みわよしこのなんでもブログ : ライフスタイル

みわよしこのなんでもブログ

ライター・みわよしこのブログ。猫話、料理の話、車椅子での日常悲喜こもごも、時には真面目な記事も。アフィリエイトの実験場として割り切り、テーマは限定しません。


ライフスタイル

[節約]カップ付きキャミソールを買わないコツ

 ここ10年以上、インナーはいつもユニクロのブラトップ(エアリズム)でした。

 新型コロナ以前は出張族でしたから、衣類を減らしつつ体温調節に支障なくすることが重要。
 一回の出張で、寒いところと暑いところの両方に行くこともあるし。
 寒い地域の寒い季節でも、屋内は暖房が強烈で汗ばむこともあるし。
 で、結局、たどりついた最適解が、ユニクロのブラトップ(エアリズム)というわけでした。
 シャワーのついでに洗えて、なんとか1晩で乾きます。

 しかしここ数年、ユニクロのモデルチェンジが、語弊を怖れずに言えば「えげつない」。
 ちょっとしたマイナーチェンジなんだけど、「もう元には戻れない」「これじゃなきゃ」という感覚を絶妙に呼び覚ましてくれます。
 夏がすぎるころ、バーゲンで1枚2枚買っておくのですが、溜まって消費が追いつかなくなりました。
 ユニクロの広告に目を留める行為は、それだけで無駄遣いの敵でもあります。たいてい、ブラトップ1枚で済まなくなりますもん。

 そんなわけで、代替策を探していましたが、「単体ブラ」は私には選択肢にならないのです。
 胸郭がぶっとくてアンダーバストが90cmとなると、適合したブラをゲットするのが大変。
 スポーツブラの一部に適したものがありますけど、1つ5000円くらいとか。いや、いつかは、そういうものを大切に使う生活に切り替えたいんですが、すぐには無理。
 ある日「!」とひらめきました。乳首が隠せればそれで済む話ではないか、と。

 ニップレスを探してみたところ、1セット350円からありました。




 2021年1月、購入して試してみることにしました。
 結論からいうと、たいへん具合よいのです。

装着 貼り付けるだけ
管理 洗って乾燥しすぎないように干すだけ

 この300円前後の1セット、4ヶ月が経過した本日も、粘着力は弱まってきましたけど充分に使えています。
 年間3セットあれば、なくさなければなんとかなりそう。年間1000円程度ということになります。
 しかも、全くかさばりません。次の出張には、ブラキャミを持っていかずに済みそう。それだけで助かります。

 とはいえ、ブラを使わず乳首を隠すだけとなると、「胸が垂れる問題」をどうするかという課題が発生します。
 私の場合、筋肉でかなり解決できる程度の貧乳が幸いするわけですが、それは別記事で改めて。

[読書]佐々木芽生さんが連れてきてくれた「モーニング・ノート」

 2018年5月、私は銀座のとあるイベントスペースの片隅で、緊張しながら座っていました。私は、映画監督・佐々木芽生さんのトークイベントに参加していたのでした。佐々木さんのツイートによれば、2018年5月25日だったようです。

自分に生きる資格なんかないと調教され続けていた時に

 現代アートの目利きと収集に生涯を捧げた夫妻を描いた映画『ハーブ&ドロシー』以来、私は佐々木さんのファンでした。しかしこの日、私は自分が「上級国民の集いに紛れ込んだドブネズミ」であるかのように感じていました。

 当時、私はまだ「Yahoo!ニュース個人」のオーサーでしたが、その年の10月末にオーサー契約を解除されました。2017年度からこの時期にかけて、ヤフーが有名大企業として知られている日本にいるだけで空気にチクチク刺されるような気がするような経験を積み重ねさせられていました。でも、まだ5月末はマシだったと思います。10月が近づき、そして10月末にオーサー契約を解除されて11月に入った後も、生まれてきたことを後悔するレベルの「いろいろ」が続きました。必ずしも「ヤフーが」「ヤフーの社員が」というわけではなく、「ヤフーまたは誰かに対する点数稼ぎのために私を痛めつけたかったらしい古い知人が」ということもありました。この世にヤフー(ソフトバンク)がある限り、その思惑次第で、少なくとも日本人は誰もかも、簡単に木っ端微塵にされてしまうでしょう。私は、自分自身も属してきたコミュニティも、人生も小さな実績も、何もかも信じられなくなりました。現在も、かなりそうです。

