みわよしこのなんでもブログ : 日常生活

みわよしこのなんでもブログ

ライター・みわよしこのブログ。猫話、料理の話、車椅子での日常悲喜こもごも、時には真面目な記事も。アフィリエイトの実験場として割り切り、テーマは限定しません。


日常生活

レノボさん、ありがとうございます!

私は2000年ごろからずっと、ノートパソコンをThinkPadにしています。
当時PC-UNIX使いだった私にとって、
「OSSコミュニティによるサポートがされるかどうかという問題で悩まずに済む」
という魅力とトラックポイントは、代えがたいものでした。

2011年秋に買ったThinkPad T420、まだまだ延命できそうな感じなので、新しい9セルバッテリーを購入することにしました。電源取れるかどうかわからない場所での取材を含んだ海外出張を予定していましたので。
電話で注文すると、
「中国から取り寄せるので、2週間くらいかかりますかねえ」
というお話。
「あ、それじゃ、 出張前には間に合いませんね。帰国は●日ですから、それ以後に送っていただければ」
とお願いしたところ、
「出発はいつですか?」
と聞かれました。
「×日です」
とお答えすると、
「うーん、それは間に合わないですねえ……」
まあ、そうでしょうね。

ところが3日後の昨日、なんと! 届いたのです。
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新しい9セルバッテリー君! 待ってたよっ! さあ、君も一緒に出張しようね。
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どこかにあるかもしれない国内在庫を探していただいたのか、何かのついでに急送便に紛れ込ませて輸入していただいたのかは分かりませんが、ありがとうございます。

軽くてストローク浅めのキーボードとトラックポイントが欠かせないので、ThinkPad Tシリーズを長年愛用していますが、次の買い替え時もレノボに!(そしてThinkPad Tシリーズ以上を) と決意したひとときでした。

次期ノートパソコン候補。価格が高いので、なかなか踏みきれません。


デスクトップでもLenovo以外のノートパソコンでも、ThinkPadキーボードを使いたい。
そんなニーズに応えてくれるキーボードです。
しかしキーボードというものは、実際に触ってみないと油断なりません。
なかなか店頭に触りに行く機会がないまま、販売されてから相当の時間が経ち、いまだ購入できずにいます。


関係ありませんが、バッテリー一個ではしゃぐ母を無視して眠る、猫の摩耶です(もうすぐ17歳2ヶ月)。
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「庶民感覚」「主婦感覚」「当事者感覚」って、そんなに大事?

「庶民感覚」「主婦感覚」「当事者感覚」は、私がどうにも違和感を感じてならない言葉です。
それはいったい何なのでしょうか? そんなに大切なものなのでしょうか? 

そもそも、「庶民」「主婦」「当事者」の範囲を定めるのは至難の業です。
たとえば、「庶民」の年収の上限はどの程度なのでしょうか? 
世帯年収が1000万円あっても
「家のローンと子どもの教育費で生活が厳しく、交通不便な地域に住んでいるため自動車を手放すわけにもいかず、スーパーで見切り品の食材ばかり購入している」
というケースは考えられます。
この一家は「庶民」なのでしょうか? そうではないのでしょうか?

「主婦」もそういう言葉ではないでしょうか。
「主婦」が意味すると誰もが考える内容は、「女性である」「家計を預かる」「家事・育児を担う」であろうかと思います。しかし、家計に対する責任範囲や権限も、家事・育児に関して行っているものごとの範囲も、各人各様でしょう。

「当事者」はさらに危ういものを含んでいると思います。
「障害当事者」でも「生活保護当事者」でもなんでも、すべての「当事者」は、「当事者にならないと分からないこと」を大小なりとも経験していると思います。
それでも、「自分は当事者だから言える」「当事者ではないあなたには分からない」と主張することは、自ら伝えることを放棄しているも同然だと思います。
もう一つ問題があります。
たとえば「障害当事者」には、難聴であることは確かだった佐村河内守氏は含まれるのでしょうか?
「生活保護当事者」には、漏給層(生活保護基準以下で生活している方々)は含まれるのでしょうか?
「当事者だから」「当事者ならでは」という主張は、同様の困難を抱えている人々を排除する可能性もあります。

