みわよしこのなんでもブログ : 2021年05月

みわよしこのなんでもブログ

ライター・みわよしこのブログ。猫話、料理の話、車椅子での日常悲喜こもごも、時には真面目な記事も。アフィリエイトの実験場として割り切り、テーマは限定しません。



2021年05月

[特設]山口雄也『「がんになって良かった」と言いたい』抜き書きと感想(11/n)

白血病との闘いを続けている京大大学院生・山口雄也さん(Twitter: @Yuya__Yamaguchi)のご著書、『「がんになって良かった」と言いたい』から基本は1節ずつ抜き書きして、自分のメモを記すシリーズの11回目です。
 私は Amazon Kindle 版を購入しましたが、紙の書籍もあります。





スターライト(2018. 4. 3)

 人間の精神における「正常」と「異常」、そして人間が必ず経験する喪失とその後に関する示唆に満ちた本節は、山口さんのがんがいったん寛解し、穏やかな生活が続いていたころに書かれました。

 人間の内部には、多かれ少なかれ空洞がある。(略)とにかくそれは、誰にも彼にも存在しているのだ、と。
 ところが空洞には、とりわけ頑丈な蓋が施されていて、僕たちはたいていそれを閉じたまま生きていくことができるようになっている。(略)
 しかしながらある種の人間の場合、その蓋は往々にして無意識のうちに開場され、あらゆるエネルギーがその空洞に落とし込まれるのだ。  

 空洞の中には、低次から高次までのありとあらゆる欲求が落とし込まれ、消えるかのように見えますが、実は消えておらず、姿を変えて自分のもとにやってきます。人間がそういうものである以上、誰にも起こりうることなのでしょう。

 その空洞を虚無と呼ぶ者もいるし、鬱と呼ぶ者もいる。

 記憶。自分を支えてきた過去。

 自分にとっての過去のほとんどは、輝きを放っていたはずだった。
 しかし、それがいつしか僕を苦しめるようになった。

 自分を形作ってきたものが、自分を苦しめるという感覚。こういったことから精神症状が発生する可能性(ホルモンバランスを含め、精神症状の多くは原因不明です)があるとすれば、誰もが一定条件下で精神症状を経験しうることになります。

 星々のような記憶が自分を苦しめる様子は、宇宙論の知見になぞらえて描かれます。

 エネルギーの源だったはずの記憶の塊が、星座が、ある出来事を境に爆発してエネルギーを奪うようになる。
 輝きを放っていたはずの過去は、天の川は、光さえ吸収するほど黒ずんでしまう。

 がんが発覚する前の自分、そして現在の自分を比べる山口さん。

 何もかもさめてしまったのだ、と思う。
 もう星を探してはいけないのだ、と。今現在の言動が、いつか未来の自分を攻撃してしまうのだ、と。

 似たような感情を経験したことがある、と思い当たる方は少なくないことでしょう。私自身はそうです。ただ、がんで余命を宣告されたことはありません。敢えて、「似ている部分もある」「部分的には共通点がなくはない」程度の共感にとどめておくべきだと思います。辛い時の安易な「わかる、わかる」ほど、辛さを大きくするものはありません。

 山口さんは、がん以前に思い描いたものではない現在を生きつつ、がんの前後で変わってしまった自分の過去を位置づけしなおす方向へと向います。ただし、焦らずに。

 「確かにさめてしまったが、全てがさめてしまったわけではないのだ」、そう思った。
 歪んでいたはずの過去は、まだ上手く解釈できないけれど、少しずつ元の形に戻ろうとしている。無理に言葉にする必要はない。目を閉じて待てばいい。

 そして、車を運転していた山口さんは、アクセルペダルを踏みます。車の運転をしたことがない私も「そういう感じなのだなあ」と共に爽快感を感じているような気持ちになります。


山口雄也さんを応援する方法の例

 ご本人やご家族のために何かしたいというお気持ちを抱かれた方は、どうぞご無理ない形で応援をお願いします。ご家族を間接的に支えることも、ご本人への支えになります。
  • ツイッターで「いいね」やメンションによるメッセージを送る
  • ご著書を読んで、Amazonhonto読書メーターなどにレビューを書く
  • noteでご記事を読む・サポート(投げ銭)する・有料記事を購入する
  • 献血をして、献血センターがいかに素敵な場所であるかをSNS等で述べる(山口さんは、治療に大量の輸血を必要としています)
  • 献血できない人は、日赤などによる献血のお願いをSNS等で拡散する
  • 重い病気と闘病する人々やその家族の心境について、信頼おける書籍を読み、傷つけることなく支援する方法へと近づく