「それでよかった」と思えることが、一つだけありました。いわゆる「毒親」である自分自身の両親に対する信頼が、この一連の出来事によって完全に消えたのです。親との関係で辛い思いをした人でも、「そうはいっても」「互いに不幸な成り行きだった」「親は自分を愛したかったのだろう」という思いは、心のどこかに残っていることが多いだろうと思います。私もそうでした。しかし私は、「Yahoo!ニュース個人」との一連の出来事を通じて、事実に関するそのような仮説を完全に捨てることができました。両親が関与していた可能性もゼロではないと考えています。あくまでも仮説ですが、完全に棄却してよい仮説と判明するまでは維持しておくことにします。

 さて2018年は、Yahoo!ニュース編集部が佐々木さんを大々的に売り出していた時期でした。私は、映画『おクジラさま』の公開前にFCCJでの試写会で作品を拝見し、佐々木さんにちょっとだけ挨拶して、長年のファンとしての思いを語ることができました。でも、2018年5月のトークイベントのときは、「この世にヤフーがある限り、もう二度と佐々木さんには近寄れないだろう」と思っていました。今生の見納めのようなつもりで、佐々木さんが語るのを見ていました。

浄化の「モーニング・ノート」との出会い

 この時、佐々木さんはお母さんとの確執とその解消について率直に語られました。お母さんから遠く離れて時間が経過しても、湧き上がるトラウマに捉えられてウツウツとしていた佐々木さんを救ったのは、ニューヨークのセラピストが紹介した『ずっとやりたかったことを、やりなさい(邦題)』という書籍だったそうです。



 佐々木さんによれば、日本語訳は今ひとつだそうです。というわけで原書も持ってます。


 この本には、自分をクリエイティブにするための段階的プログラムが解説されており、プログラムの中心は「モーニング・ノート」です。朝、起きたらすぐ、ノートに手書きで心に浮かぶことを書き連ねるだけです。その効果を、佐々木さんは「浄化」と呼びました。

さっそく読んでみた、そして始めてみた

 私は、イベントの帰りがけに、この本をAmazon Kindleで購入して読み始めました。そして数日後、「モーニング・ノート」を始めました。

 両利きの私は、左手でも筆記用具を扱うことが可能です。長年、主に使ってきた右手と比べると、不器用ですが丁寧です。高スピードのメモで破壊された右手よりも、教科書的なきちんとした感じの文字を書くことができます。私は、「モーニング・ノート」を左手で書くことにしました。

 毎日書くべき「モーニング・ノート」ですが、3日続いたと思ったら10日飛んで、その次は翌々月だったりします。『ずっとやりたかったことを、やりなさい』には、毎週のさまざまな振り返りや次のステップのための作業も記載されていますが、ほとんど、やっていません。忘れていなかったら、可能な時に「モーニング・ノート」を書くのが精一杯です。「起きてすぐ」とは行かず、夜だったりします。

 でも、ノートを開いて左手で筆記用具を持つと、心身が自動的に「モーニング・ノート」モードに入ります。他の誰も読まない紙のノートに、筆記用具を手に持って向き合い、自分の心の中にある思いを記していくことの力は、想像していた以上でした。



まるで”デスノート”(2018年)

