みわよしこのなんでもブログ : 社会教育

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ライター・みわよしこのブログ。猫話、料理の話、車椅子での日常悲喜こもごも、時には真面目な記事も。アフィリエイトの実験場として割り切り、テーマは限定しません。


社会教育

映画「東京難民」について: (2)大西連×丸山里美×荻上チキ トークイベント

2014年1月22日、「東京難民」試写会+トークイベント(大西連さん・丸山里見さん・荻上チキさん)に 参加してきました。

Twitter中継を、ここにまとめておきます。(気がついた誤記・誤変換は、修正しました)。
(レイアウト・背景色など、乱れたままです。すみません)
 「東京難民」試写会後のトークショーなう。荻上チキさん挨拶、ゲスト大西連さん、丸山里美さんを紹介。 大西さん、もやい。現場でホームレス問題に関わりながら発信。丸山さん、女性のホームレスの研究。
(荻上)大西さん、貧困について何をしっておいてほしいのか。丸山さん、メディアが焦点をあてない問題は。映画。貧困ツーリズムのよう。メディアが報じた問題のおさらい的。主人公、大学除籍後ホームレスへ。公共につながらず。警察によってセーフティネットから排除される。メディアが報じてきたことの総復習テキスト。貧困の現場の大西さん、若者の貧困を見ている立場から、この映画は?
(大西)貧困=ホームレスというイメージ強かった。ネカフェ難民、派遣村。時代の変化とともに、新しい貧困、見えづらい貧困状態へ。若者の相談者30%。映画、その状況が描かれていた。

(荻上)女性は? 

(大西)10-15%。全体からみたら少ない。女性はより貧困に近かったり、性的搾取もあってより困難な状況。

(荻上)典型的ではない貧困がいろいろ。再発見、再定義の時期だったと思う。丸山さん、女性の貧困は?

(丸山)男性の物語、女性、3パターンがうっすら。風俗、実家、離婚。実際にはDV、メンタル。それが実態として映画では見えなかった。

(荻上)貧困の再発見、再定義。女性の貧困研究者からは批判的な見方も。非正規労働、シングルマザー。貧困の再定義の中で、女性の貧困の発見に失敗している。映画。一般的な人は女性の貧困を見つけにくいと思う。

(丸山)女性、家庭に隠れている。賃金、男性の6割。家から出て一人で生きていくこと困難。母子家庭も非常に貧困。なかなか家から出られない。女性の困窮、貧困という形では現れてきにくい。女性と貧困。メディアの関心集まってはきている。でも貧困という概念が男性的なのでは。経済的指標。それで女性の貧困を測ることに無理があるのでは。もともと、実家で父親の扶養→結婚して夫の扶養。女性が貧困になるためには、父親や夫の扶養から出る必要がある。

(荻上)(湯浅誠さんの5重の排除の話)お金以外に4つの溜め。家族、職場、自分自身からの排除。

(大西)経済状態だけで貧困測れない。男性、分かりやすい貧困。女性の困窮。住まいはあったりする。出たいけど出れない。居たくない、搾取されているけど野宿のリスクを避ける。「自己責任」に回収され、気づかれにくい。仕事したくでもできない、自己肯定感が下がり、自分から排除。女性、若年層、そういう状況強い。

(荻上)いくつかのパターンへの想像力。男性バージョンは語られた。女性バージョンが語られない。シングルマザーの売春、抗議がすごい。女性の生きづらさの分析、足りてない。丸山さんへ。どういったストーリーが、メディアがスルーしがちな女性の貧困?

(丸山)女性と貧困。メディアの関心集まってはきている。でも貧困という概念が男性的なのでは。経済的指標。それで女性の貧困を測ることに無理があるのでは。もともと、実家で父親の扶養→結婚して夫の扶養。女性が貧困になるためには、父親や夫の扶養から出る必要がある。でも日本のような男性中心社会。出ることがハードル。研究領域で「貧困の女性化」。貧困世帯で女性世帯が半分以上、米国、1960年代から。日本は少ない。女性世帯主少ない。男性中心社会だから。女性は出るところまでいけない。

(荻上)離婚などの選択肢がとりづらい?

