生活保護バッシングの根拠として、しばしば
生活保護バッシングを意図した報道等では、引き続いて
「働いているのに、『生活保護の方がマシ』という収入しか得られない、生活保護のあいつらは羨ましい」
「働いて年金を払ってきたのに生活保護以下の老齢基礎年金しかもらえない、まじめに働いてきたのがバカらしい」
といった「庶民の声」が続きます。
場合によっては「識者」が
「生活保護基準が高すぎて『働いたら損』になることが諸悪の根源、生活保護基準を引き下げろ」
というふうに意見を述べます。
そもそも、生活保護基準と老齢基礎年金を比較して、「老齢基礎年金の方が」という比較には意味がありません。
生活保護制度の「補足性の原理」により、生活保護基準以下の年金しか得られない高齢者等は、生活保護基準で暮らすことが可能だからです。申請を行えば済むことです。
「申請できない」「申請しても(正当な理由なく)受理されない」であれば、行政の問題です。法律家などの支援を得れば、申請も保護を受けることも可能です。そういう支援がないと無理な地域も多いこと自体が問題なのでもありますが。
「申請するのは恥ずかしいから申請しない」ならば、申請しないご本人の自己責任であると同時に、制度を熟知させる・スティグマ感をなくす といった努力を行わない日本政府の責任でもあります。
ただ、老後の生活保障にならない老齢基礎年金の金額は、確かに問題です。
生活保護基準同等の最低保障年金があり、働いた人・働かなかった人の区別なく受給することができ、さらに働いた人には上積みがある……という制度では、なぜいけないのでしょうか?
「生活保護のおかげで怠け者がトク、働いた自分がソンしている」
と主張する高齢者の方に、ぜひ、伺ってみたいものです。
では、最低賃金はどうでしょうか?
最低賃金は、生活保護基準を下回っていてはならないのです。
このことは、最低賃金法に定められています。
「生活保護基準以下の最低賃金」そのものは、存在してはならない異常事態です。
異常事態でだけ成り立つ比較を前提にした議論は、異常事態について議論しているという以上の意味がありません。
その意味のない議論を続ける代わりに、
「最低賃金での一ヶ月の賃金が生活保護基準より何円高ければ、生活保護から脱却して就労したくなるのだろうか? 働いている人が『働いている自分はバカらしい、働き損』と考えなくなるのだろうか?」
と考えてみてはいかがでしょうか。
最低賃金での月収が一ヶ月あたり20万円、生活保護基準が現在と同程度であるとすれば、稼動年齢の単身者の場合は就労することで約7万円「トク」ということになります。若干の負担増があったとしても、ここまで行けば、間違いなく「働いたらトク」になるでしょう。
異常事態が解決されるとは、こういうことです。
もし、最低賃金の引き上げだけでは難しいというのであれば、生活保護の住宅扶助相当のベーシック・インカムを組み合わせるとか。
こういう「みんなで豊かになる」という状況を目指す方向で、議論をしてはいかがでしょうか?
特に、影響力の強いTVメディアの皆様には、それを強くお願いしたいところです。
実際には、金銭は唯一かつ最強の就労インセンティブというわけでもありません。『働けるのに怠けて働かない』というタイプの生活保護当事者は、世の中で思われるほど数多いわけではなく、むしろ例外として無視してよいほどの少数例です。『働いたらトク、働かないとソン』という仕組みで生活保護からの脱却を迫るという方向性には、世の中で喧伝されているほどの有効性はありません。
ただ、過去のTVでの生活保護問題の取り上げられ方を振り返ると、TVでそこまで踏み込めるのは何十年か先だろうと思います。
「健康で文化的な最低限度の生活」とは何か? という議論は、まだ始まったばかりです。国際的にみても。
参考:くらしのもよう
どのような生活が「健康で文化的な最低限度の生活」なのでしょうか?
それには、いくら必要なのでしょうか?
まだ何も、明らかになってはいません。
土台がまだ固まっていないところで、不毛な議論を展開しても意味がありません。
せめて、不毛な議論に参加しない・助長しない努力はできないものでしょうか?
