みわよしこのなんでもブログ : 社会教育

みわよしこのなんでもブログ

ライター・みわよしこのブログ。猫話、料理の話、車椅子での日常悲喜こもごも、時には真面目な記事も。アフィリエイトの実験場として割り切り、テーマは限定しません。


社会教育

2014年3月のアフィリエイト収入に関して

2014年3月のアフィリエイト収入は、全額のうち80%を「憂慮する科学者同盟」へ、20%を「世界の医療団」へ寄付します。
下記をお読みになり、趣旨にご賛同いただける方は、どうぞ本ブログのスポンサーリンクのクリックをお願いいたします。


本ブログには開設当初よりアフィリエイトを設定しています。
本ブログには、書きたいけれども商業記事になる可能性が薄い内容、とりあえず今記録しておきたいことなどを、書きたい時に書きたいように書いています。
アフィリエイトは、
「当面はブログの開設と維持に必要な最低限の費用(ドメイン使用料、プロバイダのサービス使用料、インターネット回線費用など)の足しにでもなれば」
というつもりで設定しました。まあ、設定する以上は、効果がより大きくなるようにという若干の努力はしますけれども、それも「気が向いて時間のあるときに、気分転換と勉強を兼ねて」程度のつもりでした。いつか生計を託せるようになるかもしれませんし、ならないかもしれません。もちろん「なったらいいな」とは思っています。著述業の自然な延長上に、生活の基盤となるものをもう一つ増やすことができれば、より安心して暮らし、仕事をしていくことができるですから。しかし「少なくとも向こう半年や一年では、ブログアフィリエイトに生計を託せるようなことはないだろう」とも思っています。
これまで、アフィリエイト収入は多くても1ヶ月あたり300円程度でした。「ライブドアブログ」の有料オプションが賄える程度です。
ところが今月のアフィリエイト収入、今月は3月20日現在で、既に5000円ほどに達しています。
驚き、かつ頭を抱えました。この収入は何に使えばよいのだろうか、と。

今月のアフィリエイト収入は、「STAP細胞報道問題バブル」 というべきものです。
日本の科学報道、特にSTAP細胞に関して行われた報道には、多大な問題点があると考えています。私の考える最大の問題点は、科学報道が科学や研究そのものではなく、関わっている人々のパーソナルストーリーに偏りがちであるということです。パーソナルストーリーが不要であるとは思いませんが、現状は適切なバランスからは程遠いのではないでしょうか。
パーソナルストーリーに偏ることには、「そうした方が読者に受け入れられやすい」という背景があります。それは私も著述業に携わる一人として実感しています。
読者が求めるから報道がこうなるのではあります。また、読者をそんなふうにしているのは報道でもあります。
自分自身、パーソナルストーリーを中心とした科学記事・技術記事を数多く書いてきました。
「Linux Magazine」では足掛け5年、「箱の中のペンギンたち」というインタビューシリーズを連載させていただいていました。
当時の担当編集者の皆様、インタビュイーの皆様、今も感謝しております。



今月、科学記事の「パーソナルストーリー偏重」問題を少しでも是正したいと考えて投稿したブログエントリーのいくつかは、私自身も驚くほどのアクセス数に達してしまいました。アクセスが集中した背景や理由を考えると、まったく喜べません。
「結果として、パーソナルストーリー偏重に一石くらい投じられていれば、まだしも」
とは思うところですが、「はてなブックマーク」やツイッターでの反応を読む限りでは、どうも逆効果であったようです。
私は数多くの反応を読んでいて吐き気を催し、本当に吐いてしまいました。以後は、「はてなブックマーク」もツイッターも、なるべく見ないようにしています。
少なくとも今月のアフィリエイト収入は、自分のために「気持よく」使うことはできません。用途が何であっても。