(丸山)そう。ホームレスになることの危険も。家から出ること自体が困難。家から出られないことが女性の問題。女性と貧困というと、家から出てきた女性にしか関心があつまらない。世帯の中に隠れている。暴力の問題なども。家から出たいが稼げずガマン。乗り越えて、家を出てはじめて貧困女性。でも世帯の中の貧困には光があたらない。
(荻上)家庭の中での貧困という概念が必要。消費活動、女性は許されている範囲が限定的。DV、身体的、心理的、ネグレクト、経済的。経済的暴力、心理的暴力とマッチ。「誰のおかげで食ってる」。権限をちらつかせる。DVもいろいろあると解釈が進んでいる。もし10年後、東京難民の続編ができたら、そこに女性の貧困が描かれる?
(大西)そうだと思う。映画で描かれなかった生保。家賃が払えなかった時点から可能。オープニングから。適切な支援団体、公的機関につながれていたら、アパートを失わずにすんだ。でも生保、世帯単位。だから世帯の中でDV受けているケースだと厳しい。制度も世帯が原則。そういうものが問題を可視化しづらくなる。家を出ないと必要な制度にもつながれない。DV、殴られているだけだと誰も助けられない。申請主義。日本の制度のお約束。知って勇気を持たないと利用できない。支援につながりにくい。
(荻上)今の貧困の語られ方で不十分な要素、たくさんある。自分の調査、売春女性。精神疾患、DV。割合高い。
 
(大西)「てのはし」と今も連携。知的障害、コミュニケーション障害あると、ささやかな支援の手にもつながりにくい。

(荻上)映画、支援者が登場しなかった。
(大西)見えやすい貧困状態にあると、炊き出し、夜回り。見えにくい貧困状態だとつながりにくい。映画に出てきた河川敷の野宿者コミュニティ。今はあまりない。施設に入れて戻れなくするなど。今、ホームレス状態の人、排除される傾向がある。コミュニティ化していれば、ささやかな支えあいがあったりする。
(荻上)風俗の寮もそういうところが。風俗の契約は不思議。ソープ、風呂屋自由恋愛。いろいろあるが、相対的に他の選択肢が少ないから、風俗に。最近、ネカフェ難民という言葉、概念が共有されて見えた。でも女性の貧困、定義付けがされていない。課題。
(丸山)さっき荻上さんが言ってくださったように、女性の貧困を語る語り方の作法が少ない。研究者もみんな試行錯誤。家計の話をしなくてはいけない。世帯の中で、どういうふうにお金や権力が配分されているのか。もう一点。貧困の描き方。ディテールはたくさんあった。でも違和感。希望が持てる話になっている。修、人に恵まれる。いろんなサポート得られる。本人も友だちを大切にしている。最後まで、お金より大事なものがあるということにこだわる。でもそれに違和感。貧困とは、そういう人間関係も失うようなもの。指針、矜持も。自分からの排除、人間関係からの排除。それが修にはなかった。だから希望。でも現実、もっと人間関係、大事にしているもの、やる気といったものが削がれていくのが貧困。

(荻上)金銭以外の描き方。「おしん」、現代を生きているお金持ちが役者。この主役もジュノンボーイ。でも若者ホームレスの調査。男性でも抑うつなど。修、コミュニケーション面倒がるけど能力はある。鏡で自分を見たり。「自分はまだホームレスではない」という自己定義。セーフティネットにつながることを遠ざける。そういう人にどう手をさしのべていくか。
(大西)「もやい」、アパート保証金事業も。若年層、家賃払えない。制度使えばいい。「がんばる」と主張して身体を壊したり。「若いから、頑張れるから」が貧困状態を見えなくする。頑張らせすぎる。就労というもの、大きなキーワード。就労自立。制度、収入が要件。ソープで働いている女性、国の定義では貧困にならない。一応は住まいがあり、収入がある。ホストも。不安定。殴られてるかもしれないし、雑魚寝の寮。でも収入があるから制度は利用できない。頑張りすぎる。頑張れる。制度で捕捉できない。
(荻上)自分への過剰期待、過剰包摂。

