白血病との闘いを続けてきた京大大学院生・山口雄也さん(Twitter: @Yuya__Yamaguchi)のご著書、『「がんになって良かった」と言いたい』から基本は1節ずつ抜き書きして、自分のメモを記すシリーズ、番外編その5です。

本記事では、このシリーズを書きはじめて書き続けるにあたって、乗り越えなくてはならなかった私の内心の障壁について述べます。その内心の障壁は、私が中途障害者であることによってもたらされました。




山口雄也さんが亡くなって薄れたモチベーション

 この抜き書きとメモを書き続けてきたモチベーションは、「何らかの形で山口さんを励ましたい」というところにありました。
 山口さんやご著書について触れることは、私にとって、実はかなりのリスクを伴うことでもありました。「山口さんを励ましたい」という思いが、辛うじてリスクへの恐れを乗り越えさせてくれていたわです。亡くなられてしまうと、リスクを乗り越えるパワーがやはり少なくなってしまいました。
 闘病中の方の闘病記を紹介することが、なぜリスクになりうるのか。おそらく多くの方々には想像もつかないことでしょう。


障害者が生きていくということ

 私は障害当事者です。
 障害者の中では、しばしば「障害者は生き延びるために運動家になる」と言われています。これは事実です。障害者になると、生きて暮らすだけでいちいち「私にも基本的人権があるはずだ」という主張を繰り返す必要があります。さらに、そんな主張をした「罰」として見えない棒で殴られたり空気を薄くされたりするような思いをすることが連続します。それでも主張しなくては生きていけません。「黙っているから生きていけない」「黙っていないから生きていけない」の両方の圧力が存在する中で、「ああ辛うじて今日も死んでない」というような日々が続くことになります。よほど例外的に恵まれた障害者、あるいは例外的な獲得に成功した障害者でない限り、現在も大なり小なりこれが現実。

 障害者として生まれた人、あるいは障害者となった人にとって、既存の障害者運動や障害者コミュニティとつながることは「今日も死んでなくて生きて暮らせてる」という毎日を送るために必須です。日本の障害者運動は、特に身体障害に関しては、世界トップレベルの実績を積み重ねてきた存在でもあります。2000年以後は後退気味ではあるのですけど、それでも世界に誇るべき水準が今も維持されています。2020年以後は新型コロナの影響でさらに悲惨なことになっているのですが、それでも世界的には「まだマシ」な方かもしれないんですよね。


「生きるに値する命」の判断をしない論理

 障害者運動の論理の中では、障害者が生きるにあたって「どのような障害者であるか」ということを一切問わない原則です。そこを問題にすると、「この障害者は生きるに値しない」という判断をすることになります。その判断のラインは、引いたらおしまいです。いつか、そのラインが自分を「生きるに値しない」とするところに移動するかもしれないわけですから。

 私は「あらゆる人命は生きるに値する」という論理を全面的に肯定しています。そうしないと障害者の生存を守れないという現実があります。また、なんとなく人類史の中で維持されてきた「生きるに値しない人命がある」という前提条件をいったん留保して、「あらゆる人命は生きるに値する」という仮定を現実として実現するためにどうすればよいかを追求する路線に大きな魅力を感じます。

 が、障害者の社会の中では、私がそんなふうに考えているとは思われていません。何百回そう主張しても、そのたびに「本当は優生主義で能力主義でネオリベなんでしょ?」という矢が飛んできます。


中途障害者には、障害者になるまでの人生がある

 中途障害者には、障害者になるまでの人生があります。それが良いかどうかはさておいて。
 障害のない子どもは、スクールバスや公共交通機関を使って、あるいは遠隔地で寮生活をしながら、特別支援学校に通ったりしません。地元の小中学校(あるいは受験して他地域の小中学校)に通学し、障害児がいない環境(注)で教育を受け、障害があることを前提としない進路へと進みます。
 中途障害者は、健常者向けの人生コースのどこかで障害者になった人です。健常者としての人生の蓄積や経験があり、それを失うことへの痛みがあるわけです。でもそれは、障害者の社会の中で堂々と言えるようなことではありません。
 生まれながらの障害者の多くは、自分が失ってイタいものや健常者としての機会を、最初から与えられていなかったわけです。その責任は、私にはありません。しかし、「自分にとって自然だったり当たり前だったりしたものの存在で傷つく人がいる」ということは事実です。
 かくして、不用意に誰かを傷つけないように障害者になるまでの自分についてはなるべく語らないことになります。そうすることは、「実は優生主義者で差別主義者」といった反発や陰口を避けるための処世術としても必要です。障害者運動や障害者コミュニティとのお付き合いが「そこはそれ」で済むのであれば、「そこではそういう自分を演じる」というだけの話です。でも中途障害者とはいえ、自分が障害者であるということは、もはや自分の全人的な前提です。