今月のアフィリエイト収入は、80%を「憂慮する科学者同盟」に、20%を「世界の医療団」に寄付することにしました。
「憂慮する科学者同盟」は、ほぼ「会費を払うだけ」のお付き合いですが、数年前から会員になっており活動内容をよく知っています。規模・事業の継続性も含めて、運営体制は非常にしっかりしています。また「世界の医療団」は直接知っている方々が関わっており、活動内容・運営体制とも信頼できると考えています。
「憂慮する科学者同盟」に対しては、日本のSTAP細胞報道の状況・それに関する私見とともに、
「科学報道向上や科学倫理に関する取り組みに使って、間接的に、日本の科学報道の状況にも影響を及ぼして下さい」
と一言添える予定です。
 「世界の医療団」に20%を寄付するのは、STAP細胞問題が医療の問題でもあることと、医療が最終的に必要としている方々に届くかどうかに関する問題意識からです。
障害者や難病患者は往々にして、医療・福祉分野の画期的な研究成果・最新技術・最新製品といったものに、冷ややかな視線を送っています。「良いものであればあるほど、どうせ自分には関係ないんだろ?」と。 だって、そういったものの恩恵に与るには、資金が必要なんですよ。「身体を傷めつけない車椅子に乗りたい」ということにさえ、場合によっては数十万円単位の自己負担が発生する現状です(私も、現在使用している電動車椅子のために30万円くらい自費負担しています)。最新医療へのアクセスは、さらに困難です。同年齢の健常者の数倍の年収がある例外的な障害者ならともかく、ワーキング・プア以下の収入しかない障害者・収入源が障害年金しかない障害者・生活保護を利用している障害者・障害はあるけれども何らかの理由で手帳取得から遠ざけられている障害者(日本政府非公認)は、その資金をどうやって調達すればよいのでしょうか? 「クレクレ」などと蔑まれながら障害者運動で頑張るしかないのが現状です。就労? 出来るなら、やってるでしょう。就労していたとしても、自分や扶養家族の生活を支えつつ障害や病気のコストを支払い続けることは不可能です。だから就労しているかどうかと無関係に、障害者運動は重要ということになります。
その障害者運動に対しても、そもそも障害者であることに関しても、日本の社会の視線は非常に冷ややかです。「クレクレ」と言われようが弾圧されようが、権利の主張や運動を行わなければ、生きていけないところまで追い込まれて殺されるだけなのに。勇気をふるって、ただでさえ少ない体力その他の資源を振り絞って権利の主張や運動を行えば行ったで「ナマイキな」「お願いしますから生きさせてくださいと懇願するなら許してやってもいい」「そんな余力があるなら働け」「自己責任」といった反応が「これは言ってはいけないことなのではないか」というためらいもなくインターネット空間に溢れます。これが日本の現状です。STAP細胞報道に関して多々見受けられた個人攻撃と同根というべきでしょう。
「世界の医療団」が行っているのは、貧困に加えて障害や疾病などの追い打ちを受けている方々に対し、医療を提供する活動です。いつか、あらゆる方々に対して再生医療の恩恵が届けられるようになれば、貧困状態にある障害者や難病患者たちも、「科学研究は自分にも恩恵をもたらしてくれるものである」と認識を変えるでしょう。その将来のために、私は少額ながら寄付を行う予定です。
科学に根を持つ私は、少なからぬ近辺の障害者たちが「先端科学研究? それが自分の何の役に立つの?」と冷ややかな態度であることを悲しく感じています。「成果は、みんなに届くんです。あなたにも届きます。だから期待していてください」と言えたら、どんなに幸せでしょうか。そのために出来ることはしたいのです。

私のささやかなアフィリエイト収入が、「焼け石に水」程度にでも役に立つのかどうかは分かりません。 
ただ私は、このように考え、このように予定を立てています。
予定している寄付は、私のささやかな障害者運動、障害当事者運動です。
本エントリーによって、忘れっぽい私は、「有言実行」するように自分にプレッシャをかけます。

「リケジョ」って何?

