マンガ家・さいきまこさんの新刊コミック単行本「陽のあたる家」、本日発売開始です。
さいきさんの素晴らしい作品が単行本という形で世に出たことを、心より祝福申し上げます。
この書影をクリックすると、Amazonの商品ページに飛び、なおかつ私にちょっとだけ紹介料が入ります。
でも出来れば、リアル書店へのご注文・お買い上げをお願いします。増刷かかりやすくなります。
2013年12月17日現在、Amazonでは売り切れになってますしね。

さいきまこさんには、「陽のあたる家」連載についてインタビューをお願いし、記事
を書いて以後、ご親交をいただいております。
今日は、一人の友人として見た、さいきさんの最大の武器について書きます。
一言でいえば、「素晴らしいマンガを描ける、普通の人」であるということです。
私は社会人をはじめたとき、研究者でした。その後は科学・技術分野のライターに転じ(これは今でも)、現在は社会保障全般を守備範囲とするライターで、障害を持っています。誰がどう見てもマイノリティです。
ついでに言うと、
「大学進学という選択をする」
「短大ではなく四年制大学を選ぶ」
「理科系、それも女子の少ない物理学科に進学する」
「修士までとはいえ大学院に進学する」
「結婚を前提にした『腰掛け』ではない就職をする」
……
(30年以上前の九州での話ということをお忘れなく。これらはいちいち、「不良」になるより悪いと考えられるような選択でした)
好んでマイノリティになろうとしたわけではないのですが、私の選択にはいつも、どこか
「結果としてマイノリティとなる道を選ぶ」
がつきまとっていました。もしかすると今でもそうです。
いつのころからか、私は
「ふつう」
「世間一般」
「みんな」
が分からなくなりました。分かるわけはないのです。なにしろTV持ってない歴30年。
だから、たとえば街でブランド物のバッグを持っている人を見ても、なんとも思いません。
至近距離にあれば、さすがに
「ああプラダだなあ」
「へえヴィトンなんだ」
くらいのことは分かりますが、それ以上の感情は沸かないのです。
だから、よく世の中で言われる
「生活保護のくせにプラダ」
「保育園の保育料が減免されていて、しかも払っていないうえにヴィトン」
といった話を、自分自身の感情で理解することができません。
自動車もそうです。この間、はじめて「ポルシェ」と書いてあるスポーツカーのマークを見て
「へえ、これがポルシェってやつなんだ。そういえば近所の駐車場に同じのがあったっけ」
という調子です。だから
「生活保護のくせに外車」
の類の話についても、感度がおそろしく低いです。
(もっとも、「生活保護当事者に対して車の保有・運転が認められにくい大都市圏で、健常者とみられる生活保護当事者が車の運転をしていた」という噂を聞くと、事実であるとすればの話ですが、車の種類や価格ではなく「保険はどうしているのだろう?」ということが気になります。禁じられているはずの保有または運転がバレて罰を受けることについては「ご本人の自己責任」と言ってよいかもしれませんが、事故を起こすと、そうも言っていられません。そして許可されていない限り、自賠責保険にも入れないはずですから)
さいきさんと最初にお目にかかったとき、なんともいえないオーラと眼力に圧倒される気がしました。
そのオーラと眼力は、クリエータに特有のものであるようにも見えます。
シングルマザーとして、息子さんを育ててこられた母親としてのものであるようにも見えます。
マンガという大変な分野を選んだ方のものであるようにも見えます。
私の知らないことがらも含めて、さいきさんの歩んで来られた道全部を現しているのでしょう。
そして私が驚くのは、さいきさんが「普通の人」としての感性を守り、大切にしているということです。
さいきさんは、
「生活保護なのに外食」
「就学援助なのにブランドものバッグ」
の類には、
「えーっ?」
と驚くそうです。一瞬だそうですが。
決して恵まれていたわけではない状況の中で、息子さんを育てながら仕事を続けてこられたさいきさんには、結婚以後、経済的に潤沢だった時期はほとんどなかったようです。
私が聞かせていただいた数少ないお話だけからも、
「子どもに縁日のお菓子を気持ちよく買ってやれない」
「外食を何年もしなかった時期が」
といった、大変な暮らしぶりを経験されて来られたことが伺えます。
フリーランスゆえの激しい経済的アップダウンだったら私も経験していますけれども、私は人間の扶養家族がいませんでしたし、長年エンジニアだったので
