佐村河内守氏の一件で、聴覚障害認定の見直しが行われる方向のようです。
聴覚障害認定見直しへ有識者検討会設置へ 佐村河内問題で厚労相
2014.2.21 10:45

 田村憲久厚生労働相は21日午前の記者会見で、「両耳の聞こえない作曲家」として知られた佐村河内(さむらごうち)守氏の楽曲が別人作だった問題を受け、聴覚障害認定の見直しについて議論する有識者検討会を設置する考えを明らかにした。 
今、既に厳しすぎる状況のようです。

私は佐村河内氏にもこの事件にも全然興味ないので、自分が追う気はないんですけど、とりあえず知っていることをメモしておきます。
ただ、裏は取っていません。
記事化されたい方は、下記記載内容の裏とりはご自分でなさってください。

医師の友人(当時・医学生)からの2006年ごろの伝聞によれば、当時既に、聴覚障害の申請には音声に脳波が反応していないことを証明するデータが必要だったそうです。
「音声に脳波が反応する」
は、本人にとって意味のある「聞こえ」があることを必ずしも意味しませんが、
「とにかく、疑わしきには障害者手帳を出さないという方針になっている」
というふうに彼女は言っていました。

この後、2008年春、北海道で多数の偽装障害者の存在が発覚し、関わった医師とブローカーが逮捕されるという事件がありました。この後は、ほとんど完全に
「脳波が反応したら聴覚障害じゃないからね」
ということになっていると聞いています。

冒頭に引用した記事によると、

田村氏は「今の検査の手法でいいのか、身体障害者手帳を交付した後に途中で確認することが必要なのかどうかを検討する」と説明。

ともあります。
再確認ってことは、
「こいつ都合悪いから障害者手帳を取り上げて生きられなくしちゃえ」
という恣意的運用がありうるということですよね。
障害者運動家にとっては、そんなこと日常茶飯事(地域にもよるが)ですから。
私なんか真っ先に槍玉にあげられるんじゃないかなあ。

そもそも聴覚障害って、脳波がどうのこうのだけで判断できるわけじゃないんですけどね。
音が歪んで聞こえるとか、大きな雑音が常に聞こえるとか、いろんなタイプがあるんです。
どういうタイプでも、「聞こえ」に問題があって生活が障害されていることに変わりはないのです。
「大声で話してもらえば聞こえる」とも「補聴器があれば聞こえる」とも限らないんです。
とにかく、
「脳波が反応したらアウト」
ということにしてしまえば、
「疑わしきは障害者手帳を出さない」
ということになり、偽装を含めてグレーゾーンは排除できるというわけです。
でも、それでいいんですか?
日本人多数は、
「グレーゾーンの人が、どこでどんなふうに困って、どこで野たれ死のうが、知ったことか」
というふうに考えるようになっているのでしょうか?
そんなことを、多数決とか世論の流れとかで決めてしまっていいんでしょうか?
日本人多数は、それでいいんでしょうね。
佐村河内氏の一件の騒がれ方を見ていると、そういうふうに思えてなりません。

恐ろしい世界です。
私は、この世界で生きていくことはできないのではないかと悲観的になります。