みわよしこのなんでもブログ : メンタルヘルス

みわよしこのなんでもブログ

ライター・みわよしこのブログ。猫話、料理の話、車椅子での日常悲喜こもごも、時には真面目な記事も。アフィリエイトの実験場として割り切り、テーマは限定しません。


メンタルヘルス

それを「会話」とは呼ばない

2013年12月のFacebookへの書き込みを、本人のプライバシーに関する記述を全面的に改変したうえで公開します。
この本人とはすでに絶交しています。
しかし過日、私が貧困ジャーナリズム大賞を受賞したあと、本人が
「貧困の報道をやっている人に絶交された。自分が精神を病んでいるということが理由だ。その人だって精神障害者なのに」
という愚痴をネットでぶちまけていることを知りました。
彼女と絶交した理由は、彼女が精神を病んでいるからではありません。私にはいわゆる「メンヘル」や精神障害者の友人がたくさんいます。その友人たちは「精神を病んでいるからといって、みわよしこに絶交された」と聞いても「は?」でしょう。
 私は、何らかの障害を理由に人を遠ざけたり絶交したりすることはありません。経済状況も同様です。たとえば、生活保護を利用していることそのものを理由に人を遠ざけたり絶交したりすることはありません。
ただ、自分にとって有害なため付き合えない人とは付き合いません。自分が付き合いづらく消耗すると感じる人も遠ざけます。障害の有無・経済状況・その他の「フラグ」とは関係ありません。
「自分も障害者なのだから、相手が障害者である場合には、相手に傷つけられ続けることを拒んではいけない」
「職業として生活保護問題について書いているのだから、生活保護を利用している人のどのような理不尽も受け入れなくてはならない」
という理由はありません。
「自分が障害者である」と「障害者のワガママは許されるべきである」の間には、どのような関係もありません。
「自分が職業として生活保護問題について書いている」と「生活保護を利用している人の理不尽は許されるべきである」にも関係はありません。
言うまでもないことですが、「障害者(の全員)はワガママである」とも「生活保護利用者(の全員)は理不尽である」とも言っていません。というか、考えていません。
ただ、
「自分にとって有害であったり、自分にとって消耗のすぎる人間関係は、自分自身の生存と生活を守るために遠ざけたり減らしたりせざるを得ない」
と言っているだけです。
これは当たり前のこと、誰にとっても同じことでしょう? 
私が障害者だから、生活保護について書いているからといって、その「誰にとっても同じこと」を適用されない理由はないはずです。
 
ましてや、自ら「自分は障害者であるから、自分の問題ある言動は無条件に受け入れられるべきだ」という態度や主張を行う人は、自ら「私は危険人物です」と主張しているも同然なので、遠ざけます。
限りある人生の時間の中で、出会うこと・付き合うことのできる人の人数は多くありません。
出会いたい人と出会い、付き合いたい人と付き合いたい。
私にも、他のあらゆる方と同じように、そうする権利があるはずです。

というわけで本文です。
今日、FBFを一人削除した。

昨晩、彼女と会って会食し、あまりにも不快だったからだった。
彼女は40代前半の駆け出しライターだ。本当は少し違うのだが、そういうことにしておく。
仕事を選ばないので重宝され、今のところ仕事は順調なようだ。単価の高い仕事に食い込むのは難しかったり、単価切り下げなどの憂き目にも遭っているのだが、地方の両親の家に同居しているので就労を継続できている上、お金のかかる趣味を楽しんだりなどもできている。

知り合ったきっかけは、ツイッターだった。私が元夫のグチをこぼしていたら、「自分もDV被害に遭って離婚した」ということだった。
半年ほど前、互いに近くに居合わせる機会があったので、「それでは」と昼食を共にした。どちらかというと、会いたがったのは彼女のほうだ。彼女がほぼ一方的に自分の身の上を話し、私は「自分にも似たようなことが」と少し話すという調子だった。それだけなら、「ちょっと口数の多い人」で済んだかもしれない。
「あれ?」
と思ったのは、その翌日のことだった。彼女のFBF限定とはいえ、私が昨日話したことが、私のペンネームとともに書かれていた。私が話したことについては「学歴差別とも取れる」というコメントがついていた。
この後、ツイッターやFacebookで何度か、不快な接触があった。一回二回なら「行き違い」で済んだかもしれない。でも数えきれないほど度重なった。彼女の方も、私が怒っている可能性は考えていたのかもしれない。旅話、猫話といった比較的当たり障りない話題に、彼女は絡んできた。すきあらば自慢しよう、すきあらば自分の話をしよう、という態度に、私はほとほと嫌気がさしていた。というより、なぜそんなことをするのか理解できなかった(後記:自分の自慢、自分の話がしたいのだったら、自分のウォールでやれば良い話。他人へのコメントで行うのが解せない。あまりにもストレスが溜まっているときには、私もついついやってしまうことがあるけど……)。しかし、当たり障りなく相手していた。
彼女は東京に来るたびに「会いたい」と連絡してきた。私は多忙を理由に断り続けた。11月半ば、「来月上京します」という連絡があった。私が返事しないでいると「会えるんですか、早く返事してください」と催促された。私は「○日夜なら会えます」と返事した。
彼女はついで、私の住まいを訪れて猫に会いたいという。断ったら逆ギレされそうなので、応じることにした。
 