ここ数日、近未来に自分が生きていけなくなる可能性で頭がいっぱいです。
障害認定を今より厳しくする動きは、厚労相が、既にいろんな障害で始めてます。佐村河内氏事件の何年も前から。精神障害については少なくとも10年前から。厚労省は、そりゃ「適正化」としか言いません。でも、私から見れば、生きていけなくなる人・生きていくことが厳しすぎる状況になる人を増やすことが、厚労省の「適正化」です。今だって、日本で障害者手帳を取得している公認の障害者比率の少なさは、異常です。
佐村河内氏は聴覚障害について、厚労省の「適正化(自称)」に絶好のお墨付きを与えてしまっただけでしょう。
たぶん他のどの障害にも、同じ流れはやってきますよ。何年先に、誰の、何が、どのような形で格好の理由に使われてターゲットになるかだけの違いかと。
もしその流れがどうしても来てしまうものであれば、私は障害が重くならない限りは、近未来に生きていけなくなるんじゃないかと恐れています。そんなことを考えながら仕事はできません。
というわけで、障害と一応関係ないエントリを書く努力をしてみます。

「リケジョ」という言葉が、数年前に発明されたようです。理系女子を指してリケジョ。
高校卒業以後ずっと理科系のコースにいて、最終学歴がまぎれもない理科系の大学院博士後期課程(単位取得退学)である私は、傍から見れば「年食ったリケジョ」ということになりそうです。
というわけで、当事者からみた「理系女子」について書いてみます。
 
●自分が理系であることを意識する機会は、非常に少ない

「え?」と思われそうですけど、理系のコースに進んでしまうと、周囲は男女含めて理系ばっかり。だから、ことさらに「自分は理系」と意識する機会は少ないんです。男女とも。
総合大学で、部活などで他学部とのお付き合いが多い場合はまた違ってくるのかもしれません。けれども特に体育会系部活の場合、理系だけのリーグといったものがあるんです。実験等で授業の拘束時間が長く、したがってトレーニング時間が少なくなりやすい理系が、特別に不利にならないために用意される試合の機会です。また、実験スペース等の都合により「理工系学部だけ別の地域に」という大学も少なくありません。すると部活やサークルも、理系ばっかりの世界で行われることになります。

●「理系だから」就職しやすいわけではない

「理系は就職しやすい」という誤解があるみたいです。確かに、就職実績の悪くない大学・学部が多いかとは思います。でも「理系だから」就職しやすいというわけではなく、「手に職」「身についたスキルがある」「スキルを身につけた経験がある」を買われている場合の方が多いんじゃないでしょうか。その機会は、大学では文系より理系の方が確かに多いかな? とは思います。理系で自然に学生生活やってれば、ある程度はそういう機会に恵まれやすい面が確かにあります。たとえば、学生実験は大学生に向けたレベルといえども、「手に職」の訓練に近いところがありますしね。

●「理系だから」女子を楽しみにくいわけではない

私は物理学科でしたから、女子は少なかったです。3%とか5%とか。7%いれば多い方と感じます。でも、その少ない女子どうしは、たいていは良好な関係を保っていることが多かったと記憶しています。
もちろん、同学科の同学年で同クラスだからといって仲良くできるとは限りません。相性、好き嫌いはあります。でも、そもそも人数が少ないので、上や下の学年とも知り合ったり仲良くなったりしやすいんですよね。私、大学時代に、今でいう「女子会」を何回か開催したことありますよ。学年関係なく、OGにも来てもらって、楽しく和やかな時間を過ごしました。
ただ、当時(約30年前)の東京理科大では、「女子だけ集まって何の話するんだよ?」と中止させたがったり覗きに来たがったりする男子学生が数名出現しました。「男の悪口で盛り上がるんだろう」とでも邪推してたんでしょうか? 「集まりたいどうしが集まって飲んで話して何が悪いの?」と追っ払いました。あとでちょっとだけ、私が嫌がらせに遭うようなことはありましたね。

●「理系女子だから」共通の悩みごとがあるわけではない

入試に数学があるという理由で「理系」でくくられる多様な学科には、専攻内容・女子比率など多様な違いがあります。女子の多い薬学部と、女子あんまりいない理学部物理学科では、たとえば同じように「同じクラスの女子との付き合い方で悩んでいます」と女子がいう場合、悩みごとの内容が全然違ってきて当然ではないかと。