本記事を書いて推薦したくなったコンテンツ


 精神疾患を持つ人々が何を必要としているのかを考える上で必読と思われる書籍を、精神科医が医療者に向けた書籍・精神科医が支援者に向けた書籍の2点紹介します。




 精神疾患を持つ当事者による書籍も紹介したいのですが、私の認識では決定版といえるものがありません。むしろ、健全なことでしょう。
 もっともっと当事者による発信が増えて、誰もが自分にフィットするコンテンツ群に接することができ、自分のために編集することが容易になればいいと思います。


[特設]山口雄也『「がんになって良かった」と言いたい』抜き書きと感想(10/n)

白血病との闘いを続けている京大大学院生・山口雄也さん(Twitter: @Yuya__Yamaguchi)のご著書、『「がんになって良かった」と言いたい』から基本は1節ずつ抜き書きして、自分のメモを記すシリーズの10回目です。
 私は Amazon Kindle 版を購入しましたが、紙の書籍もあります。





報われない努力(2017. 11. 25)

 11月24日を、山口さんは「告知日」と命名しました。がんの告知を受けた日だったからです。
 それから1年と1日が経過した日、闘病生活を振り返ります。

激動の一年はこれほどまでに長かった。

 山口さんは、誕生日を第一の人生の始まり、告知日を第二の人生の始まりとしています。
(引用者注:誕生日と告知日は)どちらも大きな声で叫ぶように泣いた日で、右も左も分からない世界に入った日だ。そしてどちらにおいても、あることを思いしらされた。

――「努力は報われない」

 「あらあら、生まれたばかりの赤ちゃんが”努力は報われない”なんて言わないでしょうが」と突っ込みたくなりますが、もしかすると赤ちゃんは「ずっと胎内にいたかったのに!」と泣きながら生まれるのかもしれませんね。

 叙述は、京大の大学祭での林修氏による特別講義へと移ります。予備校講師として高名な林修氏は、「天授」という言葉を繰り返します。天がどのような才能を与えるか。生まれてくる本人は選ぶことができません。
 さらに叙述は、山口さんの心象描写へと移ります。いやもう巧すぎる。時期はちょうど、クリスマス1ヶ月前。

 もう二度とクリスマスが訪れることはないだろうと感じながらクリスマスソングを聴く人間の気持ちが分かるだろうか?
 絶対に分からないだろう。
 病気が治るかどうかは、努力の如何ではなかった。全ては運だった。
 (中略)
 あらゆるものは天授だ。


 林修氏の演題は、「やりたいことと出来ること」。林氏は「出来ること」を「社会に認められること」と規定します。「報酬が得られること」ではないのです。おそらく林氏は、予備校講師として、努力したいのに出来る状況ではなくなった受験生、不本意な結果しか出せず泣いた受験生、希望の進学を遂げたあとに「こんなはずでは」と苦悩する元受験生の大学生を、数多く見てきたことでしょう。そういう受験生や元受験生に対するデリカシーを感じます。

 林氏によれば、「やりたい」「出来る」の組み合わせは、以下の4通りになります。

  1. やりたいこと・出来ること
  2. やりたくないこと・出来ること
  3. やりたくないこと・出来ないこと
  4. やりたいこと・出来ないこと
 「1」で生きていける少数の人々は幸運です。が、サイアクと思われる「3」で生きるしかない人も少なく、多くの人々は「2」または「4」のどちらかで生きていくことになります。

 山口さんの意識は、為末大氏の言葉へと向かいます。夢を叶えるための努力は、無駄に終わるかもしれません。でも、努力の日々そのものが報酬であったのかもしれません。山口さんは考えます。

 病が癒えなかったからといって、これまでの努力は無駄になるのだろうか。大学に受からなかったからといって、これまでの受験勉強は無駄になるのだろうか。追い続けた夢を諦めたとして、その過程を無駄だと言い切ることは、果たして出来るのだろうか。

 山口さんは、為末氏の言葉を噛み締めます。ときには逃げることも必要です。逃げは、自分が何に縛られていたのか気づく契機になります。自分の足元では、大小さまざまな価値が発見されることを待っていそうです。

 山口さんが、これからも多様な価値を発見していく長い年月を送っていけますように。ただ祈ります。


山口雄也さんを応援する方法の例

 ご本人やご家族のために何かしたいというお気持ちを抱かれた方は、どうぞご無理ない形で応援をお願いします。ご家族を間接的に支えることも、ご本人への支えになります。
  • ツイッターで「いいね」やメンションによるメッセージを送る
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本記事を書いて推薦したくなったコンテンツ


 脚本家の内館牧子さん、コラムニストの上原隆さんのご著書から4点を推薦します。
 特に内館さんのこれらのご著書は、日本の女性とキャリアを考える上でも歴史的価値を発見されるべきものだと思っています。


[特設]山口雄也『「がんになって良かった」と言いたい』抜き書きと感想(9/n)