その日の夕方は、落ち合うまでが大変だった。
彼女は交通事情を理由として「遅れるかもしれない」と連絡してきた。それは事実であったようだ。しかしその後、「今、◯◯(待ち合わせ場所から電車で40分程度の場所)にいます」と連絡があり、落ち合えたのはその2時間後だった。彼女は山手線の緊急停止を理由にした。だったらなぜ、「今、◯◯にいます、電車が遅れています」という連絡を何度か入れないのだ? 私よりも高学歴(博士号取得してたはず)で、社会人経験も社会経験も豊富にあるはずの、40代の女性が?
私は、会って食事するためにカフェを予約していた。彼女は
「時間がなくなったので、食事したあとで三輪さんの住まいに寄りたい」
という。そんなことをしたら、彼女は最終的に何時に帰ってくれるのだろう。明日は朝から飛行機で出かけると(後記:数日前からメッセージで)言っているのに。
この厚かましい、配慮をまったくしない(*)女性が私の住まいに長居することは、なんとかして避けたかった。私は
「10分くらいしかいてもらえないけど、前にしませんか。うちは駅から遠いから、食事したあとでは行く気になれないと思いますよ」
と言った。彼女も同意した。
彼女は10分程度、私の住まいにいて、猫を撫でたり少し遊んだり食事を与えたりした。猫などの動物と暮らすことは慣れていると自称している彼女は、長い時間にわたって玄関ドア(そこには「猫がいます、注意して下さい」と張り紙まである)を開けっ放しにして、私をヒヤヒヤさせた。
ついで彼女と私は、夕食を食べにカフェに行った。彼女はただただ一方的に、脈絡もなく、自分の話したいことを話し続けた。食事や酒に対してコメントはするのだが、味わってはいなかった。手にフォークを持って振り回しながら(後記:ツバも飛ばしながら)熱弁をふるう彼女に、私はつくづく閉口した。
彼女は躁うつ病であり、今は若干、躁気味であるということだった。それだけなら
「ああ、病気のなせるわざか」
で済んだかもしれない。
 