もう一つ。
これらの「……感覚」は、包摂の文脈ではまず使用されません。排除や非難の文脈で使用されます。
例としては
「◯◯議員が6泊7日の海外出張に200万円を使用した、庶民感覚からして許しがたい」
という主張をあげることができます。
確かに、出張・滞在費としては高くついていることは否めないでしょう。私は14日程度の米国滞在を毎年行っていますが、総経費は多くても20万円以下に抑えています。
しかし、公務での出張であれば、旅費を安く抑えることよりも効果を求めるべきではないでしょうか。
20万円で100万円の効果しかあげられないのと、200万円で1000万円の効果があがるのは、どちらがよいでしょうか?
エコノミークラスでロクに眠れず時差ボケに苦しんでいる状態で現地での公務に向かってもらうのと、ビジネスクラスでじっくり眠って爽やかに目覚めて現地で公務に向かってもらうのと、どちらがよいでしょうか? 多額の費用をかけて選出し、一般サラリーマンの感覚に照らせば多額の報酬を支払っている議員です。報酬以上にしっかり働いて結果を出して貰ったほうがよいのではないでしょうか? 
そして、社会にどれだけの結果がもたらされたか評価して、次の選挙で投票したりしなかったりすれば良いだけの話ではないでしょうか? (現在の小選挙区制度は、その評価を妨げているのですが)
そこに「庶民感覚」を持ち出す必要は、全くないと思います。

「庶民感覚」「主婦感覚」「当事者感覚」とも、私は使わない用語です。
自分の経験に基づく「感覚」に依拠して、その「感覚」を持ち得ない誰かに対して何かを主張することは、伝わらない・受け入れられないという結果を自ら選択しているも同然です。
もちろん、収入面では紛れもなく「庶民」に属し、家計家事をマネジメントしているという意味で「主婦」でもあり、障害「当事者」でもある自分は、それらの経験や、経験に基づく感覚を持ちあわせています。
しかし、その感覚をもって自分の正当性を主張したり、相手に仲間と認識することを求めたり、その感覚を持ち得ない人を排除するようなことはしたくありません。
「消費税が5%から8%になることの打撃は、富裕層出身の政治家である貴方には分からない」
と声を荒らげるのは、
「障害基礎年金の他に若干の就労収入があり、生活保護基準に比べれば相当の余裕のある生活をしているけれども経済的に充分な余裕があるというわけではないという状況にある自分にとっては、消費税が5%から8%になることの経済的インパクトは、たとえば野菜の購入を……だけ控えるという形で現れている」
と説明して、「それでも全く伝わらなかった」という結果が出た後で充分だと思うのです。

貧乏なとき、私は下着をどうしていたか

2005年に運動障害を抱えた私は、2007年に障害者手帳を取得するまで、障害者福祉を利用できませんでした。
2008年12月に障害基礎年金を受給し始めましたが、障害によるさまざまなダメージが次のダメージを呼び寄せ……という感じで、著述業は開店休業に近い状態となっていました。
さまざまな事情により、2011年まで、「職業によって収入を得て生活している」とはいえない状況が続きました。
(参考 みわちゃん・いんふぉ:低収入だからこそ手放せなかった自己決定

使えるお金が少ないとき、何から削るかは人によりますが、
「まずは衣類、特に下着」
という選択をしている(していた)方、多いです。
社会生活が可能な外見を維持するために、他人様からは見えない部分を削るわけです。