 2018年5月、「モーニング・ノート」を書き始めて気づいたことは、自分の心の中に積もり積もっていた恨みつらみの量と根深さでした。私は「他人は他人、自分は自分」と比較的割り切れる性格です。といいますか、壮絶なきょうだい差別に遭って育ち、自分の得られない何か(たとえば「新しい高価なオモチャ」「むしゃくしゃしたら私を蹴る権利」など)を得ているきょうだいに対して「同じものがほしい」と望むことはありえない状況でした。他人の持っているものを欲しがるという回路は、7歳か8歳の時に自ら断ち切ってしまいました。そんな回路が心の中にあると、「願望を持った罰」「願望を表明した罰」といったものが加わり、さらに状況が悪くなるからです。
 物心ついた時からずっとそういう状況だったので、「子どもらしい感性」「子どもらしい生活」といったものが想像できなくなっていました。小学3年のとき『長靴下のピッピ』を開いてみましたが、ピッピの生活や会話が全く理解できず、10ページも読まずに断念しました。国語の能力の発達が異常に速く、既に古文も漢文も読めて司馬遼太郎の歴史小説に手を出し始めていた子どもでしたが、「子どもが子どもである」ということを経験しておらず、「どうも見ているらしいんだけど、見ているものが実像なのかどうかよくわからない」という状況にありました。だから、ピッピが理解できなかったのです。
 ですから、「モーニング・ノート」を書き始めた時、次から次へと怒りや怨念が吹き出してくることに驚きました。「周囲の誰かが得られているのに自分は得られていない」ということに関して、私は特段の感受性を持っておらず「打たれ強い」と思っていましたが、そんなことはありませんでした。若干は鈍いかもしれませんが、それでも蹴られたり踏まれたりしたら痛い。ノートに噴き出したのは、「本当は痛かった」「痛いと思うことができなかった」「痛いと言うことができなかった」という事柄の数々でした。
 そうこうするうちに、Yahoo!ニュース個人編集部からの問題は、さらに深刻化していきました。10月、11月になると、今日や昨日、せいぜい数日前の出来事と自分の思いが、まあまあリアルタイムで記されるようになりました。
 私は、毎日がほぼ「やられて痛い」だけというわけではない毎日を送りたい、と考えるようになりました。自分にとって居心地がよいということ、自分のしたいことを自覚できるようになりたいと思うようにもなりました。しかし、この時期には全く現実味がありませんでした。



ドロドロを吐き出すと、その奥に自分自身が見えた(2019年)

 2019年になると、「モーニング・ノート」の内容が少しずつ変化してきました。「痛い」「苦しい」「イヤだ」とともに、「今からでも逃げられる」「次は避けられる」というノウハウと確信が記されるようになりました。不安には、現実化する可能性とリスクの程度の評価が伴うようになりました。私は「今」「今日寝るまで」「向こう3日間」といったスケールで、「東京を直下型地震が襲わないかぎり」といった留保つきで、どの程度の時間と気力とエネルギーを何に使うことができるかを、少しずつ考えられるようになってきました。
 2019年6月、私は幸運にも給費を受けて、アイルランドで一週間、障害と国際法について学ぶセミナーに参加する機会を得ることができました。朝食から夜のソーシャルイベントまで、経験や思いに共通点を持つ多様な仲間たちと過ごす濃密な時間を過ごしました。その合間に「午前3時に起きて日本に電話インタビュー」といったこともあってハードでしたが、無事に全日程を乗り切り、仲間と別れを惜しみました。
 私はセミナーが終了した後、会場の大学に2日間滞在し、散策や植物観察を楽しみました。散策していると、かつて辛い思いを重ねた末に追われた日本の大学のキャンパスに似た風景があったりしました。似た風景があるのは、その日本の大学の方が欧米の伝統ある大学を真似たからです。そのような風景を見ると、日本でその風景を見ていた時の感覚が一瞬だけ蘇りました。20代の学生に「あれ」「それ」とモノのように呼ばれ、嘲笑され、惨めな思いをしていた自分。その時の美しい緑や花々。その下を談笑する、その大学の学生たち。その学生たちにあって自分にはない、人間として扱われる資格……。
 しかし、そのグログロした思いが蘇ったのは、本当に一瞬でした。私は、下腹から黒く巨大なマリモのようなガスの塊が身体の中を浮かび上がり、口から吐き出されて空中に漂って消えていくのを見ました。それは、私の中に他人によって埋め込まれたネガティブな自己認識の数々に対して、「もう持ち続けていなくていいものなのかもしれない」と実感できた瞬間でした。
 そして私は少しずつ、自分が何を大切にしているのか、何をしたいのか、自覚できるようになっていきました。不快や理不尽に対しても、私はその場で怒れるようになりました。
 2019年末、私は所属していた障害者団体を辞めました。日本の障害者運動は、最も差別や理不尽に対する「No」を言いにくい界隈です。それでも、温度差はあります。自分が自分らしくいられる部分を探すために、いったん離れてみようと思ったのです。「せっかく報道という仕事を持っているのだから、世の中に知られていない障害者の困惑や困難を知らせるためにパワーを使いたい」という思いもありました。それを最も妨げていたのは、「障害者運動の中の人」という私の立場でした。そのままでいることは、報道の仕事において利益相反の問題を引き起こします。だから、いったん捨ててみることにしました。