頼んだコースの料理が終わり、デザートが出てきた。
彼女は
「今日はたくさん話ができて楽しかった」
と言った。これが「話」? 一方的にあなたが話していただけじゃないか。時間の95%はあなたが話していたんじゃないか。あなたは私の話を聞こうともしていなかったではないか。私が二言三言何か言いかけると、あなたは自分のしたい話ばかり、私が聞きたいかどうかには関心を向けずにまくしたてて。私はこんなことを「話をした」とは言わない。互いに話をしたと言うなら、せめて発話していた時間が1:4でなくては。それでも相手にしゃべられ過ぎだとは思うけれども、20%も自分が発話できていれば、「一方的に話を聞かされた」とは私は考えない。でも、私が何か言うと、この前のように(後記:「学歴差別とも取れる」とか)悪意ある紹介をされてしまうかもしれないから、むしろ私に話す機会がないことは幸いかもしれないのだが。
そこで私は思わず、
「そうですか。私はこの前みたいに、『差別と取れること』とあとで書かれないためにどうすればいいかと、戦々恐々としていました」
と言った。彼女は息を飲んで顔を凍らせた。
私は
「今日、私と会ったということを、どこにも書かないでいただけますか」
と言った。彼女は怒りを含んだ声と表情で、
「書きませんよ、こんな人、こんな場所のことなんか」
と答えた。
そして
「あの『学歴差別と取れること』と書いたときは、病気の調子が悪くて」
「みわさんがツイッターでIさんに絡まれていたときに『優しく話を聞いてあげては』と(FBで)言ったのは、どういう粘着をされていたか知らなかったから(後記:その人物は大学院でアカハラに遭ったということだった。私はここにまとめたようなアドバイスをしたのだが、その人物は「アカハラは事実である」「悪いのは教員と大学である」といって欲しかったようだった。私がそのニーズに応えない(なにしろ、どこの大学の誰の話かも分からないのに、事実であるかどうか・誰がどう悪いのかを判断することなどできない)でいると、その人物は逆上して執拗かつ激烈な粘着をツイッターで行い、彼女は私に「優しく話を聞いてあげては」と差し出口してきたのであった)」
「三輪さんが怒っているとは思わなかったから」
などと言い訳を始め、さらに
「言い訳がましく聞こえるかもしれないけど」
と、「言い訳」と取らないでほしいという意思表示までした。
私はさらに立腹した。彼女は現在も病気で、精神障害者手帳も取得している。ということは、付き合い付けていたら、将来にわたっていつも私は彼女に陥れられるようなことをされ、さらに「病気のせい(だから許すべきだ)」と言われなくてはいけないということだ。さらに彼女は「知らなかったから」と言えば、どんな手ひどい攻撃も許されると考えているようだ。なんでこんな人間を、私は自分に近づけたのだ! 精神疾患だろうが、躁病だろうが、そんなことは関係ない。病気が事実であるとしても、この女性はただ卑劣で身勝手なだけだ。都合よく、病気や「DV被害者」を使いまわしているだけだ。私も病気だし、私もDV被害者なのに、彼女は私に同じ権利を認めないじゃないか。こんなバカなことがあるか!
カフェに入ってから、3時間近くが経過していた。
「私、明日は朝からフライトなので、このへんで」
と言ったら、彼女は
「調子が悪いときに遠出しないほうがいいんじゃないですか?」
と言った。皮肉な口調、険悪な表情であった。余計なお世話だ!
私は彼女を駅まで送っていった。彼女は
「思っていたことを言ってくれてありがとう、言ってもらわないとわからないから」
と言った。私が「言わなかった」ということまで使って私に責任を押し付けるのか! 私は
「言わずにいられなかったです」
と答えた。彼女は
「わだかまりは解けた?」
とニッコリ笑った。
私は
「まあ、解けたんじゃないでしょうかね」
と答えた(私は「です」「ます」で話し、彼女は最初から一貫してタメ口。ちなみに私のほうが5歳程度年長)。
私の怒りは、ここで頂点に達した。
彼女は一方的に、私に「わだかまる」権利を与えないのだ。私に怒ったり悲しんだりする権利を与えないのだ。てめえ何様だよ! 私の感情は、私のものだ!
帰ってさっさと寝た翌朝、何事もなかったかのように、彼女からのFBメッセージが届いていた。
私は
「こちらこそ。お疲れ様でした」
と返事を書いた。余計なことを書くと、どう利用されるだろうかと怖くてたまらないから、それ以上は何も書けなかった。
そして、彼女をFBFから削除した。

(*)
本人は「自分は発達障害もあるかも」と言っていた。そうかもしれない。躁うつ病も、昨日、躁状態だったのもたぶん事実なんだろう。だけど、発達障害者向けの社会訓練や精神科デイケアには全く通っていない様子だし(彼女の住んでいる地方に存在しないわけではない)、社会訓練が必要だと認めて受けているという話は全く出なかった。
わかります。
病気であることを「自分に優しくしてほしい」「自分を受け入れてほしい」という文脈では使うわけですね。
病気によって引き起こされる問題を自分が解決する努力、同病の方がたくさんいるところで自分も仲間として振る舞う努力はしないわけですね……甘ったれるな!

