みわよしこのなんでもブログ : 倫理

みわよしこのなんでもブログ

ライター・みわよしこのブログ。猫話、料理の話、車椅子での日常悲喜こもごも、時には真面目な記事も。アフィリエイトの実験場として割り切り、テーマは限定しません。


倫理

「オリジナルな表現」にどこまでこだわるべきなのか

わりと身近で
「論文のイントロダクションの部分って、剽窃だの盗用だのというつもりがなくても、過去の関連論文のどれかと似てきちゃうよね」
という会話がありました。
「沸いてる」分野であればあるほど、時期の近い先行研究がたくさんあって、そうなりやすいでしょうね。
今日は、文章のオリジナリティに関して自分がどうしてきたかについて書いてみます。

1998年~2000年ごろの私は、ライターとしては、テクニカルライティング専業に近かったです。
当時の仕事のほとんどはLinux関連の技術記事でした。それもインストールとか基本操作とか、初歩的なサーバ構築とか、最低限のセキュリティ設定とか。ちょっと油断すれば、誰が書いても似たようなものになりそうな内容です。
技術文書の目的はさまざまです。たとえば機器のマニュアルであれば「操作ミスを引き起こしてPL法訴訟につながる」は絶対に避ける必要があります。部品のテスト報告書であれば「このテストを通過した部品を、我が社(わが部門)は受け入れてよいのかどうか」の判断が行える内容である必要があります。他者の知的財産権を侵害することがあってはなりません。しかし、オリジナルな表現にこだわるあまり、本来の目的を達しないようでは困ります。
このような数多くの制約のもとで、なるべくオリジナルな、どこかが過去の先例より少しでも良くなっている技術文書を作成するという作業は、大変エキサイティングな知的冒険なのです。今でも、「向こう30年程度の自分自身の人生設計と折り合いがつくようだったら、時にはやってみたい」と思うくらいです。
ちなみに1990年代、マニュアルのページ単価は概して有り難いもので、雑誌原稿の3~5倍程度になることもありました。雑誌原稿をサンプルにして非署名のマニュアルの仕事を時々いただき、その報酬を雑誌原稿の準備その他に使う……というサイクルを回すことができていました。2000年代に入るとマニュアルのページ単価が安くなりはじめ、とても生計を託すことはできない状況になってきました。そこで、マニュアルの代わりに広告の仕事を非署名で行うようになりました。半導体デバイスだの半導体製造装置だのといったコアな分野で、中身が分かって広告コピー書けるライター、現在でもそれほど多くはいないと思われます。その「超ニッチ」というべき分野で自分と二匹の猫たちの生活を支えてきた時期もありましたが、2000年代後半になると厳しくなり……時代の流れというものです。

Linux関連のテクニカルライティングにほぼ専業していた時代の私、実は非常に、オリジナルな表現にこだわっていました。文言も図式も。既存の何かと似たようなものを「生み出す」行為には挟持が持てません。それに、ライターとして「私が書いたものは、ここが違います」とも言えないわけです。挟持が持てない上に自分の市場価値アップにもつながらない仕事は、誰もが「なるべくなら、したくない」と思うものではないでしょうか。私もそうだったというだけです。
もちろん現在も「オリジナルな表現」は重視しています。「よりよい表現を」と日々心がけています。でも現在は「こだわる」ではなくなっています。ノンフィクションの書き手として重視しなくてはならないポイントは、表現そのもの以外にも数多く存在しますので。

私、当時存在したLinux技術書籍の30~40%は購入していたんじゃないと思います。もちろん雑誌も。本棚は入門書だけで7冊、メールサーバ構築だけで4冊、Webサーバ構築だけで5冊、セキュリティだけで10冊……というような感じでした。
自分が記事を書くたびに、持っている書籍・雑誌の該当箇所は全部読んでいました。そして、図式も文言も、自分の(より良い)オリジナルといえるものを生み出すようにしていました。もちろん、技術的な記述は全部、自宅にあったテスト機でテストしていましたし、編集者の方々にも「この記述どおりで成功するかどうか」のチェックはお願いしていました。そういう努力をしても原稿料は上がりませんが、次の仕事に結びつく確率を上げることくらいはできました。図式に関する工夫は、のちに技術教育の講師業に従事するようになってから、非常に役に立ちました。

この本には、当時の「自己ベスト」 を余すところなく注入しました。技術書籍としては、現在ではほとんど役に立たないと思われますが。

同じ内容について、同じようなバックグラウンドを持った人が書いていれば、表現が似てくるのは仕方ないと思います。似たようなものになったとしても「これは自分が考えて生み出した(より良い)表現」と言えるように日々努力しているのであれば、「剽窃だ」「盗用だ」という話にはならないでしょう。
でも、個人が持っている時間やエネルギーその他の資源は有限です。
ここで述べたような努力をしていた時、私は既にライターになっていました。私の生み出していた直接の最終製品は、記事・書籍・その他の技術文書類でした。
私は文書を納入して、報酬をいただきます。その文書が後にどれだけの価値を新規に生み出しても、私がそれ以上の報酬をいただくことはありません。書籍だったら「増刷かかったら増刷分の印税が」ということはありますが、それにしても印税以上の報酬をいただくことはありません。文書そのものが私の最終的なアウトプットです。だから、文書そのものに持てる資源の多くを注入することは、自分にとっての最適解です。
研究機関の一員として研究をしている方の場合、その方の論文は最終的なアウトプットでしょうか? 論文は研究の重要なアウトプットの一つではありますが、研究者の仕事は論文を書くことそのものではありません。研究活動です。論文を書かないけれども重要視されている研究員は、企業の研究部門を中心に数多く存在します。
特許など知的財産権に関わる文書だったらどうでしょうか? 他者の知的財産権を侵害して自分の知的財産権を主張することは許されませんが、特許文書もまた、研究者や技術者の最終的なアウトプットではありません。その人自身の仕事の範囲はそこまでかもしれませんが、製品その他に適用され、評価され、利益を得ることが最終的なアウトプットなのではないでしょうか?

