みわよしこのなんでもブログ : 科学

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ライター・みわよしこのブログ。猫話、料理の話、車椅子での日常悲喜こもごも、時には真面目な記事も。アフィリエイトの実験場として割り切り、テーマは限定しません。


科学

[サイエンスライティング]AAAS年次大会にプレスとその他で二重登録はできるか?

年に一度の科学の祭典、AAAS(米国科学振興協会)年次大会では、無料かつ数多くの特典があるプレス登録にあたって、結構きびちい条件が課せられています。
その「きびちい条件」をクリアして、2011年以来、プレス資格で参加登録して、毎年参加しているわけです。
ところが2014年度から、私は立命館大学先端総合学術研究科の大学院生もやっておりまして、2015年2月2016年2月と、大学院生として、研究テーマである「生活保護基準のはどうやって決められるのか」についてポスター発表してます(2016年の方は、これからです)。
ポスター発表するにあたっては、有料カテゴリーでの登録が必要です。
過去、理科教材開発について発表した時は、プレス登録に加えて一般参加者(発表する日のみ)としても登録。
2015年2月の発表のときも、プレス登録に加えて学生として登録。学生のカテゴリーでの発表ですから、そうするのが自然だろうと思うんですよね。ポスター発表は学生カテゴリー・一般プロフェッショナルのカテゴリーに分かれていて「学生や院生なら、まず学生カテゴリーに応募するように」と要項に書いてあります。もしも指導教員が許可しなかったら一般カテゴリーで出してもいいよ、という一言つきで。
で、2015年まで、問題になったことなかったんです。
オンライン登録のときに「あなた二重登録しようとしてますけど、本当にいいんですか?」と聞かれるし。
向こうも、二重登録していることは認識しているわけです。

ところが、今年9月か10月、予稿を投稿するかしないかという時になって、「誰に」「どこで」とは言いませんが、科学コミュニケーション界隈の一部に、私のこの「二重登録」を問題にしようとする動きがありました。「問題にする」ったって、日本からAAASに働きかけてルールを変えるなんてムリですけど、日本で噂話として問題にだけで充分に気持ち悪いし怖いし。生きた心地がしませんでした。
立命館大学の指導教員にどう相談したものか見当もつかず、
「予稿を提出したものの、プレスと学生の二重登録が問題になり、プレスとしても学生としても参加できなくなり、もちろん過去の発表およびプレス登録についても問題にされ、二度とAAAS年次大会には参加できなくなる」
という最悪の成り行きを恐れました。いや怖がり過ぎだとは思いますが、誰も問題にしてないことを問題にしたがる理不尽な人は、同じように理不尽な人たちを「まあひどい」「まあひどい」と同調させますから。
日本の科学コミュニケーション界隈で私は生きていけなくなるのかもしれない、とまで怖れました。
「猫の瑠(7)を見送るまでは生き恥を晒して生きて、それまでは死ななくちゃ。でも、瑠はあと何年生きるんだろう? 10年? もっと? そんなの永遠と同じだ、生き地獄だ」
などと毎日何回も考えてしまい、その最悪の成り行きを思い浮かべながら涙を流しながら眠りにつき、目が覚めれば
「ああ、どこでも生きていけなくなる私が、また生きて目を覚ますなんて」
と涙ぐみました。

本題には関係ありませんが、猫の瑠(7)です。
カメラ嫌いの彼ですが、昨年9月、非常に写真映りよく撮れる機会がありました。
アニコムペット保険用20150920_2