寄せられたコメントより。
お疲れ様でした…自分が磨り減るような事が続くと、参ってしまいますよね。どうぞ、猫ズさん達と癒しの時間を(心理職)

お疲れ様でした。こういった狡猾な手合いを近づけない方法がちょっと思いつかないです。。。(精神疾患のため休職中のエンジニア)

病気はその人の一部、全部ではない。それは理由にならない。三輪さん会いに来たのは気まぐれ特に理由はなく思い付きでは(精神障害者を主対象とした作業所の職員)

病気の人にも病気だからなんでも許される訳ではないので、きちんと怒って関係を絶ったみわさんは正しいと思います(困窮者援助に関わる会社員)

人それぞれの「精神障害者らしさ」

私は2000年に統合失調症と診断され、2007年に精神障害者保健福祉手帳を取得しました。
当初は3級、2009年の更新で1級。これは正直「なんで?」と思いましたよ。開店休業に近いとはいえ著述業を営んでおり、研究が全然進んでいないとはいえ大学院にも通っていましたから。1級じゃ重すぎるんじゃないかと。
その後、失効に気づかないでいた時期がありましたけれども、2012年の更新で2級。2014年の更新で2級。まあこのあたりが妥当なところじゃないかなあと私も思います。
精神障害の級の定義は、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律施行令により、このように定められています。 

一級 日常生活の用を弁ずることを不能ならしめる程度のもの
二級 日常生活が著しい制限を受けるか、
       又は日常生活に著しい制限を加えることを必要とする程度のもの
三級 日常生活若しくは社会生活が制限を受けるか、
       又は日常生活若しくは社会生活に制限を加えることを必要とする程度のもの

「著しい制限」だったら、私の場合もバリバリ加わってますよ。
 
まず、精神障害に独特の疲れやすさがあります。
精神的に、私は健常者に比べると非常に疲れやすいのではないかと思います。特に、対人関係ストレスに非常に弱く、激しい「人疲れ」をします。「ヘルパーさんが来る」さえ、「生きるために仕方なく受け入れている、非常にしんどい時間」という感じです。
ましてや、通常の日本的オフィス環境でのオフィスワークは、私には無理でしょう。
一時期の私は、半導体の設計を業務とする外資系企業でパートタイムのドキュメントエンジニアもやっていました。私は、「そこの環境だったら長期に勤務できるのではないか」という感じがしましたが、残念なことに会社が倒産しました。その会社の職場環境の特徴は、業務分担が明確・業務内容が明文化されており明確・必要とされるスキルや評価も明確 というところです。仕事はそれなりに大変でしたし、悪い評価がされるときは厳しいものではありましたが、そこの風土は私には非常に合っていたと感じています。
でも、日本的職場環境を前提とする限り、私にオフィスワークは無理でしょう。「雇用されて働く」はまあ無理だろうと思っています。著述業で何とか生きて来れたから、「雇用されて働く」が難しいことは大きな問題にはなっていませんが、障害によって職業機会を大きく失っていることは事実だろうと思います。

妄想幻覚は、「ない」と言える時期がほとんどない、という感じです。程度に大きな波があり、
「幻聴さん、ああ、いるなあ」
程度の時期もあれば
「幻聴がうるさくて行動できない、もう帰って布団かぶって寝る」
という時期もあります。 
うつ、不安その他の精神症状も、ちょっとした引き金で簡単に表面化します。
妄想幻覚・うつ・不安が表面化した(自分にとっての)不穏な精神状態になると、仕事どころではなくなります。だから可能な限り、「そういう状態に陥らない」という努力をするしかありません。すると「無理はできない」ということになります。よく寝て、ちゃんと食べて、ちゃんと風呂入って、極度に折り合いの悪い人間が近くにいたり、攻撃されていたりというような状況ではなくて……といった日常生活と職業生活の維持が、最大の予防策になります。 
それでも何年かに一度、 不穏になることはあります。一度不穏になってしまうと、通常の生活を営める状態に戻すのに1~2ヶ月かかります。そのロスを防ぐために、やはり「不穏にならない」が最重要、ということになります。
不穏化は、2005年1月以後「なし」を更新してきましたが、2014年3月に起こしてしまいました。引き金は、佐村河内守氏の一件です。
不穏になると、私は引きこもります。「外に出ても大丈夫なんじゃないか」と思えるまで、可能な限り引きこもります。 家の中で幻聴妄想について何かを話しているわけでもなく、ただ、可能な限り、布団をかぶってボーっとしています。「する」というより、「それしかできない」という感じです。そして、可能であれば仕事をします。しないと余計に具合が悪くなります。といいますか、零細フリーランサーの私が「仕事をしない」 ということは、そのまま収入に関する問題です。それは貧困妄想につながるので、精神状態の悪化を避けるためにも仕事はしたほうがいい、ということになります。