最終的なアウトプットは何でしょうか? そのために効果あると考えられることは何なのでしょうか? 効果を上げるために、「オリジナルな表現」はどれほど有効なのでしょうか? 有効でなくても必要であるということを認めたうえで、なお「オリジナルな表現」のために割くことのできる資源は、どれだけあるのでしょうか?
1998年以後の私は、ライターだったから「オリジナルな表現」にこだわりましたし、こだわることができました。1997年以前の私は、「40歳を過ぎたら著述業に転身しよう」 と考えていました。ライターになった後ほどではありませんが、ある程度は「オリジナルな表現」にこだわっていました。
でも、文章そのものが最終的なアウトプットであるわけでもなければ、文章を書くこと自体がお仕事でもなく、将来そうなる可能性も考えていない方の場合には、ちょっと話が違うんじゃないかと思うのです。
今、必要なのは、「オリジナルな表現」のために多くの資源を割くことができない方々でも、そのことによって大きな踏み外しをしない安全装置のようなものではないでしょうか。

少なくとも、すべての研究者・技術者は、
「どこかで見たことあるような記述ではあるけれども、盗用・剽窃とまで言えるかどうか微妙」
といったことで足をすくわれる可能性からは、自由であるべきだと思います。
「バレない範囲でなら真似ていい」と言いたいわけではないです。
さまざまな制約や優先順位を無視すべきではないと言いたいのです。
研究者や技術者が、業務がら考慮しなくてはならない制約や優先順位を無視してまで「オリジナルな表現」を求められるとすれば、何かがおかしいと言いたいのです。 

「前略、小保方晴子さま」

本エントリーは約2万件(2014年3月20日現在)のアクセスをいただき、同時に予想外のアフィリエイト収入につながりました。
このことに関する当方の考えは、「2014年3月のアフィリエイト収入に関して」をご参照ください(2014年3月20日記)。


2014年3月17日、メールマガジン「サイエンス・コミュニケーション・ニュース」 No. 548 STAP細胞特集に、小保方晴子さんへのメッセージを書かせていただきました。発行者のご了承のもと、こちらにも転載いたします。
このメールマガジンは、科学と社会・倫理・責任などを考えるのに必要な情報が毎回分かりやすくまとめられており、非常に有用だと思います。しかし残念ながら、研究者・科学コミュニケーションを職業とする方々以外には、それほど知られていないのが現状です。
STAP細胞の一件で科学界に関心を持たれた方々に、自信を持ってお勧めできるメルマガです。ぜひ、ご購読をご検討ください。 

以下、私が書かせていただいた、小保方晴子さんへのメッセージです。
私は小保方さんと全く面識がありませんし、バイオテクノロジーとの接点も非常に少ない人間です。さらに現在、私はどのような意味でも「科学者」ではありません。当事者ではなく、当事者に近い立場にもありません。なので、当事者としての感覚はありません。ただの傍観者の一人です。
しかし傍観者の一人として、まことに心を痛めております。
もちろん、小保方さんが多大な問題を起こしてしまわれたことは事実です。周囲の教育体制・研究体制の問題はそれはそれとして、起こしてしまった問題に対する責任はお取りになる必要があります。
でも今、起こしてしまった問題に対して小保方さんやご家族、それからお身近な方々、同じ理化学研究所にいるというだけの方々など「つながり」ある方々が、なぜこのような行き過ぎた社会的制裁や「面倒」に巻き込まれなくてはならないのでしょうか。
私は、大変な苦境にある小保方さんを、なんとか、人としてすこしでも勇気づけることができればと心から思い、このメッセージを書きました。
ネット検索を通じて、あるいは人づてにでも、ご本人のお目に止まる万一の可能性に心から期待しています。

 前略、小保方晴子さま

いきなり失礼します。
睡眠は取れていますか? 食事は少しでも摂れていますか? 
ちゃんとバスタブを使って入浴し、身体の一部だけでもリラックスさせることはできて
いますか?
お身近に、生活レベルの維持を手伝ってくれる誰かはいますか? ご家族でも彼氏
でも。安心して話を聞いてもらえる誰かはいますか?