わだかまりの元を近寄せず、したいことに目覚める(2020年)

 長期にわたって抱えていたわだかまりが薄れていくと、次に起こったのは、新しいわだかまりを近寄せないようにする変化です。もともと生き物が持っているはずの「有害なものを寄せ付けない」「攻撃から身を守る」という本能が、私にもあったようです。現在の私は、何日もにわたって引きずるようなダメージを、寝床の中まで持ち込みません。「その場で怒る」「その場で断る」などの方法によって、最初からわだかまらないようになれたからです。時には、そんなに簡単に解消できないこともありますが、それでも「対処の手段を考え、段取りをつけて、対処すべき時までは棚上げする」という対応ができるようになりました。
 すると、したいことが出来るようになりました。最もしたかったことは、「罰を恐れずに学び、達成する」ということでした。2019年後半から、恐怖を伴わずに学びや研究に向き合えるようになりました。また、以前の大学院での出来事がトラウマとなって仕事と無関係な本が全く読めなくなっていたのですが、それも一気に解消しました。「文字や数や学びや読書を知った小学生って、こんなふうなんだろうなあ」と想像しながら、何かを学べば自分の力になるという感覚を実感し、それが自分にとって納得と幸福をもたらす達成となる可能性を想像し、阻害要因とその除去方法を現実的に考えつつ、学んだり読んだり研究したりしています。音楽や絵も、自然な形で無理なく再開しつつあります。
 私は物心ついたときから、母親の「アンタなんか努力しても何もならん」「そんなことが出来ても意味がない」「勉強だけ出来ても心がないから意味がない」といった言葉をぶつけられ続けてきました。「そんなことはない」と心の中で自分に言い聞かせてきましたが、否定することによって、かえって自分の中に深く刻みつけてしまっていたようです。その弱みは、悪意をもった人が見ればすぐに分かるものなんでしょうね。同じような攻撃が次から次に突き刺さり、雪だるま式にトラウマと恐怖が積み上がってくる人生でした。


一冊のノートと一本のペン、そして自分自身の力

 2018年の私は、積み重ねさせられてきたトラウマと恐怖に、Yahoo!ニュース個人編集部=ヤフー(社としてしたことを公式に認めています)=ソフトバンク という日本で最大最強に近い「超・親」のようなものによるトラウマと恐怖が重なり、文字通り絶対絶命、心身に大きなダメージを受けていました。「このままでは残り寿命は長くない」という状況にもなっていました。自分を解き放たなければ、文字通り生きていけません。
 時間はかかりましたが、私は自分をトラウマと恐怖から解き放つことには成功しつつあるようです。まだ、大学院博士課程に在学していますから「超・親」のようなものが存在するという状況にあります。次のミッションは、この「超・親」のようなものから自分を自由にすること。学位を取得すれば自由になれる。学位取得を断念して単に逃げれば自由になれる。ここまで来て学位を断念するのはイタいし、研究でやりたいこともあります。でも、自分の生命や猫たちとの幸せな家庭生活を捨ててまでやることでしょうか? 学問や研究に生命を捧げることはアリかもしれませんが、教員や大学に生命を捧げる意味はあるでしょうか? 冷静に考えながら、日々やるべきことを前に進めていれば、少なくとも自分が不幸で怨恨にとらわれている近未来は実現させずに済むでしょう。