(大西)社会がそういう場を作っている。「ズルして生活保護」、映画に出てきた。資産、収入がなければ受けられる。ズルではない。でも「働ける年齢で受けるのはズル」という誤解がある。それが矜持みたいな。自分を追い込んでしまう。制度につながれば、もっといい就労できたかもしれないのに。

(荻上)「生保でパチンコ」。補足情報つけずに流す。メディア、なんとかして欲しい。届かない情報、過剰な情報。特定の要素で語られてこなかったけれども、女性はいろいろな焦点をあてるべき。自分、売春女性の調査。今年はホストも。金遣いの粗さ、気になる。家計管理の能力、リテラシーを与えられる機会、彼女たちにはあったのか? ホリエモン、いったん一文無しになっても大丈夫だと思う。でも預金通帳も小遣いももらったことないのに風俗。こんどはタクシー、ホスト、下はしまむら、上はブランド。支援NPOで家計管理教室も。

(丸山)その通り。貧困者。育った家庭の影響。自炊の習慣がなかったり。身についたスキルがないから、そうやってお金を使う。それリアリティがある。男性バージョンでは、何度も繰り返し生保。施設に入ると出て「自己責任」ということに。そういう人は逃げることでしか問題解決できないby稲葉さん。嫌な施設、お金のピンはね、そこから逃げる。だから繰り返し生保なのでは。

 
(荻上)男性だとパチンコ。風俗女性、パチンコ、タバコ、ホスト。世間から叩かれる行動、非常に多い。貧困だからそういう方向にしか行けないのかも。憤る人、お金の使い方、マンツーマンで教えてみてほしい。

(大西)新しい法律で制度化。入り口問題、出口問題。でも間に取り残される人たち。働くには準備がとても必要な人たち。一番難しいのがそこ。路上生活の支援やっていると、アルコール依存、ギャンブル依存。支援しづらい。排除されやすい。支援がたりない。でも支援している団体も国も。「働き方を教える」に一気に行く。生活スキルをつけることの階段はなかったりボロボロだったり。難民化するのは、階段がボロボロだから。抜け落ちると難民化。どのタイミングで何がいいのか。シミュレートする素材として、映画、お二人の話。中間層の、数字化されない、実績にならない入り口出口。これがすごく大変。

(荻上)数字化されないものを見てほしいというと資料つくれない。

(大西)そういう、定型的な「かわいそうな人」しか救われない社会になってしまう。
(荻上)定型的な「かわいそう」から出ると非難があつまる。多面性を分析するリテラシーを社会に配っていくことが必要なのでは。
(大西)同感。
(丸山)貧困の語り方、理解の仕方、もっと豊穣にする必要がある。ホームレスの精神疾患・知的障害30%。それ以前は障害の視点がなかっく「困った人」。障害という貧困の語り方が発明されて、障害があるから、という理解が可能になった。自己責任とされているものに、どういう語り方があるか。考えていきたい。

(荻上)今日の来場者、もともと貧困に関心ある方が多かったと思う。普段の活動が必要。注目していただきたい。ありがとうございました。(拍手)


映画「東京難民」公式サイト





映画「東京難民」について: (1)一足お先に見ました

映画「東京難民」、サンプルDVDをご提供いただき、
ひと足お先に見ました。
 堕落した大学生活を送ってきた時枝修(中村蒼)は、生活費を工面してくれた父親が借金を抱えて行方をくらまし、授業料未納によって大学を除籍される。家賃も払えずアパートを追い出された彼は、ネットカフェで宿泊しながら日払いのアルバイトで過ごしていた。さらにはホストクラブで働くはめになり、ついにはホームレスになってしまう。(MOVIX 作品紹介ページ「あらすじ」)
衝撃的な作品です。




しかし、ホームレスになってしまった後の物語は、
哀しくも希望の持てるものであり、
後味は爽やかです。


「考える人間」に育つには? (3)再び、我が子へ:自分の立場に対して

「考える人間」に育つには?

