基本的にあまり関心ないんですが、思うところを書き留めておきます。

・ゴーストライターへの報酬→安すぎる 

交響曲を含む20曲で720万円は安すぎると思います。あまりゴーストライターをバカにするもんじゃないですよ。もし、妥当な対価を支払っていたら、ゴーストライター氏による告発はなかったのかもしれません。

・曲そのもの→どうでもいい

「いい曲」「感動的」などと人に勧められ、ちらっと小耳にはさむ程度に聴いてみたことだったら何回かあります。特に印象に残らず、また聴いてみたいとも思いませんでした。
 
・楽曲に対する評価→時間が下す

楽曲に対する評価は、時間が下すと思っています。優れた曲であれば、どういう物語のアヤがあろうが、本当に作曲したのが誰であろうが、10年後、30年後、100年後に未だ聞かれているでしょう。
 
・障害偽装→本当だったら、てめえ、一発殴らせろ!

 
聴覚障害を偽装していた件に関しては、
「事実だったらボコボコにしたる!」
と思っています。脳内言語はもう、博多弁のケンカ言葉で
「きっさーん、くらさるーぞ」
です。
告発とかなんとかタルいことやってないで、この手でボコりたい。できるなら、の話ですが。
「聴覚障害のある作曲家であることをウリにしたい」
という低すぎる志で障害偽装やられたら、本物の障害者が思い切り迷惑するんです。

・佐村河内氏が障害者手帳を返納すればそれで済むのか?→たぶん、そんなことはない
  
日本的に「障害者手帳を持っている人だけが障害者」ということにしてしまうと、障害のある/なしの違いは白と黒のようなものなんですが、実際には広いグレーゾーンがあります。そもそも、日本の障害認定の厳しさと(公認の)障害者の比率の低さは、先進国の中では異常なのです。
佐村河内氏が、聴覚障害がないにもかかわらず聴覚障害による障害者手帳を取得していたのか、あるいは聴覚障害だったのだけど軽快した後にも障害者手帳を返納していなかっただけなのかは知りません。
ただ、
「医師の判断を重く見ての障害者手帳の発行、しかも再判定なし」
は、不正・不適切とは言いがたい側面を持っています。
考えてみてください。
現に障害があり、生活に制約や支障が発生しているけれども、何らかの理由(原因疾患に関する確定診断がつかないなど)で障害者手帳の交付基準を満たさない場合、その人は
「障害があるけれども、障害によるハンディキャップを、障害がありながら自腹・自力で埋めなくてはならない」
という状況に陥るのです。そして、それは不可能なのです。
そういう状況に陥った人は、生きるために不可能なことを続けて自滅するか、生きることを断念して社会的にも生物学的にも死に追い詰められるか、の二択を迫られることになります。
このようなケース多数を、医師の裁量権が救済してきました。
私もそういうふうに救済されたので、現在があります。
「再判定なし」での障害者手帳発行にも、同様の背景があります。手帳発行の裁量を行った医師がいなくなった場合、同様の裁量をする医師に出会えなかったら、その人は再判定のときにどうなるんでしょうか? 
本当に、生きていけなくなるんですよ。
細々とでも職業生活を営んでいた障害者は、「障害者」と公認されなくなったら、その細々とした職業生活も不可能になるでしょう。
佐村河内氏の件を「偽装」「偽装」と騒ぎ立てる人たちに、そこらへんを少しくらい考えてほしい。そう願ってもバチは当たらないと思います。

・そもそも「障害(者)」って何?→少なくとも「日本で障害者手帳の交付を受けることが可能な人」のことではない

一連のゴタゴタの背景の一つとなっているのは、「グレーゾーンの人に障害者手帳を出す」です。これは不正の温床として咎められるべきことなのでしょうか?
つい先月、日本政府も批准した国連障害者権利条約の前文のこのあたりを読めば、「グレーゾーンの人に障害者手帳を出さない」こそ、まぎれもない障害者差別であることをご理解いただけるかと思います。

(e) 障害〔ディスアビリティ〕が形成途上にある〔徐々に発展している〕概念であること、また、障害が機能障害〔インペアメント〕のある人と態度及び環境に関する障壁との相互作用であって、機能障害のある人が他の者との平等を基礎として社会に完全かつ効果的に参加することを妨げるものから生ずることを認め、
(f) 障害者に関する世界行動計画及び障害のある人の機会均等化に関する基準規則に規定する原則及び政策指針が、障害のある人の機会を一層均等化するための国内的、地域的及び国際的な政策、立案、計画及び行動の促進、形成及び評価に影響を及ぼすに当たり重要であることを認め、

「障害のある人の権利に関する条約」 および 「障害のある人の権利に関する条約の選択議定書」 川島聡=長瀬修 仮訳(2008年5月30日付) より)←日本外務省訳より原文を正確に反映しています

たまに、グレーゾーンがあることを悪用する人がいるからといって、グレーゾーンの人が生きていけなくなるような適用をしてはいけません。
そんなことをされたら、私も生きていけなくなりますから、私は自分の生存のために「そんなことはしないでほしい」と主張します。