私の周辺の精神障害者たちは概ね全員が、自分の障害と折り合い、それが一定のハンディキャップであることは認めつつも、一つの個性や適性として生かしていく道を探っています。不適切な治療・治療環境として不適切な家庭などによって「こじれる」ことがなければ、だいたい30歳で折り合い、40歳で生かせるようになる感じです。
妄想幻覚がいわゆる「自傷他害」につながるケースはなくもないのですが、圧倒的に多いのは自傷なので、
自傷他害
と書かれるべきでしょう。
そもそも、妄想として現れる内容が「他害」を必要とするものであり、さらに「他害」によって解決できると(本人が)考えてしまうようなものでない限り、本当に「他害」に結びつくことは、まずありません。少なくとも
「既知外だから突然何をするかわからない」
ということは、全くないとは言いませんが、非常に少ないというべきでしょう。私には数多くの精神障害者の知り合いがいますし、「キレて叫び始めて自傷を試み始める」といったことも何回かは近くで見ていますが、「突然」は一度も経験していません。背景があり、「自傷するしかない」と本人が思いつめてしまって解けない状況があり、煮詰まった表情や声や態度が数時間前にあり、行動化したのでした。しかも1ケースを除いて全ケースが、他害ではなく自傷です。他害の1ケースも、殺傷を目的として手足を動かすというよりは、当たらないように殴るふりをするという感じでした。そのくらい、他害は少ないんです。

少しずつでも、こういうことは訴えていったほうがいいと思うので、書きたい・書けると思った時に書いていくことにします。

トラウマを塗り替えていくということ

今、京都に来ています。
ちょっと時間が出来たので、京都市街を散策していたところ、大日本スクリーン製造(株)さんの社屋の横を通りすがりました。感謝とともに思い出される社名です。
歩みを止め、わが家の長男猫である故・悠(1998-2013)に、「キミが生まれる前にね」と昔の仕事を話してやるなどしました。
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悠も、彼の姉貴猫の摩耶(1997-)もまだ生まれていなかった、1997年春のこと。
私は応用物理学会の全国大会で、半導体の洗浄に関するシミュレーションの研究について発表していました。
職場で干されていた私は、クラッシャー上司が潰して追い出した先輩の机の上に、帳簿上は廃棄されていたことになっていたけれども予算不足で廃棄できていなかった古いワークステーションを乗せ、会社どうしのお付き合いで購入したけれども誰も使っていなかったシミュレータを動かして、 パワハラや嫌がらせに涙を流しながら、研究を続けていたのです。
その成果がやっと出始めての発表でした。

発表が終わった後、私は周囲をスーツ姿の男性5人に囲まれて
「あの、今の発表について質問させてほしいんですが」
と質問責めに遭いました。
「今、やろうと思っている装置改良があるんだけど、シミュレーションしてみたら効くかどうか分かりますか?」 
といった内容です。
それらは、私が既に試したものばかりでした。
「どうすれば、このタイプの装置で有効な洗浄と乾燥ができるのか、提案できたらいいよね」
という理由から。でも「どうもこの装置は今後はちょっと……らしい」という結論が分かっただけだったんですが。
そのスーツ姿の男性5人は、大日本スクリーン製造で、そのタイプの装置の研究開発を行っている方々でした。
よくもまあ、全く世界が違うシミュレーションのセッションまでお越しになったものです。そして、よくもまあ、34歳の私に丁寧に熱心に質問をされたものです。
仕事に対する熱意に頭が下がりました。 

「もうその洗浄装置は、改良レベルの何かでは今後のプロセスに対応できないよ」
という私の発表は、かなりのセンセーションを巻き起こし、多くの方々から関心と期待をいただきました。
しかし上司たちから疎まれていた私が成果を挙げるということは、つまり、次の瞬間には上司たちによって何もできない状況に追い込まれるということでありました。
その研究は、そこで終わらされてしまい、その後にはつながっていません。自宅でLinuxマシンを利用して続けるという選択肢? 自宅には、上司たちの手先と化した元同僚の元夫がいました。何もできませんでした。彼らが「これだけはさせてやってもよいか」と考えたらしいのが、Linuxサーバ構築・管理に関する技術記事です。私がそういうものを書くことにとどまっている限り、彼らのメンツは潰れないということだったのでしょうか。
私は、その悔しさを忘れたことはありません。ずっと、ずっと、思い出しては涙していました。思い出さなかった日はたぶん一日もないと思います。