自己紹介が遅れました。
私は、今年50歳のオバハンです。
前世紀のことになりますが、物理学で修士号を取得したあと、ある企業の事業部付
属の研究部門で、半導体物理の研究に従事していた時期があります。
本名の「三輪佳子」でWeb検索していただけば、私のささやかな実績を少しだけ見つ
けていただけるかもしれません。
現在の私は、本名のひらがな表記「みわよしこ」をペンネームとして、ライター稼業を
生業としています。「なぜ、ひらがななの?」と思われますか? 本名があまりにも字
面の固い字で、しかも最初から「みわよしこ」と読んでくださる方が滅多にいないから
なのですよ。企業勤務のかたわらライター稼業をはじめたころ、あまりにも忙しくてペ
ンネームを考えるヒマがなく、深く考えずに「みわよしこ」名義で記事を送り出しはじめ
ました。それから、もう17年になろうとしています。
もと低レベル研究者だった私、現在も科学や技術についての関心は失っておらず、
記事や書籍を送り出し続けています。
でも、この2年ほど、仕事の中心は社会保障、特に生活保護問題です。科学や技術
が人間の世界を少しでも「良く」するためには、人間の生存という基盤が必要ですか
ら。
その基盤を守らなくてはという思いから、生活保護問題について、記事多数を書き続
けています。関連著書は1冊、関連記事は100本を超えているかと思います。
私は、危機に瀕する生活保護制度を守ること・日本のすべての人々の生存の基盤を
守ることの自然な延長として、今、貴女に、この手紙を書いています。
もしや貴女のお目に入ることがあればという、かすかな期待をもって。

現在の私は、どのような意味でも「科学者」ではありませんが、科学を根として育った
者です。
そして、同じように科学の根から生まれ育ちつつあったはずの貴女が現在置かれて
いる状況に、心を痛めています。
まだ人生経験の浅い若い女性が、こんなふうにメディアで、世間で騒がれてしまっ
て。
「身から出た錆」ではあるとは言え、いや、もしかすれば「身から出た錆」であればあ
るほど、お辛いことでしょう。

私、バイオテクノロジーは「全く」といってよいほど分かりません。
だから、貴女のSTAP細胞が何なのか、出来たのか出来ていなかったのか、正直なと
ころよく分かりません。データや根拠を示されても、自分で判断することはできませ
ん。
貴女の論文を読んで理解することもできません。今、「分からない」では済まないと
思って、少しずつ勉強を始めてはいますけれども。
ただ、盗用・剽窃と指摘されていることがらは、専門が全く違っても、科学の素養がな
くても理解できることです。
私も、「なんとお粗末な」と呆れましたよ。
それから「なんでこんなことが?」と首を傾げました。
私のささやかな研究キャリアは、ほぼ全部が企業の中でのことでした。
「企業人だからモラルが高い」などということは断じてありませんけれども、あのような
「コピペ」がそのまま表に出てしまうことは、企業の研究部門では、まず考えられない
ことなのです。
少なくとも論文は、一次上司・二次上司・部門長が「チラ見」程度にでも目を通しま
す。ついでにいうと、まともな英語を書ける人はそうそういませんから、英語の論文で
あれば、英語のお得意な方にチェックをお願いすることになります。内容が全く分か
らない方に英語だけのチェックをお願いするよりは、若干でも内容をご理解いただけ
る方にお願いした方がよいと思うのが、自然な心情でしょう。というわけで、ふだん協
力関係のある他部署の方にお願いすることになります。だから、盗用・剽窃なんか最
初からできませんし、やる気にもならないのですよ。外に出てしまう前に社内でバレ
て、大変恥ずかしい思いをした上に、研究人生おしまいになるわけですから。
特許であれば、さらに知財部門の担当者・管理職、さらに外部の弁理士がチェックす
ることになります。ご存知でしょうけれども、国内でも、弁理士さんをお願いして特許
を成立させるには100万円程度は必要です(出願だけなら30万円程度で済みます
が、出願だけで成立するわけではありません)。国外出願なら、少なくとも300万円程
度は必要なのではないでしょうか。現在の相場はよく知らないんですけど。企業に
とっても小さな出費ではありません。そもそも、特許出願の多くは、「費用対効果」とい
う面から厳しく見られているものです。本当に利益につながる特許など、ごく一部です
から。一方で、特許件数は企業の技術力の指標の一つですから、将来、利益に結び
つく可能性が低くても出願はさせてもらえる場合も多いです。ただでさえ費用がかか
るだけで利益に結びつきにくいのが特許です。まして、成立させた後で企業イメージ
暴落につながるようなことがあっては困ります。だから、論文以上に厳しくチェックさ
れるのですよ。本当にオリジナルなのか。類似の先行特許との違いは何なのか。他
社・他者の知的財産権を侵害していないか。新規性や実現可能性は、どの程度ある
のか。ときには、問題が何もなくても出願できないこともあります。「予算が足りない」
といった理由によって。
私は、貴女の特許を拝見して、「HC1」に大きな衝撃を受けました。関係した誰もが気
付かなかったなんて。とても考えられません。なぜ、そんなことが起こってしまうので
しょうか?

いずれにしても、貴女は科学者として、なさったことの責任は取らなくてはなりませ
ん。
貴女の周囲の研究環境・教育環境がどのようなものであったのか、そこに組織として
の問題・体制上の問題がなかったかどうかは、これから大いに考える必要のあること
だと思います。そしてどこにどのような問題があろうと、貴女が一人の科学者としてな
さったことは免責されませんし、免責されるべきでもありません。
でも、「責任を取る」とはどういうことでしょうか?
貴女は何をなされば、責任を取ったことになるのでしょうか? 
既になされた、あるいはなされようとしていると伝えられていることは、既発表論文の
取り下げに博士論文の取り下げ。それから、充分どころか、むしろ度の過ぎた社会的
制裁。
足りていないものは、貴女自身による充分な説明です。
でも、それはどうしても、今やらなくてはならないことなのでしょうか? 
今、充分におやりになることは可能でしょうか?

