2011年3月11日、福島第一原発の事故が起こった時、私は
「あそこまでやっていても、事故になるときには、なってしまうんだなあ」 
と思いました。
遠く離れた東京にいたから、そんなに呑気でいられたわけですが、
私はいわゆる「原発安全神話」を信じていたわけではありません。

私が福岡県の農業地域(当時)で小学生をやっていたころ、
玄海原発ができ、
同級生の一人が、転勤するお父さんとともに引っ越していきました。
小学校に届いた手紙によれば、そこには
「蛇口をひねればお湯が出る」
という夢の暮らしがあったそうです。
お父さんが玄海原発で、どんなふうに何のお仕事をなさっていたのかは、
ついに知らないままです。

予備校で平井孝治さんに数学を教わった私は、
(平井さんは原発の「げ」の字も教室では口にしませんでしたが) 
大学入学早々、槌田敦さんの講演を聞きました。



物理学専攻の学生として、
原発推進論・電力会社側の「安全」の主張には、
不自然な点を数多く感じていました。

修士課程修了後、電機メーカーに就職した私は、
計算機シミュレーションの研究に従事することになりました。
そこで使っていた流体解析ソフトは、
当時、世界トップレベルの解析を行えるソフトの一つでした。
その精緻な解析のニーズは、
航空・自動車・原子力業界から 来るものでした。
事故が起こった場合の社会的・経済的インパクトがあまりにも大きいので、
事故を起こさないための計算機シミュレーションが発達したのです。

福島第一原発の事故の際に最初に私が思ったのは、
「あそこまでやっていても!」
でした。
次に
「事故になるときには、なってしまうんだなあ」
さらに
「ああ、タービン一個のシミュレーションはできても、
 システム全体で安全なことの証明なんて絶対にできないし」
であり、
「本当に、システム全体の専門家といえる原発の専門家って、いたのかな?」
でした。
たぶん、心ある関係者の全員は、
「事故は起こしてはならない、起こさない、起こらないでほしい」
と考えており、
そのためにベストを尽くしていたのだと思いますが、
結果として「ベスト」どころか! ということになったのでしょう。

その後、昭和30年代に原発を推進してきた元研究者の方、
事故後の対応にあたった東電の技術者の方などにお話を聞き、
私は自分の仮説、というより、
関係した研究者・技術者のうちサイレント・マジョリティの思いを、
ぜひ汲まなくてはと思いました。
そこには、いろいろな思いがあります。
「エネルギー資源をもたない日本には、やはり原子力しかないのでは」
「原発は必要悪なのでは」
「東電社員として、起こったことへの責任は取らなくては」
……
その思いがあったからこそ、誤ったのかもしれません。
その思いがあったからこそ、引き返せなかったのかもしれません。
自分の出世や保身も大切、家族の将来も気になる。
そういう中でベストを探らなくては、という思いもあり、
それがまた、将来の誤りを導くのかもしれません。
でも、日本と日本人の将来を思う気持ちの真摯さだけは疑えない。
少しずつお話を聞かせていただく中で、そういう場面が何回もありました。

現状は、

「ベストを望み、尽くしたにもかかわらず、
 最悪の事故が起こってしまい、被害は継続中」


です。
後半の

「最悪の事故が起こってしまい、被害は継続中」

は、誰から見ても明白な話です。
そこに貧困問題が接続していることも、
きちんと説明されれば小学生でも理解できる話です。

私は、元技術者・元研究者として、

「ベストを望み、尽くした(にもかかわらず)」

の部分を、もっと世の中に知って欲しいと思っています。
今は片手間に少しずつしか取り組めませんが、
近年中に取り組みたいテーマの一つです。