これからも旅路は続く

 私の人生の旅路は、これからも続きます。どうなるのか、先のことは読みきれません。それでも、ヴィジョンやプランを持ってみることはできます。実現に近づけてみることもできます。そうしながら、毎日を少しでも幸せに生きることもできます。
 そんな実感を持てるようになったのは、佐々木芽生さんを通じて、「モーニング・ノート」の習慣を持つことができたからです。佐々木さん、ありがとう。
 勝手に佐々木さんの作品のファンでいることは、私に許されることだろうと思います。



[園芸]初夏の園芸熱につける薬はありません

ゴールデンウイークです。春植えの植物は急げや急げ。
春蒔きの植物も、もしかしたら間に合うかもしれない。でも、今年の暖かさを考えると、種まきは断念したほうがよいかも。 

ゴーヤの苗を買うために立ち寄った園芸店で、衝動に負けちゃいました……。
青じそ・イタリアンパセリ・ペパーミント・チャービルを一緒に買ってしまいました、とさ。
ん、異種を混植すると、病虫害にやられにくくて、いいのさっ……と、自分に自分で苦しい言い訳をするのであります。
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植え付けをさっさと終え、猫の額ほどの庭の植物さんたちの様子を一通り見ました。

リンゴ(アルプス乙女)の木に、実が留まっています。
リンゴの実って、最初から垂れ下がってるわけじゃないんですね。
「住まいの庭にリンゴがある」という生活を始めてから知りました。
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バラ(ジャック・カルティエ)が、もうすぐ咲きそうです。
ジャック・カルティエは、ほとんど「放置プレイ」で育てられる丈夫な原種バラです。
ウチで私に放置プレイされても枯らされていないことが、丈夫さの証ではないかと。
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住まいの中では、通気孔から侵入してきたジャスミンが、香り高く咲いております。
裏のお宅に住んでいた高齢のご夫妻のお庭に植えられていたジャスミンが、越境してきて我が住まいの裏庭に生えております。
ご夫妻のお宅に何か用事があって伺った時、
「申し訳ありません」
と頭を下げられたのですが、こちらは
「自分が植えたわけでもないのに、楽しませてもらってる」
くらいの認識でした。
その認識をお話したところ、ご夫妻は
「いい人がご近所でよかった」
と喜ばれました。いや、ジャマだったら、とっくに刈ってますよ。
ご夫妻は東日本大震災の翌年、越して行かれました。「バリアフリーって、何?」という感じの、家の中に階段のあるお住まいでの生活は厳しくなったのかもしれません。
ジャスミンの花が咲くたび、「お元気かなあ?」と思います。
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猫、植物、自分の落ち着いた暮らしほど大切なものはない。
何をおいても守るべきものは命。
東日本大震災の翌々年に50歳の誕生日を迎えるめぐり合わせとなった私は、 心から、そう考えるようになりました。

私にとって「バイブル」のような本の一冊、
広田せい子さんの「ハーブ・ブック」。
1980年代に購入したものを、まだ持っています。
 

フリーライターは羨ましがられるような職業か?