●「理系女子だから」男子選び放題というわけではない

よくある誤解に、
「理系で(しかも物理学科なんぞで)女子が少ないんだったら、周囲は男性ばかりで、よりどりみどり(だった)でしょう?」
というものがあります。
これについては、経験者が一人ひとり、違うことを言う場面かと思います。
「周囲を恋愛したい・やりたいさかりの若い男性に取り囲まれていて、振り払うのが大変だった」
「ネクラなヲタク男ばっかりで、恋愛対象として見られる男子学生がほとんどいなかった」
「同じクラスの男子学生は、早々に学内で(同じ学科・同じクラスで)相手を探すことを諦めて、女子大と合コンしてる。だから同じクラスの女子学生には声がかからない」
などなど。
いずれにしても、男女比がアンバランスな状態はあまり良いことではありませんけどね。

●「理系女子だから」男子学生と恋愛しやすくて嬉しいわけではない

あまりにも女子が少ないと、確率の問題で、やはり「身近の同じクラスの女子と恋愛がしたい」という男子学生は現れやすくはなります。いやもうこれに関しては、私、トラウマがいっぱいで。いずれ全部書きたいと思いますが。私は自分の人生のために大学に進学して勉強してるわけで、男子学生の恋愛の相手になるためにそこにいるわけじゃないですよ。で、私に近寄ってくる男子学生は恋愛の相手に「かわいげ」「自分の上手に立たない」といったことを求めがちでしたから、さらに迷惑でした。大学院進学を全力で妨害されたりとか(でも進学しましたけど)。男子学生は恋愛したいかもしれない。女子学生が少なければ恋愛の機会自体は多いかもしれない。でもそれは、少しも幸せだったり嬉しかったりする状況じゃないんです。

●「理系女子だから」何なのよ?
 
人を「理系女子」で束ねて、その「理系女子」にイメージを抱くのはその方の自由ですが、そのイメージに当人たちがお付き合いしなくてはならない理由はありません。「理系女子、だから何?」と言いたくなります。

●こういうことが言える時代になって、よかった!
 
20代前半のころ、ほんっと辛かったんですよ。
もし当時「リケジョ」という言葉があったら、どんなに、その言葉とイメージに責めさいなまれたことだろうかと思います。「リケジョ」という言葉のない時代に女子学生やっててよかったです。
大学1年・2年くらいのときには、夏休みには実家に帰省していたりしてたんですが、すると
「東京で女子大生やっていて、しかも物理学科で男ばっかりに囲まれている」
ということに勝手なイメージを抱いてふくらませている親類のオバサンたち(後記:特にそういうことを言い立てるのは、父親の弟の妻一人でしたけど、なにしろ、その問題の叔母との接触の機会が非常に多かったのです)と接触せざるを得なくて。 
親類のオバサンたちは、自分のイメージと違うことを私がいうと、
「うそぉ!」
「そんなことがあるわけない!」
「(私の母親を呼んで)ちょっとちょっと、何か隠れて悪いことしてるみたいよ」
などと大騒ぎするんですよ。 でも、オバサンたちの多くが期待しているのは
「東京で女子大生やっていて、周囲は男子学生ばかりで、選び放題で、ちょっと恋愛して遊んだりとかしてて、なんてふしだらな、羨ましい」
と言った返事だったようですから。
私の方は、オバサンたちが期待するような意味で「遊ぶ」ヒマは全然なかったんですよ。勤労学生だったし、大学院進学か国家公務員試験を目指しつつも、好きで得意な何かを早く収入に結び付けられないかといろいろ努力してたし。夜遅くなるとしたら、
「実験が夜9時に終わって、それから部活、夜10時半に大学を出て、それから食事したり銭湯に行ったり洗濯したり、午前1時に帰宅して寝る」
といったことだったので。
それをそのまま答えたら、「ウソぉ!」と全否定されたわけです。あんまり辛いので、大学3年以後、仕事等を理由にして、一度も夏休みに実家に帰っていません。 
それから30年近くの時間は必要でしたが、今、こういうことを言えるようになって、本当によかったと思っています。 

生活保護当事者に、不正受給を唆さないで!