では、私はその2006年~2011年の期間、下着をどうしていたか。
  • 上半身
この期間、下着は一枚も購入していません。
そもそも、ブラジャー以外の下着を着用する習慣は持っておらず、綿シャツやカットソーを素肌に直接着ることを好んでいました。
綿シャツや洗いざらしたTシャツの肌触りが大好き。下に何か着ることを「もったいない」と感じるほどでした。
さらに、化繊の下着やレースで肌がかぶれたりもしていました。レースつきの下着なんぞ着ようものなら、レース部分がチクチクして痒くなったり赤くなったりします。汗をかく場面では特にそうでした。20代から30代にかけて音楽活動をやっていた時期には、「ステージ用」と割りきって、一般的な女性もの下着を1枚か2枚だけ持っていた記憶があります。
2006年以後は、ブラの着用が自力でできなくなりました。しかし、2007年から2012年にかけては大学院生もやっていました。周囲は教員も学生も男性ばかりです。ノーブラというわけにいかないので苦労しました。
そのころ、ユニクロのブラトップが出現して評判になっていました。欲しいと思いましたが、当時の私には高価すぎました。似たようなものをネット通販で探すと。1枚500円のブラトップが見つかったので購入してみました。ところが、サイズは「着られる」ものであったものの、バストトップの位置が全く合わず、使えませんでした。
ヘルパーさんの来訪がない日には、私はブラを着用できません。そういう日はノーブラにならざるを得ません。しかし乳首が出るのはまずいので、ジャケットや羽織りものを着用して隠していました。暑くてもジャケット類は脱ぎませんでした。というか、脱げませんでした。
ユニクロのブラトップなら少しの決心で買える程度に経済状況を立て直し、店舗に行って試着してみる程度に時間と気持ちの余裕ができるまでは、そういう状況が続きました。
  • 下半身
衣服を長持ちさせるスキルには自信のある私ですが、パンティはそうは行かないので困りました。古着屋さんでも入手できませんしね。
42歳で障害を抱える以前の私だったら、裁縫が得意でしたしミシンも所有していましたから、「捨てる前のTシャツをリメイクする」などの方法がありえました。ところが、その手は使えないわけです。
私は45歳で閉経しました。更年期障害がどうなるかとビビっていましたが何もなく、単に閉経しただけでした。ただ、44歳ごろから月経周期がメチャクチャになりました。ほぼ常時「来ている」状態が数ヶ月続いた後に、2ヶ月おき・3ヶ月おきに「来て」、いつのまにか全く「来なく」なった、という感じでした。
44歳の夏は常時、大判のナプキンを装着したままで過ごしました。リース品(当時まだ公費支給を受けていなかった)の車椅子の座面を血液で汚すのは非常にまずいですから(もちろん、自分の衣類の洗濯物を増やしたくもありませんでしたが)。すると、局部がかぶれてしまいました。詳細は語りませんが、大変なことになりました。
そこで思い浮かべたのが、当時流行し始めていた「布ナプキン」です。布ナプキンそのものを利用して清潔を維持するのは当時の私には不可能でしたが、布の吸収力を利用すればよいわけです。さらに私は、車椅子で座ったままです。かさばる何かが股間にあったからといって、外見が大きく変わるわけではありません。というわけで、フェイスタオル1本分くらいの吸収力ある素材のボロ布を常時、布ナプキンがわりにパンティの内側にあてがい、使用後は捨てていました。そういうボロ布を2~3枚持ち歩いていれば、一日をなんとか凌ぐことができました。
味をしめた私は、このアイディアを閉経後も利用しました。
大判の紙ナプキンくらいの大きさに切ったボロタオルを用意しておき、生地の伸縮を考慮しつつ、パンティの股間の前後にざっくりと縫いとめておきます。とりあえず、前と後ろが止められていてズレなければ充分です。玉止めは縫い始めだけ。縫い終わりはそのまま。外しやすくするためです。 この程度の「裁縫」なら、当時でも可能でした。
目的は、パンティの股間がゴワゴワガビガビ化することを予防したり、そうなってしまったパンティをいくらか快適に使うことでした。縫いとめたボロタオルは、洗濯する前に外して捨てました。

