2011年4月のことだったかと思います。
震災後、東北ほどの激しさではないとはいえ余震が続いていた東京の住まいで、私はYouTubeでなんとなく音楽を探して聴いていました。
きっかけが何だったか思い出せないのですが、合唱版「アンパンマンのマーチ」に行き当たりました。



膝の上には、猫の悠(♂・当時13歳)がいました。丸くなって寝ていました。
「アンパンマンのマーチ」が流れだすと、悠はむくりと起き上がり、「居ずまいを正す」という感じで聞き入りはじめました。
私はびっくりしました。
悠は音楽が好きな猫ではありましたが、そんなふうに音楽に聴き入る悠を見たのは初めてだったからです。
私が、現在も続く連載「生活保護のリアル」につながる予備取材を始めかけた時期のことでした。

そのうちに悠は、
「アンパンマン聴くよー!」
と私が声をかけると、タタタタタと走ってきて膝に飛び乗り、粗い鼻息と喉のゴロゴロで喜びを示すようになりました。
「アンパンマンのマーチ」を聴く悠の姿です。合唱版です。
 

オリジナルも好きでした。
2012年秋から冬にかけては、アニメーションにも関心を示すようになっていました。


2013年3月2日、悠は14年9ヶ月の生涯を閉じました。
数多くの病気との闘病を3年3ヶ月も頑張り通してくれましたが、末期がんには勝てませんでした。

1963年生まれの私は、「アンパンマン」で育ってはいません。
1984年に一人暮らしを始めてからはTVを持っていません。
ずっと「アンパンマン」を知らないままだった私は、悠のおかげで、アンパンマンのマーチに親しむようになりました。
機会があれば、TV放映も見るようになりました。
そして、「アンパンマン」の価値観が大好きになりました。
そこには絶対の善や絶対の悪はなく、悪役も完全に殲滅されることはなく、平衡と共存があります。
たった一つだけ絶対の善があるとすれば「食べ物を誰かに与えること」です。

このごろ、ときどき、 悠はなぜ「アンパンマン」だったんだろう? と思います。
悠が大好きになったのは、私の大好きだった「琉神マブヤー」でも「快傑ライオン丸(古くてすみません)」でもなく、多くの子どもに好まれている「しまじろう」でもなく、「アンパンマン」でした。
それ以前の悠の音楽の好みは、「シンドラーのリスト」「スカボロー・フェア」といったものでした。好みが渋かったんです。
なぜ「アンパンマン」だったんでしょうか? 今でも不思議です。
 
はっきりしていることは、悠が「アンパンマン」を好きになってくれたおかげで、私は「アンパンマン」を知ることができたということです。
そしていつのまにか、「飢えた人を救うことこそが正義」という価値観が私に流れ込んでいました。

私の連載「生活保護のリアル」書籍「生活保護リアル」をはじめとする社会保障に関する仕事のテーマソングは、きっと「アンパンマンのマーチ」なのです。



以下、アファリエイトです。
拙著「生活保護リアル」です。


Kindle版もあります。


「アンパンマンのマーチ」が入っているCDです。
悠に他の歌も聞かせてやればよかったなあと後悔しています。


絵本です。悠に読み聞かせてやりたかった。
意味は分からなくても、何か通じるものがあったことでしょう。