でも今の私は、
「上司たちに潰された元研究者」
のままではなく、まあまあ社会的に活動しており、自分の収入を手放さずに済んでいます。
そして、その自分の社会的活動の延長として訪れた京都で、たまたま、私の仕事に注目してくれた方々が在籍しておられた会社の前を通りすがりました。
私は、もう、上司たちに潰されたかつての私を「自己責任」「やり方が下手くそ」と責めなくていいんじゃないか?
そういう実感が、はじめて、心のなかから沸き上がってきました。
1997年から数えて、17年目のことです。 

逆にいえば、17年も経っています。
トラウマの自然治癒に過ぎないのかもしれません。
でも、途方もない時間はかかっても傷は癒えるようです。
どんな巨大な力によって潰されようとしても、最終的に「潰されなかった人生」 を生きることは可能なのかもしれません。
潰されてしまって「女の小さな幸せ」に逃げるのでもなく「仕方なかった」と諦めるのでもなく、「潰されなかった」と自分で小さく胸を張れる人生を生きることは、もしかしたら私にも出来るのかもしれません。
私はそこに小さな希望を見出したいと思っています。 

睡眠導入剤だけに頼らない不眠対策

私に睡眠障害の傾向が現れてきたのは9歳ごろだったでしょうか。私は、寝付きが極度に悪い子どもになっていました。
当時の実家では、ダイニング・キッチンの隣の部屋に、子ども用の二段ベッドが置かれていました。その間を隔てていたのは、ふすま一枚でした。眠れなかった私は、母親が父親にさまざまな「大人の話」をするのを聞いてしまうことになりました。その中には、私に関する話もたくさんありました。今でもその恐怖をまざまざと思い出すことができます。ありもしない私の悪意、言ってもいない父親に対する悪口、やってもいない問題行動……といったものが母親の口からは次々と出てきて、父親はそれを「うん、そうか」などと聞いているのです。
それがきっかけで不眠になったのか、もともと寝付きの悪かった傾向が増幅されただけなのかは、はっきりしません。ただ私は「夜中に親が自分のことをどう話しているか」を考えただけで恐怖を覚えて寝つきにくい、という問題を抱えるようになっていました。「話す」「思う」だけならいいのですが、それが次にどういう行動に結びつくのか。考えただけで寒気がすることばかりでした。実家が増築されて親の近くで寝る必要がなくなっても、実家を離れても、その恐怖は続きました。ただの思い込みや思いすごしではなく、裏付けとなる現実が続いていた以上、恐怖を捨てるわけにはいきませんでした。

私は28歳くらいから睡眠導入剤を常用するようになりましたが、今にして思えば、問題の解決にはなっていませんでした。「焼け石に水」程度の効果はありましたが、「焼け石に水」でしかありませんでした。
私の睡眠の状況は、2012年ごろから顕著に改善してきました。2012年、母方祖母が98歳で亡くなったことをきっかけとして、血縁者との関係にはさまざまな変化がありました。その中で、私は両親に対して
「いつか自分も他のきょうだい同様に愛されたり認められたりすることがありうる」
という期待を、完全に捨ててしまうことができました。それで、劇的に睡眠状況が改善したのでした。両親との間に一触即発の状況が続いており、自分に「潰される」リスクが続いていることは、現在も大きくは変わりませんが。

まずは、

睡眠を妨げている具体的な問題があるのなら、それに正面から立ち向かい、何らかの見通しや方針を立てる

が重要であるということになります。

他に、私が試してみて効果あったものは

・頭寒足熱

足元に湯たんぽ(冬季)、頭に氷枕。

・眠りを誘う音楽

YouTubeに数多くアップロードされています。自分に適したものを見つけることは、どなたにも可能かと。

・適切なタイミングでの向精神薬利用

入眠予定の2時間前にメジャートランキライザーを、入眠直前に即効性のある「ソラナックス」などを利用するようにしています。

・入眠直前にPCやスマホの画面を見ない

我が家では、私がベッドに入ると猫が寄ってきます。猫と遊んでやったり撫でてやったりしているうちに、自然に眠りに落ちている感じです。自動的に猫とのスキンシップタイムとなり、PCやスマホは見ない状態で就眠前の30分程度を過ごしています。

