私の周囲は、出産ラッシュです。「少子化」とは、どこの誰の話なのでしょうか。
共通していることは、30代以上、それも30代後半以上での出産が多いということです。
避妊に失敗した結果の妊娠もありました。
悩みに悩み、迷いに迷っての妊娠もありました。
子どもを失ったお母さんの、最後のチャンスに賭けての妊娠もありました。
共通していることは、
「悩んだり迷ったりしたけれど、お母さんが、または両親が、主体的に選びとっての出産」
ということです。
父親たちの育児への協力ぶりは、いろいろです。
積極的に 育児に関わる父親もいれば、妻が嫌がるので「イクメン」にはならないという父親もいます。
かくいう私は、
「仕事も家庭も子どもも」
と強く望んで、失敗した口です。
仕事と家庭・子どもの二者択一で、私は仕事を取りました。
家庭と子どもがなくても、生きて行けます。
でも、仕事がなかったら、 生きていけません。
そして、子どもを持つチャンスを逃したまま50歳になろうとしています。
子育ての経験はありませんが、子育てが大変なことは理解できます。
3人きょうだいで、一番下とは9歳違い。
ただ、子育てそのものを親として体験したわけではありません。
自分が子どもだった時期も、遠い昔になりました。
子育てにまつわる問題も、いま現在子どもである人たちの問題も、 理解はできますが共感はできません。
そして最近、それでいいんだと思うようになりました。
困難に向き合っている母親たちは、父親たちは、子どもたちは、共感してほしいと思っているとは限りません。
共感はできないからこそのクールな関わりと、当事者ではないからこその問題解決思考が、困難に向き合う人々を救うかもしれません。
クールに関われて、当事者の感情を持たないからこその問題解決思考をまとった大人として、
子育てという難事業に関わる人々や、
これから育っていくという難事業を成し遂げようとしている子どもたちの近くにいること。
無理をせずに支えられるときに支えること。
当事者じゃないからこそ、所詮は「他人ごと」だからこそ、できることがあるのでは。
最近、そんなふうに思うようになりました。
以下、アフィリエイトです。
私が「子どもをほしい」と思っていた時に読んでいた本です。
子どもの貧困は、ただ、その子どもが現在貧困であるということではありません。
数多くの機会を、将来にわたって奪うということです。
中学生と小学生の子どもがいる家族が困窮し、生活保護で周囲の人々ともども再生していく物語です。
拙著です。一章を子どもの貧困の問題に宛てています。
ソフトカバー版
Kindle版
12月4日発売の「フライデー スペシャル」に、インタビューを掲載していただきました。
貧困の中で子ども時代を送った生活保護当事者の方を、お一人紹介しています。
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