余分な費用もエネルギーも必要ありません。
不毛な議論を視聴したり参加したりするのを止めれば、それで済むことです。
大海の一滴かもしれませんが、私はその努力をします。
生活保護費(生活扶助+住宅扶助) > 最低賃金が挙げられます。
生活保護費(生活扶助+住宅扶助) > 老齢基礎年金
生活保護バッシングを意図した報道等では、引き続いて
「働いているのに、『生活保護の方がマシ』という収入しか得られない、生活保護のあいつらは羨ましい」
「働いて年金を払ってきたのに生活保護以下の老齢基礎年金しかもらえない、まじめに働いてきたのがバカらしい」
といった「庶民の声」が続きます。
場合によっては「識者」が
「生活保護基準が高すぎて『働いたら損』になることが諸悪の根源、生活保護基準を引き下げろ」
というふうに意見を述べます。
そもそも、生活保護基準と老齢基礎年金を比較して、「老齢基礎年金の方が」という比較には意味がありません。
生活保護制度の「補足性の原理」により、生活保護基準以下の年金しか得られない高齢者等は、生活保護基準で暮らすことが可能だからです。申請を行えば済むことです。
「申請できない」「申請しても(正当な理由なく)受理されない」であれば、行政の問題です。法律家などの支援を得れば、申請も保護を受けることも可能です。そういう支援がないと無理な地域も多いこと自体が問題なのでもありますが。
「申請するのは恥ずかしいから申請しない」ならば、申請しないご本人の自己責任であると同時に、制度を熟知させる・スティグマ感をなくす といった努力を行わない日本政府の責任でもあります。
ただ、老後の生活保障にならない老齢基礎年金の金額は、確かに問題です。
生活保護基準同等の最低保障年金があり、働いた人・働かなかった人の区別なく受給することができ、さらに働いた人には上積みがある……という制度では、なぜいけないのでしょうか?
「生活保護のおかげで怠け者がトク、働いた自分がソンしている」
と主張する高齢者の方に、ぜひ、伺ってみたいものです。
では、最低賃金はどうでしょうか?
最低賃金は、生活保護基準を下回っていてはならないのです。
このことは、最低賃金法に定められています。
(地域別最低賃金の原則)第九条 賃金の低廉な労働者について、賃金の最低額を保障するため、地域別最低賃金(一定の地域ごとの最低賃金をいう。以下同じ。)は、あまねく全国各地域について決定されなければならない。2 地域別最低賃金は、地域における労働者の生計費及び賃金並びに通常の事業の賃金支払能力を考慮して定められなければならない。3 前項の労働者の生計費を考慮するに当たつては、労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう、生活保護に係る施策との整合性に配慮するものとする。
「生活保護基準以下の最低賃金」そのものは、存在してはならない異常事態です。
異常事態でだけ成り立つ比較を前提にした議論は、異常事態について議論しているという以上の意味がありません。
その意味のない議論を続ける代わりに、
「最低賃金での一ヶ月の賃金が生活保護基準より何円高ければ、生活保護から脱却して就労したくなるのだろうか? 働いている人が『働いている自分はバカらしい、働き損』と考えなくなるのだろうか?」
と考えてみてはいかがでしょうか。
最低賃金での月収が一ヶ月あたり20万円、生活保護基準が現在と同程度であるとすれば、稼動年齢の単身者の場合は就労することで約7万円「トク」ということになります。若干の負担増があったとしても、ここまで行けば、間違いなく「働いたらトク」になるでしょう。
異常事態が解決されるとは、こういうことです。
もし、最低賃金の引き上げだけでは難しいというのであれば、生活保護の住宅扶助相当のベーシック・インカムを組み合わせるとか。
こういう「みんなで豊かになる」という状況を目指す方向で、議論をしてはいかがでしょうか?
特に、影響力の強いTVメディアの皆様には、それを強くお願いしたいところです。
実際には、金銭は唯一かつ最強の就労インセンティブというわけでもありません。『働けるのに怠けて働かない』というタイプの生活保護当事者は、世の中で思われるほど数多いわけではなく、むしろ例外として無視してよいほどの少数例です。『働いたらトク、働かないとソン』という仕組みで生活保護からの脱却を迫るという方向性には、世の中で喧伝されているほどの有効性はありません。
ただ、過去のTVでの生活保護問題の取り上げられ方を振り返ると、TVでそこまで踏み込めるのは何十年か先だろうと思います。
「健康で文化的な最低限度の生活」とは何か? という議論は、まだ始まったばかりです。国際的にみても。
参考:くらしのもよう
どのような生活が「健康で文化的な最低限度の生活」なのでしょうか?
それには、いくら必要なのでしょうか?
まだ何も、明らかになってはいません。
土台がまだ固まっていないところで、不毛な議論を展開しても意味がありません。
せめて、不毛な議論に参加しない・助長しない努力はできないものでしょうか?
余分な費用もエネルギーも必要ありません。
不毛な議論を視聴したり参加したりするのを止めれば、それで済むことです。
大海の一滴かもしれませんが、私はその努力をします。