2018年5月、私は銀座のとあるイベントスペースの片隅で、緊張しながら座っていました。私は、映画監督・佐々木芽生さんのトークイベントに参加していたのでした。佐々木さんのツイートによれば、2018年5月25日だったようです。

自分に生きる資格なんかないと調教され続けていた時に

 現代アートの目利きと収集に生涯を捧げた夫妻を描いた映画『ハーブ&ドロシー』以来、私は佐々木さんのファンでした。しかしこの日、私は自分が「上級国民の集いに紛れ込んだドブネズミ」であるかのように感じていました。

 当時、私はまだ「Yahoo!ニュース個人」のオーサーでしたが、その年の10月末にオーサー契約を解除されました。2017年度からこの時期にかけて、ヤフーが有名大企業として知られている日本にいるだけで空気にチクチク刺されるような気がするような経験を積み重ねさせられていました。でも、まだ5月末はマシだったと思います。10月が近づき、そして10月末にオーサー契約を解除されて11月に入った後も、生まれてきたことを後悔するレベルの「いろいろ」が続きました。必ずしも「ヤフーが」「ヤフーの社員が」というわけではなく、「ヤフーまたは誰かに対する点数稼ぎのために私を痛めつけたかったらしい古い知人が」ということもありました。この世にヤフー(ソフトバンク)がある限り、その思惑次第で、少なくとも日本人は誰もかも、簡単に木っ端微塵にされてしまうでしょう。私は、自分自身も属してきたコミュニティも、人生も小さな実績も、何もかも信じられなくなりました。現在も、かなりそうです。

「それでよかった」と思えることが、一つだけありました。いわゆる「毒親」である自分自身の両親に対する信頼が、この一連の出来事によって完全に消えたのです。親との関係で辛い思いをした人でも、「そうはいっても」「互いに不幸な成り行きだった」「親は自分を愛したかったのだろう」という思いは、心のどこかに残っていることが多いだろうと思います。私もそうでした。しかし私は、「Yahoo!ニュース個人」との一連の出来事を通じて、事実に関するそのような仮説を完全に捨てることができました。両親が関与していた可能性もゼロではないと考えています。あくまでも仮説ですが、完全に棄却してよい仮説と判明するまでは維持しておくことにします。

 さて2018年は、Yahoo!ニュース編集部が佐々木さんを大々的に売り出していた時期でした。私は、映画『おクジラさま』の公開前にFCCJでの試写会で作品を拝見し、佐々木さんにちょっとだけ挨拶して、長年のファンとしての思いを語ることができました。でも、2018年5月のトークイベントのときは、「この世にヤフーがある限り、もう二度と佐々木さんには近寄れないだろう」と思っていました。今生の見納めのようなつもりで、佐々木さんが語るのを見ていました。

浄化の「モーニング・ノート」との出会い

 この時、佐々木さんはお母さんとの確執とその解消について率直に語られました。お母さんから遠く離れて時間が経過しても、湧き上がるトラウマに捉えられてウツウツとしていた佐々木さんを救ったのは、ニューヨークのセラピストが紹介した『ずっとやりたかったことを、やりなさい(邦題)』という書籍だったそうです。



 佐々木さんによれば、日本語訳は今ひとつだそうです。というわけで原書も持ってます。


 この本には、自分をクリエイティブにするための段階的プログラムが解説されており、プログラムの中心は「モーニング・ノート」です。朝、起きたらすぐ、ノートに手書きで心に浮かぶことを書き連ねるだけです。その効果を、佐々木さんは「浄化」と呼びました。

さっそく読んでみた、そして始めてみた

 私は、イベントの帰りがけに、この本をAmazon Kindleで購入して読み始めました。そして数日後、「モーニング・ノート」を始めました。

 両利きの私は、左手でも筆記用具を扱うことが可能です。長年、主に使ってきた右手と比べると、不器用ですが丁寧です。高スピードのメモで破壊された右手よりも、教科書的なきちんとした感じの文字を書くことができます。私は、「モーニング・ノート」を左手で書くことにしました。

 毎日書くべき「モーニング・ノート」ですが、3日続いたと思ったら10日飛んで、その次は翌々月だったりします。『ずっとやりたかったことを、やりなさい』には、毎週のさまざまな振り返りや次のステップのための作業も記載されていますが、ほとんど、やっていません。忘れていなかったら、可能な時に「モーニング・ノート」を書くのが精一杯です。「起きてすぐ」とは行かず、夜だったりします。

 でも、ノートを開いて左手で筆記用具を持つと、心身が自動的に「モーニング・ノート」モードに入ります。他の誰も読まない紙のノートに、筆記用具を手に持って向き合い、自分の心の中にある思いを記していくことの力は、想像していた以上でした。