昨日今日と、私の生業や生活について「いいわねえ」という羨望をぶつけられて大変不愉快な思いをしたので、自分の生業について書いてみることにしました。
本エントリを読んでなおかつ「いいわねえ」と言えるなら、どうぞ! という気持ちです。
  • フリーライターの報酬は、時間に応じて支払われるわけではない
自営・自由業はそんなものなのですが、意外に実感としてはご存じない方が多いです。結構な時間を労働しているわけですが、時間に応じて報酬を支払われるわけではないんです。
  • フリーライターの報酬相場・報酬の決まり方には、さまざまなバリエーションがある
記事の場合は、紙媒体でもWeb媒体でも「一本あたり◯円」「文字数◯文字あたり◯円」という形で決まることが多いです。相場はまちまちですが、私は「1500文字(A4版の雑誌1ページの文字数に相当)で1万円」を一応の目安として「基本的に、これ以下の仕事は受けない」ということにしています。経験上、これ以下の報酬で仕事を受けると、「かける時間を減らす」「仕込みを必要最低限にする」といった形でアウトプットに皺寄せせざるを得なくなります。「その媒体に掲載すること自体に大きな意味がある」「その媒体に掲載すると、ふだんの仕事でアクセス出来ない読者さんに届く」「連載で、しかも単行本化が予定されている」などいくつかの条件下では、1500文字1万円以下でもお引き受けすることがありますけれども、こちらの体力・気力・時間などの資源が有限である以上、限度を超えた「安売り」を続けることはできません。
無料での記事依頼? もっと余裕があって稼げているライターさんに頼んでください。こちらは車椅子利用なので、移動に健常者のライターさん以上の時間がかかります。ヘルパー派遣を受ける都合上、使える時間は健常者のライターさんより少ないのです。
  • フリーライターの労働時間は結構長い
 私の場合、起きている時間が概ね一日あたり16時間程度、そこから家事・ヘルパー派遣を受ける・生活・通院など欠くべからざる時間を合計したら4時間程度でしょうか。一日12時間は働いていることになります。あ、念のため。この他に家事労働が存在するわけです。
ついでにいうと休日らしい休日が存在するわけでもありません。私の場合、完全なオフといえる日は、月に2日程度しか存在しないと思います。稼働率50%程度の日が月に4日程度あるとして(そんなものだと思う)、休日は一ヶ月あたり4日。一ヶ月あたり少なくとも25日くらいは働いているということになります。
年間労働時間は 12 × 25 × 12 = 3600 時間。もし「職場環境が悪い」「上司がクラッシャー」など仕事そのもの以外のストレスが多い状況なら、過労死してもおかしくないでしょう。
  • 時給計算したら最低賃金レベルにも達しない?
東京都の最低賃金より少しはマシな時給1000円を確保するために、どれだけ収入を得ればよいでしょうか? 年間3600時間なんですから、利益が(売上ではなく)400万円は必要ということになります。売上で600万円くらいでしょうか。1ページ1万円で雑誌の仕事を受けた場合には600ページ。よほど売れている人でない限りは、そんな荒稼ぎは無理です。
  • フリーライターに固定給はない
「売れた著書が多数あって絶版になっておらず、印税収入が入り続けている」
という状況であれば話は別ですが、いまどき、著書10冊程度ではそういう状況にはなりません。大半の書籍は3年も経たずに絶版になりますからね。
  • フリーライターの収入は不安定
人にもよりますし、その人の抱えた事情にもよりますが、フリーライターの収入は極めて不安定なものです。私自身、過去10年間での売上(利益にあらず)は20万円~400万円と大きな幅があります。生活保護基準以下の生活をした経験は、何回もあります。
  • フリーライターの仕事のうちアウトプットはごく一部
ノンフィクションの書き手が「取材を行って原稿を書く」は誰からも理解できることと思われますが、仕事は他にもたくさんあります。営業・人的ネットワークづくり・取材前に行う調査や資料読み・場合によっては音声起こし・さまざまな種類の連絡など。経理を外注していない場合には経理も含まれます。銀行などで頭を下げて資金繰りという場面もありえます。ちなみに私の場合は、大学院での研究は「仕込み」「将来への投資」の一部に位置づけています。
  • フリーライターの仕事はアウトプットだけではないが、評価はアウトプットで「のみ」行われる
「人間関係を良くする」「ネットワークを作る」などは必要ですし有効でもありますが、結局、アウトプットでだけ評価されるのがフリーライターという存在です。延々とオーディションや採用面接が続いているのも同然です。長期連載が何本かあっても同じこと。その回から読み始める読者さんもいるわけですから。
逆にいうと、アウトプットでだけ評価されるわけですから、持てる資源は可能な限り多くをアウトプットの向上に注ぎ込むのが有効な生存戦略ということになります。
  • フリーライターは経費は使えるけれども、なるべく使いたくない
自営の有利な点、特に著述業の有利な点の一つは、経費を使いやすいということです。アウトプットの品質・収益に大きく影響しうる部分では経費は使いたいけれども、影響しない経費は削りたい。すべての経営者がそう考えるでしょう。ライターの私が一人社長でもある我が事務所でも、事情は同じ。
パソコンは酷使してますが、ノートパソコン1台を3年くらい使ってます。3年でだいたいキーボードが摩耗するので、それを潮時として買い換えることにしています。
取材旅行のときの経費も、圧縮できるだけ圧縮しています。海外取材のときは、ドミトリーという選択肢があれば積極的に利用します。ホテル宿泊でも可能な限り自炊。調理器具も持っていきます。外食したら計画的に食べ残して持ち帰り、もう2食か3食分に(念のため。国際線に障害者割引はありません)。国内ではホテル一泊4000円、最大でも一泊5000円を目安にしています。私の宿泊以外に、猫にペットシッターさんの費用が必要ですから、自分の宿泊費用は抑えられるだけ抑えるわけです。
なお、机はないと困るので、カプセルホテルやスパは選択肢になりません。
  • 結論:相当のストレスがかかる仕事、ストレスをマネジメントすることも仕事のうち
フリーライターとして継続して活動している人間には、中小規模の企業経営者や大企業の中間管理職と同程度のストレスはかかっていると思うのですが、いかがでしょうか? 
「いや自分の方が苦労している」
と言いたい方には、ぜひ、その「苦労」が評価されない理由を考えてみていただきたいと思います。
専業フリーライター15年目の私は
「苦労は基本的には収益改善につながらないんだから、雇用者・経営者に評価されなくて当たり前」
だと思っています。 
私の記事を読む読者さんにとって、私の「苦労してる」「ストレス溜めてる」は何の意味もありません。読者さんにとって意味あるのは、ただ記事そのもののみです。だから、苦労したりストレス溜めたりしていられないのです。

