2014年1月22日、「東京難民」試写会+トークイベント(大西連さん・丸山里見さん・荻上チキさん)に 参加してきました。
Twitter中継を、ここにまとめておきます。(気がついた誤記・誤変換は、修正しました)。
(レイアウト・背景色など、乱れたままです。すみません)
映画「東京難民」公式サイトへ
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「東京難民」試写会後のトークショーなう。荻上チキさん挨拶、ゲスト大西連さん、丸山里美さんを紹介。 大西さん、もやい。現場でホームレス問題に関わりながら発信。丸山さん、女性のホームレスの研究。
(荻上)大西さん、貧困について何をしっておいてほしいのか。丸山さん、メディアが焦点をあてない問題は。映画。貧困ツーリズムのよう。メディアが報じた問題のおさらい的。主人公、大学除籍後ホームレスへ。公共につながらず。警察によってセーフティネットから排除される。メディアが報じてきたことの総復習テキスト。貧困の現場の大西さん、若者の貧困を見ている立場から、この映画は?
(大西)貧困=ホームレスというイメージ強かった。ネカフェ難民、派遣村。時代の変化とともに、新しい貧困、見えづらい貧困状態へ。若者の相談者30%。映画、その状況が描かれていた。
(荻上)女性は?
(大西)10-15%。全体からみたら少ない。女性はより貧困に近かったり、性的搾取もあってより困難な状況。
(荻上)典型的ではない貧困がいろいろ。再発見、再定義の時期だったと思う。丸山さん、女性の貧困は?
(丸山)男性の物語、女性、3パターンがうっすら。風俗、実家、離婚。実際にはDV、メンタル。それが実態として映画では見えなかった。
(荻上)貧困の再発見、再定義。女性の貧困研究者からは批判的な見方も。非正規労働、シングルマザー。貧困の再定義の中で、女性の貧困の発見に失敗している。映画。一般的な人は女性の貧困を見つけにくいと思う。
(丸山)女性、家庭に隠れている。賃金、男性の6割。家から出て一人で生きていくこと困難。母子家庭も非常に貧困。なかなか家から出られない。女性の困窮、貧困という形では現れてきにくい。女性と貧困。メディアの関心集まってはきている。でも貧困という概念が男性的なのでは。経済的指標。それで女性の貧困を測ることに無理があるのでは。もともと、実家で父親の扶養→結婚して夫の扶養。女性が貧困になるためには、父親や夫の扶養から出る必要がある。
(荻上)(湯浅誠さんの5重の排除の話)お金以外に4つの溜め。家族、職場、自分自身からの排除。
(大西)経済状態だけで貧困測れない。男性、分かりやすい貧困。女性の困窮。住まいはあったりする。出たいけど出れない。居たくない、搾取されているけど野宿のリスクを避ける。「自己責任」に回収され、気づかれにくい。仕事したくでもできない、自己肯定感が下がり、自分から排除。女性、若年層、そういう状況強い。
(荻上)いくつかのパターンへの想像力。男性バージョンは語られた。女性バージョンが語られない。シングルマザーの売春、抗議がすごい。女性の生きづらさの分析、足りてない。丸山さんへ。どういったストーリーが、メディアがスルーしがちな女性の貧困?
(丸山)女性と貧困。メディアの関心集まってはきている。でも貧困という概念が男性的なのでは。経済的指標。それで女性の貧困を測ることに無理があるのでは。もともと、実家で父親の扶養→結婚して夫の扶養。女性が貧困になるためには、父親や夫の扶養から出る必要がある。でも日本のような男性中心社会。出ることがハードル。研究領域で「貧困の女性化」。貧困世帯で女性世帯が半分以上、米国、1960年代から。日本は少ない。女性世帯主少ない。男性中心社会だから。女性は出るところまでいけない。
(荻上)離婚などの選択肢がとりづらい?
(丸山)そう。ホームレスになることの危険も。家から出ること自体が困難。家から出られないことが女性の問題。女性と貧困というと、家から出てきた女性にしか関心があつまらない。世帯の中に隠れている。暴力の問題なども。家から出たいが稼げずガマン。乗り越えて、家を出てはじめて貧困女性。でも世帯の中の貧困には光があたらない。
(荻上)家庭の中での貧困という概念が必要。消費活動、女性は許されている範囲が限定的。DV、身体的、心理的、ネグレクト、経済的。経済的暴力、心理的暴力とマッチ。「誰のおかげで食ってる」。権限をちらつかせる。DVもいろいろあると解釈が進んでいる。もし10年後、東京難民の続編ができたら、そこに女性の貧困が描かれる?