生きた心地もせず、そんな毎日を過ごしながら、悲しさと情けなさと悔しさで泣きながら予稿を作成し、投稿。採択されました。上記の「最悪の成り行き」は起こってしまったら自殺の理由にもなりうるくらいのことではありますが、起こるかどうかもまだ分からないのにね。
予稿が採択された後で、
「既にプレス登録しているんですが、この発表のために、学生としての登録も行うことには問題ありませんか?」
とAAASに問い合わせたところ、
「違う目的のための別々の登録、しかもポスター発表のための登録は有料なんだから、何ら問題ない」
とのお返事。
そりゃそうだ。利益相反など発表者としての倫理にもとるわけではないんだし。
「プレスがポスター発表をするのがいけない」というルールも、過去に存在したことがありません。現役のプレスの人がサイエンスコミュニケーションに関する発表をしていた事例もありますし。
私が思っていた「当たり前」が、やはり「当たり前」であっただけです。
ほっとしましたが、一気に脱力しました。
私は、何をそんなに怖れたのでしょうか。冷静に考えれば、そこまで怖れるには値しないはずなのに。怖れていた真っ最中も、それは頭ではわかっていたはずなのに。

というわけで、安心して登録して、今年も参加しております。
今日が初日です。

STAP細胞問題に関する現在の考え

STAP細胞問題に関する現在の考えをメモしておきます。

  • 何が問題なのか
    問題は、中心人物であるOさんの出身大学での教育・学位審査と理化学研究所での採用プロセスの二点に尽きていると思います。その他は正直なところ、私にとってはどうでもいい話です。

  • これから、どう議論されるべきなのか
    何がどのように行われたのかは、既にかなり明らかになっています。
    議論は「その世界が抱えている構造的な問題がどのように影響して、このような問題が起こったのか」「組織の運営体制がどのようなものであり、どういう問題があったのか」「どうすれば再発を防止できるか」に移るべき段階だと思います。

  • Oさん個人について
    弁護団もいるし、しかるべき治療も受けているようだし、味方もあちこちにいるようだし、今はあまり心配していません。先日の会見の動画をちらっと見て、思ったより元気そうだったので安心しました。研究者としての今後の可能性については厳しい見方をせざるを得ませんが、生き延びてキャリアを展開していく道は他にも数多くあるでしょう。
    Oさん、元気でね。

  • これから注意すべきこと
    過度の一般化が行われないように、研究業界や研究マネジメントにあたる人々を注意深く監視すべきだと思っています。不正の可能性を監視すべき、と言いたいのではありません。その逆です。
    「研究者というものは不正をやらかすものである」「厳しく監視すれば不正は起こらない」といった短絡的な発想による管理強化が、既に始まっているという話を聞いています。
    今回の出来事は非常に衝撃的でした。関わった研究者たち個人にも、マネジメント体制にも、マネジメントを行っていた人々にも問題はあったでしょう。でも、真面目に真っ当に研究を続けてきた研究者や管理者まで「一罰百戒」として巻き込むべきではありません。


実験の再現性と研究ノート

結論からいうと、
「研究ノートをきちんと残していない人が、難しい実験を再現できるとは信じられない」
です。

私は21歳のときから研究の現場で実験テクニシャンとして働いていました。
実験ノートは几帳面すぎるほど細かくつけていました。
当時(1985年ごろ)は実験室にパソコンがあるわけではなく、画像記録はポラロイド写真全盛でした。そのポラロイド写真をノートに貼り付けたりとかして、画像も込みで結果を記録していました。
それでも、自分の実験ノートを見てさえ、「再現できない」「他人に伝えられない」はよくありました。

確かに、微妙なコツのようなものによって、成功する・しない が分かれることはあります。
私が他人に伝えることに苦心したのは、半導体デバイスの断面写真を撮影するための段差エッチングでした。割っただけの断面は平面ですから、電子顕微鏡写真を撮ったときに「ここは周囲と違う組成です」をはっきりさせる目的で、断面に組成による段差がつくようにエッチングするんです。
私は研究員に教わって、自分もそのとおりに段差エッチングを行うことができました。
ところが大学の卒研生がやってきたとき、自分がやっている通りに教えても、彼らは出来るようになりませんでした。エッチングが足りなさすぎたり、逆にやりすぎていたり。
「ブツをエッチング液に漬けて、引き上げ、水に浸して洗う」
という手順のどこかに、私はできるけれども彼らはできないポイントがあったようです。
私は何回も実験ノートを見なおして、伝えきれていないのは何だろうかと考えました。ただ、その半導体デバイスは非常に脆いもので、ピンセットで壊さないようにつまみ上げるだけでも結構な習熟が必要です。おそらくはエッチング液から引き上げるときの角度・引き上げてから水に浸すまでのわずかな時間の違いといったところがネックとなっていたのでしょうが、伝えることはできませんでした。