「ライター稼業がこのごろ不振だから、パートタイムエンジニアや技術スクール講師も」
という形でやってこれました。
障害者になってからはそうも行かなくなり、福祉事務所の窓口で生活保護の申請を勧められるほどの深刻な経済状況も経験していますが、それでも大した苦労をしたうちには入らないでしょう。
「自分の状況が苦しい」
とか
「世間と比較して惨めだ」
とか考える回路を、自分自身が失っている感じさえします。
不器用な私は、マジョリティの側にいても苦労したかもしれませんが、マイノリティの道を選んだり選ぶことを余儀なくされたりした私の苦労は、マジョリティから見れば「自己責任」と嘲笑されるようなことでしかありません。だから、「苦しい」「惨めだ」とか口にしたり書いたりできません。口にできず書くこともできない感情は、最初から「ない」ことにしたほうが気楽です。そう考えたわけではありませんが、私からは、そういう感情の回路が消えています。
さいきさんは、ご自分の苦しさや辛さを、正面から受け止め続け、感じ続けています。
だから、
「生活保護なのに◯◯」
には
「えーっ! 私だって△△なのに」
と感情が動く、と言われます。
一瞬のことで、
「えーっ!」
という驚き・怒り・嫉妬のような感情はすぐに落ち着き、
「あ、いいんだ」
「あ、そういうことは、不正でもズルでもなんでもなく、ありうる」
というふうに考えが至るそうですが。
さいきさんは
「私は、そういう感性を大事にしたいと思う」
と話されます。
さいきさんのそういうお話を聞きながら、私は
「もし私にそういう感性があったら」
と思います。
もし、生活保護バッシングに動かされて「芸人けしからん」と怒る市井の人々の感情を、私自身のものとして、一瞬でも共有することができていたら。
もし、「生活保護といえば不正受給」と思い込まされている人々が、なぜそうなってしまうのかを、「自分もそうだから」という面から理解することができていたら。
私はもっと多くの方々に、伝えなくてはならないと思うことを、もっと豊かな形で伝えられているだろうと思うのです。
さいきさん、これからも私をたくさん刺激してください。
そして、お互いに、これからも前作よりも良い作品を、どんどん生み出し続けていきましょうね!
さいきさんの素晴らしい作品が単行本という形で世に出たことを、心より祝福申し上げます。
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でも出来れば、リアル書店へのご注文・お買い上げをお願いします。増刷かかりやすくなります。
2013年12月17日現在、Amazonでは売り切れになってますしね。
さいきまこさんには、「陽のあたる家」連載についてインタビューをお願いし、記事
を書いて以後、ご親交をいただいております。
今日は、一人の友人として見た、さいきさんの最大の武器について書きます。
一言でいえば、「素晴らしいマンガを描ける、普通の人」であるということです。
私は社会人をはじめたとき、研究者でした。その後は科学・技術分野のライターに転じ(これは今でも)、現在は社会保障全般を守備範囲とするライターで、障害を持っています。誰がどう見てもマイノリティです。
ついでに言うと、
「大学進学という選択をする」
「短大ではなく四年制大学を選ぶ」
「理科系、それも女子の少ない物理学科に進学する」
「修士までとはいえ大学院に進学する」
「結婚を前提にした『腰掛け』ではない就職をする」
……
(30年以上前の九州での話ということをお忘れなく。これらはいちいち、「不良」になるより悪いと考えられるような選択でした)
好んでマイノリティになろうとしたわけではないのですが、私の選択にはいつも、どこか
「結果としてマイノリティとなる道を選ぶ」
がつきまとっていました。もしかすると今でもそうです。
いつのころからか、私は
「ふつう」
「世間一般」
「みんな」
が分からなくなりました。分かるわけはないのです。なにしろTV持ってない歴30年。
だから、たとえば街でブランド物のバッグを持っている人を見ても、なんとも思いません。
至近距離にあれば、さすがに
「ああプラダだなあ」
「へえヴィトンなんだ」
くらいのことは分かりますが、それ以上の感情は沸かないのです。
だから、よく世の中で言われる
「生活保護のくせにプラダ」
「保育園の保育料が減免されていて、しかも払っていないうえにヴィトン」
といった話を、自分自身の感情で理解することができません。