ご参考になれば幸いです。
 

「アフター佐村河内守」の記録

「電動車椅子を利用はしているけれども、数メートル程度の歩行は可能」という私にとって、佐村河内守氏の一件と、それを受けての(ということになっている)厚労省の動きは、非常に痛手の大きな出来事でした。
佐村河内守氏に関する報道やネットの反応が引き金となり、私は幻覚妄想状態といっても良さそうな状況にまで陥りました。「いっても良さそうな」と書いているのは、その状態のまっただ中にある時に精神科を受診しておらず、それが精神科的にいう「幻覚妄想状態」そのものであるのかどうかは不明だからです。その期間に精神科を受診しなかったのは、恐怖から外出が難しく、かかりつけ精神科まで行けなかったからです。
現在は落ち着きつつあるので、どういう変化が起こったか、どう対処したかについて記録しておきます。

●時系列

・2014年2月6日
新垣隆氏謝罪会見。 この時は障害云々よりゴーストライティングの方が話題になっていたと記憶。私は、あまり大きな影響は受けなかった。というか渡米を控えてもろもろ多忙で気にするヒマがなかった。

・2014年2月10日
私、シカゴへ出発。

・2014年2月14日ごろ 
日本のニュースをチェックしていたときに、佐村河内守氏の障害偽装に関する大量のツイートが目に入る。中には「障害者はみんなチェックしろ」というものも。それらのツイートを見ている間に下痢した。
ちなみに私の場合、障害者手帳は再判定なしとなっているけれども、障害基礎年金で3年に1回の再判定を受けている。手帳と年金の両方で再判定なしとなっている障害者は、非常に例外的な存在。つまり、チェックならされている。そういうことを全然知らない人が、好きなように騒いでいることに、恐怖を感じた。

・2014年2月21日
日本の健常者が障害者を見る目がどうなっているのか恐怖を感じながら、帰国。
成田空港についてNEXを待つ間も、周囲の人々の視線が突き刺さるような感じだった。

・2014年2月22日~2014年3月5日ごろ
居酒屋での晩酌、カフェでの昼食などは、極力それまでと同じように行うようにしていたが、回数は激減していた。行きたくなかった。車椅子に乗っていたり、車椅子を降りて数歩歩行して席に座っている姿を見た健常者がどう考えるかと思ったら、怖くてしょうがなかった。冷ややかな視線、詮索がましい視線を向けられているような気がするが、胸を張って無視して飲食していた。
しかし食欲は激減していた。体重が3kg減少。

・2014年3月6日~3月9日ごろ 
非常な疲労感と恐怖感を感じるようになる。引きこもりがちに。西荻窪駅前まで出ることも難しくなる。立川のかかりつけ精神科に行かなくてはとは思うけれども、なにしろ駅まで行けないので電車にも乗れない。
この間に佐村河内氏の謝罪会見(3/7)があったようだが、ニュースを数本、ツイッターをチラ見したくらい。もう佐村河内氏どうでもいい、自分の精神状態の方がよっぽど問題、という感じ。

・2014年3月10日
友人の生活保護申請の付き添いで外出。カフェに入ったところ、知らない女性にジロジロ見られ続けるという出来事があった(参照)。この出来事をきっかけに妄想幻覚状態に。 

・2014年3月11日
夕方まで引きこもって過ごしていた。
しかし糖尿病もちの猫(摩耶、もうすぐ17歳)のインシュリンが切れていたので、動物病院(徒歩5分ほど)まで行かなくてはならない。夕方、やっとのことで動物病院方面に行く。まず朝から何も食べていなかったので回転寿司に入り若干の飲食。それからキャットフードや私自身の食べ物も切れているのでスーパーに。
行き交う人々がみな、自分のことを「偽装障害者ではないか」「障害者利権に恵まれていいご身分」「働かなくて済んでいいねえ」というふうに見ているという妄想が出る。人の顔という顔に、マンガの吹き出しみたいなものがついていて、そういうセリフが書いてあるように見える。やっとのことで動物病院に飛び込み、泣きながら用を済ませて帰途に向かう。通りすがりの人が自分を疑っていたり悪意を向けているように見えてしまう。私は「疑ってるんでしょう?」「何もごまかしてません、ウソついてません」「私、障害者福祉に甘えてません、働いてるんです、ウソじゃありません、証拠もあります」などと絶叫しながら帰宅。
頭のなかにあるだけなら妄想はまず問題にならないが、言葉や態度になって出てしまうと問題。私は
「妄想を絶叫してしまった」
と自責。もう生きていけないと思った。なんで「もう生きていけない」なのか、今からは理解できない。でもその時は、とにかく「生きていけない、早く死ななくては」と思った。そして二匹の猫を道連れに一家心中するしかないかと考えたが、猫を道連れにするのは忍びないので、愛猫家である25年来の友人に電話。話を聞いてもらい、落ち着かせてもらった。
そこに別の友人が来訪。用件は「カネがない、コメちょうだい」。非常用に備蓄している貴重な玄米(2010年福島産。長期保存可能なようにパッキングしてもらってあり、今でも新鮮な状態で食べられる)を5kg渡し、たわいない話をする。それで何とか落ち着いた。