白血病との闘いを続けている京大大学院生・山口雄也さん(Twitter: @Yuya__Yamaguchi)のご著書、『「がんになって良かった」と言いたい』から抜き書きして、自分のメモを記すシリーズの9回目です。
 私は Amazon Kindle 版を購入しましたが、紙の書籍もあります。





ハタチ(2017. 10. 18)

街の中で親と子が仲睦まじくしているのを見て涙が溢れてきたのは、何かを思い出したからでも、もう戻れないからでもなかった。単にその現実が、十九歳だった自分にとって重すぎただけだった。

 がんの手術を終えた後の山口さんは、抗がん剤治療を続けていました。抗がん剤の多くは、がん細胞だけを効率的に狙い撃ちできる段階には達していません。自分自身の細胞も同時に細胞分裂を抑えられることになります。こと生殖機能に関して、影響は深刻です。

 この節を、私は首をかしげながら読みはじめました。19歳の男性が、なぜそんなに自分の遺伝子を引き継いだ子どもにこだわるのでしょうか?

妊孕性ーーこの字は読めないままで良かった。この言葉を使うことのない人生が良かった。僕は将来幸せでなくてもいい、金持ちでなくてもいい。ただ、いつか自分の子供と酒を飲めたらいい。そう思っていたし、今でも思っている。そんな些細な楽しみでさえ、毒物(引用者注:抗がん剤)は奪っていった。

 山口さんの場合、精子保存が出来ないまま抗がん剤治療が継続されることになりました。もしかすると、将来にわたって自分の遺伝子を引き継いだ子どもを持つことが不可能になってしまうかもしれません。自分の肉体に自然に備わっているはずの能力が、使われないまま消滅してしまうかもしれないことの喪失感。私には、想像してみることしかできません。そして、想像できません。

 自分の遺伝子を受け継ぐ我が子を持てないかもしれない痛みが語られた後、やや唐突に、山口さんの20歳の誕生日へと記述が移ります。

 10代最後の日、子ども時代からのかかりつけ小児科医院で受ける日本脳炎ワクチン接種。生まれる前から20年分の記録が残る母子手帳。小児科医院を訪れる乳児と母親。そして自分自身は血を分けた子供を持てないかもしれない運命。現在と過去、希望と絶望が激しく交錯します。

 ここまで二十年、なにはともあれ生きてきた。
 生きていることの喜びと、生きていくことの難しさを同時に感じながら、星空を見上げた。今朝の雨予報も嘘だった。

 医学に基づく知見の多くは、あくまでも確率を示すものです。降水確率と同様に。現在の医学による「あなたは自分の遺伝子を引き継ぐ子どもは持てないかもしれません」という予言は、実現しないかもしれません。

 20歳の誕生日のその日、山口さんは両親と酒を酌み交わします。すごいなあ。20歳まで本当に飲んだことがなかったとは。私なんて中学受験で酒(以下自粛)。

 うまかった。うまかった。泣きそうになるほどうまかった。
 食後のケーキを食らいながら、アルコールの余韻と幼子の瞳は、いつまでも頭蓋にとどまって離れなかった。


 19歳の山口さんが、なぜ「我が子」にそこまでこだわるのか。がんによって生殖能力を失う可能性に直面した経験がない私には、わがこととして共感をもって受け止めることはできません。そもそも、そこまで強く「我が子が欲しい」と思ったことは一度もなかったのです。

 山口さんにとって、「両親の間に生まれて育った自分ら子どもたち」というモデルは、「いつか出会う配偶者と、その間に生まれる我が子」として継承されるものであったのでしょう。なぜ、「父親と母親と子どもたち」のモデルを、自分が成長した子どもとなって再び実現しなくてはならないのか。
 それはきっと「良きものを模倣して自分なりの何かを作り上げていく」という、学問にも芸術にも職業生活にも見られる、それどころか人間限定でさえない、生き物にとって普遍的なプロセスです。
 すなわち山口さんにとって、子どもとして両親やきょうだいとともに育ってきた家庭そのものが、模倣したい「良きもの」なのです。

 ここまで考えて、私は自分自身に大きな欠落があることに気づきました。私は、「今経験しているこれを、自分も我が子のために実現したい」と思える家庭生活や幼少期を経験したことがなかったのです。「悪しき家庭モデルがインプリメントされた」というわけでさえなく、おそらくは「家庭モデルがインプリメントされてない」という状況のまま現在に至ったのです。
 私が物心ついた時から、両親が作ってきた家庭は「ここじゃないどこかに逃げていきたい、なんならあの世でも」というものでした。4歳の私は、なれるかどうかを真面目に考えることなく作家かシナリオライターになろうと志し、自己流で訓練をしはじめていました。本気で「原稿料で家出しよう」と考えたのです。結果として、文筆でゴハンを食べる人になることはできました。50年以上が経過した現在も、その職業に就き続けています。4歳の私に声をかけることができたら、「あなたの夢は、あなたが思っている以上に素晴らしい形で実現する」と教えてやりたいです。そこだけを見れば、「虐待経験が私を育てた」ということも可能かもしれません。