(1) 我が子へ:日本の学校教育というものに対して
(2) 学校教員たちへ

の続編です。

「我が子」として想定しているのは、
「もし、我が家の猫の摩耶(16)が、人間の高1女子だったら」
です。
収入の不安定なシングルマザーである私の娘、摩耶は、
「本当は行きたい高校が、公立にも私立にもあったんだけど、
 私立は受かったけど行けず、
 公立は安全圏を狙って、ちょっと不本意なところに」
という感じで高校受験。
学区ナンバー3かナンバー4くらいの、
進学実績をあげようと教員たちがやや必死になっている
都立高校の全日制普通科に通っている。
一応、大学進学希望。まだ文系か理系かも決めていない。
おかーさんからは、つねづね、
「うち、大学だったら国公立か夜間しか行かせてやれないからね」
と言われているけれど、
「進学はさせてやれないから、就職して、家にお金入れて」
とは言われていない。
……そういう設定とします。
我が家の文化的バックグラウンドや、
私自身が勉強をかなり見てやれることを考えれば、
学習・知能に特にハンディキャップがなければ、
摩耶は、それが可能な程度の発達は自然に遂げていそうだからです。

私の住む学区には、
制服がなく自由な校風で知られる都立高校もありますが、
不本意にもそこを受験できなかった摩耶は、
ちょっと気に入らない制服や、結構ヘンな校則のある高校に進学。
一年が過ぎかけています。

本エントリーのお題は、制服と校則についてです。

制服と校則に対して、
親・子それぞれ、または親子ともが、
どう考え、どう対応できるか。
親と子どもがどの程度話をできているか、
親を子どもがどの程度信頼しているか、
そういったことを試す良い機会になりそうです。
 
私は福岡県の女子中・女子高に通っていました。
福岡では、名門女子校として知られている学校の一つです。
制服で学校の外にいると、
その制服を性的な記号としてしか見ないオヤジが多くて
つくづく困惑しました。
高校3年の1学期まで芸術系への進学を考えていた私は、
制服のまま、音楽のレッスンなどに通う機会が多く、
しばしば22時台の終バスを、バス停で待つことになりました。
すると、ちょっと一杯ひっかけたらしいオヤジが
「◯校の生徒って、本当は乱れてるんでしょう?
 飲みに行こうよ、タクシーに乗ってラブホ行こうよ」
などと、しつこいのです。
そこまでのことがなかったとしても、
「躾に厳しいはずの名門女子校の制服に身を包んだ中学生・高校生女子」
という性的記号としてしか見られていないな……という場面は
かなりの頻度でありました。


そして原家族とその周辺には、
そういう相談が出来る大人は全然いませんでした。
むしろ、進んで性的な記号にならないことを
責めるような大人が圧倒的に多かったのです。
そうじゃない大人も少しだけいましたが、
発言力は、いないのと同程度に少なかったです。
でも、一番辛かったのは、そのことではありません。