まるで”デスノート”(2018年)

 2018年5月、「モーニング・ノート」を書き始めて気づいたことは、自分の心の中に積もり積もっていた恨みつらみの量と根深さでした。私は「他人は他人、自分は自分」と比較的割り切れる性格です。といいますか、壮絶なきょうだい差別に遭って育ち、自分の得られない何か(たとえば「新しい高価なオモチャ」「むしゃくしゃしたら私を蹴る権利」など)を得ているきょうだいに対して「同じものがほしい」と望むことはありえない状況でした。他人の持っているものを欲しがるという回路は、7歳か8歳の時に自ら断ち切ってしまいました。そんな回路が心の中にあると、「願望を持った罰」「願望を表明した罰」といったものが加わり、さらに状況が悪くなるからです。
 物心ついた時からずっとそういう状況だったので、「子どもらしい感性」「子どもらしい生活」といったものが想像できなくなっていました。小学3年のとき『長靴下のピッピ』を開いてみましたが、ピッピの生活や会話が全く理解できず、10ページも読まずに断念しました。国語の能力の発達が異常に速く、既に古文も漢文も読めて司馬遼太郎の歴史小説に手を出し始めていた子どもでしたが、「子どもが子どもである」ということを経験しておらず、「どうも見ているらしいんだけど、見ているものが実像なのかどうかよくわからない」という状況にありました。だから、ピッピが理解できなかったのです。
 ですから、「モーニング・ノート」を書き始めた時、次から次へと怒りや怨念が吹き出してくることに驚きました。「周囲の誰かが得られているのに自分は得られていない」ということに関して、私は特段の感受性を持っておらず「打たれ強い」と思っていましたが、そんなことはありませんでした。若干は鈍いかもしれませんが、それでも蹴られたり踏まれたりしたら痛い。ノートに噴き出したのは、「本当は痛かった」「痛いと思うことができなかった」「痛いと言うことができなかった」という事柄の数々でした。
 そうこうするうちに、Yahoo!ニュース個人編集部からの問題は、さらに深刻化していきました。10月、11月になると、今日や昨日、せいぜい数日前の出来事と自分の思いが、まあまあリアルタイムで記されるようになりました。
 私は、毎日がほぼ「やられて痛い」だけというわけではない毎日を送りたい、と考えるようになりました。自分にとって居心地がよいということ、自分のしたいことを自覚できるようになりたいと思うようにもなりました。しかし、この時期には全く現実味がありませんでした。



ドロドロを吐き出すと、その奥に自分自身が見えた(2019年)

 2019年になると、「モーニング・ノート」の内容が少しずつ変化してきました。「痛い」「苦しい」「イヤだ」とともに、「今からでも逃げられる」「次は避けられる」というノウハウと確信が記されるようになりました。不安には、現実化する可能性とリスクの程度の評価が伴うようになりました。私は「今」「今日寝るまで」「向こう3日間」といったスケールで、「東京を直下型地震が襲わないかぎり」といった留保つきで、どの程度の時間と気力とエネルギーを何に使うことができるかを、少しずつ考えられるようになってきました。
 2019年6月、私は幸運にも給費を受けて、アイルランドで一週間、障害と国際法について学ぶセミナーに参加する機会を得ることができました。朝食から夜のソーシャルイベントまで、経験や思いに共通点を持つ多様な仲間たちと過ごす濃密な時間を過ごしました。その合間に「午前3時に起きて日本に電話インタビュー」といったこともあってハードでしたが、無事に全日程を乗り切り、仲間と別れを惜しみました。
 私はセミナーが終了した後、会場の大学に2日間滞在し、散策や植物観察を楽しみました。散策していると、かつて辛い思いを重ねた末に追われた日本の大学のキャンパスに似た風景があったりしました。似た風景があるのは、その日本の大学の方が欧米の伝統ある大学を真似たからです。そのような風景を見ると、日本でその風景を見ていた時の感覚が一瞬だけ蘇りました。20代の学生に「あれ」「それ」とモノのように呼ばれ、嘲笑され、惨めな思いをしていた自分。その時の美しい緑や花々。その下を談笑する、その大学の学生たち。その学生たちにあって自分にはない、人間として扱われる資格……。
 しかし、そのグログロした思いが蘇ったのは、本当に一瞬でした。私は、下腹から黒く巨大なマリモのようなガスの塊が身体の中を浮かび上がり、口から吐き出されて空中に漂って消えていくのを見ました。それは、私の中に他人によって埋め込まれたネガティブな自己認識の数々に対して、「もう持ち続けていなくていいものなのかもしれない」と実感できた瞬間でした。
 そして私は少しずつ、自分が何を大切にしているのか、何をしたいのか、自覚できるようになっていきました。不快や理不尽に対しても、私はその場で怒れるようになりました。
 2019年末、私は所属していた障害者団体を辞めました。日本の障害者運動は、最も差別や理不尽に対する「No」を言いにくい界隈です。それでも、温度差はあります。自分が自分らしくいられる部分を探すために、いったん離れてみようと思ったのです。「せっかく報道という仕事を持っているのだから、世の中に知られていない障害者の困惑や困難を知らせるためにパワーを使いたい」という思いもありました。それを最も妨げていたのは、「障害者運動の中の人」という私の立場でした。そのままでいることは、報道の仕事において利益相反の問題を引き起こします。だから、いったん捨ててみることにしました。