 同時に、「もしも将来、自分の子どもを持ったら、幼少の自分がそこまで考えたような家庭環境を与えることだけはしたくない」とも思っていました。20歳で実家を離れた私の前には、誰かと巡り合って家庭を作るという可能性が開けました。結婚を考えて付き合った相手も2人います。ところが、私は「家庭のやり方が分からない」という現実に直面することになりました。自分が生まれ育った家庭ではない家庭の姿は、ドラマや映画や小説やコミックの中にしか見たことがありません。そこに出てくる場面やセリフが、現実の家庭に出てくる場面やセリフのすべてを網羅しているわけはありません。特別な出来事が起こるわけではない家庭の日常の中で、どういう顔をして、何を話していればいいのか。相手と1対1なら、まだなんとかなります。しかし、いざ結婚が現実に近づくと、相手方の血縁者との接触が発生します。そこには「自分のイメージする家庭」というものを持っている年長者がたくさんいます。「その人がそういうイメージを抱くことは尊重するけれども、それを私のものとしては使いたくない」と感じた時、どう言えばよいのでしょうか。「No」なら、当時の私にも言えました。でも「対案」を示すことができません。示さなくてもよいのですが、自分の中にないのです。すると、相手の家庭イメージにすり潰されるしかありません。私は結局、結婚や家庭を作ることそのものを断念しました。こちらは真空。人間の生きていける大気圧は、無限大に近いような高圧となります。触れたら潰されるだけ。

 将来、自分が築くであろう家庭。将来、自分が抱くであろう我が子。がんと抗がん剤が、我が子という可能性を失わせるかもしれないということ。山口さんのそれらの記述を読み、まだ現実にはなっていない家庭やわが子が失われることへの痛みを読んだ私は、どうしても「なぜ?」という疑問を抑えられませんでした。
 そしてたどり着いたのは、「原家族と生育歴そのものが、私から家庭や我が子という可能性を失わせていた」という結論でした。同じ経験をしても、「だからこそ、全然違う家庭を築き上げ、幸せに育つ我が子を」という夢を描き、実現する人もいます。でも、私はそうではありませんでした。「絶対的に無理」と判断し、その可能性から離れました。

 しかたなかった。
 「家庭を作らず子どもを持たない生き方をするしかなかった」という結果は、私が自分の責任によって招いたものではないけれど、避けようがなかった。
 どうしようもなかった。とにかく、この問題で苦しむことはやめよう。
 心から、自分をそのように納得させることができました。

 山口さん、ありがとう。
 まずは、25歳のお誕生日を祝えますように。
 白血病が寛解しますように。
 ご自分の家庭を築き、血を分けていてもいなくても我が子と手をつなぐ日が来ますように。
 ただ、祈ります。


山口雄也さんを応援する方法の例

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本記事を書いて推薦したくなったコンテンツ


 育ってきた家庭や自分の生育経験を肯定的に捉え、好ましいモデルとして抱くことのできる方におすすめできる本は、想像つきません。
 しかしながら、とりあえず「自分は親や原家族のようにならないことができる」という確信を必要としている方に対しては、「私は親のようにならない」というタイトルそのまんまの本を推薦することができます。
 翻訳者の斎藤学医師に対する多様な評価は熟知していますが、この本の内容には、現在も有用な部分が数多く含まれていると思います。



[特設]山口雄也『「がんになって良かった」と言いたい』抜き書きと感想(番外編その2)

 白血病との闘いを続けている京大大学院生・山口雄也さん(Twitter: @Yuya__Yamaguchi)のご著書、『「がんになって良かった」と言いたい』から抜き書きして自分のメモを記すシリーズを、7回にわたって続けてきました。
 本記事は番外編として、見当たらなかったものについて述べます。それは、共働きで子どもたちを育ててきた山口さんのご両親に対する世間の批判や非難です。

 当該のご著書はこちら ↓ です。
 私は Amazon Kindle 版を購入しましたが、紙の書籍もあります。




働く母親への世間の批判が見当たらない


 山口さんのご両親は共働きです。そのことは、ご本人がツイッターで述べています。ご著書の中にも、保育園に通っていたことが記されています。

 ご著書で闘病について読み進めているとき、私にはやや違和感がありました。共働きのご両親、特にお母様に対して、息子が若くしてがんに罹患したことと結びつけて非難するようなご近所さんや親類はいなかったのでしょうか? 実はいろいろ言われてはいるけれども、息子の耳には決して入れなかったのでしょうか?