その女子中・高が
「お金持ちの子どもの行く学校」
とされていたということは、
私をかなり長い間苦しめました。
制服で福岡市中心街に出ると、
「あしなが育英会」の高校生が募金に立って、
「よろしくお願いしまーす!」
と声を張り上げていたりします。
たいていは、市立や県立の、あまり偏差値の高くない高校の制服です。
名門女子校の制服を着た私は、
どんな顔をして、何と言って募金に応じれば、
あるいは応じなければ良いのでしょうか?
たいていは、黙って頭を下げて、
小遣いの中から一番大きいお金を渡しました。
「ありがとうございます!」
という声が返ってきます。
それは辛い時間でした。
なぜ、目の前の同世代の高校生が、
同じ高校生に献金されて感謝しなくてはならないのか。
理不尽極まりない話です。
でも、この問題を、一人の高校生が解決できるでしょうか?
はっきり言って、無理です。
問題意識を抱えたまま、少しでも解決できる大人になること。
それ以外に解決の道はありません。
だから、私は自分を責めずに、
高校生活を充実させ、勉強し、進学すべきだったのです。
……当時の私に、そう言ってくれる大人がいれば。
今でも、ときどきそう思います。

摩耶が同じようなことで悩んでいたら、
おかーさんである私は、
自著「生活保護リアル」の「江戸川中3勉強会」の章にしおりを挟んで、
黙って渡すと思います。

「もう読んだし!」と言われちゃったら、こちら。


校則というものは、ある意味で
「これを守っていれば公的には罰されません」
という学校内ガイドラインです。
私は、校則を厳格に守っていました。
私の母親は、しばしば制服のスカート丈を勝手に長くしては
「短いとみっともないから、お母さんがしてやった、だから!」
と、嫌がる私を無理やりそのまま学校に行かせました。
その日が風紀検査だったら、
私は校則違反でとっちめられるわけです。
それ以外では、私は校則違反は一回もしていません。 
そのことは、私の学校内での居心地を、
良くもしましたし、悪くもしました。
校則を重視する教師たちのウケはいいのですが、
同級生からのウケが良いわけはありません。
校則より大事なことがあると考える教師たちからも、
強い風当たりを受けることになりました。

基本的には、制服や校則といった
「世の中の『理不尽』なルール」は、
そのようなものをめぐって、どう考え、どう行動するか。
親子で鍛えられ、親子で成長する良い機会だと思います。
そもそも「理不尽」という言葉は、
制服や下らない校則について使うものではないと思います。
お金はやや(かなり?)不足気味の、
シングルマザーの子どもとして育ったけれども、
ほどほど・そこそこ・まあまあの愛情と、
やや多すぎるかもしれない知的な刺激を受け、
そこそこの都立高校に行けて、
進学の道も閉ざされてはいない、
摩耶のような高1、世の中には少なくないでしょう。
 おかーさんに充分なお金はありませんが、知恵や経験はあります。
 おかーさんのたくさんの友人たちも、
 摩耶の進路相談や将来計画の実現に、
 知恵と力を貸してくれるでしょう。
 しかしそれは、おかーさん自身の
 大学院博士課程満期退学という学歴と
 大いに関係ある話です。
 おかーさんの友人に、
 博士号取得者はいったい何人いるんでしょうか。
 数えたことはありませんが、100人近そうです。 
 子どもが育つにあたっての、大変な無形資産です。 
一方で、お金も愛情も成長への刺激も不足し、
そこまでも到達できない子どもがいます。
「理不尽」という言葉は、そういうことに対して使うべきだと、
おかーさんである私は思うのです。

こんな時代ですから、
より良く、より深く考える存在に。
よりタフな存在に。
変化し、成長する機会は大切です。
親子とも、ね。

「考える人間」に育つには? (2)学校教員たちへ

の続編です。

私は、
日本の学校教育を「子どもに与えたい教育」とは
考えていません。
しかしながら、
日本で生まれ、日本で育ち、日本の学校に通い、
今すぐに日本を飛び出せる当てがあるわけでもなんでもない我が子に対しては、
現状と折り合いつつ自分の将来を考えられるように
ヒントを与え、環境を整備することを続けざるを得ないと思います。
それが前編でした。

では、学校や教員に対しては?
私、一応、教員免許(高校理科専修・中学理科一級)を持ってて、
まだ無効にはなってません。
また、専門学校非常勤などの教員経験もあります。
その立場から、学校・教員サイドに質したいことは、やはりあるのです。

・目の前の従順そうな生徒が、
 「無味乾燥な知識を無意味に暗記させられる」と考えている可能性について、
 どのくらい考えていますか? 
 