エントリー
「働けるのに、働きたくないから、働かない」生活保護当事者って?」
に書いたとおり、生活保護当事者の多くは「働きたくないので、働かない」という方ではありません。
そういう方も少数ながらいますけれども、むしろ探すのに苦労する、「珍しい」といってよいほどの存在です。
今、働いていない生活保護当事者で「働きたくない」という言葉を口にする方々でも、丁寧に話を聞いてみると
「働きたいけれども、自分に出来そうで続けられそうな仕事がない」
というような言葉を口にされることが多いのです。
就労のネックになっているのは、

・生活保護を利用して病気の治療を行ってきており、現在、病気は軽快しつつあるのだけれども、直前5年間に就労実績が(短時間のバイトといえども)全くない
・単発の2~3時間程度のバイトでいいから仕事を始めてみたいのだけど、応募してみても落とされるばかり
・心身の状況が不安定。調子のよい日なら1日10時間くらい働けるかもしれないが、調子の悪い日なら出勤(自宅での仕事の場合、仕事への着手)も無理
・最終学歴が中卒または高校中退、なおかつ年齢が40代以上

といったことです。

拙著ですみません。生活保護当事者と置かれている状況のアウトラインを理解するために、ぜひご一読を。

Kindle版もあります。


本人たちの人間関係に一定の豊かさや厚みがあれば、周辺の理解者を通じて、仕事はそれでもポツポツとは回ってきます。そこに落とし穴があるんです。
「福祉事務所にバレないように、こっそり働いて、こっそりお金使えばいいじゃない」
といったアドバイスをしたり、実際に仕事を回して報酬を支払ったりしてしまう人が、結構いるのです。
私はそういう話を、7人程度から聞いています。アドバイスの主は、かかりつけの医師であったり、生活保護制度についてよく知らない公務員であったりする場合もあります。その人たちが何を言ったのかを少し詳しく聞くと、背景には、
「生活保護当事者は支給される生活保護費の範囲で生活しなくてはならないので、 就労収入を得たら福祉事務所に全部持ってかれる。働いたら損する制度」
という誤解があるようです。 
「支給される生活保護費の範囲で生活しなくてはならない」
は、一応はその通りです。 しかし、
「就労収入は福祉事務所に全部持ってかれる」
はウソです。働いて得た収入の全部を自分で使えるわけではなく、所得税と同様、稼げば稼ぐほど多く「持ってかれる」のではありますが、働けば、可処分所得は若干は増えます。
現在、一ヶ月あたり15000円までの就労収入は、まるまる可処分所得の増加になります。 
2013年8月1日、生活保護基準の見直し(ほぼ引き下げ)が行われたのですが、その時、若干は「働いたらトク」となる見直しも行われました。それが、この「一ヶ月あたり15000円」です。それまでは8000円でした。

しかしながら、この「15000円の可処分所得増加」は、福祉事務所に収入申告を行った場合の話です。
もし、収入申告を行わず、
「12000円だから、いいよね」
と使ってしまうと、「就労収入の申告漏れ」ということで、ヘタすると不正受給扱いとなります。
さらに運が悪いと、いきなり起訴されて「前科一犯」にされてしまうかもしれません。

困ったことに、生活保護当事者に対して、就労申告に関する説明は充分になされていないようです。
「昨年8月から、15000円までは働いて可処分所得を増やせるようになった」 
ということを、私に聞いて初めて知った生活保護当事者が何人もいました。
ちゃんと説明しないでおいて、改正生活保護法で「不正受給の罰則を強化」だなんて。
もしかすると、不正受給の摘発「効率」を高くするために、わざと、不正受給にならないために必要な手続きを教えないのかも。そういう勘ぐりもしたくなります。 
役所が(全部ではありませんが)こうなんですから、善意の第三者は役所以上に、自分の善意が相手を陥れる結果にならないかどうか注意していただきたい。
切に、そう願います。 

ちなみに私は、生活保護当事者に仕事を依頼する場合、
「収入申告~!! 福祉事務所に行く元気もないなら担当ケースワーカーさんに電話の一本を~!!!」
と、だいたい3回くらいはメールで繰り返しています。 
もちろん、本人に注意を喚起するためです。
そして、もし本人が何らかの事情で(たとえば調子が悪くて福祉事務所に2ヶ月行けなかったとか)「収入申告漏れ」 ということになってしまったときに、私が「生活保護費不正受給の片棒をかついだ」ということにされないため、です。
生活保護当事者に対する支援を長く細く続けるためには、支援者が「共犯」にされないように神経を尖らせなくてはなりません。
そんな恐ろしい時代になってきましたからね。
ナチス・ドイツでユダヤ人を支援した市民たちが、何にどれだけ注意していたかに学ぶ必要があるほどかもしれません。 

街の中に障害者ホームを作ることは、ノーマライゼーションなのか?