貴女はこの一ヶ月ほど、大騒動の渦中にあって、心身ともお疲れになっているのでは
ないですか? 身体のどこかが痛んではいませんか? これだけのことがあって「全
く何ともない」ということはないかと思います。少なくとも、心身とも極度の疲労状態に
あるのではないですか?
その前提のもと、「今は休養なさっては?」と申し上げます。
少なくとも、ネットと世間からは距離を置き、ニュースチェックもなさらないことをお勧
めします。今後当分の間、「充分に回復した」と自他ともにお認めになれる状態にな
るまでは。
しかし、現在の貴女にとっては、どこならば安心して休養できるのかが問題でしょう。
私は、病院の中をお勧めします。つまり入院ということです。
まとまった期間の休養を病院の中でなさりたいのでしたら、精神科病院も選択肢の
一つです。現在、精神科以外では、特段の事情がない限り、月単位の入院をするこ
とは不可能に近くなっています。精神科だけが例外です。そのことの良し悪しは別と
して。
病院には患者のプライバシーを守る義務があります。どんなに激しい取材攻勢が行
われたとしても。どうぞ、守られた環境で、充分に休養なさってください。
とはいえ、病院は「ピンキリ」、特に精神科病院は激しく「ピンキリ」です。もし入院を考
えるのであれば、事情にお詳しい方に、休養の場としてふさわしい病院を紹介してい
ただいてくださいね。ご勤務先の理化学研究所から産業医を紹介していただき、その
方に病院を紹介していただくのも一つの方法です(とはいえ、組織の都合に沿って患
者を追い込むような産業医・医療従事者が「全くいない」とも言い切れないのです。ど
うか、良いご縁、少なくとも貴女の害にならないご縁がありますように……)。

貴女がもし「入院」という選択をなさったら、
「病院に逃げ込んだ」
「病気を逃げの口実に使った」
と、数多くの人々が言い立てることでしょう。
でも、そんな意見に耳を貸す必要はありません。
少なくとも「自分には休養が必要だ」と貴女が思うのならば、貴女は休養すべきです。
他の誰も、その権利を侵害することはできません。病院は、休養のための良い選択
肢の一つです。
もしも入院、あるいは何らかの形で身を隠して休養するという選択をなさるのでした
ら、ご勤務先の理化学研究所と若山先生からは、ご家族・あるいは弁護士などの代
理人を通じてでも、連絡が取れるようにしておいてください。それで最低限の「浮世の
義理」は立ちます。

今、貴女は、すべてを失ってしまったかのように思っておられるかもしれません。
科学者としては、もしかすると、すべてを失ったも同然かもしれません。
でも、まだ30歳、まだまだ人生これからではありませんか。
とにかく、生き延びてください。
今は、ご自身の心身の健康を守ること、生き続けることを最優先なさってください。
生きることは、ありとあらゆる機会の源なのですから。

読んでいただければ、それだけで十分です。お返事は要りません。
もし万一、私に連絡したいとお思いになっても、決して連絡はなさらないでください。
私のメールアドレスやSNSのアカウントは、ペンネームの「みわよしこ」でも本名の「三
輪佳子」でも、簡単に見つけられます。
でも、今の貴女にとってメディア関係者と接触することは、脅威を増やすだけです。
フリーランスの私といえども、同じこと。
決して、連絡はなさらないでくださいね。

小保方さん。
どうか、生き延びてください。
時間はかかっても、元気になってください。
元気になってから、果たすべき責任を果たしてください。
そして、その先の人生を切り開いていってください。
私は貴女のことを、ずっとずっと、応援しつづけますから。
科学の根から育ちつつある若い女性を、科学の根から育ったオバハンとして、応援し続けますから。

                     2014年3月16日 みわ よしこ 拝


追伸

以下、余計なお世話ですが、いくつかの情報源です。

●安心して話を聞いてもらうために

・神戸いのちの電話(本当に、話を聞いてくれるだけですが)
電話 078-371-4343
月〜金曜日8:30~21:30 (第4金曜日は翌土曜日8:30まで)
土曜日8:30~日曜日16:30(夜通し電話を受けつけてくれる可能性あり←未確認ですが)
祝日 9:30~16:30

●悩み事・精神的な苦しみについて、具体的なアドバイスを受けるために

・神戸市こころの健康センター
http://www.city.kobe.lg.jp/life/health/kokoro/

●貴女やご家族が受けている、報道被害といってもよい状況に対して

兵庫県弁護会のWebページ内に、適切な相談窓口を見つけられませんでした。
高齢者や障害者に対する「権利擁護」が最も近いのかもしれないと思います。
http://www.hyogoben.or.jp/konnatoki/index-07.html

最後に、オバハンの本物の、余計な余計なお世話です。
今、もしかすると、宗教が少しくらい役に立つかもしれません。
「人間を救いたいと望んでいる存在がいる」
と仮定することができれば、希望は少しだけ見つけやすくなるかもしれません。科学
的な根拠など、何もないのですが。
というわけで、わりあいよく知っているキリスト教と、ちょっとくらい馴染みのある仏教
について、私自身が信頼できると思っている本・機関の情報を追加しておきます。