 ご著書は、あくまでも山口さんが自分の目線と立場から書かれています。ご家族は登場しますが、あくまでも息子である山口さんから見たご家族です。「もしも、◯◯という深刻な出来事があったら、山口さんを通してこのような描写が現れるはずではないか?」という私の仮定の中には、両親の共働きとがん罹患を結びつけて非難するご近所さんや親類の存在がありました。

 ご両親は、私より少し若年の方でしょうか。だとすると、ご両親が結婚や出産や育児を意識されたり実現したりされたころ、女性のライフプランや結婚や育児に関する世の中の認識は、私が20代や30代で経験してきたものと大差なかったのではないかと思います。山口さんの幼少期、ご両親の周辺には、「保育園に子どもを預けて働くなんて、子どもがかわいそう」「共働きの母親は子どもに充分な愛情を注げない(注いでいない)」「共働きだと食生活が乱れがちになるから子どもの身体が健全に育たない」といった声が大なり小なりあったはず。共働き家庭の子どもが非行に走ったり重い病気を患ったりすると、表に現れないまでも「それみたことか」というほくそ笑みが、近辺のどこかにあったはず。

 私には約10歳下の妹がおり、両親は戦前生まれで現在80代です。少なくとも私が30代半ばあたりまで、すなわち1990年代の後半まで、私の親やきょうだいが「共働きは子どもがかわいそう」という考え方を明確に否定したことはありません。20代や30代、初期の女性総合職として死ぬ思いをしながら職業生活を続けていた私に、母親は結婚や「親に孫の顔を見せる」ことへのプレッシャーをかけつづけました。1990年代に入った後、私は妹にから「子どもを保育園に預けるなんて」という非難をされたことがあります。妹は20歳を過ぎたばかり、私は30歳を過ぎたばかりでした。1990年代後半になると、母親は焦りからか「共働きもアリ」という認識を示すようになりましたが、母親はとにかく孫が欲しかっただけで、その孫を生む私の人生や職業はどうでもよかったようでした。私自身は「子どもを持ちたい」とは思わなくもなかったのですが、それほど強い欲求ではありませんでした。共働きに適した配偶者になれそうな男性を見つけることは、1990年代だと絶望的に困難だったりもしました。というわけで1990年代後半、35歳を過ぎるころに自分自身の子どもをあっさり断念し、世の中や世界の子どもに対する子育ての社会化に注力したいと思いました。

 山口さんのご母様は、1963年生まれの私と1972年生まれの妹の間あたりの世代に属しているのではないかと思います。よほどの進学校や高偏差値大学、あるいは「女子だからこそ手に職」というタイプの学校を除き、高校も高校以後も、教室の中には「女の幸せは結婚であるべき」というタイプの女子がいたはず。そういう思い込みがただされる機会も少なかったはず。

 その親世代、現在の団塊世代以上に当たる世代には、たとえばウーマン・リブ運動と子どもの共同保育のような活動をしていた人々もいました。しかしながら、ごく少数派でした。物心ついてから青年期まで「女の幸せは結婚」と思いこまされたまま専業主婦になるか。職業を持つ女性として生きていくのが大変すぎるので不本意に専業主婦になるか。そうではない人生を目指したい女性も、たいていは、それらのバリエーションへと追い込まれるものでした。

 他の選択肢が選択肢にならないから専業主婦になり、家事と育児に専念し、自分名義の収入を持っていない女性たちの近くに、職業生活を継続している女性がいて、しかも結婚していて子どももいる。案外、幸せそう。しかもフルタイムの母親ではないのに、子どもたちの出来が案外良い……となると、そこには嫉妬と憤懣が渦を巻く世界が生まれがちです。その女性たちが悪いというより、女性たちは親世代や男たちの代理戦争をさせられているわけでもあります。

 山口さんが幼少だった2000年前後、共働きでの育児は、正々堂々と市民権を得ていた時代だったでしょうか? そうではなかったという認識があります。というわけで、山口さんのがん罹患がご両親の共働き育児への「それみたことか」という批判や非難の噴き出し口にならなかったことは、私にとっては「ちょー驚き」でした。でも、冷静に考えてみると、現在ならそれが当たり前のような気もします。