東京都文京区に障害者ホームを建設する計画が、周辺住民の反対のため、2年にわたって実行出来ない状態のままになっています。

相次ぐ障害者ホーム反対の背景は (NHK NEWSWEB 2014年1月27日)

東京・文京区小石川にある障害者のグループホームの建設予定地では、2年余り前に計画が持ち上がってから一部の住民が反対運動を続けています。建設予定地の周辺には今も「障害者施設建設反対」と書かれたのぼり旗が立ち並んでいます。この場所には文京区出身の障害者10人が暮らすグループホームが建設される予定です。

ホームを建設する社会福祉法人の江澤嘉男施設長は、「障害のある方たちが地域の住民の方と普通に交わって、地域の中の一市民として認めてもらえるためにも、このグループホームができあがることがわれわれにとって悲願です」と話しています。

しかし文京区が開いた説明会では、建設に反対する住民から障害者への不安や嫌悪感を示す発言が相次ぎました。

説明会の議事録には反対する住民たちの発言が記されています。

「女性の後をつけ回したりしないか」「ギャーとか、動物的な声が聞こえる」「(地価など)資産価値が下がる」

こうしたグループホームへの反対運動は、今、全国各地で起きています。

いやはや。
地域住民がこういう発言を恥ずかしげもなくできるような都市で、オリンピック・パラリンピックを実施してもいいものでしょうかねぇ……。
正直、
日本の恥だと思います。
障害者の問題行為は障害によって起こっているわけではないことの方が多いし、障害が原因であるとしても適切な療育や介助で大半が解決します。
性的嫌がらせレベルの「女性の後をつけ回す」だったら、障害の有無と無関係に警察に通報すれば済む話(で、そんなことは、めったにあるものではないです)。
「ギャーとか、動物的な声」に関しては、嫌がらせやイジメに対する唯一の抵抗であることが大半です。
「資産価値が下がる」に関しては、よくもまあ恥ずかしげもなくそんなことを言えるものだと呆れます。

ただ、私は、別の面から、このグループホーム計画に抵抗を感じます。
「障害者ホームを街の中に作る」は、ノーマライゼーションでもなんでもないと思うからです。
記事末尾には、このような記述がありますけれども。

こうした状況への反省から生まれたのが、障害のある人たちが地域で普通に暮らせるようにという「ノーマライゼーション」の理念で、グループホームなどの設置もこのノーマライゼーションの視点から進められているのです。

は? グループホームづくりのどこが、ノーマライゼーションなの?

かつて障害者施設や障害者ホームは、人里離れた風光明媚なところに建設されるものであり、その中には浮世離れした世界がありました。良くも悪くも「生産」「社会参加」から切り離された、障害者と介助者だけの世界です。
現在も、基本的にこの流れは変わってはいません。精神科病棟を居住施設に転用するという計画も、厚労省主導で進められようとしています。
「精神科病棟の中で、1Fは精神科外来、2Fは入院施設、3Fと4Fが居住施設(もと入院施設)。居住施設にいる人は、入院しているわけではなく、病院の敷地の中で『地域生活』してるんですっ!(キリッ)」
という、
大嘘やゴマカシも大概にしてほしい話が、ヘタすると現実化してしまう状況です。
これに比べれば、文京区の街の中に障害者ホームを作り、もともと文京区で家族と暮らしていた障害者たちが今後もずっと住み慣れた地域で住めるようにすることは、決して悪いことには見えません。たぶん、悪いことではないのだと思います。