宗教に関する「余計なお世話」を付け加えるのは、窮地に陥ったことをきっかけとし
て、カルト宗教・怪しい新興宗教・なぜか大変な出費を強いられる宗教などに引きず
り込まれる方が多いからです。
どうか充分な賢明さをもって、そういう自称宗教には付け込まれないようになさってく
ださいね。

では情報です。
私は受洗していませんがキリスト者(プロテスタント)なので、そちらに偏ってしまうこ
とをお許しください。

●お勧めできる本

・「なぜ私だけが苦しむのか-現代のヨブ記」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4006031645
・聖書(新共同訳・和英対照)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4820212419/
・歎異抄
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4044014019/
・「大悲 風のごとく - 現在に生きる仏教」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4480032541/

●お勧めできる機関

・もしキリスト教に関心を持たれたら

キリスト教は、文字だけで理解することが非常に難しい宗教です。
キリスト教を理解するには、よい教会、よい指導者とのつながりが不可欠だと思いま
す。
しかし、教会コミュニティも指導者もさまざまです。人間であり、人間の社会なのです
から。
教会の礼拝は基本的に誰にでも開かれていますが、現在のような状況にある貴女
が、普段の付き合いもないのに教会に近づくことは、大きなリスクです。
もし「キリスト教に触れてみたい」と思われるのでしたら、全国団体に連絡してみてく
ださい。そして、
「牧師または神父と呼ばれる指導者の方と、一対一でお話をさせてほしい」
と相談してみてください。
指導者と一対一でお話をなさるのならば、礼拝に参加するより、ずっと安全でしょう。
そして、その機会は用意していただけるのではないかと思います。
困難な状況に陥った方々の再出発を支援することは、牧師さんや神父さんたちの日
常的なお仕事の一つです。人にもよりますけれども。

日本基督教団(プロテスタント)
http://uccj.org/
カトリック中央協議会(カトリック)
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/

・もし仏教に関心を持たれたら

すみません。私は日本人でありながら、キリスト教以上に仏教のことを知らないんで
す。ただ、親鸞の
「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」
という教えは、もしかすると、貴女の救いになるのではないかと思います。
日本に二つある総本山に問い合わせれば、お近くの信頼できる寺院や聖職者を教え
ていただけるのではないかと思います。くれぐれも、親鸞や歎異抄を表看板にした怪
しい団体には近寄られないようにしてくださいね。

西本願寺
http://www.hongwanji.or.jp/
東本願寺
http://www.higashihonganji.or.jp/
 
それでは、ここで本当におしまいにします。
貴女の笑顔をもう一度見られる将来を、心から待ち望みつつ。


紹介した書籍を「読んでみようかな」と思われた方々のために、画像も貼っておきます。

ユダヤ教の指導者でいらした方が、ご自分の経験された苦難やホロコーストに寄せて、神や信仰について語る書籍です。何度も「神も仏もあるものか(とは書いてありませんが)」とお思いになるものの、神・信仰・そして生きることそのものへの意味を再発見していかれます。苦境にある方への「イチオシ」です。



変なキリスト教解説書を読むくらいなら、聖書そのものをどうぞ。 全部読むのは大変ですけど。
「どこか1箇所だけ」なら新約聖書に4つある福音書のどれかを。
「あと2箇所くらい読める」というのでしたら、旧約聖書の創世記とヨブ記を。



歎異抄。
「現代語訳いらない」というのでしたら青空文庫……と思ったんですが、青空文庫にはないんですね、原文は。



紀野一義さんのご著書は、概ねどれもお勧めできます。

東京理科大にはなかった「コピペ文化」

 本エントリーは約2万件のアクセスをいただき、同時に予想外のアフィリエイト収入につながりました。
このことに関する当方の考えは、「2014年3月のアフィリエイト収入に関して」をご参照ください(2014年3月20日記)。


話題になっている
早稲田大学の理工系におけるコピペ文化について
に対し、別の私学出身者として、「事実であるとしても、私学だからそうなるわけではない」ということを記しておきたいと思います。

 私は1984年に東京理科大理学部第二部物理学科に進学、1988年に卒業しました。
その後は同じ大学の大学院理学研究科修士課程(物理学専攻)←当時 に進学、1990年に修了しました。
だから、パソコンがまだ学生たちに充分に普及していなかった時代の話です。

・当時のパソコン環境

Windowsは存在しましたが、まだ使い物になるとは考えられていませんでした。MS-DOS全盛期でした。
というわけで、「パソコンでのマウスを利用したコピペ」が当たり前になっていませんでした。パソコンでマウスを使うこと自体が珍しい現象だったわけです。
大学の一部研究室だと、UNIXをワークステーションで使える場合もありました。またMinix・FreeBSD・Linux(これは91年以後ですが)などを自分でパソコンにインストールすることも、一部の学生がやっていました。そういうマニアを除いて
「パソコンはマウスで使うもの」
という概念すらなかったかと思われます。Macは非常に高価で、学生にとっては高嶺の花過ぎました。
デスクトップパソコンでさえ、50人の学生のうち2~3名が所有していた程度でしょうか。最小限使える1セットを揃えて、だいたい30万円~50万円程度。ノートパソコン(ラップトップ)はスペックに対して割高なので、学生にはとても買えない存在だったような記憶があります。