わだかまりの元を近寄せず、したいことに目覚める(2020年)

 長期にわたって抱えていたわだかまりが薄れていくと、次に起こったのは、新しいわだかまりを近寄せないようにする変化です。もともと生き物が持っているはずの「有害なものを寄せ付けない」「攻撃から身を守る」という本能が、私にもあったようです。現在の私は、何日もにわたって引きずるようなダメージを、寝床の中まで持ち込みません。「その場で怒る」「その場で断る」などの方法によって、最初からわだかまらないようになれたからです。時には、そんなに簡単に解消できないこともありますが、それでも「対処の手段を考え、段取りをつけて、対処すべき時までは棚上げする」という対応ができるようになりました。
 すると、したいことが出来るようになりました。最もしたかったことは、「罰を恐れずに学び、達成する」ということでした。2019年後半から、恐怖を伴わずに学びや研究に向き合えるようになりました。また、以前の大学院での出来事がトラウマとなって仕事と無関係な本が全く読めなくなっていたのですが、それも一気に解消しました。「文字や数や学びや読書を知った小学生って、こんなふうなんだろうなあ」と想像しながら、何かを学べば自分の力になるという感覚を実感し、それが自分にとって納得と幸福をもたらす達成となる可能性を想像し、阻害要因とその除去方法を現実的に考えつつ、学んだり読んだり研究したりしています。音楽や絵も、自然な形で無理なく再開しつつあります。
 私は物心ついたときから、母親の「アンタなんか努力しても何もならん」「そんなことが出来ても意味がない」「勉強だけ出来ても心がないから意味がない」といった言葉をぶつけられ続けてきました。「そんなことはない」と心の中で自分に言い聞かせてきましたが、否定することによって、かえって自分の中に深く刻みつけてしまっていたようです。その弱みは、悪意をもった人が見ればすぐに分かるものなんでしょうね。同じような攻撃が次から次に突き刺さり、雪だるま式にトラウマと恐怖が積み上がってくる人生でした。


一冊のノートと一本のペン、そして自分自身の力

 2018年の私は、積み重ねさせられてきたトラウマと恐怖に、Yahoo!ニュース個人編集部=ヤフー(社としてしたことを公式に認めています)=ソフトバンク という日本で最大最強に近い「超・親」のようなものによるトラウマと恐怖が重なり、文字通り絶対絶命、心身に大きなダメージを受けていました。「このままでは残り寿命は長くない」という状況にもなっていました。自分を解き放たなければ、文字通り生きていけません。
 時間はかかりましたが、私は自分をトラウマと恐怖から解き放つことには成功しつつあるようです。まだ、大学院博士課程に在学していますから「超・親」のようなものが存在するという状況にあります。次のミッションは、この「超・親」のようなものから自分を自由にすること。学位を取得すれば自由になれる。学位取得を断念して単に逃げれば自由になれる。ここまで来て学位を断念するのはイタいし、研究でやりたいこともあります。でも、自分の生命や猫たちとの幸せな家庭生活を捨ててまでやることでしょうか? 学問や研究に生命を捧げることはアリかもしれませんが、教員や大学に生命を捧げる意味はあるでしょうか? 冷静に考えながら、日々やるべきことを前に進めていれば、少なくとも自分が不幸で怨恨にとらわれている近未来は実現させずに済むでしょう。

これからも旅路は続く

 私の人生の旅路は、これからも続きます。どうなるのか、先のことは読みきれません。それでも、ヴィジョンやプランを持ってみることはできます。実現に近づけてみることもできます。そうしながら、毎日を少しでも幸せに生きることもできます。
 そんな実感を持てるようになったのは、佐々木芽生さんを通じて、「モーニング・ノート」の習慣を持つことができたからです。佐々木さん、ありがとう。
 勝手に佐々木さんの作品のファンでいることは、私に許されることだろうと思います。