長年使っていたツイッターアカウント @miwa_chan でのツイートは、2013年12月31日をもって停止しました。
それから、3ヶ月が経過しようとしています。

・個人でのツイートをやめてみて

実は、「こんなに精神的な疲労少なく日常を送れるのか!」と驚いています。

・個人でのツイートをやめた直接の理由

2013年3月、ある方に mention でメッセージをいただきました。
以前在籍しておられた大学院でアカデミック・ハラスメントを受けられ、現在も辛い状況にあるというお話でした。
ハラスメントは何であっても被害者が大変な思いをします。アカデミック・ハラスメントは特に、破壊力にも対処の難しさにも格別のものがあると思っています。
でも可能な対処は、「逃げる」「闘う」「諦める」の3つのどれか、または組み合わせに過ぎません。
mentionでしばらく続いた会話内容、ご本人の語られたアカデミック・ハラスメントの内容と大学側の対応が事実であるとすれば、闘うのは無理そうでした。
ただし、「逃げる」には成功していらっしゃいました。
可能なのは「逃げる」「諦める」の多様なバリエーションでしょうか。他分野への転身とか。
でも、どうにも話が噛み合いませんでした。
私が送った「お元気で」というようなメッセージを最後に、この方とは会話していませんでした。

ここで「事実であるとすれば」というのは、「私には事実であるかどうかを判断することはできない」ということです。私にとっての事実は、「その方が……とツイートされた」以上ではありません。事実関係を確認することもできません。どこの大学なのか、相手が誰なのかも知りません。そもそも、この種の問題で事実関係を確認するのは至難の技です。仕事として行うのであるとしても、フリーランスのライターが一人でできることではありません。ご本人のツイートから私が判断できるのは、ご本人が大変辛い思いをされたと表明されていること・ご本人が今も苦しい状況にあると表明されていることでしかありません。ご本人を直接知っているわけでも、相手の当事者を直接知っているわけでもない私には「あなたの言っていることは事実です」という判断はできませんし、そういう判断をすると言明することもできません。

ところが2013年7月、私はこの方に、いきなり「みわよしこにセカンドレイプされた」というツイートをされたのです。根拠は「自分が受けたアカデミック・ハラスメントが事実でないとされた」ということでした。私はしばらく、「あなたが嘘つきだと言っているわけではありません、私には事実であるかどうかの判断ができないということです」と理解を求めましたが、まったく通じませんでした。さらに私の過去の記事について、「取材をしていないのではないか」というツイートまでされました。出るところに出て欲しい、と思いました。この方が私を提訴することが可能なのかどうか分かりませんが、こちらには録音もノートもありますから。
そのうちに、過去のいきがかりも事情も知らないのに、私を「セカンドレイパー」とするツイートを発する方も現れました。まったく知らない方です。
私に対して別の場で
「なぜ、あの方の望むような言動をしてあげないのか、あの方は悪いわけではなく、私にとっては優しい紳士」
というような説教をする女性も現れました(この女性もツイッターで知り合った方でしたが、後に縁を切りました)。
私がどのような言動をするかは、私の決めることであるはずなのに、なぜかそれが許されないという理不尽極まる状況。
この状況から脱するために、私はツイッターをやめようと思いました。

・個人ツイッターアカウントの利用を止めるデメリットにどう対処したか

「必要に応じて特定テーマのアカウントを作り、関連ツイートはそのアカウントで行う」
という対応をすれば、全く困らないということに気が付きました。つまり、デメリットはない、ということです。

・ 個人ツイッターアカウントの利用をなかなか止められなかった理由

二つありました。
一つ目は、ツイッターDMがほぼ唯一の通信手段である友人・知人たちの存在です。その人たちは、メールやFBの利用がさまざまな理由で困難です。
二つ目は、知人のライターに「ツイッターを止めるように」と言われたことです。私も止める気でいたので「やめようと思っている」と言うと、「今すぐ止めるように」と言われたのです。私が決めて私が実行すべきことに対して、なぜそのように言うのでしょうか? 理解できませんでした。でも心のなかで、強い反発を覚えました。そこで、それから数ヶ月後に、ツイッターを止めることにしました。

・個人ツイッターアカウントの利用をどのように止めたか

2013年秋、「このアカウントは年内で停止し、年度末で削除します」とツイッターのプロフィールに書き込みました。
「そうすれば、私との通信手段を確保しておきたい友人・知人たちは、代替手段を見つけてくれるだろう」
と期待したのですが、代替手段を見つけてくれた人は一人だけでした。
そこで、アカウント自体の削除は止めることにし、DM専用アカウントとして残しておくことにしました。その旨は、そのツイッターアカウントのプロフィールに書いてあります。

・どうやってツイッターの利用を減らしたか

「このアカウントは年内で停止します」とプロフィールに書き込んで以後、自然に利用しなくなっていきました。
「近未来に使わなくなるんだから」と思っただけで、利用したいという気持ちが自然になくなっていった感じです。

・個人ツイッターアカウントを止めてどうなったか

「やめてすっきり!」
でした。
時間も心理的エネルギーも、ツイッター以外のことに割けるようになったわけです。
浮いた時間やエネルギーをFacebookに突っ込んだら意味はありませんが、私はツイッターを止めたことをきっかけとして、超「リア充」化しました。
ただでさえ外出・出張が多い私にとって、家にいて猫たちと一緒に過ごせる時間は、大切な大切な時間です。
特に年長の猫・摩耶は、5月に17歳になる高齢猫です。
既にいくつもの持病を抱えている摩耶が、今後何年生きてくれるのかは分かりません。
長年、一緒に生きてきた摩耶と一緒にいられる時間を、私は少しでも大切にしたいのです。
かくして、ツイッターを止めて浮いた時間は、摩耶と一緒に過ごす、あるいは身近にいる困窮した友人たちのための何かなど、「リア充」化のための時間に振りかえられることになりました。

・ツイッター歴を振り返って

以前のツイッターは、それなりに有意義でメリットもある存在だったと思います。
よく覚えていませんが、私がアクティブになったのは2009年以後かと記憶しています。
その時期にフォローしあっていた人々の多くは、古くからの友人たちでした。
気軽に「おはよー」と話ができるようになって、楽しいと思っていました。
その後、ツイッターで初めて知り合って、良い友達になった人もいます。
でもだんだん、リアルでも付き合いたい人とツイッターで出会うことは少なくなってきた感じがあります。
特に「3.11」以後にユーザが急増して以後、顕著に、メリットのない、疲れるだけのSNSになってきた感じがあります。
正直なところ、2012年以後の私は、ツイッターを止めるタイミングを計っていました。
止めてすっきり! です。

習慣になってしまっていても、周囲のたくさんの人が使っていても、便利でも、自分にとって苦痛だったり益少なかったりするのならば止めるべき。
その当然のことを、個人ツイッターアカウントを止めてみて、再確認した次第です。