自動車もそうです。この間、はじめて「ポルシェ」と書いてあるスポーツカーのマークを見て
「へえ、これがポルシェってやつなんだ。そういえば近所の駐車場に同じのがあったっけ」
という調子です。だから
「生活保護のくせに外車」
の類の話についても、感度がおそろしく低いです。
(もっとも、「生活保護当事者に対して車の保有・運転が認められにくい大都市圏で、健常者とみられる生活保護当事者が車の運転をしていた」という噂を聞くと、事実であるとすればの話ですが、車の種類や価格ではなく「保険はどうしているのだろう?」ということが気になります。禁じられているはずの保有または運転がバレて罰を受けることについては「ご本人の自己責任」と言ってよいかもしれませんが、事故を起こすと、そうも言っていられません。そして許可されていない限り、自賠責保険にも入れないはずですから)
さいきさんと最初にお目にかかったとき、なんともいえないオーラと眼力に圧倒される気がしました。
そのオーラと眼力は、クリエータに特有のものであるようにも見えます。
シングルマザーとして、息子さんを育ててこられた母親としてのものであるようにも見えます。
マンガという大変な分野を選んだ方のものであるようにも見えます。
私の知らないことがらも含めて、さいきさんの歩んで来られた道全部を現しているのでしょう。
そして私が驚くのは、さいきさんが「普通の人」としての感性を守り、大切にしているということです。
さいきさんは、
「生活保護なのに外食」
「就学援助なのにブランドものバッグ」
の類には、
「えーっ?」
と驚くそうです。一瞬だそうですが。
決して恵まれていたわけではない状況の中で、息子さんを育てながら仕事を続けてこられたさいきさんには、結婚以後、経済的に潤沢だった時期はほとんどなかったようです。
私が聞かせていただいた数少ないお話だけからも、
「子どもに縁日のお菓子を気持ちよく買ってやれない」
「外食を何年もしなかった時期が」
といった、大変な暮らしぶりを経験されて来られたことが伺えます。
フリーランスゆえの激しい経済的アップダウンだったら私も経験していますけれども、私は人間の扶養家族がいませんでしたし、長年エンジニアだったので
「ライター稼業がこのごろ不振だから、パートタイムエンジニアや技術スクール講師も」
という形でやってこれました。
障害者になってからはそうも行かなくなり、福祉事務所の窓口で生活保護の申請を勧められるほどの深刻な経済状況も経験していますが、それでも大した苦労をしたうちには入らないでしょう。
「自分の状況が苦しい」
とか
「世間と比較して惨めだ」
とか考える回路を、自分自身が失っている感じさえします。
不器用な私は、マジョリティの側にいても苦労したかもしれませんが、マイノリティの道を選んだり選ぶことを余儀なくされたりした私の苦労は、マジョリティから見れば「自己責任」と嘲笑されるようなことでしかありません。だから、「苦しい」「惨めだ」とか口にしたり書いたりできません。口にできず書くこともできない感情は、最初から「ない」ことにしたほうが気楽です。そう考えたわけではありませんが、私からは、そういう感情の回路が消えています。
さいきさんは、ご自分の苦しさや辛さを、正面から受け止め続け、感じ続けています。
だから、
「生活保護なのに◯◯」
には
「えーっ! 私だって△△なのに」
と感情が動く、と言われます。
一瞬のことで、
「えーっ!」
という驚き・怒り・嫉妬のような感情はすぐに落ち着き、
「あ、いいんだ」
「あ、そういうことは、不正でもズルでもなんでもなく、ありうる」
というふうに考えが至るそうですが。
さいきさんは
「私は、そういう感性を大事にしたいと思う」
と話されます。
さいきさんのそういうお話を聞きながら、私は
「もし私にそういう感性があったら」
と思います。
もし、生活保護バッシングに動かされて「芸人けしからん」と怒る市井の人々の感情を、私自身のものとして、一瞬でも共有することができていたら。
もし、「生活保護といえば不正受給」と思い込まされている人々が、なぜそうなってしまうのかを、「自分もそうだから」という面から理解することができていたら。
私はもっと多くの方々に、伝えなくてはならないと思うことを、もっと豊かな形で伝えられているだろうと思うのです。
さいきさん、これからも私をたくさん刺激してください。
そして、お互いに、これからも前作よりも良い作品を、どんどん生み出し続けていきましょうね!