2007年、少しだけ余裕があったときに、ネット通販で10枚1000円のパンティを買いました。送料を含めても1500円くらいだったでしょうか。
私は上記の方法で、その10枚をなるべく汚さないように扱い、2011年まで使っていました。
今は、3ヶ月に2枚くらいは新品を購入することができています。むしろ積極的にそうするべきなのだとも思います。しかし、新品をおろして古いものを捨てるたびに胸が痛みます。この程度のことを「ゼイタク」と自分に戒めざるを得ない女性、「あれかこれか」と悩んだ末に選択している女性は、現在の日本にも少なくとも数百万人はいるのでしょうから。

恋愛に関心があって「脱がされる」可能性があれば、まず、こういう工夫はありえないと思います。
でも私は恋愛にまったく関心がありませんでしたし、もっと優先したいことがたくさんありました。
仕事、学業、 猫たち、もちろん自分自身。
「猫たちも仕事も学業も自分自身も守りつつ、新品のパンティを充分に購入する」
は簡単には実現できなかったので、こういう工夫でしのいだのでした。 続きを読む

低収入だからこそ手放せなかった自己決定

私が運動障害を抱えるようになったのは、2005年秋、42歳のときでした。
フリーランスになった2000年から2005年にかけて、私は年収300万円~500万円程度の線を維持することができていました。
ちなみに1990年から2000年までは会社員でしたが、手取り年収はほぼ毎年、200万円台後半でした。300万円を超えたのは1991年だけです。単身・女性で(事実婚してましたが会社は一応知らない)、猫がいるので寮も社宅も利用せず、妻子のいる男性社員を前提といた数々の手当の対象には最初からなれず、必要のない残業を一切せず、フレックスタイムは最大限に活用し(フレックスタイムは「あっても利用しない」が望まれていました)、「女は家に」と主張する上司からは徹底的に嫌われており……となると、バブル期でもこんなものでした。
だから、心から「会社辞めてよかった」と思っていました。セクハラ・パワハラを日常的に受ける環境から自由になり、猫たちと一緒に日常を過ごしつつ仕事をしてワーク・ライフ・バランスの取れる生活を営むことができ、しかも収入アップ。
ところが運動障害を抱えることで、収入の前提となっているものの多くが失われてしまったわけです。
幸い、私の仕事の中には著述業が含まれていました。「含まれていました」というのは、著述業で得る収入の比率にも大きな波があったからです。
著述業は、障害によるネガティブな影響を少なくすることが比較的容易な職種の一つではあろうと思います。また、どちらかといえば軽視・軽蔑の対象となるゴーストライティング・事前リサーチ・音声起こしといった仕事に対しても、あまり抵抗を持っていませんでした(特に同業の他人様のインタビュー音声起こしは、とても勉強になって面白いです。余裕があれば、今でも時々ならやりたいくらいですが、なにぶん時間の余裕がありません)。
著述業を、または著述業の一部に分類される仕事を細々とでも続けてきた私には、「仕事も収入も全くない」という時期はありませんでした。「所得がない」または「所得が少ない」は、慢性的につづいていましたけれども。 
ちなみに、2006年~2012年の収入は、50万円~200万円程度で推移していました(所得ではなくて収入ですよ)。2008年からは障害基礎年金(1級)を受給し始めていたので、仕事での所得が50万円あれば生活保護水準に届くことになります。しかも自営なので、「収入が200万円で所得が50万円」という場面でも、給与所得者の「手取り150万円」に比べれば時間的にも経済的にも格段に余裕がある感じの生活を組み立てることが可能です(後記もご参照ください。給与所得者の価値観は捨てることが大前提です)。他にも、さまざまな幸運や支援がありました。大赤字だった年もありましたけど、猫の闘病も含めて、なんとか乗り越えてこれて……います。
生活保護の申請? 当然、何十回も考えましたよ。福祉事務所で申請を勧められたことまであります。ただ私は「もう一度大学院に行って博士号を取得し、博士号を前提とする次のステップを踏み出す」という希望を捨てたくなかったので、利用できませんでした。もし私が、大学院進学を前提としない将来像を考えていたり、あるいは、自分の将来の希望を大きく捻じ曲げずに生活保護を利用することが可能なのであれば、利用していたと思われます。いわゆる「スティグマ」は、自然に障害者自立運動に馴染んでいた私には全くありませんでしたから。
そんなわけで、猫の医療費・自腹の場合の取材経費を除くと「お金がないので困る」とか「カネがないのは首がないのと同じ」とか感じた経験は数えるほどしかないのですけれども、少なくとも「お金が充分に使える」という感じではありませんでした。今でも、お金を使うことには恐怖とためらいを感じています。

