2015年08月
2002年ごろだったと思う。
ピアノ愛好家のサークルを立ち上げた女性の知人がいた。当時、30代前半くらいだったと思う。
彼女は、幼少期からの憧れだったピアノを入手して習い始めたところだった。
彼女は、大学を卒業して就職したものの(確か保険会社の総合職)、男尊女卑に痛めつけられる毎日を送っていたとのこと。
嫌気がさしていた彼女は、社内結婚とともに退職。
まもなく妊娠し、女の子が生まれた。女の子は、私が彼女とともに会ったときは4歳か5歳くらいだった。今はそろそろ成人に迫る年頃かもしれない。
女の子がまだ0歳か1歳のころ、夫君が、うつ病のため休職。
うつ状態の夫君が家にいること、収入が減ったことに耐えられなくなった彼女は、ヤ◯ルトの販売員として働きはじめたそうだ。
「すぐに子どもを預けて働けるところは、そこしかなかった」
とのことだった。
このとき、茨城県の実家の父親に経済援助を相談したところ、お金の代償に性行為の相手をすることを求められた由であった。こういう父親を持っているという娘は、現在の45歳以上だと結構な頻度でいる。私の世代の父親たちだと、特に珍しい話でもない。
私は2002年、渋谷のギャラリーで開催された「おっぱいプリン」展を、彼女と一緒に見に行った。
「おっぱいプリン」展は、実に面白いインスタレーションだった。
ミシェルさんという女子美出身のアーティストが、女性20人近くの乳房を型取り、プリンを作って展示していた。
それぞれのプリンには、風俗嬢紹介のような女性たちの写真とキャプションが一緒に展示されていた。
「コンプレックスの露出 性の安売り!」
というサブタイトルについて、ミシェルさんに尋ねたところ、
「コンプレックスが現れやすいところですよね、女性の乳房って。でも、コンプレックスって、個性じゃないですか」
というお言葉。ナットク。
その余韻を感じながら、彼女とカフェに入った。
開口一番、彼女はウズウズという感じで、
「あのね、子どもがいるって素晴らしいことで、育児は楽しいのよ」
と、目をキラキラさせて語り始めた。
当時39歳の私は、独身で子どもはいなかった。
子どもが嫌いとか持ちたくなかったとかではなく、むしろ欲しかった。
ただ、「どうしても」というほど自分の子どもが欲しいわけではなかった。
「子どもが欲しい」という淡い欲求は、自分が仕事を手放さず生きていくことに比べれば、優先順位はかなり低いものであった。
気がついたら、子どもを持つ機会を失いつつあった。
子どもを持つことや育児は、大きな負荷を伴いつつも、かけがえのない経験であるだろうと思う。
そう思っている私が、なぜ子どもや育児の素晴らしさを布教されなくてはならないのかと、内心、怒りを覚えた。
しかし私は怒りを表さず、彼女に対して「どのように子どもを断念するに至ったのか」を話した。
さらに、「盆正月などに一時的里親になることも考えたけど独身じゃ無理だった」とも話した。
彼女はかなりの動揺と当惑を表情に浮かべ、話題を変えた。
子どもと育児の素晴らしさを教えてあげる彼女の心づもりを私がぶち壊したのは事実だっただろう。
彼女はエッセイストになりたがっていた。
文章を書くのが「ちょっと好き」という女性には、ありがちなことだ。
彼女は、私と共著で本を出したいという話をしてきた。
「出したきゃ単著で出せばいいでしょ?」と言いたかった。
彼女の書きたい内容は、子育て、きもの、料理、なんだか女性ジェンダーを前面に出すような素材ばかりだった。
それをさらに、男性社会で挫折した女性の屈折した女性ジェンダーで「今は今で幸せ」と味付けするようなものであった。
それは私の、最も書きたくないものであった。
私は子ども嫌いじゃないし、和服も好きだったし、料理も好きだが、それをジェンダーと絡めて前面に出すのは、最もしたくないことだった。今もしたくないけど。
本の具体的内容について詰めるところまで行かないまま、話は立ち消えになった。
彼女がなぜ、そんな本を「私と」出したいと思ったのかは、わからない。
自分および自分の書きたいことの、格好の引き立て役と見込まれたあたりではないかと思う。
しかし最もムカついたのは、上記のどちらの件でもない。
渋谷でお茶した数カ月後、彼女は、私の作った曲のタイトルが気に入らないといって
「変えようよ(^^)」
とWeb掲示板に書いてきた。
それは他人に気楽に言ってよいことなのか? しかも顔文字つきで?
私は
「この世に彼女がいることが許しがたい」
というほどの怒りを覚えた。
タイトルも含めて私の作品だ。
なぜそこに、他人が口を挟む理由がある?
気に入らないなら、自分で曲を作れ。自分の作った曲に、自分のつけたいタイトルをつけろ。
それが出来ないなら、他人にとやかく言うな。
その作品を売る立場にある人が、商売の都合として言うなら、まだわかる。
でも彼女は、ただの知り合いとして曲名を知っただけだ。
そこに、顔文字をつけて、お気楽に「変えようよ」とは!?
私は当たり障りなく答えながら、
「なぜ私は、ここで怒りを爆発させることができないんだ」
と情けなくなり、パソコンの前で泣いた。
さらに数ヶ月後、ピアノサークルは内紛から空中分解し、彼女との縁も切れた。
その後、彼女から私には連絡が一度もない。
今どうしているか、全く知らない。
もしかすると。
彼女は、父親や夫から自分を守るために精一杯だったのかもしれない。
ただの娘、ただの嫁、ただの妻、ただの母、パート主婦としか見られない自分を、 必死で奮い立たせようとしていたのかもしれない。
国立大学から、就職氷河期に総合職として就職できた彼女は、それなりに優秀だったのだろうと思う。
しかしいったん「家に入る」を選んでしまったら、 そこまでの彼女に目を向けてくれる人は誰もいない。
保育園(娘さんは当時は公立保育園に通っていた)とのママ友とのお付き合いやパート勤務をつつがなく続けようと思ったら、出身大学も前職も言えない場面の方が多いだろう。
鬱屈した彼女の、低められてしまった自意識を、私は一人でぶつけられる巡りあわせになっていたのかもしれない。
私だって、そんなに羨ましがられるような経験や立ち位置にいたわけではないのだが、もしも彼女に「ちょっとだけ想像してみる」が可能だったら、彼女は最初から、そんな言動は取っていなかっただろう。
はっきりしているのは。
そういう人とお付き合いするのは、私には無理だったということだ。
もちろん、今も無理。
きょう午後は生活保護に関する研究会で報告する予定。そのレジュメを、これから作ります。
ただいま午前9時過ぎ。
猫の摩耶(18歳2ヶ月)に朝晩注射しているインシュリンが切れてます。動物病院に行って頂いてこなきゃ。
あたふた、あたふた。
そんな中の朝食です。
見た目がどうした♪ 洗う食器を減らしたいのさ。