しかし。
なぜ、その障害者たちは、アパートを借りて入居することができないのでしょうか?
「一人では契約できない」「一人では生活を営むことが困難」などの問題があるとしたら、そこは介助者・NPO・障害者団体などに支援を依頼すれば済む話。
施設の中は、そのような支援が提供される場でもあるわけですけれども、同じような支援を施設の外で提供して悪い理由はありません。
24時間の見守りを必要とする障害者が一人でアパートを借りて住めば、少なくとも1人の介護職の雇用を生み出すことができます。
「ノーマライゼーション」という言葉は、せめてこういうことに対して使って欲しいと思うのです。

それでもしかし、せめて(人里離れた場所ではなく)街の中に障害者ホームを作ることが
「ノーマライゼーションの大きな一歩」
であり、社会福祉法人の方が「悲願」とまで言われる日本の現実は、私もわがこととして、痛いほど理解できます。
ああ情けない。
日本は先進国の看板を下ろすか、先進国にふさわしい行動をするかのどちらかにしてほしいです。

 

「明日、ママがいない」の放映は続行されるべき(反語)

ドラマ「明日、ママがいない」の放映が、
続行されるべきか中止されるべきかをめぐって
スポンサーのCM自粛も含めた大きな動きが起こっています。

今の成り行きを見ると、
近い将来に放映中止の判断がなされそうではあります。
ありうる、妥当な判断の一つだと思います。

しかし私はあえて、
「最終話まで放映されるべき(反語)」
と考えています。
このドラマに、
問題ありすぎる表現、関係者を傷つける表現が多いことは
承知しています。

・放送局の責任
 
  どのような体制、どのような意思決定のもとで、
 制作されオンエアされたのか。 
 その判断材料としても、ドラマそのものは重要です。
 多くの問題を含むドラマの放映を開始した以上、
 スポンサーが降りても最後まで放映するのも、
 一つの責任の取り方ではないでしょうか。

・表現者の責任

 すべての表現には、
 確かに誰かを傷つける可能性があります。
 その表現によって誰がどんなふうに傷つくか。
 表現する必要があると確信している表現者ならば、
 傷つけられる人々と傷つき方を見届けたうえで
 「ケツを拭く」 だけの覚悟があるのでしょう。

・視聴者の責任

 放映開始までには
 「視聴者は『あるある!』と思うだろう」
 「視聴者にウケるだろう」
 という判断が、明確にでなくともあったでしょう。
 「視聴者そういうもの」
 と考えられてしまっているモデルに近い視聴者は、
 少数であっても、確かにいるのでしょう。
 その番組を見ていない貴方は、
 「TVのドラマでもやってたから」
 と身近な誰かに事実であるかのごとく言われた時、
 「私、それ見てないけど、ちょっと違うんじゃないかと思う」
 と言えるでしょうか?
 世の中に流布しすぎているけれども、
 ちょっと考えてみると、どこかおかしな言説。
 たくさんあります。
 「ちょっと違うんじゃないの?」
 と言えますか?
 私も、生活保護問題を除くと、
 「ちょっと違う」と感じる自信も、
 「おかしい」といえる自信もないのです。
 さらに、その自信のなさについて、
 「私、TV持ってない歴30年だから免責ね」
 と言い訳するわけにもいかない気がしています。

放映が続行されるとしても、中止されるとしても、
なぜ放映に至ってしまったのかが
きちんと検証され、議論され、検討されますように。

間違っても
「抗議を受けたしスポンサーも降りたし
 BPOにも怒られちゃったから、
 仕方なく放映中止。
 おざなりな検証番組を作って、解決したことに」
という成り行きにならないことを、
私は心から望んでいます。
アフィリエイトにご注意
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著書です(2009年-)
「おしゃべりなコンピュータ
 音声合成技術の現在と未来」
(共著 2015.4 丸善出版)


「いちばんやさしいアルゴリズムの本」
 (執筆協力・永島孝 2013.9 技術評論社)


「生活保護リアル」
(2013.7 日本評論社)

「生活保護リアル(Kindle版)」
あります。

「ソフト・エッジ」
(中嶋震氏との共著 2013.3 丸善ライブラリー)


「組込みエンジニアのためのハードウェア入門」
(共著 2009.10 技術評論社)

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