
 
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「おしゃべりなコンピュータ
 音声合成技術の現在と未来」
(共著 2015.4 丸善出版)


「いちばんやさしいアルゴリズムの本」
 (執筆協力・永島孝 2013.9 技術評論社)


「生活保護リアル」
(2013.7 日本評論社)

「生活保護リアル(Kindle版)」
あります。

「ソフト・エッジ」
(中嶋震氏との共著 2013.3 丸善ライブラリー)


「組込みエンジニアのためのハードウェア入門」
(共著 2009.10 技術評論社)

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