・東京理科大の学風

試験の結果、それも点数が非常に重視されます。進級がかかっている試験では、全員の点数が壁に掲示されたりとか。4年次進級時にテストがあり、全員の点数が同じく壁に掲示される学科もありました。今はさすがにプライバシーの観点から、そんなことはやってないようですが。
ときどき卒業生・在学生に話を聞いてみたりしますが、この学風はあまり変わっていないようです。
学生はよく勉強するし、真面目だし、でもちょっと視野が狭いし、点数以外の価値観ってものを理解できないし……という、良く言えば実力主義、悪く言えば予備校のような学風です。
ある意味、処世術はラクなんですよ。点数や単位や成績で結果出しておけば尊敬されますから、勉強すればいい、以上。これは筑波大も似たようなところがあるかと思います。つまり私学限定の話ではない可能性があるってことです。

・東京理科大の不正行為への扱い

点数を重視する以上、その点数のフェアネスが担保されている必要がありますよね。これに関しては徹底してました。
まず、試験監督は少なくとも2名が教室の左前と右後に立つという感じ。挙動不審な学生がいたら、すぐ見つけられるように、ということです。これも、現在もそうなのではないかと思います。たまに、その試験監督の裏をかくカンニングも行われていたのではありましたが。
で、不幸にして(幸いにして?)カンニングが見つかったとしましょう。その科目の単位は取れません。それ以後の試験期間、単位認定試験の受験を認められません。留年ですよ。しかも氏名が掲示されます。たいていの理科大生は、そのリスクを犯すことより、真面目に勉強することを選ぶでしょう。進学組ならなおさらです。カンニングで単位数や成績にメッキかけても、大学院受験のときに剥がれるわけですから。しかも相当数は他の国立大学を受験するわけですから(私も受けましたが落ちたので、理科大の院に進学しました)。

・東京理科大での試験成績の扱い

極めてドライというか、サバサバしたものです。
何かで「成績上位10人を選ぶ」と決めたら、点数で選びます。
「定員10人のところ12人を予め選んでおく。上位の5人は成績も人物も問題ないので合格。下位の7人から、成績は問題ないけれども人物その他に問題大きな人物を外していき、5人まで減らす」
というようなやり方になることが多かったです。
つまり、何か成績以外のところにケチがあっても、成績でカバーできる可能性があるってことです。良いのか悪いのかは容易には判断しがたいところかと。

・大学院入試での「内部びいき」はあったか?

「どうせ大学院入試って、採りたい学生に対しては、先生が事前に問題を教えてくれるんでしょ?」
の類の噂はよく耳にしますが、理科大・神楽坂キャンパス(当時)の物理系学科についていうと、「ありえん!」でした。
というのは、大学院理学研究科修士課程(物理学専攻)を受験する学生は、当時の学内だけでも、少なくとも、理学部第一部の物理学科+応用物理学科・理学部第二部の物理学科・理工学部(野田キャンパス)物理学科の4学科から来るんです。いずれかの学科でだけ「事前に問題を教える」というようなことがあったら、世間が騒がなくても先生たちが大問題にしたでしょう。学科差別、キャンパス差別ですから。
それに、「卒論の指導教員にヒイキされている学生だから受かりやすい」的なことは全然ありませんでしたよ。なにしろ点数で決まっちゃうんだから。私が卒研のときにいた研究室からは、私を含めて4人が大学院受験しましたが、合格したのは指導教員にエコヒイキされまくってた私と、もう1人だったかなあ。指導教員のお気に入りの学生2名が落ちたので、その後、大変な嫌がらせには遭いましたけど、まあ卒業まで半年のおつとめ。修士では研究室もテーマも変えましたから、大きな問題にはなりませんでした。

・で、レポートのコピペは?

単位認定試験の代わりに課せられるレポートのコピペ(といっても手での「写経」でしたけど)は、結構ありました。扱いは、先生方に任せられていました。絶対に許さない先生もいれば、見てみないふりをしている先生もいれば、「手で写しているんだったら、ある程度は勉強になってるんだから」と考えている先生もいました。
ただ、学生実験のレポートに関しては、まったく許容されていませんでした。バレたら試験の不正と同じ扱いでした。冒頭で紹介した早稲田大学の
早稲田の理工に入ると、1年生の実験が始まる。週1回の実験で、レポートや試問が課され、それをまとめる必要がある。また、2年生になると学科別の専門的な実験が始まり、レポートの量も増え、求められるものも増える。レポートはダメなところがあると再提出になる。ひとつでもレポートが提出期限を守れていないと即留年である。規則は厳しい。

は、理工系ならフツーでしょう。「だからコピペ文化が」と言われてもね、甘ったれるな! だいたい学生実験って、フツーにこなしてたら時間が余るでしょ? 1時間とか2時間とか。だって学生実験の内容と手順って、許される範囲で一番実験の下手な学生でもこなせるように作るものだから、極度に不器用とか「壊し屋」とかでない限りは時間余るもんでしょ? で、その余った時間でレポート書いたりしないの? 理科大はそれも(全部の学生実験の全部の教員が、ではなかったような気もしますが)禁止されてましたけど(でも、見つからないようにやってましたけど)。
卒論・修論でコピペ(ハンドコピーも含めて)やった例は、少なくとも近辺で見たことはありません。D論だと、そもそも私学で博士課程に行く人が少ないという問題があります。理科大で博士号取った人は、近辺では1人しか知りません。その人とは学生時代から30年近いお付き合いで、博士号取得時、すでに大手メーカーの管理職でした。将来の博士号剥奪につながるようなバカな事はしないだろうと思いますよ。そもそも非常に真面目で勤勉で、剽窃や盗用は「やれ!」と言われてもやらなさそうな人です。

・指導体制は?