 私なりに理由を推測してみます。
 山口さんが幼少だった2000年前後、共働きカップルが保育園も何もかもフル活用して共働きで仕事も育児も大切にするライフスタイルを実現し続けようとする場合、批判や非難は受けつつも、それなりに「存在するのが当たり前」という感じの理解が広がりつつもあったような気が。
 1990年をすぎてバブルが崩壊した後は、日本経済の低迷が続きました。「結婚後は片働き(という言い方はありませんが)で専業主婦になって家事育児に専念する」という選択肢は、選びたくても選べるとは限らないものとなっていきました。男性会社員の片働きによる夫妻のライフプランが、そもそも成立しにくくなっていったからです。というわけで、結婚して子どもが生まれたら共働き育児、あるいは最初から結婚しないという選択が増えました。そして、共働き育児が「当たり前」に近くなっていく2000年代を経て、「保育園落ちた日本死ね」が生まれる2010年代を迎えたわけです。

 2021年現在、保育園に子どもを預けて働くこと自体は批判や非難の対象になりえません。
 共働きで育児するカップルや個性豊かに健全に育ちゆく子どもたちを、内心、面白くなく思っている人々は、そこにもここにも実はいるのかもしれません。でも2010年代後半、その思いを正論めかして語ることは、既にはばかられる状況になっていました。「保育園落ちた日本死ね」は、大きな反感とともに、反感を上回る共感と支持を引き起こしました。山口さんのご両親を襲った「元気で優秀だった息子の10代でのがん罹患」という衝撃的な出来事は、概ね「保育園落ちた日本死ね」と同時期のことでした。「共働きで子どもを育てたから悪かった」という批判非難が、問題になるほど湧かなかったとすれば、その最大の背景は「時代が変わった」ということでしょう。

 このことに気づいたとき、私は嬉しくて涙が出てきました。世の中は、少しずつ少しずつマシな方へと動いているじゃないか、と。
 実際には、ご両親の共働きと育児をチクリと刺す声があったり、宗教や健康食品を押し付けたりする動きがあったのかもしれません。若干なら、時代や世代と関係なく起こりそうではあります。でも、大きな問題になるような規模では発生せず、継続もしなかったのなら? そういうことを口にした瞬間に、誰かが諌めるものになっているのだとしたら? 自分と違う生き方を認め、自分と違う生き方をしている家族を襲った衝撃を「他人の不幸は蜜の味」とすることを慎むようになっているのだとすれば? 
 「人間として当たり前のことがやりやすくなっているだけ」と言えばそれまでですが、日本社会にとっては大変な達成です。


山口雄也さんを応援する方法の例

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今日はコンテンツの推薦はありません

 Amazonの山口さんのご著書へのリンクを置いておきます。



[特設]山口雄也『「がんになって良かった」と言いたい』抜き書きと感想(8/n)

白血病との闘いを続けている京大大学院生・山口雄也さん(Twitter: @Yuya__Yamaguchi)のご著書、『「がんになって良かった」と言いたい』から抜き書きして、自分のメモを記すシリーズの7回目です。
 私は Amazon Kindle 版を購入しましたが、紙の書籍もあります。





(2017. 4. 24)


 この節は、伊勢物語に出てくる詠み人知らずの短歌の引用から始まります。そして、桜の美しさと生と死をめぐる逡巡と思索が、交錯するさまざまな感情とともに、繊細かつリズミカルな文章で語られます。


散ればこそ いとど桜はめでたけれ
憂き世になにか 久しかるべき


 がんの手術を終えた山口さんは、まだ退院できずにいたものの、がんは寛解していました。そして振り返るのは、「強いね」「治ってよかったね」といった他者の言葉に対する自分の心の動きです。


強がることには昔から長けていたから、そうしていただけだった。
(引用者注:がん告知に平気な顔をしていたのは)見栄だけは一人前だった。
そのうちにどれが自分の感情なのかを見失ってしまった。
もう笑っているのか口を結んでいるのか。泣いているのか怒っているのか。
果たしてどれが自分の感情が創り出した表情なのか分からなくなってしまった。
コミュニケーションの潤滑油として、ありもしないところから無理に表情を引っ張ってくる。
生ぬるい無造作な皺が、心との温度差を生じる。

 いちいち、身に覚えがあります。私自身が「障害者界」に閉じ込められてしまってから数年間の経験として。山口さんと同じ「がん患者界」に閉じ込められたわけじゃないのに、なぜ経験に共通点が感じられるのでしょうか。