考えられる限り、自分のやっていることを細かく記録したノートがあってさえ、他人に実験の手順を伝えるのは結構大変です。
ましてや難しい実験で、特別なコツが必要であればあるほど、
「ノートがないのに再現できる」
「ノートがないのに他人に伝えられる」
ということは考えにくいのです。 

実験スーパーテクニックの持ち主を過信することの危険性

STAP細胞問題では、一時期、
「中心となった研究者が素晴らしい実験テクニックを持っているのではないか」
という意見が散見されました。 
2002年に問題となったシェーン事件でも、当初、中心となった研究者の素晴らしい実験装置・素晴らしい実験テクニックによって成し遂げられた成功である可能性が取り沙汰されました。
Wikipedia:ヘンドリック・シェーン 

私は、実験における個人的テクニックの重要性を否定するつもりはないのですが、
「特別な実験テクニックを持った個人だから成し遂げられた」 
という物語に対しては懐疑的です。
実験テクニックでなくとも、「特別な個人だからできた」 と見ることに対して問題を感じるのですが。

かくいう自分、20代前半のころ、化合物半導体の分野で、
「これが出来る日本で2人のうち1人」
だったことがあります。
当時の私は、研究所の実験テクニシャンをやっていました。
実体顕微鏡を覗いて、手にカミソリの刃を持ち、目視で 0.25 mm × 0.25 mm × 0.1 mm というサイズにレーザダイオードを切り出す、という技の持ち主でした。目も良かったし、手先が抜群に器用でした。ちなみに、「日本に2人」のもうお1人、当時、日立中央研究所にいらした女性は、しばらく後に結婚退職したと聞いています。私は日本で1人になりました。

それは大変危険な状態です。
日本に何人もいないスーパーテクニックの持ち主である器用な個人に、研究が分野まるごと依存することになるわけです。
そして、そういう個人を雇用できない場では研究ができないわけです。

私が「日本で1人」になったころから、そのスキルを補うちょっとした装置や道具の工夫が数多く行われるようになりました。当時の「応用物理」誌の「技術ノート」(だったかな)というコーナーに、よく掲載されていたのを記憶しています。
その翌年ごろから、その手のスーパーテクニックは「お呼びでなく」なりました。装置や道具に置き換えられてしまったからです。

個人のスーパーテクニックに依存する状態は、長く続きませんし、長く続くべきでもありません。
もちろん、実験スーパーテクニックを持つ研究者やテクニシャンは数多く存在しますし、そういう人々による研究も存在します。しかしそれらは、そういう力量を持つ人を育成するシステム・長期に活動させつづけるシステム……というものがあって出てくるタイプの研究です。30歳にも達しない実験の天才がが「ぽっと」現れて超絶的な研究成果を上げるということは、あまり考えられません。
30歳未満の人の研究が、その人個人の持つ特殊な何かに依存して成立しているという状況は、それ自体がかなり不自然です。 
研究の現場の経験があれば、
「あの研究者の個人的な実験スキルが卓越していたので成し遂げられたんじゃないか?」
説は、「瞬間的に眉唾」ものであろうと思います、が……。