(大西)そうだと思う。映画で描かれなかった生保。家賃が払えなかった時点から可能。オープニングから。適切な支援団体、公的機関につながれていたら、アパートを失わずにすんだ。でも生保、世帯単位。だから世帯の中でDV受けているケースだと厳しい。制度も世帯が原則。そういうものが問題を可視化しづらくなる。家を出ないと必要な制度にもつながれない。DV、殴られているだけだと誰も助けられない。申請主義。日本の制度のお約束。知って勇気を持たないと利用できない。支援につながりにくい。
(荻上)今の貧困の語られ方で不十分な要素、たくさんある。自分の調査、売春女性。精神疾患、DV。割合高い。
(大西)「てのはし」と今も連携。知的障害、コミュニケーション障害あると、ささやかな支援の手にもつながりにくい。
(荻上)映画、支援者が登場しなかった。
(大西)見えやすい貧困状態にあると、炊き出し、夜回り。見えにくい貧困状態だとつながりにくい。映画に出てきた河川敷の野宿者コミュニティ。今はあまりない。施設に入れて戻れなくするなど。今、ホームレス状態の人、排除される傾向がある。コミュニティ化していれば、ささやかな支えあいがあったりする。
(荻上)風俗の寮もそういうところが。風俗の契約は不思議。ソープ、風呂屋自由恋愛。いろいろあるが、相対的に他の選択肢が少ないから、風俗に。最近、ネカフェ難民という言葉、概念が共有されて見えた。でも女性の貧困、定義付けがされていない。課題。
(丸山)さっき荻上さんが言ってくださったように、女性の貧困を語る語り方の作法が少ない。研究者もみんな試行錯誤。家計の話をしなくてはいけない。世帯の中で、どういうふうにお金や権力が配分されているのか。もう一点。貧困の描き方。ディテールはたくさんあった。でも違和感。希望が持てる話になっている。修、人に恵まれる。いろんなサポート得られる。本人も友だちを大切にしている。最後まで、お金より大事なものがあるということにこだわる。でもそれに違和感。貧困とは、そういう人間関係も失うようなもの。指針、矜持も。自分からの排除、人間関係からの排除。それが修にはなかった。だから希望。でも現実、もっと人間関係、大事にしているもの、やる気といったものが削がれていくのが貧困。
(荻上)金銭以外の描き方。「おしん」、現代を生きているお金持ちが役者。この主役もジュノンボーイ。でも若者ホームレスの調査。男性でも抑うつなど。修、コミュニケーション面倒がるけど能力はある。鏡で自分を見たり。「自分はまだホームレスではない」という自己定義。セーフティネットにつながることを遠ざける。そういう人にどう手をさしのべていくか。
(大西)「もやい」、アパート保証金事業も。若年層、家賃払えない。制度使えばいい。「がんばる」と主張して身体を壊したり。「若いから、頑張れるから」が貧困状態を見えなくする。頑張らせすぎる。就労というもの、大きなキーワード。就労自立。制度、収入が要件。ソープで働いている女性、国の定義では貧困にならない。一応は住まいがあり、収入がある。ホストも。不安定。殴られてるかもしれないし、雑魚寝の寮。でも収入があるから制度は利用できない。頑張りすぎる。頑張れる。制度で捕捉できない。
(荻上)自分への過剰期待、過剰包摂。
(大西)社会がそういう場を作っている。「ズルして生活保護」、映画に出てきた。資産、収入がなければ受けられる。ズルではない。でも「働ける年齢で受けるのはズル」という誤解がある。それが矜持みたいな。自分を追い込んでしまう。制度につながれば、もっといい就労できたかもしれないのに。
(荻上)「生保でパチンコ」。補足情報つけずに流す。メディア、なんとかして欲しい。届かない情報、過剰な情報。特定の要素で語られてこなかったけれども、女性はいろいろな焦点をあてるべき。自分、売春女性の調査。今年はホストも。金遣いの粗さ、気になる。家計管理の能力、リテラシーを与えられる機会、彼女たちにはあったのか? ホリエモン、いったん一文無しになっても大丈夫だと思う。でも預金通帳も小遣いももらったことないのに風俗。こんどはタクシー、ホスト、下はしまむら、上はブランド。支援NPOで家計管理教室も。
(丸山)その通り。貧困者。育った家庭の影響。自炊の習慣がなかったり。身についたスキルがないから、そうやってお金を使う。それリアリティがある。男性バージョンでは、何度も繰り返し生保。施設に入ると出て「自己責任」ということに。そういう人は逃げることでしか問題解決できないby稲葉さん。嫌な施設、お金のピンはね、そこから逃げる。だから繰り返し生保なのでは。
(荻上)男性だとパチンコ。風俗女性、パチンコ、タバコ、ホスト。世間から叩かれる行動、非常に多い。貧困だからそういう方向にしか行けないのかも。憤る人、お金の使い方、マンツーマンで教えてみてほしい。
(大西)新しい法律で制度化。入り口問題、出口問題。でも間に取り残される人たち。働くには準備がとても必要な人たち。一番難しいのがそこ。路上生活の支援やっていると、アルコール依存、ギャンブル依存。支援しづらい。排除されやすい。支援がたりない。でも支援している団体も国も。「働き方を教える」に一気に行く。生活スキルをつけることの階段はなかったりボロボロだったり。難民化するのは、階段がボロボロだから。抜け落ちると難民化。どのタイミングで何がいいのか。シミュレートする素材として、映画、お二人の話。中間層の、数字化されない、実績にならない入り口出口。これがすごく大変。
(荻上)数字化されないものを見てほしいというと資料つくれない。
(大西)そういう、定型的な「かわいそうな人」しか救われない社会になってしまう。
(荻上)定型的な「かわいそう」から出ると非難があつまる。多面性を分析するリテラシーを社会に配っていくことが必要なのでは。
(大西)同感。
(丸山)貧困の語り方、理解の仕方、もっと豊穣にする必要がある。ホームレスの精神疾患・知的障害30%。それ以前は障害の視点がなかっく「困った人」。障害という貧困の語り方が発明されて、障害があるから、という理解が可能になった。自己責任とされているものに、どういう語り方があるか。考えていきたい。
(荻上)今日の来場者、もともと貧困に関心ある方が多かったと思う。普段の活動が必要。注目していただきたい。ありがとうございました。(拍手)
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