・たとえば、あなたが理学部物理学科出身であるとして、
 「物理、なにそれ、嫌い」と言っている低学力の生徒に
 どう接したいですか? 
 「教えることを(実質的に)断念する」以外に
 行動の選択肢を持っていますか? 
 その生徒たちは、その後の一生で二度と、
 物理に触れないかもしれないんですよ。
 人生最後かもしれないんですよ。
 その可能性を考えていますか? 
 (そこらへんに想像が及ばず、対策しない教員が多かったから
  物理の選択率が下がって、
  物理科の教員採用が激減したんでしょうが!)


・団体行動は、それ自体は出来ないより出来たほうがいいんです。
 巧くできるに越したことはないんです。
 では、
 「団体行動する」「集団の和を乱さない」「秩序正しく行動する」と、
 「生命を守る」「健康を守る」「安全を守る」の優先順位の関係はどうですか? 
 相容れない場合、摺り合わせられますか? 
 摺り合わせ方法や方針は? 判断基準は?
 (参考:石巻市・大川小学校事件)


しかしながら、学校に問題がたくさんあるとはいえ、
日本で学校に通い、問題意識を持てる子どもの立場は、
やはり社会全体から見て
「恵まれている」
と言わざるを得ません。
自分の立場をどう考えるか。
続編は、ふたたび、子どもへのメッセージです。 

「考える人間」に育つには? (1)我が子へ:「日本の学校教育」というものに対して

「日本の学校は、考えない人間を5つの方法で生み出している」 

が、身近でちょっと話題になっています。
まず、話題になっている部分を引用します。

教育の現場では、どうやって子供たちを考えさせないようにしているのだろうか。それには、次の5つによって、成し遂げられている。
(1)暗記を押し付けて「考えさせない」
(2)苦手を押し付けて「考えさせない」
(3)制服を押し付けて「考えさせない」
(4)規則を押し付けて「考えさせない」
(5)団体行動を押し付けて「考えさせない」
暗記をひたすらやらせると、考えるヒマがない。だから、学校は考える余裕がなくなるほど、暗記させる。
暗記教育が悪いわけではないが、暗記重視によって考えるという部分が消失してしまうようにしているのは問題だ。
得意を伸ばさず、苦手を克服するように仕向けるのも、考えさせるのを嫌にするための手法だ。
誰もが苦手なものを考えるのは苦痛だが、その苦痛を押しつけることによって、考えることそのものを苦痛にしてしまう。その結果、誰も考えなくなってしまう。
制服を押しつけるのも、個性を殺して「考えさせない」ための有益な手法である。
細かい規則を守らせるのも、団体行動を強制するのも、すべて「考えさせない」で「従わせる」ためのものなのである。学校が馬鹿げているほど細かい規則を守らせるのはなぜか。

究極的には「何も考えず、黙って従う」人間を作り出すためだ。日本の学校は、考えない人間を5つの方法で生み出していると言っても過言ではない。 

ほんとかなー?
学校教育を供給する立場の人々の一部に、
そういう意図「も」ないとは言わないけど。


私は人間の子どもを持ったことはありませんが、
「我が子」ということにしている猫が、延べ4匹おります。
現在存命中の猫は、16歳女子と5歳男子。
もし、16歳女子の摩耶が人間の高校1年生で、そういうことを言い出したら?
私は以下のように言って聞かせたいと思います。

「おかーさんも、日本の学校教育に問題が多いことは確かだと思う。
 『考えない人間』量産システムという側面も、確かにある。
 でもさ、そんなことで『考えない人間』になってしまう人は、
 どんな結構な環境があっても『考える人間』にはなれないと思うよ。