・2014年3月12日-14日
なるべく外出を避けて過ごす。
1回だけ、上記の25年来の友人(居酒屋経営)の店に行く。私が佐村河内氏の事件以後、あまり精神状態がよくなくなっていることを心配した別の友人もやってきて、いろいろ話をした。少しは落ち着いた。しかし往復・店の出入りで人を見かけると怖かった。
この期間に大学院(4月から立命館大学先端研博士課程3年次に編入)入学手続き。不特定多数の人がいる街(西荻窪駅前といえども)に出ていき、写真館で証明写真を撮り、銀行の窓口で振込手続き……など。よくやれたと思う。

・2014年3月15日
立川のかかりつけ精神科へ。症状としのぎ方を相談。往復で非常に疲れた。不特定多数の人の顔を見ること自体が脅威。

・2014年3月16日-23日
「人が自分のことを疑念や悪意で見ている」という妄想はなくなったが、気が抜けたというか、いわゆる欠陥状態に近い状態に。気が抜けて虚脱状態という感じ。
外出や「他人がいる」に関する恐怖感は、それほど大きくはなくなった。
でも佐村河内氏の一件以後、障害者に対する日本の世の中の視線は、 冷たく詮索がましく無遠慮になったと感じる。また、障害者に対して悪意をぶつけることに対し、日本の世の中から抵抗感が若干失われたと感じる。今もそう感じ続けている。

●どう対処したか
 
・肉体の状況を少しでも良好に保つように心がけた。
 といっても食欲が非常に不安定になっていたし、家事をやるエネルギーもなかった。 
 せめて一日2回は食事をするように、うち1回は野菜や豆製品が入っている食事となるように心がけた。

・ふだんから、毎日リハビリを兼ねて入浴している。どんなに疲れていてもこの習慣は維持した。

・心身とも緊張が強いときには、外出が可能であればマッサージ店に入り、マッサージを受けた。
 さらに、その後すぐ寝るようにした。

・疲労・緊張・妄想が激しいときには、とにかく寝るようにした。
 帰国後の睡眠時間は、1日あたり10時間~13時間程度と思われる。

・仕事はなるべく通常通りに行うようにした。
 というか、仕事が行えるように睡眠・リラックスなどを充分に行い、
 精神状態が少しでもマシなときに集中して仕事した。
 「外に出る」「人の顔を見る」が妄想状態の引き金になるので、それさえ避けていればなんとかなった。

・とはいえ、この間、厚労省での傍聴2回、打ち合わせ2回のために外出する必要があった。
 不思議なもので、頭が仕事モードに入ると妄想さんが引っ込むため、なんとかなった。
 もっとも打ち合わせのための外出はやはり大変。
 「不特定多数の人がいる駅前に出て、不特定多数の人にジロジロ見られながら電車に乗る」
 とか考えただけで、朝から食欲がない。
 朝から何も食べずに、午後、打ち合わせをして、打ち合わせ後、空腹に気づいてファミレスに入ったり。
 するとそのファミレスから何時間も出られなくなってしまったりした。
 
●これからどうするか 

ただでさえ障害者に対する偏見が強く、障害者差別に対する本気の対処が行われていない日本の状況を、佐村河内氏の事件はさらに悪化させてしまった。田村厚労相や厚労省は
「ああいう一部の特異な事例のために、障害者がひどい目に遭うようなことがあってはならない」
というような言明を一度もしておらず、むしろその逆だし。
その日本で当面は生きていくしかないという事実は、考えただけで生き続ける意欲が萎える。
もうすぐ17歳になる猫の摩耶に、すこしでも長く、良い健康状態で生きてもらって天寿を全うさせるためにも、私は自殺するわけにはいかないし、ストレスで心身を痛めるような状況にありつづけるわけにもいかない。
当面は「猫のためにも死ねないから」と自分に言い聞かせながら日本で生き延びるしかないかと。
その間に、日本ほど障害者差別が酷くもなければ事実上の奨励もされていない国に、何らかの形で脱出することも考えたい。

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