2000年過ぎから2015年まで、「はてなダイアリー」でブログを続けてきました。
私の経験したことを、絶対になかったことにさせたくない。それが、モチベーションの源でした。
私の身体障害が発生し、生活が激変し、猫たちともども何とか生き延びた毎日のことも記されています。
私にハラスメントやイジメを行った人々や、その人々が何をしたかも、今と比べれば時間が経過していない生々しい間に書かれています。
もちろん、これらの記録が存在しては都合の悪い人々もいます。
何回もの圧力と戦い続けた末、ついに非公開へと追い込まれました。
公開できるサービスへの移行は何回も考えたんですが、エントリー数が3万に達していると、なかなか既存ツールを使った移行は難しく、いまだ実現できていません。
エクスポートしたデータを、とりあえず Internet Archive に保存してもらいました。
私にとっても相当な黒歴史。
出て来たら何かを失うようなものではありませんが、まあ、こっ恥ずかしい、若さゆえの過ちの数々というか。
でも、とにかく、なかったことにしないために、在り処を記しておきます。
ヤバくないバージョン(テキスト)
現政府審議会メンバーの昔のセクハラやイジメに関する記述は氏名を伏字にしてあります。
これと別に、やばいバージョンがあります。
当該の人名を伏字にし忘れている箇所があるはずです。
一度、当該の人物が「はてな」に抗議したとき、修正したんですが、修正漏れがあったようす。
数年後、これが理由で「はてな」からブログ自体を非公開にされました。
もう一つ。連載『障害サバイバル』の校了時テキストも。
フツーに開くと文字化けするので、ダウンロードのうえデコードください。
当初から書籍化を視野に入れていたはずの連載ですが、なぜか書籍化作業が始まった時、編集者は私の父親をチラチラ話題に出しながら書籍化を止めると言い始めました。他社に持っていくのもダメなのだそうです。本文の著作者は私ですから、編集者がNoと言っても書籍化は可能です。と言うと、編集者は「ウチで出さないわけではない」と言い出しました。にらみ合いの数ヶ月が続いた末、ブチ切れた編集者が「ウチでは出さない」の一言をぶちまけました。
現在は他社で書籍企画が通っており、全面的にリライトのうえ出版する見通しです。
ともあれ、誰にとって都合の悪い連載だったのか。多くの方々に読んで判断してほしいと思います。
そんなにバレて困ることなら、最初からしなければよかったんです。
もちろん、人間だから誤ることはあります。謝罪、償い、再発防止をすればよかったんです。
1965年に2歳だった私の当時30代の父親と20代の母親も、1967年に生まれた弟も、1972年に生まれた妹も、1999年に秋葉原「たん清」での事件の当事者だった当時20代の男性も、それが分からないようです。
ならば、私に出来ることはただ一つ、「なかったことにしない」のみ。
私の経験したことを、絶対になかったことにさせたくない。それが、モチベーションの源でした。
私の身体障害が発生し、生活が激変し、猫たちともども何とか生き延びた毎日のことも記されています。
私にハラスメントやイジメを行った人々や、その人々が何をしたかも、今と比べれば時間が経過していない生々しい間に書かれています。
もちろん、これらの記録が存在しては都合の悪い人々もいます。
何回もの圧力と戦い続けた末、ついに非公開へと追い込まれました。
公開できるサービスへの移行は何回も考えたんですが、エントリー数が3万に達していると、なかなか既存ツールを使った移行は難しく、いまだ実現できていません。
エクスポートしたデータを、とりあえず Internet Archive に保存してもらいました。
私にとっても相当な黒歴史。
出て来たら何かを失うようなものではありませんが、まあ、こっ恥ずかしい、若さゆえの過ちの数々というか。
でも、とにかく、なかったことにしないために、在り処を記しておきます。
ヤバくないバージョン(テキスト)
現政府審議会メンバーの昔のセクハラやイジメに関する記述は氏名を伏字にしてあります。
これと別に、やばいバージョンがあります。
当該の人名を伏字にし忘れている箇所があるはずです。
一度、当該の人物が「はてな」に抗議したとき、修正したんですが、修正漏れがあったようす。
数年後、これが理由で「はてな」からブログ自体を非公開にされました。
もう一つ。連載『障害サバイバル』の校了時テキストも。
フツーに開くと文字化けするので、ダウンロードのうえデコードください。
当初から書籍化を視野に入れていたはずの連載ですが、なぜか書籍化作業が始まった時、編集者は私の父親をチラチラ話題に出しながら書籍化を止めると言い始めました。他社に持っていくのもダメなのだそうです。本文の著作者は私ですから、編集者がNoと言っても書籍化は可能です。と言うと、編集者は「ウチで出さないわけではない」と言い出しました。にらみ合いの数ヶ月が続いた末、ブチ切れた編集者が「ウチでは出さない」の一言をぶちまけました。
現在は他社で書籍企画が通っており、全面的にリライトのうえ出版する見通しです。
ともあれ、誰にとって都合の悪い連載だったのか。多くの方々に読んで判断してほしいと思います。
そんなにバレて困ることなら、最初からしなければよかったんです。
もちろん、人間だから誤ることはあります。謝罪、償い、再発防止をすればよかったんです。
1965年に2歳だった私の当時30代の父親と20代の母親も、1967年に生まれた弟も、1972年に生まれた妹も、1999年に秋葉原「たん清」での事件の当事者だった当時20代の男性も、それが分からないようです。
ならば、私に出来ることはただ一つ、「なかったことにしない」のみ。