 障害者も、その時点でのがん患者も、他者たちに何となく「こうあるべき」と定められてしまう存在です。定めるのは、障害をもたない人々、あるいは、その時点ではがん患者ではない人々です。
 障害者は、日本の全人口の10%に満たない少数派です。先進諸国と比べて異様に少ない理由は、日本の障害認定が異様に厳しいことにあります。
 日本人の約50%は生涯の中で1度はがんを経験し、約25%はがんで亡くなります。しかし「その時点でのがん患者」、特に若年のがん患者は、少数派であるはずです。国立がん研究センターの最新がん統計によれば、10代あるいは20代でのがん罹患率は0.5%未満と見てよさそうです。同世代の中では、障害者よりもさらに1桁少ないことになります。
 人口比で50%、せめて30%なら、その人と同じ側にいない50%あるいは70%が何を言おうが、ただちに「数の暴力」という種類の政治力が発揮されるわけではありません。しかし、10%未満の障害者、そして同年代では1%未満の10代・20代のがん患者に対しては、「90%以上」「99%以上」の数の暴力が否応なく降り注ぎます。各人に「暴力」のつもりが全くないとしても、「私の考える障害者像とは」「僕の考えるがん患者像とは」というものが存在するだけで、数の暴力になってしまいます。では、マジョリティは何も知らなければよいのでしょうか? それはそれで、無知ゆえに善意をもって相手をすり潰してしまい居ないのと同然にするという、さらにタチの悪い暴力となってしまいます。

 解決方法? ありませんよ。だって、数の不均衡を是正する方法がないんですから。もしも是正できたら、その時には「みんな障害者」「みんな、がん患者」です。それは、やはり望ましいことではないだろうと思います。「現在の健常者は、将来の中途障害者」「がんを経験していない人の半分は、将来のがん患者」とは言えるかもしれません。「わがことになるかも」という想像力は、少しだけ状況を変えるかもしれません。でも想像上の「将来のわがこと」は、別の誰かの「現在のわがこと」とは、やはり似て非なるものです。「想像できるから、私はあなたの理解者になれるはず」なんて言われた日には、ぶん殴(以下自粛)。

 ハンデを持つマイノリティが、ハンデを持ったマイノリティであるままで尊重されることを、「多様性の尊重」「ダイバーシティ」と言います。しかし、マジョリティによる多様性の尊重やダイバーシティ推進の程度を、誰が評価するのでしょうか? マジョリティに任せておくと、「自分たちは充分によくやっています。少しは反省すべき点もありますが」という評価にしかなりません。マジョリティが「マイノリティの声を聞く」という姿勢を見せることもありますが、人選や聞き方をマジョリティにまかせておくと、自分たちに都合のよい声しか聞かれません。マイノリティの中には「この政治を利用して自分の地位を確保したい」という動きが必ず現れます。すると、マイノリティは結果として分断されたり、あるいは出世した少数のマイノリティに支配されたりすることになります。たいへん具合悪い状況ですが、マイノリティである各個人の誰かがそういう選択をすること自体は、一概に否定できないように思えます。マイノリティの誰か1人が、権力や地位や達成に関する欲望を抱き、実現しようとするとき、誰が「あなたはマイノリティだから、そんなことを考えてはいけない」と言えますか? それはそれで人権侵害です。放っておくとマイノリティ全体の人権侵害に及びかねないという問題はありますが、だからといって、誰が「全体のために、あなた個人は犠牲になれ」と言えるでしょうか? 
 まことに面倒くさいのですが、この面倒くささは、障害ある学生や障害ある職業人として変化の中を生きている人々、障害がない時期に何者かとなった後に障害者となった人々につきまとう宿命です。障害者の社会参画に関して先進的と見られている西欧や北欧や米国にも、形を変えて存在します。よりマシだと思える「面倒くさい」を選ぶことはできても、自由になることは無理そうです。

 大学院生(大学生)として学業と研究の世界にも生きている山口さんは、がん患者ではない大学院生(大学生)だから求められることと、がん患者である現実の自分、そして2つの自分を取り巻く社会との間で、人知れず苦しまれたことが多々あるだろうと拝察します。それは、障害者であり現実にハンデを負っている人々が、福祉的ではない職業に就いてパフォーマンスを求められたり挙げたりしている場合に直面する困難そのものでもあります。

 5年後、10年後。山口さんと同じように苦しむ若年のがん患者、障害者、その他マイノリティが、少しでも減っていればいいと望みます。マジョリティの”苦しめ方”がもう少しマシになっていればいいと願います。今すぐには無理でしょう。だけど、少しずつ。

 さて、この節のタイトルは「桜」です。山口さんの状況は、死を意識しなくてもよいタイプの健康な障害者とは異なっていました。

五年以内に死ぬだろうと思って生きることの恐怖と失望とは、あなたには決して分からない。なぜなら自分にもさっぱり分からなかったからだ。
背水を気にせずどう生きろというのか。

 そして山口さんは、自分が感じている怖れと悲哀を、丁寧に腑分けしていきます。

万物無常、早かれ遅かれいつかはサヨウナラ。じゃあ悲哀の対象はというと、”存在がなくなること”ではなくて、むしろ”忘れられること”だった気がする。

 昔から、「人は二度死ぬ」と言われてきました。一度目は肉体的な死。二度目は、その人を知っている人が全員いなくなるという意味での死。2021年現在、Web空間に残した情報は永久に残る可能性があり、「忘れられる権利」が問題になっています。でも、Web空間に自分の残した情報が残りつづけていても、参照されなくなれば、発見されるまでは無と同じ。情報が埋もれるスピードが速くなるのとともに、二度目の死が早く訪れるようになるのかもしれません。