では、使えるお金が少ないとき、どこから削るか。
当時の私の場合、削ってよいと考えられる順位は
  1. 趣味・楽しみ・他人が「生きがい」と考えることがらのうち、「死守する必要はない」「代替手段がある」と考えられる部分+むしろ「世間様にとやかく言われる」予防のために戦略的に手放すべきと考えられる部分
  2. 衣服のうち、他人からは見えない部分
  3. 食のうち健康維持への寄与が少ない部分 
  4. 日常的な気晴らし(ゲームセンター通いとか)
  5. 衣服のうち、他人から見える部分
  6. 住のうち「見栄」に属する部分(これは「もしあれば」の話。実際にはなかった)
  7. 生産にかかわるもの(書籍・資料・PCなど作業に必須の機器を含む)のうち、代替出来る部分(図書館で利用することの可能な書籍など)
  8. たまの気晴らし(映画・外飲み・ライブなど)
  9. 住のうち日常のQOLに関わる部分
  10. 医療費。市販薬・マッサージ・サプリメントなどを含む。生産に対する効果という面から「選択と集中」。費用を抑制する。
  11. 猫に関する費用のうち、「安心料」に類するもの(フードの質を落とす・ワクチン接種の間隔を支障ない範囲で延ばすなどで対応)・何らかの代替手段があるもの
  12. 生産にかかわるもののうち、将来につながるもの(大学院の学費を含む)
  13. 住のうち仕事の生産性に関わる部分
  14. 食のうち健康維持への寄与が大きい部分
  15. 猫に関する費用のうち、生存・QOLに大きく関わるもの(医療費を含む)
という感じでした。
(交際費・通信費などは、目的・用途に応じて、1~15のどこかに割り振られる感じです)

この優先順位付けは、あくまでも私自身の価値観に基づくものです。しかも
「今なら自分自身だって、こうは考えないんだけどねえ」
という感じです。最下位の15位・14位は、今でもそうですけど。
もちろん、近親者その他の人々との間に、数多くの摩擦や対立を生みました。
でも私は、
「自分で考え、自分で決め、自分で選択する」
にこだわりました。
お金がないからこそ、自分の尊厳を守りたかったんです。自分の生活だけで大変だったからこそ、猫たちの楽しそうな姿と笑顔が大切だったんです。
私にとって、自分の尊厳の中心にあることは、
「自分で考え、自分で決め、自分で選択し、自分で行動し、結果を見て自分で考え……」
でした。そこには、猫も含めて誰とどのように暮らすか・誰とどのような関係を持つかが含まれています。
「自己決定を放棄するなら、ただ生きていることくらいは許してやってもいい」
というような干渉、何回も受けました。
そのたびに
「自己決定を放棄させられるくらいなら、誰にどのように放棄させられたかを明らかにして、放棄させた相手になるべく確実にダメージを与えられるように自殺する」
という決意を新たにしていました。
自己決定を放棄させようという強い圧力が加えられるたびに、私は自殺を決意しました。
実行しなかったのは、目の前に二匹の猫たちがいたからです。
猫たちを信頼できる誰かに託さずに自殺を実行することはできなかったから、「今日、今すぐ死ぬ」は先送りされざるを得なかったのです。
猫たちがいなかったら、私はたぶん、50歳の現在まで生きてこなかったと思います。