 ぶっちゃけて言いましょうか。
 私は1990年に大学院修士課程を修了し、2005年に発生した身体障害により障害者となりました。そして2021年現在、1990年の学歴によって攻撃されることが続いているんです。「障害者の誰もが、いつも」というわけではありませんが、1990年の私の学歴を知っていて10年以上お付き合いしていたはずの障害者が、いきなり学歴逆差別を始めたりします。もちろん、そんなことをする方とお付き合いしつづける必要はありません。でも「ああ、そうですか。じゃ、絶交」ときっぱり切ってしまうと、相手は「学歴差別された」「あいつは能力主義」をはじめとするないことないことを影で主張するでしょう。私が生きるにあたって必要な障害者からの助力が、「あいつは障害者の敵だから」という理由で得られなくなるかもしれません。これらは可能性ではなく現実です。似たようなことは他の障害者にも起こりつづけています。
 こんなことを書くと、「障害者運動を悪く言っている」という罪により何らかの罰を課されるのかもしれません。これも私が経験してきた現実です。私は「人間や人間のグループのやることが、全面的にきれいごとであったり、何ら批判されるべき側面を持っていなかったりするわけはない」という認識ですし、その認識に基づいてものを言っているだけですが。

注:
私は1970年に地元の公立小学校に入学しました。養護教育義務化ですべての障害児に義務教育の機会が確保されたのは1979年でした。
私の通った小学校には、今でいう特別支援学級はありませんでした。小学校が絶対的に不足していて、理科室も家庭科室も音楽室も教室として利用せざるを得ないような状況でしたから、場所がなくて設置できなかったのです。
というわけで、現在なら特別支援学級や特別支援学校に行くかもしれない障害児が、健常児と同じクラスに当たり前にいました。軽度から中度の知的障害、弱視、難聴など。
先生方の主力は、戦後の焼け跡闇市時代に高校生だったり教員養成教育を受けたりした世代でした。そういう状況下で混乱混沌を招かずにクラスを運営して全員が折り合いをつけて幸せに暮らすノウハウは、それなりにお持ちのことが多かったです。
世代や制度から個人の経験が「こうであったはず」と言えるわけではないことは、強調しておきたいです。

私が京大大学院生に言及するということ

 山口さんのご著書やご闘病に公然の場で言及するために、私は勇気を奮い起こす必要がありました。ここまで述べてきた、私が障害者であるゆえに背負っているリスクを乗り越えなくてはならないからです(もちろん、私を過去の学歴によって攻撃する障害者の方々も、山口さんの闘病と今後の人生において人権が最大限に守られなくてはならないことを公然と否定するようなことはないでしょうけど)。

 でも私は、1984年に入学した大学、1988年に進学した大学院修士課程、並行していた職業生活の中で、半導体と情報処理と物理にどっぷり漬かっていました。山口さんに強い関心を抱いた背景の一つは、私自身に同じく理系院生としての経験があったことでした。闘病しつつの学業とその後の人生について、ある程度は「わがこと」としての想像が及んだわけです。

 私がそうであること自体が、同様の経験を積む機会に最初からアクセスできなかった障害者を傷つける可能性は、当然考えました。でも私は結局「学歴も能力も関係ねーじゃん!」と割り切ることにしました。
 「高学歴だから」「さまざまな能力を持っているから」といったことがらゆえに「だから生きてよい」という論理を受け入れない障害者運動の論理は、私と重なるバックグラウンドを持っている人への理解や共感や関心を明らかにすることと両立するだろうと考えたのです。といいますか、わざわざ考える必要がないほど当然です。ただ、感情あるいは過去の障害者運動の行きがかりの問題として、「京大大学院生の闘病に”だけ”共感を表明しているアイツは優生主義で能力主義でネオリベ」といった攻撃が表で裏で噴出するリスクは、現実として覚悟せざるを得ません。

 覚悟のうえで一定のリスクを見込みつつ、私は山口さんのご著書への言及をはじめました。今、亡くなられてしまって、「それでもやる」という根性は少し萎え気味。でも、そのうち再開するでしょう。

闘病する若い方、そしてご家族のために

 闘病する若年の方、闘病を経て健康に不安を抱えつつ生きる方、そしてご家族のために「何かできないか」というお気持ちを持たれる方には、以下の事柄を提案いたします。
  • とりあえず、山口雄也さんやご遺族に関する情報を求めたり探ったりしない。ご遺族が自ら公表されるまで待ちましょう
  • 山口雄也さんのツイッターを読み、参考になったと思ったら「いいね」をクリックする
  • ご著書を読む。できればAmazonhonto読書メーターなどにレビューを書く
  • noteでご記事を読み、良いと思ったら「スキ」やコメントをする
  • 献血する。献血センターがいかに素敵な場所であるかをSNS等で述べる(山口さんは、治療に大量の輸血を必要としており、献血への意識喚起もされていました)
  • 献血できない人は、日赤などによる献血のお願いをSNS等で拡散する
  • 重い病気と闘病する人々やその家族、亡くなった方の遺族の心境について、信頼おける書籍を読み、傷つけることなく支援する方法へと近づく
  • 選挙権をお持ちの方は、選挙があれば棄権しない。病気や後遺障害を抱えた方やそのケアにあたる家族を支えてくれそうな候補者に投票する