あなたに会えないことよりも、あなたに忘れられることの方が恐ろしい。生きたことが忘れられたとき、「わたし」はその人にとって存在しなかったことになる。その人を忘れた時、あなたは無意識にその人を殺している。

 このフレーズには、個人的な気づきがありました。
 私の母親は、私が物心ついたころから「親をないがしろにする」と怒り続けていました。2000年を過ぎてからは、通算で3時間も会話していないはずですが、たぶん現在もそうなのでしょう。私は積極的に母親を「ないがしろ」にしたかったわけではありませんが、何をすれば「ないがしろ」にしなかったことになるのか、全く見当がつきませんでした。母親の「自分をないがしろにされたくない」という思いが、死や忘却に対する母親自身の何らかの感情と結びついていたのであれば、幼少だった私、そして成人して現在に至っている私には、どうしようもなかったことになります。もう、そういうことにして、母親が自分にとって何であったかという問題を少しずつ棚上げし、自分の責任の及ばない問題ということにして、そして自分の問題としては終わらせてしまおうと思います。息子でもおかしくない年齢の山口さんが書かれた文章に、長年の親との問題の個人的な解決を少し助けてもらいました。ありがとう。

 ともあれ山口さんは、いずれ自分が忘れられ、存在しなかったことになり、無意識のうちに誰かに殺されるかもしれない運命を心に抱え直しつつ、桜をめぐって生命への思索を続けます。

雨にも負けて、風にも負けて、そうして一瞬のうちに散りゆくから、生命は美しい。
死こそが生命を生命たらせ、そうして平等にする。
残酷さが、美しさを創り上げる。
今年も、美しい桜が忘れられていく。
散ればこそ、めでたけれ。

 ぱっと咲いてぱっと散るのは、ソメイヨシノ系の桜の特徴です。ソメイヨシノは江戸時代以後の品種で、伊勢物語の時代には「それそのもの」はなかったはずですけれど。
 他にも、たくさんの桜があります。散り急がない桜もあります。そして私は、花の後の葉桜が、咲いた桜よりも好きなのです。

 山口さんが、来年の桜を見られますように。散るから美しい桜ではなく、咲き続けるから美しい桜の数々も見ることができますように。そして、今まで重ねられてきた思索の上に、さらに思索と自分の人生を重ねて行かれますように。

 ただ、祈ります。


山口雄也さんを応援する方法の例

 ご本人やご家族のために何かしたいというお気持ちを抱かれた方は、どうぞご無理ない形で応援をお願いします。ご家族を間接的に支えることも、ご本人への支えになります。
  • ツイッターで「いいね」やメンションによるメッセージを送る
  • ご著書を読んで、Amazonhonto読書メーターなどにレビューを書く
  • noteでご記事を読む・サポート(投げ銭)する・有料記事を購入する
  • 献血をして、献血センターがいかに素敵な場所であるかをSNS等で述べる(山口さんは、治療に大量の輸血を必要としています)
  • 献血できない人は、日赤などによる献血のお願いをSNS等で拡散する
  • 重い病気と闘病する人々やその家族の心境について、信頼おける書籍を読み、傷つけることなく支援する方法へと近づく



本記事を書いて推薦したくなったコンテンツ


 多数派の思い込みの世界に、あるいは政治的に強い力を持った存在の思うがままの世界の中に自動的に閉じ込められてしまう人々を、スピヴァクは「サバルタン」と名付けました。




 精神科医・中井久夫氏の著書『時のしずく』には、愛弟子の1人であった安克昌医師への追悼が収録されています。中井氏は阪神淡路大震災における精神医療の総指揮に当たり、安医師は最前線でケアにあたりました。リアルな生と死の重みに向きあった精神科医の1人が旅立ち、師であった精神科医が悼むという巡り合わせが生んだ追悼文。いずれはやってくる安医師の「二度目の死」への中井氏の怖れが胸に迫ります。



 なお安克昌医師は、NHKのドラマおよび映画『心の傷を癒やすということ』の主人公のモデルです。ご本人による同名のご著書もあります。余談ですが、私はNifty-Serveの心理学フォーラムで接点がありました。「自分の居場所」という言葉を含むお返事を、私は終生忘れそうにありません。私が生きている限り、あなたは死なないよ、安さん。


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「生活保護リアル(Kindle版)」
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「ソフト・エッジ」
(中嶋震氏との共著 2013.3 丸善ライブラリー)


「組込みエンジニアのためのハードウェア入門」
(共著 2009.10 技術評論社)

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