 

精神科病院に生涯住みたいですか? 6/26は日比谷野音へ

昨年後半から、「精神科病院を居住施設に転換しよう」 という動きが出てきています。
 
日本には非常に多数の精神科長期入院患者がおり、その多くは「社会的入院」 です。退院して地域で生活を営むことは病状面からは可能なのですが、「家族が拒む」「借りられるアパートがない」、あるいは「病院が退院させたがらない」という理由で退院できない人々です。精神医療界隈には、長期入院している患者・長期入院させることの可能な患者を指す「固定資産」という用語法まであります。精神科病院にとっての「固定資産」ということです。 

日本の30万人以上の長期入院患者は、長年、国際社会で問題になっています。そこで「退院促進」「地域生活促進」といった動きが活発になってきました。長期入院患者の退院時の住まいを確保する活動など、数多くの支援活動もなされてきました。

福島第一原発の事故により、長期入院していた病院が閉鎖となり、 地域生活を始めた方もいます。長期にわたって入院していたからといって地域生活が不可能なわけではないということは、この事例からも読み取れます。
ハートネットTV: 60歳からの青春 ―精神科病院40年をへて―

多数の長期入院患者が退院すると、精神科病院には多数の空きベッドが出来ます。だったら病院の規模を縮小すればいいんです。時代とともに役割を(遅すぎる感はありますが)終えたのですから。
しかし、そこで出現したのが、その空きベッドを居住施設に転換するという動きです。引き続き病院の中に住んでいるようなものであるにもかかわらず「地域生活してます、入院してません」ということです。
また、その居住施設は、居住施設とはいいながら居住権を認めるのではなく、利用権(ホテルと同様)だけ認められるものになる可能性が高いと見られています。「住」の場として権利保障されるわけではないということです。

この動きに抗して、精神医療・精神保健福祉に関連する数多くの医師・ソーシャルワーカー・看護師・患者等が、2014年6月26日に日比谷野外音楽堂で集会を開催します。
お時間のある方、ぜひお越しください。

主催団体「病棟転換型居住系施設について考える会」ブログ(私も名を連ねています)
2014年6月26日の集会詳細
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著書です(2009年-)
「おしゃべりなコンピュータ
 音声合成技術の現在と未来」
(共著 2015.4 丸善出版)


「いちばんやさしいアルゴリズムの本」
 (執筆協力・永島孝 2013.9 技術評論社)


「生活保護リアル」
(2013.7 日本評論社)

「生活保護リアル(Kindle版)」
あります。

「ソフト・エッジ」
(中嶋震氏との共著 2013.3 丸善ライブラリー)


「組込みエンジニアのためのハードウェア入門」
(共著 2009.10 技術評論社)

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