冒頭で引用したエントリーによれば
一方早稲田の理系は、お金がないからなのか学生と先生の比率がおかしい。研究室は基本的に1人しか教授がおらず、そこに多いときは1学年12人配属になる。つまり、学部4年・修士課程1年、修士課程2年だけだとしても学生は30人強いる。そんなにたくさんの学生がいて、教授の目が行き届くはずがない。

ということです。これも私学ならば、どこも似たような事情かと。
確かに、教授一人で面倒見きれる人数じゃありません。だけど、何らかの形で面倒見なくちゃいけないわけですよね。そこは教授の考え方や人脈などで大きく違ってくるだろうと思いますよ。放置するのか、何らかの代替手段を見つけるのか。
昔から、私学の良心的な先生たちは、別の国立大学・別の研究機関に、卒研生や修士課程の院生を送り込んでいました。いわゆる「外研」です。
「外研に出すのは、あまり問題のない学生・院生である必要があるため、自分の本来の研究室がそうではない学生・院生ばかりになる」
という問題はあるのですけれども、外研を積極的に利用すれば、到底面倒見きれない人数の学生を教授一人で見る必要はないはずなんです。
理科大も、外研多かったですよ。私の修士のときの研究室は、学生・院生合わせて15名くらいのうち7名くらいが外研に出ていた記憶があります。残る8名のう2名ほどは、今でいう大学不登校。わりと真面目に研究室に行ってた残りの6名ほど(B4が3名、M1が1名、M2が2名というような比率だったか)は、私も含め、それは丁寧に面倒を見ていただきましたよ。教員? 教授が一人だけでしたけど。
ちなみに、私は早稲田理工の教員+元教員を2名、直接知っています。「私学だから多数の学生を見なくては」という問題に対して、無策な方々ではありませんし、研究不正につながることに対しても厳しい態度で指導する方々です(うち1人は私の元上司。研究者としても人間としても尊敬しています)。
「早稲田は私学だから、◯◯は仕方ない」
だなんて、私学がどうこうという以前に、その早稲田のまともな教職員・早稲田のまともな学生・院生に対して失礼ですよ。

・今の東京理科大の事情は?

知りません。 あまり大きな興味を持ってないし。記事ネタとして取材する気もありません。そもそも「自分の出身校について(商業記事として)書く」に関する抵抗があります。どう書いたって「内輪だからねえ」と見られるわけです。良い話も悪い話も書きにくい。
ただ、このエントリーは、「自分の経験した事実は……だった」という記録を残す意味で書きました。

現役の学生・院生の方、卒業したり修了したりして間もない方、教職員の方が、これから何か書かれることに期待しています。
「私学だからコピペ文化は仕方ないんだねえ」
で私学全体が見られる可能性に対して、きっちり反論してほしいです。怒ってほしいです。ご自分たちの身に降りかかった火の粉なんですから。続きを読む

ある査読の内輪話

1990年代前半のことですが、私、何回か論文の「査読」ってことをした経験があります。
正確にいうと、上司のところに来た査読依頼を、部下が手分けして査読したんです。
論文誌ではなく 、半導体シミュレーションを専門とする国際学術大会の予稿集に掲載される予稿でした。
予稿とはいえ一応は論文の体裁が求められていました。ボリュームは少なめ(2ページか3ページか)でしたけど。
「学術大会の予稿集」もピンキリです。査読はあったりなかったり。分量についても、日本語の数百文字から、数ページの論文の体裁(英語で)を求められる場合まで、さまざまです。
査読があり、一定の分量の予稿を求められる場合には、「予稿集に掲載された」 が論文誌同等の実績とみなされることもあります。

私の関わった査読のうち最も厳しいものでは、100件の応募のうち20件程度が通っていたかと思います。
この数字だけ見ると、
「厳正な審査によって」
「厳しい競争」
というイメージが思い浮かべられそうなところですが、実態は
「箸にも棒にもかからないのを落としていったら80%が落ちた」
に近いところがあります。
どんなふうに箸にも棒にもかからなかったかというと、

・「Thus,(ゆえに)」と言っておいて、前段で述べてきたことと矛盾する記述をしていたり。はあ?
・ グラフがあるのに、そのグラフが本文中で言及されていない。なんのためにそのグラフ貼ったの? 文章とグラフのある論文っぽい体裁を整えるため?
・本文注で「図1にあるように」と書かれているんだけど、その「図1」がない。あとで貼ろうとして忘れた?
・「まったく新規」と主張しておられますが、その研究は数年前から既存ですぜ? どこに新規性があるの? 「ここを改良した」「ここのアプローチを新しく試みた」ならまだ分かるけど、そういう話でもないし。
・そもそも論文のフォーマットになってないし!