 暗記して頭に入れておくこと、日本的な『お勉強』のスキルと実績は、
 どこに行っても必要だよ。
 考えるためには、ある程度は覚える必要がある。
 覚えることは考え始めるきっかけでもある。
 『考える』『覚える』を別物のように考えることには、おかーさんは反対だな。 
 
 苦手科目とか嫌いな科目とかって、あるよね。
 おかーさんも、あったさ。
 中学1年で数学落ちこぼれ、中学3年で英語落ちこぼれ、
 大学では、物理落ちこぼれ。
 ……え? なんでそんなに、もともと丸い目を真ん丸にしてるの?
 物理学科に行って物理落ちこぼれるなんて? って?
 よくある話よ。
 高校生が考えてる大学での勉強と、大学の勉強は違うからね。
 (実話。解析力学以外は苦手だったんですよ。
  数学と英語は大学では非常に得意だったので、
  大学院入試は何とかなりましたけど)
 
 でもさ、苦手なことにも、ちょっと触れてみるくらいの機会はあったほうがいい。
 案外、食わず嫌いなだけかもしれないし。
 『この先生嫌い』が『この科目嫌い』になっているという残念な話かもしれないし。
 将来、やりたくなってやり直したら、
 今、下地が少しでもあるぶんだけ、スムーズに出来るかもしれないし。
 
 制服や規則、ナンセンスでイミフなものが多いよね。
 おかーさんの通った高校にも、
 『制服のスカート丈は床から33cmのこと』
 というイミフな校則があったさ。
 でもさ、それって『なぜ?』『背景は?』を考えはじめる重要なきっかけにもなるでしょ?
 なぜ『膝が隠れる丈』ではなくて『床から33cm』なのか。
 どういう成り行きで、そういう校則になったのか。
 ……あ、摩耶、今着てるその高校の制服、着替えてらっしゃい。
 ここは家なんだから。学校じゃないんだから。
 着替えてきたら、おやつにしましょ。いつもの煮干しでいい?
 (私の高校時代のおやつは、煮干しでした。猫と一緒に食べてました)
 
 団体行動、どうしても苦手って子もいるよね。
 おかーさんも超苦手だったよ。
 摩耶もネコ科だから苦手そうだよね。
 でもさ、団体だから出来ることってのもある。
 だから、団体との最低限の折り合いのつけかたは
 早く身につけておいたほうがいいよ。
 協調も同化も埋没もしなくていいよ。
 摩耶なりの折り合いがつけられればいいんだよ。

 折り合いをつけるのも無理そう?
 (ああ、娘が高1になるまで気づかなかった自分のバカバカ!)
 だいじょうぶ。団体に属さなくても死にゃしない。
 おかーさんを見たらわかるでしょ。
 ……え? 
 『ふーん、だからウチには、いつもお金がないんだ』
 って? あはははははは。

 うん、今のところ、日本では、
 大きな会社、大きな群れに混ぜてもらって
 そのままでいるのが一番稼ぎやすいわけ。

 だから、群れないで生きるんだったら、
 群れずに済むだけの何かを持たないとね。

 学校に行く代わりに、
 朝から晩まで熱中できそうなことは何かあるかい?
 
 おかーさん、大して稼いでないけど、応援するよ。
 あ、高校は通信制か高検でいいから卒業しといてね。

 良かったじゃないの。
 学校に行ったおかげで、
 団体行動に向かないってことが、はっきり分かったんだから。
 (……ああ、
  中学までで自殺に追い込まれるようなことがなくて、よかった!)」


でもね。
母親としては。
子どもが学校に通っていたら、
日本の学校に対して言いたいことがないわけはないですよ。

というわけで、続編に続きます。
 
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「組込みエンジニアのためのハードウェア入門」
(共著 2009.10 技術評論社)

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