今回のSTAP細胞の一件で、そういう意見を科学界からあまり見かけなかったこと、非常に不思議でした。 

「外の人」として研究機関をどう見るか

STAP細胞問題について、理化学研究所が調査結果を発表したようです。典型的な「トカゲの尻尾切り」に見えます。個人が問題多い行為をしたということは事実です。では、体制は? 上司たちは? 何も問題がなかったというのでしょうか?
これで「科学コミュニティはきちんと対応しました、信頼してください」と言われても? というのが正直なところです。

今日は、「外の人」としての自分が研究機関をどのように見るかについて書いてみます。
「外の人」としての研究機関との接点のうち最大のものは、「中の人」との対人的接触です。
以下は、私が「中の人」の言動を通じて研究機関を見ようとするときに、気にしているポイントです。

1. どのような人が、どのように採用されているか 

現在の自分はライターなので、科学コミュニケーション・広報といった部門の方と接する機会が自然と多くなります。
科学を何らかの形で対象としている方は、フリーランスも含めて多くはなく、たいへん狭い世界です。
人となり・実績・仕事ぶりといったものは、良くも悪くも互いによく知っています。
とはいえ、人間ですから、能力・評判・実績に凸凹があるのは当然のことです。
長所を評価されての納得できる人事もあれば、どういう基準でその人がそこに採用されたのか良く分からない人事もあります。

2.採用された人が、どのような待遇を受けているか 

「待遇」は、肩書や給料も含みますが、それだけではありません。
採用時の労働条件その他の約束は守られているでしょうか? 有期雇用で身分が不安定なうえに、「すぐにいなくなるんだから」ということで厄介事や本来ないはずの責任まで押し付けられていないでしょうか? その人が採用された理由にふさわしい職務を割り当てられているでしょうか?

3.採用された人が、採用の前後で言動を極度に変えていないか

2つの意味があります。
個人としての活動に対して、「組織人でもある」ということを考慮したときに当然である以上の制約が加えられていないでしょうか?
また、その人は、採用されたあと、組織の「威を借りる」というような言動が目立つようにはなっていないでしょうか? それは「その人個人の本性が現れた」 である可能性もありますが、組織の体制を無意識に反映している可能性の方が高いです。

4.採用された人が、組織とどのように付き合っているか

無関係な場所でまで、組織や自分の上司の威光を振り回すような人の存在が目立つ研究機関では、
「不正行為が問題視されることなく積み重ねられていって、ある日大騒ぎに……」
という確率がいくらか高い気がします。
そんなことのために組織の身分や名刺が与えられているわけではないことを理解できない個人の問題である以上に、そういう勘違いをただせない組織の問題というべきでしょう。

5.採用された人は、「外の人」「身分が下の人」に対してどう付き合っているか

「中の人」「身分が上と考えられる人」に対する態度と、「外の人」「身分が下と考えられる人」に対する態度が、同じ人間に対するものと思えないほど違う方、ときどきいます。そして、そういう方が数多く目立つ組織に対しては、人というよりは組織に対して疑問を感じます。
女性の障害者、しかもフリーランスのライターという私の立場は、そういう方の存在を「あぶりだす」ようなところがあります。つまり自分が差別や疎外に遭うということで、それはそれで辛いものはありますが、最近「そういう立場であることは利用できる」と考えるようになりました。その気にならなくても、ご本人たちが隠しておきたいホンネの部分を見せていただけるのだ、と。

結局は、妥当な人事・妥当な待遇といったものを積み上げていくことが基本でしょうか。
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「おしゃべりなコンピュータ
 音声合成技術の現在と未来」
(共著 2015.4 丸善出版)


「いちばんやさしいアルゴリズムの本」
 (執筆協力・永島孝 2013.9 技術評論社)


「生活保護リアル」
(2013.7 日本評論社)

「生活保護リアル(Kindle版)」
あります。

「ソフト・エッジ」
(中嶋震氏との共著 2013.3 丸善ライブラリー)


「組込みエンジニアのためのハードウェア入門」
(共著 2009.10 技術評論社)

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