下左: 白飯+卵の黄身醤油漬け
下中: 冷奴(七味唐辛子+醤油)
下右: 味噌汁(豆腐+ワカメ)
上左: おろしじゃこ+山わさび(瓶詰め)
上中: 使用済だしパックの中身+卵 をレンジ加熱したもの
上右: 大根の皮をレンジ加熱して、ドレッシングと梅肉を混ぜたもので和えたもの
アクロバット的な豆腐は、水っぽくない冷奴を食べたいこと、醤油をかけたときに豆腐の下面だけ濃い醤油味になるのを避けたいことから、無理なく出来る範囲で工夫した結果です。
いずれにしても豆腐をパックから出すわけですが、その時に、パックに「水切り」という最後の一仕事をしてもらおうと思って試してみたら、大変具合よいのです。
そこで醤油をかけておけば、醤油の味が適度に染みて、しかも下面ばかり濃い醤油味ではない冷奴になります。
いつもは食べる直前に皿に移すんですが、今日は盛り付けることを考えただけで頭が痛くなるほどなので、そのまま食卓に登場。
いいんです。今日は「見た目がどうした♪」を徹底追求するポリシーなんだから。
緑黄色野菜不足が問題かと思われるところです。
昨日デビューした重茂産の乾燥ワカメが旨いので、気にしない、気にしない。

摩耶(18歳2ヶ月14日)は今日も、まあまあ元気で、楽しそうにしているし。

私の血圧は今一つだけど。

ん、動物病院に行ってきて、レジュメ作ろ、っと。
音声合成技術の現在と未来」
(共著 2015.4 丸善出版)
「いちばんやさしいアルゴリズムの本」
(執筆協力・永島孝 2013.9 技術評論社)
「生活保護リアル」
(2013.7 日本評論社)
「生活保護リアル(Kindle版)」
あります。
「ソフト・エッジ」
(中嶋震氏との共著 2013.3 丸善ライブラリー)
「組込みエンジニアのためのハードウェア入門」
(共著 2009.10 技術評論社)
Part5「測定器、使えてますか?」は、
東日本大震災後、
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