という感じです。中高生の自由研究でも「ちょっとね……」でしょ?
私は、著者が誰であるか・著者のボスと自分の上司がどういう関係にあるかは、知っていても見ないふりをして、ただ内容を見ました。で、「ダメだこりゃ」と思ったら、遠慮なく悪い点をつけていました。もちろん、良い点をつけるにしても悪い点をつけるにしても、根拠をコメントしておくわけです。
提出された上司が、私の採点をそのまま使ったのかどうかは知りません。でも、「ダメだこりゃ」で悪い点をつけたものが通ってしまって発表されていた……に類する経験は一度もありませんでした。この上司には、私は「ここまで人を嫌うということがあるか」というほど嫌われた末、「彼女が会社を転覆しようとしている」という噂を流されたり横領の冤罪をされたりとか(やってないという証拠があったので助かりましたが)した末に退職に追い込まれました。上司は私の採点に対して、「時間がないのでそのまま通す」という判断をするのでなければ、「誤っている」という前提でチェックしたはずです。その上司でさえ覆せない判断だったということでしょう。

解せないのは、
「なんでそんな酷いのを応募してくるんだ?」
です。たぶん本人たちだって、通ると思ってないでしょう。
同僚たちと飲んで話題にしたところ、同僚たちの意見は、
「応募したという実績が必要だったんじゃないか」
「政治的に通してもらえると思っていたんじゃないか」
といったものでした。
どちらも、分からない理由ではありません。
研究成果が上がっていないときに「応募したという実績が欲しい(さもなくば研究ユニットの存続にかかわるかも)」ということは、充分に考えられます。であれば、
「どうせ落ちるなら、審査の厳しいことで知られている論文誌や学術大会で落とされたほうがいい、そうすれば『研究自体は進んでるのね』というイメージを与えられるし」
という計算をする人もいるかもしれません。
「政治的に通してもらえる」は、
「グラフが間に合わないけど、あとで上司を通じて査読者にゴニョゴニョしてもらって予稿差し替えてもらうこともできるから」
などということです。大いにありうることです。学会誌・学術発表の厳守のはずの締め切りとか、できないことになっているはずの予稿の差し替えとか、「えらいひと」のゴニョゴニョで結構なんとかなっちゃうんですよ。その現場は何回も見ました。「自分以外の(男性の)同僚は与れる恩恵、自分にだけは全然関係ない」という形でですけど。このエントリーで触れている「査読」を受けた上司は、半導体シミュレーションの業界では結構なネームバリューと影響力のある人でしたからね。

「査読」といっても、本当に内容はいろいろです。
そのことを知って欲しくて、このエントリーを書きました。 

小保方晴子さんについて:話題にすることをやめよう

小保方晴子さんの書かれた論文等で剽窃が行われたこと、ほぼ間違いないようです。
研究倫理にもとるとかどうとか言う以前に、オバハン元低レベル研究者である私は、「なんとお粗末な」と口あんぐりです。
STAP細胞についても、さまざまな疑惑が持たれています。 ただ、私があまりにも門外漢すぎるため、内容がよくわかりません。生物学に詳しい友人たちに「教えて」とおねだりして、少しずつ教えてもらっている段階です(「幹細胞て何?」「それって、細胞の中にあるもの? 外にあるもの?」から説明するはめになった友人の皆さん、お手数おかけします)。
政府も、理研に調査を要請したようです(こちらの日経報道など)。 正直
「なんで今ごろ? なんで政府が? 」
と思います。「尻馬に乗る」という言い回しさえ思い浮かべてしまいます。

STAP細胞自体が出来たのか出来ていなかったのか、何か他の細胞との取り違えじゃないのか、実験手順に不正があったんじゃないか……といったこととは無関係に、小保方さんは研究者としては再浮上できないでしょう。
やってしまったことに対する社会的制裁としては充分、いや、もう充分以上かと思われます。
いずれ、科学界でも調査と制裁が行われることでしょう。

だから今は、話題にすることをやめませんか? 
居酒屋でも井戸端でも床屋でもSNSでも。
研究不正はいけません。「不正」なんですから。
必要以上の社会的制裁を「世間」が加えることは、「不正」とは呼ばれませんが、正しい行為とはいえないでしょう。
研究に倫理を求め、研究者に良心を求めるならば、求める側が倫理的かつ良心的であるべきではないでしょうか。

だから、当面、小保方さんを話題にすることはやめませんか?
小保方さんについて、口をつぐみませんか?
早晩、理研・早稲田大学などが調査を行い、適切な制裁が行われるかと思います。
小保方さんが研究の世界から追放されるのは、仕方ないことです。といいますか、ご自分の行為がご自分にふりかかってくるのは、大人として、一人の研究者として、当然のことでしょう。
でも、小保方さんを、ありとあらゆる場で生きていけない人にしてはいけません。 
研究の世界では生きていけないとしても、社会のどこかに居場所を作ってリスタートを支援すること、社会の義務ではないですか?

とりあえず私、自分自身の「倫理」「良心」の現れとして、当面の間、小保方さんを話題にすることはやめます。
STAP細胞に関する「あれは何?」は、引き続きぼちぼち勉強しますけど。 
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(共著 2009.10 技術評論社)

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