低収入のときにこそ、自己決定が重要。
社会的承認を得づらいからこそ、尊厳をもって扱われることが重要。
経験を通して、これらの実感にモチベートされているので、今の私は
「生活保護のくせに」「生活保護なのに」「生活保護なんだから」
の類に、全力で「No」と言いつづけています。
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睡眠導入剤だけに頼らない不眠対策

私に睡眠障害の傾向が現れてきたのは9歳ごろだったでしょうか。私は、寝付きが極度に悪い子どもになっていました。
当時の実家では、ダイニング・キッチンの隣の部屋に、子ども用の二段ベッドが置かれていました。その間を隔てていたのは、ふすま一枚でした。眠れなかった私は、母親が父親にさまざまな「大人の話」をするのを聞いてしまうことになりました。その中には、私に関する話もたくさんありました。今でもその恐怖をまざまざと思い出すことができます。ありもしない私の悪意、言ってもいない父親に対する悪口、やってもいない問題行動……といったものが母親の口からは次々と出てきて、父親はそれを「うん、そうか」などと聞いているのです。
それがきっかけで不眠になったのか、もともと寝付きの悪かった傾向が増幅されただけなのかは、はっきりしません。ただ私は「夜中に親が自分のことをどう話しているか」を考えただけで恐怖を覚えて寝つきにくい、という問題を抱えるようになっていました。「話す」「思う」だけならいいのですが、それが次にどういう行動に結びつくのか。考えただけで寒気がすることばかりでした。実家が増築されて親の近くで寝る必要がなくなっても、実家を離れても、その恐怖は続きました。ただの思い込みや思いすごしではなく、裏付けとなる現実が続いていた以上、恐怖を捨てるわけにはいきませんでした。

私は28歳くらいから睡眠導入剤を常用するようになりましたが、今にして思えば、問題の解決にはなっていませんでした。「焼け石に水」程度の効果はありましたが、「焼け石に水」でしかありませんでした。
私の睡眠の状況は、2012年ごろから顕著に改善してきました。2012年、母方祖母が98歳で亡くなったことをきっかけとして、血縁者との関係にはさまざまな変化がありました。その中で、私は両親に対して
「いつか自分も他のきょうだい同様に愛されたり認められたりすることがありうる」
という期待を、完全に捨ててしまうことができました。それで、劇的に睡眠状況が改善したのでした。両親との間に一触即発の状況が続いており、自分に「潰される」リスクが続いていることは、現在も大きくは変わりませんが。

まずは、

睡眠を妨げている具体的な問題があるのなら、それに正面から立ち向かい、何らかの見通しや方針を立てる

が重要であるということになります。

他に、私が試してみて効果あったものは

・頭寒足熱

足元に湯たんぽ(冬季)、頭に氷枕。

・眠りを誘う音楽

YouTubeに数多くアップロードされています。自分に適したものを見つけることは、どなたにも可能かと。

・適切なタイミングでの向精神薬利用

入眠予定の2時間前にメジャートランキライザーを、入眠直前に即効性のある「ソラナックス」などを利用するようにしています。

・入眠直前にPCやスマホの画面を見ない

我が家では、私がベッドに入ると猫が寄ってきます。猫と遊んでやったり撫でてやったりしているうちに、自然に眠りに落ちている感じです。自動的に猫とのスキンシップタイムとなり、PCやスマホは見ない状態で就眠前の30分程度を過ごしています。

ご参考になれば幸いです。
 
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著書です(2009年-)
「おしゃべりなコンピュータ
 音声合成技術の現在と未来」
(共著 2015.4 丸善出版)


「いちばんやさしいアルゴリズムの本」
 (執筆協力・永島孝 2013.9 技術評論社)


「生活保護リアル」
(2013.7 日本評論社)

「生活保護リアル(Kindle版)」
あります。

「ソフト・エッジ」
(中嶋震氏との共著 2013.3 丸善ライブラリー)


「組込みエンジニアのためのハードウェア入門」
(共著 2009.10 技術評論社)

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